阪神・淡路大震災から、きょう1月17日で27年が経ちます。被災者の1人として、もうそんなに時間が経ったんだとの思いです。TVでは当時の様子が流されていますが、僕は正直見たくない。「記憶を風化させるな!」という声も聞きますが、人間は嫌なことを忘れることが出来るから、ずっと生きて行くことが出来るというのも真実です。
東日本大震災も北大阪大震災でも被災し、もっと言えば1989年のサンフランシスコ大地震も現地で経験している僕は、災害が起きた時何が起き、どう行動すれば良いかを体験から学び、忘れようにも忘れることが出来ません。土曜深夜の津波といい、100年に1度の災害と言いますが、一体この数年で100年に1度が何回起きているのか?100年に1度が少なくとも5つ以上起きていますが、それを経験する確率は100の5乗分の1ですから、100億分の1というあり得ない確率になります。年末ジャンボ宝くじの1等当選確率が2000万分の1で、落雷に打たれる確率と同じ。それ以上の確率で僕は災害に遭っている?
マスコミもいい加減、100年に1度という言い方を止めて欲しいと思います。災害が安っぽくなり、真実が伝わらないから。
ここは阪急宝塚線・宝塚駅を降りたらすぐに目にする景色。昭和40年(1965年)の宝来橋です。この橋の対岸の左、ホテル若水は知る人ぞ知る、炭酸水の代表格・「ウィルキンソン炭酸」発祥の地です。炭酸鉱泉から湧き出る炭酸水を汲み取って、1890年に英国人ジョン・クリフォード・ウィルキンソン氏が、工場で瓶詰めをして販売したのが、ウィルキンソン炭酸の始まりで、現在はアサヒ飲料が生産・販売しています。
海外では「ソーダ」と呼ばれますが、日本では「炭酸」と呼ばれるのはウィルキンソンが商品名にしたからで、今では「TANSAN」は「TUNAMI」のように英語になっています。若水の道路を挟んだ向かいには、ウィルキンソンの炭酸水だけが買える自動販売機があります。
阪神淡路大震災では、神戸や淡路島だけではなく、大阪府北摂の豊中市・池田市、そしてこの宝塚市でも大きな被害が出ました。この景色よりも更に北に位置する高台の宅地も、大きな被害を受けました。神戸中心地だけではなく、いろいろな場所で景色が変わりました。新型コロナウイルスで多くのお店が閉店していますが、震災では街が様変わりしました。多くの名店が無くなったり、移転したり。
これが現在の宝塚駅前の宝来橋です。人の力は偉大で、時間が経てば大きな傷口でも塞ぎます。これからも大きな災害が来ない事を心から祈っていますが、何が起きようとうつむかない、折れない心の強さを持ちたいものです。