青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

70年代“オカルト”ブームは怖かった!

2022-12-23 | 昭和・思い出は色褪せない

昔は夏の行事と言えば・・・。肝試し。みんなで集まって「怪談」を1人1つ話し、その後、お墓やお寺の境内に赴く。僕の子供の頃には、近所の子供や大人が入ってのイベントとして、毎年行われていました。恐くて泣きだす子もいて、全員参加の行事ではなかったと思います。科学が進んだ為か、子供までがスマホで遊ぶようになった為か、こういうイベントも間もなく姿を消してしまうでしょう。

僕が小学校にも行っていない時は、白黒テレビで観たクリストファー・リーの演じる「ドラキュラ」がすごく恐かった。ニンニクを、ドラキュラ避けに、自分が眠る部屋の窓に吊り下げたこともありました。そして忘れもしない70年代前半、後にも先にもないような、オカルト大ブームが到来しました。口火を切ったのは1973年の「ノストラダムスの大予言」です。

昭和48年11月25日に初版が発売。わずか3か月後の翌年2月20日が152版です。どれだけ重版された大ヒットかお分かりだと思います。映画化もされましたが、描写に問題が多く、ソフト化もテレビ放送もされないままです。

そして、同年、少年チャンピオンで「恐怖新聞」が連載スタート、少年マガジンで「うしろの百太郎」が連載スタート。この“つのだじろう”の漫画が、オカルトブームに火をつけました。(それまでは「泣くな! 十円」なんかを書いていたのに・・)どこの学校でもこっくりさんが流行し、社会問題にもなりました。「恐怖の心霊写真集」もシリーズとなり、売れに売れました。

翌年はユリ・ゲラーのスプーン曲げと、映画「エクソシスト」が大ヒットしました。

1970年代のオカルトブーム以前と、それ以降では、日本社会は常に「ものごと」が子供に与える影響に配慮していたと記憶しています。しかし、この70年代のブームの時だけは、恐ければ何でもいい。怖がらせるためなら子供が泣こうがおかまいなし!歯止めが全く効かない時代でした。「ゲゲゲの鬼太郎」の妖怪ブームとは明らかに一線を引く、何でもありのオカルト社会現象が起きていたのです。

80年代には「13日の金曜日」のジェイソンや、「エルム街の悪夢」のフレディ、「ハロウイン」のブギーマン、「バーニング」「スペース・バンパイア」。そこからイタリア・スプラッタームービー「サスペリア」「ゾンビ」「サンゲリア」や、ルチオ・フルチ監督作品などもブームになりました。80年代ホラーの多くは、アベックが夏のキャンプ地などでお楽しみ中に1人また1人と殺害されていく、あくまでも夏のデート用の映画というイメージでしたが、70年代オカルトブームは、そんな生易しいものではなく、大人も子供も区別なく巻き込んでしまった「あり得ない1線を超えたブーム」でした。

まだ英語も分からなかった頃のエクソシスト。もし悪魔が自分の周りの誰かに憑依したらどうしよう。神父さんが悪魔を苦しめるお祈りの文句が知りたい!心からそう思いました。

Our Father, who art in heaven,
Hallowed be thy Name.
Thy kingdom come.
Thy will be done, on earth as it is in heaven.
Give us this day our daily bread,
And forgive us our trespasses,
As we forgive those who trespass against us.
And lead us not into temptation,
but deliver us from evil.
Amen

これがそうです。「え?これ?」と思う方もいらっしゃるでしょう。そう、特別な悪魔祓いの呪文ではなく、キリスト教徒なら誰でも、1番最初に覚える「主の祈り」が、映画エクソシストで、悪魔祓いの神父が祈り続ける言葉だったのです。この言葉で悪魔が去ってくれるなんて・・・思えない!というのが、キリスト教徒ではない人の正直な感想ではないでしょうか。

天にましますわれらの父よ、
願わくはみ名の尊まれんことを、
み国の来たらんことを、
み旨の天に行われるごとく
地にも行われんことを。
われらの日用の糧を、今日われらに与えたまえ。
われらが人に赦すごとく、我らの罪を赦したまえ。
われらを試みに引きたまわざれ、
われらを悪より救いたまえ。
アーメン



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