Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

越後湯沢のナスパスキー場へ行ってきた。

2016年01月30日 | 旅行

 1月29日(金)

 来週末、所属する障害者クラブのスキーツアーに参加する予定なので、その前に足慣らしをと越後湯沢へ日帰りスキーに出掛けた。生憎朝から雨模様の天気で、谷川連峰を貫く関越トンネルを抜け新潟県に入ると雨が雪に変った。

 向かったのは湯沢町のナスパスキーガーデン、この付近に幾つもあるスキー場の中では小さなゲレンデだが、私は此処が気に入っており毎年必ずのように訪れている。その気に入っている理由とは・・・

1 料金が安い。(シニア夫婦だと二人で5800円)

2 湯沢インターから5分程でゲレンデに着く交通アクセスの良さ。(雪道  運転の 苦手な私は大いに助かる。)

3 スキー専用ゲレンデなのでカットビスノーボーダーが居ないから安心して滑れる。

4 スキー場にとって耳の痛い話だがお客が少なくて空いてる。(特に平日は)

 

 お客が少ないのには理由があって、ゲレンデが小さくてガンガン滑りたいスキーヤーにとっては物足りなくて魅力が無いのだ。でも高速リフトだって1ちゃんとあるし、杖代わりにストックを持つ老スキーヤーにとっては充分なスペースでノンビリと滑れるのが嬉しい。

 今日だって午前中は修学旅行生が居たからソコソコの賑わいだったけれど、午後に彼(女)等が帰ったらはガラーンとして、従業員の方が多い程。営業不振で気に入っているスキー場がつぶれてるのも困るので、ノンビリ楽しみたいスキーヤーの皆さん、ドシドシ越後湯沢の「ナスパスキーガーデン」にいらっしゃ~い。

 ゲレンデ側に建つホテルニューオータニ(いつか泊まりたいがけっこう高い。)

 高速リフト山頂駅付近のゲレンデ

 

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栃木、篠井富屋連峰ハイキング(榛名山~本山~飯盛山~兜山)

2016年01月28日 | 山歩き

 1月27日(水)  天気=晴れ

08:30こどものもり公園駐車場→ 09:17~26榛名山→ 09:37~42男山→ 10:00~15本山→ 11:15~48飯盛山→ 12:30~38高館山→ 13:00~05黒戸山→ 13:26~31兜  山→ 13:54下山口(大網町毘沙門橋)

 

 テニス仲間のYさんから「宇都宮アルプスへ行かない?」と誘われた。「エッ宇都宮アルプスって何処にあるの?」と思いネットで調べたら、宇都宮市の北西部郊外に小さく聳える幾つもの山々を総称して呼ぶらしい。国土院地図には篠井富屋連峰と書かれていた。

 今日の参加者はリーダーのYさん、I子さん、Kさん、Sさん、Oさんそして我々夫婦の計7名、2台の車に分乗して朝6時頃に出発した。圏央道が東北道と繋がって栃木方面へのアクセスが便利になり、2時間掛からずに登山口の「こどものもり公園駐車場」に到着した。

 こどものもり公園駐車場

 広々とした駐車場にはハイカーの車だろうか、既に10台近く停まっている。準備を整え、ここから歩き始める。公園内の道は錯綜して判り辛いが「本山、榛名山へ」と書かれた標識を目印に歩いて行く。先日の雪が残って凍結した道は、アイゼンを使うほどではないが滑りそうで歩き難い。樹林帯を30分程登って稜線の分岐に達すると右折してしばらく進んだ先にある小さなピークが榛名山(524m)だった。

 榛名山手前の登り

 榛名山山頂

 山頂からは低山とは思えぬほどの展望、西に拡がる男体山を始めとする日光連山の眺めが雄大だ。榛名山を後にすると来た道を戻り、先程の分岐を通過して少し登った先が男山のピークだった。この山頂の眺めは樹木に邪魔されてさほどよくない。

 男山山頂

 男山から一旦降り、次の本山まで登りは短いけれど急登で汗を掻かされた。到着した本山(561m)は今日の最高地点、展望も良くて日光連山や那須や男鹿山塊等の眺めが素晴らしい。南の方向に富士山が見えたのはチョット感激だった。

 本山への急登

 本山山頂

 山頂から日光連山

 山頂から男山(右手前)と榛名山(左奥)

 本山からは南に延びる尾根を降って行くが、雪が道を覆い、地形も複雑なのでコースが判然としない。そのうち踏み跡も消えて行き詰った。少し戻ると小さな標識があり、そこを左折して降るのが正しいコースのようで再び踏み跡が現れた。

 本山南尾根の岩場

 飯盛山へ向かう樹林の道

 飯盛山への登りは今日一番の急登で、しかも凍結した雪道だから木の根に捕まりながら喘ぎ喘ぎ登った。飯盛山(501m)は灌木に囲まれそれ程展望は無いが、小じんまりした気持ちの良い山頂だ。何度も登り降りしてお腹がペコペコなので、ここでランチタイムとなった。

