最近はオリンピックネタばかりだったが、久々の三百名山回顧は、越後の名峰「火打山」です。火打山は頚城山塊の最高峰で山頂からは360度の大展望、視界が良ければ北アルプス連峰や富士山、そして日本海の佐渡島まで望む事ができます。又中腹に点在する池塘や湿原、そこに広がる高山植物も美しい見所です。
過去の記録を紐解くと、私は4度火打山の山頂を踏んでいます。最初は昭和55年9月の頃で、この時は単独で火打山から妙高山へ縦走したが、あまりに古い話で殆ど記憶に残っていません。
火打山山頂(昭和55年9月21日)
二度目は平成21年8月に笹ヶ峰高原から妻と二人で登りました。最後は平成26年9月に単独で焼山に登った時、通過点として火打山の山頂を2度踏みました。この中で妻と登った2度目が一番印象深く、その時の記録が私の古いホームページに載っていたので下記に転載してみます。
火打山山頂(平成26年9月28日)
平成21年8月17日(月) 天気=晴れ
06:05笹ヶ峰登山口→ 06:48~58黒沢出合→ 08:13富士見平→ 08:53~09:18高谷池ヒュッテ→ 09:33天狗ノ庭→ 10:42~11:01火打山→ 11:48天狗ノ庭→ 12:04~12:21高谷池ヒュッテ→ 12:56~13:05富士見平→ 14:09~14:14黒沢出合→ 14:47笹ヶ峰登山口
前日は関越道~上信道の週末渋滞を避けてお昼過ぎに我家を出発、思惑通りさほどの渋滞も無く15時過ぎに登山口がある笹ヶ峰高原へ着いた。此処には国民休暇村が管理する設備の整った美しいキャンプ場があり、テントを張って快適な一夜を過ごした。
当日は4時45分に起床、4時ジャストの予定が快適過ぎて寝過ごした。朝食を終え6時過ぎに登山口の木製ゲートを潜って出発する。樹林帯の登山道は木道が整備されて実に歩き易い。
登山口の木製ゲート
登山口から40分ほどで黒沢に架かる橋に到着、ここから十二曲がりと呼ばれるつづら折りの急登が始まる。気温は高いが乾燥した暑さなので意外と汗も掻かず心地よい。
平日なのに登山者が多く、大半は中高年の人達だ。百名山に連なる山だけに人気がある。「十二曲り」と記された道標を過ぎると、今度は尾根の急登になる。
冨士見平は黒沢ヒュッテへの道が分岐する地点で休憩ポイントだ。名前から察すると視界が良ければ富士山が見えるのだろうか。ここから黒沢岳の西側を横切って行く。途中から火打山や焼山の丸い山頂部が垣間見えるようになった。草原の木道を過ぎ、やがて妙高市営の高谷池ヒュッテに着いた。
高谷池ヒュッテと高谷池
ヒュッテ前の休憩場は大勢の登山者で賑わっている。我々もテーブルを確保して休憩に入る。此処のヒュッテは環境には大変厳しいようで、購入した飲食物の容器もトイレで使用した紙も全て登山者の持ち帰りになっている。
食事を終えてヒュッテを出発する。振り返ると高谷池の池塘の奥に三角形をしたヒュッテの建物が実に絵になる。まるでスイスアルプスの山小屋を見るようだ。環境に煩いだけの事はあって、自然の中に溶け込んでいる。
ヒュッテから15分ほど歩くと、天狗の庭と呼ばれる湿原が広がる。水面に火打山の丸い山容が映る爽やかな眺めで、天狗に独占させるには惜しい天井の楽園だ。
天狗の庭
湿原の東端を通過して、山頂へ向け標高差300m余の登りが始める。中腹には先行する登山者の姿がちらほら見える。病み上りの妻は体調が良くないのか脚取りが重くなってきた。ジグザグに木道を詰め、茂みを潜るとヒョッコリ火打山の山頂に着いた。
山頂直下の登山道
火打山山頂
山頂では老若男女10名以上の人々が寛いでいる。私には30年以上前の秋に登って以来、2度目の山頂である。夏空の下、西は焼山から金山~天狗原山へ続く稜線、その奥に先月登った雨飾山のピークも見える。
西側の金山方面
東は峰続きに妙高山、その右奥の山塊は志賀の山々だろうか。白馬三山を始めとする北アルプスの峰々も、西に遠く煙って見える。頚城山塊最高峰の眺めは天下一品だ。
妻は疲れからかあまり元気が無い。記念の写真を撮り終えると往路を下山する。高谷池ヒュッテで一息入れ、岩と木の根っこで歩き難い黒沢岳の山腹道を経て、冨士見平から十二曲りを降る。
午後になっても登って来る登山者は尽きない。高校生の団体が元気に声を出して登って来る。黒沢の橋に降り立って一安心、後は整備された木道を降って14時48分に笹ヶ峰のキャンプ場へ戻って来た。
車に乗ると、池の平温泉のランドマークで山の汗を流す。広々した浴槽がとても気持ちよい温泉だ。風呂上がりの妻に、「この一ヵ月で百名山を三つも登ったね」と言うと、満更でもない笑顔が返ってきた。