Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

群馬県水上町、湯の小屋温泉~宝川温泉ウォーキング

2014年04月30日 | 旅行

4月29日(火)         天気=曇り

 

 昨日群馬県北端の水上町へウォーキングに出掛けた。早朝の関越道を降り水上町温泉街にある無料駐車場に車を停め、約1キロ程離れた水上駅の待合室で湯の小屋温泉行きのバスを待つ。

 水上駅に向かう途中見た利根川と奥に谷川連峰

 我々夫婦だけを乗せたバスは07:40水上駅を出発した。途中お婆さんが1人乗降りしただけ、ほぼ貸切状態で08:20終点の湯の小屋温泉に着いた。

 湯の小屋温泉に来たのは約30年ぶり、あの時は妻と二人で、尾瀬の鳩待峠から笠ケ岳を越えて此処まで降ってきたのだ。バス停で写真だけ撮り、宝川温泉に向けバスで来た道を歩き始める。

 湯の小屋温泉バス停

 しばらくして振り返ると、背後の遥かな高みにウッスラと端正な三角形の笠ヶ岳が望まれた。あの時は途中ヤブを漕ぎながら一日でアノ山の向こうから来たのだ。30年前の若さが懐かしい。

 湯の小屋温泉付近から笠ケ岳を望む。

 やがて右奥に白い石の堤防が現れた。奈良俣ダムだ。その姿は現代のピラミッドとでも呼べばいいのか圧倒される巨大さだ。ダムサイト上へ行きたかったが、まだ遊歩道は閉じられていた。

 奈良俣ダム

 コースの県道にはポツポツと集落が点在する。利根川源流部となるこの辺りは春の訪れが遅く、今頃桜が満開に咲いている。又雪が溶けたばかりの道沿いにはフキノトウやコゴミが食べ頃に育ち、それを採取しながら歩いて行く。

 洞元湖(須田貝ダム)の北部に見える雄大な雪山は利根川源流の山「平ヶ岳」か、それとも越後三山の中ノ岳であろうか?利根川沿いに降る県道は基本的に降りだが、途中登りもあり汗を掻かされた。

 北に見える越後、中ノ岳or平ケ岳?

 やがて藤原湖の最奥部に達すると右に曲がる道があった。宝川温泉に向かう道で、宝川入口バス停で右折する。藤原湖に架かる橋は二つあり、手前の古くて細い歩道専用の橋を渡る。

 橋から約10分緩く登って城門のような入口を潜り、宝川温泉に着いた。湯の小屋温泉から約2時間のウォーキングだった。此処は日本一広い露天風呂があり大きな温泉だ。宿泊・日帰りいずれも可能で、料金を聞くと1人1500円、けっこうな値段でバス発車が30分後という事もあり入浴は止めた。

 宝川温泉入口

 宝川温泉バス停

 10:45発のバスに乗り11時半前に水上駅に戻った。帰りのバスも我々夫婦の貸切、そして行きのバスで途中乗降りしたお婆さんが又も同じく乗降りしたのが、可笑しい偶然だった。

 駅から駐車場へ戻る途中川沿いに遊歩道があったので、そちらを歩く。雪溶けの利根川は恐い程の水量で、2艘のゴムボートが凄い勢いで降って行った。私がカメラを向けるとボートに乗った若者たちが皆一斉に手を振ってくれた。

 利根川とゴムボートの渓流降り

 駐車場に戻ると、妻は「今日は汗も掻いて無いしお風呂は入らなくていい。」と言う。倹約家の私に依存は無く、午後の上州路をのんびりドライブして高速道路料金を使う事無く夕刻我が家に戻る事ができた。

 ところで何故ワザワザ群馬の端まで行ってウォーキングをやったのか、それには私なりの深~い事情があるのです。山歴40年の私、関東甲信越の主要な山はほぼ登り尽くしているが、湯の小屋温泉と宝川温泉間を繋ぐと、栃木県の日光駅から信州の志賀高原に至る山伝いの道が、私の足跡で一筆書きに繋がるのだ。

 「それがどうした。」と他人には言われそうなクダラヌ事だが、自分の生きてきた証として私には拘りがあるのです。

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リニア新幹線工事の残土を南アルプスに捨てる何て冗談じゃない。

2014年04月28日 | 日記

 4月28日(月)

 中央高速道の大月JCTから富士吉田方面へ向かうとすぐにリニアモーターカーの試験高架線が見えてくる。このリニアモーターカー2027年には営業開始する計画らしい。

 最高速度が500キロ、東京~名古屋間を僅か40分で走るというから凄いものだ。しかし今の新幹線でも東京~名古屋間を1時間半で結んでおり、これだって十分に早いと思う。たかだか数十分縮めるだけの為に、何兆円もの金を注込む必要があるのだろうかと些か疑問に思う。

 だからと言って自分の懐が痛む訳で無く、正直なところあまり関心は無かった。しかしあるニュースに俄然注目した。それは「南アルプスの大井川源流部に、リニア新幹線トンネル掘削で発生した膨大な残土を廃棄する。」という話だ。

