Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

奥武蔵、飯能アルプス(子ノ権現から東飯能駅まで)

2018年12月31日 | 山歩き

12月30日(日)       天気=晴れ

 

07:50吾野駅→08:33浅見茶屋→ 09:00~26子ノ権現→ 10:11~18522mピーク→ 10:30林道出合→ 11:08大高山→ 11:50~12:10天覚山→ 12:24東峠→ 12:33高圧電線鉄塔→ 13:05~11久須美坂→ 13:37車道(永田通り)出合→ 14:04~20多峯主山→ 14:40能仁寺→ 15:01東飯能駅

 

 長年山登りをやってるから関東周辺の山は殆ど歩いたつもりだが、意外と近郊の低山に空白の山域が残されている。奥武蔵の子ノ権現から飯能市に至る稜線もその一つで、いつかは歩こうと思っていたので冬晴れの今日チャレンジする事にした。

 電車を乗り継いで朝7時40分頃西武秩父線の吾野駅に着いた。此処からスタートして歩き始める。駅から西へ進むと吾野鉱山入口付近を通り線路沿いにしばらく進むと、秩父御岳神社傍の交差点に着く。此処を左折して子ノ権現に向かう沢沿いの車道に歩いて行く。

 西武秩父線、吾野駅から歩き始める。

 吾野鉱山入口付近を通過

 線路沿いを進む。

 交差点を左折する。

 吾野駅から30分程で浅見茶屋に着いたが、時間が早いせいかまだ店は閉じていた。浅見茶屋の少し先にある木橋の所から登山道に変る。植林帯の道を30分程登ると再び車道に出て、その先が子ノ権現天竜寺の門前だった。

 浅見茶屋

 橋の所から登山道が始まる。

 植林帯に続く登山道

 子ノ権現近くの車道に出る。

 子ノ権現入口

 ここまでは問題なく歩き、一休みの後大高山へと出発しようとしたが、登山道が見つからない。10分程探し回ったら、駐車場下の標示板脇に東へ向かう踏み跡を見つけた。

 子ノ権現の高台から東側関東平野の眺め

 駐車場下標識の右から登山道が始める。

 踏み跡は明瞭で、もう迷う事は無く歩いて行ける。この辺りで標高500m前後、樹林帯で複雑な地形の尾根道で標識の類も殆ど無いから、がどの辺を歩いているか判断が難しい。地図に記載されている「スルギ」と地名標識を見つけて自分の位置が判った。

 樹林帯の登山道

 小さく「スルギ」と書かれた標識

 小さなアップダウンを幾度越えて行くと40分余で522m峰に着いた。狭い山頂には三角点標石だけで標識は無く、石灰石を産出する吾野鉱山の採掘現場が眼下に望めた。山頂から10分程で舗装された林道に出て、大高山への登山道は何処かと探しつつ林道をしばらく歩いていたら、逆方向から単独の男性が来て、「すぐ下に登山道の標識がありますよ。」と教えてくれた。

 522m峰の山頂

 山頂から吾野鉱山の採掘現場

 登山道から林道に出る。

 言われたとおりすぐ下に大高山への登山道入口があり、尾根に向かう登山道に入る。大高山へ至る道は急登で、岩っぽい箇所もある。522m峰から50分程で大高山(493m)に着いた。山頂からの展望はパッせず、北風が寒いので休まずに通過する。

 車道から大高山への登山道入口

 登山道が交差する前坂の標識

 大高山へ向かう岩場の道

 大高山山頂

 道沿いの標識に「飯能アルプス」と記されているのを見て、この尾根道が飯能アルプスと呼ばれている事を初めて知った。今日のコースでは大高山から天覚山に掛けての間がアップダウンも大きく、飯能アルプスの核心部と言えそうで行き交うハイカーも多い。

 幾度もアップダウンを繰り返しながら歩いて、立派な看板がある天覚山(446m)に着いた。山頂からは東の展望が良好で、広い関東平野が見渡せた。此処で栄養補給してしばらく休憩する。

 天覚山山頂

 山頂から関東平野の眺め

 天覚山から15分程降ると車道が尾根を横切る東峠に着き、峠から東へ登山道を進むと間もなく高圧電線鉄塔下を通過する。更に進むと右手はゴルフ場となり、樹木で阻まれフェアウェーは殆ど見えなかったが、ゴルファーの笑いさざめく声が微かに聞こえた。

 天覚山を降って東峠近くの車道に出る。

 高圧電線鉄塔下を通る

 ゴルフ場脇の道も小さなアップダウンが幾つも続き、けっこう疲れた。ゴルフ場を過ぎて僅かに降ると登山道が交差する久須美坂であった。久須美坂から僅かに登ると永田山(278m)で、樹間越しに飯能日高団地のニュータウンが望めた。

 永田山山頂

 永田山付近から飯能日高団地を望む。

 永田山から緩やかに降ると団地の住宅街に降立ち、家々の脇を通過する。涸れた遊水池の脇を抜けると、永田通りという団地の貫く車道に出る。多峯主山への道がハッキリせず、永田通りを左折してファミリーマートのある交差点で右に曲って、住宅街の緩やかな車道を東へ歩いて行く。

 住宅街の傍を歩く。

 永田通りの交差点を右に曲がる。

 住宅街の道を歩く。

 しばらく進むと車道はゲートで通行止めとなり前進を阻まれたが、左手の住宅脇に歩道入口があったので、そこから歩道をしばらく歩くと多峯主山直下に達し、僅かな急登で多峯主山(270m)に着いた。

 住宅脇の階段を登る。

 多峯主山へ向かう登山道

 山頂は360度の展望で、今日一番のビューポイントだった。市街地から手軽に登れるせいか次から次と人がやって来て、この山は飯能市民の山という感がある。

 多峯主山山頂

 山頂から歩いて来た子ノ権現方面(住宅街は飯能日高団地)

 山頂から飯能市街地と東京都心部方面

 山頂から富士山方面

 山頂から良く整備された遊歩道を降って、アッケなく街中へ降り着いた。車でよく通る能仁禅寺の前を通過して、市街地を20分程歩き午後3時過ぎに東飯能駅へ到着した。軽く打上げの一杯をやりたかったが、駅前に気の利いた飲み屋は無く、電車で川越駅まで行って、駅前の居酒屋で一人慎ましく祝杯をあげた。

 山頂から遊歩道を降る。

 能仁寺門前

 東飯能駅に到着

 今日初めて歩いた飯能アルプスは、子ノ権現から飯能市内まで一気に歩くとかなりの健脚コースで低山ハイキングと侮れない。それだけに充分に歩いた満足感があり、山歩きの良いトレーニングになった。

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カトマンズ市内観光巡り&帰国

2018年12月30日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

 11月8日(木)     天気=晴れ

 

カトマンズ市内観光 

 ホテルで朝食を終えた後、カトマンズ市街地の西部に建つスワヤンプナート寺院へ行ってみる事にした。ガイド本「ネパールの歩き方」の地図を頼りに妻とホテルを出発する。

 お祭りで祝日のせいか、道路はいつもの渋滞が無い

 タメル地区の商店街を抜け埃っぽい市街地を通って、ヴィシュヌマティ川に架かる橋を渡ると遠くに白い仏塔が見えてきた。

 朝方のタメル地区も人が少ない

 スワヤンプナート寺院へ向かう市街地

 ヴィシュヌマティ川に架かる橋を渡る

 白い仏塔が遠くに見えた

 寺院は丘の上に在り、そこへ至る階段が意外に長くて汗を滲ませ登った。階段を上がった所が料金所で、外国人は一人4ドル徴収される。(現地の人は無料)色黒で現地人と見紛う風貌の私はバレないと思ったが、しっかりお金を取られた。(妻と一緒に行ったのがまずかったか。)

 階段下の寺院入口

 長い階段を登る

 階段最上部(左の建物が料金所)

 スワヤンプナート寺院は高台の上に建ち、中心に白い仏塔があって周囲を寺院や土産物店などが取り囲んでいる。又展望も良くてカトマンズ市街地を見渡せたが、スモッグで霞んだ風景だった。

 カトマンズ市街地を睨む白い仏塔

 寺院の建物

 同 上

 寺院内の土産物店

 寺院から市街地の眺め

 階段下の門前商店街

 再び川を渡って戻る

 下町の商店街という雰囲気

 商店街の肉屋さん

 タメル地区に戻って来た

 寺院からホテルへ戻ると、お昼は全員でサンセットビューホテル内にある蕎麦店「ヒマラヤソバ処」へ向かう。此処は西遊旅行社定番の料理店のようで、全員そば定食を注文した。日本の蕎麦に比べると切れ味はイマイチの感であったが、ボリュウムもあって中々美味しかった。

 蕎麦処があるサンセットビューホテル

 ヒマラヤ蕎麦処の店内

 ボリュウムある蕎麦定食(蕎麦はお代り自由)

 午後は有志の人だけで、カトマンズ市内半日ツアー(一人5千円)に出掛けた。参加者はYさん、Mさんに我々夫婦の4名で、現地の女性ガイド、プローバさんの案内で、ワゴン車に乗り込み出発する。

 車中から、行列ができている映画館(殆どインド映画だそうです)

 最初はネパール最大のヒンドゥー教寺院があるパシュパティナートへ向かう。寺院の入口で入場料をプローバさんが払う。(スワヤンプナート寺院と同じく此処も外国人のみ4ドル徴収される。)

 パシュパティナート寺院の入口(料金所)

 寺院内に入ると土産物店が並び、店員が競うように声を掛けてくる。最初にバグマティ川沿いにある火葬場(アルエガート)を見学した。プローバさんの説明では、「死者は川辺で火葬されると遺灰は全て川に流される。」との事だ。だからカトマンズには墓地が無いそうだ。

 火葬前、死者に弔いの飾り付けをする身内や友人の人達

 今も2箇所が火葬の最中で、対岸から外国人を中心に大勢の人が見学してる。火葬場が観光名所というのも驚きだが、死者を見慣れぬ我々にとっては一寸ショッキングな光景だった。真ん中に在る橋の右側が金持ち用で左側が庶民用焼き場だそうで、死んだ後でも歴然とした格差があるようだ。

 火葬の光景(死者の長男が火をつけるそうだ)

 火葬場の対岸にある仏塔群(前に居る人達は火葬場を見物している人)

 仏塔群を横から見ると

 次にパシュパティナート寺院へ向かった。ここはネパール最大のヒンドゥー教寺院で信徒以外は院内に立入る事ができない。信徒の人は門外で裸足になって参拝している。ネパール人以外にインドの人も多いようだ。我々は門の外から中を眺めただけだった。

 地震で損壊した寺院の修復現場

 ヒンドゥー教徒しか入れないパシュパティナート寺院の門

 門の入口で写真を撮るインド人の親子

 再び車に乗ると次はボダナート寺院へ向かう。此処にはネパール最大の仏塔が在り、それを取り囲んで賑やかな商店街となっている。此処でも外国人は一人4ドル徴収された。

 ボダナート寺院のネパール最大の仏塔

 仏塔の上で記念写真

 同じく仏塔の上から

 仏塔と外周の商店街(殆どチベット族の店)

 同 上

 仏塔を見物した後商店街を巡ったが、その一隅に明治時代に日本人で初めてチベットを探訪した仏僧にして探検家の河口慧海を讃えるプレートが設置されていたのは意外な発見だった。

 河口慧海を顕彰するプレート

 ガイドのプローバさんが我々をチベット仏画を販売する店へ案内してくれた。1階が販売フロアーで、2階に工房があり数名の絵師が仏画を描く作業をしていた。販売されている絵は、数千円の物から高い物では数万円の絵もあった。

 チベット仏画の工房

 プレーバさんと店の主人が熱心に説明してくれたけれど、土産物にしては高価だし、結局誰も購入しなかった。ボダナート寺院の商店街を一巡した後、再び車に乗って午後3時半頃ホテルへ戻った。

 車中から街の風景

 夕食は再びニマさんの案内で、ネパール料理店「ウッサブ」を訪れた。ネパール伝統料理のダルバートをツマミに飲むビールが実に美味であった。この店にはステージがあって、双子?の美女が踊る民族ダンスを見ながらの食事であった。

 ネパールレストラン「ウッサブ」の店内

 ダンサーの女の子

 別の女の子

 最後は二人一緒に踊る

 ダンスは日本の盆踊りを早回ししたような感じで、真剣な表情で艶やかに踊る彼女達は日本のAKBにでも仲間入りすれば、けっこう人気が出るかも知れない。

 

 

 

 

 11月9日(金)

 帰国の途へ

 

 宿泊するアンナプルナホテルの朝食はレストランでのバイキングだが、これがメニューが多くてどれも美味しい料理ばかりだった。今日は帰国の飛行機に乗るだけなので、セコイ私はランチ用にとパンを隠し持ち部屋へ戻った。

 ホテルのバイキング朝食

 荷物を整理して午前10時半にホテルを出発、空港へ向かう。今日のカトマンズはお祭りの祝日なので、渋滞も無く15分程で空港に着いた。空港の入口で見送りに来たニマさんとお別れする。彼は本当に優れたリーダーで、我々の旅を素晴らしいものにしてくれた。

 見送りに来たニマさんと一緒に記念撮影

 カラパタール登山を終えた後、「お二人は本当に強いです。」とニマさんが誉めてくれた事は、お世辞かもしれぬけれど我々夫婦にとっては何より嬉しい言葉だった。

 カトマンズ空港は相変わらずの混雑だったが、我々を乗せたタイ航空640便は1時間程の遅れでカトマンズ空港を飛び立ち、午後7時過ぎバンコク国際空港に到着した。此処で関西空港への飛行機に搭乗するYさん、Mさん、T子さんとお別れとなり、我々は午後10時30分発のタイ航空成田行きの便に乗り、翌10日の朝6時過ぎ朝靄煙る成田空港へ戻って来た。

 国際線待合ロビー

 1時間遅れで搭乗

 朝焼けの上空

 朝靄の成田空港へ着陸

 19日間の旅を終わってみれば素晴らしい日々の連続で、この眼で見たヒマラヤの風景が夢のようにも思えてくる。チャンスがあったら来年も又こんな旅がしたくなった。

 

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トレッキングを終え、カトマンズへ戻る。

2018年12月28日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

 11月7日(水)     天気=晴れ

09:00ルクラ → 10:30カトマンズ

 シェルパロッジで迎えた朝は快晴で、これでカトマンズへ帰る飛行機に乗れると一安心。トレッキング最後の朝食を終え、シェルパ頭のニマさんと添乗員のCさんを除く他のスタッフとは此処でお別れする。時間が無くて大して感謝の言葉も言えぬまま、慌ただしい別れとなったのは残念だった。

 ルクラ空港の朝

 ルクラ空港は行く人来る人で大混雑しており1時間以上待たされたが、ニマさんの手際よい采配で、9時過ぎの飛行機に搭乗ができた。(個人だったら半日経っても乗れなかったかも知れない。)飛んでしまえばアッいう間で、10時30分にはカトマンズ空港へ戻って来た。

 テラ航空の飛行機に搭乗

 機内の様子

 ヒマラヤの高峰が遠ざかる

 カトマンズへ戻ってきた。

 現地ガイドのサンタさんが車で出迎えてくれ、トレッキング前に泊ったアンナプルナホテルへと向かう。サンタさんに「如何でした?」と訊かれ、「サンタさんから貰ったカタのお蔭で素晴らしい旅ができました。」と応えた。

 カトマンズ空港国内線の出口

 アンナプルナホテル

 お昼はホテル近くの日本料理店「古都」ですき焼き定食を食べ、久々の和食を満喫した。その後ホテルの部屋に戻り、念願のお風呂にドップリ浸かり2週間分の垢を落す。

 散策コース

 フリータイムの午後は、ガイド本「ネパールの歩き方」を片手に妻と市内散策に出掛けた。カトマンズ市内は今お祭りの最中で、アチコチの店先ではカラーパウダーを使った絵模様を飾られていた。

 店先でパウダーを使い絵模様を描く(神様を迎え入れる為だそうだ。)

 最初に市内最大の観光名所、ダルバール広場へ向かう。ホテルを出て広場への道は門前町のような商店街で、お祭りを祝う人々で大混雑している。そんな道を平気でバイクや車が突っ込んでくるものだから事故が起きないのが不思議な程だ。

 ダルバール広場へ向かう道

 同 上

 同 上(花飾りを売る出店)

 人波に押されながら辿り着いたダルバール広場は、旧王宮跡地で由緒ある古い建物が立ち並んでおり、日本で言えば浅草みたいな雰囲気だった。幼い女児の生き神様が住むクマリの館では、日本人ツアー客相手にガイドのおじさんが日本語で解説してたので、隣で盗み聞きした。

 ダルバール広場

 クマリの館前景

 日本人客に説明するガイドのオジサン(真ん中の人)

 広場周辺の建物の多くは3年前に発生した大地震で損傷を受けており、中国や日本など外国の援助で修復工事が行われていた。広場から同じ道を戻りたくなかったので、違う道を歩いたけれど、こちらの道も随分賑わっていた。

 旧王宮の建物(中国の援助で修復中)

 土産物の装飾品を売るノミの市みたいな出店

 その後トレッキング前にも訪れたタメル地区の商店街に立寄った。此処はカトマンズ市内で外国人が一番集う繁華街で、登山用具店やホテル、レストラン等が軒を連ねいつも賑わっている。しばらく土産物など物色し、ホテルへ戻った。

 夕闇のタメル地区商店街

 タメル地区中心部に飾られた大きな絵模様

 高級靴店の鮮やかな絵模様

 店先でお祭りを祝って踊る女性達

 夕食はニマさんの案内で、ホテル近くに在るオッピングという名のレストランで、火鍋を使ったチベット料理を美味しく堪能した。日本へ帰れば和食はいつでも食べられるから、こんな異国料理の方がありがたかった。

 夕食はレストランでチベット料理を堪能(左奥がニマさん)

 

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来年の年賀状は、必要最小限に

2018年12月26日 | 日記

 先日のブログで、「もう年賀状を出すのは止めようか。」と呟いた事があった。実際に止めてしまった人も知人に何人か知っているし、70歳の大台になった終活の一環として考えないではなかったが、一気に止めてしまうのも躊躇われた。

 そこで来年の年賀状は必要最小限に絞って書く事にした。そうすると必要な年賀はがきは20枚もあれば事足りた。出さなかったのに、年賀状を頂いた方には、その都度年賀状を書こう。

 我家の年賀状は極めてシンプル、レイアウトは毎年同じで写真と干支の動物を入れ替え、年号の数字を変えるだけ、30分足らずで来年の年賀状が出来上がった。賀状の数の減少に比例して、人間関係もだんだん気薄になってくるようだ。

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奥武蔵、蕨山~藤棚山

2018年12月25日 | 山歩き

12月24日(月)       天気=晴れ

08:10名郷バス停→ 08:23林道終点→ 08:54尾根上→ 09:47橋小屋ノ頭分岐→ 09:50~10:20蕨山(展望台)→ 10:41~47藤棚山→ 11:09大ヨケノ頭→ 11:20林道出合→ 11:57~12:02金毘羅神社跡→  12:13見晴→ 12:30さわらびの湯駐車場

 

 先月カラパタールトレッキングから戻って以来一度も山へ行っていないので、無性に山が歩きたくなり奥武蔵の蕨山へ出掛けた。早朝我家を出発し、名栗湖傍のさわらびの湯温泉駐車場に車を停める。

 此処からバス(バス代350円)に乗り蕨山登山口がある名郷に着いた。今朝は冬晴れの天気だが、吹く風が凍えるように冷たい。入間川源流に架かる橋を渡ってしばらくダートの林道歩く。

 名郷のバス停

 20分程で林道は尽き、此処から登山道が始まる。最初からジグザグの急登だ。小沢を渡ると今度は直線状の急登になる。林道終点から30分程で尾根に達し此処を左に曲って、尾根道となる。

 林道終点

 登山道入口

 樹林帯の急登

 尾根に着いた途端西からの冷たい風が身体を身震いさせる。蕨山山頂へ向かう尾根道は中々急登で、途中には幾つか岩場や小さなアップダウンもあり変化に富んだ道だ。

 尾根到達地点

 途中の岩場

 凍える寒さで休む気にもならず、名郷を出発して一度も休憩せずに蕨山(1033m)に着いた。誰も居ない山頂は北側に展望があり、秩父の武甲山や関東平野が望まれた。ベンチに座るとコンロでお湯を沸しカップヌードルとコーヒーで身体を暖める。

 山頂手前の登山道分岐

 蕨山山頂

 山頂から北の眺め

 休憩を終えると東に延びる尾根を降って行く。金毘羅山へ向う尾根道は樹林に覆われ展望こそ無いものの、緩やかなアップダウンが続く快適なハイキングコースだ。

 緩やかな尾根道

 蕨山から20分程の歩きで藤棚山(920m)に着き、更に20分余歩いて大ヨケノ頭(771m)に着いた。いずれも標識が無ければ山頂と気付かぬ小さなピークで展望もパッとしなかった。

 藤棚山山頂

 樹間越しに見る名栗湖対岸の棒ノ折山方面

 西南の川苔山方面

 大ヨケノ頭山頂

 大ヨケノ頭を降ると林道が交差する。峠付近に4WD車が3台程停まっていたが、猟犬の鳴き声も聞こえたので狩猟ハンターの車だろう。林道を越えるとしばらくゆったりとした平坦な尾根が続く。

 尾根越えの林道が交差する

 平坦な尾根道が続く

 黙々と歩いていると向こう側から銃を背負ったオジサンが一人歩いて来た。「何を獲っているんですか?」と訊ねたかったが言葉を交わす事無く会釈して通り過ぎて行った。更に進むと右手前方下に名栗湖の青い湖面が樹間越しに望まれた。

 すれ違ったハンターのおじさん

 右下に名栗湖が見えた

 この尾根の何処かが金毘羅山のはずだが、山頂標識が見つからず結局どこが山頂か判らぬまま通り過ぎてしまった。しばらく尾根を降ると簡素な鳥居が建つ金毘羅神社跡地へ着いた。過って此処には神社が在ったそうだが火災で焼失し、今は小さな石の祠だけがポツンと残されている。

 金比羅神社跡地の鳥居

 跡地の石の祠

 鳥居を潜って更に尾根の急坂を降り、雑木林の中を進んで行くと、「見晴」と記された標識が立つ場所に着いた。地名からすれば眺めの良い場所であったのだろうが、今は樹木が育ち過ぎて全く展望は無い。

 「見晴」を過ぎても展望の無い樹林帯の降りが続き「さわらびの湯バス停0.5キロ」と書かれた標識の所で右に曲り、少し降ると程なく車道に出て、さわらびの湯駐車場に到着した。

 「さわらびの湯バス停0.5キロ」と書かれた標識

 墓地の左脇から車道に出る

 バス停横の駐車場到着

 車に乗り込むと早速さわらびの湯へ移動し、登山の疲れと汗を流す。此処は飯能市名栗地区にある貴重な日帰り温泉で、奥武蔵のハイキングに訪れた折りにはよく利用する。大人料金800円と少し割高だが、露天風呂もあて雰囲気はとても良い。週末はいつも混み合うのだが、冬場のせいか入浴客はそれ程いなかった。

 日帰り温泉「さわらびの湯」

 今日歩いた蕨山ハイキングコースは展望こそ恵まれないものの、登山道は明瞭で程々に変化もあって楽しい道程だった。何よりゴールが温泉というのが嬉しい。春秋のベストシーズンは混み合うと思うので、初冬の今が一番お勧めの時期かも知れない。

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カラパタールトレッキング14日目~15日目

2018年12月23日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

11月5日(月)     天気=曇り時々晴れ

 

ナムチェバザール08:06→ 10:20モンジュ→ 13:50バグディン(歩行5時間)

 

 ヤクのキャラバンの後を従うようにナムチェバザールを出発する。此処を降ればルクラまで深い谷間の道となるので、もうエベレストを始めとするヒマラヤの高峰群を望む事はできない。トレッキングもいよいよ終盤に近付いたなと実感する。

 ナムチェの商店街をヤクのキャラバンのお通り

 ドードコシ川へ降る道の休憩ポイントでエベレストの勇姿が最後に見えるのだが、残念ながら雲に隠れてその姿を見る事はできなかった。川底のラージャ橋まで降って休憩する。

 休憩ポイントでエベレストは残念ながら見えず

 ラージャ橋を渡る

 ラージャ橋(2重に架かった吊橋)の下で休憩

此処から先は、ゴールのルクラまで谷間の道になる。今日のエベレスト街道は何だか凄い賑わいで、時折り渋滞も起きている。聞くところによれば、ルクラへの飛行便が前々日に欠航して、そのしわ寄せで昨日の便が倍増し、その人達が今我々とすれ違って大混雑となっているようだ。

 ラージャ橋から登りとなり、やがてサガルマータ国立公園のゲートがあるモンジュに着いた。モンジュから先の道中は、幾つも集落が点在し賑やかさが更に増してくる。

 モンジュの国立公園ゲートに到着

 モンジュの集落を行く大勢のトレッカー(まるで最盛期の富士登山を見るようだ)

 水が3段に流れ落ちる滝の傍に建つウォータフォールロッジで、ランチタイムとなる。ロッジの食堂に、エベレストトライアスロン大会のTシャツが飾られていた。ニマさんに聞くとルクラ付近をスタートし、エベレストベースキャンプまで一日で走り抜けるレースらしい。一体どんな人達が走るのだろう。40歳若けりゃ俺だって・・と思わないではなかった。

 ベシカルの3段滝

 ベシカルのウォーターフォールロッジでランチ

 ランチを終えて、1時間程の歩きで今宵の宿泊地バグディンのロイヤルシェルパリゾートロッジに着いた。往路の時にも此処で宿泊している。ロッジのレストランでは、テレビの衛星放送でインドのドラマが放映されていた。インド人がやたら踊りまくる内容でさして面白くも無かったが、文明が色濃くなった事を実感する。

 シェルパリゾートロッジに到着

 我々の荷物を運ぶゾッキョのキャラバンの方が健脚で、いつもは我々より早く宿に到着するのだが、今日は街道の渋滞で大幅に遅れ、ロッジに着いたのは我々よりも2時間程も後だった。

 今日の夕食で出た豚肉?の醤油煮がホルモン焼き風で実に美味かった。これをビールのツマミにすれば最高だ。感激したYさんが、コックのプラディさんからレシピを熱心に教えてもらっていた。

 

 

 

 

11月6日(火)     天気=晴れ後曇り

バグディン08:05→ 10:56ルクラ (歩行2時間半)

 

 いよいよトレッキングの最終日、明日はカトマンズのホテルでお風呂に入れる。そう思うと元気が湧いてくる。標高も3千mを切り、街道沿いの風景も信州の山麓を歩いているようだ。

 

 安曇野の風景に似て無くもない。

 岩に文様を描く地元の男性たち

 谷間の道からやがてルクラに向かって、緩やかで長い登りとなる。トレッキングで身体が高度順応したせいか、登りがそんなにきつく感じられない。前方の尾根上にルクラの建物が小さく望め、時折りルクラ空港へ向かう飛行機がまるで山腹へ激突するかのように降立っているのも見える。

 坂を黙々と登る馬のキャラバン

 山腹にぶつかるように着陸する飛行機

 長い登りを経て白い石門を潜るとルクラの集落であった。これで13日間に渡るトレッキングが終わった。ホッしたような名残惜しいような悲喜こもごもの感慨であった。でもカラパタールを登頂し、無事戻れたので嬉しい気持ちが優る。

 石門を潜ってルクラに到着

 ルクラのメインストリート

 今日は空港の隣に建つシェルパロッジでトレッキングで最後の夜を過ごす。午後はフリータイムなので、時間つぶしに集落の中を散策する。小さな集落にあまり見るべき場所は無いが、短い滑走路の坂を利用して発着する飛行機の様が興味深くてしばらく見物した。

 次から次に発着する空港のヘリコプター

 坂を利用して離陸する飛行機

 着陸寸前の飛行機

 ルクラ空港の搭乗風景

 商店街を散策

 宿へ戻ると、さっきまで元気だった妻がお昼に食べたハンバーガーを吐いてしまった。ジャンボサイズを無理して完食したので胃が受けつけなかったようだ。あるいは旅の疲れもあったかも知れない。

 シェルパロッジ

 夕食は我々をサポートしてくれたスタッフも交えて打上げの会食となった。トレッキング中に封印していたビールを生で久々に飲んだが、飲まない事に身体が慣れてしまったのか、期待した程美味くはなかった。

 13日ぶりにビールを飲む(左からKさん、Yさん、私)

 最後の夜なのでスタッフの人達とつもる話をしたかったが、妻が会食を欠席しベッドで臥せているのが気懸りで早めに部屋へ戻った。妻は「全部吐いたら気分が楽になった」と言うので、チョット安堵した。

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斉白石展と都内ウォーキング

2018年12月21日 | お出掛け

 新聞販売店から「斉 白石(サイハクセキ)絵画展」のチケットを貰ったので、開催場所の東京国立博物館へ出掛けた。久々に訪れた上野公園は師走のせいだろうかいつも程の賑わいは無かったが、パンダ人気の上野動物園などは行列ができていた。

 東京国立博物館遠景

 斉 白石展は、国立博物館の入口を通過してすぐ右手の建物「東洋館」で開催されていた。斉 白石さんとはどんな人物なのか全く知識は無かったが、紹介パネルを要約すると、「彼は農村出身で苦労の末に才能を開花させ、中国近代絵画を代表する偉大な画家となった立志伝の人物」のようです。

 東洋館入口

 展示会場入口

 斉白石先生紹介パネル

 彼の絵は花鳥風月を題材にした水墨画で、日本画にも通ずるものがあり素晴らしい作品ばかりです。・・と口コミしたいところだが、私恥ずかしながら絵に関しては全くのトーシロ、「豚に真珠」「猫に小判」なもんですから感想は「・・・」とさせていただきます。

 3階の斉白石展会場入口

 展示作品

 同 上

 東洋館の広い館内は、その他にも中近東から東アジアに至るアジア各地の歴史を彩る収蔵品が数多く展示されており、斉先生には申し訳なかったが、こちらの方が充分に見応えがあって感銘を受けた。

 1階入口に立つ石像

 インドネシア紙絵劇のキャラクター

 博物館を出るとこのままスンナリ帰るのもつまらないので、ウォーキングがてら都内を脚の向くまま散策した。狭いようでも広い東京は、近代的ビルの裏に古い歴史の面影があり、歩くたびに新たな発見があって楽しい散歩道だ。上野から歩き始めて池袋駅へ着いた時は、夕闇迫りイルミネーションが輝いていた。

 後楽園東京ドーム付近

 文京区の伝通院

 文京区の護国寺

 豊島区の鬼子母神

 夕闇の池袋駅東口

 ウォーキング経路

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交差点でコンビニワープの問題点

2018年12月19日 | 日記

 先日テレビ番組で、「コンビニワープ」の事が報じられていた。知らない人の為に説明すると、コンビニが交差点の角に在り、赤信号で停止すると、それを嫌ってコンビニ駐車場をショートカットで通り抜ける事をコンビニワープと言う。

 これについては私も以前から気に掛っていた。というのも正に「コンビニワープ」したくなるような三叉路が我家の近くに存在し、赤信号でそこに停まる度ワープの誘惑に駆られていたからだ。

 しかし道義的にズルするようでコンビニの人にも悪いという気持ちがあったから、実行する事は一度も無かった。私がもう少し厚かましければ、きっとやらかしていたと思う。

 番組が指摘していたようにワープはマナー違反であり、広義に言えば私有地の無断使用に当るらしい。それに交通事故の危険性が高まるし、コンビニにも迷惑だ。しかし100%ドライバーが悪いと、言い切れない気もする。

 去年アメリカでドライブした時に、赤信号なので交差点の右折ラインで停車していたら、後ろの車にクラクションを鳴らされた。アメリカの交差点では、赤信号でも車が走ってこなければ右折の車は前進する事ができるのだ。(アメリカは日本と逆の右側通行なので)・・・スミマセン一回しか行ってないのにアメリカ通ぶって。

 日本人は生真面目な国民性だから交通法規を愚直に守る人が多いけれど、日本の道路行政は交通渋滞緩和の為に、もっと柔軟思考で道交法を運用すべきではないだろうか。

 交差点に左折ラインを設け赤信号でも支障無かければ左折はOKに改正すれば、車の流れは捗り、野暮な「コンビワープ」をする輩も減少していくのではないだろうか。

 

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カラパタールトレッキング12日目~13日目

2018年12月17日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

11月3日(土)     天気=晴れ後曇り

 

パンボチェ08:35→ 11:46~12:28プンキテンガ(昼食)→ 14:03キャンジュマ(歩行5時間)

 

 バンボチェの朝は心地よい寒さで、標高が下がると空気の濃さと暖かさが全然違う。今宵の宿泊地キャンジュマまでは、アップダウンのさほど無い街道歩きなので、のんびり気分で出発する。

 バンボチェのエベレストビューロッジから望むローツェとエベレスト

 谷間の道を緩やかに降りドードコシ川に架かる長い吊橋を渡ると、タンボチェに向けて緩やかに登りになる。アマ・ダムラム峰が背後から我々を見送ってくれるかのようだ。

 長い吊橋を渡ってタンボチェへ

 アマ・ダムラム峰が見送ってくれる。

 尾根上のタンボチェ集落に達すると、雲をまとったエベレストの眺めが素晴らしい。タンボチェから標高差600mの急坂をジグザグに降り、川沿いのプンテキンガに着いてランチタイムとなる。標高が3200mまで下がって、空気の濃さを実感する。

 タンボチェへ到着

 タンボチェからエベレスト(左奥)とローツェ(右)

 プンテキンガを出発すると長い吊橋を渡り、今度はトラバース道まで標高差300m程の登りになる。そして世界一美しい景色のトラバース道が始まる。行きはエベレストへ向けて歩いたが、帰りはコンデリ峰(6187m)へ向けて進んで行く。

 コンデリ峰へ向かって進む。

 前を歩いていたニマさんが突然谷底を指さし「マウンテンゴーとがいる。」と私に声を掛けた。マウンテンゴートとは野生の山羊の事で、姿を見せるのは珍しいそうだ。

 マウンテンゴート(野生の山羊)が2頭(右上)小さく見えた。

 ゴーキョピークへの分岐を過ぎるとすぐにキャンジュマの集落で、午後2時過ぎにタムセルクロッジへ着いた。あと1時間も歩けばナムチェバザールまで行けるのだが、カトマンズへ戻る飛行機の搭乗日が4日後なので、あまり早くルクラへ到着しても時間を持て余して困るらしい。

 キゃンジュマのタムセルクロッジ

 ロッジの部屋からはアマ・ダムラムやエベレストの展望が良く、午後はノンビリ休養した。夕食はヤク肉がたっぷり入った本格的ハヤシライスで、トレッキング中に食べた料理の中でも断トツの美味さだった。

 

 

11月4日(日)     天気=晴れ後曇り

 

キャンジュマ08:02→ 09:25ナムチェバザール(歩行2時間)

 

 キャンジュマのロッジを朝8時過ぎに出発する。平坦なトラバース道をノンビリと1時間余歩いて、アッサリナムチェバザールに着いた。8日ぶりに戻ったナムチェの村がまるで大都会のように見える。

 キャンジュマのロッジからローツェ(左)とアマ・ダムラム(右)

 トラバース道をナムチェへ向かう。

 エベレストを背にトラバース道を進む。

 ナムチェの村が見えた。

 ナムチェ村を一望

 今日は時間がたっぷりあるので、宿へ行く前にソナム写真館(ヒマラヤの写真展示と販売をしている。)やサガルマータナショナル博物館(入館無料のビジターセンター)等を見学する。その後マウンティービューロッジに投宿し、ロッジで昼食を終えた午後は自由時間となり、ナムチェの街中をブラブラ散策したりして過ごした。

 サガルマータナショナル博物館

博物館の庭に立つシェルパ(女性シェルパで初めてエベレストに登頂した人?)像の前で記念写真

 ナムチェ村入口の共同洗い場で、地元の女性が賑やかに洗濯中

 ナムチェ村のメインストリート

 日本の居酒屋風のレストランもあった。

 マウンティービューロッジの前で

 10月25日にトレッキングを開始して以来お風呂やシャワーとは一切無かったので、早くカトマンズへ戻ってのホテルの浴槽にドップリ浸かるのが待ち遠しい。

 だけど明日ナムチェを出発すれば、エベレストを始めとするヒマラヤ高峰群の大展望とはオサラバしなくちゃならず、それが寂しくて去り難い思いも一方にある。

 ロッジから眺めるタムセルク峰(6623m)

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冬用タイヤの交換作業は、けっこうな重労働

2018年12月16日 | 日記

 12月14日(土)

 山の先輩 I さんのブログを見ていたら腰痛不安の中、車のタイヤを冬用に交換した苦労話が載っていた。それを見て思い立った訳でも無いが今日の午後、車のタイヤをノーマルから冬用へと交換した。

 「交換した」と言葉で言えば一言だが、これがけっこう重労働で年々重荷になってきている。作業の手順は

① マンションのベランダに保管している冬用タイヤを台車に積んで駐車場まで運ぶ。・

② タイヤを車に積んで、近所の交換作業ができる空地まで移動する。

③ タイヤの交換作業を行って完了すれば、外したタイヤを車に積んで近場のガソリンスタンドに移動する。

④ ガソリンスタンドで冬用タイヤに空気を充填し、駐車場まで戻る。

⑤ 外したタイヤを台車に乗せ、我家の玄関先へ運ぶ。

⑥ 外したタイヤを水洗いし、乾かした後にベランダへ運び保管する。

 以上のような行程を経て、やっと作業が終了する。

 私も I さんと同じく腰痛歴があり、タイヤを持ち上げたりボルトを締めたりの作業は腰に負担が掛り、いつもヒヤヒヤしながらやっている。今年も何とか無事に作業を終えたけれど、後何年自力でできるだろうかと思う。自力で交換できなくなった時が、私が車の運転を止める潮時なのかも知れない。

 ノーマルタイヤを外す。

 冬用タイヤを装着

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ランニング用サポーターの効果は?

2018年12月14日 | マラソン

 老いと共に体力が衰えるのはどうしようもない事で、どんなに頑張っても抗いようがない。先日小川和紙マラソンを走ったけれど、私のマラソン記録も齢を重ねる毎に緩やかな曲線を描いて下がり続けている。

 これを少しでも食い止めるには、もう文明の利器に頼る他ない。最近は運動用具も随分進化しており、レースを走るランナーの服装も様変わりした。昔はランニングシャツに短パン姿で走る人が殆どだったが、近頃は肌にピッタリ密着したタイツ姿の人を多く見掛けるようになった。この方が筋肉をしっかりサポートして、脚の疲労や故障も少ないらしい。

 そんなに良いものなら私も恩恵に預かりたいと、スポーツ用品店巡りをしてみたが、ランニング用タイツというのは想定外に高くどれも万単位の値札が付いていた。効果のハッキリしない品物を、そんなに高い銭を払ってまで買うべきなのかと躊躇われた。

 それに70歳過ぎのオジンが身に着けると、洋風のももひきみたいでカッコ悪い。これじゃまるで人力車夫の無法松みたい、脚が長くてスラリとした体型の人でなけりゃタイツ姿は似合わないのだ。

 しかし何も対策を講じなければ私の記録は低下の一途を辿るばかりだ。そこで検討の結果、ふくらはぎ用のランニングサポーター(下記写真)を購入する事にした。これなら値段も3千円位で済む。

 説明書には「脚の筋肉をしっかりサポートする。」と書かれているから少しは効果もあるだろう。そして実際に小川和紙マラソンで着用してみたが、脚の筋肉痛や痙攣も無くハーフマラソンを完走出来たから、それなりの効果があった・・・ような気がする。

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カラパタールトレッキング11日目

2018年12月12日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

 11月2日(金)     天気=晴れ後曇り

ゴラクシェプ07:05→ 10:44~11:08トゥクラ→ 12:38~13:15ペリチェ(ランチ)→ 15:30パンボチェ(歩行7時間30分)

 

 昨夜は息苦しくて、あんまり眠れなかったと妻が言った。朝方測った血中酸素飽和濃度の数値が二人とも悪く、やはり標高5170mの高地は人間が健康で過ごすには過酷な場所だなと身体で実感する。

 「皆さんは疲労が溜まっていると思うので、今日はなるべく標高の低い所まで降ります。距離は長いですがパンボチェ(標高3860m)まで頑張って歩きましょう。」と添乗員のCさんが言った。

 白く輝くプモリ(7161m)が見送ってくれる。

 紺碧の空に白く輝くエベレストやヌプチェ、プモリなどの山々に別れを告げ、朝7時過ぎにゴラクシェプから下山を開始する。荒涼として美しいモレーンの道を歩いて、2時間余で一昨日に泊ったロブチェの集落を通過した。更に1時間余歩いてエベレスト遭難者の墓標が立つトゥクラ峠に着き、休憩がてら素晴らしい眺望を楽しむ。

 ヌプチェ(右奥の山7855m)ともお別れ

 ロブチェの集落(奥の山はタウチェ(左)とチョラツェ(右))

 トゥクラ峠

 峠から30分程急坂をジグザグに降り、一昨日T子さんと別れたトゥクラのロッジに着いてティータイムとなった。温かいミルクコーヒーが疲れた身体をホッコリ癒してくれる。

 峠からトゥクラへ降る

 トゥクラのロッジ

 トゥクラからドードコシ川に架かる小橋を渡ると直ぐに道が左右に分岐する。左は登りで歩いたディンポチェからの道で、我々は右の道に入り谷間の集落ペリチェへ向かう。ペリチェはドードコシ川の谷間に広がる美しい村だ。険しい山々がひしめくヒマラヤの奥地に、こんな桃源郷のような村が存在するのは不思議な感じがする。

 ドードコシ川に架かる小橋を渡る。

 ペリチェへの分岐

 ペリチェへ向かう谷間の道

 谷間の西側にはタウチェやチョラツェの峻峰が、南側にはアマ・ダムラムの鋭鋒が高々と聳え美しい山岳美を見せている。

 谷間から聳えるチョラツェ(6440m)

 前方に聳えるアマ・ダムラム(6812m)

 ペリチェには多くのロッジやレストランが在り、その中の一際立派なプモリロッジで昼食を取る。1時間足らずで昼食を終え、慌ただしくパンボチェへと出発する。

  プモリロッジにロッジに到着

 ペリチェからしばらく降ってドードコシ川に架かる橋を渡ると、往路で歩いたディンポチェへの道と合流した。その後は谷間を高巻く道を僅かに登り、その後は緩やかに降って行く。点在する集落や行き交う人も増え賑やかになってきた。物資を運ぶポーターの人も数多く見掛るが、中には信じられない程大きな荷物を担ぐ人もおり、現地の人の逞しさにはしばしば驚かされる。

 ドードコシ川に架かる鉄橋

 巨大な荷物を担ぐポーターの人

 午後になると雲が湧き出て曇りになるのは毎日の事だが、今日はいつもより厚い雲行きで雨を心配をしたが、結局降られる事も無く午後3時半頃パンボチェのエベレストビューロッジに到着した。

 谷間の道を降る

 前方にパンボチェの集落が見えた。

 ヒマラヤビューロッジに到着(ゾッキョの横に居るのはゾッキョ頭のペンバさん)

 此処の標高が3860mで4千mを切った。空気が濃くて暖かい感じがする。今朝方まで居たゴラクシェプとは段違いの快適さで、今夜はグッスリ眠れそうだ。

 夕食のマカロニサラダとお好み焼き風ホットケーキ

 今日のディナーはマカロニサラダとお好み焼き風のホットケーキ、元気が出たせいか食欲も増し、実に美味しい夕食だった。でも此処はまだ富士山よりも高い標高なので、ビールはゴール地点のルクラまでお預けです。

 

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今年も小川和紙ハーフマラソンを走ってきました。

2018年12月10日 | マラソン

  昨日、小川和紙ハーフマラソン大会を走ってきた。この大会は奥武蔵の山々が迫る小川町で開催され、コンパクトな規模とローカル色豊かでアットホームな雰囲気が好きで毎年のように参加している。

 実を言うと今回は、私が70歳の誕生日を過ぎて初めて走るハーフマラソンです。70歳過ぎたオジンがどれ程走れるものか、大きな不安と少しばかりの闘志を胸に抱いて会場へ向かった。

 参加者や応援の人で賑わう会場

 そんな気持ちをくじくように今朝から強い北風と底冷えで、参加者には容赦のない天気です。武者震いと言うより芯の底から寒くてブルブル震えながらスタートの合図を待った。号砲一発、走り始めれば無我夢中、ここのコースは中間地点までアップダウンが多いのでマイペースを心がけながら走る。

 こんなカッコで走ります。

 15~16キロ地点までは順調だったが、最後の5キロは疲労困憊となり、「金払ってまで何でこんなキツイ事やってんだろう。」といつもながら思う。コースの最終は小川町のメインストリートを走るので、地元の人の盛大な声援に押されヨレヨレになりながらも何とかゴールまで駆け抜ける事ができた。

 ゴール地点で応援する地元の和太鼓チーム

 完走症をもらう。

 ゴールすると直ぐに完走証を授与してもらえる。その記録を見ると1時間52分で、去年のタイムより1分程遅かった。でも今日は寒くて風も強かったし、それを考えれば70歳のオジンにしてはよく頑張った方ではないか。・・・と誰も誉めてくれないから自画自賛しときます。・・・70歳まだまだ現役

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カラパタールトレッキング10日目(カラパタール登頂)

2018年12月08日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

 11月1日(木)     天気=晴れ後曇り

 

ロブチェ06:35→ 09:50~10:45ゴラクシェプ→ 13:10~25カラパタール峰→ 14:35ゴラクシェプ(歩行7時間00分)

 

 今日はいよいよカラパタール峰を登る日だ。今朝は4時半起きで6時半にはロブチェの宿を出発する。標高4930mの朝は半端無く寒く、たっぷり着込んで歩き始める。

 中央奥のプモリ峰へ向かって出発する。

 ロブチェからゴラクシェプへの道は、氷河跡地(モレーン)の岩屑の中に続く。登山道の右側には長大なクンブ氷河が横たわっている。紺碧の空と雪山の雄大な景色の中をジワジワと進んで行く。3時間程の歩きで前方にゴラクシェプのロッジが小さく姿を現し、左奥にカラパタールの黒い山容が初めて見えた。

 岩屑の道を進む。

 クンブ氷河沿いを進む。

 ゴラクシェプのロッジが見えてきた。(左奥の黒い山がカラパタール)

 10時前、エベレスト街道最奥の集落ゴラクシェプ(標高5170m)のヒマラヤロッジへ到着した。ロッジ内の食堂では多くのトレッカーが憩っており、我々もその一隅でプラディさんが作ってくれた暖かいラーメンを食べる。1時間程の休憩後、いよいよカラパタールへ向け出発する。

 ゴラクシェプへ到着

 ヒマラヤロッジ

 暖かいラーメンで英気を養う。

 此処まで頑張って歩いて来たKさんが「これ以上は無理」と自分で判断し、ロッジへ留まる事になった。結局参加者のうち、Yさんと我々夫婦の3名だけ山頂を目指す事となった。

