青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

クリスマスには欲しかった・・

2022-12-25 | 昭和・思い出は色褪せない
僕がまだまだ4つ5つの頃、クリスマスと言えば「これ」でした。1番小さいのから2番目くらいのを、人生で1度だけもらったことがあります。
 
 
毎年欲しいとねだっても、「たくさん入っているように見えるけど、靴でお金を取っているだけだから、欲しいお菓子を買ってあげるから」と言われ、いつも却下されていました。
 
ある年、叔母さんがクリスマスにプレゼントしてくれました。お菓子を食べた後、靴に足が入るような大きなものを。嬉しかったな~。確かに親の言ったように、パッケージ代が高いのは子供心にも分かりましたが、理屈じゃなく気持ちの面でもらえたのが嬉しかった。
 
数年後、妹が「買って、買って」を連呼してると、親があっさり買い与えました。僕の時は駄目だったのにと抗議すると、「この子は我慢できないから」と母親。わがままを言ったもの勝ちか?
 
その時の靴は、つま先の方には詰め物がされていて、お菓子の量が少なくなっていました。僕が自分の子供に買った時には、足首までしか入らないようになっていました。今は、どれだけお菓子が入っているのだろう。
 
りんご飴とこのクリスマス・ブーツというか靴下、どちらも子供が欲しがる物なのに、僕が1度も買ってもらえなかったものです。

やりたい放題は許さない!アマゾン・カスタマーサービスの電話番号!

2022-12-24 | 今を考える

僕は買い物は、店頭で商品を手に取って買うのが楽しい。ネットでの購入は確かに便利だし割引も大きいことが多い。品数も豊富です。更に家の近所にお店がどんどん少なっている今、ネット通販が主流になるのは世の中の流れなのでしょう。

ただ、お金を払い商品を買う・・少なくとも買い手と売り手の関係は、販売方法が変わっても、対等の立場であるべきはずです。

ところがアマゾンや楽天のように販売側が大きな力を持ち始めると、世の中の常識が崩れ、売り手側がやりたい放題、下手したら違法ではないのか?違法では無くてもそれは・・・ということが、大手を振ってまかり通る!それを放置していいのか!

最も買い手を馬鹿にしているのがアマゾンです!アマゾンは最近では勝手に買い手を選別、いや差別しています。購入したものに何か不具合があった場合、カスタマーセンターに連絡をすることになりますが、現在一部の人間にこのサービス提供を止めています

 

「現在、一時的にカスタマーサービスへの電話がご利用いただけなくなっています。ご不便をおかけいたしますが、チャットでお問合せ下さい」

こういう案内が出ている人は、AIのチャットで問い合わせることになります。それで対応出来ない場合は、チャットの人工知能が交換手に電話をさせるのですが、その時に電話が使えない・・ということで、買い手は放置されてしまうのです。

例えば商品を購入し、「配達完了」となっていても、商品が来ていない。誤配なのか盗難なのかとにかく来ていない。チャットで「配達完了となっているが受け取っていない」を選択して行くと、「運送会社に連絡して下さい」という案内に行き着きます。配達したのがヤマト運輸などなら良いのですが、今最も多い配送は「Amazonが配送」です。そして「Amazonが配送」の場合は、この配送に関するお問い合わせは、Amazon カスタマーサービスにて承りますということで、運送会社が分からないので問い合わせ出来ない!ところがカスタマーサービスは電話が利用出来なくなっているので、どこにも連絡出来ないし、アマゾンからも連絡を貰えないのです。普通ならアマゾンから電話を貰うことができました。日時によって待ち時間はあっても。

物を買ってお金を払い、商品が届かなくてもどこにも連絡出来ない・・・こんな販売方法が許されるのか?

