浪漫飛行への誘(いざな)い

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株売買利益の預金化

2019年12月11日 06時10分10秒 | マネー

 

年金生活も11年を過ぎたが、10年目からは企業年金の大幅減額と共済年金の終了により、今は節約生活を余儀なくされている。年金だけの収入で肩身の狭い思いもしているが、今さら自由人生活を犠牲にして、シルバーセンターで仕事を探す勇気も元気もない。そこで、在宅でも何とか小遣い稼ぎをするために、今までもやっている株のデイトレーダーとしての副職に力を入れることにした。減額された分を何とか株で取り戻そうという狙いであるが、今年から、株の売買による利益分を毎月の収入として預金に入れ、記帳していくことにした。原則として、銀行の普通預金通帳は、どうも二つは持てないようで、ゆうちょ銀行には断られたが、みずほ銀行に相談したら、2通目の普通預金を作成してくれたので、みずほ銀行を利用している。


株の売買により、利益が発生した場合、その額は、株の運用資金に組み込まれてしまうが、その額を一ヵ月まとめて集計し、株専用の普通預金に入金する。毎月、普通預金への振込作業が伴うが、株売買による利益が自分の収入として、通帳に加算されていき、可視化できる。額としてはたいしたことはないが、自分の収入を通帳で確認できるのは、意外と楽しみである。株の売買も以前は、5000円以上利益が出ないと売却していなかったが、今は、パート時給と同じ考えで、1000円でも利益が出れば、一旦売却して利益を確定し,すぐに同じ株を購入するようにしている。例えば、3000円の利益が出たら、今日は3時間働いたと解釈する。これにより、無職という肩身の狭い思いからは解放される。まさに小遣い稼ぎレベルであるが、一ヵ月単位でみると、平均して、4~5万位になるので、ありがたい収入である。収入の半分は、家計に入れることにして、何とかやりくりしている。


株については、売買益だけでなく、配当金や株主優待券がもらえるのも楽しみの一つである。配当金だけでも、今年は20万円を超えているが、これは、努力による収入ではないので、運用元本に組み入れている。株主優待も、チョコレートをもらったり、100円ショップの優待券や飛行機の株主優待券等楽しみもあるが、今年からソフトバンクの株主優待が廃止されたのは誤算であった。 


株の売買も、利益が出ることもあるが、株価が低迷して、含み損をかかえる場合も少なくない。自分の業績評価として、売却による利益を収入として計上しているが、実際は、含み損が膨らんでいる可能性もある。素人の我々では、大きな取引は厳禁で、ボケ防止のためにやっているようなものである。投資する額も決めておいて、損をしても大やけどしない程度にコントロールしているが、そんなところが無難であろう。

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中村哲さんの死を悼む

2019年12月10日 09時09分28秒 | ニュース

 

長年、アフガニスタンで農業支援や人道支援や貧困層への医療支援に携ってきた医師でペシャワール会の現地代表の中村哲さんが何者かに銃撃され、命を落とすという無残な事件が発生した。世界中から悼む声が広がっているが、アフガニスタンの「カーム航空」という航空会社が機体の尾翼に中村さんの似顔絵を描き、その画像をフェイスブックに投稿する等いかに現地で敬愛されていたかを物語るものである。アフガニスタンの復興に尽力してきたので、感謝されるのは当然だが、まさか、銃撃されるなんて絶対あってはならないことである。現地で何が起こっていたのであろうか?

 中村哲さんについて、大学時代の同級生で同じ卓球部の同僚(元大学教授)からメールが入った。メールによるとその同僚と中村さんとは福岡高校時代の同級生で、やはり同じ卓球部の仲間であったという。同じクラブだったので、相談を受けたり、かなり親しかったようで、彼が現役の教授の時に、大学の卒業生に贈る言葉として、高校時代に中村さんの真摯に生きる姿に圧倒された趣旨の寄稿をされたことがあるとして、その寄稿文を送ってきてくれた。世俗の名誉や出世とは無縁で真摯に生きている一人の人間がいることを卒業生に伝えたかったという。そのような友人関係であれば、さぞかし無念というか残念で悔しい思いをされていると想像する。

