青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

昭和の小さな“暴走族”たち!

2022-11-13 | 昭和・思い出は色褪せない

昭和の駄菓子屋さんの前に、自転車で乗り付けた児童が溜まる!(笑)

僕が子供の頃は自転車はまだまだ高価で、学校前にある駄菓子屋には徒歩で向かい、公園や学校の門前に友達と溜まりましたが、この写真の撮られた昭和53年(1978年)は、自転車に乗っていない子供たちはほとんどいなかった。だからこういう光景が、そこかしこで見られました。

ここは大阪・池田市・北豊島小学校の近所の駄菓子屋前です。子供にはこういう社交の場が必要だと思います。ただし、このまま成長して全員がコンビニ前に原付バイクで溜まると、近所迷惑から社会問題へと発展してしまうかも知れないので、注意が必要です。(笑)

写真の奥に見えるのは、「火の見やぐら」です。これも今ではほとんど見られなくなりました。

 


池田・アゼリアホールの昔を知ってますか?

2022-11-12 | 昭和・懐かしい北摂の風景

阪急・宝塚線沿線の北摂地方には昔は本当に「ため池」が多くありました。蛍池駅はため池の「蛍池」から名前が取られていますし、中山寺~売布神社~清荒神と神社・仏閣の名前の駅が続きますが、そこにもあちらこちらに「ため池」がありました。

水の事故も多く、夏休み・冬休み明けには必ず誰かが亡くなって、小中学校の始業式の日は「黙とう」が必ずありました。間違って「黙想」という教員もいました。

今はどこに池があるの?というほど池が消えていますが、大抵は公共施設が立っています。「池田駅」も「池」という名が地名に付くほどです。

この写真は池田市・天神にあった「溝添池」(みそぞえいけ)の昭和47年(1972年)の写真です。池田市南部最大のため池でした。

写真奥には阪急宝塚線の高架を電車が走っています。遠方には五月山の山並みがよく見えるように、悪く言えば樹々も無い殺風景な池でした。ウシガエルの声だけがよく響いていたものです。

現在の豊島野公園、その北に立つ「池田市民文化会館 アゼリアホール」は、この溝添池を埋め立てて建てられ、昭和50年に開館しました。ここが溝添池だったことを知る人は、どれだけいるのでしょう。


King & Prince ~日本は筋の通らないことばかり・・・

2022-11-10 | 今を考える

ジャニーズ事務所で、またまたお家騒動。そして、退社する人、解散するグループと、ファンを巻き込んでの大騒ぎが最近とても多いようです。

僕自身大昔にSMAP解散と言われたら、あのSMAPと分かりましたが、それ以降のあの事務所の騒動の渦中の人達は名前も知らないし、顔も知らない、歌も聴いたことが無い、興味がない。でも、ビジネスの観点からは興味が少々あります。

そもそもこれだけ商品がゴタゴタするのみならず、会社の代表者や役員たちがゴタゴタを起こす会社は、普通なら信用を失って活動に支障が出ます。しかし、人気のある引く手あまたの商品だから、そんな事務所の商品でもTV局やいろんな所から声が掛かる。

しかし、解散するのが決定して、いろんな活動が縮小する。と言うか、もうこれまでのような品質を維持出来ない活動しか出来ないであろうと思われますが、正式に解散するのは来年5月。解散をエサに最後の売り出しであるとか、事務所を退所する人間の新しい活動を阻止するためとか、スポンサー契約などの賠償金を防ぐため等、いろんな理由で実際には実体のないグループの、「形式的な解散」を先延ばししているようです。それによって喜ぶファンもいれば、どうでもいい世間の人もいるのですが・・・

こちらは今日撮影した、コンビニのポスター。解散する人たちが笑顔で仲良くクリスマス商品をアピールしています。

ファンにとっては、「もうこんな姿も見れなくなるんだ・・」と寂しく好意的に見る人も多いでしょう。しかし、僕に言わせれば撮影時には既に揉めていたメンバー達だとしても、解散発表前ならプロの仕事としてこのポスターを受け容れることは出来ますが、解散を発表した後にこのポスターで商売するのは、このコンビニにとってはマイナス。良質なCM・宣伝媒体とは言えないと思うのです。

銀座でホステスに対して取った態度や、法律上は罪にならない行為で干されてCM違約金を払わされ、それまでの地位も人気も一瞬で失う人達がいる反面、賞味期限切れとなったポスターで商売を継続出来るグループがいる矛盾を感じます。

日本には結局、筋の通らないことが多いということ。政治や政治家、ワクチン問題、全てについて筋の通らない不透明なことが、この国には多過ぎます。


追悼本出揃う!アントニオ猪木が書店に並ぶ!

