花コブシ 最初のグーを 袋詰め
中村 梅士 Baishi
コブシの花は春の到来を告げる希望の花である。
白い帆を上げて、旅立ちの時を告げる。
しかし、花が散ってしまうと忘れられる。
夏から秋にかけて、歪な袋詰めの実をピンク色に染めて
ぶら下げている樹を見かける。
変な樹だと思いながら通り過ぎるのだが、そういえばあ
の樹はコブシの花を咲かせていたよなあと思い出す。
そうか、あのコブコブの実はコブシの実だったのか。
コブシの実は食べる所がないそうである。
せいぜい、樹の香りを楽しむくらいだという。
ならば、香りを嗅いでみよう。
山歩きをしたいと思いつつ、やぶ蚊やアブに付きまとわ
れるのがうっとおしく、二の足を踏む。
それに直射日光が厳しい。
夏と言うのは、意外と運動不足になりがちな季節である。
プールがなくなったのは残念だった。
そうはいっても、今日は限界だ。
掃除で運動不足を補っていたが、今日は突撃するとしよ
う。
日本共産党が中共の世界侵略の画策を追い風に、本気で
政権樹立に向けて動き始めている。
日教組などの反日左翼公務員やJR、旧郵政、NHKなど
を地盤としているだけに、侮れない勢力となっている。
共産主義を批判できるのは幸福の科学だけだろう。
その正体が悪魔であることも見破っている。
一見、紳士的でやさしいのが詐欺師であり、暴力団であ
る。
チンピラは無教養なので本質を隠せないだけのことだ。
共産主義は宗教を嫌う。
神の教えは彼らの望む自由を戒めるからだ。
共産主義者の自由とは、支配欲であり、神からの自由に
ほかならない。
クラウゼビッツの戦争論を概読し始めた。
政治学の教養として、君主論と合わせて目を通しておこ
うと思ったからだ。
菅総理が退場する前の方がよい。
最初の数頁の記述だけで、戦争論のエッセンスが見える。
非情に醒めた目で戦争と言う政治現象を眺め、戦争は博
打なのだと見定めつつ、プロとしてのゲームを展開したの
だろう。
しかし、数々の功績を残したクラウゼビッツも、最期は
ロシアではやったコロナに罹患して命を落としている。
究極の兵器は細菌だと思たことであろう。
賭博にいかさまはつきものだ。
見つからないように相手の手の内を支配して先手を打つ
のがバイオ戦争のいかさまである。
戦争政治学の基本テキストにしているのが、渡部昇一先
生の『ドイツ参謀本部』である。
座右の書としていたはずなのだが、久しく読んでいない。
改めて読み直そうと本の山をひっくり返したが見つから
ない。
仕方なく、買い直すことにした。
バイオ戦争にはドイツ参謀本部も太刀打ちできないだろ
うが、中共の蛸の手足を次々と切り取ってゆく戦法は有効
だろう。
さらには秀吉の戦法のように、兵糧攻めや水攻めが有効
であろう。
戦争も継続的な政治現象であるならば、対策はいくらで
もあるだろう。
しかし、防衛意思を失い、目先の利権に惑わされて優柔
不断を続けている日本は政治不在であり、戦争はない。
ただ、戦場となるだけである。
日本政府は、中共のジェノサイドも香港弾圧も台湾侵略
も暗黙に支持している。
尖閣ばかりか、沖縄や九州を侵略されても、口頭で遺憾
といいながら抵抗はしない。
中共の逆鱗に触れるようなことは一切致しません。
これが日本政府の基本政策である。
自分の国を守ろうとしない国をアメリカが護る理由はな
い。
ましてや、アメリカの政権自体が中共の掌の上でできた
不正選挙の盗賊政府である。
日本防衛をバイキン大盗領に委ねることなどできるわけ
がない。
もちろん、日本政府に任せたら一気に滅亡する。
さてどうするのか。
最後の望みは、宇宙防衛軍の介入である。
日本のためではない。
大川隆法総裁の活動を守るためである。
植民地・日本は一旦滅亡させるべきだろう。
すると、皇室人事も一新するだろう。
皇室を残すとすれば、秋篠宮佳子内親王が皇位に就く形
になるのではないかと推察する。
大川隆法総裁の指名による。
それにしても、戦争さえも成り立たない植民地・日本の
情けないことよ。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party