Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

車載カメラのステッカーで、あおり運転抑止力アップ

2020年07月30日 | 日記

 7月30日(木)

 以前東名高速道路であおり運転が原因の死亡交通事故が発生し、あおり運転が大きな社会問題となった。幸い私は今まであおり運転を受けた経験は殆ど無いけれど、こりゃ他人事じゃないなと思い自己防衛の為に車載カメラを購入した。

 しかし私の車の窓ガラスは透明じゃ無いので、外からではカメラの存在が分かり難い。これではあおり運転野郎に対する抑止力効果が薄いのではと、少し気になっていた。

 国でも個人でも防衛力というのは防衛装備を持っているだけでは駄目で、それを仮想敵に向けて誇示しなければならない。だから北朝鮮の金正恩君だって自分の独裁権力を守るため、最貧国で金も無いのに核とミサイル開発で、必死に世界へアピールしているのだろう。

 私の車も自己防衛力アップの為に何か手立てを打たねばと思い、近くのカー用品販売店を訪れた。そこの特売品コーナーを覗いてみると、「ドライブレコーダー録画中」と書かれたステッカーが百数十円で売られているのを見つけた。

 それが下記写真のステッカーです。チョット仰々しい感じがしないでも無いが、僅かなコストで我が車の抑止力は一段とアップしたのではないだろうか。国民を犠牲にして膨大な軍事費を費やし無謀な核ミサイル開発にうつつを抜かす金正恩君に、私の爪の垢でも煎じて飲ませてあげたいものだ。

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新型コロナの影響で今年は多くの山小屋が休業、中高年には厳しい登山になりそう。

2020年07月28日 | 日記

 7月28日(火)

 夏は何処か日本アルプスの山でも歩きたいなあと思ってネットでいろいろと山岳情報を検索してみたが、新型コロナの影響で今シーズンは多くの山小屋が休業してしまうようだ。

 富士山は小屋どころか全ての登山道が全面通行禁止になったし、南アルプスも殆どの山小屋が休業になっている。北アルプスや八ヶ岳では人気の高い山小屋は営業を始めたものの、何処も大幅に宿泊定員を削減している。

 山小屋は避難場所的な役割もあるので、昔は何処も来る者拒まずで予約無しに泊めてくれたが、近年は北アルプスを中心に予約制を導入する山小屋が増えてきた。私も何年か前、北アルプスの南岳小屋へ予約せずに行った時、泊めてはくれたけれど小屋の人にチクっと嫌味を言われたものだ。

 それが今年は何処の小屋も、ほぼ例外無く完全予約制へと移行してしまった。感染防止対策とは言え、これは中高年登山者にとって厳しい状況と言える。どういう事か例えで言うと、元気な若者なら早朝北アルプスの登山口、上高地を出発し、その日のうちに苦も無く標高3千mの穂高岳山荘へ着くだろう。

 しかし身体にガタがきた高齢者ではそうはいかない。一部のスーパー元気な中高年なら穂高岳山荘へ辿り着くかも知れない。しかし普通は精々頑張って標高2300mの涸沢ヒュッテ泊りがいいところだ。更に足の遅い者や調子の悪い者は、標高1500mの横尾山荘泊りになってしまう。

 つまり高齢者はその時の体調次第で、予約した小屋へ辿り着けない確率が健脚の若者に比べてかなり高いと思われる。それを無理して予約した小屋へ行こうとすれば遭難の危険性が増してくる。(実際に高齢登山者が自分の体力を過信して山小屋へ辿り着けずに遭難騒ぎとなった事例はかなり多いと聞いてます。)

 今年に限って言えば体力に劣る中高年登山者は、己の限界に挑むような登山は避けた方が無難と言えるでしょう。大丈夫山は逃げませんから、次の年にチャレンジしましょう。アッでも年寄りはいつ何時身体がガタッと来るか判らない。やっぱり山は逃げますんで、その時はスッパリ諦めてもらうしかありません。

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今日はスポーツの日?本当だったら東京オリンピックがあったんだ。

2020年07月26日 | 日記

 7月24日(金)

 「だいぶ髪が伸びてきたわね。」と妻にさりげなく注意された。言われてみれば何だか頭が鬱陶しいので、いつもの理髪店を訪れた。私が通うのは10分調髪の全国チェーン店です。入り口の自販機で料金を払おうとしたら、シルバー割引料金の挿入口が塞がれていた。

