11月21日(火) 天気=晴れ
08:48軽井沢駅→ 09:34~44二手橋→ 10:48~11:28見晴台(碓氷峠)→ 12:06人馬施行所跡→ 12:40山中茶屋跡→ 13:28北向馬頭観音→ 14:12覗→ 14:44旧中山道入口→ 15:03峠の湯
去年の春先に妻と二人で軽井沢駅から碓氷峠を越えて旧中山道を坂本宿まで歩いたが、その時の新緑がとても鮮やかだったので、紅葉も綺麗だろうと昔からの山仲間S夫妻と I 夫妻を誘って、同じ道を再び歩いてみた。
下山口となる日帰り温泉「峠の湯」に車を残置し、横川駅から軽井沢駅に向うJRバスに乗る。碓氷バイパスを越えて到着した軽井沢の街は、先日の寒波の襲来で一面雪景色となっていた。
凍てつく軽井沢駅前
計画では登山口の二手橋までバスで行く予定だったが、この雪でバスは運休し駅から歩く事になった。雪道とはいえ大して積もってないので歩きにそれ程支障は無い。凍てついた別荘地帯の道を通り抜け、駅から40分余で二手橋のバス停に着いた。
二手橋バス停
バス停から左右に分かれる道を右に少し進むと「熊注意」の看板が立つ道が右に分岐する。ここが碓氷峠へ向かう遊歩道の入口だ。右折して沢沿いの道をしばらく進むと立派な吊橋があり、この橋を越えて遊歩道が始まる。
吊橋を渡る
薄雪を被った緩やかな道がどこまでも続き、キリリと凍てつく大気が熱る身体に心地よい。やがて稜線直下の林道に達し、林道に架かる鉄橋を渡ると、その後は林道に並行する遊歩道を碓氷峠に向って登って行く。振り返れば樹林越しに白銀の浅間山が高く聳えて見える。
碓氷峠への遊歩道
沢に架かる木橋はスリップしそうだ。
林道に架かる鉄橋を渡る
遊歩道に所々立つ案内標識
二手橋から約1時間10分程で、関東周辺の山々を見渡す碓氷峠の見晴台に着いた。峠まで車道が達しているので、観光の人も何人かこの辺りを散策している。眺めの良い見晴台の芝生にシートを広げ、少し早いがランチタイムとする。
碓氷峠に到着
芝生の上でランチタイム
見晴台からの眺め(妙義山方面)
見晴台の県境標柱
40分程で食事を終え見晴台を後にすると、長野と群馬の県境に建立された熊野皇大神社に参拝し家内安全・健康成就を祈願する。昔の人はきっと此処で旅の安全と成功を祈願したのであろう。
熊野皇大神社
神社を出発すると群馬県内に入り、坂本宿に向って旧中山道を降って行く。薄く雪の積もった道を20分程降ると沢のセセラギに着く。江戸時代ここには人馬施行所があり、街道を行きかう人や馬が喉を潤し身体を休めたそうだ。
碓氷峠の中山道入口(右の道)
人馬施行所跡地から緩やかに登ると広い道に合流する。ここを右折してその後は緩やかな尾根道を進んで行く。やがて一軒の廃屋がある平坦地に着く。ここは山中茶屋跡地で、江戸時代には十数軒の茶屋が軒を並べ、明治の頃には小学校まであったそうだが、今は全てが野に還り想像する事すら難しい。
山中茶屋跡地
山中茶屋跡からしばらく行くと明治天皇の巡幸路が合さる「見回り方屯所跡地」や「北向観音」、「南向観音」、「座頭ころがしの坂」等と中山道の旧跡が次々現れて、単調な歩みに変化を与えてくれる。この辺りで一部鮮やかな紅葉が残っており我々の眼を楽しませてくれた。
北向観音像
紅葉の樹林
更に進んで行くと古戦場跡の「堀切」に着く。戦国時代この山中で豊臣秀吉と北条氏の軍勢が戦ったそうだ。坂本宿の西に聳える刎山が近づくと岩っぽい道に変ってきた。
堀切(古戦場跡地)
道を塞ぐ倒木も何本かあった。(今年の台風でやられたみたいだ)
真新しい東屋があったのでそこで休憩し、再び歩き始めたら、一頭の日本カモシカと遭遇した。コイツがサービス精神旺盛と言うか動じないと言うか、しばらく佇んで我々の写真のモデルになってくれた。
我々の様子を見る日本カモシカ君
カモシカ君と別れ、降って行くと坂本宿を真下に展望できる覗に着く。昔の旅人はこの眺めを見て、もうすぐ宿に着くと安堵した事であろう。覗から少し降ると大きな石碑が幾つか建ち、更に降った箇所に溶岩流の名残である柱状節理の露出した岩盤がある。
覗きから真下に望む坂本宿
大きな石塔
柱状節理の岩盤
柱状節理の岩盤から急坂を降って樹林帯をしばらく行くと、程なく国道18号が接する中山道坂本宿側入口に降立った。碓氷峠からここまで約3時間の街道歩きだった。
旧中山道坂本宿側入口
その後日帰り温泉「峠の湯」まで歩き、山歩きの汗を流す。此処は幾度か訪れた事があり、広くて立派な施設で料金も600円(交通安全協会に加入してると1割マケてくれる。)と安く、私のお気に入り温泉の一つだ。
日帰り温泉「峠の湯」
古い山仲間のS夫妻、 I 夫妻と一緒に久々に歩いた今日の中山道ハイキングは、雪景色の軽井沢から紅葉彩る坂本宿まで変化に富んだ道程で、実に楽しい充実した晩秋の小さな歩き旅だった。