Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

信州、浅間山登山

2013年07月29日 | 山歩き

天狗温泉から浅間山

 

7月28日(日)    天気=曇り時々晴れ

 

07:50天狗温泉登山口→ 08:17一ノ鳥居→ 08:30~33不動滝→ 08:37二ノ鳥居→ 09:26~40火山館→ 09:48車坂峠分岐→ 10:01鋸岳分岐→ 10:49~53浅間火口分岐→ 11:16~20前掛山→ 11:35~37浅間火口→ 11:41浅間火口分岐→ 12:07鋸岳分岐→ 12:23~51火山館→ 13:35一ノ鳥居→ 13:53天狗温泉登山口

 

 8月に妻と北アルプス幕営縦走をやる予定なので、その足慣らしにと訪れた浅間山だったが、登山口の天狗温泉に着いた時その賑わいぶりに驚いた。団体さんから御一人さんまで次から次と登山口を出発して行く。富士山ブームが伝播しているのであろうか。

 天狗温泉登山口

 我々と前後するアベックのオネーちゃんは、雑誌から抜け出たようなピカピカの山ガールグッズに身を固めWストックで勇ましく我々を追い抜いて行く。「あのチョーシでは」と思っていたら、30分もしないうちに勢いは衰えはるか後方に遠ざかった。相方のオニーちゃんに少し同情したけど、今はアバタもエクボのラブラブ時代だろうから余計なお世話と言うものだ。

 浅間山荘横の登山口を出発すると林道をしばらく進む。やがて登山道に変わるがズーッと林間の緩やかな道なので、歩いているのが楽しくなる。

30分足らずで簡素な木の鳥居がある一ノ鳥居に着いた。此処で道が分岐する。左は山腹沿いの道で少し距離が短い。右は沢沿いの道、水音を聞きながら歩く方が涼しげで心地よいので少し遠回りだが沢沿いの道を進む。

 沢沿いの道

 やがて地図に載っている不動滝に着いた。登山道沿いにあるから名がついているのだろうが、水量・スケールともそれほど立派な滝ではなかった。滝から急坂を少し登ると山腹沿いの登山道と再び合流する。此処が二ノ鳥居で多くの登山者が休憩していた。

 不動ノ滝

 ここから傾斜はきつくなるが、登山道はジグザグに刻まれているので快適に登って行ける。やがて右前方に牙山(ギッパヤマ)が見えてきた。沢から一気に聳える岩峰で中々迫力がある。

 牙山の岩壁

 牙山の対岸を通過し硫黄の臭いがする小沢を横切ると、その上に山小屋「火山館」があった。ウッディ造りの洒落た建物で優しげな管理人さんが通年詰めているという。綺麗なトイレと水場もありキャンプでもしたくなる場所だが、此処は公営の施設で宿泊は出来ないとの事。でも室内は無料で休憩でき、浅間山に関する写真や資料が展示してあった。我々も少し見学させてもらった。

 山小屋「火山館」

 火山館からほんの一登りで池ノ平高原と呼ばれる標高2千m余の山上草原に出る。此処に車坂峠からの登山道が合流する。最短距離のコースなので、この道から登る人も多い。私も前回はこの道から登った。その時は秋だったので、高原内の松林で「からまつだけ」を一杯収穫して、数日間我が家の味噌汁の具として美味しく頂いた覚えがある。

 池ノ平高原

 高原を更に進んで鋸岳への分岐を過ぎると、いよいよ浅間火口への登りが始まる。富士山5合目からの道とよく似た岩と砂礫の登山道だが、富士山程に馬鹿長く無く、鋸岳分岐から50分程で避難シェルターがある外輪火口の縁に登り着く。

 浅間火口の登り

 外輪縁の避難シェルター

 噴煙を上げる浅間火口へはここから踏み跡があるが、ロープで仕切られ立入禁止の看板が設置されている。それでも少なからぬ人がロープを跨いで火口へ登っている。私と妻は前回の登山で既に火口の最高地点を踏んでおり(その時は池の平高原から先が立入禁止地域だったが、人目の無いのを幸いに強引に登ったのだった。)、天気もパッとしないし我々は無理せず外輪山最高点の前掛山に向かった。

前掛山へは細尾根をユルユルと登って行く。スケールは違うがキリマンジャロ山最高地点ウフルピークへ向かう道と感じが似ている。途中何組か追い抜いて11:16前掛山(2524m)に到着した。

 前掛山への登り

 山頂は360度の視界だが雲が多くて良い展望とは言えない。我々の後に着いた若夫婦風の二人組が「健脚ですねー。」と褒めてくれたのが、褒められて伸びるタイプ(と言うより叱られて落ち込むタイプ)の我々には嬉しい言葉だった。