 店員さんに「今日はシルバー割引無いんですか?」と尋ねたら、「休日なんで割引が無いのですよ。」と応えた。毎日ホリディなもんで曜日の感覚が麻痺していたけど、今日は東京オリンピックに備えて制定された「スポーツの日」だったんだと初めて気が付いた。

 何事も無ければ今日は東京に世界中の人が集って、オリンピックの祭典が華々しく開催されていたはずだったのだ。それが新型コロナの流行で事態は一変、日本は勿論世界の国々が緊急事態宣言を発し鎖国状態になってしまった。

 地球の支配者と自惚れていた人類が、ナノミクロンにも満たぬ微細なウィルスにあっさり打ち負かされてしまったのは、現代文明に対する痛烈な面当てのように思えてくる。

 今やコロナウィルスの様子を伺いながらビクビクと暮らす日常だが、怯えてばかりでもつまらない。折角のオリンピックイヤーなので、ウィルス絡みの対応で世界の国々へメダルの授与をしてみました。

◎世界で一番多くの感染者数と死者数を出した種目で、アメリカに金メダル。

◎世界で一番早く感染者と死者を出した種目で、中国に金メダル。

◎感染対策に全くヤル気が無い種目で、ブラジルに金メダル。

◎誰一人感染者がいないと嘘っぱちな報告をした種目で、北朝鮮に金メダル。

 さて地元日本にはどんなメダルをと考えていたら、最近見る見るうちに感染者が増加して危機的な状況に陥ってきた。それなのに状況を更に悪化させかねない「Go Toトラブルキャンペーン」なんぞやってる日本に、◎勘違いも甚だしい対策の種目で金メダルを授与する事にしました。

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電話機(固定)のディスプレイが突然消えて、おニューの電話機に買い替える。

2020年07月24日 | 日記

 7月24日(金)

 我が家の固定電話機のディスプレイ表示がある日突然消えてしまった。もう10年近く使用しているので寿命かとも思えたが、取りあえず製造元であるパナソニック㈱の相談センターに、電話で問い合わせてみた。しかし話がもう一つ噛み合わず、ネットのパナソニック相談窓口でも調べてみたが、スマホへの対応が殆どで固定電話機は相手にされて無い感じがした。

 この時代に固定電話機を使っているのは主に高齢世帯なので、オレオレ詐欺の標的になる確率が高いとも聞いている。だから止めたい気持ちもあるのだが、妻が携帯を持たない主義なので止める訳にもいかない。修理してもかなりの費用がかかるだろうし、結局新しい電話機を買う事にして近在のケーズデンキを訪れた。

 買うに当たっては、まずFAX機能は必要無し(ここ数年使っていないので)。ナンバーディスプレイ機能は絶対必要(オレオレ詐欺に遭わぬ為)。次に親機と子機二つの受話器がある物(別室で電話できる為)。

 こんな条件で探した結果、最終的に選んだのは下記写真の電話機で、価格は税込み2万円を少し切るぐらいだった。FAX機能が無い分だけ、小ぶりでスマートなデザインになった。

 いろいろな機能があるみたいだが要は通話ができりゃいいだけなので、説明書はザッと拾い読みしただけだった。使い始めて半月ほどおニューの電話機でいいなと思ったのは、電話帳登録した人なら相手の名前を音声で教えてくれることぐらいだろうか。

 せっかく買い替えた電話機だが、今のところ掛かって来る頻度は一日に1~2回ぐらいなもの、オレオレ詐欺すらかかってこない。宝の持ち腐れと言った感じです。

おニューの固定電話機

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山種美術館で入館を断られる。

2020年07月22日 | お出掛け

 7月21日(火)

 膝の治療で二週間ぶりに都内北区十条にある永振クリニックを訪れた。治療と言っても膝へ注射をするだけなのですぐに終わる。今のところ膝に違和感は感じないので治療を終えたい気持ちもあるが、注射を止めれば再び悪化するかも?という不安もあるので、2週間後の診療を予約してクリニックを後にした。

 このまま我家へ戻るには時間が早い。朝日新聞販売店から日本画家「竹内栖鳳」特別絵画展のチケットを貰っていたので、恵比寿駅から東へ歩いて10分程の距離にある開催場所の山種美術館を訪れた。

広尾の山種美術館

 新型コロナの影響で山種美術館は長らく休館していたが、先週末の18日からようやく営業を再開した。私のチケットは7月5日で有効期限を過ぎていたが、美術館の都合で休館していたのだから当然観る事ができるだろうと思い込んでいた。

