Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

大飯原発再稼動について

2012年05月31日 | 日記

  平成24年5月31日
 単なる民主党の内輪揉めに過ぎない野田首相と小沢さんの会談を、何故大騒ぎするのかと首を傾げてしまう。それより大飯原発再稼動に関する首相発言の方が重要ではないでしょうか。世論は圧倒的に「再稼動反対」でしょうが、「再稼動」と聞いて内心ホッとした人が少なくないのではと私は感じます。今の街中を見渡せば、すっかり去年の3・11以前にリカバリーされており節電の痕跡等皆無です。本気で節電何て思ってる人は極少数じゃないのですか。?テレビだって本気で反対と主張するならば、「夏場の電力最大消費時間帯はテレビ電波を流さずラジオのみ放送します。」位の覚悟があってしかるべき、テレビを観なくて死ぬ人なんていませんから。でもCM収入が減るから絶対やらないだろうね。
 膨大な資金で築いた原発も使わなければタチの悪い巨大なゴミに過ぎない。それが稼動となれば、電力不足は心配なし、化石燃料の輸入も大幅減だから貿易収支も改善し、そうなると電気代値上げも無くなる。と良い事づくめ・・・・でも唯一つ問題は、もし万が一事故が起きたら日本は壊滅的という恐ろしい現実です。最後に東電が示した電気代値上げの根拠に、《東電社員のボーナスも含まれている。》と大ブーイングですが、感情的に理解できますけど、私は消極的容認です。政治家ならば、田村亮子さんや横山ノックさんみたいな人でもかまいませんが、原発という恐ろしい施設を管理する東電社員に無能な人間では困ります。優秀な人材を確保する為には、ある程度の報酬は必要でないかと思うのですが。

   

 

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岐阜、奥三界岳登山

2012年05月30日 | 山歩き

5月28日(月)   岐阜、奥三界岳     天気=晴れ後雨


05:55夕森公園林道ゲート発→ 06:15~18銅穴ノ滝→ 06:26吊り橋→ 07:14~24林道出合→ 07:54~56奥くらがり渓谷→ 08:07昇竜ノ滝→ 08:27~39林道終点→ 09:58~10:18奥三界岳→ 11:16林道終点→ 11:34昇竜ノ滝→ 11:46奥くらがり渓谷→ 12:17~20林道出合→ 12:53吊り橋→ 13:01銅穴ノ滝→ 13:17夕森公園林道ゲート着


 「ホーホッケキョー」とウグイスの声で眼が覚めた。早々にユースホステルを出発し、JR中央線、坂下駅近くの「道の駅きりら坂下」で簡単に朝食を済ます。ラジオからは「寒気が日本上空に入り午後から全国的に雷を伴った大雨に注意してください。」と報じている。此処中津川の予報も午後から雨、山中で雷雨に見舞われるのは悲惨だから早めに行動せねばと気が引き締まる。
 奥三界岳の登山口、夕森公園の林道ゲートにはAM6時前に到着した。昨日の戸倉山キャンプ場は人気が無く荒廃した感じだったが、夕森公園は森林機関車等展示され、施設も中々充実している様子です。ゲート脇には白い車が1台停まっている。




 夕森公園登山口ゲート




 我々も準備を終え、AM6時前に歩き始める。ゲートの横を抜け切り立った谷間に続く林道を20分歩くと左に小さなあづま屋が建ち、その奥に「銅穴ノ滝」が見える。高さ30m程、ドウコノ滝と呼ぶそうで流水豊富な滝です。この辺りの道沿いはモミジの木が多く秋の紅葉時はさぞかし艶やかだろうと想像される。



 銅穴ノ滝



 滝から少し先で沢に降立ち吊り橋を渡る。定員お一人様よく揺れる頼りない橋で、雨に濡れたら一寸渡るのが恐い。橋からは標高差400m程上の林道まで一気登りの山道になる。つづら折りの急登にいい加減ウンザリし始めた頃上の林道に着いた。この林道は夕森公園の方から山腹を延々と巻いて夕森山の下まで伸びているのだが、ゲートで閉じられ車の通行は出来ない。それ以前に落石で何箇所も塞がれているのでオフロードバイクの上級者以外は通行不可能だろう。



 沢に架かる吊り橋




 上の林道出合




 ここからは長~い林道歩きが続く。新緑の中、時折展望も効いているので単調な歩きもそんなに苦にはならない。所々の落石現場も歩く分には支障が無いが、上を見上げれば今にも崩れ落ちそうな岩壁で、地震になったらと不安な思いもする。やがて左手に奥くらがり渓谷が現れ、橋の上から美しい渓谷が望まれる。奥三界岳は渓谷の奥にあるのだが、姿を見出せない。



 長い林道歩き



 渓谷の少し先で林道支線が左に分岐し、奥三界岳へは支線を進む。分岐点では本線の鋼製橋と支線の木製橋が上下に重なって見える面白い眺めで、橋の奥には「昇竜の滝」がある。流水は少ないが、幅広で立派な滝だ。木製橋の上からは歩いて来た林道がクネクネ続いているのが望見できた。橋の少し先で男性2名、女性3名の中年登山者達が休んでいた。ゲートに停めていた白い車の人達だろう。女性の一人は随分高齢に見受けられ、楽な山ではないのにと少し驚かされた。



 林道から見上げる支線の木製橋



 昇竜ノ滝




 林道支線は落石の為ほぼ壊滅状態、歩くのさへ支障をきたす程荒廃が進んでいる。分岐から20分ほどで着いた林道終点には屋根だけが辛うじて残るプレハブの残骸が残っていた。、此処から登山道が始める。道標には「此処から山頂まで2H」と記されている。先が長いので一息入れる。休憩を終えて、木製階段を登り始めたら5人パーティが姿を現したした。



 林道終点



 急登しばしで笹原の道になり展望が拡がる。春霞に大気の透明度は低いが、東の方向にゆったりした恵那山の輪郭が見える。笹原と森が混在した三界山や夕森山のピークも確認できるが、肝心の奥三界岳は前山に隠れて望めない。やがて道は岩がゴロゴロした沢に変る。流水もあり此処が最後の水場となる。



 笹原の道から恵那山方面



 標識に従い右に曲って沢から離れ、再び笹原の道で最後の休憩をとる。時間はAM9時20分頃、まだ空は明るいけれどこれからの天気が気になってしかたない。笹原から緩やかな尾根の樹林帯に道は変る。多くの木々は曲がりくねっており冬の多雪を物語っている。一旦降って山頂へ向け最後の登り、相変わらず樹林で視界は効かない。道は泥濘状の所が多く雨天時には苦労させられそうだ。やがて「鏡池」と小さな標示板がる湿地帯に着く。池とは名ばかりで大きい水溜りと言った方が良い。この辺りには水芭蕉が群生していたので一寸驚かされた。



 湿っぽい樹林帯の道



 湿地帯に咲く水芭蕉




 湿地帯を通過してほんの一登りで奥三界岳(1810m)に到着した。笹原の山頂にはネットで見覚えのある古びた木製の展望台が建ち、その上から視界を得る事が出来るが、早くも上空の雲が厚みを増し展望はパッとしない。大気も冷たくなり天候の悪化が心配になってきた。ノンビリラーメンでも食べるか何て気にもならず、パンとお茶で食事を済ます。水気の多いグレーツフルーツがとても美味だった。


 奥三界岳山頂



 山頂からの展望(小秀山方面)



 「もう此処には2度と来る事は無いだろう。」と展望台に一瞥をくれ山頂を後にする。灰色を増す空に気をせかされ黙々と降って行く。5人パーティとは中々遭遇しないので諦めて下山したのかな。と思っていたら彼(女)等が登って来た。高齢の女性は男性に荷物を預け腰を曲げて必死の登り、いつ雨になってもおかしくない状況なのに大丈夫かな他人事ながら気になる。
 そんな思いで降っているといきなり雨が降りだしたので、慌てて雨具を着込む。しかし雨は長く続かず沢を降る頃には日差しが出る程に回復した。雨の中石ころだらけの沢を降るのは大変なのでホッとした。雨にせかされて休憩を取ることなく林道まで降立った。林道歩きを始めた途端、再び雷とともに強い雨が降り始めた。その後は降ったり止んだりの複雑な天候が続く。




 落石に塞がれた林道支線(下山時)


 林道から吊り橋までの急な下り坂は、雨に遭わなかったので問題はなかった。吊り橋を渡ってやっと一安心、気持ちが緩む。
その後も脚を止める事無く登山口のゲートに戻った。出発からの行動時間は7時間20分とけっこうハードな山行だった。車に乗り込むと直ぐに中津川市川上地区にある公共の温泉「かたらいの里鶴寿の湯」で山の汗を流す。此処は地元民優先の温泉で、係りの女性も感じ良く素朴な雰囲気が好ましかった。アルコールは禁止だが入浴料も400円と安く(地元民は200円)てお勧めです。
 温泉を出て中央高速道、中津川ICに向う途中から土砂降り雨となった。登山中で無くて本当に良かった。中央道は渋滞する事も無く車は順調に走って夕刻には我家へ戻る事が出来た。留守番していたキキは少し吐いて布団を汚してはいたものの、元気にその役割を果たしていた。
 日本300名山踏破という指標が私の頭の片隅にあり、今月初めに登った男鹿岳と今日の奥三界岳もその範疇でした。いずれも手強い山でしたが、今回は妻と一緒に登れた事が一番の喜びでした。何時まで二人で登れるか判りませんが、少しでも長く続く事を願うばかりです。


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信州、戸倉山(伊那富士)登山

2012年05月29日 | 山歩き

5月27日(日)  戸倉山(伊那富士)      天気=晴れ


08:51戸倉山キャンプ場発→ 09:20馬止の松→ 09:38上ノ森コース合流点→ 09:53~10:01沢コース合流点→ 10:09金明水→ 10:23~24戸倉山西峰→ 10:27~56戸倉山東峰→ 11:00戸倉山西峰→ 11:09金明水→ 11:14沢コース合流点→ 11:23上ノ森コース合流点→ 11:32馬止の松→ 11:47戸倉山キャンプ場着


 新緑を求めて妻と一泊の山旅に出掛けました。1日目の山は信州伊那谷の東に聳える戸倉山、端正な山容から伊那の里では「伊那富士」と呼ばれているようです。留守番をする猫のキキに「しっかり留守をしろ。」と声を掛けAM5時前に我家を出発、先週の山行では渋滞だった中央高速道も、この時間帯ではスイスイ走れ3時間足らずで駒ヶ根ICに着いた。
 戸倉山目指して一般道を東に走る。沿道は老若男女地元の人が総出で清掃作業している。今日は一斉清掃日なのだろうか。ポイ捨てが絶えない我町の惨状に比べ、何と良い習慣なのだろうと妻と感心する。山麓の林道を登って行くと突然ゲートに前進を阻まれた。どうやら道を間違えたようだ。Uターンして少し戻ったら小さな標識があった。此処を左折しなければならなかったのだ。左折して10分足らずで登山口の戸倉山キャンプ場に着いた。




 登山口の戸倉山キャンプ場




 林間の駐車場には6台程の車が停まっている。我々と同年代のご夫婦がちょうど出発する間際だった。我々も準備を終えると出発する。沢沿いに少し進んで左の尾根を登る。ジグザグの急登も僅かで後は良く整備された歩き易い道が続く。樹林の道は爽やかな風が吹き新緑が輝いて癒しのメロディーを奏でているかのような気がする。
 やがて松の大木がある「馬止めの松」に着く。看板には「地元の人が作業の馬を此処で繋いだ。」と書かれている。この付近は山ツツジの群生地らしいが大して咲いてない。開花時期を過ぎているのだろう。馬止めの松の先で先程のご夫婦を追い越す。次のポイントは上ノ森コース合流点、、右手から道が合わさるが踏み跡は薄くあまり利用されていないようだ。そこから15分程で沢コースの合流点、この道は更に踏み跡薄く「急登なので注意」と標識に書かれていた。




 猿の松




 「猿の松」と書かれた松の下で休んでいると、単独の中年男性が足早に我々を追い越して行った。彼を追うように我々も登って行く。「猿の松」の少し先に「天狗伝説の岩」と書かれた標識があり、どんな岩かと思ったら、ありふれた平凡な岩だった。小さなあづまやが建つ「金明水」の水場は涸れていて細いパイプからは一滴の流水もなかった。これでは山頂で暖かいコーヒーを飲む事はできない。
 金明水から急登14分で戸倉山西峰(1670m)に到着した。立派な山頂標識には1680mと記されているが地図によると正しくは1670mで東峰より10m余低い。西側に視界が開き中央アルプスの眺めが良い。中年のご夫婦が風景を目出ながら食事中だった。我々は東峰へと進む。鞍部には小さな避難小屋があった。中を覗くと室内は良く整頓されている。



 西峰から伊那谷と奥に中央アルプス




 避難小屋の先、僅かな登りで戸倉山東峰(1681m)に到着。7~8名の登山者が思い思いに寛いでいる。こちらのピークからは東側の視界が良好で甲斐駒や北岳等南アルプスの山々が凄い高度感でせり上がって見える。コンロとコッフェルは持参したのに水が無いので冷えたお茶とパンだけの昼食を取る。




 東峰から南アルプス方面



 戸倉山東峰山頂




 30分程帯在して山頂を後にする。下山は往路を忠実に降る。一度も休まず降ったので1時間も掛からずに登山口の戸倉山キャンプ場に戻った。これは我々の脚が早いという事では無く、登山道が家族向きで楽なのだ。明日の奥三界岳は手強そうなので今日は足慣らしの登山だった。でも山の木々は美しく山頂からの景色も良くて実に楽しい山でした。
 登山口から降る途中にとても素敵な古民家があった。「木下家住宅」と看板にあり藁葺き屋根の日本昔話に出てきそうな風情のある建物だった。




 山麓の木下家住宅




 その後、伊那谷をしばらく走って松川ICから中央高速道に乗り岐阜の中津川まで行き、午後は馬篭宿等の見物で時間を過ごした。夜は道の駅で車中泊の予定だったが、明日に備えて休養したかったので、木曽路ふるさとユースホステルに電話すると「素泊まりだったらいいですよ。」と言うのでお願いする事にした。スーパーで食料を買い込んでPM6時頃ユースホステルに向った。オーナー夫妻はとても感じの良さそうな人達で宿の窓からも中津川市内が一望できて素晴らしい展望です。今度は食事つきで再訪したいものです。今宵の宿泊は我々夫婦のみでノンビリ休む事ができました。
 

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野田首相と小沢さんの会談は変?

2012年05月24日 | 日記

 平成24年5月24日
 悩まされていた下腹の痛みがようやく薄らぎ、昨日辺りからジョギングが出来るようになりました。原因を考えるにタイヤ交換作業をした時に腹筋を痛めたのではないかと推測されます。これも老化の兆しでしょうね。
 ところで今朝の朝刊を見たら先日来疑問に思ってた事が社説として載っておりました。それは、ゲゲゲの鬼太郎映画に出れば「子泣き爺」としてピタリはまり役の輿石幹事長を使者として、野田首相が小沢一朗氏にお会いしたいと懇願している様子です。そんなに会いづらいのは小沢さんが地球の裏側のブラジル辺りにでも住んでるからなのかなと思ったら、何と彼の事務所は野田首相の所から僅か5分程の至近距離、しかも毎晩のように子分共と会合を重ねているという話、小沢さんが国を憂う正論をお持ちなら、首相官邸に乗り込んで直談判すればよいだけの事で、まるで日中首脳会談みたいに大騒ぎする程の事か。野田さんも野田さんです。貴方は仮にも国の宰相、民主党党首ではないか。何で子泣き爺(違った
輿石さんだ)を使者にして(一兵卒になる。)と言った平党員にペコペコしなけりゃならないのだ。これでは立場が逆ではないか。首相が命を賭けると言った法案を、与党が反対し野党の自民党が応援する。一体どうなっているのか。今の民主党は烏合の衆にしか見えない。それから小沢一朗先生、貴方は自分が被告の裁判を控訴されて「理解出来ない。」と言ったけど、私は貴方のヤリ口が理解できません。

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金環日食。 だからどうした。

2012年05月22日 | 天文

 平成24年5月22日
 昨日は金環日食で日本中が大騒ぎでしたね。事前の天気予報は芳しくなかったものの本番は見事な観望日和、朝空に演じられる神秘的な天文ショーに心揺さぶられました。暗い出来事ばかりの日本にも何か良い事が起きそうです。時間はちょうど朝の通勤・通学時間帯、観望何てやってられない忙しいサラリーマンや学生達からは「何をノンキな事を、だからどうした。本当に良い事あるのかよ。」と嫌味の一つも言われそうですが、「それを言っちゃーお終いよ。」と寅さんみたいに言えない私は「だからどうした。」理論を展開されちゃうと続く言葉がありません。でも数十年しか存在しない人間は、悠久無限の宇宙からみれば泡沫みたいなもの。こんな事で生きる喜びを感じてもいいでしょう。地位・名誉・富・知性全て無い無いづくしのまま人生の後半を迎えた私は、「他人より少しでも多くの体験を我が身に味あわせて冥土土産にしてやりたい。」そんな思いが強くなっています。・・・・「だからどうした。」 ・・・・ 「・・・・・・。」

 


 

自作投影板に映る金環日食(制作費300円なのでこの程度)

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御坂山塊、黒岳登山

2012年05月21日 | 山歩き

5月19日(土)   天気=晴れ


09:00御坂峠登山口→ 10:20~30旧御坂峠→ 11:32~37黒岳→ 11:40~12:17黒岳展望台→ 12:52破風山→ 13:18新道峠→ 14:00林道出合→ 14:55大石紬伝統l工芸館前


 先週末あたりから右脇腹を痛めており一時は歩く事もままならなかったので、所属する山の会が実施する19日(土)の山行は無理かな。と危惧していたが、序々に回復して歩けるようになったので参加する事にした。集合場所の若葉駅で待っていると時間通りにチャーターバスが来た。バスが駅を出発した途端、2台の車が衝突している事故現場に遭遇、まだ事故直後のようでパトカーも来ておらず当事者達が呆然と立ち竦んでいた。
 事故で遠回りした分だけやや遅れて圏央自動車道に入る。八王子JCTから中央自動車道に入った途端再び事故渋滞に巻き込まれた。遅々としてバスは進まず時間は過ぎるばかり、相模湖ICから国道20号に降りたけれど、この道もやっぱり混んでいる。今はカーナビ情報が普及してるので抜け道・裏道のメリットが無くなった感じがする。
 結局予定より1時間程遅れて新御坂トンネル入口の脇にある御坂峠登山口に着いた。此処から旧御坂峠への登山道は数年前の秋に妻と二人で歩いて紅葉が見事だったけれど、今日の新緑も劣らずに瑞々しくて美しい。爽やかな風に吹かれてジグザグに刻まれた道を16人が列をなして登って行く。背後には樹林の合い間から白銀の富士が時折雄大な姿を覗かせている。



 
御坂峠への登山道



 1時間余で着いた旧御坂峠は展望は無いものの草原の広場があって休憩にはもってこいの場所だ。荒廃しつつある峠の茶屋が少々残念な眺めだ。峠から左に曲り黒岳を目指す。今度は左手に富士山がチラチラ見える。この稜線の道沿いも様々な木々の新緑が好ましい。風雪に耐えたブナの大木等は風格さへ窺わせる。



 
旧御坂峠



 リンドウ峠からの道が合わさると直ぐに黒岳(1793m)に到着。此処は展望が得られないので証拠の写真だけ撮って200m程離れた展望台に移動してランチタイムとなった。その名の如く展望台からは河口湖越しに弩迫力の富士山の眺めが圧巻である。私はコンロでお湯を沸かしてカップウドンとコーヒーの昼食を取る。出発前に会の垂れ幕を広げ富士山をバックに全員が記念写真を撮る。



 
黒岳山頂



 展望台から一旦黒岳に戻って左に曲り降りて行く。途中幾組かの登山グループとすれ違う。彼(女)等の殆んどは我々の会と同様に中高年世代ばかりだ。昨今中高年登山に対する風当たりは強いけれど、無理さへしなければ多くの中高年が登山で活力と生き甲斐を得るのは素晴らしい事ではないかと私は思う。



 
道沿いに立つブナの大木



 何処がピークか判らぬ程ゆったりした破風山(1674m)を越えて降れば新道峠に着く。計画では尾根道をあと1時間程進んで大石峠から下山予定だったが、出発が1時間遅れていたので、此処から下山する事になった。まだ歩き足らないという人も一部いたが、大半が早く温泉に入って休みという顔ばかりだ。



 
尾根道から白銀の富士山



 ジグザグに刻まれた道を降ると30分程で林道に降立った。岩屑が露出した林道は登山道より歩き難く女性が一人足を滑らせて転倒した。幸い擦り傷だけで歩くのに支障はなかったが、登山事故は疲れの溜まる下山時が圧倒的に多いから最後まで気が抜けない。傾斜地に点在する別荘エリアを抜けて大石の集落に着いた。多くの観光客で賑わう大石紬伝統工芸館の広い駐車場に我々のバスが待っていた。
 全員を乗せたバスは甲府盆地へ移動、石和温泉なごみの湯で山の汗と疲れを癒した。この温泉はリーダーのYさんがネットで見つけたそうだが、安くてきれいで休日なのに混雑もしておらずとても気分の良い温泉だった。帰りの車中は帰りの車中は元気のよいTさんの音頭で山の歌合戦が繰り広げられた。だが歌集が無いから大部分の人は全部歌い切る事が出来ず、尻切れトンボの歌ばかりだった。そんな楽しい時間を過ごす間に、バスは宵闇迫る出発の地へ戻った。

 

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明日は金環日食、観れるかな。?

2012年05月20日 | 天文

 平成24年5月20日
 明日は金環日食が観られるというので盛り上っていますね。私も若い頃天文カブレをしていた時期があり、その名残が写真の望遠鏡です。今風に紹介すると「口径65mm3枚玉アポクロマートレンズ搭載、極軸望遠鏡内蔵、F7.7タカハシ製TS-65P型赤道儀望遠鏡」という名称で、今は製造されていませんが、40年近く前のベストセラー機です。当時の価格で8万円以上、清水の舞台から飛下りるような心境で購入したのです。その後急速に天文熱は薄れ、長らく部屋の片隅で埃を被っていたのですけど、何百年ぶりに日本で観望できる日食とあってお出まし願いました。望遠鏡で太陽を観るには専用フィルターか太陽投影板が必要ですけど、メーカー品だといずれも万単位の価格です。それが惜しくて100円ショップで300円程の材料を買い太陽像投影板を自作してみました。妻には「オヤッ珍しい。」何て馬鹿にされながらも、今朝のテストでは不満足ながらも黒点の点在する太陽像を観る事ができました。明日は本番、でも前日夕刻の今上空は雲に覆われています。最近は不運続きの日本国、悲観的になりがちですが、こんな時だからこそ、太陽と月が描き出す金色の環を、日本の上空に輝かせてもらいたいものです。


タカハシTS-65P型望遠鏡と太陽投影板

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もしかしたら盲腸炎?

2012年05月14日 | 日記

 平成24年5月14日
 今朝起きたら右の下腹に鈍痛を感じた。普通の姿勢だと何とも無いのだが、屈んだり背伸びしたりするとズキッと痛い。その内直るかと思っていたが、だんだん痛みがましてきた。実はテニス仲間のEさんが都内の病院に手術入院していて昨日見舞ったのだが、一緒に見舞ったMさんと3人で「皆まだ盲腸が残ってるんだよね。」と話し合ったばかりだった。もしかすると盲腸炎ではと心配になり、近所の総合病院に行ってみた。待合室は凄い混雑で、「具合の悪い人がこんなにいるのか。」と少々驚かされた。随分待たされて、やっと外科で診てもらった。その後検尿・採血を経て、「検査結果からは炎症や胆石、腎石等は疑われず、筋肉痛ではないですかね。」とアッサリした医者の話、それを聞いた私はホッとする一方で物足らぬ感が無いでもない。「もし盲腸炎ならば入院・手術となり、寝ながらにして医療保険がガッポリ、それも悪くないなあ。」と取らぬ狸の皮算用が一瞬脳裏をよぎったのだ。結局鎮痛薬だけ処方されて帰宅したのだが、痛みはまだ直っていないし原因もはっきりしない。。ゆえに狸の皮算用は、私の脳からまだ消滅していない。
だけど人間っていう生き物は脆いもんですねぇー。この前までフルマラソンや雪山登山してた奴が、1箇所不調なだけで歩くのさへままならないのだから。

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中高年の山岳遭難について

2012年05月08日 | 旅行

 平成24年5月8日
 一昨日、妻と北アルプス西穂高岳へ出掛けました。 これは妻にも黄金週間の気分を味わってもらおうという私の思いの計画でしたが、登山口の新穂高温泉ロープウェー駅に着いたら、何と大雨と強風の為に運行停止、昼過ぎまで待ってみたものの運行には至らず、登りの大部分をロープウェーに依存した我々の登山は、断念せざるを得ませんでした。結局6日は奥飛騨の神岡町を散策して新平湯温泉の宿で一泊、翌7日は松本市内散策後、一般道をドライブして帰宅という単なる観光旅行で終りました。山岳遭難続出の折、この方が良かったかも知れませんし、妻の顔にもホッとした表情が伺えました。でも帰宅した私の胸の内には消化不良の胃袋みたいな気疲れが残りました。ところで中高年の登山については、いろいろ批判されてるようですね。確かに遭難は、各方面に多大な迷惑を掛けてしまいます。でも同好者の一人として私の心境は複雑です。春とはいえ雪山登山は厳しいものです。敢えてその困難に挑戦する中高年の心意気自体を、私はそんなに悪い事と思いませんし、好感すら覚えます。そう思うのは私が同じ穴のムジナだからでしょうかね。


風光明媚な神岡の町並み

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男鹿山塊、大佐飛山~男鹿岳登山

2012年05月03日 | 山歩き

4月29日(日)   木俣巻川林道登山口→黒滝山→大佐飛山→幕営地点(幕営)      天気=晴れ



08:03木俣巻川林道登山口発→ 08:35~44登山道合流地点→ 09:17~24三石山→ 11:00山藤山→ 11:50~12:05黒滝山→ 12:10~28幕営地点→ 12:44~48西村山→ 13:40~42大長山→ 14:39~50大佐飛山→ 15:37~40大長山→ 16:16~21西村山→ 16:33幕営地点




 栃木県と福島県の県境にある男鹿山塊の最高峰、大佐飛山と三百名山に名を連ねる男鹿岳は、登山道が無い為残雪期限定でよく登られている山々です。私も一度は訪れたいと切望していたので、今回チャレンジしてみました。最初に向った大佐飛山は、途中の黒滝山まで登山道があり、数年前に私も登った事があります。インターネット情報で、林道を利用すれば百村山直下まで車が上がると知ったので、そこを目指しました。
 百村山の山腹を巻く林道は、入口が一寸判り辛かったものの大部分が舗装され、落石が若干ある位でスンナリ標高約880mの登山口に到着した。「黒滝山登山口」と書かれた小さな標識と道路際に架けられた金属ハシゴが目印です。登山口周辺に停めている車は7~8台程有り、殆んど大佐飛山を目指す登山者のものだろう。

 私が準備していると中年男性3人組が大きな荷を背負い、金属ハシゴを登り始めた。彼らも途中に天幕を張って大佐飛山を登るという。重いザックを背に金属ハシゴを登って登山道に入る。この道は地図に記載は無く、尾根まではキツイ急登が続く。しかも今日は春先とは思えぬ暖かい陽気で、歩き出して直ぐに汗が止めどなく噴出す。先行する3人組も難儀してるようで一人は暑さと重荷に負けてグロッキー気味の様子、そういう私もしばらく歩いちゃ息をつきという状態で厳しい登りが続く。
 3人組を追い越し、約30分掛かって尾根を伝う登山道に合流、やっと急登から解放された。合流地点には昨日大佐飛山を登頂した5人パーティが休憩していたので状況を聞く。所々ヤブはあるものの特に問題は無いとの事。ただ大佐飛山から先男鹿岳方面への踏み跡は無かったそうで、私が「大佐飛山経由で男鹿岳までピストンするつもりと言うと、地元の人らしい5人パーティは「男鹿岳は林道経由で大川峠から登った方が絶対いいよ。」忠告してくれた。最初から重荷に難儀する私は忠告を受け入れる気持ちが強まった。




 
登山道合流地点




 三石山へ続く尾根道は一度歩いているので気分も楽だ。道端にはカタクリの花が点々と咲いている。ロープで保護されている箇所もあったが、群落と呼べる程の規模ではない。ザックの重さにも慣れてきた。身体が少しは登山に馴染んだようだ。
 小さな標石と標識がある三石山(1257m)には中年の単独女性が休憩していた。「黒滝山まで行きたいけど雪の状態が心配。」と言うが、先行する後姿を見たらかなり山慣れている様子だ。私も彼女を追うように出発する。この辺りでも雪は現れない。明るい樹間の緩やかな道がだんだん急になり次のサル山(1467m)らしき高みにつく。標識が無いが間違いないだろう。持参したGPSで確認すればいいが電池がもったいないからまだOFFにしている。




 
三石山ピーク




 サル山の先で「那須見台」という展望ポイントが地図に記されているが、確認できなかった。重荷に押されて俯いて歩いているから見落としたのだろう。山藤山への登りで突然のように雪道に変貌した。サングラスをかけ脚にロングスパッツをつけ、ピッケルを手に登って行く。雪が柔らかいのでアイゼンをつけるまでもない。途中の笹薮で踏み跡を一度見失ったが、強引に突破したら再び踏み跡が現れた。
 山藤山(1588m)周辺は歩き易い雪尾根の道、そこから一旦降ると雪が途絶え夏道をしばらく進む。そして黒滝山への急登が始める。トラロープがベタ打ちされてるので両手足を駆使して登る。手前のピークに着くと、その先は明るい雪原の道と変った。広々した所でテントを張りたくなったが、せめて黒滝山は越えねばと先へ進む。雪庇の端を伝って笹に囲まれた黒滝山(1754m)に着いた。先程の単独女性が小さな山頂の空地で一人淋しくランチタイム中だった。




 
黒滝山手前の登り




 此処までは私も経験済み、だが此処からは未知のルート、GPSをセットして次の西村山を目指す。ヤブの中に踏み跡が続き、目印のテープも点々とあるので迷う心配はない。黒滝山から少し降った鞍部の森は、少し暗い雰囲気だが平坦で幕営には良さそうだ。時間はまだ昼過ぎ、明日の天気は下り坂と報じているのでで今日のうちに大佐飛山を往復する事にした。余分な荷は此処にデポし、貴重品、行動食、飲み物だけザックに入れ出発する。その前にGPSで残置場所の位置登録をしなければ、ここに戻れないとテントで寝る事ができない。
 西村山まで一寸複雑な地形が続くでも踏み跡さへ見失わなければ問題ない。何組かの登山者達とすれ違った。皆小さなザックだから早朝出発して日帰りで大佐飛山を登って来たのだろう。その中の一人が「此処からだと往復4時間はかかるよ。」と話してくれた。それ位なら幕営地には十分明るいうちに戻ってこれる。
 黒滝山と殆んど標高の変らない西村山(1775m)は、展望も無く樹林の中に小さな標識が一つあるだけのありふれたピークだ。その先はしばらくヤブ道となるが、目印が随所にあるので道に迷う事はない。続いて雪庇の尾根を伝って登り、西村山から約1時間程で大長山(1866m)に着いた。ここも西村山と同様小さな山頂標識が一つあるだけの樹林に囲まれた静かなピークだった。




 
西村山ピーク




 大長山を越えると一挙に視界が拡がる。ゆったりした雪尾根に白い天空の道が伸び、ゆったり左へ湾曲して黒々とした大佐飛山へ続いている。その展望はインターネットで何度もお眼に掛かっているのだが、実際に見る展望の迫力は遥かに凌駕する。だが大佐飛山までは随分遠いなあ。でも此処まで来て頂上を諦める訳にいかない。体力の限界を感じてきたが前進するしかない。大長山の降りで最後の登山者(ご夫婦か?)とすれ違った。女性は男性に腰縄で引張られながらの登り、登山口まで相当の距離あるから明るいうちに着けるのだろうかと心配になる。



 
大長山の下りから左奥に大佐飛山



 
雪尾根から大佐飛山




 雪尾根が左に湾曲する所まで来て、フッと身体から力が抜けた。朝飯以後お握りを1個しか喰ってないからシャリバテというかガス欠状態になった感じだ。急いでアンパンを食いエネルギー補給する。しばらくすると身体にジワジワと力が漲ってきた。私の身体は案外単純だ。いよいよ大佐飛山へ向け最後の登り、樹林の中を踏み跡を拾いながらゆるゆる登って行く。14時40分、待望の男鹿山塊最高峰、大佐飛山(1908m)に着いた。



 
大佐飛山山頂




 樹林に囲まれた山頂は幾つかの標識があるだけで展望も無く、私の高ぶりとは裏腹に素朴なピークだった。帰路の長さを考えるとあまりノンビリともして居られず記念の写真を撮って余韻に浸る事無く山頂を後にする。



 
大長山への戻り道から日留賀岳方面



 
大長山への戻り道




 帰りの道は早くテントに入ってビールを飲みたい一心で疲れているのに脚が早まる。大長山への登りで振り返ると大佐飛山が傾き始めた陽の光に照らされていた。今頃に登頂の喜びが溢れてきた。「帰心矢の如し」で脚は疲れをものともせず、大長山、西村山二つのピークを越えて16時30分過ぎ幕営地に戻ってきた。
 早速テントを設営し、ガソリンコンロに火をつけてから缶ビールをグイッと一飲みする。疲れた身体にビールの喉越しが甘い。食料は2日分、ビールも2本あるから贅沢な気分、明日は下山するだけだから気も楽だ。森の中の幕営地は風も無く暖かくてとても快適な一夜だった。




 
黒滝山西側の幕営地









4月30日(月)   幕営地点→ 黒滝山→木俣巻川林道登山口・・・・(車)・・・・林道黒磯田島線釜沢橋ゲート(車中泊)   天気=曇り 


06:25幕営地点→ 06:35~43黒滝山→ 07:10~16山藤山→ 08:07~27三石山→ 08:42登山合流地点→ 08:55木俣巻川林道登山口→ 車で男鹿岳登山口の林道黒磯田島線釜沢橋ゲートへ移動し車中泊


 今日はノンビリ起床しようと思ったが、昨日早寝したので4時頃には眼が覚めてしまった。ラーメンと漬物だけの朝食を終え、ゆっくり装備をまとめていると、昨日登山口で一緒だった3人組パーティの2人だけが登ってきた。昨日は山藤山にテントを張って過ごしたそうだ。残りの1人は疲れてだいぶ遅れているとの事、バラバラに行動して大丈夫なのかと他人事ながら心配になった。「此処から往復4時間かかりますよ。」と彼らに話して別れた。
 私も装備をザックに納め下山を開始する。GPSもコンパスも見ないで適当に歩いたら早々と踏み跡を見失った。GPSで進路を確認すると90度も左へズレている。山勘はやっぱり当てにならない。黒滝山のピークを越えて雪庇の尾根を降っていると3人組の遅れた1人がノロノロと登って来た。「前の2人は1時間前に行きましたよ。」と言ったら「昼頃まで戻って来るかなあ。テントの撤収があるのに」とブツブツ言っている。彼の足取りでは黒滝山が限界だろう。
 山藤山のピークにはテントが2張りあった。3人組のものだろう。雪の融けた草地の幕営地は中々快適そうだ。山藤山から雪の斜面を慎重に降り切れば、後は夏道に沿って降るだけ。ビスターリビスターリで下山して行く。途中で若い単独男性とすれ違った。随分軽装だったから黒滝山を往復するのだろう。




 
山藤山ピーク(下山時)



 サル山~三石山を越えて尾根道が分かれる合流地点で右折し、昨日汗まみれになった急坂を降って9時前に登山口へ降り立った。車に戻ると汚れた服を着替え、登山靴をサンダルに履き替えると生き返ったような気分がする。今日はこれから南会津町近郊の男鹿岳登山口までドライブを楽しむだけでよい。



 
林道の登山口(下山時)




 観光客の車で賑わう那須山麓の観光道路を経由して長い甲子トンネルを抜け、福島県下郷町の「道の駅しもごう」で山菜丼を食べて2時間程午睡する。その後、国道121号沿いのファミリーマートで夕食を購入して、会津鉄道「田島高校前駅」付近から栗生沢集落を抜け、水無川沿いの狭い林道を遡って釜沢橋に15時頃着いた。橋の奥はゲートで遮断され車の進入はできない。此処が男鹿岳の登山口になる。



 
釜沢橋の男鹿岳登山口(奥に通行止めゲート)




 ゲート付近には浜松ナンバーのトヨタノアが駐車しており、中に男性が一人居た。彼も明日男鹿岳を登るのだろう。私は橋の側の空地に車を止め、此処で車中泊とする。夕食の準備をしていると熊谷ナンバーの車で単独男性がやってきた。彼も明日男鹿岳を登るとの事、明日は少なくとも3人が男鹿岳を登る事になる。それにしても私も含めたこの3人は、年恰好、雰囲気、体型と何とよく似てるのだろうと可笑しくなった。









5月1日(火)    釜沢橋ゲート発→ 男鹿岳(往復)    天気=曇り時々雨


05:44釜沢橋ゲート発→ 06:43~52オーガ沢橋→ 07:15~19男鹿沢橋→ 07:53~08:08大川峠→ 09:22~30栗石山→ 09:47~10:10男鹿岳→ 10:23~28栗石山→ 11:04~11:10大川峠→ 11:53男鹿沢橋→ 12:16オーガ沢橋→ 13:07釜沢橋ゲート着


 薄明に起床して焼ソバ・漬物で簡単に朝食を済ます。必要な物だけザックに収め出発しようとしたら、1台の車が上がってきた。中年男性が一人いて、彼も男鹿岳を目指すと言うので登山者が4人になった。彼に挨拶してから出発する。ゲート前に駐車している2台の車の持ち主は、既に早々と出発したようだ。 
 ゲートを抜けて林道を歩き始める。出発前は良い天気に思えたのに、だんだん灰色の雲が厚みを増してきた。この林道は大川峠の登山口まで10km程の距離がある。退屈しのぎにTBSラジオの「生島寛さんの番組」を聞きながら歩いて行く。林道は各所で崩壊しており四駆でも通行するのは不可能な状態だ。行政はこの道を放棄しているように思える。だったら何のために造ったのか。?
 丁度1時間で、鋭く屈曲したオーガ沢橋に着いた。この辺りからポチポチと残雪が現れ始めた。ここで大川峠まで約半分の距離、この後は山腹をクネクネ曲りながら高度を上げて行く。残雪が増えていくのに比例するように林道の荒廃度が増していく。だが、歩く分には何の問題も無い。
 県境でもある大川峠には登山口から2時間余で着いた。この先栃木県側の林道は、既に廃道化してしまったようだ。ここまで霧雨程度だった天気がいよいよ本降りの雨になってきた。これからヤブと残雪の登山道が始まる。雨具を着用して登って行く。心配なのはガスで視界が利かなくなるの事だ。




 
県境の大川峠




 最初はヤブ漕ぎの道だが、僅かな踏み跡もあり目印のテープも豊富だから迷わずに登って行ける。標高が上がるにつれ残雪が増えていき、やがて残雪の道になった。細々と踏み跡が続いているのでコースを見失う事はないが、グレーの雪景色の中をポツンと一人歩くのは、心細くないと言ったら嘘になる。それでも先行者が2人いると思えば心細さも薄らぐ。



 
栗石山への雪のルート




 急な雪面をダイレクトに直上すると傾斜がだんだん緩み、1701mのピークに着いた。小さな標識に「栗石山」と書かれていたので、これが正しい山名なのだろう。ここで登頂を終えた2人の先行者と遭遇した。流石に二人とも健脚の持ち主だ。「天気が悪くなるので二人一緒に急いで登った。」との事。彼らに写真を撮ってもらい互いにエールを送って別れる。



 
栗石山ピーク




 
この先は細い雪尾根が続く。一瞬雲が取れ男鹿岳の山容がチラリと見えた。細尾根から左に曲り、急な雪面をしばらく登ると山頂の一角に出る。、踏み跡を伝って行くと「男鹿岳」と記された看板に遭遇、09:47男鹿岳(1777m)に到着した。




 
雪尾根から男鹿岳方面




 山頂は薄暗い木々に囲まれており、北面は視界が利きそうだが、白いガスの中で全く展望はない。大佐飛山では早々と山頂を後にしたので、今日は20分余り山頂に留まり、コーヒーを飲みながら登頂の喜びを堪能する。



 
男鹿岳山頂




 休憩を終え、山頂を後に下山を始める。山頂直下で今朝方来た単独の男性と出会った。彼も中々の健脚だ。「あと僅かで山頂ですよ。」と声を掛け、彼とすれ違う。雪道の下山は楽だ。アイゼンを効かせて重力のままにグングン降りて行く。調子に乗りすぎたか、フト気付けばルートのある尾根から100mほどもずれている。慌てて横にトラーバスし、再び尾根沿いの正しいコースを降って行く。大川峠には山頂から1時間も掛からずに降立つ事ができた。
 後は林道を降って行くだけだ。フキノトウが道沿いに点々と咲いていたので、良さそうなのを採集しながら下山する。タラノ木も幾つかあったが全てタラノ芽を摘み取られていた。林道から奥に分け入ればゲットできるのだろうが、そこまでする気力はない。それでも長い林道歩きの退屈を随分紛らわす事ができた。





 
男鹿沢橋付近の林道




 登山口に戻るとゲート脇に1台の車が残っており、先に下山した男性が野外チェアーで寛いでいた。私も車に戻ると装備を整理して格納し、帰路に着く。国道121号沿いの「道の駅たじま」で山菜ソバを注文して遅い昼食とし、その後、塩原温泉街の横を通り西那須野塩原ICから東北道を経由して我が家へと帰宅した。帰りの車中は凄い土砂降り雨の中だったので、その前に下山出来た事を感謝した。その夜のテレビでは私が通った東北道、大谷パーキング付近で、車3台の事故が発生し、東北道が通行止めになった事を報じていた。
 

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