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+ 初とんぼ・・・ 星としての人間関係論  惑星接近の恐怖と距離が生む美しい星空

2009年05月24日 09時23分52秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

    

 初トンボ  日差しの粒を  追う様に   

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 まだ五月ではあるが、八十八夜を過ぎると、やはり初

夏であろう。

 海も山も街も、初夏の風に吹かれて心地よくまぶしい。

 入梅前の、もっとも明るい季節が五月である。

 

 しばらくは、トンボのように羽を広げて充電したいも

のだ。

 

 

 

 

 五月は、新しい人間関係が調整される季節でもある。

 人間関係には、適正距離をとることが大切だ。

 その距離を測りかねている人たちが、心のバランスを

失っている。

 

 人間関係の距離とは、情報開示という手がかり調査的

な側面と、関わり合い、依存し合うという意識的な側面

がある。

 

 過密で過保護な現代社会で、人間関係のバランスを失

って苦しんでいる人が、子供にも、大人にも、増えてい

るように思う。

 その現われが、鬱や自律神経失調症、不安神経症など

と言われている状況ではないのか。

 

 そこで、星としての人間関係という宇宙観を提言した

い。

 

 人にも、星としての環境特性と引力があるのだ。

 いつもつるんで一緒にいることが友達なのではない。

 そこを見誤ると、惑星接近の恐怖を味わうことになる。

 

 

 人間の本質も星のような存在である。

 人間関係とは、まさに星空のようなのではないか。

 

 すなわち、人間関係の適正距離を、太陽、地球、月、

その他の惑星の関係として捉えなおすことを提案したい。

 

 地球が自分であれば、月は伴侶、太陽は神、親兄弟は

惑星、親友は一番星、そのほかの人々は、夜空の星々。

 

 神と男と女と他人の関係も、一見遠い適正距離が保た

れていなければバランスを失う。

 「親友」や「恋人」が、空いっぱいに接近したら、大

パニックになることだろう。

 愛すべき月との距離でさえ、遠い距離を保っているの

である。

 それでこそ、人が美しく輝いて見える。

 

 だから、一緒につるんで歩く人がいないのは、友達が

いないからではなく、健全なことなのだ。

 恋人がいないとしても、健全である。

 星との接近は、危険を伴うからである。

 

 

 自己嫌悪している人よ、他人を憎み、恐れている人よ、

他人と接近しすぎてはいないか、依存しすぎてはいない

か。

 そのことを省みるべきである。

 

 人間関係を、大宇宙として、無限大の焦点距離で捉え

なおすとよい。

 ただし、神というべき太陽の存在を忘れてはなるまい。

 神から遠く離れている人は、心が寒い。

 

 森の中で、初トンボが一人、機嫌よく初夏の日差しを

浴びていた。

 自立した人間の姿でもあろう。


                  

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

コメント
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