 飯盛山山頂

 30分程滞在して飯盛山を後にする。降りも急坂でロープに掴まりながら降った。急坂が終わると樹林帯の緩やかな道に変り、しばらく進むと林道に出た。林道を200m程進むと再び高館山への登山道入口があった。

 飯盛山の急な降り

 飯盛山降り林道合流地点

 登山道を緩やかに登って行くと左手に高館山のピークが見え、登山道分岐を左折して一登りで高館山(476m)に着いた。広々した山頂だが残念ながら展望は無い。高館山を後にすると、緩やかな尾根道を上下しながら進んで行く。次のピーク黒戸山が一向に見えないなあと思いつつ歩いていたら、とある尾根の一角に「黒戸山」と書かれた標識があった。

 高館山山頂

 標識の少し奥が戸山山頂

 そこが黒戸山(412m)の山頂で、標識が無ければ気づかない程地味な山頂だ。黒戸山を緩やかに降ると舗装された林道に出た。その林道をしばらく降って行くと右に分岐する林道があり、右折してその林道を進むと「兜山入口」と書かれた標識があった。

 兜山登山道入口

 そこからヤブを掻き分けるように進むと、しっかりした踏み跡が続いており、大岩の右手から回り込むようにして登るとその上が兜山(371m)だった。樹林の山頂で展望は殆ど無い。国土院の2万5千分の一地図では、この山の南にある別の小さなピークを兜山として記載している。Yさんの話では、これは地図の方が間違っているとの事だ。

 兜山山頂

 実際、地図に載っている山名と実際に現地で呼ばれている山名が異なるというのはよくある事で、地図で兜山と記載されているピークは地元では鬼山と呼ばれているとの事(Yさん談)

 兜山を後にして今度はその鬼山(地図上の兜山)を登ろうとしたが登山道が見つからなかった為登頂を諦め、林道を伝ってテクテク話しながら降り、下山口の大網町の毘沙門橋に到着した。低山歩きと侮っていたが、終わってみれば歩行時間約5時間半、七つのピークを巡り歩くけっこうハードな山行になった。

 下山口の毘沙門橋に向かう林道

 その後車で東北道上河内SA近くの公営日帰り温泉「梵天の湯」へ立寄り、登山の疲れと汗を流す。この温泉、広々した綺麗な施設で料金も(500円)安く中々快適だった。温泉を出ると上河内SAから東北道に入り帰宅の途についた。車から西の空を眺めると、赤々と燃えた夕日が大気を真っ赤に染めて山波に沈み登山日和の一日が終わろうとしていた。

 

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巷には年寄り目当ての健康情報が多過ぎる。

2016年01月26日 | 日記

 1月26日(火)

 今朝のNHKテレビで「筋膜が肩こりの原因になっている。だから肩こり解消には筋膜をほぐす運動を」何て報じていた。エッ筋膜って何だ?てっきり肩こりは筋肉の老化でおきるものだと思っていた。

 又、毎朝目覚し代りに聞いている「TBSラジオ、生島宏おはよう一直線」の中でも、「老け顔予防でやる顔面体操も、誤ってやれば逆にシワが増える。良い運動はペットボトルを口に咥えて持ち上げ・・」とある女医先生が話していた。

 テレビやラジオの過剰な健康情報を全て真面に聞いていたら、一日中体操してなきゃならないじゃないか。と思ったら「自分勝手な運動は逆に身体を悪くしてしまいます。ライザップの健康サポートで貴方の健康をアップ」とも言っている。やれと言ったりやるなと言ったり、一体どうすりゃいいんだよ。

 と愚痴る私も恥ずかしながら、ある整骨院で教わった運動を元に、マイオリジナルエクササイズを編みだし毎日欠かさず続けている。ところが最近これだけじゃ足りんと感ずるようになった。

 それはバランス感覚で、ある時片足立ちしてみたらグラグラ身体が揺れて真面に出来ない。老化の中では、バランス感覚が真っ先に衰えるようである。これに気付いてからは老化予防の為、左右の片足立ち(約30秒)もマイエクササイズに加えるようになった。

 ちょっと過剰な拘りだと自分で思わぬでもないが、何しろ「健康」は年寄の最重要課題だからやむを得ぬ面もある。毎日「皇潤」や「グルコサミン」を飲まされるより、金の掛からぬ分だけまだ良いのじゃなかろうか。

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妻と二人で。再び川越までウォーキング

2016年01月24日 | お出掛け

 1月24日(日)

 今年一番の寒波が襲来し日本列島は大荒れの天気になっているが、唯一関東平野だけが冬晴れの良い天気が続いている。私は天気が良いのに家に籠っていると気が滅入ってウツっぽくなってくる。風邪の症状が和らいできた妻を誘い二人で川越までウォーキングに出掛ける事にした。