上のように電話が貰えないという質問をネット上(ヤフー知恵袋など)に掲載している人は多いのですが、「そんなことはありません。普通に使えます」という回答を寄せている人は多い。違います。この記事のように電話連絡を切られている人が、今現在多いのです。

そういう方に、本日12月24日現在、購入者から直接アマゾン・カスタマーセンターに連絡可能な電話番号を記しておきます。携帯からも発信出来るフリーダイヤル・24時間:0120-899-543です。

カスタマーセンターに「どうしてこういう規制を行っているのか」「一時的に電話が出来ないのはなぜ?」「いつまで?」と質問しても、「そういう規制は行っていません」の一点張りです。真実は決して話さない。この問題が新聞沙汰になっている事実も無いようです。もし、この記事が削除や凍結されたら、何らかの力が本当に日本を支配している証拠です

商品価格1円で、送料は掛かるわけがない500円などと表示して、安いゆうメールで商品を発送。要するに商品価格+送料が本当の価格という、それ不正じゃないのか?という価格表示も、アマゾンや楽天では当たり前ですし、マスクや漢方薬、コロナ関連のいろんなものが不当な価格で転売屋のように売られているのもアマゾンや楽天です。(それ以外にもいろいろあります)

そして、売った後は面倒なお客とは連絡も取らない。こんなことを放置していい訳がないのに、誰もメスを入れて解決しようとしない。こんな行為はかつての日本ではあり得なかったし、今の日本の社会構造は腐り切っているようです。例え小さなことであっても不正は不正です。それを許してはいけない。

アマゾンはなぜこんな電話規制をしていて、それはいつまで続くのかを正しくアナウンスする義務があります!


70年代“オカルト”ブームは怖かった!

2022-12-23 | 昭和・思い出は色褪せない

昔は夏の行事と言えば・・・。肝試し。みんなで集まって「怪談」を1人1つ話し、その後、お墓やお寺の境内に赴く。僕の子供の頃には、近所の子供や大人が入ってのイベントとして、毎年行われていました。恐くて泣きだす子もいて、全員参加の行事ではなかったと思います。科学が進んだ為か、子供までがスマホで遊ぶようになった為か、こういうイベントも間もなく姿を消してしまうでしょう。

僕が小学校にも行っていない時は、白黒テレビで観たクリストファー・リーの演じる「ドラキュラ」がすごく恐かった。ニンニクを、ドラキュラ避けに、自分が眠る部屋の窓に吊り下げたこともありました。そして忘れもしない70年代前半、後にも先にもないような、オカルト大ブームが到来しました。口火を切ったのは1973年の「ノストラダムスの大予言」です。

昭和48年11月25日に初版が発売。わずか3か月後の翌年2月20日が152版です。どれだけ重版された大ヒットかお分かりだと思います。映画化もされましたが、描写に問題が多く、ソフト化もテレビ放送もされないままです。

そして、同年、少年チャンピオンで「恐怖新聞」が連載スタート、少年マガジンで「うしろの百太郎」が連載スタート。この“つのだじろう”の漫画が、オカルトブームに火をつけました。(それまでは「泣くな! 十円」なんかを書いていたのに・・)どこの学校でもこっくりさんが流行し、社会問題にもなりました。「恐怖の心霊写真集」もシリーズとなり、売れに売れました。

翌年はユリ・ゲラーのスプーン曲げと、映画「エクソシスト」が大ヒットしました。

1970年代のオカルトブーム以前と、それ以降では、日本社会は常に「ものごと」が子供に与える影響に配慮していたと記憶しています。しかし、この70年代のブームの時だけは、恐ければ何でもいい。怖がらせるためなら子供が泣こうがおかまいなし!歯止めが全く効かない時代でした。「ゲゲゲの鬼太郎」の妖怪ブームとは明らかに一線を引く、何でもありのオカルト社会現象が起きていたのです。

80年代には「13日の金曜日」のジェイソンや、「エルム街の悪夢」のフレディ、「ハロウイン」のブギーマン、「バーニング」「スペース・バンパイア」。そこからイタリア・スプラッタームービー「サスペリア」「ゾンビ」「サンゲリア」や、ルチオ・フルチ監督作品などもブームになりました。80年代ホラーの多くは、アベックが夏のキャンプ地などでお楽しみ中に1人また1人と殺害されていく、あくまでも夏のデート用の映画というイメージでしたが、70年代オカルトブームは、そんな生易しいものではなく、大人も子供も区別なく巻き込んでしまった「あり得ない1線を超えたブーム」でした。

まだ英語も分からなかった頃のエクソシスト。もし悪魔が自分の周りの誰かに憑依したらどうしよう。神父さんが悪魔を苦しめるお祈りの文句が知りたい!心からそう思いました。

