喪中のはがきがぼちぼち届き、また年賀状の季節がやってきた。最近の喪中はがきは、両親というのはほとんどなく、兄弟姉妹、配偶者等が大半でいかに自分がいかに年を取ったかを実感する。現役時代は、200通以上書いていたが、年々減らし続け、今は、こちらから書くのは、80通位、返事として書くのが20通位になっている。妻は、還暦とともに年賀状の欠礼を宣言し、10通程度になっているので、自分も早く実施すべきかもしれない。回りにも節目で年賀状卒業宣言をしている人も少なくない。しかし、だらだらと続けるのはよくないかも知れないが、リタイアすると年賀状が唯一の生存確認というか近況交換となるので、なかなか全面否定ができないでいる。出す枚数は少しずつ減らしているが、届いた年賀状には必ず返事を書くようにしているので、目に見えては減っていかない。やはり、卒業宣言をしたほうがいいかも知れない。
年賀状も来年から63円に値上げされているし、民営化された後、いろいろ問題を起こしている日本郵政グループを儲けさせるのは癪との思いもある。これだけキャッシュレスを推進しているご時世に年賀状は現金でしか買えないことも大いなる不満である。例年は、何とか郵便局のネットショップを使ってクレジットカードで購入していたが、今年は、現時点で何と在庫切れとなっており、やむを得ず郵便局で現金で購入した。この時期わかっているのに在庫切れとはたるんでいる証拠で、日本郵政グループの猛省を促したい。
ここ何十年と年賀状の印刷はインターネットを利用しての手作りなので、お金はかかっていないが、ここ数年はデザインも一定化していて、干支の動物を配した切り絵と決めている。選ぶとなると一苦労となるので、切り絵と決めていると楽である。また、卓球仲間への年賀状は、毎年、干支の動物が卓球をやっているデザインを使っている。来年はねずみがラケットを握っている図案である。宛先もすべてパソコンに入っているので、印刷自体の手間はあまりかからないが、かならず、一言、手書きで添えているので、準備はそれが中心である。手書きや近況報告が何もない年賀状を受け取ることもあるが、なんとなく寂しさを感じる。インタ-ネットやメールがこれほど普及している世の中で、なぜまだ年賀状が幅をきかせているのであろうか?