2022-11-09 | 本は友達・読書も大切です!

アントニオ猪木さんが亡くなって1カ月が経ちます。プロレス専門誌(紙)と呼ばれたものが、すっかり世間から消えた令和、スポーツ新聞各社がタブロイドの追悼号を発売したり、いろいろな出版社が過去の猪木本の重版を刷ったりで、書店にはかつての昭和のように、猪木が並んでいます。

しかし、東京スポーツに比べ、プロレスを独占している専門誌「週刊プロレス」が、それなない!と言いたくなるような猪木の使い回し写真を表紙に持って来て、猪木の姿に文字を被せたり・・・。専門誌であれば、「この1枚!」という写真を表紙に持って来て欲しかったものです。

ここまでは関係者の追悼コメントに、猪木の写真を載せさえすれば売れましたが、ここから発売される猪木・追悼号にこそ期待したい。その中でも先行するこの1冊は楽しみです。

ここで出版社にお願いしたいのは、アントニオ猪木と日本プロレス~東京プロレス~新日本プロレスと3団体を共にして来た北沢 幹之さんを取材し、ロング・インタビューを取って欲しいということ。ファンの知らないアントニオ猪木の良さを話せるのは、もうこの方しかいらっしゃらないと思います。

追悼インタビューに特集記事、そして過去のG SPIRITSにおいて読み応えのあった記事を再録ています。書籍G SPIRITSはオークション・フリマでも値段が高騰し過ぎなので、これを買えばファンの読みたかった記事はカバー出来ます。

[回想]藤波辰爾 新間寿×初代タイガーマスク
[再録インタビュー集]
猪木の声が聞きたい――。1 「寛至少年」と「力道山」と「死生観」 2 ‟闘魂”が語る‟神様”との師弟関係 3 ‟若獅子”から見たBI砲時代の終焉 4 新日本プロレスを隆盛に導いた直感力とは? 5 新団体IGFを旗揚げした猪木の心の中
[検証]
世界一格闘技決定戦 今世紀最大のスーパーファイト アントニオ猪木vsモハメド・アリ
証言集1 プロレスvsプロボクシング そんな試合は成立するのか⁉

世紀の一戦を見守った2人の女性 倍賞美津子夫人と母・猪木文子

証言集2 1976年6月26日 午前11時50分 全世界に向けて、ゴングが鳴った

講道館とブラジルを繋ぐ格闘ロマン 「アリキック」が生まれた経緯とは?

証言集3 数発のパンチvs数十発のキック――そこに隠されたものを見抜けたのは?

パキスタンで繰り広げられた惨劇 アントニオ猪木vsアクラム・ペールワン 技術解説=髙阪 剛

灼熱の中で行われた幻の格闘技戦 アントニオ猪木vsジュベール・ペールワン 技術解説=髙阪 剛

[特別企画]原悦生の格闘写真美術館 追悼出張版

 

そして、これもNumber増刊ということで、プロレスマスコミの手によるものではない記事が楽しみです。

双葉社のムックは、レスラー達の暴露話が多い傾向にありますが、猪木さんがいなくなったから好き放題語って金儲けを企む輩ではなく、真摯な思い出話の特集にしてもらいたいものです。

いづれも発行部数はそんなに多く無いでしょうから、予約した方が良いと思います。転売ヤーから購入するのはバカバカしいですよ。


消えた昭和!~吹田・栄通商店街の半世紀後!

2022-11-08 | 昭和・懐かしい北摂の風景

現在も大阪・JR吹田駅前にある商店街「栄通り商店街」ですが、半世紀・50年近くも経てば、景色はすっかり変わってしまいました。同じ「栄通り商店街」と言っても僕と今の若者とでは、全く違う商店街です。

いつも思うのですが、戦前・戦後で同じ場所の景色が全く違うのは納得出来ますが、昭和も50年を過ぎてからの景色と現在の景色は、どちらも自分が過ごして来ただけに、余りにも大きな変化に驚きます。

昭和50年のJR吹田駅前にある「栄通商店街」、道路拡幅前の商店街北側ゲートです。現在のメロード通り地下道出口付近。通りの両側に店舗が並んでいます。

右奥に建築中の吹田さんくすの駐車場が見えます。通り右側の商店街はこの後取り壊され、拡幅した道路に面して駐車場の入口が開きました。

僕の目にはどうしても、綺麗になった現在の町の景色の方が寂しく見えます。実際には車椅子でも通行し易い現在の方が暮らしやすいのは明白ですし、他にも災害時のことを考えても現在の方が素晴らしい町並みです。他にも現在の方が優れている点ばかりでしょう。でも、昭和の雰囲気に僕が惹かれてしまうのは誰にも止められないし、思い出が美化されるのは仕方がありませんね。