 前掛山山頂

 山頂は風が強く、パパっと写真だけ撮って「温泉、温泉」と言いながら下山を開始する。火口分岐まで戻ったら、どうしても火口の中を観たくなり妻を待たせて空身で火口へ向かう。

 辿り着いた浅間山火口縁(2540m)は全体を真っ白なガスが覆って何も見えないので最高地点に行く気にもならず写真を撮っただけで妻の待つ場所へ戻った。待たされた妻が「さっき親子連れの子供が「立入禁止って書いてるのに、どうして皆行ってんの?」と親に尋ね、親御さんが返答に困ってたよ。」と言った。その子に言ってあげたかった、「そうだよねー。馬鹿な大人は何処にでもいるし、幾つになっても馬鹿なんだよ。そんな大人に君はなるんじゃないよ。」と、

 浅間山火口縁

 火口縁から前掛山方面

 一気に火山館まで降り、屋外のベンチでコンロに火をつけカップうどんとコーヒーでランチタイムとする。暑い時に熱いものは食べたくないが、爽やかな風が吹いているので美味しく頂けた。

 火山館からトーミの頭方面

 火山館下から牙山

 火山館を後に更に降り道が分岐する二ノ鳥居まで降ると外人さん6人組が休んでおり挨拶を交わした。その中の10代の少年ポイ男性が「どちらの道が早いですか?」と流暢な日本語で問いかけてきた。「右の道が早いと思うよ。」と私も流暢な日本語で答えた。「せっかく普段聞いてるNHK基礎英語の成果を試す時だったのに」と私は少しガッカリし少しホッとした。

 緑が美しい樹林の道を黙々と降りPM2時前に登山口に戻った。登山口の温泉宿「浅間山荘」は入浴料金500円、駐車料金500円を払った人は100円割引いてくれる。受付の女将さんはあまり愛想が良くないけれど、鉄分を含んだ褐色のお湯は本物の源泉で、ボディソープ、シャンプーもあるし中々高得点の温泉でした。

 二ノ鳥居から山腹沿いの下山道

 時間が早かったので帰路は高速に乗らず一般道をノンビリと帰った。しかし結果この選択が大正解、この日は日曜日という事もあり、都心へ向かう各地の高速は渋滞ばかり、関越道上りも高坂SAから36キロの大渋滞、高速だったら反って遅くなっただろう。スイスイ走れて気分は良いし、お金も節約できた。今日は良い汗がかけて満足の一日でした。

 

 

 

 

 

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「苦役列車」で芥川賞をとった小説家、西村賢太氏にはまってます。

2013年07月27日 | 日記

 平成25年7月27日

 私のブログは、最近映画や読書本ネタでお茶を濁している感があります。と言うのも私の過ごす日々は、ご臨終後の心電図みたいに波風の立たない平々凡々な年金暮らしなので、実生活のネタが極めて乏しいという現実があり、その点をご理解ください。

 今回も読書本ネタで一筆啓上、今、西村賢太という小説家にはまってます。彼は2年前に「苦役列車」という小説で芥川賞を受賞し、最近はテレビにもよく顔を出してるからご存じの方も多いと思います。彼の著作は殆どが自叙伝的な私小説で、登場する「北町貫多」なる主人公も西村氏自身がモデルのようです。これが又どうしょうも無い下劣な人物で、「粗暴」「傲慢」{卑屈}「瞬間湯沸かし器的超短気」「身勝手」「小心者」「見栄っ張り」「浪費癖」「僻み癖」「怠けもの」「ズルい」「助べえ」「不潔」「不摂生」「汗かき」「酒乱」「恥知らず」エト・セトラと、まあ欠点の総合商社みたいな性格の持ち主です。その詳細は「苦役列車」を始めとする彼の作品でシツコイ程に描かれており、知性と気品に溢れる方がその本を眼にしたら、思わず焚火に投げ込んでしまうでしょう。そんな彼の作品に何故惹かれるのか、一つは己の醜悪を全て曝け出す潔さが心地よく感ずる事、更に私が小心でコンプレックスの影に怯え何事にも自信を持てぬ性格ゆえ、主人公の歪んだ性格と重ねるものがあり、「俺はここまで酷くない。」と低次元の優越感に癒されるからでしょう。とは言え現実の西村氏は、芥川賞をとる知性があって有名人でお金持ち何だけど、アチコチでイザコザを起しているという噂を聞き、いずれ干されてしまうのではと案じている。と言って彼が普通の知識人に変身してもガッカリさせられる。西村先生には文壇界一下品な星として、永久不滅に毒を吐き続けて欲しいものだと隠れファンの私は願っています。

