Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

日本三百名山回顧№131長野県、燕岳(2百名山)

2024年09月30日 | 三百名山回顧

 前回のブログで書いたように、燕岳は初めて私が登った北アルプスの山頂でした。そして私が山男になると決意した山でもあります。それ以降翌年5月連休の燕岳~槍ヶ岳の表銀座縦走を皮切りに、燕岳へは何度も登りました。

 中でも思い出深いのは、昭和60年の年末年始に当時所属していたK山岳会の正月山行で登った冬の燕岳登山です。この時は上高地~蝶ヶ岳~燕岳を縦走するパーティのサポート隊として登ったのですが、私は仕事の都合があったので縦走組とは会えぬまま一足早く下山したのでした。

 山岳会の大先輩でもあったH氏が、この時の行動記録を当時の会報に残していたので、その抜粋を下記に転載してみます。

 

正月山行、北ア、燕岳登山  行動記録=R・H

昭和60年12月29日~昭和61年1月2日

参加者:CL、H氏以下、N、F、男3名 S、女1名 計4名

12月29日   

23:30 新宿発南小谷行き、急行アルプス57号は50%の乗車率で楽々と座る。

12月30日

04:58 有明駅着。入山者15~6名程度、予約していた安曇タクシーが待っており、すぐに宮城ゲートへ向かう。

05:20 宮城ゲート着。タクシー代1820円、ゲート前には15台位の駐車場有り、ゲート脇を抜け出発。空は暗いが月明かりあり懐中電灯不要。

06:30 発電所前で軽い朝食。

07:35 観音峠先の中部電力待避所前で小休止。待避所内には℡、スキーストーブが設置してある。

08:50 信濃坂の近道を登るが、木段のステップが大きく登るのに一汗掻く。途中から気付くが、道路わきに所々「中房温泉迄あと何km」の道標あり。野猿多く、道路上に猿の糞が多い。

10:40 有明荘の前で雨が降り出す。有明荘は閉鎖しているが、冬季小屋が後ろの方で営業している様子。

11:00 中房温泉着。雨激しく降り出す。宿泊料2食付き6000円を支払い部屋へ入る。軒先から雪が時々「ドサッ」と落ちるので、玄関の出入りに気を遣う。外の天幕の連中も雨が激しい為に宿へ逃げ込む。

中房温泉(左側私、中央H氏、右側S子さん)

12月31日

05:00 起床、朝食。  07:10出発、夏ルートより左の冬ルートを歩く。積雪50cm位、気温高く雪が腐っている。

08:05 第1ベンチ。  08:48 第2ベンチ。  09:20小休止、大天井岳の小屋が見える。 10:15 富士見ベンチ。 11:05 合戦小屋。5~6張りの天幕あり、昼食。

合戦尾根の登り(右端、Nさん)

同 上

11:45 合戦小屋出発。  12:30 縦走隊とトランシーバー交信、縦走隊のF、Iの2名は、蝶ヶ岳から常念岳へ向かう降り付近らしい。

合戦小屋前

13:05 燕山荘着。冬季小屋満員、素泊まり3700円、缶ビール500円、酒450円、F()はツェルトを設営。

燕山荘直下の合戦尾根

14:30 定時交信するも縦走隊と交信不可。  15:00~16:30 燕岳往復。夕陽の雲の中に槍ヶ岳が美しい。  16:30 縦走隊と定時交信、雑音多く交信不可。  18:00 年越し蕎麦の夕食。   22:00 就寝、雨漏りがするのでビニール袋を天井に張る。

燕岳直下の道

燕岳山頂

1月1日

04:00 起床、時間を間違え1時間早く起きる。  05:00 朝食、雑煮。乾燥ホウレン草が粉状で入れ過ぎドロドロの雑煮になる。  06:50 初日の出、雲多く駄目だった。  08:30 縦走隊と定時交信、他の交信は入るがFとの交信は不可、皆心配する。

 08:45 F()後ろ髪を引かれる思いで下山する。  10:30 定時交信、縦走隊は大天井岳の手前15分位の所にいる。皆思わずホッとして顔がほころぶ。  11:10 大天井岳方面へ縦走隊を迎えに出発、北風強し。

元旦朝、一足早く下山する私

 12:30 蛙岩付近で定時交信、大天井岳を降り始めているらしいが風強く雑音多い。  13:00 岩陰で昼食、Hは燕山荘へ引き返す。  大天井岳下の尾根に縦走隊2名の姿らしき人影が見える。N、S迎えに出発。

 14:30 縦走隊と合流。  15:45 燕山荘い全員合流。  18:00 縦走隊と天幕で夕食、パーティ。  22:00 就寝、風が止み星空が美しい。

1月2日

05:30 起床。  06:30 朝食、ラーメン、天幕撤収。  08:35 燕山荘出発、快適に降る。  08:55 合戦小屋着、風無く燕山荘付近とはまるで違う。  10:35 第1ベンチ、美味な水を飲む。  11:08 中房温泉着。  11:35 中房温泉出発。

 14:10 発電所。途中道路結氷し滑って歩き難い。信濃坂付近で野猿の集団に遭う。  14:50宮城ゲート着。タクシーで松本に向かう。  15:40 松本信州会館着。入浴、寄せ鍋、ビールで乾杯、夕食。  19:36松本駅発、急行アルプス10号乗車。  23:08 新宿駅着、 解散。