 世界遺産なれど欲化した富士山に比べたら、南アルプスの自然遺産価値は遥かに高い。中でも大井川源流部は最も奥深い秘境だ。その貴重な自然を台無しにして造るリニア新幹線何てとんでもない愚かな事業、許せない行為で私は大反対だ。JR東海がどれだけ自然環境保護に気を配って工事を進める事ができるのか、今後に注視しよう。

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「若葉ウォーク」の空き店舗

2014年04月26日 | 日記

 4月26日(土)

 我家からほど近い場所にある「若葉ウォーク」は、田舎町にあるせいでそれ程大規模ではないが一応五十数店舗と1200台収容の駐車場を有するショッピングモールで、何より映画館があるのが嬉しく私は暇な事もあって週に3度は訪れている。

 昨日も散歩ついでに立ち寄り2階の通路を歩いていたら、かなりなスペースを有する衣料品店が「完全閉店」と書かれた張り紙を店中張って、最後の大安売りセールをやっていた。

 空き店舗ができると連鎖反応的にそれが増大し、商店街全体の衰退に繋がるというのが、流行らぬ商店街の宿命だが、此処がそうなってしまうのは大いに困る。何より今まで気軽に観る事ができた映画館が無くなってしまうのは、楽しみを奪われるようで本当に辛い。

 人口7万足らずの我が街で、このショッピングモールは街の活性化のシンボルだ。此処が衰退する事は、我が街の衰退に繋がる。どうか撤退した後に、すぐさま新しいお店が進出してくれるよう痛切に願わずにはいられない。

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我が家のベランダに花が咲いた。

2014年04月25日 | 日記

 4月25日(金)

 一度も花を咲かせる事無く朽ち果てようとしている私の人生をあてつけるかのように、妻がベランダで丹精込めて育てている植栽が大輪の花々を咲かせた。カレンダーの如く、必ずこの時期になると一斉に咲き誇る律儀さは不思議な程だ。

 こんな風に書くと、花開かぬ自分の人生を悔やんでいるように聞こえるが、実のところそれは無い。多少馬鹿な私でも自分の力量と言うか器は把握しているつもりだ。能力も無いのに身の丈に合わぬ地位に祭り上げられれば、必ずや無理が生じ何時か破綻する。

 まして私はネガティブ人間、精神に支障をきたすのは必定である。人生に無理は禁物、たとえ出世や名誉や富と無縁でも、60半ばの現在まで山歩きやテニスが出来る程度に心身とも健康でいられた事に感謝の思いが強い。

 スポットライトを浴びぬ端役の人生でジ・エンドとなりそうだが、人生万事塞翁が馬、雑草人生も悪く無い。

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奥武蔵、武甲山~大持山 登山

2014年04月24日 | 山歩き

4月23日(水)         天気=晴れ

 07:10一の鳥居→ 08:23~26大杉広場→ 09:10~55武甲山→ 10:18~21シラジクボ→ 11:03~13小持山→ 11:48~59大持山→ 12:47~51妻坂峠→ 13:18一の鳥居

 

 茨城県笠間市に住む妻の従弟のM恵さんから、「埼玉の山は馴染が無いので一緒に何処か登りませんか。」と電話があった。そこで秩父の名山「武甲山」を案内する事にした。

 昨夕我が家に泊ったM恵さんと我々夫婦3人は、早朝秩父へ向け車で出発する。武甲山登山口の一の鳥居駐車場にはAM7時頃着いた。風も無く穏やかな登山日和だ。

 一の鳥居登山口

 準備を終えると急なコンクリート道をゆっくり登って行く。陽の陰る道路脇には、まだ大きな雪のブロックが残されていた。武甲山は宗教色が色濃い山で、コース沿いには点々と道標が設置されている。最後の道標は「五十一丁目」で、山頂は五十二丁目になるそうだ。

 登り始めてすぐにある滝下の水場は、雪のブロックで埋もれていた。二十七丁目道標の所で最初の休みをとる。登山道沿いの樹林帯は良く手入れされており、清々しい気分で登って行ける。出発して1時間余で大杉広場に着く。此処にはスックリ聳える1本の大杉があり、一息入れるには良い場所だ。

 大杉広場

 ここから先も樹林の中に気持ちの良い道が続く。穏やかな傾斜なので、標高差の割には疲れない。やがて点々と続いた道標の最後「五十一丁目」に着くと、その上には立派な山頂神社があった。神社の脇を通り武甲山(1304m)に着いた。

 五十一丁目道標

 山頂標識は鉄柵に仕切られた断崖の縁にある。断崖はセメント会社により長年削られてできたものだ。今日も採掘する作業音が途切れなく響いている。無粋な光景と思うが、地元にとっては大切な地場産業であるから、我々余所者がとやかく言える筋合いではない。

 武甲山山頂

 誰も来ないのを幸いに山頂の一角でお湯を沸し、しばしコーヒーブレイクとする。山頂から写真を撮っていた時気付いたのだが、断崖を仕切る鋼鉄の柵に落書きが刻まれていた。「アルム山の会ミツイ・・・」や「大成山岳部・・」と名前はまともそうだが、こんなクダラヌ事をする奴は「私はアホです。」恥を宣伝してるようなもんだ。