 

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何でもかんでも役所にお任せの自己チュー人間

2013年07月24日 | 日記

 平成25年7月24日

 私の住む町をテーマにしたネット掲示板があり、新聞やテレビ等にない情報も載っているのでよく閲覧するのだが、中にはクダラナイものもあり先日はこんな記事が載っていた。「自転車で走っていたら突然目の前に蛇が出たのでビックリした。役所は注意書きの看板立ててくれよ。」・・・バッカじゃなかろうか、そんな事言ったらこんな田舎町、町中に看板立てなきゃ何ねーじゃないか。これとは別に、市立図書館で毎日寝に来てるようなジジイが、「新聞架けがナンタラカンタラ」と図書館の女性係員に向かってヒステリックに怒鳴っていた。テメーの存在自体が迷惑なのに、身の程わきまえぬモーロクジジイめと腹立たしかった。最近は何でもかんでも役所にお願いという、お上にお任せタイプの自己チュー人間が増えてきたような気がしてならない。こんな輩は災害等の非常時でも文句ばっか言って自分じゃ何もやらないだろうな。だから提唱したいんだけど毎年お座なりのようにやってる防災訓練、電気も水もガスも公共サービス(警察、消防は除外)も、本当に丸一日間完全ストップでやればよいと思う。「そんな無茶な」と言う向きも多かろうが、人間実際に痛い目に遭わなきゃ何事も身につかないですよ。特に前述のような自己チュー人間には・・・

 

 

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参議院選挙で与党圧勝そして低い投票率

2013年07月22日 | 日記

 平成25年7月22日

 参議院選挙の結果、予想通りと言うか自民・公明の圧勝に終わりました。民主の惨敗は与党時代の失態があまりに大きかったという事なんでしょうねぇ。さて大勝に喜びの笑みを浮かべる安倍さんですが、世界一の借金国&老人国&お先真っ暗の原発&何時か起こる大地震等の大災害&エト・セトラ、多事多難・満身創痍の日本国をどのように導いていくのだろうか。「アベノミクス」の掛け声も蟷螂の斧に見えてしまうのだが、「雨だれ石を穿つ」の心境で頑張って頂かねばと思います。それにしても投票率が低い。私なんか投票は国民の義務という強迫観念すらあるんだけど、有権者の半分近くが棄権だものなあ。そして暇な年寄は投票所に行き若者が棄権する。このままじゃ日本は増々年寄に都合が良く、若者がワリを食い損をする世の中になってしまうよ。そんな国に未来はありませんゾ。

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宮崎駿監督のアニメ映画「風立ちぬ」を観てきました。

2013年07月21日 | 映画・コンサート

 平成25年7月21日

 参議院選挙はどんな結末になるか興味津々だが結果が判るのは未明過ぎ、それまでの楽しみにしておいて、今日、宮崎駿アニメ映画最新作の「風立ちぬ」を観てきました。話題作だけに館内は珍しく超満員の盛況でした。ストーリーは、零戦を設計した堀越二郎という実在人物がモデルで、彼の幼少時から終戦時までの物語です。関東大震災で愛する人との出会い、そして病による悲しい別れ、工業後進国日本で最新鋭戦闘機を作る苦悩等が描かれています。今までの宮崎アニメに比べるとファンタジーな面が少なく、どちらかと言うとリアルで大人向きの映画と思いました。主人公の声も本物の役者さんでは無く、素人ポイ語り口に一寸違和感も感じたけれど、これは映画を淡々と描きたいと願う宮崎監督の思惑だったのだろうか。特に盛上りも感動も無く、そういう期待を持つ人はガッカリするかもしれないが、見終えた印象、私は決して悪くありませんでした。コレデモカ、コレデモカというてんこ盛り映画より、こういうサラッとした映画の方が心地よく感じる年齢になったという事でしょうかね。