 ※縦走組とはトランシーバーでの交信が中々上手くいかず、ヤキモキする事もあったのですが、F君とI子さんは蝶ヶ岳から無事に燕岳へ到達し、見事冬の北アルプス縦走を成功させました。

 縦走組のF君とサポート隊のS子さんは、その後目出度く結ばれて幸せな家庭を築かれました。そういう意味でもこの山行は、ハッピーエンドで終わった忘れ難いものでした。

 

 

 上記の燕岳正月山行から29年経った平成25年の正月に、今度は単独で燕岳へ登りました。この時の記録は当時の私のブログに掲載済みですが、冬の燕岳を登ろうという人には参考になるかも知れないので、下記に転載してみます。

北ア、燕岳登山

平成25年1月3日(土) 天気=晴れ

10:00宮城ゲート→ 10:28有明山登山道分岐→ 11:26~36観音峠→ 12:14信濃坂発電所→ 13:15有明荘→ 13:30中房温泉

  今年の初登山、北ア、燕岳へ行ってきました。夏ならば登山口の中房温泉までバスやマイカーで行く事ができるが、冬期は通行止めになる為、宮城ゲートから登山口まで13キロの道程を歩かねばならない。ゲート下にある登山者用駐車場には意外に多くの車が停まっていた。

宮城ゲート登山者用駐車場

 ゲートの脇を抜け雪の車道歩きが始まる。時折すれ違うのは燕岳登山か中房温泉泊りの人だろう。道路沿いの所々に中房温泉までの距離標識が設置されており良い目印になる。

宮城ゲート(タクシーが下山者を待っていた。)

距離表示した標識

 第4発電所横の橋を渡ってジグザグの道を登り、トンネルを抜けた先が小さな祠がある観音峠、此処までで中房温泉まで4割くらいの距離、車の無い時代の湯治客が道中の安全を祈願したのだろうか。

観音峠の祠

 道路には倒木や落石もあったが、落石は下山時取り除かれていたので、保守管理はされているようだ。中房川の対岸を見上げると1千m以上の標高差を隔てて有明山(2268m)の黒い山容が持ち上がる。又源流部には白い山波も見える。

道に横たわる倒木と落石(下山時落石は除かれていた。)

道沿いに見上げる有明山

遠く東沢岳付近の稜線

 信濃坂第5発電所で中房温泉まで三分の二の距離になる。ここから信濃坂の登り降りになり、車道歩きでは一番きつい所だ。坂を越えると後は中房温泉目指して登り一方の道、今日は温泉泊りだから気分も楽である。

信濃坂第5発電所

 ゲートから3時間半で中房温泉に着いた。この辺りは温泉の地熱で積雪が少ない。温泉宿は燕山荘と同じく年末年始だけ営業している。宿泊料金は2食付で¥9700円、飯は不味いし部屋は汚いが他に宿は無いのだから選択の余地は無い。お風呂だけは源泉掛け流し、私の入った岩風呂は実に心地よかった。

登山口手前の有明荘(冬季休業)

中房温泉燕岳登山口(地熱で雪が少ない。)

中房温泉玄関

入浴した岩風呂

 今宵の宿泊客は10名程、殆ど明日燕岳登山をする人だ。同年輩の単独男性二人と同部屋になった。桐生市と練馬区の人でいずれも穏やかで優しい人達で、同じ趣味を持つ者として、山の話で盛り上がった。

 

1月4日(日)     天気=曇り後雪

07:00中房温泉→ 07:37第1ベンチ→ 08:03~07第2ベンチ→ 08:32第3ベンチ→ 09:27~40合戦小屋→ 10:38燕山荘

 朝焼け空で今朝の天気は芳しく無さそうだ。登山口を出発すると最初から急登の道が始まる。黙々登って行くと口から白い息が洩れ蒸気機関車になった気分、しばらく行くと年輩の男女ペアを抜く。雪山に挑戦する勇気は偉いが、歩みの遅さに大丈夫かいなと少し気に懸る。

 1時間程着いた第2ベンチで練馬区の人に追いつく。30分程先に出発した彼は、「もう来る頃だろうと思ってたよ。」と笑った。その後登るにつれ下山者が続々と降って来る。皆さん脇に避けてくれるが、その都度に礼を言い喘ぎつつ通過せねばならぬので疲れが倍加する。

 1時間半で着いた第3ベンチは辛うじて標柱が顔を出していたが、富士見ベンチの標柱は雪に埋もれて見えなかった。約2時間半で合戦小屋に着いた。テントが2張設営されている。この先は吹き曝しの尾根なので、防寒装備を固めて出発する。

第3ベンチ

合戦小屋

 疎林の間を抜け合戦の頭(2488m)に達すると途端に横殴りの寒風と白い霧の世界に突入した。大晦日に女性が遭難したのもこの辺りだ。彼女を救う手立ては無かったのかと憐憫の情が湧く。

森林限界上の合戦尾根

 視界が全く無いから黙々と登るしかない。と目の上に突然建物が現れた。10時38分燕山荘に到着した。夏場は尾根の右手から直接玄関に入るが冬場は建物の左手をグルリと半周して小屋の中に入る。小屋の人が出してくれた暖かいお茶に身体がほぐされた。

燕山荘の建物が見えた。

 今日のうちに燕岳を登ろうと思っていたが、外は吹雪が止まず視界も無い。明日の好天を期待して、暖かい小屋の談話室でビールを飲みつつ読書を楽しんだ。前夜同室の人達も昼過ぎに到着した。心配した年輩のご夫婦も午後に到着したようだ。