中村さんは、その功績から2018年にアフガニスタン政府から勲章も授与されていたようで、我々凡人には絶対真似できない業績である。毎日読んでいるあるジャーナリストのツイッターにこうあった。「中村哲さん、知らなかったが、日本人が誇りに思える立派な人である。アフガニスタンを出発するときはガニ大統領がひつぎをかついだが、成田空港では外務省の副大臣が出迎えただけだという。この落差について日本人は考えるべきである。こういう人にこそ国民栄誉賞を与えるべきではないか。」全く同感である。世の中どこか間違っている。ご冥福を祈るばかりである。

 

画像は、カーム航空の尾翼に描かれた中村さん

 

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聖火輸送と最終聖火ランナー「坂井義則」さん 

2019年12月09日 06時58分03秒 | スポーツ

 

12月8日のNHK大河ドラマ「いだてん」は、「炎のランナー」というタイトルで、聖火リレーの準備が大詰めを迎えた頃の様子を取り上げていた。聖火は、ギリシャから飛行機で運ばれ、最初に沖縄に到着した時の顛末を初めて知った。1964年8月21日にギリシャのオリンピアで採火された聖火は、アテネから日航特別機「シティ・オブ・トウキョウ」号(DC6B)に運び込まれ、イスタンブール、ベイルート、テヘラン、ラホール(パキスタン)、ニューデリー、ラングーン、バンコク、クアラルンプール、マニラ、香港、台北を経由して、9月7日に那覇空港に到着した。特別機は中央の15席を取り外しそこに聖火台を設置し、約50人の関係者が付き添ったという。火が消えないように聖火を納める特別なトーチ装置を作ったが、その実物を見たことがある。


ギリシャから2週間以上かけて返還前の沖縄に到着した時は、数千人が日の丸の小旗で歓迎したというが、当時のアメリカの寛大さに敬意を表する。最初の聖火ランナーとなった「宮城勇」さんは、テレビにも登場して、当時の様子を語ってくれていた。那覇から全日空のYS11機で鹿児島と宮崎と千歳に運ばれ、4つのルート別れて、東京に運ばれたという。2020年の聖火輸送は、JALとANA 共同で行うことが発表されているが、実際は、機体(B787)と乗員はJAL が担当し、機体には、JAL色を消して、JALとANA のロゴが描かれる特別仕様となるようである。


10月10日に開会式が行われたが、聖火の最終ランナーは、1945年8月6日に広島県三次市で生まれた当時早稲田大学競走部のランナーであった「坂井義則」さんであった。原爆投下の日に生まれたというエピソードでぎりぎりで坂井さんに決まったようであるが、その若者が、青空の下、聖火台への階段を駆け上がる姿はまさに日本復興の象徴であった。


坂井さんは、卒業後、フジテレビに就職され、陸上競技等のスポーツ関連の仕事を担当されていたようで、自分も仕事上でのお付き合いがあった。彼は、よく我が職場にも来ていたので、よく存じ上げていたが、晩年は体調を崩していたようで、2014年に残念ながら逝去している。来年のオリンピックをその目で見たかっただろうと無念さが伝わってくる。この大河ドラマも、次回が最終回だという。10月10日に晴れてオリンピックを迎えた当時の感動が味わえるのではないかと最終回に期待している。


画像は、最終聖火ランナー「坂井義則」さんと聖火輸送の機内の様子と

開会式の様子: 



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入社当時の職場仲間での忘年会 

2019年12月08日 08時52分48秒 | 人生

 

前にも書いたが、12月7日に昔の職場の仲間8名が集まり、何十年振りの飲み会があった。新入社員として配属された最初の職場なので、思い出深いが、早いものであれからもう半世紀が経つ。何十年ぶりに会った人もいたが、お互いにその風体を見て、年をとったものだとしみじみと感じた。会社からOBニュースなるものが月に1回メ-ルで送られてくるが、いつも訃報が掲載されていて、知った人がいるとショックを受けるというか妙に寂しい気持ちになる。90代という長寿の人もいるが、60代、70代も決して少なくない。もうとっくに予備軍となっていることを考えると終活というか毎日毎日が大事になってくる。


このような年寄りの同窓会のような集まりだと当然思い出話に花が咲くが、今回、昔の写真を持ってきた人がいて、しばし当時の話題で沸騰した。50年前の写真なので、皆、若いのでビックリするが、誰だかわからない人もいる。思い出話とともに近況報告が行われたが、話題の中心は病気の話となる。病気を克服した武勇伝やら薬づけの毎日とか大体相場は決まっているようである。話題がつきないので、話がはずみあっと言う間に時間が過ぎる。たった8人の集まりであったが、生存確認の意味で集合写真を撮り、皆に送付した。いつまで続けられるであろうか?

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テレビ朝日グッド!モーニングの検定クイズ 

2019年12月07日 09時03分37秒 | TV番組

 

朝は基本的にはテレビ朝日の「グッド!モーニング」を見ている。内容が面白くない時は、TBSの「あさチャン!」にチャンネルを変えることもあるが、検定クイズがあるので、その時間は必ずテレビ朝日を見ている。検定クイズとは、6時50分頃の林修先生による「ことば検定」、7時30分過ぎの依田司さんによる「お天気検定」と7時50分過ぎの池上彰さんによる「ニュース検定」のことである。データ画面にして問題に正解すると3点、間違えても1点がもらえて、3つの検定の合計が、30ポイント、60ポイント、120ポイントに達するとそれぞれのプレゼント応募のキーワードが表示され、プレゼントに応募できるというものである。

 

検定に参加してしまうと必然的に毎日その番組を必ず見ることになるので、テレビ局の思う壷にはまっているともいえる。検定は、3択問題(ことば検定はほぼ2択)なので、簡単そうに見えるが、これが結構難しい。自分の実力で問題を解くだけだとなかなか正解できず、ポイントも取れないが、ポイントも稼ぎたいので、問題を見てよくわからない時は、その場ですぐネット検索で正解を調べることにしている。いわばカンニングであるが、お天気検定にはあまり通用しない。ことば検定とニュース検定は役に立つ内容が多いので、大変勉強になる。

 

ここ数ヶ月は、120点まで達成しているので、すべてのプレゼントに応募しているが、まず当たりっこないとは思っている。都合で番組が見られなかったり、検定に参加できない時もあるので、120点を取るには相当頑張る必要がある。一体どの位の人が検定に参加しているのであろうか?もう少し、プレゼントの数を増やしてほしいものである。

 

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「お笑い三人組」を思い出した

2019年12月06日 09時03分40秒 | TV番組

 

12月5日、BS朝日のお笑い演芸館~10代から90代まで人気芸人集合SP~というタイトルを見て90代の芸人って誰だろうと思い、ずうっと見ていたら、何と三遊亭金馬師匠が90代の芸人として出ていてビックリ。風貌は昔とあまり変わっておらず、とても90才には見えないほど若く矍鑠としており、創作ものの落語をやっていたが、大変面白かった。いまだに現役でやっていることに敬服するばかりである。

 

今の金馬師匠は長らく三遊亭小金馬としてよく知られていたが、一番馴染みのあったテレビ番組がNHKの「お笑い三人組」であった。調べてみたら、1956年~1966年まで放送されていたようであるが、当時は、毎週火曜日欠かさず見ていた。三人組として、三遊亭小金馬、一龍齋貞鳳、江戸家猫八に、楠トシエ、音羽美子、桜京美がからんでの面白い公開バラエティ番組であった。貞鳳さんと猫八さんと桜京美さんはすでに亡くなられているようであるが、舞台のシーンが目に浮かぶほど懐かしい番組であった。とくに、「八ちゃん、おたまちゃん、うー」というギャグが懐かしく思い出される。もう60年も前のことなのに、鮮明に覚えているからビックリする。

 

当時は、テレビ創成期でこのようなバラエティ番組が流行っていたが、よく見ていたのは、「シャボン玉ホリデー」「てなもんや三度笠」「夢であいましょう」「光子の窓」等懐かしいものばかり。テレビが白黒からカラーに移っていく頃なので、我々は、まさにテレビとともに大人になっていった感じである。すでにザ・ピーナッツ、藤田まこと、クレージーキャッツはじめすでに亡くなっている人も多く、年月の経過を痛感するが、青春プレイバック、あの時代に戻りたい気がする。

 

お笑い三人組:  https://youtu.be/rBIxxYs9Uvg

 

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「浪漫飛行」は自分のテーマソング

2019年12月05日 10時44分19秒 | 音楽

 

「浪漫飛行」は、1990年4月にレリースされた音楽グループ, 米米CLUBの楽曲であるが、当時、ドイツから帰国後、名古屋支店に勤務していて、予約、発券、旅客販売関係の業務を担当していた。それまで米米CLUBという名前は聞いたこともなかったので、「まいまいクラブ」とか揶揄されていたが、急にこの曲に馴染むようになったのは、沖縄キャンペーンのCMイメージソングとして、テレビで頻繁に聴いていたからだと思う。キャンペーンとのがらみで生で歌を聴く機会もあった。一時は、携帯電話の着信メロディにもこの曲を使っていたほどで、今や、「浪漫飛行」は、自分のテーマソングとなっている。Debie Gibsonが歌う英語バージョンもある。


当時からメロディや歌詞もさることながら、ロマンチックな飛行機旅行をイメージさせるタイトルが特に気に入っていた。SNS等を始めるようになって、すぐ思いついたのが、このネーミングで、当初からハンドルネームとして使用している。2004年にホームページを開設した時も、迷わず、タイトルは、「浪漫飛行への誘(いざな)い」となった。このイメージに合う画像が欲しくなって、当時、趣味人倶楽部のコミュニティで画像作りますというコミュがあって、主宰していた女性に作成してもらった。タラップを使って、ロマンチックな飛行機に乗り込むところをイメージして作ってもらい、とっても気に入ったものができたので、大変感謝している。それ以来、この画像をアバター、アイコン、プロフィール写真、名刺のマーク等いろいろなところで使わせてもらっている。フェイスブックの写真もこれである。自分のHPのトップページに、イメージソングとして、「空港」テレサ・テン、「翼をください」徳永英明とともに、この「浪漫飛行」を載せている。まさに、自分のテーマソングとなっている。


画像は、「浪漫飛行への誘い」


「浪漫飛行」米米CLUB:  https://www.dailymotion.com/video/xu5f4o

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エカテリーナ宮殿と美女 

2019年12月04日 08時20分07秒 | 旅行

 

今年もあと1か月を残すのみで、カレンダーも最後の1枚となったが、12月のJAL世界の美女カレンダーは、ロシアのサンクトペテルブルク(昔のレニングラード)にあるエカテリーナ宮殿と美女である。宮殿に佇む美女はまさにロシア美人である。エカテリーナ宮殿に行ったのは、2009年10月だったので、もう今から10年も前のことである。海外旅行は、自己手配による個人旅行がほとんどであるが、ロシアに関しては、ビザ等の問題もあり、クラブツーリズムのツアーに入ることにした。サンクトペテルブルクとモスクワの三つの美術館(エルミタージュ美術館、ロシア美術館、トレチャコフ美術館)を巡る芸術薫るロシア物語7日間というコースであったが、サンクトペテルブルクではエカテリーナ宮殿を真っ先に訪問した。


エカテリーナ宮殿は、ロシア帝国時代のロココ建築の宮殿で、最初は、1717年に夏の離宮として建てられたものである。世界遺産に登録されているだけあって、建物は美しく、豪華・絢爛で、内部の部屋も全体に琥珀があしらわれた「琥珀の間」はじめ、荘厳で見応えのある部屋が多く、広大な庭園も素晴らしかった印象がある。
ガイド付きツアーに入った経験は、今までに3回ある。2007年2月のエジプト、2009年2月のトルコに次いで、ロシア旅行は3回目であった。ツアーに入ると自由行動は制限されるが、とにかく楽である。何を見るか、どうやって行くか、どこで食事をするか等全く心配することがないので、気楽感がある。ツアーに入った方が割安で動きやすいとか個人だと旅行の手配が難しいところに限っているが、気楽でたまにはいいかなという印象である。個人旅行では、旅友はいないが、ツアーに入ると常に同じ行動を取るので、必然的に参加者と親しくなることもよくある。エジプト旅行では、何人かの若者と親しくなり、旅行後に若者6人が我が家に集まったこともあり、今でも、何人かとフェイスブックで繋がっている。


画像はエカテリーナ宮殿と美女


音楽は、「サンクト・ペテルブルグ」(KAN)   https://youtu.be/hw1K2xVy7Mo

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嘘つきは出世の始まりか?

2019年12月03日 09時53分48秒 | ニュース

 

「桜を見る会」の疑惑が連日マスコミを賑わせているが、首相はじめ政治家や高級官僚の常識的には理解できない言動が駆け巡っている。この騒動を見るに、偉くなる人は、次のような素質を備えている必要があると痛感する。


・平気で嘘がつけること

・平気で文書が改ざんできること

・平気で都合の悪い文書が廃棄処分できること

・平気で公私混同できること

・平気でえこひいきできること

・平気で忖度できること

・平気で上の者にゴマスリ、べったりができること


自分にとって、すべてできないものばかりなので、出世とは縁のないのも仕方がないところである。桜を見る会の説明で内閣府の役人が顔をひきつりながら虚偽の説明をしているのは見るに堪えないというか憐みすら感じる。それまでして出世したいのだろうか?今回の釈明にあたって菅さんは若干目がうつろになっているが、首相は顔色を変えずに平気で答弁しているのでたいした才能である。また、安倍政権がこれだけ明らかに追い込まれているのに、内閣支持率があまり下がらないことが不思議である。常識的には責任を取ってとっくにやめている事案なのに、野党やメディアの追求も甘いと言わざるをえないし、韓国とあまり変わらないと言われても仕方がないところである。中国の故事に「李下に冠を正さず」という言葉があるが、まさに、日本のトップの人たちに捧げたい。昔は、嘘つきは泥棒の始まりとか言われていたが、今や嘘つきは出世の始まり?となっていることは残念なことである。

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アドベントカレンダー

2019年12月02日 09時01分26秒 | 日常

 

12月に入り、我が家でもクリスマスグッズをリビングに飾りつけるとともに、アドベントカレンダーを飾りはじめた。アドベントカレンダーとは、12月1日からクリスマスまでの24日分の窓があり、毎日ひとつずつ窓を開いていって、すべての窓を開け終わるとクリスマスを迎えることになる。窓の中にはチョレートなどのお菓子が入っており、子供は毎日楽しみにカレンダーの窓を開けていくのである。
アドベントカレンダーのことを知ったのは、ドイツに住んでいた時なので、34年も前のことである。

ドイツでは、この時期、ごく一般的にこの特別カレンダーが売られており、子供がいる家庭では、クリスマスグッズの定番となっていた。中味のチョコレートの値段からか、高いものから安いものまで、いろいろなカレンダーがあった。当時、我が家では、上の子が5才、下の子が2才であったので、毎日窓を開けてチョコレートを食べることができるので、このアドベントカレンダーを大変気に入っていた。当時、キリスト教国のドイツでは盛んであったが、日本ではまだまだ流行っていなかったと思う。帰国後もこのカレンダーを探しまくり、12月には、必ず子供たちにプレゼントしていた。東京では、銀座のソニープラザで買えることがわかり、この時期か必ず買いに出かけていた。


チョコレートの入った窓付きのカレンダーの他に、我が家では、クリスマスツリーに24か所の袋が付いていて、そこにお菓子を入れておくタイプのものも飾っている。これは、クリスマス時期に旅行した香港のビクトリアピークのお土産屋で買ったものである。12月に入ったら、毎日、窓を開けてチョレートを食べていくという楽しみが子供達に完全に身についてしまっているので、大人になった今でもアドベントカレンダーを子供たちにプレゼントしている。小さな子供さんには間違いなく喜ばれるプレゼントなので、絶対お薦めする。


画像は、市販のカレンダーサンプル及び我が家にあるアドベントカレンダーのクリスマスツリー

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