入場チケット

 

 ところが検温を受けて受付にチケットを提示すると、受付嬢は何やら何処かへあたふたと電話して会話を終えると「前売り券の場合は有効期限の延長をできますが、お客様の招待券では観る事はできません。入場券を購入して頂ければごらんになれますが。」と断られてしまった。

 「それはネーだろ。そっちの都合で勝手に休みやがって、今更観せネーとは勝手な言い草だ。ふざけんじゃねーよ。」と啖呵の一つも切りたかったが、高邁な知性と教養が邪魔をして(単に気が弱いとも言えるが)、「ジャ~いいです。」と言って美術館を後にした。

 余分な電車賃を払って来た事に腹立たしさを覚えたが、まあセレブの街広尾界隈を散策したと思えば少しは気も紛れる。山種美術館は一人のコアな美術愛好家を失った。もう二度と来ないぞ。

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日本三百名山回顧№81、福島県、至仏山(百名山)

2020年07月21日 | 三百名山回顧

 日本で最も広大な山上湿原として知られる国立公園尾瀬ですが、その西端に聳えるたおやかな峰が至仏山です。鳩待峠や山ノ鼻からのアクセスが容易なので、登山者にも人気が高い山です。

①アルバムを紐解くと、その至仏山へは過去に3度登っているようだ。最初に登ったのは昭和55年7月12日、職場の友人M君を誘い三泊四日の日程で、至仏山~燧ケ岳~会津駒ヶ岳の百名山三座を登るという初心者にしてはハードな山行だった。

 この時は雨が降ったりやんだりの天候で、会津駒の山小屋では管理人の男と喧嘩したりしていろいろな事があったが、私としては満足の山行でした。

 しかしこの山行で懲りたのか、M君はその後私が何度誘っても一緒に山へ登る事はありませんでした。(夜の街へは何度も一緒に出掛けたんですが)

期日:昭和55年7月12日

冨士見下→ 鳩待峠→ 尾瀬ヶ原(東電小屋泊)

あやめ平付近?

 至仏山山頂(左がM君)

 山頂から越後三山方面(右奥)

 山頂付近

 山頂から尾瀬ヶ原

 尾瀬ヶ原

 尾瀬ヶ原から燧岳方面

 

 

②次に登ったのは平成2年の5月2日、当時所属していた山岳会の山行で、妻を含め8人の仲間と一緒に残雪の至仏山を登りました。実はこの山行の目標は平ケ岳で、至仏山は単なる通過点に過ぎなかったのですが、天気が悪化したので、途中のススケ峰で引き返したのでした。

 この山行の行動記録が当時の会誌に残されていたので、概略を下記に転載してみます。

 期日:平成2年5月3日~5日

 尾瀬、至仏山~ススケ峰

参加者:CL福来 その他男×4名、女×4名、計9名

行動記録

5月3日(晴れ後曇り)

06:00鳩待峠→ 09:20~10:00至仏山→ 11:02日崎乗越→ 13:21~36日崎山→ 15:20ススケ峰(幕営)

 Sさんの車で前夜のうちに鳩待峠まで入り仮眠、至仏山の登りは登山者も多く順調だったが、ムジナ沢源頭の沿いの降りはトレールが無く、終始トップを行くSTさんはルート選択に四苦八苦、天気の良いのが救いだ。

至仏山への登り

 小至仏山付近

 至仏山山頂

 山頂からススケ峰~平ケ岳方面

 山頂から尾瀬ヶ原と燧ケ岳方面

 日崎乗越からしばらくの間小さなアップダウンが続き、急登の後日崎山に到着、展望が良い。この先も小さなアップダウンが続いて最後の一登りでススケ峰に着いた。

 場所不明?

 日崎山付近?

 野球ができそうなぐらいだだっ広い山頂だ。メンバーに疲れが目立つので、予定より早いがここで幕営とする。午後は南の方から雲が押し寄せ、夕刻には深い霧となった。

日崎山から至仏山方面

 ススケ峰から至仏山?