 窓の外は身も凍る吹雪なれど、小屋の中はポカポカで正に極楽だ。燕山荘は明日が営業最終日で今宵の客はガイド登山の人達も入れて20名程、談話室で楽しい一時を過ごした。

夕食時、オーナー赤沼氏の談話

 燕山荘は2食付で¥10500円、でも食事は昨日の温泉宿よりはるかに美味いし寝具も軽くて快適、この小屋が人気ランキングのベストワンになるのも無理は無い。夕食時、小屋のオーナーの赤沼氏から冬山の留意事項や先日の遭難の顛末等話してくれた。最後に「明日は晴れますよ。」と言ってくれたので、それを期待して床に着いた。

 

1月5日(月)     天気=晴れ後曇り

 

06:47燕山荘→ 07:20~31燕岳→ 07:55~08:30燕山荘→ 09:14~16合戦小屋→ 09:37第3ベンチ→ 09:51~10:02第2ベンチ→ 10:20~40中房温泉→ 11:37信濃坂発電所→ 12:08~17観音峠→ 13:20宮城ゲート

 

 赤沼氏の言葉どおり素晴らしい快晴の朝を迎えた。日の出時刻が6時47分なので、朝食も慌ただしく済ましバッチリ防寒服装に身を固め燕岳へと出発する。西からの風が強烈で思わず身が竦む。

雲海から日の出

 やがて白い雪稜の奥からシズシズと陽が昇った。行く手の燕岳や遠く槍穂高の峰峰が紅く染まっていく感動の一瞬、此処に来て良かったと嬉しさが込み上げる。30分程で燕岳(2763m)に到着した。四周遮るものの無い青と白の世界、冬の燕岳は30年ぶりだけど今回は格別に嬉しい。

モルゲンロートの燕岳

同じく槍穂高連峰

メガネ岩

燕岳間近

 丁度山頂に居合わせた単独の青年に写真を撮ってもらう。彼は中房温泉にテントを張り、昨日は小屋泊りで我々と楽しく語り合った。彼と喜びを分かち合う。10分程滞在し山頂を後にする。小屋に戻る雪尾根の道は、雪煙が舞い雪山の美しさと厳しさにウットリする。

山頂から北燕岳方面

燕岳山頂

山頂から燕山荘、常念岳方面

山頂から槍ヶ岳

山頂から鷲羽岳方面

雪煙に舞う雪尾根

 小屋に戻ると装備を整理してザッグに収納し、合戦尾根を降って行く。昨日とはうって変わり、今日は雲海の上に雪尾根が延び美しい風景だ。途中でガイド登山のグループに追いつくがトレイルが1本しかないので追い抜く事ができない。最後尾の女性が「スミマセン。」と申し訳無さそうだった。

山荘から大天井岳方面

雲海に降る合戦尾根

合戦尾根から燕山荘を振り返る。

 合戦小屋でグループを抜くと、後はマイペースで降って行く。雪の合戦尾根は夏より楽だ。半ば滑るようにして一気に降った。殆ど休まなかったので燕山荘から中房温泉登山口まで1時間50分程で降り立った。

樹間から見える有明山

 しかし、此処まででエネルギーを遣い過ぎたのか、この後の13キロの車道歩きが堪えた。昨日の雪で道には10㎝程新雪が積もっており油断すると脚が滑るのだ。ホームセンターで買った¥950円也のチェーンスパイクを靴に装着したが、このグッズ、凍結路面には効果があるが積もった雪には気休め程しか効かなかった。

 登山口から2時間40分程で宮城ゲートの駐車場に戻った。近くの日帰り温泉で山の疲れを癒し、夕刻我が家に戻った。山の疲れが限界を超えたのか、このブログを書いている今、風邪の症状が出て鼻水と震えが止まらない。これを書き終えたら、即刻病院へ向かいます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私が登山を始めたきっかけは、上高地から眺めた穂高連峰

2024年09月28日 | 日記

 私が登山を始めようと思ったきっかけは、約半世紀前に旅先で眺めた壮大な山岳風景で、その日の事は今でも鮮明に覚えています。当時の私は首都圏の職場へ移って間もない頃で、恋人は勿論親しい友人さへおらず。孤独な青春の日々を過ごしていました。

 そんな私が昭和52年の6月、数日間の休暇を得て信州へ一人旅に出掛けたのです。名前だけ知っていた上高地へ、松本駅から朝一番のバスで向かいました。上高地のバス停で降り、しばらく歩いて着いた河童橋の畔から仰いだ穂高連峰の眺めは私の想像を遥かに超え、その日本離れした山岳美に圧倒されてしまいました。

上高地、河童橋

穂高連峰の眺め

 あの山へ近づきたいと思った私は、上下ジーンズに軽ザックの旅行姿のまま、登山者の後を追うように梓川沿いの歩道を歩き始めました。徳沢を過ぎ横尾の橋を渡って屛風岩の真下迄来ると登山道は雪道へ変わり、これ以上の前進は無理と諦め上高地へ引き返したのでした。

屏風岩下から北穂高岳

 それでも諦め切れない私は松持市内へ戻って本屋で北アルプスの山岳地図を購入、入門コースと書かれた燕岳を登ってみようと決めました。翌日早朝に登山口の中房温泉へ着き、ジーンズ姿に普通の革靴のまま、何人もの登山者と一緒に合戦尾根の登山道を登って行きました。

