浪漫飛行への誘(いざな)い

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卓球による国際交流

2020年09月15日 08時20分10秒 | 卓球

卓球は、大学で始めて、今でも地元のクラブで楽しんでいるが、1977年に初めて外国人との親善卓球をやって以来、卓球の国際交流を何度も経験している。個別には、1977年にカンタス航空、1983年にルフトハンザ航空、中国民航(当時の国営会社)、1996年にイラン航空との親善試合を経験した。1983年の中国民航との親善試合は、代表団を結成し、9日間にわたり、北京、杭州、上海に遠征しての交流であった。北京空港到着時、赤じゅうたんを通って貴賓室に入ることから始まり、VIP待遇の親善交流であったが、こんな貴重な体験ができたことを今でも感謝している。中国とのレベルの違いは明らかで惨敗に終わったが、意義ある親善試合を行うことができた。自分の知る中国と昨今の習近平による共産党独裁政権とのギャップに違和感を覚える。

航空会社間では、1980年にマレーシア航空の提唱で、WOFIA(Wings Of Friendship Inter-Airlines)という国際大会が始まり、2001年の22回大会まで続いた。第4回と第19回は、東京での主催大会のマネジャーとして、すべての大会運営を経験することもできた。特に1983年の第4回大会は250人(海外から200人)もの参加者がいたので、今思い返すと想像を絶するものがあった。個人的に参加したのは、第2回ハンブルク、第3回パリ、第7回コペンハーゲン、第13回クアランプール、第16回ハンブルク、第17回中国中山市、第22回バンクーバー大会だけであるが、多くの外国人と卓球交流という貴重な経験をすることができた。トップ選手ならともかく我々愛好家レベルでこれだけ国際交流を経験している幸せ者も少ないものと感謝している。

その後、1985年から4年間、ドイツでも地元のクラブに所属し、クライスリーガ(ブンデスリーガのはるか下のリーグ)でプレイし、クラブの仲間と汗を流し、ドイツ人との交流試合を数多く経験できたこともラッキーであった。卓球を通じての国際交流は、まさにピンポン外交で自分にとって大きな財産となっている。

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