 お昼前に我家を出発し、途中坂戸市にある蕎麦屋「蕎彩庵」で昼食にする。手打ちの細麺が実に美味くて料金も手頃、お店の人の感じも良くてトリプルグッドな私のお気に入り店です。

 お気に入りの蕎麦店、坂戸市の「蕎彩庵」

 しかし駅から遠いド田舎にある為車でしか行けずビールが飲めないというのが難点、だが今日は歩きだから美味しいお蕎麦や天麩羅と冷えたビールのコラボを楽しめたので大満足であった。

 お店を出ようとしたら、以前住んでいた家のお隣さんだったK夫妻と何年かぶりに出会ってビックリした。温厚で優しいご夫婦なので、とても嬉しい再会だった。「これから川越まで歩くんです。」と話したら「相変わらずですねぇ。」と言われた。

 ほろ酔い加減でお店を出ると再び歩き始める。入間川に架かる平塚橋では寒風が川を吹き抜け一挙に酔いが醒めた。川を越えるとビールの影響か尿意が募ってきた。しかし辺りはありふれた住宅街、トイレらしきものが無い。

 ヤバいなあと思い始めた頃、ガソリンスタンドを見つけトイレを借用して何とか危機を脱した。(齢取ると尿意が近くなって本当に困る。一人だとテキトーに立ちションやるんだけど、妻と一緒だとそれも出来ぬ。)

 休日の川越蔵造り通りは大勢の観光客ですれ違うのも一苦労の賑わいぶり、あまりの多さに、「一般庶民というのは人が多い所に集まる習性でもあるのかいな。」と自分も庶民のくせに思ったりした。

 観光客で賑わう蔵造り通り「時の鐘」付近

 喉が渇いたので本川越駅近くにある鏡山酒造の直営店「蔵里」でコーヒーブレイクする。川越のお土産が何でも揃うので此処も人気スポットで観光客が多い。

 人気観光スポット、鏡山酒造直営店「蔵里」

「丸広で買い物したい。」と言う妻とは此処で別れ、少しホッとした気分で川越商店街をそぞろ歩きした後、一人我家へ戻った。

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天気が良いので、川越蔵造りの街までウォーキング

2016年01月22日 | お出掛け

 1月22日(金)

 私の風邪がやっと治ったと思ったら、今度は妻が風邪に罹ったようだ。タイミングからいって私がうつした可能性が高い。その為今日明日と予定していたスキーがキャンセルになってしまった。

 こんな良い天気なのに家に閉じこもっていると気分が滅入ってくるので、ちょっとハイキングでもと思ったが、「わたしが具合悪いのによく行けるわね。」と妻から極悪非道人のように文句を言われたので、山は諦め午後から軽いウォーキングに出掛けた。

 向かったのは近場の観光地「川越蔵造りの街並み」で、我家から約2時間の道程だ。川越はNHKテレビ小説の舞台となってから知名度が上がり、訪れる人も増えてきた。

 先日火災があった「菓子屋横丁」は、焼失した場所は更になっており、その上に露店が営業して以前の賑わいを取戻しつつあった。川越市は隣町だけど、この辺りの中心都市だから大いに栄えてもらいたい。

 帰りも歩いて戻ろうと思ったけれど途中で歩くのが何だか馬鹿らしくなり、ラーメンショップ「幸楽苑」に入り軽く生ビールを飲んで、その後電車で我家に戻った。

 平日なのに賑わってる蔵造り通り

 

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「シーズンズ2万年の地球旅行」という映画を観てきた。

2016年01月20日 | 映画・コンサート

 1月20日(水)

 「シーズンズ2万年前 の地球旅行」という映画を観に行った。自然ものドキュメントの好きな私は題名からして面白そうな映画と期待して行ったのだが・・・

 2万年前の地球は過酷な氷河期の時代、厳しい環境に耐えた僅かな生物だけが生延びていた。やがて徐々に気候が変動し、豊かな木々が繁る緑の大地へと変貌していった。

 森の豊かな恵みを受けて、多くの生き物が生命を謳歌する温暖な時代が長らく続いた。しかし人類の登場で豊かな森は伐採され、徐々にその範囲を狭めていった。森に暮らす生き物達も住む場所を失い、少しづつ絶滅していった。

 多くの森と生き物が失われて人類は初めて自然の存在価値を知った。そして自然との共存を模索する道を辿り始めるのだった。・・・・と、このような物語の映画であった。

 北欧や北米の大自然を舞台にした映像はそれなりに美しかったけれど、登場する狼や熊、鹿、猪等の動物達が筋書きを演じているようで、どうにもリアル感に欠け不自然さを拭えなかった。

 私がスクリーンで観たかったのは、嘘偽りの無い大自然の圧倒されるような驚異とか絶景そんな映像なんだけど、これじゃまるで教育テレビの自然保護啓蒙番組を見ている気分、何も大枚払って観る程のものじゃない。