 合戦小屋までは順調に来たが、そこから上の道は雪に覆われていた。しかし此処まで来たら登らぬわけには行かぬと、若さと無知を武器に靴の中に雪が入るのも構わず強引に登り続けました。

合戦尾根上部の道

 やがて稜線上の山小屋燕山荘に到着、それから稜線伝いに歩いて念願の燕岳山頂に到達した。山頂からは北アルプスの壮大な景観が広がっています。その時私は「ヨシ、これから俺は山男になって今見えている山を全部登ってやるぞ」と心に決めたのでした。

燕山荘付近から槍ヶ岳方面

燕岳直下の道

燕岳から燕山荘方面

 登って来た道を降り登山口の中房温泉へ降り立ったのは夕方頃、既に終バスは去り途方にくれていると、親切な男性が車に乗せてくれ最寄りの駅まで私を送ってくれたのでした。

 休暇を終えて職場へ戻った私は、次の休日に池袋駅東口の登山用品店「秀山荘」へ向かい、登山用具一式を買い求めました。そこから私の登山人生が始まり、今に至っています。

 もし私に登山という趣味が無かったら、たぶん暗くて冴えない人生を過ごしていただろうと思います。そういう意味で、「山男になる」と決意したあの時の自分を褒めてやりたくなります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青梅市の宗建寺まで墓参り

2024年09月26日 | お出掛け

 9月24日(火)

 「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが今日はお彼岸らしいほど良い暖かさ、妻の実家のお墓がある青梅市の宗建寺まで墓参りに出掛けた。三連休明けの平日とあってお寺を訪れる人は殆ど無く、境内は静寂に包まれていた。

宗建寺の前門

宗建寺の本堂

 昨日辺り誰かがお参りしたのか、実家のお墓は綺麗に掃除され、まだ新しい供花と燃え残ったお線香が供えられていた。持参したお花とお線香を墓前に供え、御霊の在りし日の面影を偲んで合掌する。

 朝方出掛ける間際に伊豆諸島に津波警報が発令されたというテレビニュースを見た事もあり、何となくモヤモヤしてブルーな気分だったが、お寺の厳かな雰囲気に心が清められたのか清々しい気持ちに変わった。

 墓参りの後は多摩川沿いのお店で昼食でもと車を走らせたが、当てにしていたお食事処は何処も連休明けのお休みで、たまたま営業していた五日町駅近くのお店でお蕎麦を食べて、我が家へ戻りました。今日は秋らしい爽やかな天気で、気持ちの良い一日を過ごせました。

沢井駅近くの多摩川の清流

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関東に涼しさをもたらした秋雨前線が、能登半島に大雨を降らせた。

2024年09月24日 | 日記

 9月22日(日)

 秋の前触れである秋雨前線が日本列島を覆ったせいなのか、今日は日中でも20度前後の涼しさで猛暑に慣れた身体には肌寒さを感じるほどだった。お昼前後にお湿り程度の雨がパラりと降ったけれど、午後にはそれも止んで如何にも秋らしい雲が夕空に広がった。

 しかしこの秋雨前線が能登半島に猛烈な雨を降らせ、大地震災害から復興途上であった被災地の人々に再び打撃を与えた。日本は自然災害大国で毎年必ずと言っていいほど、何処かで災害が発生している。しかし能登半島だけに、1年足らずの間に2度も大災害を引き起こす事無いじゃないかと、自然の非情と不条理に憤りを抑えがたい。

 今から10年ほど前に一度は行ってみたいと能登半島を車で訪れた事がある。山と海が調和した能登の自然は風光明媚で穏やか、大災害の予兆など微塵も感じさせないものでした。

宿泊した石川県能登町の温泉宿「百楽荘」(九十九湾の眺めと洞窟風呂が有名)

百楽荘から眺めた九十九湾

輪島市の観光名所「白米千枚田」

 テレビやネットで垣間見る被災地の状況は凄まじく、再び能登の美しい自然は蘇るのだろうかと危惧を覚えるほどです。ボランティアにはせ参じたい気持ちは満々だが、年老いて何のスキルも無い年寄りが行ってもお邪魔虫になるだけです。

 僅かな義援金を送る位が、今の私が今できる唯一の支援ではと思います。いつの日か美しい能登の自然風土が復興されて、再び巡り歩く日が来る事を強く願っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月19日ブログの閲覧者数が突然急上昇

2024年09月22日 | 日記

 9月21日(土)

 最近の私のブログは、一日に凡そ300から400名の閲覧者数で推移しているのだが、昨日GOOブログサイトでアクセス解析を確認したら、9月19日(木)の閲覧者数が初めて1千人の大台を超え、1024名に急上昇していた。

 アクセス順位も通常は2000~4000番台なのに三桁台へ突入して282位となりこれまでの最高順位だった。別に面白い記事やセンセーショナルな記事を載せた訳でも無く、何で閲覧者数が突然増えたのかその理由が思い浮かばない。単なるまぐれか、それともGOOブログサイトのサーバーが誤作動でも起こしたのか確たる理由は分からない。

 私のブログは老後の暇つぶしと認知症予防の脳トレの為に始めたようなものなので、万が一人気のブログの一つ何て事にでもなったら、身の程知らずと言うか逆にプレッシャーでストレスが溜る。