 5月4日(曇り後雨)

06:30ススケ峰→ 07:46日崎山→ 09:15~30日崎乗越→ 11:10ムジナ沢(幕営)

 ラジオの予報は低気圧の接近を告げ明日も天気は悪そうなので、平ケ岳は諦めて引き返す事にする。往路を忠実に辿り、日崎乗越からムジナ沢出合を目指し直線的に降る。

 心配していたムジナ沢は辛うじてスノーブリッジが架かり簡単に通過した。食料が十分にあるので、時間は早いがムジナ沢出合で幕営とする。午後は山ノ鼻へ行ってビールを買ったり、尾瀬ヶ原散策などで過ごす。夕食の後は、19時過ぎまで楽しい宴会となった。

 5月5日(雨後曇り)

06:23ムジナ沢出合→ 06:40~06:50山ノ鼻→ 08:00鳩待峠

 山行の結果は尻切れトンボに終わったが、天気の悪化で仕方が無かったと思う。我々はもうガムシャラに頑張る年代では無いのだから、次回平ケ岳を目指す時は至仏山を。迂回して猫又川源頭を突き上げて行けば平ケ岳もそう遠くないと思うので、その時まで楽しみを残しておこう。(※この3年後の5月に、妻と二人でこのコースから平ケ岳を登った。)

 

 

③3度目に至仏山を登ったのは平成16年の7月末の事でした。この時は単独で尾瀬ヶ原の見晴十字路に幕営し、翌日山ノ鼻から至仏山を登って鳩待峠峠へ降りました。古いHPの記録が残っていたので、それを下記に転載してみます。

 7月30日(金)  天気:雨後曇り時々晴

10:01富士見下→ 11:42~12:06富士見峠→ 12:56~13:03昼場→ 13:41見晴十字路

 本当は南ア、北岳へ行きたかったが、太平洋上の台風を避けるため、無難な尾瀬に変更した。富士見下に車を置き出発。久し振りに歩くのが気持よく天気も上向きなので、長い林道も苦にならず富士見峠に着いた。一休みして昼食を取る。
 ここから見晴十字路への道に入る。沢沿いの降りだが、余り手入れされておらず、泥濘の多い歩きづらい道だ。やがて平坦な地形に変わりしばらくして見晴らし十字路のキャンプ場に着く。さっそくテントを設営すると後はビールを飲みながら尾瀬の風を楽しむ。

 見晴十字路(背後に燧ケ岳)

7月31日(土)   天気:曇後雨後曇

05:50見晴十字路→ 06:17~06:30富士見峠分岐→ 06:56東電小屋分岐→ 07:28~07:52山ノ鼻→ 09:56~10:11至仏山→ 10:39小至仏山→ 10:56笠ケ岳分岐→ 11:46鳩待峠

テントをたたむと尾瀬ヶ原の景色を楽しみながらノンビリ歩く。山ノ鼻に近づくにつれ人が多くなり雨も降り出した。休憩所でしばらく雨宿り、小雨になったので至仏山に向け出発。しばらく樹林の急登が続き、森林限界を超えると足下に尾瀬ヶ原の景色が広がった。

 見晴十字路から景鶴山(左の山)方面)

 尾瀬ヶ原

 尾瀬ヶ原から至仏山

 至仏山への登りから尾瀬ヶ原
 高度を上げるにつれ雨、風が強まってくる。この道は又やたら滑りやすく老人や子供の登山者は大変そうだ、至仏山頂には沢山の登山者がいた。写真を撮り食事をすると鳩待峠に向け出発。

 至仏山山頂

 相変わらず雨風が強い。それでも、こちら側からも登山者が次々と登ってくる。笠ケ岳への分岐を過ぎ樹林の中の道を黙々と降って鳩待峠に着く。大勢の人々で賑わっている。ここからバスで戸倉まで行き、歩いて富士見下まで登り車を回収すると、そのまま川場経由の道を通り帰宅した。

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今じゃ無いでしょ。「GO TO トラベル」

2020年07月19日 | 日記

 7月19日(日)

 何をやっても袋叩きの安倍政権に少しは同情している私でさへも、今回の「GO TO トラベル」にはあきれ返った。新型コロナの感染者数が3~4月の第一波を遥かに凌ぐ勢いで増加しているこの時期に、それを更に煽りたてるような「どうぞ旅行へお出掛け下さい」という政府の観光キャンペーン、これじゃ「GO TO トラベル」じゃなくて「GO TOトラブル WITH コロナ」と言った方が当たってる。

 観光振興というお題目は判らぬで無いが、林修先生流に言わせてもらえば「やるなら今じゃ無いでしょ」それに何でこの非常事態下に「旅行へでも出掛けようか」何てお気楽な連中の支援しなけりゃいけないんだ。

 そんなお金があるのなら、九州などの集中豪雨で被災した人達へこそ真っ先に支援すべきでしょうが、被災地へは、ボランティアに行きたくても新型コロナの影響で県外の人は立ち入れないのが現状です。

 それ故に現地は極端な人手不足で、「被災地の復旧は遅々として進まない。」と被災者の方が涙ながらにテレビカメラの前で嘆いていました。この人達へこそ真っ先にあらゆる手立てを尽くすべきでしょうが。

 全国には「行けるものなら被災地へ駆けつけて、ボランティアで被災者を助けたい。」という熱き心の持ち主が大勢おられると思います。そんな人達に無料でPCR検査を受けてもらい、「異常無し」と結果が出た人はドンドン現地へ乗り込んで、被災地復旧のボランティア活動で頑張っていただく。ヤル気になればそれくらいの事はできるはずです。

 その為にボランティア志願者への検査費と被災地までの往復交通費くらいは、国が大々的に補助すべきではないですか。微々たる額だが私は納税者の一人として、声を大にして言いたい。「お気楽な旅行者なんかを助けるより、被災地で頑張っている人達へこそ貴重な国費を使ってくれ。」

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妻の誕生日祝いの会食で、あきる野市の料亭「黒茶屋」へ

2020年07月17日 | お出掛け

 妻が〇△回目の誕生日(年齢非公開)を迎えた。もしスルーしようものなら夫婦の間に隙間風が吹き荒れる危険性大なので、あきる野市の料亭「黒茶屋」を訪れて、誕生日祝いの会食をした。

 このお店はメモリアルデーがある度にいつも訪れているので、過去に何度か私のブログで載せましたが、今回新型コロナウィルス流行後初めて訪れたので、改めてお店の紹介をしてみます。

 黒茶屋は築300年の庄屋屋敷を移築して奥多摩の清流秋川沿いに建てた和風料亭で、日本昔話の舞台になりそうな和風情緒豊かな建物は、今風に言えばインスタ映えして眺めるだけで一見の価値有りです。

入り口で出迎えてくれる水車

 入り口傍の売店

 庭園の東屋と川魚供養碑

 料亭下を流れる秋川

 黒茶屋玄関前

 メニューは単品物からコース料理まで以前はいろいろ豊富にあったのですが、新型コロナ以降は簡素化されてコース料理だけになっていました。コース料金は4,100円~15,000円まで、料金の差は主菜のお肉の質の違いです。

コースの前菜

主菜のアユの塩焼き

 主菜の国産牛ほう葉焼き

締めのご飯とみそ汁、お漬物

 

 一番安い「若菜コース=¥4,100円」は肉無し(幸い妻は肉嫌いなので、若葉コースを頼みました。ホッ、)で、私はチョット贅沢に国産牛の「あじさいコース=¥6300円」を頼みました。一番高い「黒茶屋特別懐石=¥15,000円」は地元産の黒毛和牛特選秋川牛となります。

 黒茶屋も新型コロナの影響で長らく休業中でしたが、7月3日から営業再開したそうです。お客はそれぞれ個室で食事をするので、三密の心配はありませんが、部屋ごとにアルコール消毒液が置かれ、店員さんは部屋へ出入りの都度手を消毒をして神経質な程気を使っていました。

 奥多摩の美しい自然の中で美味しい和食をいただくチョットした贅沢、無粋で野暮な私でも日本人で良かったなと実感します。料亭「黒茶屋」「は世界に誇る日本の和食文化を体感できる良いお店です。

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深い絆と夫婦愛を綴った「娘になった妻、のぶ代」という介護の本

2020年07月15日 | 読書

 7月15日(水)

 「今日も雨、いつまで続く梅雨空よ」そんな俳句が浮かんできそうな天気が続いています。晴れマークが出たら山へ行くぞと思いつつも、仕方なく読書三昧の日々を過ごしています。人生の黄昏時なのに、こんなに教養を身につけたって意味ねーんですがね。

 と、どうでもいいような前置きを書いたところで、今回もチョット感動した本があったので、前回のブログに引き続きご紹介したいと思います。それは「娘になった妻、のぶ代」という題名で、著者はタレントの砂川啓介さんです。

 砂川さんの奥さんと言えば「ドラえもんの声」で有名な大山のぶ代さんです。お二人は芸能界のおしどり夫婦として知られていましたが、のぶ代さんが認知症を発症し、それを砂川さんが世間に公表した事で大きな話題となりました。