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高尾山の料亭「うかい竹亭」で妻の誕生日祝い会食

2013年07月19日 | 日記

 平成25年7月19日

 中高年過ぎての誕生日は、黄泉の国への旅立ちが近づいただけで、ちっとも目出度い事じゃないのだけど、妻が〇◎歳(⇐トップシークレット)の誕生日を迎えたので祝いの会食をした。出掛けた場所は高尾山登山口にほど近い「うかい竹亭」という和食料亭です。7月一杯ホタル観賞ができるそうで、それを見たさに妻が自ら予約したのです。我家からは電車を乗り継いで1時間40分も掛かるので私はもっと近場にして欲しかったのだけど、それを口にすれば夫婦間戦争が勃発するからおとなしく従った。古民家風の建物は風情があり、料理長が直々に料理する品々も普段口にできないご馳走で大変美味しく頂いたが、格式ばった雰囲気に何となく馴染めず、ビールの味もイマイチだった。宵闇更けりホタル観賞会が始まった。照明を全て消し、真っ暗になった中庭で待っていると1等星位の青白い光点がしめやかな邦楽の音色に合わせるようにアチコチで舞い、中々ロマンチックな眺めでありました。まあ主賓である妻が喜んでいたのが何よりでした。此処は高尾山にも近いのでハイキングとセットで訪れれば一寸プチ贅沢な一時を味わえるでしょう。但し人気店なので予約は必携です。

 料亭「うかい竹亭」

 

 

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南ア、栗沢山~アサヨ峰登山

2013年07月17日 | 山歩き

南ア、栗沢山~アサヨ峰登山

 

7月13日(土)    天気=曇り後雨

10:35北沢峠バス停→ 10:45北沢峠テント場(幕営)

 

 連日熱帯夜の我が家を逃げ出し、南アルプスの北沢峠へ向かった。3連休初日なので心配した渋滞も出発が早かったせいか遭遇せず、AM9時過ぎには峠へ向かうバスの出発地、戸台口に着いた。ところが広々とした駐車場は既にほぼ満杯状態、何とか端っこの空きスペースに車を停め、バス待ちの列に並ぶ。

 戸台口のバス停

  臨時便が随時増発されているので、そんなに待たずバスに乗車する事ができた。歩かずに標高2030mの峠まで行けるのだから、往復のバス運賃2520円(荷物代込み)は、決して高くはない。

 南アルプススーパー林道を1時間ほど掛けて北沢峠のバス停に着くと、そのまま北沢駒仙小屋へ向かう。10分程で着いた小屋の前は、100張ほど張れる広いテント場なのだが、色とりどりのテント群ですでに飽和状態、まるで難民キャンプの様相だ。違うのは住民がやけにカラフルな服装でハイテンションなところだけ、ギリギリの空きスペースを見つけ強引に我家のテントを張る。

 新しくなった北沢駒仙小屋

 

 北沢テント場

 テントを張り終えた頃から雨が降り始めた。お茶を飲もうとガソリンコンロに点火したら調子が悪い。そんなに古くはないのにもう故障したのかとガックリ、飯が食えないと焦ったが、どうも私がコンロの操作を誤ったらしい。再度挑戦すると正常に着火した。年齢を取るとこんなミスが多くなり嫌になってしまう。

 しばらくすると隣のテントのグループが戻ってきた。「場所を取られた。何たら、かんたら・・・」という彼(女)等の会話を何気に聞いていると、どうも我々が、彼(女)等の女性用テントと男性用テントの間にテントを張ってしまったらしい。とんだお邪魔虫だけど混雑時にゆったりスペースを取る方も悪いのだ。久しぶりのテント生活だったが、暑さ疲れもあったのかグッスリ熟睡する事ができた。

 

 

 

 

7月14日(日)   天気=曇り

05:20北沢峠テント場→ 07:21~30栗沢山→ 08:24~46アサヨ峰→ 09:33~45栗沢山→ 10:39~46仙水峠→ 11:14仙水小屋→ 11:42~12:08北沢峠テント場→ 12:20北沢峠バス停

 

 周囲のザワザワとした物音で未明に眼を覚まされた。カップうどんとパンの簡単な朝食を済ますと早々に出発する。今日は北沢峠の東にあるアサヨ峰へ向かった。隣接する甲斐駒や仙丈岳に比べれば地味な山で、例えて言えばビフテキや伊勢海老等のご馳走があるのにお新香で飯を食うようなものだけど、妻が行った事無いので登ります。

 駒仙小屋から栗沢山への直登コースは殆ど人が居ない樹林帯の静かな道で、深山の雰囲気に浸って心地よく登って行く。やがて樹林帯からハイ松帯に変わる頃、周囲の展望が開けた。標高2800m位を境に灰色の雲が天井のように広がり、甲斐駒や仙丈のピークはその中に没していた。西からの強風が身震いするほど冷たく下界の酷熱が嘘のようだ。

 樹林帯の栗沢山登山道

 森林限界を超え展望が開ける。

 岩尾根を辿って栗沢山(2714m)に着いた。360度の展望だが、灰色の雲に覆われ白黒写真のようで冴えない風景だ。ここから早川尾根を伝ってアサヨ峰へ向かう。強い西風に身体を揺さぶられるが、他の登山者も行き交っているので不安は無い。

 栗沢山山頂

 アサヨ峰に向けて岩場の道

 何度かニセピークに騙された後、栗沢山から1時間ほどでアサヨ峰(2799m)に到着した。山頂には2組の中年パーティが休んでいた。1組はこれから鳳凰山の方へ向かうようだ。幸いな事に山頂に着いた頃から風が弱まり視界も開けてきた。遠く富士山も鳳凰山の右に顔を出している。

 アサヨ峰山頂

 アサヨ峰から北岳方面

 アサヨ峰から鳳凰山、富士山方面

 20分程休んで山頂を後にする。アサヨ峰も地味ながら日本3百名山なので登る人も多く次々とすれ違う。栗沢山に戻った頃には頑なに頭を隠していた甲斐駒も全貌を見せ始めた。

 僅かに咲いていた早川尾根のシャクナゲ

 下山は仙水峠経由で降る。峠に降って行くにつれ、甲斐駒がいよいよ高く聳えて見える。峠間近で妻が転んで手に数カ所傷を負ったが、幸い歩くのに支障無さそうなのでホッとした。

 栗沢山から甲斐駒ケ岳

 仙水峠は甲斐駒コースと合流するので多くの登山者が休んでいた。北沢峠バス停から遠い距離でもないから登山でなくても此処まで来る人は結構居るようだ。

峠から北沢源流沿いに1時間ほど降ってテント場に戻った。そのままテントを撤収してザックに収め北沢峠のバス停に向かう。停留所には既に数十名の列が出来ており次のバスに乗れるか微妙なところ、何とか最後の乗客として乗る事ができた。

 仙水峠から仙丈岳方面

 北沢源流の下山道

 大きなザックを抱えて補助席に座っているので戸台口に着くまでの1時間のおバスは長かった。車に戻ると次の目的地駒ヶ根市に向かう。伊那市のスーパーで買い物をしていたら物凄い雨になったのでしばらく雨宿り、その後、駒ヶ根市の早太郎温泉「こまの湯」で入浴し夜までノンビリする。

 明日天気が良ければ、千畳敷ロープウェーを経由して三ノ沢岳を予定しているのだが、どうも天気予報は悲観的だ。道の駅「いいじま」で車中泊し翌朝を迎えたが小雨が降っており、中央アルプスの山々も雨雲に覆われている。三ノ沢岳登山を諦め一般道をゆったりドライブしながら我が家へと戻った。

 

 

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明日から山へ緊急避難します。

2013年07月12日 | 日記

 平成25年7月12日

 イヤー今年の夏の熱波は気合いが入っていますネ。我が家の室内温度はもう5日ほど35度越えです。妻が熱中症になったのに続いて私も昨日の夕食時、胃がムカつき食欲が全く無くなってしまいました。夕食前の軽いジョギングが胃にダメージを与えたようです。そこで急遽、明日より3日間程信州の山へ避難する事といたしました。出来れば2~3つばかりの山も登ってきたいと思います。3連休の真っただ中なので、行きも帰りもどっぷり渋滞にはまりそうですが、家でサウナ状態を耐えてるよりは気は紛れます。帰宅した時に少しばかり涼しくなっていれば嬉しいのですが。

 

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あまりの暑さに妻が熱中症

2013年07月11日 | 日記

 平成25年7月11日

 何処のご家庭でも今夏の熱中症対策に苦慮されてる事と思います。我が家はマンション住まいですけど、昨日の室内最高温度が何と35.1度、暑さに耐え兼ね妻も私もそれぞれ我が家を脱出(節電協力の為、極力エアコンの使用を控えているので「というより電気代節約の為」)、夕刻我が家に戻ると夕食の準備をしていた妻の様子がおかしい。吐き気がして食欲が無いと言う。症状からどうも熱中症らしい。食事も摂らず寝込んでしまった。今まで暑さで具合悪くなる事何て無かったけれど、我々夫婦も高齢化と共に暑さへの耐性力も衰えてきているのだろう。今まで耐えがたきを耐えてエアコンの使用を控えていたが、今年の熱い夏は長引きそうなので、ヤバそうな時は適宜エアコンを稼働させていきたいと思います。信義信条で節電に頑張る諸兄には申し訳ないのですが、身体を壊しては元も子も無いので、

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小説「死都 日本」を読んで、日本の滅亡を思う。

2013年07月08日 | 読書

 平成25年7月8日

 先日図書館で「死都 日本」という小説を借りて読んだのですが、内容の凄まじさに圧倒されました。この本は火山噴火というのをテーマにしているのですが、我々日本人は、大災害と言えば阪神淡路大震災や東北大震災の体験から地震を真っ先に思い浮かべるが、この本で描かれた「大噴火」のスケールと比べれば、2年前の東北大震災ですら巨象の前のアリンコ程度です。何しろ九州の南半分が火砕流に襲われ、死者は何百万人、国内のその他の地域も厚い火山灰に埋まり、日本は破滅の道を辿るという壮大な大災害なのです。そして何より怖いのは、これが奇想天外な架空話では無く日本列島で数万年に一度の確率で現実に起こる自然現象であるという事です。本の作者石黒耀氏は、これがデビュー作だそうですが、凄い力作だと思いました。

 ストーリーを概略すると、西暦20××年、突然、九州の霧島火山が破局的大噴火を起し、アッと言う間に鹿児島市や宮崎市を始めとする九州の南半分は火砕流の下に襲われ、何百万人もの人々がポンペイ遺跡のように火山灰土の下に埋まり死んでいくのです。その他の日本列島も、殆どが膨大に降り注ぐ火山灰土に埋まり、国内のあらゆる産業は絶え、日本は滅亡の道を突き進むのです。それどころか火山灰は全地球を覆い、世界は今後数年間、農産物の大凶作と経済破綻による大不況に直面するのです。こんな中、主人公の地震学者は友人の新聞記者と共に奇跡的脱出で火砕流から逃れて自衛隊のヘリに助けられ、緊急対策本部が置かれた東京へ向かいます。時の首相は日本を滅亡から救おうと、あらゆる対策を講じますが状況は悪化するばかり、果たして日本は滅んでしまうのでしょうか。その結末は、本書を実際に読んで確認してもらえればと思います。

 現実に起こる日本滅亡の確率は、本書で示された「破局的大噴火」よりも「想定外事故による柏崎原発の終末的原発事故」の方が千倍は高かろうと、これは私の個人的予測です。

参考HP= http://kazan-net.jp/shitoWWW/aboutshito.html

 

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阿武隈山地最高峰、大滝根山登山

2013年07月06日 | 山歩き

福島、阿武隈山地、大滝根山

 

7月3日(火)    天気=曇り時々雨

 

08:13大越温泉跡地→ 08:32~36賽の河原→ 09:08~16大滝根山→ 09:37ブナ平→ 09:59仙台平登山口→ 10:10大越温泉跡地

 

 前日、泊った「星の村ふれあい館」はロマンチックな名前なので期待したが、良くも悪くも如何にも公営の宿だった。でもお風呂も部屋も広くてまあまあ快適でした。

 朝食を終えるとすぐに宿を出発する。登山口の温泉跡地までは車で15分程の距離だった。「大越温泉健康ランド」と看板が掛かった3階建ての建物が廃墟として残されており中を覗いてみたが、施設が立派なだけにその荒廃ぶりが物悲しい。登山口には、三重県ナンバーの軽自動車が1台停めてあった。持ち主は大滝山を登山しているのだろう。

 大越温泉跡地

 その横に車を停めて我々も出発する。と同時に雨がパラパラと降り始めた。途端に妻は「私は登らない。車で待つ。」と言う。三百名山踏破に燃える私と異なり、無理はしない主義の妻は、ずぶ濡れになってまで登る気が全くないようだ。

 私は「ア、ソウ」と言い、内心「マイペースで歩けるワイ」とほくそ笑む。一人になり「さあ登るぞ。」と気合をいれたけれど、朝食が遅かったせいで胃が持たれて調子が出ない。出るのはゲップばかりで身体が重い。

 上から同年輩の女性が単独で降りて来た。軽自動車の持ち主らしい。「早いですねー。」と声を掛けると「雨が降りそうだったから」と答えた。「三百名山ですか。」と聞かれたので「エエ」と答えしばらく立ち話をした。概ね単独で三百名山を目指す輩は、中高年の無愛想なオッサンが多く(私も含め)女性は珍しい。しかも彼女は優しげな風貌で、とてもそんなタイプには思えない。

 彼女と別れしばらく進むと登山道が分岐する「賽の河原」に着いた。石碑と小さなお地蔵さんが安置されている。右は日山権現へ向かう道、あまり判然としていない。

 登山道が分岐する賽の河原

 私は沢沿いに山頂へ直登する左の道を進む。沢のセセラギが心地よい道をしばらく登ると、やがて随所にロープの架かる急登が始まる。両手足を総動員しなければ登れぬ程の急登だが、それも長く続かず、やがて傾斜も緩み、低い樹林帯を進んで行くと、ひょっこり山頂の神社に到着した。

