☆『ラブれたーずfrom中野』第5弾です。
映画『X-MEN』、私も大好きでした!(笑)みなさんはご覧になったでしょうか?一作目が出たときは「うーん、こんなこともありうるかも・・」と思いつつワクワクしながら見たのですが、イアン・マッケランやこの映画の監督がゲイであることを知ってから見た三作目では、彼らがこの映画で何を表現したかったのかをつくづくと考えさせられました。何かを知ることで映画の見方まで変わっていくものなのですね。私が単純だからでしょうか・・?(笑)
さて桑島さんが「セクマイサポーター」を宣言して起きたという拒絶とは・・?男性の「生理+心理=性理の謎」、是非知りたいです!
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『男性の生理+心理=性理の謎』
虹色のみなさん、僕の誕生日は5/25です。いや何か下さい(泣)というのではありません。英国の名優イアン・マッケランと同じ誕生日だと言いたかったのです。彼は自らゲイであることを公言している数少ないハリウッドスターであり、同性愛が罪になるシンガポールにその撤廃の提言も行っています。『XMEN』は彼の演じるマグニートー(磁石体質で鉄で出来た物は自動車も拳銃も金門橋も自由に動かしてしまう)無しでは気の抜けたSFXだけのアメコミヒーロー物になっていたと思います。マグニートーたちミュータントはその才能と個性が異質なためにマジョリティに迫害を受け戦います。ミュータントはあらゆるマイノリティのメタファーです。マジョリティ側は停戦の条件としてミュータントの異質な才能と個性つまり「自分らしさ」を〈矯正〉して「普通の人間」になれる「キュア(癒し)」という薬を打つ様に「強制」します。「共生」や「協性」は有り得ないという訳です。
イアン・マッケラン扮するマグニートーは断固拒否をしてミュータントたちの前でこう言い放ちます。「彼らは我々をキュアすると言っているがとんでもない。我々こそがキュアなのである!」この最後のセリフ〈Wearecure!〉をイアン・マッケランが朗朗と雄叫ぶ?とくらくら来ます。オバマ新大統領の「YesWecan!」並のカリスマ性です。「子犬と一緒にホワイトハウスへ」じゃないですが、子犬でないクワ犬もマグニートーに「ついていきます!」と叫びたくなりました。
さてイアン・マッケランをこよなく敬愛する僕としては僕自身に対するゲイ疑惑は何も問題ありません。ゲイだと思われてむしろ光栄です!ただ残念ながら僕は運命的にゲイに生まれついたのでは無い様です。それはKとの付き合いでわかりました。
虹色の皆さん、ここでお詫びとお断りをしておきます。「この男は虹色と言いながらG色しか無いじゃないか?!」とのお叱りごもっともです。正直に申し上げれば「gayではないguy」の限界はあると思います。ただ僕自身の内面にもあるホモ/ゲイフォビアが完全に払拭出来ないとすればそれはLやTの方たちに対してでは無いのです。例えばTSUTAYAに行って『Lの世界』の前を通っても心がざわめかないのです。個人的にはジェニファー・ビールスが好きなのでむしろときめいたり(泣)します。MtFを学んだ『トランス・イン・アメリカ』もFtMに泣いた『ボーイズ・ドント・クライ』もフェリシア・ホフマンやヒラリー・スワンクには僕はフォビアを感じません。コンプレックスもアンビバレンツも沸き起こりません。なぜでしょうか?
僕がセクマイサポーターを宣言すると「ゲイ疑惑」だけではなく激しい拒絶が起こりました。その拒絶を更に分析すると憤激が出て来ます。これは考えてみると不思議なことでした。普段は滅多に怒りを表さないタイプの人もそうだったのです。その人たちの共通点は「男性」だったことです。さらに憤激を解剖すると悲鳴いや絶叫が出て来ます。「やめてくれ!」という感じです。まるでセクマイサポーターの僕が悪人の加害者でゲイ/ホモフォビアの自分たちがまるで被害者で傷つけられたみたいな言い分です。「その話は口にするな(怒)!」「その話に触れるな(泣)!」「その話はやめてくれ(絶叫)!」こんな感じです。同じ話を女性にしても支持不支持は別にしてほとんど皆さんが冷静に聞いて下さいました。
虹色の皆さん、自称アライさんの僕がセクマイ解放運動?に何かしら貢献・寄与出来ることがあるとしたら、それは「男性優先社会」の住人である僕の中の男性の〈生理+心理=性理〉いわゆる〈男の性(さが)〉を解剖して何が出てくるのか虹色の皆さんにお見せすることだと考えるに至りました。。
二つの言葉=コンセプトを提示して虹色の皆さんにも少し考えていただければと思います。それは「お母さん特権」と「お兄(にい)心」です。ではまた!