Our Father, who art in heaven,
Hallowed be thy Name.
Thy kingdom come.
Thy will be done, on earth as it is in heaven.
Give us this day our daily bread,
And forgive us our trespasses,
As we forgive those who trespass against us.
And lead us not into temptation,
but deliver us from evil.
Amen

これがそうです。「え?これ?」と思う方もいらっしゃるでしょう。そう、特別な悪魔祓いの呪文ではなく、キリスト教徒なら誰でも、1番最初に覚える「主の祈り」が、映画エクソシストで、悪魔祓いの神父が祈り続ける言葉だったのです。この言葉で悪魔が去ってくれるなんて・・・思えない!というのが、キリスト教徒ではない人の正直な感想ではないでしょうか。

天にましますわれらの父よ、
願わくはみ名の尊まれんことを、
み国の来たらんことを、
み旨の天に行われるごとく
地にも行われんことを。
われらの日用の糧を、今日われらに与えたまえ。
われらが人に赦すごとく、我らの罪を赦したまえ。
われらを試みに引きたまわざれ、
われらを悪より救いたまえ。
アーメン


“オレンジペコ”って何?

2022-12-22 | 日記
本日は冬至。昼が長くなるのは僕は嬉しい。
 
朝目覚めた時、外がまだ暗いのは好きじゃない。カーテンの隙間から朝日が差し込んで来る朝は、とても気持ちの良いものです。
 
冬至とは関係ないのだけれど、オレンジペコを買ってみました。柚子風呂と勘違いしている訳ではありません。(笑)
 
 
昔、千里中央から豊中に向かって中環を下ると左側に、オレンジ一色の面白い形の建物があり、それがオレンジペコという喫茶店でした。僕は高校生の時代には、まだ喫茶店に出入りしたことがありませんでした。このお店は高校時代には既にありましたが、行くことが出来たのは大学生となり、車の免許を取得、中古車ながらも自分の車を持つことが出来た後でした。
 
このオレンジ一色の喫茶店に行ってみようと、親友と足を運んだのは80年代始めでした。僕が珈琲を注文しようとすると、「紅茶が売りの店で珈琲はない!」と言われました。初めて来て、なぜ紅茶のお店だと分かるのか親友に訊くと、「お店の名前で分かるやろ?」と。怪訝な顔をしている僕に、
 
「オレンジペコ知ってる?」
「知ってるから、ここにいる。このお店の名前じゃないか!」
「やっぱり・・・」
 
そう、僕はオレンジペコは不二家のぺこちゃんのような愛嬌のある、お店の名前・固有名詞だと思っていたのです。恥ずかしながら、ダージリンやアールグレーのような紅茶の種類の1つだとは全く知らなかったのです。
 
それ以来、僕にとって紅茶と言えばオレンジペコです。

“大劇” ~大阪劇場を知っていますか?

2022-12-21 | 昭和の映画館

ついこの間まで、そこにあったものが無くなる。本当に一瞬です。しかも、それがどれだけ歴史のあるものであっても。

例えばこの大阪劇場です。千日前の象徴だった大阪劇場は、昭和8年に大阪東洋劇場として開館。映画館として営業を開始。オープン当日に上映された映画は、カート・ニューマン監督の『ビッグ・ケージ』(1933年)とジョン・マレー・アンダーソン監督の『ジャズ・キング』(1930年)のユニバーサル作品2本立でしたが、わずか1年で経営に行き詰まり、翌昭和9年には松竹の直営となり、大阪劇場と改称し、OSKの本拠地となりました。

その後、昭和12年には火災により焼失。昭和20年には大阪大空襲で破壊されたものの、戦後復興して千日前の顔となるも、昭和42年に廃座となりました。写真は昭和42年6月、閉館あいさつの掲示を立てた最後の興行時のものです。

ところが、大劇ビルはその後も地下の大劇サロンと上階の映画館・大劇名画座)を含んだ一大娯楽施設に転換。新たな施設としてジャズ喫茶「やかた」、ボウリング場「大劇ドリームボウル」、ダンスホール「大劇ダンス天国」、キャバレー、アルバイトサロン、ビリヤード場、射的場、サウナ、パチンコ場、お化け喫茶サタンなどが設置され、1階や地階には飲食店である百番や千房など入店。

最終的にこのビルが取り壊されたのは、平成3年(1991年)のことでした。現在ここは、「なんばオリエンタルホテル」になっています。