 大滝根山頂の神社

 神社の裏側はフェンスで仕切られ、山頂部の大部分を自衛隊のレーダー基地で占領されている。大滝根山山頂(1193m)の三角点は基地の敷地内にあり、金網越しに見るしかないが、これじゃ登山者と言うより、基地を窺う不審者になった気分だ。

 レーダー基地内山頂三角点

 先程から不快な機械音が響き渡るし、まあこんなに居心地の悪い山頂も珍しい。基地を撤去しろとは言わないが、此の山を三百名山の指定して人の気が知れない。

 同じ道を戻るのは嫌なので、下山は日山権現経由で降る事にする。緩やかな尾根道でとても歩きやすいコースだ。途中、送電線沿いに広々と切り開かれた場所に出た。周囲の展望が効いて灰色雲の下に山麓の集落が望まれる。

 送電線沿いの展望地

 更に尾根を降って行く。賽の河原へ降る道が右の分岐するはず何だが見つからない。と言うより尾根の降りがあまりに快適なので、分岐を行き過ぎてしまったようだ。

 どうやら仙台平登山口へ降るコースに入り込んだようで、予定していた賽の河原経由の道より2キロ程長くなってしまうが、今更登り返す気にもならなず、そのまま降って行く。

 下山途中の鎖場

 鎖場を3か所程越え、「ブナ平」と標された平坦な場所を過ぎ、渓流沿いの植林帯を降ると「大滝根山登山口」と書かれた案内板のある車道に降り立った。この道は今朝がた登山口へ向かう時に車で通った道だ。

 此処から車道沿いに車のある温泉跡地に戻った。最後は登り坂なのでけっこう汗をかかされた。私の遅い帰りを気にして妻は上の方を心配げに見ていたが、私が下から登ってきたので一寸驚いたようだった。

 私が登る途中出会った女性と妻もいろいろ話し込んだようで、「一人でアチコチの山を登っているんだって、私にはとても真似できない。」と感心していた。

 時刻はまだ10時過ぎ、付近の何処か観光でもして帰ろうと思ったが、雨が降ったり止んだりの天気なので65㎝望遠鏡がある「星の村天文台」に行ってもつまらないし、有名な「阿武隈鍾乳洞」は以前職場の旅行で観た事あるので、このままブラブラとドライブして我が家に戻る事にする。

 しきりに高速道へ導きたがるカーナビに逆らいながら一般道を我が家へと進むが、止まぬ雨と複雑な道路状況に嫌気がさし、北関東自動車道の宇都宮上三川ICまで来たところで高速道路に入り、夕刻我が家に戻った。

 今回の二日間の旅で三百名山を2山Getしたが、登頂した満足感が全く無い。しかし震災の傷跡が今だ重い福島県で観光したので、少しは地元の貢献になったのではという事で良しとしましょう。

 

 

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茨城県最高峰、八溝山登山

2013年07月05日 | 山歩き

茨城・福島県境、八溝山

 

7月2日(火)    天気=曇り時々雨

 

09:50登山口駐車→ 10:10~14金性水→ 10:16~19鉄水→ 10:35~11:03八溝山→ 11:07日輪寺分岐→ 11:24~30日輪寺→ 11:50登山口駐車場

 

 ボランティアから帰宅した翌々日に茨城・福島の三百名山、八溝山と大滝根山登山に出掛けた。年金暮らしの身で慌ただしく行く事もないのだが、マア何時ポックリ逝くか判りませんのでね。

 標高1022mの八溝山は茨城県最高峰だが、山頂まで車道が通じ車で行く事が出来る。しかしそれでは登山にならぬので、標高760mにある参道入口の駐車場から登る事にした。山頂まで標高差260m余の楽ちん登山です。

 東北道、矢板ICから慣れぬ道をカーナビの指示に頼ってAM10時前、駐車場に着いた。車を出るとムシムシして今にも雨が降りそうな天気だ。

 参道入り口の駐車場

 車道を歩き始めてすぐに旧参道が右に分岐する。この道は山腹を捲く緩やかなコースで八溝五水と呼ばれる水場が点在する。出発して20分程で最初の水場「金性水」に着いた。パイプから水が滔々と流れている。案内板には「この水場の名は、水戸藩主、徳川光圀公が命名された。」と書かれていた。

 金性水水場

 その先には「鉄水」という水場があり、四角い石の水槽の中から水が湧き出していた。ここから急な階段登りとなり、やっと登山らしくなってきた。

 山頂直下の急登

 車道を横切り、日輪寺に分岐する道を過ぎるとアッケなく八溝山(1022m)に到着した。山頂には八溝嶺神社が建ち、その奥に山頂標識があった。

 八溝山山頂

 更にその横にまるでお城のようなコンクリート製の展望台があり、この最上階からは四周を眺める事が出来、晴れていれば富士山も見えるという。今は無料になったが以前は有料だったそうだ。周囲の風景と馴染まず、何故こんなものを建てたのか?に思うほどで、金を払ってまで入場する気にはならない。