 山頂から秩父市街の眺め

 他の登山者が来たのを汐に山頂を後にする。大持山への道は、分岐があるシラジクボまで大きく降る。しばらく草原と樹林が織り交ざる気持ちの良い道を進み、小持山への急登が始まった。しばし辛い登りが続く。シラジクボから40分の頑張りでツツジ咲く小持山(1273m)の山頂に着いた。

 シラジクボ分岐

 小持山への急登

 秩父の街から見るガレた姿とは全く異なり、小持山から見る武甲山は緑豊かな山だ。小持山から大持山までは岩尾根で、小さなアップダウンが続く。危険は無いもののけっこう疲れる道だ。途中に展望ポイントがあり、春霞の中に奥秩父核心の山々が眺望できた。僅かな登りで着いた大持山(1294m)は、疎林の中にベンチと標識があるだけの平凡なピークだ。

 小持山から武甲山

 展望ポイントから奥秩父の山々

 大持山山頂

 しばらく休憩した後、下山を開始する。妻坂峠までは標高差400m余の長い降りが続く。この辺りカタクリで有名なので期待したが、道際にポツリポツリと咲いていただけだった。

 カタクリの花

 妻坂峠から右に降ると名郷の集落へ行く。我々は左に曲って降りて行く。所々残雪が残り新緑が鮮やかな下山道だった。峠から30分足らずで登山口の一の鳥居へ戻った。

 一の鳥居への下山道

 車に乗ると西武秩父線、西吾野駅近くの宿「休暇村奥武蔵あじさい館」へ向かう。此処の日帰り温泉が良いと聞いていたので初めて訪れたが、広くて静かで綺麗、評判通りの温泉だった。

 温泉で汗を流すと帰宅の途につき、最寄りの駅でM恵さんとお別れした。今日の山行には満足そうな表情だったが、埼玉の山を彼女は気に入ってくれただろうか。

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近所のヤマダ電機店に行ってみた。

2014年04月22日 | 日記

 4月22日(火)

 週末、散歩ついでに近所のヤマダ電機店へ立寄ってみた。別に欲しい物がある訳じゃないけれど、「家電オタク」何て言葉があるように、いろんな家電製品を見てるだけでけっこう楽しい。子供がオモチャ屋に行きたがるようなもんだ。

 欲しい物は無いと言ったけど、実は星空写真が撮れる一眼レフカメラは何時か手に入れたいと思っている。だけどネット通販の方がはるかに安いからお店で買う気はサラサラ無い。

 最新カメラのパンフレット収集でもと思ったが、音も無く店員が寄り添ってきた。売れないお笑い芸人に似た若い男性だった。

 彼は私の外見(ヨレヨレの安物ジャージ上下、これで髭でも伸ばして服が破れていれば、立派なホームレスオジサンに変身)を見て、一瞬で「コイツ買う気は無いな」的目線に変わった。

 それでも「何かお探しですか?」とおざなりに聞く。気立ての良い私は何か聞いてあげねばと、「実は星空を撮れるカメラが欲しいのだけど何がいいかね。」と無邪気に聞く。

 売れないお笑い芸人が、気の無い言葉で幾つかのカメラを説明してくれる。ついでに値段も聞いたが、お話にならない金額だった。早く彼に去って欲しい私は「ありがとう、一寸検討してみます。」と言い、彼はホッとしたように去っていった。

 人生の底辺を歩んできた私は、「上から的目線」には凄く敏感だ。外見で態度を変える店員のいる店の商品は、ゼ~ッタイ買わネーゾ。

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韓国の客船沈没事故について

2014年04月21日 | 日記

 4月21日(月)

 最近のニュースを見ていると国内では「小保方晴子さん」絡みが相変わらず賑やかで当分収まりそうもない。海外では「韓国の客船沈没事故」が連日大きく報道されている。

 あの大きな船があまりにアッケなく沈没してしまったという事実には驚かされる。事故の詳細が判明するにつれ、船会社の杜撰な実態も次々と明るみに出た。事故当初から迅速に緊急対応が出来ていれば、多くの若者の命を救えたであろうに残念と言う他は無い。

 こんな事故は他国の出来事で日本は絶対大丈夫、何て思う人も多かろうが私にはそうは思えない。JR北海道のやった事何か事故を起した船会社と似たり寄ったりの杜撰さで、ただ犠牲者が出たか出ないかの違いだけだ。

 この事故で得た教訓は、船に乗っても宿に泊っても不測の事態に備えて非常時脱出口の確認を絶対怠らない事、そして非常時に於いては当局の言葉など信用せず、己の五感を信じて行動すべし、という事でしょう。

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房総、伊予ケ岳&富山登山

2014年04月20日 | 山歩き

4月19日(土)         天気=曇り

 08:55天神社→ 09:24~30休憩舎(展望台)→ 09:44~55伊予ヶ岳(南峰)→ 10:00~05北峰→ 10:10~17南峰→ 10:40休憩舎→ 11:00天神社・・・・バスで移動・・・・

