Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

新聞記者が書いた闘病記「書かずに死ねるか。」を読んで

2020年01月03日 | 読書

 1月3日(金)

 3年前の6月だったか、膵臓ガンで亡くなった元NHK記者の近藤彰氏が書いた「どーもの休日」という本を紹介した事がありますが、今回紹介する「書かずに死ねるか」という本も朝日新聞の記者であった野上祐氏が書いた闘病記です。

 日本人の2人に1人が罹るガンは今やありふれた病気と言えますが、余命を宣告される末期ガンとなれば話は別で、よほどの奇蹟でも無ければ遠からず死を迎えるという惨酷な病気です。

 末期ガンの闘病記は生命の尽きる事をもって幕を閉じるので、涙を誘う悲しく切ない作品が殆どですが、末期の膵臓ガン患者であった野上記者が書いた本は些か趣きが異なります。

 ある時受けた人間ドッグの結果から、不意打ちにように末期の膵臓ガンであると知らされる。ここから彼の3年余に渡る闘病生活が始まる。「自分の病気を取材する。」と本の中に書かれているとおり、その後の闘病記録は感情を交えず淡々と書かれて行く。

 人間はあまりに衝撃的な出来事に遭遇すると、感情抑制のリミッターが作動して意外と冷静でいられると聞いた事がある。でも人間の感情はさざ波の如く揺れ動くので、野上記者も絶望感に打ちひしがれた瞬間があった事は間違いないだろう。

 しかし本の中の彼は命尽きる最後まで弱音を吐かず、自分の病と対峙して毅然と記者の役割を全うする。その強い精神力は、記者魂とでも言うのだろうか。最後に彼は自分が関わった多くの人々へ、「皆さん本当にお疲れさまでした。」と挨拶を残してペンを置く。

 「例え末期ガンに侵されても、最後まで人間らしく生きられる。」とこの本は世の人々を勇気づけてくれるような気がします。何かの折に是非ご一読を。

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垣内美雨さんの小説「避難所」を読んで

2019年07月01日 | 読書

 7月1日(月)

 このところ鬱陶しい梅雨空が続く。「土方殺すにゃ刃物は要らぬ。雨の三日も降ればよい。」何て諺を昔聞いた記憶があるが、そこまでいかなくてもアウトドア派のジーサンには退屈な日々だ。

 こんな日は読書に限る。一見知性とは無縁に見える私だが、実は若かりし頃の就職の履歴書に、趣味は読書と書いた程の本好きなんです。先日も図書館で垣内美雨さんの「避難所」という小説を借りて何気なく読んだのだが、これが中々興味深い内容で、ブログで少し紹介したくなった。

 この本は、8年前の東北大震災をモチーフに描かれた作品のようです。だんだん遠い出来事となりつつある東北大震災ですが、あの頃テレビや新聞はしきりに「絆」という言葉を連呼して、避難所での助け合いや親切など美談ばかりを報じていたような気がします。

 しかし小説の中で出てくる避難所には、それとは異なる負の側面が辛辣に描かれています。例えば「津波で夫を亡くした若妻を虐げる義父や義兄」、「義捐金をパチンコ等の遊興費で喰いつぶすロクデナシの夫」、「身勝手で出しゃばりな自称リーダー」、「必至に生きる母と幼子を陰で悪口を言いふらす隣人達」、こんな醜い人間模様が細かに書かれています。

 フィクションと判っていても読みながら腹立たしかったが、最終場面は困難に直面した女性達が助け合って東京で再起を図るというハッピーエンドだったので、気分よく読み終える事ができた。

 8年前マスコミが美談で報じた「避難所」よりも、この小説で描かれた露骨な人間関係が錯綜する「避難所」の方が、残念ながら真実に近いのではと思えてきます。

 出来事の一面だけを切り取って、「皆さんこれが真実ですよ。」と自分の意に沿った記事や映像を都合よく編集するのはマスコミの得意技だが、極限状態の修羅場では綺麗ごとでは済まされない醜い現実が潜んでいる事を、この小説が教えてくれているような気がします。

 作者の作者垣内美雨(カキヤミウ)さんは、これ以外にも高齢化や介護、結婚難などの社会問題を掘り下げた本を幾つも書かれているそうなので、他の作品も読んでみたくなりました。

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有川浩さんの小説「明日の子供たち」に感動した。

2018年09月14日 | 読書

 インテリと思われたいから言うわけじゃないが、私は意外と本好きで四日に一度は図書館を訪れている。(誰ですか年寄りの暇つぶしだろと言うのは)なので貴方の趣味は?と訊かれたら、自信をもって「読書です。」と応えるつもりだ。(誰も聞かないけど・・・)

 そんな私が最近一番感動した本は、有川浩さんの「明日の子供たち」という小説です。これは養護施設で暮らす子供達を描いた作品で、主人公の新人指導員、三田村君を中心に物語りは進んで行く。

 極貧家庭で育った私であるが、養護施設については殆ど知識が無く、親から育ててもらえぬ可哀そうな子供達が暮らす施設くらいのイメージしかなかった。この小説では養護施設の実情が細やかに書かれ、登場する人物はいずれも魅力的で、健気に生きる施設の子供達がいじらしい。

 その中の一人、女子高生の奏子が「私達は可哀そうな存在じゃない。世間の人に可哀そうと思われるのが一番辛い。」という言葉が心に迫る。又施設を出て行方不明となっていた温子の身を案じていた猪俣指導員が、実は彼女が立派に働きながら夜間大学へ通っているという姿を知って感涙にむせるシーンなど目頭が熱くなった。

 読み終えて心温まる作品だった。私はこんなほのぼのとした小説が大好きで、読んでいて気持ちが明るくなってくる。これは映像化してもきっと感動的な映画になるだろう。有川浩さんについては今まであまり存じ上げなかったが、私の好きな作家になりそうだ。これからも彼の小説をもっと読んでみたい。

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小檜山博の「人生という旅」という本に深い感銘を受けた。

2018年03月05日 | 読書

 3月5日(月)

 先日図書館でたまたま借りた「人生という旅」という小檜山博さんのエッセイ本を詠み始めたら、思わず引き込まれ深く共鳴するものがあった。彼は私より10歳ほど年上で、北海道僻地の赤貧農家で生まれ育った小説家だ。

 小檜山さんは若い頃から苦労して新聞社に勤めながら小説を書き続け、後年幾つもの文学賞を受賞して名のある作家になった立志伝の人物である。

 私の勝手な思い込みだが、「貧困家庭の出身」「働きながら大学で学ぶ」「己の容姿や才能に劣等感を持つ」等、彼と私には幾つか共通するものがあるように思う。ただ一つ大きな違いは、単なる凡庸の徒である私に比べ、彼には天与の文才とそれを花咲かすたゆまぬ努力があったという事だ。

 だからだろうか小檜山さんのエッセイには直向きな生き方と優しさと感謝の気持ちが満ち溢れており、しみじみとしてとても心地よい読後感であった。本の中で彼が一番言いたかったのは、「人は自分一人では生きていけない。他人の情けがあるから生きていけるのだ。」という事ではないだろうか。他にも彼の作品を見つけたら又読んでみたくなった。

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「翔ぶ少女」という小説は何度も泣けます。

2017年07月29日 | 読書

 7月29日(土)

 「原田マハさんくらい読者を泣かせる作家は他にいない。」と思うくらい、私の中で原田マハさんは最も好きな小説家の一人だ。だから図書館を訪れると真っ先に彼女の作品コーナーへ向かう。(スミマセン。身銭を切って買う本は月刊誌「山と渓谷」や地図くらいなもので、単行本は全て図書館で借りて読んでます。)

 そして先日図書館へ行った時、彼女の小説「翔ぶ少女」を見つけて借りた。読み始めると、これがマア面白くて、原田マハワールドにはまり込み半日で読み終えた。彼女の作品はどれも感動するけれど、この小説が一番泣けたかも知れない。

 物語の舞台は、阪神淡路大震災が発生した神戸市長田区、長男「逸騎」、長女「丹華」、次女「燦空」の三兄弟は、パン屋を営む両親の元で幸せな日々を過ごしていたが、突然の大地震が彼らを悲劇のどん底に落とし込む。

 住む家は全壊し炎に巻かれて両親は亡くなってしまい、三兄弟は震災孤児となってしまう。そんな兄弟を倒壊家屋から救ってくれたのが、「ゼロ先生」と呼ばれるオッチャンだ。オッチャンも震災で自分の妻を亡くし、それが原因で実の子とも断絶して孤独の身の上だ。

 精神科医であったゼロ先生は、孤児となった三兄弟を養子として引き取り、被災した地域の為に奔走する。そんなゼロ先生の深い愛情に育まれて、三兄弟は悲しみの淵から徐々に立ち直っていく。

 しかし、ゼロ先生がある日突然心臓の病で倒れてしまう。命の恩人であるゼロ先生を救おうと、いつも優しく見守ってくれる女医の由衣先生と共に三兄弟は必死の行動を起す。

 そして最後は最も感動的な結末を迎えるのであるが、それは実際に読んで感動してください。私のように図書館で借りて読む何てセコイ事せず、ぜひ本屋さんで購入して読んでいただければと思います。登場人物の健気さに泣ける事間違いなしです。

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小林摩央さんの訃報

2017年06月25日 | 読書

 6月25日(日)

 ガン闘病中であった市川海老蔵さんの妻、小林摩央さんの訃報を聞いた。彼女のブログ「KOKORO」を頻繁に拝見させてもらい、直向きな生き方に深い感銘を受けきっと回復すると信じていただけに残念・無念と言う言葉しかない。

 ブログの最後は亡くなられる二日前、「皆様にも、今日笑顔になれることがありますように。」と綴られている。自分の命が正に尽きようとする寸前に、他者への気遣いを発するなんて何という凄い事だろう。

 僅か1年ほどの短いブログだが、彼女の珠玉のような言葉に病と闘う多くの人々が勇気づけられ生きる力を与えてもらったのではないだろうか。そんなブログも、もう更新される事は無いと思うと寂しい気持ちが募る。奇跡を信じて闘った一人の気高い女性の旅立ちに、心からご冥福を祈ります。

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認知症老人を描いた「老乱」という本を読む。

2017年06月15日 | 読書

 6月15日(木)

 久々に恐ろしい本を読んだ。それは医師で作家の久坂部 羊さんが書いた「老乱」という小説です。何が恐ろしいって?それをザックリ説明しましょう。

 この小説の主人公、五十川幸造は78歳の老人である。4年前に妻を亡くし、今は古びた自宅で一人暮らし、娘の登喜子は遠い地へ嫁ぎ、息子の知之は近くに住んで居るけれど狭いマンション暮らしで父親を引取れない。

 一人暮らしの生活にも慣れた幸造は、自分ではしっかりしてるつもりであったが、ある日立入禁止の駅構内に踏み込みトラブルを起こす。又ある時は、自炊中に火事を起しかけたりと思わぬ事が続く。

 そんな義父の姿に認知症の疑いを持った息子の妻雅美は、知之をけし掛け幸造を病院へ連れて行こうとするがガンとして受付けない。息子夫婦に憤慨した幸造は誰にも告げず旅に出るが、旅先で自分の居場所が判らなくなってしまう。

 旅先の宿から連絡を受けた息子夫婦が再会した幸造は、すっかり呆けて以前の姿ではなかった。病院で「レビー小体型の認知症」と診断され、その後徐々に症状の悪化した幸造は、生きる意欲を無くし最後は寝たきりになっていく。・・・

 というある認知症老人の姿を描いたドキュメンタリ―風小説です。この本を読んでいくと、団塊世代の我が身と置き換えて身につまされる。これはフィクションでは無くて将来の自分に充分起こり得る現実なのだ。それを思うと不安が募る。何だか今夜は嫌な夢を見てしまいそうだ。

 

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原田マハの小説「奇跡の人」は、模倣であるが感動もの

2017年05月06日 | 読書

 5月6日(土)

 引きこもり青年が立直っていく姿を描いた小説「生きるぼくら」を読んでスッカリ原田マハ作品に惹きこまれ、「カフーを待ちわびて」、「まんだら屋のマリア」等を続けて読んだけれど、今回読んだ「奇跡の人」が一番の感動ものだった。

 この本は、三重苦の障害者ヘレン・ケラー女史とサリバン先生の物語を土台に日本を舞台にした小説です。だからでしょうサリバン先生役に該当する女性は「去場 安」、ヘレン・ケラーに該当する女性は「介良 レン」とよく似た名前になっています。

 時代は明治初期、去場 安は日本人女性として初めてアメリカで長期の高等教育を受けた才媛だが、視覚に障害があり日本女性の教育に生きようとする。そんな彼女を見込んで、青森津軽の名家である介良家の息女、レンの教育を依頼される。

 れんは「見えぬ。聞こえぬ。話せぬ。」の三重苦障害者で、座敷牢に閉じ込められ野獣のような生活を強いられている。そんな彼女の隠された資質を見抜いた安は、様々な障害をものともせずレンを教導し生まれ変わせていく。

 ストーリーはヘレン・ケラー物語と重複する面もあるが、盲目の三味線弾き少女キワとの絡みも織り交ぜ、感動の物語に仕上げたのは原田マハさんの力量だろう。最初と最後のシーンも意外で、これは泣かせる小説ですよ。

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原田マハさんの小説「生きるぼくら」に感動

2017年01月11日 | 読書

 1月11日(水)

 自分で言うのも何だが私はけっこう読書家で、週に2~3回は街の図書館へ出掛けている。・・・(「寝に行ってるんだろ」と言うのはどこのどいつだ。)好みの本は登山絡みの小説やドキュメンタリー何だけど、腐るほど暇があるから長編小説も嫌いでは無い。

 先日原田マハさんが書いた「生きるぼくら」と小説を何気なく借りて読んだが、これが衝撃的に面白く感動的な本だった。久々に涙腺を刺激して目頭が熱くなってしまった。

 物語の主人公「麻生人生」はどうしようもない引き籠り青年で母親にパラサイトして生きている。しかしその母にも見放され、行き詰った人生は藁をも掴む思いで信州蓼科に住む祖母の家を目指す。

 奥深い山中で一人有機農業を営む祖母は、温かく彼を迎える。祖母宅には、血の繋がらぬ義妹の「つぼみ」という少女が身を寄せていた。天涯孤独で人嫌いのつぼみと最初は打ち解けない仲だった人生だが、祖母を助けながら一緒に暮らすうちに少しづつ仲良くなっていった。

 優しい祖母であったが、やがて認知症が進み、農作業ができなくなる。そんな祖母を介護しながら、人生とつぼみは周りの人の助けを借りて必死に祖母の農業を護っていく。

 そして秋になり、祖母の田圃に美味しいお米が沢山実った。収穫する人生とつぼみの姿は逞しく昔の面影は無い。固い絆で結ばれた二人は、祖母を護って力強く生きようとするのであった。

 世間に心を閉ざしていた無力な二人が成長していく過程がとても感動的で、幸せな気分になれる温かい物語だ。一気に読み終えて、これで終わりなのかと淋しくなった。

 願わくば、この先の物語も読んでみたい。原田マハさん続編を書いてくれないだろうか。原田マハさんの事は今まで存じ上げなかったが、この本で一変にファンになった。彼女の他の著書もぜひ読んでみたいものだ。

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月刊誌「山と渓谷」の昭和57年7月号

2016年09月25日 | 読書

 9月24日

 山好きの人に愛読されている月刊雑誌「山と渓谷」だが、私は彼此40年以上も前から購読を続けるリピーターである。チリの積もれば何とやらで、流石にテニスコート程もある我が屋敷の本棚にも収まりきれなくなったので、古い雑誌を束にして「レアものですよ。」とブックオフへ持ち込んだが、アッサリ価値無しと買取を拒否された。

 それで仕方なく本棚が満杯になる都度、古い雑誌順に少しづつ廃棄を続けている。今日も廃棄する本の束をフト眺めたら、一番古いのは昭和57年7月号であった。

 何気なくページを繰っていくと、今の世にそぐわぬ事も書かれており興味を引いた。広告欄では「トランシーバー」や「高度計」が宣伝されているが、山の上でも携帯が通じる今トランシーバーは無用の長物だし、高度計の代りには高度表示機能を備えた腕時計やGPSが普及している。

 それから今は亡き登山家の長谷川恒夫氏や、山を愛した作家の田中澄江さん等のエッセイも載っている。読者のコーナーを見れば交友希望欄なんてのもある。ネット社会の今では、文通何てまどろっこしい事やる人いないだろう。

 一番違いを感じたのが新入会員を募集する山岳会の多さだ。この頃は80程の会が競うように募集広告を載せている。確か私が所属した会でも安からぬ広告費を払って何度か載せたはずである。それが最新号では僅か三つの山岳会しか掲載していない。

 今は中高年の生き生き健康登山が主流だけれど、あの頃は若者を中心とした山ブームでその熱気には凄いものがあった。その熱気に巻込まれた一人が私で、今も未練がましく続けている。久々に再読して山に熱中したあの頃の懐かしい時代が蘇えってきた。

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近藤彰氏の「どーもの休日」という闘病記

2016年06月30日 | 読書

 6月30日(木)

 図書館で何気なく借りた「どーもの休日」というありふれた題名の本は、元NHK記者だった近藤彰氏が書いた闘病記です。私と同年齢の近藤氏は、定年直後に余命1年の膵臓ガンと宣告される。彼は1年後の終焉まで闘病の日々を細かに自身のブログに綴り、その記事をまとめたのがこの本です。

 私も13年前に胃ガンを患ったからガン患者の心情は何となく判るが、末期ガンとなれば話は別で奈落の底へ突き落されたような心境になるだろう。「昔、悟りをひらいた高僧に「末期ガン」を告げたら直後に自殺した。」という話を聞いた事がある。(今時は偉い坊さんでもセクハラをする時代だから、こんな話し不思議でも無いか。)

 この本を読み進んでいくと近藤氏の強い精神力に深い感銘を受ける。一般的な闘病記に見られる哀しみや絶望感は無く、闘病の日々が素直な気持ちで、時にはユーモアさへ交え淡々と書き綴られている。

 元報道人であったとは言え、名も無き一市民の彼が何でこんなに強靭な平常心を持ち合せているのだろうか、その人間力の強さには心を打たれる。

 死はどんな人にも訪れる間違い無き現実、最後の生き様は如何にあるべきか、この本は力強い人生の道標になってくれるだろう。彼のブログ「どーもの休日~しかしなんだね。ガンだって~」も閲覧可能です。毒にも薬にもならぬ私のブログと違い、このブログも深い。ぜひご一読を。

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過酷な雇用状況を描いた「限界にっぽん」という本を読んで

2015年03月02日 | 読書

 3月2日(月)

 今、「限界にっぽん」という本を読んでいる。これは過酷な雇用状況やリストラについて特集した記事を、朝日新聞が一冊の本にまとめたものです。

 グローバル化・IC化・機械化が進む今の世は私が働き始めた頃と状況が全く異なり、現状に適応する才能や技術を持たぬ者には生き辛い世の中になっている。

 とは言え読み進むうちに、ンー?と異に思う事もある。大阪のある一人の男性派遣社員(49歳)は「稼ぎが悪くてアパート何か借りられませんわ」と言って、マクドナルドなど深夜営業の店を渡り歩いて夜を明かす日々を過している。こういう人達は「マクド難民」と呼ばれ、非正規社員の採用が拡がるにつれ、その数を増しているという。

 この派遣社員はカメラ用品の工場に勤め、時給800円で一日6時間、週3~4回しか仕事が無いので月収は6万円ほどしかないという。確かにこの収入ではアパートを借りる事はできないだろう。

 でもこの人、空いてる時間は一体何をしてるのだろう。最近の情報では、運輸、建設、介護、外食の現場は人出不足が深刻な状態だと聞いている。ではこの仕事が無いと言う男性と人出不足のギャップはどうして何だと腑に落ちない。

 又、「日通」の管理職だった40代の男性は、インターネット通販アマゾンの巨大倉庫に出向させられ、一日中ピッキング作業に明け暮れるそうだ。

 この男性は「朝8時半から夕方5時まで商品を探して端末機を品物に当てカートに入れる単純作業の繰り返し、サッカー場二面は取れる広さのフロアで数百人がカートを押しながら棚と棚の間を何度も行き来する。作業員の大半は契約社員や派遣の若者で、端末の指示だけで動き人との会話も無い。まるで機械になったような気分」と嘆く。

 それから「リコー」で研究開発一筋だった50代の男性は、グループの物流子会社に出向させられ倉庫で部品チェックの仕事に携わる。重いものでは数十キロにもなる段ボール箱を上げ下げし、作業は立ちっぱなし、夕方には足が痛くなる。週の後半は本当に辛い。何時まで続けられるか」と嘆く。

 又こうも言う。「周りは殆ど派遣社員、皆時給1000円くらいですかね。私も派遣だと思われている。僕らの給料聞いたら彼等怒るでしょうね。」

 正社員の座を不当に奪われようとする抑圧され差別された弱者と声を上げるこれらの企業マン、では彼等は同じ労働条件で時給1000円程の低賃金で働く契約社員や派遣の人達についてはどう思っているのだろう。彼等とは階層が違うのだから仕方ない事とでも思っているのだろうか。

 又労働の過酷さを言うのなら、朝8時半から夕方5時まで冬は寒風吹きすさび夏は炎天下の野外で、休憩時間以外は立ちんぼ且つ低賃金で働く私らの現場の方が遥かに過酷ではないだろうか。

 雨風凌げる倉庫内で何度も行き来できるなら「金を貰って良い足の運動になるわい」、又重い荷物を何度も上げ下げするなら「これ又良い筋トレになるわい」と、多分私なら思うだろう。

 この本に登場する人物達について、私は本に載せられた情報しか知らず、それは彼らの窮状の一部に過ぎないだろう。だからもの申せば独断・偏見と返されても仕方ない。でも私は彼らの主張の中に、自分本位な偏重と覚悟の甘さを感じて、何か同調できぬ思いがある。

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鳥越俊太郎さんの著書「がん患者」を読んで

2014年02月20日 | 読書

 2月20日(木)

 テレビでコメンテーターとして活躍している鳥越俊太郎さんが書いた「がん患者」という本を図書館で借りて読んだ。以前、鳥越さんは自分の闘病経過をテレビで放映させた事がある。その時彼の表情には笑みと余裕があり、早期ガンで心配ないのだろうと思っていたが、本を読んで重篤な病態である事を知り驚いた。

 ガンのステージは1~5段階の4(他の臓器等への転移が認められる)という最悪に近いレベル、原発・転移部位の外科手術も4回実施、と本には書かれている。

 これは深刻にならざるを得ない状況だが、本の中の鳥越さんは時折弱音を吐きながらも淡々と病気に立向かい、飄々と困難な現実を幾度も乗越えていく。そして現在もテレビや講演に八面六臂の大活躍をしておられる。その姿には深い感銘を覚える。

 私も一昔前に胃ガンを患ったガンOBだから、鳥越さんの心情は体験としてよく理解できる。術後5年間は、検査を受ける度にロシアンルーレット(拳銃に一発弾を込めこめかみに当て引金を引く死のゲーム)をやるような思いをさせられた。

 ガンは今や日本人男性の二人に1人、女性の三人に1人が罹る国民病だ。現在も多くの人々が闘病の身で、思い悩む方も少なくないだろう。この本はとても簡潔で判り易い文章そして明るい内容なので、そんな人達に勇気と希望を与えてくれる気がします。絶賛お勧めの一冊です。

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柳田邦夫氏の「人生の答えの出し方」という本に勇気づけられる。

2013年11月24日 | 読書

 11月24日(日)

 僅かづつだが私の足腰痛も回復の兆しを見せているようです。しかし進捗状況があまりにも緩慢なので、このまま症状が恒常化するのではと懸念する思いもある。そんな私が今読んでいるのは、柳田邦夫氏の「人生の答えの出し方」という本なのだが、ここに紹介される人々の凄烈な生き方に圧倒される。

 

 ALS「筋萎縮性側索硬化症」を発症し全身麻痺の身体ながら、妻と能登半島一周の旅やホームコンサートの企画を実現させ「死ぬことに自信がついたコンサート」と言い残して逝った西尾健弥氏。

 

 ハンセン病の為、隔離疎外されながらも「いのちの初夜」という小説を書きあげ23歳で夭折した小説家、北条民雄氏。

 

 自らも癌に侵されながら終生を「終末期医療システム構築」に力を注ぎ末期患者や阪神大震災被害者の為身を捧げた河野博臣医師。

 

 中でも、自らの癌闘病生活を2002年の臨終まで記録した元毎日新聞記者、佐藤健氏の「生きる者の記録」というドキュメンタリー特集記事は、当時毎日新聞を購読していたから毎回食い入るように読んだ記憶があり、後にも先にもあれほど感動・衝撃を受けた新聞記事はなかったと思う。

 

 脳ミソカラッポで登山やマラソンなど首から下のガテン系趣味しか持ち合わせぬ私にとって身体が不自由という現実は一寸辛いものがあるが、この本に登場する人々の死をも超越した凄まじい生き様を垣間見ると、「私の苦悩など如何ほどの事があろうか。」と心を勇気づけられる。

 

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小説「天地明察」は実に面白い本です。

2013年11月20日 | 読書

 11月20日(水)

 冲方 丁さんが書いた「天地明察」という小説は以前映画化されたから知ってる人も多いだろうが、読んでみたら実に面白い本だった。

 主人公の「渋川春海」は江戸時代初期の人で、碁の棋士として幕府に召し抱えられる。しかし彼は碁以外に算術、天文学、神道にも秀でた俊才で、その能力を乞われて正確な新暦作成の事業に生涯を掛ける。これがこの小説の主なストーリーです。

 江戸時代というのは何となく地味で変化に乏しい時代と思っていたが、この本は読むとそれが見当違いであり、江戸時代の文化は実に多彩で幾つかの分野では世界に誇るべきものであった事を知る。

 又登場人物も実在者をモデルとしており、それぞれの個性が魅力的でノンフィクションを見るような臨場感があった。時代もの小説はあまり好きで無かったが、この本は別格で一気に読み通してしまった。流石に2010年本屋大賞第1位を獲得しただけの事はあるなと実感した。

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