5月23日(月)雲の多い午後、デジカメの使い始めを振り返ります。
2003/04/05 熊本県南阿蘇村 一心行の大桜
最初のデジタルカメラはニコンD100でした。阿蘇の高原に目立つ大きな桜は当時大きな話題となり、訪れる人が増えていました。2~3回訪れましたが、その後大きな台風の影響で大枝が折れました。現在は勢いを回復しているようです。
カメラを使い始めて半世紀ほどになります。学生時代に寮仲間2名が愛用しているニコンを強く勧められましたが・・・私が買った(買えた)カメラはニコマート・・・当時ニコンは入門機種にニコンの名称を与えていませんでした。
写し初めの記憶は1972年(昭和47年)鹿児島太陽国体のお召列車と、1973年(昭和48年)宮崎での植樹祭お召列車の撮影を記憶しています。フィルムカメラについては後日書きたいと思います。
2004/01/24 韓国岳 4合目付近
鹿児島・宮崎両県にまたがる霧島連山にはよく出かけました。新燃岳が大きな噴火を起こし、さらにえびの高原の硫黄山が噴火するなどして登山道や道路が閉鎖され、撮影行動が長期にわたって制限されるとは想像もつかないことでした。
この時は霧氷撮影でしたが、下山してくる子供たちがいました。よく見ると小学生ではなく、元気一杯な園児たちで驚きました。
この頃は道路に少し雪が積もった程度ではタイヤチェーンを付けることもなく、無謀で乱暴なことでした。
2004/06 フジGW690
一眼レフカメラよりも大きなフィルムを使うカメラです。これならば風景写真の大伸ばしに良さそうと買ったものの、カメラのデジタル化が進みあまり写すことなく今は休眠状態です。
フィルムカメラは、フィルム代、現像代、さらに大伸ばしプリント代などでコストがかかり過ぎ・・・コスト高を言い訳にして撮影への熱意不足です。
デジタル化で一気に撮影が楽になったかと言うと・・・ニコンD100の高感度撮影はISO800程度が限界で、蛍を写してもノイズ交じりで全くダメで苦笑しました。
さらに当時のパソコンは現在に比べると処理能力が著しく劣り、データの保存、画像処理などに追いつけない状況でした。ネットに投稿可能な画像データ量が100KB未満でした。
WindowsはXPの時代で通信環境はダイヤルアップ接続。画像をメールに添付して送るのも大変。現在とは大違いのデジタル原始時代でした。
2004/07 日本の棚田百選 旧入来町の内之尾(うちのお)棚田
1999年7月農林水産省によって鹿児島県内では3地区が選定されました。現在の内之尾の棚田は休耕と転作で稲田はわずかです。
他の2か所は湧水町(旧栗野町)の幸田(こうだ)の棚田、南九州市(旧頴娃町)佃(つくだ)地区の棚田でした。
棚田百選認定から20年余りが過ぎた昨年秋、つなぐ棚田遺産~ふるさとの誇りを未来へ~ポスト棚田百選として、鹿児島県内では 鹿児島市の⼋重の棚⽥、指宿市の尾下の棚⽥、新永吉の棚⽥、湧⽔町の幸⽥の棚⽥群の4か所が選定されました。
2004/08 旧市来町の七夕踊り
この頃は毎年のように七夕踊りの撮影に出かけていましたが、お盆前で真夏の日差しに照り付けられ脱水状態になり身も心もぐったりでした。
作り物(ツクリモン)では張り子の虎だけでなく、鹿、牛、鶴も登場します。太鼓踊り、大名行列、琉球王行列、薙刀行列など内容は多岐にわたります。
2021年はコロナ禍のため中止。多くの参加者が必要なこともあり、高齢過疎化が進む中では祭りの存続に大変苦労されているようです。
最近ではコロナ禍もあり、殆どの祭りが中止され撮影行動範囲が狭くなりました。写しっぱなしのデータでも、このように振り返ると懐かしいものです。