 11:22福満寺→ 11:51~12:10五合目→ 12:24~28富山(南峰)→ 12:40~13:20富山(北峰)→ 13:27伏姫籠穴分岐→ 14:05~15伏姫籠穴→ 14:30伏姫籠穴入口バス停

 

 所属する山の会の今月山行は、千葉県の「伊予ヶ岳」「富山」だった。千葉県には高い山が無いのであまり訪れた事は無く、物見遊山な気持ちで参加した。

 19名の参加者を乗せたマイクロバスは、アクアラインを経由して僅か2時間余で房総半島に上陸した。千葉県は遠いというイメージがあったけれど、意外に近いのだと改めて実感した。

 平凡な田園風景を走るバスの車窓に、山頂が鋭く尖った小さな山が見えてきた。それが「伊予ヶ岳」だった。天神社という神社にバスが停まった。門前には御神木の巨大なクスの樹があり、日露戦争記念の石碑が建つ立派な構えの神社で、ここが登山口になる。

 登山口の天神社(奥に伊予ケ岳が聳える。)

 軽い体操の後、ゾロゾロと出発する。「伊予ヶ岳登山口」と書かれた道標辺りの畑では蜜蜂の箱が幾つも置かれており、数名の人が作業していた。道は良く整備されて歩き易い。20分程登ると一部崩壊した場所があった。去年の大雨による被害なんだろうか。

 伊予ケ岳登山口の道標

 伊予ケ岳登山道

 崩壊個所の上が展望台で休憩舎やベンチも置かれており、一息入れるには良い場所だ。展望台横に「この先、急傾斜(ロープ場)により大変危険です。十分注意してください。」と注意書きの看板が立っていた。

 展望台から山麓の眺め

 看板通りで、登るとすぐに急なガレ場が始まる。しかしロープや鎖がしっかり設置されているので案ずる程の事は無く、アッケなく伊予ヶ岳南峰に着いた。

 山頂直下の鎖場

 山頂は狭く南面が断崖になっており落ちたら一大事だが、鎖で囲われているので大丈夫だ。展望も良好で、西の方向に二つのピークがある富山の緩やかな山容と、その奥に東京湾が広がっていた。今日は春霞だが、大気の澄んでいる時は富士山もバッチリ見えるらしい。山頂標識を囲み記念の全員写真を撮る。

 伊予ケ岳(南峰)

 南峰から少し北に位置する北峰が伊予ヶ岳の最高地点なので、そちらへも脚を運ぶ。北峰山頂(337m)からの眺めも南峰とさして変わらず、南峰の断崖が人の姿に見えた。

 伊予ケ岳北峰から南峰

 北峰から富山(左端の山)方面

 展望を満喫し、下山を開始する。我々が降る頃から次々とハイカーが登ってくる。鎖場ではすれ違いが大変なので慎重に降って行く。そのせいか登りより降りの方が時間を費やしてしまった。登山口の天神社に戻ると休む間もなくバスで富山の登山口へ向かう。

伊予ヶ岳と富山の間は直線距離でおよそ5キロ程離れており歩く人も多いようだが、車道を歩かねばならず我々はバスで移動した。富山の登山口に建つ福満寺は由緒ありげなお寺で、その脇から登って行く。

 富山登山口の福満寺

 登山道の道幅は広く、一合目から順に道標が立ち良く整備されている。けっこう斜度がきつく歩いていると暑くも無いのに汗が滲み出る。登るにつれ斜度が緩み少し降った鞍部が五合目だった。此処で小休止する。

 五合目上の急坂

 五合目から急坂のジグザグ登りになる。かなりの傾斜だが階段状に良く整備された道なので以外と楽に富山南峰(342m)に着いた。山頂の広場には観音堂が建ち、最高地点はアンテナ等施設になっていた。展望は殆ど無いので休憩もソコソコに北峰へ向かう。

 富山南峰の観音堂

 南峰と北峰の鞍部には細い林道が延びており、南房総市の車が停まっていた。鞍部から階段を少し登ると富山北峰(349.5m)で、山頂は広場になっており木製の立派な展望台も築かれていた。

 富山北峰の山頂広場と展望台

 展望台の上に立つと房総半島の海岸線と東京湾の海原が広がり、海上を行き交う大型船も良く見える。今日は南房総市の市民登山があったのか山頂広場は大勢の人達で賑い、皆さん配られた弁当を食べていた。我々も此処でランチタイムにする。

 展望台から東京湾の眺め

 食事を終えると、広場横の端にある山頂標識の所で再び全員写真を撮り、その後山頂を後にする。下山は「伏姫籠穴へ」書かれたコースを降って行く。

 富山(北峰)

 この伏姫籠穴コースの山林は随分荒廃しており、多くの倒木が見受けられた。たぶん2月の大雪による被害だろうと思われる。更に降ると道は舗装された林道に変わった。

 その林道を降って行くと、白いお城のような建物があった。此処が「伏姫籠穴」でトイレや駐車場もあり観光名所のようだった。せっかくなので門を入って少し登った所にある「籠穴」を見物に行く。

 伏姫籠穴

 籠穴は小さな洞窟で中に白玉が置かれているだけのものだった。脇の案内板には里見八犬伝にまつわる謂れが長々と書かれていたが、あまり興味も無かったので深くは読まなかった。

 伏姫籠穴を後にして降って行くと程なく家々が点在する里へ着いた。県道の「伏姫籠穴入口バス停」横の空き地でバスが待っていた。バスに乗車すると近くに在る道の駅「富楽里」へ向かう。

 道の駅は週末とあって大勢の行楽客で賑わっており、販売されている地場の農産・海産物が飛ぶように売れていた。2階の惣菜店ではホタテやタコの串焼き、つみれ汁等私の大好物である海の珍味が売られており、これを肴に飲むビールが実に美味かった。

 道の駅「富楽里」

 時間が押していたので温泉への立寄りは止め帰宅する事になった。帰りの「海ほたる」を楽しみにしていたのだが、ビールの飲み過ぎで意識が半ば薄れ大した記憶が残らなかった。

 標高が300mそこそこなので千葉の山を少々見くびっていたが、程ほどに登り甲斐がありシニアの登山エリアとして中々の好フィールドだという印象が残った。

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ただ今、火星接近中

2014年04月18日 | 天文

 4月18日(金)

 お隣の惑星、火星が2年2か月ぶりに地球に接近中だと小さく新聞に載っていた。数日前、月と並んで赤く輝いていたから興味ある人はすぐに判った事でしょう。

 接近とは言っても火星は地球の半分以下の直径しかないし、9200万キロメートル以上離れているから、私の小望遠鏡で観たら「数メートル先の煙草の火」を見てる感じで、辛うじて極冠の白い点が確認できるだけ、正直ところがっかりする。

 私の子供の頃は地上から望遠鏡で観測するしか火星を知る術が無かったので、本気で火星人がいて文明があるのではと言われていたが、今じゃ火星の上を無人探査機が駆け廻る時代になってしまったので、詳細が解明されそんな夢想を語る事も無くなった。

 火星の実態が明らかになるのは天文学の進歩でもあり、喜ばしい事なのだろうが、夢とロマンが消えてしまったようで何となく淋しい。

 先日訪れた堂平天文台の90㎝望遠鏡は毎月第2・第4金曜日に一般開放しているという話だった。又、群馬県の子持山に建つ群馬天文台には何と国内最大級150㎝望遠鏡があり、これも一般公開されているという。

 これらの望遠鏡で観たらどんな火星像が見えるのだろう、考えたらワクワクする。何時か必ずや訪れてみたいものだ。

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硫黄岳(八ヶ岳)登山

2014年04月17日 | 山歩き

4月15日(火)                天気=晴れ

09:20美濃戸口駐車場→ 10:20~32美濃戸山荘→ 11:38~50堰堤広場→ 13:08赤岳鉱泉(宿泊)

 妻と本格的な雪山へ行くのは平成22年5月連休の北ア、涸沢岳以来だから実に4年ぶりだ。今日は標高2200mの赤岳鉱泉泊りだから、ゆったり出発する。

 登山口の美濃戸口にはAM9時過ぎに着いた。駐車場の管理人さんに2日分の駐車料金1000円を払い出発する。柳川に架かる橋を渡って林道をテクテク歩く。道路に雪は無く爽やかに吹く早春の風が心地よい。

 美濃戸口登山口

 約1時間歩いて山小屋が数軒建つ美濃戸に着いた。何処もまだ戸を閉ざし営業していない。此処まで一般車が通行できるので、登山者の車が3~4台駐車していた。

 私も車で来るのは可能だが、道は悪く駐車料金も一日1000円するからその気になれない。第一、山歩きに来てるのに少しでも歩く距離を減らそうという魂胆が気にいらない。

 一番上に建つ美濃戸山荘の所で、行者小屋に向かう南沢コースが分岐する。この辺りから雪道に変わってきたのでスパッツを装着する。我々は北沢沿いの林道を進む。林道は所々凍結しており、注意しないと転倒しそうだ。

 美濃戸山荘の南沢コース分岐

 赤岳鉱泉の白いジムニーが我々を追い越して行った。流石に四駆は強く悪路を平気で登って行く。妻は身体が山慣れしていないのか、辛そうな表情で歩いている。それでもほぼコースタイム通りに、林道終点の堰堤広場に着いた。

 北沢コースの林道

 一息ついていると、爽やかな青年が重そうなザックを背負って下から登って来た。今日は行者小屋まで行ってテントを張ると言い、軽い足取りで我々を追い越して行った。「俺にもあんな時代があったなあ。」と羨ましい後姿だった。

 堰堤広場に架かる橋

 堰堤広場から北沢沿いに登山道が始まる。徐々に高度を上げて行くと、前面に「大洞心」岩峰を中心に八ヶ岳主稜が姿を現した。八ヶ岳に来たゾという実感が湧いて嬉しくなる。

 八の主稜線が見えてきた。

 北沢に架かる架橋を幾度か渡り樹林帯の雪道を緩やかに登って行くと、突然のように青白い氷塔が見えた。赤岳鉱泉に併設されている、アイスクライミングの人口氷壁「アイスキャンディ」だ。高さは10mくらい、既に一部解け始めており使用&立入禁止になっていた。