 お城のような展望台

 展望台最上階から西側の展望

 山頂でコーヒーでも沸かしてと思ったが、空模様が怪しいのでパンとお茶だけ食事を済まし山頂を後にする。下山は日輪寺を精油する道を降った。こちらは気持ちの良い尾根道がしばらく続き、苔に覆われ滑りそうなコンクリートの道を降ると赤い柱と白壁の日輪寺に着いた。

 日輪寺への下山道

 日輪寺までは車道が通じ、数組の人が参拝していた。このお寺は坂東三十三番観音の一つで昔は栄えていたそうだが、車の無い時代此処まで登って来るのは大変だったろう。

 日輪寺境内

 ここから古木が立つ趣のある参道を降って、八溝五水の下流となる沢を渡る。沢にはワラビ畑が一面に広がり、盗難予防の為か有刺鉄線で囲まれていた。

 沢一面のワラビ畑

 沢を渡るとわずかな登りで車を停めている駐車場に戻った。時刻はお昼前、午後は観光タイムとし、まだ見た事のない「袋田の滝」へ向かった。

 流石有名な観光スポットだけあって、町営の無料駐車場から滝へ向かう途中の飲食店や土産店は、平日ながらソコソコの人出で賑わっていた。

 入り口で300円の入場料を払う。自然の景観を見るのに有料なのは少し抵抗があるが、仕方ない面もあるのだろう。袋田の滝の初印象は予想以上に立派で少々驚かされた。幅広い滝一面にスダレノように水が流れる優美で雄大な眺めは、流石日本屈指の名瀑だと実感した。

 名瀑「袋田の滝」

 明日は阿武隈山地の最高峰、大滝眼山を登る予定なので、今宵宿泊する登山口近くの宿「星の村ふれあい館」に向かいます。

 

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金華山黄金神社でボランティア

2013年07月01日 | ボランティア

 平成25年6月28日~30日

 久々に東北復興ボランティアへ行って来ました。場所は宮城県、牡鹿半島突端の島に建てられた由緒ある金華山黄金神社、此処は大震災の震源地から最も近い場所だった為に甚大な被害を受けた所ですが、2年以上経った今、随分復旧されているように見受けます。しかし震災の爪痕はまだアチコチに残されています。今回私が参加させてもらった「NPO法人チーム東松山」は今も活発な活動をしており、此処も14回目の支援になるそうで神社の方々とも緊密な絆で結ばれているようでした。今回の参加者は12名で、多くは何度も足を運ぶベテランボランティアさんばかり、気まぐれ参加で腰に爆弾を抱えた年寄の私は、足手まといじゃ無かろうかと何気に気後れする思いで参加しました。今回は、半ば土砂に埋まって壊れた倉庫の中から資材の搬出して整理するという作業で、指示をする作業服姿の男性二人は、何と神職に携る若い神官さんです。泥に塗れて黙々と作業する姿に頭の下がる思いでした。作業の内容については「金華山黄金神社」や「チーム東松山」のHPに詳しく記されているので省略しますが、二日間とも雨の中全員一生懸命頑張って、概ね予定通り作業を進める事が出来、神官さんや総代さん達から熱い感謝の言葉をいただきました。二日目の早朝、普段は立入出来ぬ厳かな本殿内において特別なご祈祷を賜り、何かありがたい後利益をいただけそうな気がします。震災から2年を過ぎ、熱が冷めてきた感のあるボランティアですが、まだまだその活動は必要とされています。多くの人々に人々に被災地へ足を運んでもらいたものです。被災地に行く都度感ずるのは、ボランティアに従事する若者達の生き生きとした行動力です。彼(女)らを見てると日本の若者も大したものだなあと誇らしく思えます。

 鮎川の港(手前の小さな船で金華山に渡ります。)

本殿に至る石の階段(壊滅的損壊から修復されています。)

ボランティアの作業中

神社の神官さんや愉快な厨房さんも顔を見せ楽しい晩餐でした。

 早朝のご祈祷(神社本殿)

土砂に埋まった倉庫

震災の爪痕が生々しい港から神社へ向かう道路

 金華山の港(総代さんと愉快な厨房さんが見送ってくれました。

 

金華山黄金神社ブログ   = http://blog.kinkasan.jp/

 

NPO法人チーム東松山HP= http://thm.hiki.tv/

(ボランティアに興味ある方はご覧ください。)

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