映画『X-MEN』、私も大好きでした!(笑)みなさんはご覧になったでしょうか?一作目が出たときは「うーん、こんなこともありうるかも・・」と思いつつワクワクしながら見たのですが、イアン・マッケランやこの映画の監督がゲイであることを知ってから見た三作目では、彼らがこの映画で何を表現したかったのかをつくづくと考えさせられました。何かを知ることで映画の見方まで変わっていくものなのですね。私が単純だからでしょうか・・?(笑)
さて桑島さんが「セクマイサポーター」を宣言して起きたという拒絶とは・・?男性の「生理+心理=性理の謎」、是非知りたいです!
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『男性の生理+心理=性理の謎』
虹色のみなさん、僕の誕生日は5/25です。いや何か下さい(泣)というのではありません。英国の名優イアン・マッケランと同じ誕生日だと言いたかったのです。彼は自らゲイであることを公言している数少ないハリウッドスターであり、同性愛が罪になるシンガポールにその撤廃の提言も行っています。『XMEN』は彼の演じるマグニートー(磁石体質で鉄で出来た物は自動車も拳銃も金門橋も自由に動かしてしまう)無しでは気の抜けたSFXだけのアメコミヒーロー物になっていたと思います。マグニートーたちミュータントはその才能と個性が異質なためにマジョリティに迫害を受け戦います。ミュータントはあらゆるマイノリティのメタファーです。マジョリティ側は停戦の条件としてミュータントの異質な才能と個性つまり「自分らしさ」を〈矯正〉して「普通の人間」になれる「キュア(癒し)」という薬を打つ様に「強制」します。「共生」や「協性」は有り得ないという訳です。
イアン・マッケラン扮するマグニートーは断固拒否をしてミュータントたちの前でこう言い放ちます。「彼らは我々をキュアすると言っているがとんでもない。我々こそがキュアなのである!」この最後のセリフ〈Wearecure!〉をイアン・マッケランが朗朗と雄叫ぶ?とくらくら来ます。オバマ新大統領の「YesWecan!」並のカリスマ性です。「子犬と一緒にホワイトハウスへ」じゃないですが、子犬でないクワ犬もマグニートーに「ついていきます!」と叫びたくなりました。
さてイアン・マッケランをこよなく敬愛する僕としては僕自身に対するゲイ疑惑は何も問題ありません。ゲイだと思われてむしろ光栄です!ただ残念ながら僕は運命的にゲイに生まれついたのでは無い様です。それはKとの付き合いでわかりました。
虹色の皆さん、ここでお詫びとお断りをしておきます。「この男は虹色と言いながらG色しか無いじゃないか?!」とのお叱りごもっともです。正直に申し上げれば「gayではないguy」の限界はあると思います。ただ僕自身の内面にもあるホモ/ゲイフォビアが完全に払拭出来ないとすればそれはLやTの方たちに対してでは無いのです。例えばTSUTAYAに行って『Lの世界』の前を通っても心がざわめかないのです。個人的にはジェニファー・ビールスが好きなのでむしろときめいたり(泣)します。MtFを学んだ『トランス・イン・アメリカ』もFtMに泣いた『ボーイズ・ドント・クライ』もフェリシア・ホフマンやヒラリー・スワンクには僕はフォビアを感じません。コンプレックスもアンビバレンツも沸き起こりません。なぜでしょうか?
僕がセクマイサポーターを宣言すると「ゲイ疑惑」だけではなく激しい拒絶が起こりました。その拒絶を更に分析すると憤激が出て来ます。これは考えてみると不思議なことでした。普段は滅多に怒りを表さないタイプの人もそうだったのです。その人たちの共通点は「男性」だったことです。さらに憤激を解剖すると悲鳴いや絶叫が出て来ます。「やめてくれ!」という感じです。まるでセクマイサポーターの僕が悪人の加害者でゲイ/ホモフォビアの自分たちがまるで被害者で傷つけられたみたいな言い分です。「その話は口にするな(怒)!」「その話に触れるな(泣)!」「その話はやめてくれ(絶叫)!」こんな感じです。同じ話を女性にしても支持不支持は別にしてほとんど皆さんが冷静に聞いて下さいました。
虹色の皆さん、自称アライさんの僕がセクマイ解放運動?に何かしら貢献・寄与出来ることがあるとしたら、それは「男性優先社会」の住人である僕の中の男性の〈生理+心理=性理〉いわゆる〈男の性(さが)〉を解剖して何が出てくるのか虹色の皆さんにお見せすることだと考えるに至りました。。
二つの言葉=コンセプトを提示して虹色の皆さんにも少し考えていただければと思います。それは「お母さん特権」と「お兄(にい)心」です。ではまた!