20数年前のことだが、フランクフルトから成田に向かうルフトハンザの機内で、座席に座った時、ズボンのお尻の糸がほつれたことがあった。糸がほつれたままだと、下着が丸見えとなる状況であったため、事情を説明し、担当のドイツ人のキャビンアテンダントに針と糸を貸してほしいと頼んだ。しかし、驚いたことに、裁縫セットは機内には搭載していないとの返事。
まさかとも思ったので、今度は別のドイツ人のキャビンアテンダントに、ズボンがほつれたので、針と糸があったら、貸してほしいと頼んだ。しかし、やはり、答は同じで、機内には搭載していないとのつれない返事。
このままではまずいと思い、今度は、通りかかった日本人のキャビンアテンダントに本当に搭載していないのか念のため訊いてみた。すると、やはり答は同じで、機内には搭載していないとのこと。困った顔をしていたら、彼女は「機内には搭載していませんが、よかったら、私のをお使いください。」と彼女自身の裁縫セットを貸してくれる旨の申し出を受けた。もちろん、貸してほしいとお願いし、早速、トイレに駆け込み、自分でズボンのほつれを針と糸で直し、その場をしのいだ。大変困っていたので、感謝の気持ちでいっぱいであった。
機内には裁縫セットは搭載していないので、ドイツ人アテンダントの案内は正しいし、女性ならドイツ人でも針と糸のセットぐらい個人的に持っているのではないかとも思ったが、もちろん業務上それを貸す必要もないのは言うまでもない。ドイツ人的サービスからすれば「ないものはない」それで十分であるが、日本人のサービス精神は違うのである。その時は、日本人女性のサービスマインドに感激し、ルフトハンザのサービスも日本人(当時1便に3人乗務)で持っているなと感じたものである。
ドイツ人と日本人のサービス認識の違いは、いろいろな場面で体験した。例えば、機内でお弁当を食べている日本人がいたとする。日本人のキャビンアテンダントだったら間違いなく、お客様から何も言われなくても、お茶をサービスするはずである。以心伝心というか、気の利いたアテンダントだったら、お弁当を食べたらお茶がほしくなるのがよくわかるから、間違いなく「お茶でもお持ちしましょうか?」と言うであろう。
ところが、ドイツ人にとってはサービス認識が全く異なるのである。この例では、お客様がお茶を欲しいのであれば、絶対欲しいと言ってくるはずだが、言ってこないということは今はお茶を欲してはいないと解釈し、言われるまではお茶のサービスは行わないのである。ドイツ人は真面目だし、もちろんお茶が欲しいと言われれば、すぐに持ってきてサービスするであろう。ドイツ人にとっては、サービスはそれで十分で、100点なのである。
しかし、ドイツ人のサービスは「ないものはない。頼まれたことはきちんとやる。」で十分であるが、日本人にとっては、それでは不十分で、それ以上を期待されることが多い。「そこを何とか(してほしい)」の世界である。以心伝心というか言葉で言われなくても、察して何かをやる世界が期待されているのである。このサービス認識の違いは、ドイツ人と日本人の違いという限定的なものではなく、広く西洋人と東洋人のメンタリティに違いに起因するものであるといえる。