 誰も見てくれないのは淋しいけれど、ホドホドに見てくれる人がいる今ぐらいの閲覧者数が私的には居心地がいい。翌20日(金)の閲覧者数を確認したらいつものような数字だったので、やっぱり19日の閲覧者数はまぐれ当りだったのかと、チョッピリ安心して少しガッカリした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭文社の株主優待で山岳地図をゲット

2024年09月20日 | 日記

 NISAの非課税額が拡大した事もあるのか、日経平均株価が高騰して株式市場は大いに盛り上がっているようです。ミニバブルと言われた20年以上前から株式投資に興味を持ち始め、今も幾つかの会社の株を保有している私としては嬉しい現象です。

 現在保有している会社の株は大体値上がりしているけれど、中には駄目な会社もあります。約21年前に昭文社という出版会社の株を、最低単位の100株だけ購入した。しかし長期の出版不況で昭文社の株価はダダ下がり、今では買った時の三分の一以下に下落してしまった。

 昭文社の株を買う気になったのは、ここが山岳地図を販売する数少ない会社だったからです。上手くすれば株主優待で山岳地図が無料でもらえるかもと、甘い考えを持っていたんですが。

 昭文社から僅かな配当金を貰えたのは最初の数年間だけ、それ以降はズーッと無配当が続いている。それでも株主優待でもらえる出版物だけは、現在に至るまで毎年律儀に送られてくる。しかし優待品はドライブマップや旅行特集本など差して欲しくも無いものばかり、私の希望する山岳地図の類は今まで無かった。

 今年も昭文社から株主優待の便りが届き、どうせ中身は大した事ないだろうと期待もせずに封を開けた。しかし今年の優待品リストをチェックしてみたら、全国の山岳地図もリストの中に網羅されていた。

 100株株主が貰えるのは2冊だけ、さっそく「北アルプス乗鞍高原」と「八ヶ岳」の地図をチョイスして、ネットの昭文社ホームページでオーダーした。これだけでも定価で買えば2640円もする。もっと早くに山岳地図をリストアップしてくれていたら、身銭を切って買う必要も無かったのにと、少し恨みがましくも思った。

 これから毎年山岳地図が2冊づつもらえるなら10年で20冊、これだけあれば国内の主要な山岳地図は入手できる。マアその前に足腰が弱って登山などできなくなっているだろうが・・と言うより、あの世へ逝っちゃってる可能性も十分あります。・・これを「捕らぬ狸の皮算用」と言うんだろうね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新日本海フェリーの秋割ゴーゴーで、秋の北海道の旅を予約

2024年09月18日 | 日記

 そろそろ秋のお彼岸だと言うのに季節外れの猛暑が続き、9月が苦月という字に見えてきます。こんな時は涼しい北海道にでも行きたいなあ・・何て思っていたら、新日本海フェリーから定期的に送られてくるメールの中に、「秋の北海道ゴーゴー割り」というキャンペーンが載っていた。

 55歳以上の人は一か月前までに予約すれば船室と車のフェリー料金が20%OFF、私はマッタリと過ごす船の旅が大好きなので、それが魅力的に思えた。紅葉に彩られた北海道の風景と甲板で優雅にビールを飲む自分の姿が目に浮かび、深く考えもせず新日本海フェリーの新潟港~小樽港往復チケットを予約してしまった。

乗船予定の新日本海フェリーラベンダー号

 期間は10月中旬の約一週間、決まっているのは行きと帰りのフェリーだけ、何処へ行こうか何をしようかはこれから考えるとして、まあザックリと北海道の紅葉景色を楽しんでこようかと思います。・・・などと夢想していたら、大雪山の旭岳では既に紅葉の盛りとテレビニュースで報じていた。北の大地に、秋は予想以上の早さで訪れているようです。若しかすると我々が行った時には白銀の大雪山となっているかも知れないが、それはそれで悪くはありません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

富士登山の時、水と行動食は此処がお勧めです。

2024年09月16日 | 日記

 先日登った富士山吉田口コースは、今年から入山料金2000円を徴収するようになり、又弾丸登山を阻止する為に深夜の登山道が立入禁止になった。いろいろ不満もあるが、無謀な登山者が多過ぎる為遭難予防の観点からも致し方ない事なのではと思います。

富士登山協力金御礼の記念札

 ところで登山に際して重要な装備はいろいろあるが、絶対忘れてならないのが水と行動食で、これらを無くしては山を登る事はできません。どちらも登山のエネルギー源となるものなので、できればより美味しい行動食、より甘露な水が求められます。

 私が富士登山をする際には、行動食は富士吉田市内に在る手作りパン工房「サンクルー」でパンを買っています。このお店は種類が多く価格も手頃、富士吉田で最も私がお勧めできるパン屋さんです。

富士吉田市内のパン工房「サンクルー」

 それから水は、何と言っても富士山の湧水が美味。富士山麓に湧水場所は幾つもあるが、お勧めは道の駅富士吉田傍の水汲み場で、誰でも自由に清冽で甘露な水を汲む事ができます。

道の駅富士吉田の水汲み場

 今年の富士登山シーズンは9月10日で終了しましたが、来年以降富士山に登ってみよう何て思っている人がいたら、参考にしてもらえればと思います。美味しいパンと甘露な水が、きっとあなたに登山のエネルギーを与えてくれるでしょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国道121号沿いのぎゃらりーカフェ扇屋は、高齢ご夫婦が営むユニークなお店