 という訳でこの映画に対する私の採点は、「日光東照宮のチョット手前」・・・・イマイチでありました。

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突然の大雪にジーサンは駆け回る。

2016年01月18日 | 日記

 1月18日(月)

 今年は暖冬で雪の積もらぬスキー場にヤキモキしていたが、今朝方未明から関東平野に突然の大雪が積もった。交通機関の足は乱れ、通勤・通学の人々は大変ご苦労されたのではなかろうか。

 それなのに何処へも行く宛の無い私は、突然現れた白銀の世界に何となく心が浮き立ち、登山靴を履くとさっそく屋外へスノーウォーキングに出掛けた。

 これじゃまるでシッポを振って庭駆け廻るポチや雪遊びに興じるチビガキ供と同レベルで、七十近いジジイのくせに恥ずかしいと思わぬでもないが、雪道を歩きたいんじゃから仕方なかろう。

 積雪は10㎝以上あるだろうか、水をタップリ含んだ湿雪なので甚だ歩き辛い。いつもは騒音が絶えない関越自動車道も、上下線通行止めで今日ばかりは静まりかえっており、何となくシュールな光景だ。

 静寂の関越道

 最寄りの鉄道は間引き運転ながら運行されているが、駅前の広場は雪に埋もれ子供の遊び場となって、遠い雪国の駅を訪れたかのような気分になった。

 最寄駅の雪景色

 

 数日前には、その雪国を訪れようとした前途有望な若者達がバスの転落事故で尊い命は失うという報道があった。あまりにも痛ましい事故で発する言葉も無い。犠牲者のお一人で如何にも理知的な女子大生のご葬儀をテレビで観たけれど、ご遺族の対応がとても毅然としておられ逆にそれが哀しみの深さを増していた。・・・・ご冥福を祈ります。

 

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偉い人の椅子ほどデカくて背もたれが高い。

2016年01月16日 | 日記

 1月16日(土)

 数日前から続いていた風邪もどきの体調不良も、処方してもらった薬が効いたのか徐々に元気が蘇えってきた。具合が悪いと言っても寝込む程で無く、家に閉じこもってばかりだと気が滅入るので、昼間妻と外食に出掛けた。

 食事を終え、そのまま帰宅もつまらぬからドライブがてら近隣のローカルショッピングモールへ立寄った。その中には島忠のビッグなホームセンターがあり、妻が俄然興味を沸かして店内へと勇んだ。

 一緒に行くのも煩わしいので車の中で待っていると、「ネェネェ、オフイス椅子のいいのが沢山あるわよ。」と言いつつ妻が戻ってきた。現在我家のパソコン机で使ってる椅子は、以前リサイクルショップで500円という安さに惹かれて買った古品である。でもやっぱり安物は安物で、見た目薄汚れているし坐り心地も今一つ、だからイイのがあればと買換えを考えていた。

 妻と一緒に店内に展示されている椅子をアレコレ試し座りしてみたが、中に一つ座り心地がしっくりとくる椅子があった。価格もそれ程高くなかったし、アレコレ迷うのも面倒になりそれを買う事にした。

 ところで椅子というツールは、それを使う人の地位や職責を象徴するそんな側面があるのではなかろうか。具体的に言えば、偉い人の椅子ほど、デカくて肘掛が幅広くて背もたれが高いという感じ、以前テレビで観た有名な宮殿にある玉座の背もたれ何て、人の背丈の数倍あり尋常の長さでは無かった。

 現役時代一貫して出世街道と無縁で過ごした私は、そんな踏ん反り返るような椅子に座れるはずも無く、与えられたのは、概ね丸い小さな背もたれで灰色の事務用椅子ばかりだった。定年前その椅子にやっと細い肘掛がついたくらいだ。

 そんな私が苦節六十数年、やっと踏ん反り返れる椅子に座れるご身分になれた。別に偉くなった訳でも名誉を得た訳でも無く、単なる無職のプータローオヤジに変わりは無いが、それだけで目頭が熱くなってくる。

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数日前から風邪の症状

2016年01月14日 | 日記

 1月14日(木)

 3日ほど前から体調が芳しくない。悪寒がして鼻水と喉元の淡が止まらない。「登山の疲れが出たんじゃないの。もう齢なんだから無理が効かないのよ。」と妻が耳の痛い事をズケズケと言う。そう言えば去年の正月、北アルプスの燕岳を登った後も風邪を引き何日も寝込んでいた。悔しいが妻の苦言は的を得ているのかも知れない。

 「医療費削減の為、極力病院へは行かないゾ。」と密かに決意した新年だったが、病状悪化が恐いのであえなくその決意を撤回し、近所のY耳鼻咽喉科医院を訪れた。1年前の風邪も、この医院で処方を受けて治してもらったのだ。4種類の内服薬と鼻スプレー、うがい液を処方してもらい治療する事になった。

