吉村昭ホーリックなのかも知れない。
今回読んだのは、動乱の幕末に江戸幕府に忠勤を励んだ類まれな官僚の生涯を描いた物語である。94年1月~95年10月「群像」連載、96年講談社刊449頁の大作。
豊後日田の下級役人の子に産まれた川路聖謨(としあきら)は、その卓越した行政能力と人望で、勘定吟味役、佐渡奉行、小普請奉行、大阪町奉行の要職を歴任し、当時の官僚トップ・勘定奉行まで上り詰める。
それは、先見性と実務能力を兼ね備えた優秀な人材を抜擢して事に当たらせるとした幕末という変革期だったからこその人事政策によるものであった。
嘉永5年(1852年)勘定奉行に昇進した川路は、翌年12月、旗艦「パルラダ号」で長崎に来航したロシア艦隊司令長官兼遣日使節のプチャーチンと開港問題について厳しい外交交渉を行った。
続いて、翌安政元年にも下田でプチャーチンと日露和親条約交渉を行いこれを締結したが、旗艦「ディアナ」号が大地震による津波で大破、戸田港へ回航途上沈没したため、代船の建造や将兵500人余の送還に尽力した。
こうした厳しい外交交渉を通して、川路の誠実でウイットに富んだ交渉態度がプチャーチンからも高く評価され、幕府きっての名官吏とされた。幕末という変革期だったからこそ生み出された逸材とその仕事振りを詳細に検証した物語である。