2003/04/05 熊本県南阿蘇村 一心行の大桜
最初のデジタルカメラはニコンD100でした。阿蘇の高原に目立つ大きな桜は当時大きな話題となり、訪れる人が増えていました。2~3回訪れましたが、その後大きな台風の影響で大枝が折れました。現在は勢いを回復しているようです。
カメラを使い始めて半世紀ほどになります。学生時代に寮仲間2名が愛用しているニコンを強く勧められましたが・・・私が買った(買えた)カメラはニコマート・・・当時ニコンは入門機種にニコンの名称を与えていませんでした。
写し初めの記憶は1972年(昭和47年)鹿児島太陽国体のお召列車と、1973年(昭和48年)宮崎での植樹祭お召列車の撮影を記憶しています。フィルムカメラについては後日書きたいと思います。
2004/01/24 韓国岳 4合目付近
鹿児島・宮崎両県にまたがる霧島連山にはよく出かけました。新燃岳が大きな噴火を起こし、さらにえびの高原の硫黄山が噴火するなどして登山道や道路が閉鎖され、撮影行動が長期にわたって制限されるとは想像もつかないことでした。
この時は霧氷撮影でしたが、下山してくる子供たちがいました。よく見ると小学生ではなく、元気一杯な園児たちで驚きました。
この頃は道路に少し雪が積もった程度ではタイヤチェーンを付けることもなく、無謀で乱暴なことでした。
2004/06 フジGW690
一眼レフカメラよりも大きなフィルムを使うカメラです。これならば風景写真の大伸ばしに良さそうと買ったものの、カメラのデジタル化が進みあまり写すことなく今は休眠状態です。
フィルムカメラは、フィルム代、現像代、さらに大伸ばしプリント代などでコストがかかり過ぎ・・・コスト高を言い訳にして撮影への熱意不足です。
デジタル化で一気に撮影が楽になったかと言うと・・・ニコンD100の高感度撮影はISO800程度が限界で、蛍を写してもノイズ交じりで全くダメで苦笑しました。
さらに当時のパソコンは現在に比べると処理能力が著しく劣り、データの保存、画像処理などに追いつけない状況でした。ネットに投稿可能な画像データ量が100KB未満でした。
WindowsはXPの時代で通信環境はダイヤルアップ接続。画像をメールに添付して送るのも大変。現在とは大違いのデジタル原始時代でした。
2004/07 日本の棚田百選 旧入来町の内之尾(うちのお)棚田
1999年7月農林水産省によって鹿児島県内では3地区が選定されました。現在の内之尾の棚田は休耕と転作で稲田はわずかです。
他の2か所は湧水町(旧栗野町)の幸田(こうだ)の棚田、南九州市(旧頴娃町)佃(つくだ)地区の棚田でした。
棚田百選認定から20年余りが過ぎた昨年秋、つなぐ棚田遺産~ふるさとの誇りを未来へ~ポスト棚田百選として、鹿児島県内では 鹿児島市の⼋重の棚⽥、指宿市の尾下の棚⽥、新永吉の棚⽥、湧⽔町の幸⽥の棚⽥群の4か所が選定されました。
2004/08 旧市来町の七夕踊り
この頃は毎年のように七夕踊りの撮影に出かけていましたが、お盆前で真夏の日差しに照り付けられ脱水状態になり身も心もぐったりでした。
作り物(ツクリモン)では張り子の虎だけでなく、鹿、牛、鶴も登場します。太鼓踊り、大名行列、琉球王行列、薙刀行列など内容は多岐にわたります。
2021年はコロナ禍のため中止。多くの参加者が必要なこともあり、高齢過疎化が進む中では祭りの存続に大変苦労されているようです。
最近ではコロナ禍もあり、殆どの祭りが中止され撮影行動範囲が狭くなりました。写しっぱなしのデータでも、このように振り返ると懐かしいものです。
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