 アルバイトしていた去年と違い、今は無職だから休んだとて誰に迷惑を掛けるでもないが、中途半端な病状に何となく気分も滅入ってくる。普段は登山やマラソンのブログで元気な姿をアピールしているが、根本的な生命力という点で私は脆弱なのかも知れない。

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新年早々、料金滞納の催促メールが届いた。

2016年01月12日 | 日記

 1月12日(火)

 普段は殆ど着信の無い私のガラケーに、新年早々「料金滞納者 様」という宛名の得体の知れぬメールが届いた。その内容を確認すると、「あなたの携帯電話での登録がされた後、無料期間中に退会処理が正常に行われておらず現在も延滞損害金が発生しています。このまま放置すると訴訟を起し家族や勤務先の身辺調査を行います。・・・

 尚、登録した覚えが無い場合でも放置なさらないでください。早期解決のためお早目に後連絡お願いします。」と、このようなメールであった。それは総合コンテンツ提供サービス会社のものらしいが、具体的な社名が書かれていない。第一私のガラケーは、月に幾度か通話やメールのやり取りするだけでサイトの閲覧何て殆どやった事も無く、半ば休眠状態なのだ。

 差出人は「㈱メッセージリサーチ」の「小林孝之」なる人物だった。この2文字でネットの検索をしてみたら、ネットや迷惑メールの悪質業者として数多くのサイトで載っていた。

 気持ちが悪いので、最寄りの携帯電話サービスセンターを訪れ事情を離した。すると担当者は、「アァこれは絶対無視してください。」と言ってこのメールを着信拒否にしてくれた。」

 又「今後もしつこく来るようであれば。消費者センターか警察署は相談されてもかまいません。」という話だった。その後何のメールも無いから事態は沈静化してるんだけど、それにしても新年早々から不愉快な出来事だった。こんな経験した人って、けっこういるんでしょうか?

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自分の年齢スパンで日本の歴史を遡ってみた。

2016年01月10日 | 日記

 1月10日(日)

 年頭から「北朝鮮が核実験」、「株安、円高で先行き不安」何てロクでもないニュースばかりが流れる。70代の大台を間近に控えた老いぼれが、「新年明けましておめでとう。」何て言うのはチョットと引っ掛かる。

 マア70近くまで取りあえず元気で過ごせたのだから感謝しなくちゃいけないんだけれどネ。私が生まれたのは終戦直後の混乱期で、巷では傷痍軍人が路端でアコーデオンを奏で、配給物資を貰った何て記憶がウッスラ残っている。それを考えたら世の中随分変わったものだ。チョイと暇つぶしの遊び心で、私の年齢スパン(6?年)を基準に日本史を遡ってみた。

 

昭和2?年 終戦直後の混乱期(私の誕生年)    

1代前  明治初期 西郷隆盛の西南戦争勃発

2代前  江戸後期 伊能忠敬、日本地図作成の旅

3代前  江戸中期 8代将軍、吉宗の治世(遠山の金さん(大岡越前守)が活躍)

4代前  江戸中期 5代将軍、綱吉の治世(生類憐みの令)

5代前  江戸初期 大阪城の戦いで豊臣氏滅亡

6代前  室町後期 戦国時代、種子島に鉄砲伝来

7代前  室町中期 応仁の乱で今日の都が荒廃

8代前  室町中期 中国海岸で倭寇が跋扈する

9代前  室町初期 足利尊氏が征夷大将軍に任じられる。

10代前 鎌倉時代 親鸞が浄土真宗を広める。 

20代前 飛鳥時代 奈良に法隆寺が建立される。

30代前 弥生時代 弥生土器や青銅器、鉄器等が生産される。

 こうやって眺めると遠い昔が少しは身近に感じられる。2千年前に鉄や青銅の刀や槍が登場し、500年前には鉄砲が伝来、そして一世代前の明治時代は軍艦や戦車が登場、現代は人類を滅亡に導く核兵器の時代になった。それにしても近代以降の歴史の変貌は凄まじい。この変貌の結末はどうなってしまうんだろうか。

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モンスターカントリー北朝鮮

2016年01月08日 | 日記

 1月8日(金)

 波乱の新年を象徴するかのように隣国でドデカイ花火が打ち上がった。「水爆」という名の誰もが嫌悪する花火だ。周囲に迷惑を掛けるモンスターペアレントやモンスターご近所さん等しばしば話題になるけれど、その言い方を借りれば、肥満児の暴君が支配する北朝鮮という国はモンスターカントリーとでも言えばいいのだろうか。

 主な産業が「偽札作り」や「麻薬の製造販売」、「旧ソ連製兵器コピーの粗製廉価販売」で、借りた金は踏み倒し、海外同胞を脅して金を巻き上げる。北朝鮮という国は凶悪な暴力団がそのまま国になったようなもんだ。

