土俵際 弓なりになり 秋土俵
馬糞 Bafun
今朝は蒸し暑い。
天気図を見ると、温暖前線と寒冷前線がぶつかって押し
合っている。
汗が流れるはずだ。
寒冷前線優勢といわれるこの夏であるが、太平洋上の
台風が温暖前線に力を与えている。
明日は総選挙だが、北朝鮮に後押しされた民主党が押
し切って、三日天下を取るのか、それとも、幸福実現党
に後押しされる自民党が持ちこたえるのか、あるいは、
台風一過、幸福実現党が新生日本の時を告げるのか。
インドのメディアは、幸福実現党に好意的である。
仏陀再誕の地として、親しみと期待をこめて注目して
いるのだと思う。
⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/emiko1963f/60102144.html
この秋、10月17日に、『仏陀再誕』が映画化されて
一般公開される。
『仏陀再誕』を初めて読んだとき、魂の底から言葉が
響いてくるようで、
ジ~ンと熱い気持ちになったものである。
その映画化となると、感動のタイムトラベルになるの
だろう。
見逃すわけにはゆかない。
⇒ 映画『仏陀再誕』
http://www.buddha-saitan.jp/wb/index.html
【一票の価値と責任について】
大河の一滴のような一票かもしれないが、自分の魂に
刻まれる選択であると考えると、責任は重大である。
未来に対して、自分の選択は正しかったのか、責任は
果たせるのか、そうしたことが問われるのである。
集団としての選択ではないということである。
進取の気性の人、未来を見ている人、フェアーに物事
が見れる人は、幸福実現党に投票するであろう。
しかし、そうした先進的な人は、大衆ではあるまい。
今は、そう、多くはないのだろうと思う。
日本が大衆から抜け出して、世界の中の先進的国民に
なるのかどうか。
それが問われているということである。
民主党を選んだのでは、「な~んだ」というのが海外
の反応であろう。
「な~んだ、やっぱりね」という落胆の選挙結果とな
らないで欲しいものだ。
そのような全体的な趨勢としての結果は出るだろうが、
個人の投票の意味はまた、別物である。
仮に、民主党候補に投票し、多数派を構成したとして
も、自分の選択が何だったのかは、その個人の資質や選
択責任として問われるのだと言うことである。
なぜ、そこに投票したのか、マスコミの影響か、ただ、
政権交代がいいと思ったからなのか。
軽い気持ちで選んだとしたら、それが、国家に対する
責任感の希薄さを物語るということなのである。
民主党と言う選択は、いずれ、亡国の選択責任を問わ
れることになるであろう。
自分が問われる一票であるということである。
私は、北朝鮮のミサイル発射という危険も念頭に置き
つつ、幸福実現党という新しい選択を持って、投票所に
足を運ぶつもりである。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi