Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

買ったばかりの新車フリード+で、初めての遠出

2024年05月31日 | 日記

 今月13日に納車されたばかりのフリード+で、新潟県まで初めてロングドライブに出掛けました。以前の車も今度の車も同じホンダのフリード+だが、以前はガソリンエンジン車で、今度がハイブリッド車というのが大きな違いです。

 守門岳登山の為に我が家から関越道を北上して、新潟県魚沼市の「道の駅ゆのたに」へ着いた。その時運転席の計器類を見てまず感じたのは、燃費の良さです。約180㎞の距離だが以前のガソリン車だったら満タンの燃料ゲージが三分の一くらい減っているはずだが、ハイブリッド車では1目盛り分しか減っていない。そして走行可能距離も約700キロと余裕がある。

 高速道路を100㎞前後で走っている分には、ガソリンエンジン車とさほど燃費の違いを感じない。これは専らガソリンエンジンだけで駆動しているからでしょう。

 違いを感じるのは一般道を50㎞前後で走っている時で、電動モーターのアシストが入るので、燃費の良さを格段に発揮する。トータルで言えばガソリン車を100として、ハイブリッド車は60くらいの燃費で同じ距離を走れるような気がします。

 ここ数年間、我が家は年間約10万円ほどガソリン代を費やしている。これを基にすると、年間に約4万円のガソリン代が浮くという計算になる。中古車の買取価格も上乗せすれば、約5年くらい乗ればハイブリッド分の差額は取り戻せるように思います。

 「××と畳は、新しいほうがいい」・・何てハラスメントで訴えられそうな古い諺があるけれど、「それに+フリードもネ」と、頭の中でツイ浮かんでしまいました。古い車に愛着が・・何て言ってたけど、新しい車はやっぱりイ~イですね。

 

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市民講座で、終活の講義を受講する。

2024年05月29日 | 日記

 八代亜紀さんや中尾彬さんなど、私とさほど齢の違わぬ有名人の方々が次々とお亡くなりになっている。ソロソロ自分の終活も真剣に考えねばならぬ時かもと思っていたら、ある時妻が市民大学講座でこんなのがあるよと、パンフレットを私に見せた。

 それに書かれていたのは「配偶者とあなたを救う終活」という名の市民講座で、受講してみたらどうと私に勧めた。そんな事情でこの講座を受講する事になり、当日講座が行われる公民館を訪れた。

 教室には、私と同年輩と思われる老男女6~7名ほどの人が席に着いていた。教えてくれる講師の方は、行政書士事務所を営んでいるというMさん、私より幾分年配者に見える高齢の男性だった。

 さてどんな風な講義になるか興味を持って臨んだのだが、自己紹介を終えた講師のMさんは、受講者に配布されていたテキストを冒頭から一字一句違わず淡々と読み始めた。

 そのテキストはMさんが営む事務所のホームページの記事をコピーしたもので、内容を簡略すれば「遺産相続や終活など終末期の困り事、私の事務所ではこんな事もあんな事もできますよ。どうぞ私の事務所にお任せください・・」というCMみたいなものだった。

 Mさんはテキストに目を落としたまま、一切のアドリブやギャグも無く、お坊さんのお経のように淡々と読み続ける。こんな講義じゃチットも興味が湧いてこず、思惑が外れて少々ガッカリの内容だった。

 

 Mさんの事務所は「行政書士M国際法務事務所」と一応仰々しい看板が掲げられているが、住所と電話番号から推察すると、どうも個人営業でやっている事務所のようだ。

 それにMさん自身が私より高齢者に思えるから、私より先にあの世へ旅立つ可能性も高い。正直彼にお願いしようかという気持ちにはなれなかった。講座自体は実りあるものでは無かったけれど、終活に関わる支援や業務を委託できる事務所や機関が存在すると分ったのは収穫だった。問題は信頼して任せる事ができる事務所や機関が何処に在るかで、それを見つけ出すのが今後の課題です。

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新潟県魚沼市、守門岳登山

2024年05月27日 | 山歩き

5月26日(日)    天気=晴れ時々曇り

05:43二口登山口駐車場→ 06:13護人清水→ 07:13中間地点→ 08:06~13大岳分岐→ 08:29青雲岳→ 08:43~09:10守門岳→ 09:18~21青雲岳→ 09:32大岳分岐→ 10:03~07大岳→ 10:53キビタキ避難小屋→ 11:12~19保久礼小屋→ 11:38車道出合→ 11:55二口登山口駐車場

 

 守門岳は遠い昭和の時代に、山岳会の会山行で大勢の仲間と一緒に登った。最近山菜採りで魚沼市へ来た時、残雪を抱いてたおやかに天空を描く守門岳を望んだら、再び登ってみたいと強く望むようになった。

 昨日の午後我が家を出発し、昨夜は魚沼市の「道の駅ゆのたに」で車中泊を過ごした。今朝方は早朝に出発し、朝6時前に二口コース登山口へ着いた。休日とあって駐車場には既に6~7台の車が停まっている。

二口コース登山口駐車場

 準備を終えると橋を渡り登山ポストに計画書を投函して歩き始める。しばらく進むと登山口の標識が在りここから登山道は急登が続く。登り始めてすぐにトレラン姿男性二人に追い越された。抜かれるのは悔しいが、マア熊の追い払い役になってくれるから良しとしよう。

入山届の登山ポスト

登山口の標識(ここから急登が始まる)

 出だしから息苦しくて、脚が重い。自分じゃまだ若いつもりでいるが、身体は後期高齢者なんだと悲観的な思いが浮かぶ。しかし最初の休憩で水分を補給しバナナを食べたら、元気が出てきた。

護人清水の水場

 登山口から30分で護人清水の水場を通過、その後はだんだん緩やかな樹林の尾根道に変わる。護人清水から1時間で、中間地点に着く。二口コースでは、此処が唯一展望の効く場所だった。

ブナ林の気持ちの良い尾根道

中間地点(ここで展望が開く)

登山道から左手の沢に連瀑が見える

 中間地点を過ぎると再び急登の道になり、残雪が見られるようになるとやがて大岳を展望できる地点に着き、そこが大岳分岐だった。女性二人組が分岐で休んでおり、聞くと保久礼小屋の方から来たそうで、「保久礼コースは今日が山開きなので、これから大勢の人が登って来ますよ」と言われた。

大岳分岐

 大岳分岐から少し進むと、青雲岳から守門岳へ続く山波の展望が広がった。残雪と登山道が交互する道をしばらく登ると、広々とした青雲岳の山頂に着いた。目指す守門岳は、もう指呼の間に見えている。

分岐の先から青雲岳を望む

青雲岳山頂

山頂から守門岳方面

 木道の道を緩やかに降り、緩やかなに登り返して行くと42年ぶりの守門岳(1537m)だった。山頂は360度の展望だが、春霞のような大気で遠くの山は見えないが、残雪を抱く浅草岳や越後三山などの山を望む事ができた。

守門岳山頂

山頂から浅草岳方面(左奥の山)

山頂から青雲岳(左)と大岳(右)

 山頂にだんだん人が増えてきたので、30分ほどの滞在で山頂を後にする。大岳分岐までの戻り道は、絶え間無く登山者のグループとすれ違う。大岳分岐に着くと、大勢の登山者が大岳の方から登って来るのが見えた。

大岳分岐から大岳(雪渓に登山者が見える)

 分岐から鞍部まではけっこう降り、鞍部から大岳までは急坂の一気登りで、暑さと飛ぶかう虫が煩くて辛い登りだったが、辿り着いた大岳(1423m)は広々とした気持ちの良い山頂で、大勢の人が思い思いに休憩をしていた。

大岳の登り

大岳山頂

大岳山頂の傍の雪渓

 山頂から保久礼小屋への道は、尾根を直線的に降って行く。下山の道でも多くの登山者とすれ違った。中に山開き関係者らしき人が居て、「道の駅「とちお」で「山開き記念バッジが貰えるから、ぜひ立ち寄って下さい。」と声を掛けられた。

下山途中のキビタキ避難小屋(鍵がかかっていた)

 保久礼コースは途中粘土質の滑り易い箇所もあったが、降るにつれ道が良くなり、大岳から約1時間で、保久礼小屋に着いた。小屋は2階建てのしっかりした造りで水場も在るが、小屋すぐ近くに駐車場&登山口があるので、ここを利用する人は殆ど居ないだろう。

保久礼小屋

 保久礼から沢沿いの道を降って行くが、歩く人が少ないのか踏み跡が薄い。道を間違えたかもと不安に思いつつ降り、車道に出た時はホッとした。車道出合から緩い降りの車道を転がるように降り、午前中に二口コース登山口へ戻って来る事ができた。

踏み跡薄い沢沿いの道

車道出合

 登山口駐車場には、数十台の車が隙間なく停まっている。車に乗るとJR只見線沿線の神湯温泉へと向かう。温泉のフロントでお金を払おうとしたら、「今日はフロの日なので550円で入浴できますよ。」と言われ得した気分だ。広々とした湯船にドップリ浸かって、山の汗と疲れを流した。

二口登山口駐車場へ戻って来た

 42年ぶりの守門岳がこんなに賑わうとは予想外で、熊さんの不安は払拭されたが難易度の高い高尾山を登ったような気分だった。登り始めは調子が上がらず齢を感じたが、バナナを食べて元気になれたので、まだまだ山の現役でいられそうとチョッピリ自信も持てました。

昭和56年7月10日、守門岳登頂の写真(右端が私です)

 

 

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今宵は魚沼市の道の駅ゆのたにで車中泊

2024年05月25日 | 旅行

5月25日(土)

梅雨が来る前に、思い立って魚沼市の道の駅ゆのたにまでやって来ました。一ヶ月前に山菜採りでここへ来た時に比べると、周囲の山に雪が殆ど無い。

今宵はここで、今年初の&新車で初の車中泊です。程よい暑さの爽やかな天気なので、今夜はグッスリ眠れそうです。

明日天気が良ければ、ここから車で1時間ほど離れた守門岳を登る予定です。心配なのは熊さんと残雪の状況、その前に自分の脚力が一番心配だ。 

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今年もアマリリスの花が咲いた。

2024年05月24日 | 日記

 今年も我が家のベランダで、真っ赤な花が咲きました。花の名前はアマリリス、花言葉は「おしゃべり」「輝くばかりの美しさ」だそうです。派手めな姿・形は私の好みじゃないけれど、周囲の風景を明るく彩ってくれます。

 そんなアマリリスの開花便りを、写真と共に季節の風物詩として毎年私のブログで紹介しているような気がします。2年前のブログ記事には、「新型コロナの蔓延、ロシアのウクライナ侵略戦争など、何が起ころうと毎年律儀に花を咲かせるアマリリス・・」何て書かれていました。

 今年になって新型コロナは沈静化したけれど、ロシアとウクライナの戦いは今だに続き、パレスチナでは新たな紛争が勃発している。そして諸物価の高騰が、庶民の暮らしにボデイブローのようなダメージを与えている。

 時代と共に科学技術は進歩していくけれど、人類の未来に明るい兆しが見えてこないのは何故なんでしょうかね?・・と物言わぬアマリリスに問うても仕方がない。花の開花は約一か月、しっかり花を咲かせて我が家を明るくしてください。

 

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最近夕食後のデザートはリアルなイチゴ牛乳です。

2024年05月22日 | 日記

 今はハウス栽培で一年中食べられるようになったイチゴだが、本来の旬は春から初夏にかけての季節だそうです。そのせいか最近何処の農産物直売所を訪れても、沢山のイチゴが販売されています。

JA東松山農産物直売所のイチゴ売り場

 売られているイチゴを見ると色形の良い物はそれなりに高価だが、不揃いで見栄えの悪い物は味は変わらないのに安値で売られている。妻は直売所へ行く度にそんな格安イチゴを買っている。

 買ったイチゴはデザートして、夕食後にテレビを見ながらのんびりと食べている。イチゴはいろいろな食べ方があるだろうが、生でそのまま食べても美味し、私的には下記のような要領で食べています。

 まずガラスの器にイチゴを入れ、少量のハチミツを混ぜた後に牛乳を注ぐ。そしてギザギザのついたスプーンで、イチゴを3~4等分に切って掻き混ぜる。すると牛乳はイチゴ色に変色し、これぞリアルなイチゴ牛乳です。イチゴの甘さと牛乳の濃厚さがコラボして、私にとってこれが一番美味しく感じられるイチゴの食べ方です。

リアルなイチゴ牛乳(スプーンでイチゴを3~4等分する)

 牛乳には睡眠ホルモンと呼ばれるメラトニンを生成する「トリプトファン」というアミノ酸が含まれているそうで、夕食後にイチゴ牛乳を食すれば、良質な睡眠も期待でき、一石二鳥の食べ方です。

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毛呂山町のテニスコートで暑気払いの飲み会

2024年05月20日 | お出掛け

 5月18日(土)

 毛呂山町のテニス仲間世話役のMさんから、「今度の土曜日に、テニスの後で飲み会やりましょう」とお誘いのLINEが私のスマホに届いた。月に数回お邪魔している毛呂山町のテニス、いつもは車で行っているが今日は飲み会があるので東武生越線の電車に乗って出掛けた。

 駅から歩いて10数分ほどのテニスコートへ来てみると、既にテントが張られていて宴席場の準備が整っていた。ここのコート面はコンクリートなので、陽射しの強い日はすこぶる暑い。チョットプレーをしただけで汗が滲み出てくるが、マッ汗を掻けば掻くほどビールが旨くなるので今日は大歓迎です。

 2時間ほどテニスで汗を流した後は、テントの下で飲み会が始まった。毛呂山町のテニス仲間の面々は、大半が昔の職場で知り合った人達です。定年後好きなテニスが縁で再び交流できるようになったのは、老後社会との関りが薄れがちなだけにありがたい事でした。

 飲む程に酔うほどに、昔の思い出話に花が咲く。物価高騰、政治の裏金、少子高齢化、地球温暖化、世の中暗いニュースばかりだけど、好きな時間に好きな事をやって旨いビールが飲める。何て良い時代に良い国で生まれた事かとシミジミ思う。

 こんな日本のどこがいいんだと、世を憂う良識ある方々からお𠮟りを受けそうですが、アルコールでネジの緩んだ脳が言わせた戯言と広い心でお許しください。

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新車の試運転を兼ねて、小川町の玉井屋さんまでお昼を食べに

2024年05月18日 | お出掛け

 4月14日(火)

 新しい車が納車された翌日、「試運転を兼ねて、小川町の玉井屋さんでお昼でもどお?」と妻が誘ってきた。運転したくて腕がムズムズしていた私は快諾して、まだ新車の香りが漂う車を走らせて小川町へと向かいました。

 小川町の蔵元「青雲酒蔵」が直営する和食店「玉井屋」さんは、我が家のお気に入りグルメで何度も訪れており、幾度かこのブログでも紹介している。開店早々の11時半前に着いたので、我々夫婦が一番乗りで席へ案内された。

青雲酒蔵

隣接する直営の和食店「玉井屋」

 お店の定食メニューは高い方から「雪御前¥2430円」「月御前¥1980円」「花御前¥1430円」と3種あり、我々は中庸の「月御前」を頼み、主菜は妻が「鮭の青雲漬け」、私は「豚ロースの青雲漬け」を注文した。

妻が注文した鮭粕漬けの月御前

私が注文した豚ロース粕漬けの月御前

四角い小鉢の総菜は、自由に好きな分だけトッピングできる。

 日本酒の蔵元だけにお店の特色は酒粕を使った料理で、味噌汁や総菜が濃厚な味わいで実に美味いのです。人気の高さを物語るように、誰も居なかった席もアッと言う間に埋まり、お昼ごろには順番待ちの列ができていた。

 美味しく料理を頂いた後は、直営売店で日本酒のお土産を購入し我が家へと戻りました。こんなに気楽にアチコチ出掛けられるのも、車あってのお陰です。次は何処へ行こうかと、侘しい年金暮らしに小さな夢が膨らみます。

 

 

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ジャジャ~ン、思い切って新車を購入

2024年05月16日 | 日記

 5月13日(月)

 清水寺のイヤ東京スカイツリーの上から飛び降りるつもりで、新しい車を買った。今まで乗っていたホンダフリード+はCMの言葉通り私にとって「丁度いい車」で、運転し易く車中泊も快適で気に入っていた。

 しかし7年目の車検を間近に迎えて今が換え時かなという思いもあり、ホンダの販売店へ顔を出したのが運の尽きっだった。旧知の営業マンのセールストークに乗ってと言うか乗せられて、新車購入の話がトントン拍子に具体化した。

 フリードは今年4月に新型が発売されたけれど、私が今回買った新車は旧型フリード+の最終世代です。それでも7年前の車に比べると異なる装備も多く、ハイブリッド車も初めてなので、運転してみて戸惑う面もありました。

今まで乗ってたフリード+

今回購入したフリード+

 カーナビとドライブレコーダーも奮発して一体型のハイグレード種を買ったのだが、多機能なのはいいけれど操作が年寄りには複雑過ぎて、シンプルで安価なものにすれば良かったと少し後悔しました。

 私は車体にもみじマークを貼らなきゃならぬ世代、高齢者運転に厳しい世間の目もあり車に乗らぬ選択肢もありました。しかし、たった一度の人生だから、も少しカーライフを享受したいという思いが勝りました。

 おそらくこれが、私の人生最後の車となるんでしょう。山本譲二のヒット曲「みちのく一人旅」風に言えば、「たとえどんなに冷たく視られても~♪お前が俺には最後の車~♪♪、たとえどんなに言われていても~♪お前が俺には最後の車~♪♪」です。安全運転最優先を心掛ける故、どうかご容赦下され。

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日本三百名山回顧№127富山県、薬師岳(百名山)

2024年05月14日 | 三百名山回顧

 北アルプスの南部の槍穂高連峰と北部の剣立山連峰を繋ぐ長大な縦走路の中間部に堂々たる山容を持ち上げている山が、「北アルプスの貴婦人」と呼ばれる薬師岳です。富山平野からは北に聳える剣岳の峻峰とは対照的に、たおやかな薬師岳を望む事ができます。

 その薬師岳に最初に登ったのは、昭和53年8月下旬に立山から薬師岳へ縦走した時でした。途中の五色が原で一泊し翌日の夕刻に達した山頂は、素晴らしい展望で私を迎えてくれました。

 山頂を後にしてその夜は、営業していない薬師岳山荘の避難小屋を仮の宿としました。誰も居ない狭い小屋で寝ていると、吹き渡る夜風が「ひゅ~う、ひゅ~う」と、まるで山で命を落とした岳人の叫び声のように聞こえてきます。(当時は冬の薬師岳で13名の愛知大生が遭難死した山岳遭難事故の記憶が、まだ生々しかったのです)

 この山行は槍ヶ岳まで歩く計画でしたが、この夜眠れぬ一夜を過ごした私はすっかり怖気づいてヤル気を無くし、翌日縦走を断念して折立へ下山したのです。それでも当時登山を始めて間もない私にとっては、忘れえぬ思い出深い登山でした。

昭和53年8月26日(土)~29日(火)

室堂~立山~五色が原~薬師岳~折立

五色が原から立山方面

鳶山から越中沢岳(左手前の山)と薬師岳(右奥の山)

北薬師岳から薬師岳

薬師岳山頂

山頂から遠く槍穂高方面

東南稜分岐から薬師岳山頂

 

 

 

 2回目は平成26年8月下旬に、妻と二人で薬師岳を登りました。この時は前回とは逆で、薬師岳から立山へ縦走しました。当時のブログにこの時の山行記録が残されていたので、下記に転載してみます。

 

平成26年8月27日(水)~29日(金)

北ア、薬師岳~立山縦走

8月27日(水)     天気=曇り後雨

08:35折立登山口→ 10:10~21三角点ベンチ→ 11:35五光岩ベンチ→ 12:16~57太郎平小屋→ 13:16~26太郎平テント場→ 14:06薬師平→ 14:47薬師岳山荘

立山駅前駐車場で車中泊の朝を迎えた。電車で有峰口駅まで行き、そこから折立登山口へ向かうバスに乗った。富山駅発の登山バスは予約制なので満席近い状況に乗せてもらえるか心配したが我々夫婦分の席を何とか確保できホッとした。

 8時半前にバスは登山口の折立に着いた。登山口にはトイレと休憩所と広い駐車場があるだけ、駐車場には10台程の車が停まっていた。バスを降りた乗客は粛々と出発して行く。我々もその列に従うように歩き始める。

折立登山口

 この折立コースを登るのは30年ぶりだ。その時は我々夫婦と山仲間のS子さん、F子さんの4人パーティで4泊の幕営縦走をしたのだがあの頃の若さが懐かしく思える。

 昨日は大雨警報の富山地方は今朝も雲行きが怪しい。雨の降らぬ事を祈りつつ登る。北アルプス登山は1年ぶりの妻も中々快調な脚取りだ。ジメジメした樹林帯の道を黙々と登り、約1時間半の歩きで三角点ベンチに着いた。

三角点ベンチ

 周囲は霧に覆われて何も見えない。この辺りから草原状の緩やかな道に変わる。時折薄陽も差して眼下に有峰湖が望まれた。五光岩ベンチを過ぎるとたおやかな尾根道が続き快調に進んで行く。

五光岩への登り(眼下に有峰湖が見えた。)

太郎平へ続く尾根道

 やがて稜線に太郎平小屋が小さく見え、お昼過ぎ広い台地に建つ太郎平小屋に着いた。売店でオデンを注文し屋外ベンチで昼食をとる。此処の展望は素晴らしく雲の平方面を眺めていると、雨雲が雨を降らせつつ東へ移動するのが見えた。

太郎平小屋が見えた。

太郎平小屋

 昼食を終えると薬師岳山荘目指し出発する。太郎平テント場で水を確保していたら突然の土砂降りとなった。大慌てで雨衣を装着する。登山道は水流が溢れ辛い登りになる。ケルンの建つ薬師平まで登ると緩やかな尾根道になり歩き易くなった。