 親子三代の七光りだけで支配者となった「金正恩」なる人物、とても真面な精神の持主とは思えない。必ずや愚かなる暴君として後世に歴史の名を刻むだろう。

 こんな国が隣国何てはた迷惑もいいところと、嘆いてばかりはいられない。何しろこの暴君は、核兵器とミサイル何ていうドエライ物を持っている。現時点では実用段階に至っていないようだが、自ら宣言しているように、「水爆積載のミサイルで全地球上を攻撃できる。」というのが暴君の最終目標なのだから。

 世界の国々が非難の声を上げ、安倍総理も「断固たる措置をとる。」と力強く宣言したが、でも断固たる措置たって一体何をやるんだろ。本当のところ打つ手が無いというのが実情ではないか。

 又いつもの事かとマスコミもあまり深刻に受取ってはいないように見受け、円安、株下落で経済の先行き不安何て事と同列扱いにしている。でも冷静に考えたら、これは空恐ろしい出来事だ。あのデブで我儘で真面な精神とは思えぬ暴君が、気まぐれでボタンを「ポチッ」と押せば、数分後には日本の何処かに核爆弾を落す事が出来るのだから。

 そこで一つ懸念する事柄がある。仮定の話だが、もし北朝鮮が明らかに我が国へ核攻撃を仕掛ける兆候がある場合、憲法により先制攻撃を禁じられた我が国は、1発核爆弾を落とされるまで指をくわえて見てるだけなんだろうか。ロシアやアメリカのような広い国ならまだしも、日本のような狭い国がそんなことになったら壊滅的な被害を被ってしまう。

 それとも対抗する手立てが何かあるのだろうか。あるならちゃんと示してもらいたい。「どうか発射しないでね。」と懇願する何てのは駄目だよ。隣国の暴君の一挙一動にビクビクする何て真っ平ご免だし、憲法は守ったけれど国は滅んだなんてのも嫌だ。国の存亡にかかわる事だから、ここんとこはハッキリさせて欲しい。

 

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南ア、仙丈ヶ岳登山(北沢峠→ 仙丈ヶ岳→戸台登山口)

2016年01月06日 | 山歩き

 1月4日(月)   天気=晴れ

 

05:15北沢峠こもれび山荘→ 05:57二合目→ 06:51大滝ノ頭→ 07:49~08:03小仙丈ヶ岳→ 08:49~09:19仙丈ヶ岳→ 09:54~10:01小仙丈ヶ岳→ 10:21~29大滝ノ頭→ 10:55二合目→ 11:23~55北沢峠こもれび山荘→ 12:10大平山荘→ 13:25~40丹渓山荘→ 13:54熊穴沢分岐→ 14:54白岩堰堤→ 15:30戸台登山口駐車場

 

 朝4時に起床する。ラーメンと昨日残した漬物だけで朝食を済まし、5時15分に山荘を出発する。外はまだ暗闇の中、ヘッドライトの灯を頼りに歩き始める。登山道に明瞭なトレイルが刻まれているから迷う事は無い。・・・と思ってしばらく登っていたら降り道が続くようになった。

 仙丈ケ岳登山口(下山時)

 アレッ道を間違えたか?と一瞬思い地図を確認すると、二合目付近はゆるい降りになっており間違いではなかった。二合目標識の所でテント場からの道が合さった。この先から大滝ノ頭まではズーッと樹林帯の急登が続く。

 暗くて景色も見えぬので、無我の境地で黙々と歩くのみ、二合目から約1時間で大滝ノ頭に着いた。ここから馬の背ヒュッテへ行く道が右に分岐しているが、積雪期の今は凍結の為通行止めになっている。

 大滝ノ頭(下山時)

 大滝ノ頭の先で、鳳凰山の稜線から朝日が昇った。その力強い日差しが今日の好天を約束してくれているようだ。やがて樹林帯を脱すると頭上に小仙丈ヶ岳のピークが見えた。森林限界を越えると吹く風が強まり時折身体を揺すぶるが、歩行を妨げる程の風では無い。

 鳳凰山の稜線から日の出

 大滝ノ頭から小仙丈ヶ岳までの道が今日一番の急登で、ピッケルを身体の前方に突き刺しそれを両手で掴み身体を引き上げる。その繰り返しで登って行く。

 先に出発した同宿の人が上から降りて来た。「早いですね~。」と声を掛けると「小仙丈まで行って引返したんです。」と答えて降って行った。こんな良い天気なのに山頂へ行かない何て勿体ないなあと他人事ながら思った。

 小仙丈ケ岳ピーク(奥は仙丈ケ岳)

大滝ノ頭から約1時間で小仙丈ヶ岳(2855m)に着いた。ピークからの眺望は言葉にならぬほどの絶景、しばし呆然と見惚れる。360度の展望だが何と言っても圧巻は仙丈ヶ岳の雄大な山容で、正に南アルプスの女王の貫録だ。

 仙丈ケ岳への登り

小仙丈ヶ岳から小さなアップダウンを幾度か繰り返していよいよ仙丈ヶ岳への最後の登りにかかる。この辺りも急登で苦しい登りだ。焦らず、急がず、休まずの思いで登って行く。稜線を巻き気味に乗越すと前方に初めて山頂が見えた。

 山頂が見えた。

 同日登った人のブログに私が前衛ピークを登る姿が写っていたので許諾を得て掲載

 前衛ピークから山頂

尾根沿いにゆるく半円を描くように登り08:49待望の仙丈ヶ岳(3033m)に到着した。冬の仙丈ヶ岳はズーッと以前にも登っており今回が2度目だ。前回も良い天気だったが、今日も無風快晴の素晴らしい天気だ。仙丈ヶ岳は私を気に入ってくれているのだろうか。

 仙丈ケ岳山頂

 山頂から塩見岳、赤石岳方面

 山頂から甲斐駒ケ岳

 山頂直下の仙丈小屋と遠く八ヶ岳方面

 山頂から富士山(右奥)と北岳(右端)方面

 山頂から中央アルプスと御嶽(右奥)

 山頂にはグリーンの服を着た青年が先着しており、彼も「こんなに良い天気は初めてですよ。」と感激していた。山慣れた好感のもてる若者で彼と交互に写真を撮りあった。あまりの陽気に山頂を去るのが惜しい。しかし今日中の下山予定だからあまり長居もできず、30分程滞在し後ろ髪引かれる思いで山頂を後にした。

 山頂の三角点標石

 辛い登りと違い下山は快適だ。思い切りアイゼンの刃を効かせてガシッガシッと勢いに乗って降りて行く。その内右足小指がチクチクと痛み始めた。久しぶりに履いた冬山用登山靴が合わなかったのか小指の皮がむけたようだ。

 下山道から小仙丈岳(中央手前)と甲斐駒(中央奥)アサヨ峰(右奥)

 小仙丈ヶ岳まで戻り、もう一度周囲の景観を心眼に留め北沢峠へと降って行く。登りの疲れも溜り小指の痛みも気になって、中々脚が進まない。それでも大滝ノ頭で一息入れただけで休まず降り、仙丈ヶ岳山頂から約2時間余で北沢峠のこもれび山荘に戻ってきた。

 小仙丈岳から富士山と北岳

 小仙丈岳から北沢峠方面

 山荘に残置した荷物をザックに収め、軽く昼食を取った後、戸台へと下山を開始する。夏山ならバスであっという間に山麓へ戻れるのに、林道が通行止めの冬は遥か遠い戸台集落までエンヤコラと歩かねばならぬ。冬山の辛いところだ。

 八丁坂の降りでいよいよ右小指の痛みが我慢ならなくなった。柔らか生地の予備靴下と履き替える。これで少しは楽になった。やがて瀬音が聞こえ、北沢峠から1時間15分程で丹渓山荘へ降り着いた。

 ここから先は平坦な道なので小指の痛みもそう気にせず歩けるだろう。昨日恐々渡った渡渉地点の凍った丸木橋を今日も恐々渡り、人気の無い静寂な河原を粛々と降って行く。小指の痛み差へ無ければ快適な下山道だ。熊穴沢分岐を通過して約1時間後白岩堰堤が見えた時は、もうすぐゴールだと安堵した。

 白岩堰堤から作業用林道を約40分程歩き戸台の駐車場へ戻って来た。振り返るとV字型の谷間の奥に西陽に輝く甲斐駒の稜線がクッキリと浮かんで見えた。車に乗ると高遠町のさくらの湯に直行する。靴下を脱いでみたら右足小指には大きな血豆ができていた。お風呂から上がり針で血豆を潰してバンドエイドを張って、やっと痛みから解放された。

 戸台から甲斐駒ケ岳

 若い頃は冬山のテント生活も厭わなかったが、年老いた今は幕営具を担ぐ体力も酷寒に耐える気力も失せた。だから最近の正月山行は営業小屋のある所しか行けなくなった。アラセブンの年齢からしても冬の3000m峰はもう今回辺りが限界だろう。

今日山頂で眺めた絶景は良い冥土の土産になったのでは、たとえボケても忘れ得ぬ生涯の想い出になったような気がする。この齢で登れた事にただ感謝あるのみ。

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南ア、仙丈ヶ岳登山(戸台登山口 → 北沢峠)

2016年01月05日 | 山歩き

 1月3日(日)   天気=晴れ後時々曇り 

08:39戸台登山口駐車場→ 09:22白岩堰堤→ 10:49熊穴沢分岐→ 11:10~20丹渓山荘(廃屋)→ 12:55~59大平山荘→ 13:15北沢峠こもれび山荘