 この本は砂川さんが認知症の妻のぶ代さんを介護した日々の記録をまとめたものです。読み進んで行くと、認知症の介護が如何に過酷なものであるかヒシヒシと感じ取れます。砂川さん自身も介護に疲れ果て、「一緒に死んでしまいたい」、「何処かへ逃げ出したい」などと赤裸々な言葉で苦悩を綴っています。

 何より一番辛いのは、愛する人の人格が日々壊れていく、その現実に直面しなければならぬ事ではないでしょうか。しかし砂川さんは苦悩しながらも介護の日々の中に小さな希望を見出しながら、献身的に介護を続けるのです。

 そんな厳しい介護のストレスもあったのでしょうか、先年砂川さんは愛妻を残しまま突然お亡くなりになってしまいました。どれ程心残りであったでしょうか。認知症という過酷な運命の中にあっても結ばれた深い絆と夫婦愛、涙無しには読めない本です。ぜひご一読をお勧めします。

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「山小屋ガールの癒されない日々」は、山好きには興味深いエッセイ本です。

2020年07月13日 | 読書

 7月13日(月)

 このところ鬱陶しい雨模様の天気が続きます。アウトドア派を自称する私も外出の機会が無く、インドア派に様変わりして図書館から借りた本で読書三昧の日々を過ごしています。

 最近読んだ中で「山小屋ガールの癒されない日々」という本が、中々面白かったのでご紹介してみます。作者の吉玉サキさんは実際に北アルプスのとある山小屋で10年間働いて、その山小屋生活をドキュメンタリー風に綴ったのがこの本です。

 登山愛好者にとって山小屋は無くてはならぬ存在ですが、私の若い頃の40年ぐらい前の山小屋というのはそりゃ酷い状態でした。「従業員は横柄」「寝床は狭くて汚くて薄っぺらな煎餅布団」「食事は不味くて食堂は混雑する」と、今だったら口コミ評価マイナス100ぐらいになりそうな小屋ばかりでした。

 全部が全部そうだったとは言いませんがそんな状態に嫌気がさして、その頃の私はよほどの事が無い限り山中で一夜を過ごす時は、テント泊か精々避難小屋泊りでした。

 その後、登山界の主流が若者から中高年に移り変わった事が影響したのでしょうか、山小屋もそれに対応すべく近年は驚くほどサービス環境が向上しました。(宿泊費も高騰したが)今じゃヘタな人里の旅館やホテルより、山小屋の方がよほど快適だと言う人が増えました。(室内は綺麗になり食事は美味で布団も軽くて暖かい)

 厳しい自然と不便な環境の中、お客をもてなそうと一生懸命頑張っている山小屋従業員の大変さは傍から見てても分かります。そんな従業員の喜びや悲しみなどが本音の言葉で書かれたこの本は、一人の山好きとしてとても興味深く読めました。今後の登山や山小屋泊りの楽しみが少し増したような気がします。

 

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サントリーから膝関節アンケートのお願い。

2020年07月11日 | 日記

 7月11日(土)

 「怪しげなメールが届いた」という題目で前回のブログに書いたが、それについてテニス仲間のH氏から「たぶんウィスキーの通販ですね。アドレスの似た方が間違えて注文したんでしょうが、相手に絶対電話してはいけません。」とアドバイスのメールが届いた。

 これほど変なものじゃないけれど、最近ネットを閲覧していると「ひざ関節についてアンケートご協力のお願い」という広告画像が頻繁に現れるようになった。

 アンケートに回答すると「グルコサミンアクティブ4500円分が無料でお試しいただけます。」というのがミソで、これを釣り餌にしてグルコサミンアクティブのリピーターになってもらおうというのが、広告主であるサントリー㈱の魂胆なんでしょう。

 こんな広告が送られてくるようになった理由は、多分私が「膝痛」というキーワードで、何度も検索していたから何だろう。つまり私は「膝痛持ち」の人間であると認識されてる訳です。

 と言う事はネットの閲覧や検索状況で、それを見た人の個人的な情報や人間性が、ネットの世界で知られてしまうとも言えそうだ。独裁国家の中国と違い日本は個人の人権と自由が保障された民主国家だから、どんなものを見ようと罰に問われる懸念は無いだろうが、無限大に広がったネット世界の何処かで監視されているという感じがしないでも無い。

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怪しげなメールが届く

2020年07月09日 | 日記

 7月9日(木)