2024年09月14日 | 旅行

 先月福島県の裏磐梯へ旅行に出掛けた時、帰宅する日が日曜日だったので高速道は渋滞するだろうと予測して、裏磐梯から喜多方市~会津若松市~南会津町~日光市~大間々町~熊谷市を経由する一般道を走って我が家へ戻った。

 このコースは会津若松市内、日光市内&関東平野を除けば概ね山間を縫う道で、眺めが良くて信号も少ないので運転するのがとても楽しい道だった。鬼怒川温泉へ向けて国道121号の中三依温泉付近を走っていた時、「ぎゃらりーかふぇ扇屋」という看板のお店が目に留まった。

ぎゃらりーカフェ扇屋さん

 丁度お昼過ぎだったので、軽くランチでもと店先の駐車場に車を停めた。店内は炉端の周りに10席ほどの小さなスペースで、応接してくれたのが米寿の齢をとっくに超えたのではと思われる高齢のご夫婦だった。

 お汁粉と焼餅を昼飯代わりに注文したが、どちらもふっくらして素朴な味わいがとても美味かった。コーヒーは店主のご主人が豆豆をひき、山菜の漬物付きで出す拘りの逸品でした。

注文したお汁粉と焼餅

コーヒーの豆をひくご主人

 様子を伺うとご夫婦は安倍商店という漬物屋を営んでおられ、道楽半分でカフェをやっているような雰囲気です。

 高齢になっても夫婦お二人が協力してお店を営むその姿に、チョット胸打たれ応援したい気持ちになりました。注文してから食べるまで少々時間はかかるけれど、ノンビリと旅情を楽しむつもりで待てばどうという事もありません。

 高齢のご夫婦が頑張っている「ぎゃらりーカフェ扇屋」もし近くを通りかかった時は、ぜひ立ち寄ってみてください。時間があればお店のご夫婦と深い話ができ、旅の良き思い出となるでしょう。先に「道楽半分」と書いたように、お店の営業時間は金~月曜日の11:00~17:00の間だけみたいなので、その点ご留意ください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

登山靴を新しいものと交換する。

2024年09月12日 | 日記

 山歩きの相棒として長年使ってきた登山靴だが、経年劣化で靴底が擦り減り滑り易くなった為、新しい靴と交換する事にした。これまで履いてきた登山靴を購入したのは6年前の事で、その日の事は鮮明に覚えています。

 平成元年9月25日に北アルプスの有明山を表参道から登ったのだが、その時まで履いていた靴が古くて靴底が擦り減っていた為に沢を登っている最中滑って転倒、又防水機能も無くなって靴の中がびしょ濡れ状態になってしまった。

 それでその靴に嫌気が差し、有明山から下山後すぐに信州安曇野インター近くに在る登山用品店モンベルへ車を走らせ、今の靴を衝動的に買ったのです。そして翌日には買ったばかりの靴で北アルプス常念岳を登頂、それ以降この靴と一緒にいろんな山へ出掛けました。

 この間には膝の不調で山へ行けなかった時もあり、又コロナ過で県外への外出自粛が叫ばれた時もありました。それでも過去の記録をザッと数えただけで、約105回の山行をこの靴と共に歩いていたのでした。

 先日の富士登山でこの靴は有終の美を飾り、目出度く役目を終えました。お疲れ様の言葉と共に、そっと優しく不燃ごみの日に送り出してやりたいと思います。

 新しい登山靴は今年の初めにリサイクルショップで見つけた8000円也の掘出し物、5月の守門岳登山で試運転してみたけれど、まずまずの履き心地でした。これからの登山で、私の良き相棒として頑張ってくれるのではと思っています。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再び水虫との戦いが始まった。

2024年09月10日 | 日記

 水々しいお肌と縁遠くなってから早や半世紀と思っていたが、今だに足の先だけは水々しい・・・・じゃ無かった、水虫ヤローが居ついていやがった。水虫とは40代からの腐れ縁で、全然ウェルカムじゃ無いのに私の足から離れてくれない。

 十数年前に川越市内に在る仲皮膚科クリニック(院長の仲先生はTV出演もした水虫治療の権威です。)で治療してもらい、一度は完治したはずだった。しかし、先日妻が私の足先を見て「それ水虫じゃない、私に移されたら困るから、又仲先生に診てもらってよ」と言われ、再び仲皮膚科クリニックで診てもらったら、やっぱり水虫がカムバックしていやがった。

川越駅から歩いて5分の仲皮膚科クリニック

 実のところ水虫が居たからと言って別に痛くも痒くもないので、私自身は死ぬまで同居しても構わないのだが、「移されるのは嫌だ」と言う妻の圧で、治療せざるを得なくなった。

 治療は至って簡単、一日一回飲み薬を朝食後に飲み、塗り薬を風呂上りか寝る前に一回塗るだけです。治療費の事さへ考えなきゃ、苦でも何でもありません。しかし水虫のしつこさは知っているので、この程度で本当に撲滅できるのか今のところ半信半疑です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山梨県、富士山(吉田口コース)登山

2024年09月08日 | 山歩き

9月6日(金)    天気=晴れ時々曇り

06:26吉田口五合目→ 06:53~59六合目→ 07:35七合目(日の出館)→ 07:50~08:00七合目(富士一館)→ 08:28~34八合目救護所→ 08:55~58八合目(白雲荘)→ 09:25本八合目(トモエ館)→ 09:55九合目(鳥居)→  10:18~31吉田口山頂→ 11:02~09剣ヶ峰山頂→ 11:18富士宮口山頂→ 11:40~12:27吉田口山頂→ 12:47本八合目→ 13:23~34七合目公衆トイレ→ 13:52六合目→ 14:12吉田口五合目