太郎平から薬師岳への道

太郎平テント場

途中出会った雷鳥

 小雨降る中黙々歩いていたら白い霧の中から建物が現れ、14時47分薬師岳山荘に到着した。山荘内の施設は新しく綺麗で従業員の人も親切だ。とても快適な環境に感激した。

 夕食も下界の宿顔負けのご馳走で、「今日はお客が少ないのでオカズを1品おまけした。」と話す小屋のご主人に皆で拍手して喜んだ。屋外は冷たい霧雨が降り続いているが、小屋の中は暖かい天国でグッスリ熟睡する事ができた。

薬師岳山荘の夕食

 

8月28日(木)     天気=曇り

05:35薬師岳山荘→ 06:27~40薬師岳→ 07:24~40北薬師岳→ 08:53~57間山→ 09:54スゴ乗越小屋

 

 朝5時に朝食を取り5時半過ぎに山荘を出発する。辺りは昨日と同様霧に包まれているが雨が降らないだけ幸いだ。登っていると朝食前に薬師岳へ登った人たちが数名降りてきた。

薬師岳山荘玄関にて(出発時)

薬師岳山荘

 山荘から約50分ほどで薬師岳(2926m)に到着した。周囲は真っ白で視界数十m程、妻に山頂からの大展望を見せてやれないのが残念だ。一緒に登った単独の男性と互いに写真を撮り合い逆方向へ向かう彼とエールを交わして別れた。

薬師岳山頂

 薬師岳から北薬師岳の間は岩がゴロゴロした細い岩尾根で難渋し、45分も掛かってしまった。携行する地図には30分と記されていたが相当健脚で無くては30分で歩くのは無理だと思う。北薬師岳(2900m)は、山頂標識が建つだけの簡素な山頂で期待した眺望も駄目だった。

北薬師岳への岩尾根

北薬師岳山頂

 北薬師岳から先もしばらくは岩がゴロゴロして歩き辛かったが、だんだん広々とした尾根道に変わり降り易くなった。天気も上向き晴れ間も覗くようになる。やっぱり登山は天気が良くなくては楽しくない。

 間山(2585m)まで降ると山頂に大きなザックを持った白人男性が居た。拙い日本語で「友人と穂高までテント縦走する予定」と彼は言った。身体もデカイが体力も凄そうだ。

間山山頂

 間山から降るとすぐに白人女性2人とすれ違う。先程の彼の友人らしい。「ユアフレンド、オーバーゼアー」と拙い英語で教えてあげた。更に降って行くと湿地帯のぬかるんだ道に変り再び歩き辛くなった。だんだん疲れを覚えた頃、スゴ乗越小屋に着いた。

スゴ乗越小屋への下山道(遠くの山は越中沢岳)

 時間はまだ10時前でタップリあるが、次の五色ヶ原山荘まで三つの山を越えコースタイム6時間10分の道程だ。疲れてもいるし辛い歩きになりそうなのでスッパリ諦め、少し早いが今日はこの小屋に泊る事とする。

 昨日のモダンな薬師岳山荘と大違いで、スゴ乗越小屋は古い木造で素朴な佇まいの山小屋だ。これはこれで風情があって悪くはない。午後は缶ビールを飲みつつノンビリ読書タイムで過ごす。今宵の同宿者は我々夫婦を含めて6名、同じ同好の士として和気アイアイで話も弾む。5時過ぎ到着した私と同年配の単独男性は「新穂高温泉を出発して二日目で此処まで来た。」と言う。何という健脚かと驚いた。

スゴ乗越小屋

 夜中イビキが煩いと、妻から3~4度頭を突かれた。自分じゃあまり鼾を掻かない人間と思っていたが、老いかそれとも疲れがでてるのか。

スゴ乗越小屋の朝焼け

 追記・・翌日はスゴ乗越小屋から五色が原を経由して立山の室堂へ下山したのですが、文末には「団塊世代の我々夫婦にとって、高い峰々を貫く縦走登山は今後そんなに多く出来ないだろう。そういう意味で今回の登山は貴重なメモリアル登山になったのではと実感している。」と感想が書かれていた。

 

 

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日本三大奇矯の一つ、大月市の猿橋を見物

2024年05月12日 | 旅行

 5月6日(月)

 先日登山で大月市を訪れた際に、日本三大奇橋の一つに数えられる「猿橋」を見物した。この橋は大月市の歴史的な観光名所で、山歩きでこの辺りを訪れる度に気になっていたのだが、やっと実物を拝む事ができました。

 狭い峡谷の川面から31mの高さに架かるこの橋は、橋桁が無く両岸から張り出した4層の羽根木によって支えられる特殊な構造です。古い謂れによれば、西暦600年頃に百済から渡来した造園博士が、難航していた橋の建設中に、猿の群れが繋がって川を渡る姿にヒントを得て、この橋を完成させたと言われています。

 猿橋という名も、この謂れから名付けられたようです。江戸時代の浮世絵や芭蕉の句にも謳われている猿橋、近くに在る郷土資料館で大月市の歴史展示物と併せて見学すれば、より深い印象が残るのではと思います。

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山友のI夫妻から、突然山菜のお裾分け

2024年05月10日 | 日記

 5月9日(木)

 先月に山菜採りに誘ってくれた山友のIさんが、今度は「ワラビ採りに行かないか」と誘いの電話をくれたのだけど、チョット日程が合わないので申し訳ないけど断った。

 すると今日の夕暮れ時に、新潟県までワラビ採りに出掛けていたI夫妻が、都内の自宅へ戻る途中にワザワザ遠回りして我が家へ立ち寄り、収穫したワラビなどの山菜をお裾分けしてくれた。「お茶でもどうぞ」と誘ったが、「明るいうちに帰りたいから」と山菜を渡すやI夫妻は颯のように去って行った。

いただいた山菜

 貰ったのはワラビにウドにアケビのツル、いずれも美味そうなビールのお供になってくれそうな山菜です。お店じゃ買う事の出来ない旬な味なので、I夫妻のサプライズプレゼントに感謝々々です。

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山梨県、百蔵山~扇山登山

2024年05月08日 | 山歩き

5月6日(月)    天気=曇り時々晴れ

06:55大月郷土資料館駐車場→ 07:02~05猿橋→ 07:18中央道高架下→ 08:28~33百蔵浄水場→ 09:50登山道分岐→09:53~10:22百蔵山→ 10:55~11:05宮谷分岐→ 12:12大久保山→ 12:25~52扇山→ 13:25水場→ 13:50~59梨の木平→ 14:40~50桂川ウェルネスパーク→ 15:28大月郷土資料館駐車場

 

 混雑するゴールデンウイークは何処へも行かないつもりだったが、悔しい事に天気の良い日が続いている。お出掛け虫が何やら騒ぎ出し、連休最終日の今日渋滞覚悟で山歩きに出掛けた。

 向かったのはJR中央本線沿線の北に聳える百蔵山&扇山、朝早く出発したので圏央道~中央道は渋滞にも遭わず、スンナリ走れてAM7時前に猿橋駅近くの大月郷土資料館駐車場へ着いた。

大月郷土資料館

 此処に車を停めて、百蔵山目指して歩き始める。最初に桂川に架かる「猿橋」へ立ち寄ってみる。日本三大奇橋の一つであるこの橋を、機会があれば見物したいと思っていたのです。

 猿 橋

 見物を終えると、橋を渡って県道505号に出る。県道の少し先に右へ分岐する細い道があったので、ショートカットコースだろうと思いこの道に入る。

 しかし進むにつれて踏み跡は怪しくなり、何度か道に迷って百蔵浄水場傍の登山口へ着いた。登山地図に記された登山コースを歩いていれば半分のタイムで来れただろうに、「急がば回れ」で近道のつもりが大失敗だった。

廃道寸前の道を進む

百蔵浄水場

百蔵山東コースの入口(左の車道は西コース)

 登山口から百蔵山への東コースは、標高差450mで距離は短いが急登が続く。辛い急坂を耐えつつ登る我々を、所々に咲くツツジの花が癒してくれる。

所々に咲くツツジの花

登山道に祀られた小さな石地蔵

稜線直下は鎖場が続く急登

 やがて稜線上の登山道分岐に着き、そこを左へ曲がって3分ほど進むと百蔵山(1003m)の山頂だった。山頂からは南面に展望が開き、雪帽子を被った富士山や丹沢の山波を望む事ができた。山頂のベンチに腰を下ろしコーヒーブレイクで30分ほど休憩し、疲れた身体を休める。

稜線上の登山道分岐

百蔵山山頂

山頂から富士山

 休憩を終えると山頂を後に、扇山へ向かう尾根道を降って行く。急な降りがだんだんと緩んで小さなアップダウンを繰り返しながら進んで行くと、右へ下山の道が分岐する宮谷分岐へ着いた。

宮谷分岐(ここで一休みする)

 宮谷分岐から扇山に向っては、長い登りの道が続く。これが最後の登りと我慢の歩みを続けていると、徐々に傾斜が緩んで小さな山頂標識がある大久保山(1109m)へ着いた。

大久保山山頂

 ここまで来れば扇山は登ったも同然、緩やかな尾瀬道を10数分歩いて広々とした草原の扇山(1138m)に着いた。山頂では2組のパーティが思い思いに寛いでいた。

扇山手前の梨の木平分岐

 この山頂からも木の間越しに残雪の富士山を望む事ができた。此処でも30分ほどティータイムを楽しんで山頂を後にする。来た道を数分戻って、登山道分岐から梨の木平への下山の道に入る。

扇山山頂

山頂から富士山

 ジグザグに刻まれた下山の道は歩き易く、快調に降って行く。しばらく降ると「奥宮祠」と記された石の祠が鎮座し、その下にコンコンと清水が湧き出る水場があった。

奥宮下の水場

 疲れが溜まったのか妻の歩みがだんだん遅くなってきたが、やがて下に車道が見え梨の木平の登山口に着いた。これから先はクネクネ曲がった単調な車道歩きが続き、途中の桂川ウェルネスパークレストハウスで一休みする。

梨の木平の登山口

梨の木平から長い車道歩き

桂川ウェルネスパークのレストハウス

 レストハウスから更に30分ほど歩いて、15時半頃車を停めている大月郷土資料館駐車場へ戻って来た。朝7時前に此処を出発してから、約8時間半の長い山歩きが終わった。

 実を言うと扇山は、妻と私が結婚前に初めて一緒に登った山で、我々夫婦にとって思い出深き山です。あれからン~十年、妻と私は玉手箱を開けた浦島太郎のようにすっかり年老いてしまったが、扇山は変らぬ景色で優しく我々を迎えてくれました。齢と共に山々が高く険しく思えてくるが、二人で助け合いつつこれからも思い出の山を巡って行きたいものです。

 

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妻が美術全集を処分、終活の一環何だろうか?

2024年05月06日 | 日記

 我が家の書庫でズラリと収められていた美術全集を、妻が突然処分し始めた。それらの全集は妻が独身時代に購入したもので、全部で三十数冊有り当時でも相当高額な価格であったに違いない。

 「神田の古本店かブックオフにでも持ち込めば、けっこうな金になるのでは」と妻に進言したが、頑なに耳を貸さず紙屑類ゴミとしてとして何回かに分けて処分した。(何しろ1冊1キロ以上の重さなので)

処分した美術全集の一部

 妻としては終活作業の一環で、美術全集を処分したんだろうか?だとしたら私が毎月購入している月刊誌「山と渓谷」も、ザッと数えて数百冊が我が家の書庫で眠っている。

 終活を考えたらこれも少しは処分しなければと思うけれど、山への未練が残っているので中々処分できない。本や雑誌だけでは無く、山の道具だってもう使わない物がけっこう残っているが、これらも処分すべきなんだろう。

 だけど優柔不断な私は、中々決断できないでいる。いっその事「後期高齢者高度登山用具使用禁止法」何て法律でもできてくれれば、ピッケルやアイゼン、岩登りの道具など捨てる決断がつくんだけど・・。

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今年は何だか地震が多いような気が?

2024年05月04日 | 日記

 自分の古いブログをチェックがてら見ていたら、「M7級首都圏直下型地震が起きる確率は4年以内に70%・・死者は1万人以上、損害額は120兆円と甚大なる被害が予想されます。」と書かれた記事を見つけた。

 これは当時の東大地震研究所が発表した試算をネタに、平成24年1月24日にブログ掲載したものでした。これを書いた時から既に12年の歳月が過ぎたので、この予想は幸いにして的中しなかった事になります。

 だから良かったと、単純に喜ぶわけにもいきません。関東大震災から既に100年余の歳月が過ぎ、大地震発生の確率が年々高まっているのは間違いの無い現実だからです。

 そう言えば元旦に発生した能登半島地震も含めて、今年は例年より地震の発生回数が多いような気がする。これが杞憂であって、平穏な一年であればよいのですが。・・

 東京都が発表した最新の地震災害想定によれば、M7クラスの直下型地震が首都圏で発生する確率は「今後30年で70%」だとか、身勝手だけど「私が生きているうちには絶対起きてくれるな」と強く願うところです。

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