4年前の正月明けに甲斐駒へ登るべく戸台まで来たが、猛吹雪に遭って一歩も歩かず尻尾を巻いて逃げ帰った記憶がある。それに比べ今朝の戸台は周りに雪の欠片も無くまるで春山の様相だ。

 戸台登山口駐車場(下山時)

 駐車場には人気が無く10台程の車が停まっていた。登山計画書をポストに投函して出発する。戸台川沿いに北沢峠までの道のりはウンザリするほど長いので、大地とにらめっこしながら黙々と歩き始める。

 戸台川のはるか奥には甲斐駒のギザギザした稜線が望まれる。南アルプススーパー林道が開通する前はこの道が甲斐駒、仙丈へのメインルートだったが、今は行き交う人も絶え、踏み跡は年々薄れていく。

 谷の奥に甲斐駒の稜線

 作業用の林道を40分程歩き白岩堰堤に着く。対岸に白岩の対岸には白岩の岩壁が陰惨に聳えている。ここから河原沿いの登山道に変る。時折正月登山を終え下山の人とすれ違う。時期が遅いせいか登る人は皆無だ。

 白岩の岩壁

 河原沿いの踏み跡は錯綜しているが迷う事は無い。進むにつれ甲斐駒の稜線がだんだん大きくなってくる。白岩堰堤から約1時間半で鋸岳へ登る熊穴沢分岐に着く。調子が悪くないのにコースタイムとほぼ同じなのは荷物が重いせい?それとも齢をとったせい?対岸の鋸岳が凄まじい傾斜で聳えている。30年前に仲間二人と登った時は厳しい山行だったが楽しくもあった。今は懐かしい思い出だ。

 丹渓山荘手前の渡渉地点は丸木数本束ねて架けているが、氷が付着して滑りそうなので恐々渡った。昔は行き交う人で賑わっていた丹渓山荘も、今は荒れ果て廃屋と化し昔日の面影は無い。

 渡渉地点の丸木橋

 廃屋の丹渓山荘

 丹渓山荘の先から八丁坂の急登が始まる。北沢峠まで標高差500m余の登りだがジグザグに刻まれた道は意外と歩き易い。それにしても今年は異常に雪が少なく、標高1800m地点辺りからようよく雪道に変わってきた。

 八丁坂登山道

 ようやく雪道に変わる。

 登るにつれ、右手に高く見えていた南アルプス林道がだんだん低く近づいてくるのが励みになる。丹渓山荘から約1時間半で南アルプス林道沿いに建つ大平山荘に着いた。山荘に人気は無く扉は固く閉ざされていた。

 無人の大平山荘

 ここから近道の登山道を伝って登ると再び南アルプス林道に出た。そこから僅かな距離で今宵の宿「こもれび山荘」が建つ北沢峠に到着した。戸台を出発して約4時間半余の長い道程だった。

 北沢峠のこもれび山荘

 暖かい小屋内部

 冬は年末年始だけ営業するという「こもれび山荘」は実に快適な山小屋だ。室内は暖房が効いて暖かくトイレもきれい。又食事付も可能、山岳関係の書物も沢山あって退屈しない。時間が余ったので北沢峠テント場の方へも行ってみた。時期が遅いせいか広い敷地には4張りのテントがあるだけだった。テント場横の駒仙小屋も営業している様子だった。

 北沢峠テント場

 北沢駒仙小屋

 今宵の同宿者は4名で今日仙丈ヶ岳を登ってきたという人に話を聞くと、「稜線上も雪は少なくワカン何て荷物になるだけ、アイゼンとピッケルだけあればよい」と言う。私以外の人は皆小屋の食事で、自炊の私はオデンと赤飯がメインで各種おつまみと缶ビールも持参したから我ながらけっこうゴージャスな夕食となった。

 ビールを飲みつつ夫婦の登山記を書いた小屋の本を読んでいたが、これが中々面白く止められない。でも明日が早いから渋々止め19時半過ぎに就寝した。

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2016年の初日の出

2016年01月02日 | 日記

 1月2日(土)

 穏やかな天気の下、昨日の初日の出は明るく力強い輝きで東の空に昇った。いよいよ2016年の幕開け、この天気のように穏やかで明るく希望に満ちた1年であって欲しいものだ。

 私にとって昨年は、念願だった北海道日高のペテガリ岳とカムイエクウチカウシ岳を登る事ができたしハーフマラソンも完走できた。とに角1年間を無事健康で過ごせたのだから良い年であったと言えるだろう。

 さてさて今年はどんな年になるだろう。残り14座となった日本三百名山を完登したい。それを終えたら何か社会に貢献できる事もやってみたい。(それが何か判らぬが)そして可能ならばフルマラソンにも挑戦したい。その為にも元気じゃ無くちゃいけないから、1年間健康でありたいというのが最大の目標だ。シンプル・ポジティブ・アクティブな1年でありたいと思う。

 2016年の初日の出

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