 ゴラクシェプからエベレスト(左から2番目8848m)とヌプチェ(右7855m)

 野球ができそうな広い空地を横切って、いよいよカラパタールへの登りが始まる。砂礫と岩の道がジグザグに刻まれ富士山の登山道を思わせるが、標高5千mを超える薄い空気の高地なので、歩いているだけで息が切れてくる。

 広い空地を抜けてカラパタールへ

 カラパタールの登り口

 最初は緩やかな道

 眼下のゴラクシェプ集落

 牛歩の歩みでジワジワ登って行くと、ヌプチェ峰(7855m)の奥に小さく見えた世界最高峰のエベレスト(8848m)が、少しづつ高くなっていく。前方に望む黒いピークが山頂かと思ったが、近づくとそれは前衛の山で、カラパタールの山頂は更にそのズーッと奥に在った。

 登山道から望むエベレスト(左)とヌプチェ(右)

 一際高いエベレスト

 砂礫の道は岩がゴロゴロした道へと変わり、傾斜も増して歩き難くなってくる。旗で飾られた山頂が見えてはいるのだが、歩いても歩いても中々近づかない。私の前を歩く妻も苦しげな様子だが、脚を止める事は無く黙々と登り続けている。我身内を褒めるのも何だが、その体力と気力は凄いものだなと認識を新たにする。

 山頂は見えているが、中々近づかない。

 黙々と登る。

 絶景の中で一休み

 山頂直下で最後の休憩

 山頂直下からクンブ氷河を見下ろす。

 ゴラクシェプを出発してから約2時間半、厳しい登りを終え念願のカラパタール峰(5545m)へ到達した。ヒマラヤは午後になると決まって雲が湧き山を隠してしまうのでその前に登れるか不安だったが何とか間に合った。此処からエベレストの山頂を眺めるのが、私の長年の夢のであったが、それが実現して感無量の心境だ。

 カラパタール山頂(左よりYさん、我々夫婦、シェルパのニマさん、ダワさん)

 我々をサポートしてくれた左より、ダワさん、ニマさん、添乗員のCさん

 山頂の最高地点に登る私

 最高地点に在った山頂標識(標高5643mと記されている。)

 実際に見るカラパタールの山頂は、プモリ峰(7161m)の小さな支稜ピークに過ぎず、その先にもノコギリ歯のような岩尾根がプモリへと続いている。しかし此処から先へは、ザイル等の登攀具を装備した熟練の登山者しか登れない。つまりカラパタール峰が、トレッキングコースの最終ゲートなのだ。

山頂から望むエベレスト(左)とヌプチェ(右)(左端の氷河屈曲部がエベレストベースキャンプ地)

 山頂からヌプチェ峰

 山頂からエベレスト峰

 エベレストやヌプチェ等の山々が、雲に隠れ始めた。15分の短い滞在で山頂を後にする。下山の道も長かったが重力に引かれるように降り、山頂から約1時間余でゴラクシェプのロッジへ戻って来た。

 午後6時からの夕食は、ボリュウムたっぷりネパール伝統食のダルバートであった。登頂の祝杯をしたい気分だったが、何せここは標高5千mを越える高地、具合が悪くなってはまずいので今日もアルコールの類は自重した。

 食堂の壁に寄せ書きが書かれた紙が張られていた。それは「神々の山嶺」という映画を製作した日本の撮影隊のもので、「阿部寛」や「岡田准一」など出演者のサインもあり、台湾から来た女性トレッカー達が大騒ぎしていた。

 日本の映画撮影隊の寄せ書き

 カラパタール登頂を終え、明日からルクラへ向けて下山の道に入る。標高が下がれば空気が濃くなり寒さも和らぐので快適なトレッキングを楽しむ事ができるだろう。

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証券会社のセミナーで贅沢な「うな重」を頂く。

2018年12月06日 | 日記

 5年前に買った投資信託が12月末でNISAの期限切れとなる為、NISA枠(説明が面倒なので知りたい方は左記をクリックして下さい。)で新たな投資信託を物色中であったが中々良いものが見当たらない。

 そんな中、我家の口座があるN証券から、「私この度F様の担当になりましたUと申します。ご挨拶を兼ねてお電話しました。・・・」と電話があった。丁度よいタイミングであったから、相談がてらN証券の川越支店へ顔を出してみた。

 新たな担当となったU氏は人気漫才コンビ「くりぃむしちゅー」の有田哲平にどことなく雰囲気の似た30代くらいの男性であった。椅子に座るや彼は、「ソフトバンクの新規上場株が絶対お勧めです。」と開口一番話し始めた。

 「カブにはあんまし興味が無くて、できれば大根に・・・じゃ無かった投資信託の方が・・・」と応えると、有田君は電光石火の早業で、「GSグローバル・ビッグデータ」なる金融商品の説明を始めた。

 眉に唾をつけつつ聞いていたが、「実はこの投資信託の説明セミナーが12月某日にあるので良ければ聞いてみませんか。」と問われた。そう言えば証券会社のセミナーなど過去に行った事がない。軽いお食事付だと言うし、取りあえずセミナーへ行ってみる事にした。

 当日川越支店の会議室で開催されたセミナーには、10名程の人が集まりお昼頃から始まった。平日の昼間だから当然の如く、私と同年輩の余生を過ごす老々男女ばかりのようです。

 講師の人は、投資信託の運用元である外資系証券会社「ゴールドマン・サックス」の社員で、如何にもインテリ然とした中年男性です。PCとプロジェクターを駆使しながら経済用語を多用して彼はクールに説明するのだが、何せ話す相手が暇を持て余したような年寄ばかりなので、このヤリ手風な金融マンが何だか気の毒に思えてきた。

 説明によればこの「GSグローバル・ビッグデータ」なる投資信託は、AI(人工知能)を活用した独自開発の計量指数を用い、グローバルの幅広い銘柄株に分散投資する優れた金融商品であるそうな。だけど聞いてる方は、認知症寸前の極めて優れて無い脳ミソだから、言ってる事の半分も理解できない。であるからして共感もできない。

 そんなセミナーであったが、感動した事が一つある。新担当の有田君が「軽いお食事が出ますよ。」と言っていたからサンドイッチくらい出るかと思ったら、何とそれは川越の名店「小川藤」のうな重弁当ではないか。これ「梅」でも2000円以上はする代物だ。

 こんな贅沢な弁当が出るとは驚き、桃の木、セミナーに参加するのもそんなに悪いもんじゃないと実感した。ひょっとしたら一緒に参加した人達も、これが目当てだったのではないだろうか。

 話が最初のNISAからドンドンそれてしまったが、結局NISAで新たに何かを買ったのか、買わなかったのか、それは後日のブログネタとさせて頂きます。

 セミナーで出された小川藤のうな重弁当

 

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