 アイスキャンディと奥に赤岳鉱泉の建物

 赤岳鉱泉から眺める大洞心の岩峰

 赤岳鉱泉にはPM13時過ぎ到着、疲れた表情の妻にやっと笑顔が戻った。昨年3月単独で来た時はテント泊だったので、この小屋に泊るのは久し振りの事だ。一泊二食で9000円と料金は高めだが、設備はペンションと見間違える程立派で快適な環境に驚かされる。

 赤岳鉱泉の真上に赤岳山頂

 料理も夕食は何とビフテキ、普段でも食った事が無い豪華な食事にビールも美味い。今宵の同宿者は10名程、室内も一晩中暖かくグッスリ眠る事が出来た。赤岳鉱泉の設備とサービスの良さは、全国の山小屋でもトップクラスだろう。

 

 

 

4月16日(水)  天気=晴れ

 

07:26赤岳鉱泉→ 09:03~14赤岩ノ頭→ 09:35~10:10硫黄岳→ 10:25~29赤岩ノ頭→ 11:24~40赤岳鉱泉→ 12:30~40堰堤広場→ 13:20~30美濃戸山荘→ 14:15美濃戸口駐車場

 

 朝食の時間が山小屋にしては遅く6時半なので、大部分の人は既に出発しており、食事をとったのは我々夫婦と単独男性の3人だけだった。小屋の前でアイゼンを装着し7時半前に硫黄岳目指して出発する。

 樹林帯にしっかりトレイルがついているので道に迷う心配は無い。風は殆ど無く絶好の登山日和、黙々と高度を上げて行く。突然上の方から軽装の若者が降りて来た。昨日堰堤広場で会った爽やかな青年だった。

 てっきり硫黄岳往復登山と思ったら、何と赤岳から横岳を経由し縦走して来たと言う。普通に歩けば半日コース、何という健脚だろう。思わず「凄いねぇー」と声が出た。もう私にはマネの出来ない登山だ。「稜線は風が強いですよ。」と言い残し、青年は風のように去っていった。

 赤岩ノ頭直下の登り

 辛抱強く登っていると、樹間越しに赤岳や阿弥陀岳のピークがだんだん低くなってくる。樹木が疎らになると稜線も近く、最後の急登を頑張ると赤岩ノ頭(2656m)に着いた。

 赤岩ノ頭から硫黄岳山頂

 平坦な山頂からは硫黄岳~横岳~赤岳~阿弥陀岳の主稜線が全て見渡せ絶景の眺めだ。北風が時折強く吹くものの行動に支障ない。去年3月登った時には、吹き飛ばされそうな強風で必死の思いで登ったのだが。

 赤岩ノ頭から八最高峰、赤岳

 赤岩ノ頭から硫黄岳への登り

 気持ちの良い尾根道を伝って11時半前に硫黄岳(2760m)へ着いた。真っ平らな山頂は所々雪も溶け春山の装いだ。食事を取りながら二人だけの山頂を楽しむ。

 硫黄岳山頂

 硫黄岳の火口壁

 硫黄岳から横岳(左)と赤岳(右)

 硫黄岳から阿弥陀岳

 30分余の滞在の後、山頂を後にする。来た道を忠実に降って行くと、若い男性に引率された山ガール3人のパーティが登ってきた。皆元気で若さが溢れており、こちらも微笑ましくなってくる。

 下山道から赤岳鉱泉が小さく見えた。

 苦しい登りとは裏腹に降りは脚も軽く、山頂から1時間余で赤岳鉱泉に戻ってきた。ちょうど従業員の人達が給水施設の設置をしており、パイプの先から清水が溢れ出ていた。

 凍結した路面に注意しながら昨日登った道を約2時間半掛けて降り、PM2時過ぎ、美濃戸口の駐車場に戻った。乗車すると茅野市内の田園地帯にある「玉宮温泉望岳の湯」へ向かう。

 此処は茅野市営の日帰り温泉で、大人400円とリーズナブルな料金、設備も綺麗で何より眺望が素晴らしい。「望岳の湯」と謳うだけあって北端の蓼科山から南端の編笠山まで八ヶ岳全山が一望の元、今朝登ったばかりの山々を眺めながら湯船に浸かるのは極楽の一言で、八ヶ岳登山の汗を流すには絶対お勧めの温泉と言える。

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私のテニス最大の弱点は・・・・

2014年04月14日 | 日記

 4月14日(月)

 昨年入会した地元テニスサークルの練習に顔を出すと、月曜日のせいか参加者が少なかった。コートも空いていたので、リーダーのTさんやMさんが私のフォームを指導してくれた。

 「右足に体重が残ったまま」「フォロースルーができてない。」と自分では気づかない欠点をいろいろ指摘されて、成程なあと勉強になった。しかし他人には言わないけれど私の最大の欠点はメンタルの弱さ、練習ではノビノビ打てても試合になると身体がカチカチになってミスを連発する。

 あんまりひどい時は、自分でも嫌気が差してくる。小心者の私はこういう白黒のハッキリするスポーツは向いてない。それでも止めないのは、やっぱり本質的にテニスが好きなんだろう。

 ところで明日妻と八ヶ岳へ行ってきます。山登りはいいですよ白黒ハッキリしないから、精々女房孝行して雪山気分を楽しんできます。ブログに載せる山の写真が撮れればよいのですけど。

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奥武蔵、笠山~堂平山

2014年04月13日 | 山歩き

4月13日(日)                天気=晴れ

 

09:50西小分校前→ 10:16笠山分岐→ 10:53~57笠山→ 11:07~10笠山峠→ 11:25~49堂平山→ 12:03剣ヶ峰→ 12:10白石峠→ 12:44~47定峰峠→ 13:08白石バス停→ 13:20西小分校前

 

 私のブログは一応「山歩き」がコンセプト何だが、最近はご無沙汰で看板倒れもイイとこ。そこで今朝唐突に「山へ行こう。」と思いついた。こんな時、山里近い田舎町に住んでると便利である。

 向かったのは奥武蔵の笠山、東武東上沿線、小川町の近郊に在り、低山ながら端正な山容の山だ。我が家から1時間程で登山口の白石集落に着いた。長慶寺駐車場と書かれた空き地に車を停め、最小限の荷物だけ持って出発する。

 定峰峠へ向かう車道を歩き始めてすぐに、左へ分岐する細い林道があった。看板に「あじさいの道」何て書かれており面白そうなので、その道を行く。関東平野の桜は散ってしまったが、山里のせいかこの辺りではまだ満開に咲き誇っている。

 登山口の西小白石分校(廃校)の桜

 林道をクネクネ曲がりながら高度を上げて行くと、標識があり「雪崩被害の為、この先通行止め」と書かれている。でも歩く分には問題無さそうなので先へ進む。

 出発して30分程で「笠山峠→」と書かれた標識があった。ここから登山道が始まる。植林帯の急登だが空気がヒンヤリとしているのであまり汗も掻かない。途中に「防火線造設工事?」を記念する石碑があった。昭和7年に建てられたもので、その頃この辺りは「槻川村」と呼ばれていたらしい。

 昭和7年に建てられた石碑

 しばらく登るとダートの狭い林道と交差した。林道を越え更に登山道を進むと、笠山峠からの道と合流、そこから笠山(837m)までは僅かだった。山頂は以前来た時に比べ、明るい雰囲気で展望も良くなっている。証拠の写真だけ撮り、笠山峠へと降る。峠まで車で上がれるから、ここから笠山へ登る人が多い。

 笠山山頂

 笠山峠から関東平野の眺め

 峠へ降り立つと、今度は堂平山への登りが待っている。登山道は新道と旧道二つあり、道筋が明瞭なので新道を登る。中々急登だったが15分程で堂平山(876m)に着いた。山頂はゴルフ場のように広い草原で、最高地点には堂平天文台が建っている。

 天文台がある堂平山山頂

 堂平山から大霧山方面

 この天文台には90㎝反射望遠鏡が設置されており、完成当時は日本一の大きさだったそうだ。今は地元自治体が管理しており簡易食堂も営業していた。此処まで車道が延びているので、今日も大勢の観光客が訪れていた。

 堂平天文台の90センチ反射望遠鏡

 毎月第2、第4金曜日夜に観望会を開催するそうなので、機会を見つけて一度見学に訪れたいものだ。屋外のベンチでコンビニで買ったオニギリとパンを食い、天文台の内部を見学した後出発する。

 次のピーク剣ヶ峰は今日の最高地点だが、狭い山頂は電波塔施設で占められ展望も無いので休まず通過する。しばらく降ると白石峠に着いた。此処は車道の交差点で、休日とあって行楽客の車やバイクが多い。

 峠から再び登山道に入る。最初は急だが、後は緩やかなアップダウン、樹林帯に気持ちの良い尾根道が続く。樹間越しに先程歩いた笠山や堂平山が見え、だんだん小さくなっていく。急な階段を降ると茶店が営業する定峰峠に着いた。

 定峰峠へ向かう道から笠山(左)と堂平山(右)

 小川町と秩父を繋ぐ車道がこの峠を越えており、行き交う車が絶えず騒音がうるさい。峠から登山道を一気に降る。以外にアッケなく峠から20分程でバスの終点がある白石集落に降り立った。この付近は白やピンクや黄色の花々が咲き乱れ、本当に美しい日本の原風景が広がる。

 白石集落の花々

 ノンビリしたいところだが、早くビールが飲みたい。車のある場所に戻ると快速で我が家へ車を走らせる。1時間足らずで我が家へ着くと、妻が不在を幸いに1人シミジミと喉越しのビールを堪能した。

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今日のブログ、妻には絶対チクラないでください。

2014年04月12日 | 日記

 4月12日(土)

 これは妻に絶対公開してくれるなと言われた事何だけど、ネタが無いので止むをえません。先日桜が満開の頃、郊外にある味が良いと評判の蕎麦屋まで妻と歩いて行った時の出来事です。

 美味しい蕎麦を満喫し店を出ると春の陽気があまりに心地よいので、このまま十数キロ離れた川越市まで歩いて行こうかという事になった。春の花々が咲き乱れる沿線の田園地帯は実に爽やかで脚も軽い。

 途中小川沿いに桜並木があり、車道と並行して遊歩道も設けられていた。妻が「こっちの道が気分いいよ。」と遊歩道を歩き始めた。デコボコした道なので私は気が進まず車道端の歩道を進んだ。

 その直後、背後で「ズン」と鈍い音がしたので思わず振り返ると、妻が躓いて転倒した音だった。浮かれ気分で歩いていたから足元がお留守だったのだ。

 唇と鼻を直撃したから出血もかなりひどい。即刻ウォーキングは中止し、我家へ急ぎ戻った。私は頭にダメージを受けてないかと気懸りだったので、病院へ行こうと言ったが、妻は「休んでいれば大丈夫」としばらく横になっていた。

 高齢者が要介護になる原因は、転倒が多いと言われてるので心配だったのだが、夕刻には出血や腫れもひき、脳ミソの回転も正常そうだったのでホッとした。

 若い人はたとえ躓いてもグッと踏ん張って殆ど転ばない。仮に転んでもサッと両手で庇い大事に至らない。顔面を直撃するような転び方は、それだけ老化が進み、筋力・瞬発力が衰えているという事なのだろう。

 殆ど毎日ウォーキングを続けている妻は、内心自分の体力に密かな自信を持っていた。それが思わぬ転び方をして己の衰えを実感したようだ。転んで出来た傷より、この事が妻にはショックだったかも知れない。でも大事に至らなかったのだし、これを発奮材料に益々エクササイズに精進すれば、転倒した意味もあると私は思っている。

 冒頭に述べたように、この話は妻の了解を得ていません。知人の方がこれを見ていても、決して妻にチクル事の無きよう徹底を願います。

 

     

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我が家の隣で車両火災発生

2014年04月11日 | 日記

 4月11日(金)

 数日前、部屋でパソコンと戯れていたら家の周囲でやたらと消防車のサイレン音が鳴り響き、だんだん大きくなってきたのでベランダに出てみると、隣のパチンコ店駐車場で白い軽トラックが燃えていた。

 私が見た時には既に鎮火され、消防官が車内を調査しているようだった。残念もうチョイ早ければ、炎を上げる火災シーンが撮れたのにと不謹慎な事をつい考えてしまった。

 車は車内と荷台が少し燃えただけで、隣接する車にも被害は無かったようだ。その後ニュースにもならなかったから事件性は無かったみたいで、天気の良い日だったから、強い直射日光が可燃性物質を加熱して引火したのかも知れない。

 それにしても来るわ来るわ消防車が4台にパトカーと救急車が勢ぞろい、これくらいのボヤ騒ぎに少し大袈裟なと思ったが、まあこの街がそれだけ普段は平穏であるという証なのかも知れません。

 その後外に出た時に燃えた車の傍を通ると、所有者であろう中年のオジサンが一生懸命燃えたガラクタの整理をやっていた。平和で退屈な田舎町の昼下がりに起きた一寸したハプニングでした。

 車両火災の現場

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今、日本で一番有名な研究者「小保方晴子さん」

2014年04月10日 | 日記

 4月10日(木)

 昨日から今日に掛けてテレビのニュースはどのチャンネルに廻しても小保方晴子さんの事ばかり、これじゃ観たくなくても観てしまう。それにしても、これ程日本中で大騒ぎするような事柄なのだろうか。

 若くて魅力的な女性が主役で、理研という巨大組織と対決する構図が、マスコミにとっては美味しい好餌となった感がある。当事者が冴えない貧相なオッサンならば、こんな騒ぎになっただろうか。

 そもそも、水準に及ばぬ杜撰さ未熟さを把握せず、マスコミへ大々的に発表を急いだ事が問題の発端である。これを推進した理研という組織が、それは全て彼女一人の罪で、あとはお構いなしではあまりにも無責任なやり方というものだ

 小保方さん側にも大いに問題があった。幾ら口では正しいと言っても、具体的証拠が何一つ示せないでは話にならない。研究者として如何なものかと思わざるを得ない。しかし精神的不調を囁かれたにもかかわらず、会見の場で見せた彼女の気丈な姿は意外であった。

 300人もの報道陣を前に批判の嵐に晒されても、強風を凌ぐ柳のようにしたたかに臆せず正面から受答えていた。その健気な応対を観ていたら、可憐(?)な乙女を護ってあげたい症候群が昂じて、彼女に好感を持ってしまった。

 一見弱々しげだが信念を貫く彼女の強い個性は、このまま無に消え去るには実に惜しい人材だ。いっその事、躓いた研究者への道からエンターテインメントの世界へ転身されて如何なものだろう。

 まずは日テレの「踊るサンマ御殿」辺りにイジラレキャラで出演し、その後はサイエンスコメンテーター兼タレントとして活動すれば、案外ブレイクするのではなかろうか。私と同様、彼女にこのまま消えてほしくないと好意を持つ、「隠れオボちゃんファン」の諸兄は、全国に相当存在すると私は睨んでいる。

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