 

 何度も登った経験のある富士山は、自分の登山力を計るにはもってこいの山です。後期高齢期を迎えた自分に今どれだけの登山力があるのか試してみたくなり、吉田口五合目から富士山を登ってみる事にしました。

 昨夜は富士吉田インター傍の富士北麓駐車場で車中泊、朝方5時発の一番バスに乗ろうと思ったが、列に並ぶのが遅れて5時半発のバスに乗り6時過ぎに吉田口五合目登山口へ着いた。

車中泊した富士北麓駐車場から見た朝の富士山

五合目行きのバスを待つ人の列

 トイレを済ませた後、登山口の窓口で入山料金2000円&協力金500円を支払い、入山証明のシールを受け取る。これが無いと登山口ゲートを通してくれず、紛失したら下山した時のチェックで再び料金を徴収されるのです。数年前まで料金無しで登れたのに、これも時代の趨勢でしょうか。富士山保護の為と割り切るしかありません。

朝の吉田口五合目登山口

 06:26吉田口五合目を出発、六合目までは山腹を巻く緩やかな道、眼下に山麓の街並みや山中湖が広がります。30分ほどで六合目に到着、ここでも入山シールをチェックされる。

六合目への道から山中湖方面の眺め

吉田口六合目

 六合目から、いよいよ山頂目指してジグザグの急登が始める。高山病が怖いので、大きく息を吐いて吸う事を意識する。最初は砂礫のジグザグ道だが、七合目を過ぎると岩場の急登が続くようになる。私はどちらかと言うとズルズル滑る砂礫の道より、手掛り足掛かりのしっかりした岩場の道の方が歩き易い。

七合目へ向かう砂礫の道

七合目辺りから始まる岩場の道

 六合目から約30分余で七合目最初の山小屋、花小屋に着く。マズマズ順調なペース、吉田口コースは登りと降りは分かれているのに、登りコースを降って来る人もけっこういる。途中で登頂を断念した人達なんだろうか。

七合目、日の出館

七合目から下界の眺め

 水分不足も高山病の要因なので、富士の湧水を3リットル持って来た。吉田口コースは山小屋が多いので途中で買う事もできるのだが、当然ながらお値段は些か高い。

八合目、白雲荘

 標高3000mの八合目を越えてくると足の筋肉がだるくなってくる。どうか足が攣らないでくれと念じつつ登って行く。本八合目を越え、9合目の鳥居を通過すると、山頂は頭上間近に迫って見える。しかし9合目からも急登は続き、空気の薄いせいもあり道端でバテてる人も多く見かける。

本八合目

本八合目で下山道と接する

九合目の鳥居

 10:18吉田口山頂へ到着、五合目登山口から此処まで所要時間は3時間52分だった。休憩の合間にLINEで今プレーをしているであろうテニス仲間に登頂を報告、その後噴火口を巡るお鉢廻りに出発する。2年前の富士宮口からの富士登山では時計回りだったので今回は反時計回り、風も弱く360度の大展望、正に天空の夢回廊です。

吉田口山頂下の鳥居

吉田口山頂の奥宮

剣ヶ峰に次ぐ高峰の白山岳

吉田口山頂から剣ヶ峰方面

お鉢廻りの道から南アルプス方面

大沢崩れ上部から剣ヶ峰

 11:02日本最高地点の剣が峰(3776m)に到着、2年ぶりの山頂は再び素晴らしい大展望で迎えてくれました。山頂標柱の前は記念写真の列ができていて、私も単独の外国人男性と交互に写真を撮りあった。

剣ヶ峰山頂

剣ヶ峰から吉田口山頂方面

 剣ヶ峰からズルズル滑る急坂を降って、富士宮口山頂に着く。吉田口ほどでも無いが、此処も大勢の登山者で賑わっている。更に御殿場口山頂を通過して、11:40吉田口山頂へ戻りお鉢廻りが終了した。

富士宮口山頂から剣ヶ峰

富士宮口山頂の奥宮

 休憩中に登山の様子をブログで発信しようとするが、空気が薄いせいか頭の中で文章が上手く思い浮かばず、50分近くも山頂に留まってしまった。12:27山頂を後に下山を開始する。

吉田口山頂の山小屋

 吉田口の下山コースは砂礫のジグザグ道、まるで雲の中に突っ込むように降って行く。砂礫の滑り易い道を苦手で恐る恐るという感じで降る人も多いが、私はこんな道が意外と好きで、雪山のグリセードみたいな感じで半ば滑りながら降って行く。(正直言うと下山中に2回転んだ)

雲の中へ下山する。

 降りの足は早く、山頂から1時間足らずで六合目間近の七合目公衆トイレへ着いた。此処からは馬に乗って下山する事もできるので、中には疲れて馬に跨り降る人も居た。(金満中国人の登山者が多い?)

