約束の3時になるとオペラ座のエントランスホールには、もう世界各国からのたくさんの見学者の姿がありました。
このウィーンのオペラ座の正式名称はウィーン国立歌劇場と言い、ミラノのスカラ座、アメリカ、
ニューヨークにあるメトロポリタン歌劇場とともに世界の「三大歌劇場」と呼ばれているようです。
建物は1863年5月20日に着工し、1869年5月25日に完成したのだそうです。
さっそく中央入口ホールから中央階段を上って、、、ガイドツアーが始まりました。
このガイドツアーは、ドイツ語、英語、イタリア語、フランス語、スペイン語、ロシア語、日本語、
中国語など様々な言語で案内されています。
さすがウィーンですね。
劇場の中はどんなだろうとわくわく気分が高まります。
階段を上がりすぐに劇場の中に入りました。
おー!!ここが、、、、
突然現れた素晴しい劇場の雰囲気に飲まれそうになりながらキョロキョロと会場を眺めまわして
しまいました。(笑)
馬蹄形に並んだ5層のボックスシートがなんと言っても圧巻です。
興奮もさめやらぬうちに劇場の案内が始まりました。
日本語のガイドツアーは日本人の方かと思ったら、上手な日本語を話す現地オーストリアの女性でした。
5層のボックスシートの中に一段と目立つ場所が、、、
これはロイヤルボックスでしょうね。
この劇場の座席は座席数1709、立見席が567もあるのだそうです。
座席は予約が必要ですが、立見席は当日券を買えば予約要らずで気軽に入れるようです。
ボックスシートを始め、このシートには着飾った紳士淑女達が並ぶのでしょうね。
そんな雰囲気も一度味わってみたいですが、、、、
座席の一番前の席の先には演奏者が入るオーケストラピットがあり、多い時には110人位まで
入ることができるのだとか。
ここに入るのは勿論ウィーンフィルの皆さんだそうです。
座席の前の小さい四角い物は、開くとディスプレーになっていて、当日行われる出し物の解説や
オペラの歌詞が英語など各国語に翻訳されて流れるようですが、残念ながら日本語はありません。
舞台上では、たくさんのスタッフが今日の出し物の準備に忙しげに動き回っていました。
オペラ座で働くスタッフは1100人、そのうちアーチストは500人もいるのだそうです。
出し物は毎日変わるため、毎回毎回こんな準備が繰り返されているとか。
スタッフの方も大変でしょうね。
階段を上がり「マーラーの広間」といわれる広間に入ってきました。
ここは、2階の休憩所でかつては「コブランの間」と言われ、今でも立派なコブラン織が飾ってありますが
総監督だったグウタフ・マーラーを記念してマーラーの広間と言われるようになったとか。
館内案内の移動中の折ちらっと見えたロイヤルボックス!!
さすがに一番の観客席で、まっ正面に舞台が見えるのですね。
ここから見ることができる人は王侯貴族、一般庶民は座ることは出来ないボックスです。
ロイヤルボックスに続くこちらは、王侯貴族の休憩場所であるティーサロンがあります。
左のドアは、ロイヤルボックスに繋がっていて、幕間に貴族達がこの部屋でお茶をされる場所
だそうです。
ガイドツアーでないと一般には見られない場所のようです。
次に「シュヴィントの間」 といわれるロビーにやってきました。
元々は貴族達の待合場所でしたが、次第にこのオペラ座を訪れる人々の社交場になっていったようです。
またこの「シュヴィントの間」は第2次世界大戦の戦災を免れた場所で、国立オペラ座完成時のままの
照明で、シャンデリアも電気ではなく当時はガス灯が使われていたなごりが残っています。
オペラ座見学は大体こんなコースで行われていて、所用時間は約1時間でした。
ふだんではなかなか見れないオペラ座の中を隈なく見れて大満足でした。
尚、1月から3月の冬のシーズンにウィーンでは王宮や市庁舎などの歴史的な建物を中心に、
多くの舞踏会が開催されますが、その中で最も有名な舞踏会は、このオペラで行われる座舞踏会で、
世界中から約7000人もの人々が訪れるウィーン最大の舞踏会になるのだそうです。
その時には座席を全部取り外して会場をくつるのだそうです。
写真ははネットからお借りしたオペラ座の舞踏会の様子です。
さぞや素晴らしい華やかな舞踏会でしょうね。
ウィーンでのオペラ座の見学を最後に、今回の中央ヨーロッパの旅も無事終わりとなりました。
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旅は行く前と、実際に出かけた時と、そして旅から戻ってから三度楽しめるといいますが、今回の旅は
お陰さまで個人的にも十分楽しんむことができた旅となりました。
長い間の個人的な旅のつれづれにお付き合いいただき、ありがとうございました。
(完)