 毎日曇りや雨の鬱陶しい天気が続く。そんな気持ちを更に募らせるような怪しげなメールが我が家のパソコンに届いた。それが下記のメールで「アマゾンで注文いただいた商品の発送手続きについてご案内いたします」と件名に書かれていた。

 品物は「ザエッセンス2019リリース3本セット」という訳の判らぬもので販売会社は不明、価格は何と¥158,000円。妻に聞いても知らないという。更に不可解なのは、お客様名と住所、電話番号が、私の全くあずかり知らぬ赤の他人になっている。支払いのクレジットカードだって、私はそんなの持っていない。

 おかしなメールは過去に何度かあったけれど、こんなの初めてで新手のサギ商法なのだろうか。その後のアクションが無いので今のところ静観するだけだが、今年の梅雨前線と同様に何となく不気味な感じがする。

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心が痛む、熊本県、球磨川の氾濫

2020年07月07日 | 日記

 7月7日(火)
 50年や百年に一度と言われる集中豪雨が、近年は日本の何処かで毎年のように発生している。先日も熊本県の球磨川流域が氾濫し、人吉市街地を中心に大規模な水害が発生した。
 この辺りは11年前の平成21年、日本縦断ウォークの時に歩いたので思い出深い地域です。夕方遅く人吉市内に辿り着いた私を、親切に泊めてくれた国宝青井神社近くの「青井ビジネスホテル」のオジサン。夕食を食べに訪れた食堂で、私に「明日の弁当だよ。」と言ってオニギリを作ってくれたオバサン。快く敷地内にテントを張らしてくれた球磨川沿いの「道の駅坂本」の支配人さん。皆さん大丈夫だったのだろうか。

 宮崎県の矢岳高原を越えて辿り着いた人吉市内(平成21年3月6日)

 お世話になった青井ビジネスホテル

 国宝青井神社
 二日間かけて歩いた球磨川沿いの集落は、日本昔話に出てくるような風光明媚で美しい所でした。テレビを見るとその流域は、スッポリ茶色の泥水に埋もれ、無残な光景に様変わりしていた。

人吉から八代に向かう球磨川(平成21年3月7日)

 同 上

 球磨川沿いを走るJR肥薩線

 球磨川に架かる赤い橋(テレビを見るとこの橋も流されてしまったようだ)

 一晩お世話になった「道の駅坂本」
 人吉市内へは6年前の平成26年にも九州三百名山登山で訪れ、球磨川の畔に建つ和風情緒豊かな「人吉旅館」に泊まったが、人情味があってとても居心地の良い宿だった。

人吉旅館前で(平成26年5月15日)

 人吉城址公園から球磨川の流れ

 あの時我々夫婦を優しくもてなしてくれた韓国出身で明るく人気者の女将さんが、テレビの取材に応じ、深刻な表情で「あまりに酷くて何処から手を付けていいのか判らないけれど、元に戻れるよう頑張ります」と健気に応えていた。
 行けるものならボランティアへ行って微力ながら力になりたいが、球磨川はあまりに遠く、今は一日も早い復興を願う事しかできません。復興が叶った暁には、風情ある城下町の人吉市へぜひ再訪したいと思います。

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日本三百名山回顧№80、福島県、平ケ岳(百名山)

2020年07月05日 | 三百名山回顧

 平ケ岳は利根川源流部に聳え、人里から遠く離れた秘峰です。この山には平成6年と平成11年の2回、妻と二人で登りました。最初に登った平成6年は4月末に尾瀬の鳩待峠から残雪の雪尾根を越えて山中一泊で登りました。そして平成11年の2回目は、紅葉の平ケ岳を存分に堪能する事が出来ました。

 平成6年4月30日(土)~5月1日(日)
30日鳩待峠→ 尾瀬「山ノ鼻」→ ススケ峰→ 白沢山(幕営)→ 5月1日白沢山→ 平ケ岳→ 白沢山→ ススケ峰→ 山ノ鼻→ 鳩待峠

 一日目は鳩待峠から大勢の登山者で賑わう山ノ鼻を経由して、只見川最源流部の沢を遡り、柳平を過ぎた所で沢を離れ左手の雪尾根を登ってススケ峰へ着いた。ススケ峰からは緩やかに続く雄大な雪尾根を伝って、その日は白沢山手前の雪原にテントを張って一夜を過ごした。

 山ノ鼻へ降る道から仰ぐ至仏山?

 雪原の尾瀬ヶ原

 ススケ峰への尾根入り口?

 ススケ峰から至仏山

 

 ススケ峰?

 大白沢付近から平ケ岳(右奥)

 二日目はテント場から平ケ岳へピストンした。晴れていれば雄大な展望を拝めたはずだが、白い霧に視界を奪われた平ケ岳山頂部は広大な雪原で、何処が最高地点なのか判別し難かった。(GPSがあれば苦労しなかったが、その頃はコンパスしかなかった)

 平ケ岳山頂部?
 周囲を見渡して適当な所を山頂と決め、記念の写真を撮った後山頂を後にした。白沢山直下のテント場で残置した装備をザックに収め、ススケ峰へ戻って来た頃には天気も回復して、先ほど登った平ケ岳のたおやかな峰が白く輝いていた。

ススケ峰に向かって下山の道


 平成11年10月10日(日)~11日(月)
10日平ケ岳登山口→ 台倉山→ 姫ノ池→玉子石→ テント場(幕営)211日テント場→平ケ岳→ 姫ノ池→台倉山→ 平ケ岳登山口

 平ケ岳へ最初に登った5年前は、白い霧に覆われて何処が最高地点だかハッキリせず、登頂したという実感があまりなかった。そこで今度はジックリ平ケ岳の姿を拝みたいと、秋の紅葉時期に登った。
 一日目は只見川沿いの平ケ岳登山口を出発し、急登を経て台倉山に達し、そこから長い原生林の尾根を伝って、最後の急登を頑張ると池塘が点在する雲上の楽園、池ノ岳の山頂へ着いた。そこから少し降った所が水場で、すこぶる快適な幕営地だった。その日はテントを張った後、平ケ岳の奇景「玉子石」を見物した。

 下台倉山への登り

 台倉山から燧岳方面

 池ノ岳

 池ノ岳の池塘

 池ノ岳の姫ノ池

 玉子石

 玉子石から平ケ岳方面?

 テント場?
 二日目はテント場から平ケ岳の山頂を往復した。山頂部は桃源郷のような草原が広がり、上信越の山々を望む素晴らしい展望に長い道のりを歩いて来た甲斐があったと感無量でした。

 平ケ岳山頂へ向かう木道

 平ケ岳山頂

 山頂部から谷川岳(左奥)、巻機山方面(右奥)

 同、巻機山方面

 同、会津駒ケ岳方面?

 越後三山方面?

 同、荒沢岳方面

 同、燧岳方面

 同、白沢山、至仏山方面

 

 

 

 

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新しい靴を買って、マラソン大会の10キロレースを完走するのが今年の目標

2020年07月03日 | 日記

 7月3日(金)
 「歩く事が健康の源」と固く信じ、日本歩け歩け教会の隠れ信者である私にとって運動靴(ランニングシューズ))は、信仰の必須且つ最重要アイテムです。その運動靴だが、私は古い物から順に「日常用」、「練習用」、「試合用」と使い分けており、先日一番古い「日常用」を確認したら靴底のラバーが剥がれかかっていた。
 ラバーが摩耗してクッション性が損なわれると、脚や膝の故障の原因ともなるので、新しい靴を買う事にした。私の場合運動靴は概ね1年に一度のペースで買っており、1足当たり大体3年程で廃棄処分となります。
 買うのは常にミズノ製です。理由はすこぶる簡単で私は若干数ミズノ㈱の株を保有しているので、株主優待により20~30%安く買う事が出来るからです。例年は都内神保町にあるミズノ直営店を訪れて買っているのだが、今年は新型コロナによる外出自粛もある事から、ミズノのオンラインネットショップで欲しい靴を探した。
 今話題の厚底シューズなる物にも興味があったけれど、あれは究極のトップランナーしか履きこなせないという話で、いろいろ検討した結果、ロートルに無難なビギナークラスの靴を買う事にした。それが下記写真の靴(ミズノウェーブライダーウェーブニット3、定価16,390円のところ11,473円)です。
 50年以上の走歴を誇り、30年前は「フルマラソン2時間台のハイシニアクラス」を履いていた私なのに、年齢と反比例するように体力が低下して今じゃ悲しき初心者クラスです。

 それでも走る事が出来るだけ、まだ幸せ何だと自覚しなけりゃいけませんね。この新しい靴でマラソン大会の10キロレースを完走する事が、取りあえず私の今年の目標です。

3年履くと大体この位、靴底のラバーが摩耗します。

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