七合目公衆トイレ前(馬が待機している)

 七合目公衆トイレから少しの降りで、六合目に向かう緩やかなトラバース道になる。降り着いた六合目は登り降りが交差してもの凄い登山者の群れ、今週末が登山シーズン最終日なので、そのせいもあるのだろうか。列から聞こえてくるのは中国語の会話ばかり、富士山六合目は外国人、中でも中国人に占領された感さへある。

六合目へ向かうトラバース道

六合目付近、登山者の列

六合目の賑わい

 六合目を通過して五合目への道は、最後に緩やかな登りが続くのでこれが地味に堪えた。14:12五合目登山口へ戻って来た。登山口の広場は今朝方とは打って変わりもの凄い人の波、まるで東京の原宿通りと見紛う混雑ぶりです。

五合目登山口の賑わい

 14:25五合目発の降りバスに乗れたので、午後3時過ぎに富士北麓駐車場へ戻ってこれた。車に乗ると都留市の日帰り温泉「月待ち芭蕉の湯」へ向かう。JAF割りで650円で入浴でき、この周辺では此処が一番リーズナブルでコスパの良い温泉なんです。

 お昼過ぎまで富士山の山頂に居たのに、3時間後の今は「イイ~湯だな、ハハン」と温泉に浸かっている。ハ~極楽、極楽です。後期高齢者になって初富士登山どうなる事やらと思ったが、私の登山力もまだまだ捨てたものではない・・と自信が持てました。マアあんまり調子にのらず、これからも登山を楽しみたいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

富士山剣ヶ峯

2024年09月06日 | 山歩き

9月6日(金)天気=晴れ

六根清浄、お山は晴天、朝6時過ぎ吉田口五合目を出発して日本最高地点の剣ヶ峯までやって来ました。 

後期高齢者になって初富士登山、白い雲を下に見て素晴らしい展望です。富士山に元気をもらって、黄昏の人生をもうしばらく頑張っていけそうです。

富士山剣ヶ峰山頂

 尚、登山の詳細は後日のブログにて

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今宵は富士吉田市で車中泊、明日は富士山へ

2024年09月05日 | 旅行

9月5日(木)

猛暑が戻ってきた今日の午後、山梨県の富士吉田市にやって来ました。生憎富士山は雲の中で、姿を見せてくれません。

今宵は市内で車中泊して、明日天気がよければバスで五合目まで行き、吉田口コースから日帰りで富士山を登る予定です。

登頂すれば後期高齢者になって初の富士山、遭難騒ぎを起こせば無謀な高齢登山者と非難される身、無理はしないつもりですが、できれば山頂から下界を眺めてみたいなあ。

道の駅富士吉田

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

穂高連峰での高齢登山者遭難事故について思う事

2024年09月03日 | 日記

 槍ヶ岳山荘グループが発信するブログは私のお気に入りブログの一つで、パソコンをONにすると殆ど欠かさず閲覧しています。先日に岳沢小屋スタッフが発信したブログでは、高齢登山者の道迷い遭難事故について書かれていました。

 75歳の男性が単独で奥穂高岳を登り、天狗のコルから岳沢へ下山中に道に迷って行動不能となり、翌日山岳救助隊員の手によって救助されたというものです。どうしてこの記事が気になったかと言うと、遭難した男性が私と同じ年齢で他人事とは思えなかったからです。

 穂高連峰は、何度も歩いた馴染みのある山域です。この遭難男性は75歳にして穂高連峰を登ろうというのだから、ある程度山に自信があった方なんでしょう。でもこの遭難事故に関しては腑に落ちない点が幾つかあります。

 ◎奥穂高岳から岳沢へ降るには前穂高岳経由の道が通常ルート(これも楽な道では無い)なのに、何で北アルプス最難関コースと言われる奥穂~西穂コースへ立ち入ったのか?

 ◎奥穂から馬の背~ジャンダルムの核心部を越えて天狗のコルまで来たのなら、何でそのまま稜線を西穂高へ縦走しなかったのか?西穂を超えれば通常ルートで、西穂山荘まで遠く無い道程なのに。

 ◎天狗のコルから天狗沢を降る道は、今まで奥穂~西穂コースのエスケープルートだったが、近年荒廃化して半ば廃道になっていると槍ヶ岳山荘のブログで注意喚起されているのに、それを承知の上で降ったのだろうか?

槍ヶ岳山荘のブログ抜粋(写真は天狗のコル)

 幸いにこの遭難男性は無事救助されたが、ブログを書いた岳沢小屋のスタッフは、この遭難事故に関して厳しく指摘しています。

 「高齢登山者をまとめて非難するつもりは無いが、結果としてこういう事故を起こせば何を言われてもしかたがない・・今年は本当に70代の登山者の疲労による行動不能~救助要請という事が多過ぎます・・岳沢小屋にも明らかなオーバースペックの登山を試み、穂高岳山荘から10時間以上過かって遅く到着する登山者が多数います・・高齢登山者を非難する訳ではありませんが、今一度「登りたい山と登れる山」が今の自分に合致しているのか、再確認をお願いしたいところです・・あと、道に迷ったのなら引き返せ、これも鉄則です。

 真っ当なご指摘、私も山で事故を起こせば遭難男性と同じように糾弾される立場、肝に銘じなければと思いました。しかし一律に「高齢者は山へ行くな!」と言うだけでいいのでしょうか。中高年が主体の登山界にあって高齢者が山へ行かなくなれば、山小屋を初めとする登山関連業界は大きな経済的打撃を受けるでしょう。

 高齢登山者側と登山関連業界が互いに歩み寄り、共存共栄できる道を探る事がより良い策ではと思います。山へ登る元気なお年寄りが増えるのは、社会にとっても経済にとっても明るい事ですし。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする