11月26日(月) 三峰山 天気=雨
11:36ゆりわれコース登山口→ 12:25~32三峰山→ 12:59ゆりわれコース登山口
昨日我が家を出発し、伊勢神宮にお参りした後、国道166号沿いの道の駅「飯高駅」で車中泊、今朝は車の屋根を叩く雨音で目覚めた。天気予報が見事に当って朝から雨となり、いっこうに止む気配がない。三峰山は登山口から山頂までピストンだけなら標高差500m程、3時間半もあれば充分なので、「登らないか。?」と妻を誘ったが、道の駅で待つと妻は言う。仕方なく私一人で登山口へ向う。
国道166号から登山口へ向う林道は10キロほどあるだろうか。全線舗装されているが、前年の台風による大雨被害で所々壊れた箇所もあり、この雨で再び壊れないかと不安な思いでハンドルを握る。
ゆりわれコース登山口
立派な案内標識があるゆりわれコース登山口に着くと、路肩の空きスペースに車を停め、下着の上に雨具を着込んで出発する。しばらくは植林帯のジグザグを繰返す道が続く。行動時間を短縮しようと急ぎ足になるが、雨具で身体が蒸れて中々ペースがあがらない。稜線間近になると丈の低い植林帯を脱し、時折展望を得るようになってきた。しかし雨雲の中に墨絵のような景色がチラッと見えるだけだ。
三峰山への登山道
登山道からの展望
やがて低い樹林に囲まれた小さなピークに達した。道は更に続いている。その後、同じ様なピークを二つばかり越えて草原の中に登山道が交差する八丁平に着く。晴れていれば心地良さそうな場所だ。その奥にあるピークが三峰山(1235m)の山頂だった。三峰山という名の由来は稜線に幾つもピークがあるから、そう呼ばれているのだろうか。
三峰山山頂
天気さへ良ければ眺めの良さそうな山頂だが、今は灰色ベールの中、ずぶ濡れの身体では休憩する気にもならず、水を飲み、写真を撮っただけで足早に山頂を去る。まるで折り返し地点を通過したマラソンランナーのような気分になる。
往路を降って行くが、良く整備された道なので歩き易く、引力を味方にしてグングン降りて行く。今日一杯雨が続く予報なので、一刻も早く山から離れたい心境だ。山頂から30分も掛からず登山口に戻って来た。
車で林道から国道166号に戻った頃に、雨脚はワイパーが利かぬほどの土砂降りになった。早めに登山を終えたのは正解だったと安堵する。今夜も道の駅で車中泊の予定だったが、全身びしょ濡れ状態なのでその気は失せ、飯高町の山中にある「つつじの里新垣」という宿に宿泊した。
11月29日(木) 金剛山 天気=曇り
09:46府営駐車場→ 09:50千早登山口→ 10:01登山道分岐→ 10:50御廟所→ 10:55~11:03葛木山(金剛山最高点)→ 11:30~12:10国民宿舎香楠荘→ 12:18伏見峠→ 12:40府営駐車場
倶留尊山登山前夜、道の駅での車中泊が寒くて良く眠れなかったので、昨夜は奮発して名張市内のホテルルートインに宿泊した。このホテルは値段の割りに設備・サービスが良いと妻が強く希望したのです。ホテルでの朝食を終え、大阪府と奈良の県境にある金剛山を目指して出発する。朝の通勤時間帯の大和路を縦断するのだが、この付近の地理感が全く無いので旅の直前に購入したカーナビの指示だけを頼りに車を走らせる。
10時前、千早登山口の大阪府営駐車場に到着した。連日の登山に妻は「脚が重いから此処で待つ。」と言う。しかし高齢のグループが登って行くのを見たら前言を翻し、一緒に登る事になった。
コンクリートの登山道
平日なのに登山者が多い。金剛山は東京の高尾山みたいな存在なのだろうか。最初はコンクリートの道を歩いていたが、左に分岐する登山道がある。どうやらそれが金剛山頂への直登コースらしいので、左折してその道を選択する。最初は急登だったが、キチンと階段状に整備されているので大変歩き易い。やがて尾根上に着くと西に展望が開いて、大阪府の市街地や大阪湾が薄曇りの中にボンヤリ眺められた。
山頂へ直登する登山道
この先から尾根筋で緩やかな道が続く。このコースは下山者が圧倒的に多く、次々と降りてくる。やがて前方に御廟所と書かれた建物が現れた。この先を右に曲ってしばらく登ったら、金剛山最高地点の葛木神社に到着した。出発してから1時間余、アッケない山頂だった。神社の周囲は樹林に覆われ展望は全く無いが、何か厳かな雰囲気がある。
山頂間近の登山道
金剛山最高地点(葛木神社)
記念の写真を撮り、お参りしてから下山を開始する。稜線上の遊歩道を伏見峠へ向け進んで行くと金剛山ロープウェー駅を過ぎた所に国民宿舎がありレストランが営業していたので、暖をとりがてら昼食に蕎麦定食を注文する。、山登りに来てレストランで食事するのも妙な気分です。国民宿舎の隣には自然ミュージアムという名の施設があり、天体望遠鏡まで設置されている。この付近は観光地の領域と言った方がよい。
国民宿舎から山頂部方面
食事を終えると再び寒々とした屋外に出て歩き始める。伏見峠までは僅かな距離だった。峠からコンクリートの道が山の傾斜に沿って登山口へ向け一直線に降っている。かなりの急坂なので脚にガンガン響いてくる。
登山口の府営駐車場
峠から40分で車のある駐車場へ戻ってきた。今日は妻の希望で吉野山の吉野温泉郷、「さこや」に泊ります。この宿は「車中泊もいいけど時には高級な宿にも宿泊して旅にメリハリをつけて欲しい。」という妻の切なる要望で予約したのです。
宿に行くまで余裕があったので吉野山近くにある川上村営の「もくもく館」を見学、此処は吉野杉に係わる林業を紹介している施設です。見学後、近傍の蜻蛉(セイレイ)の滝を見物する。落差50m以上、万葉の歌に詠まれている由緒ある立派な滝でした。その後、吉野山の狭い車道を遡って陽が陰る頃、吉野温泉「さこや」に到着、江戸時代から続くという由緒ある高級旅館で、久々に贅沢な旅情を楽しむ事が出来ました。
川上村の蜻蛉の滝
吉野温泉。さこや旅館
11月28日(水) 倶留尊山 天気=晴れ
07:38曽爾高原入口→ 08:00~03亀山峠→ 08:22~30二本ボソ→ 08:50~09:08倶留尊山→ 09:25~33二本ボソ→ 09:58長尾峠→ 10:10曽爾高原入口
道の駅「宇陀路室生」で車中泊の寒い朝を迎えた。車外に出ると愛車の上部は霜で白く変身していた。名張市近郊の24時間営業「ジョナサン」で朝食をとる。500円で和定食にドリンクバーまで付くのだから本当にリーズナブル、その後倶留尊山目指して県道81号を南下する。途中の「香落渓」と呼ばれる渓谷は、両岸が岩壁で紅葉と相まって迫力ある美しい眺めです。
やがて左手に奈良と三重県境上にある倶留尊山が見えてきた。県道を左折し、曽爾高原、青少年自然の家に向う車道を遡り、曽爾高原入口の有料駐車場(1日=600円)に車を停める。
駐車場から歩き始めて10分と掛からずお亀池に着く。池と言っても溜水は無くススキが繁っている中に僅かな流水が見られるだけだ。池を中心にした広場は遊歩道やベンチがあって庭園のようによく整備されて、おり心地よい場所だ。この辺りを曽爾高原と呼ぶらしい。
曽爾高原から二本ボソピーク
池の奥には右から亀山~二本ボソ~倶留尊山と続く山稜が拡がる。池からの標高差が300m位しかないので、気軽に登れそうな距離だ。出発して30分掛からずに稜線の亀山峠に着いた。三重県、御杖村側からの登山道が交差する。峠からは真っ青な空の下に曽爾高原を中心とする風景が美しい。
亀山峠から曽爾高原
峠を左に曲り20分程登ると小屋が現れた。実はこの小屋、入山料を徴収する所何です。倶留尊山へ登るには一人500円の入山料を取られる。何でも山が私有地だからという事だが、国内の山で有料なんて初めての体験、この山が300名山で無ければ絶対登らないのだが、小屋は無人で、そのままスルーできたけど、良心的と言うより小心者なので、後のトラブルを恐れて、妻と二人分1千円を徴収ポストに投函する。
二本ボソの入山料徴収小屋
二本ボソから倶留尊山
小屋の先が二本ボソという変わった名のピーク、ここからの眺めも中々良い。眼前に倶留尊山の鋭鋒が聳え、右側山腹は鋭く切れ落ち断崖状になっている。 此処から一旦急激に降って再び急激に登り返す。随所にロープが張られて見た目は大変そうだが、案外楽に登って行ける。背後の二本ボソが一段と低くなったなと思ったら倶留尊山(1038m)に着いた。
倶留尊山山頂
今回の山旅で今日が一番の登山日和なので眺めが素晴らしい。既に登った三峰山や高見山そして紀伊半島の最高峰、八経山を中心とする大峰山系や大台ケ原の山々が一望に拡がる。この展望で少しは入山料の元が取れたような気がした。
山頂で寛いでいると、眼下の御杖村辺りの集落から選挙カーの演説が聞こえてくる。里近い山なのだ。数多くある標識の中には、小学校ハイキング時のものもあり、ファミリー向けハイキングコースとしてこの山は中々人気があるようだ。
食事を終えると山頂を後に来た道を下山する。二本ボソの料金徴収小屋には誰も居らず、入山料金を支払った事に若干後悔する。往路を下山するのは、あまりにアッケないので亀山峠を過ぎ、亀山(849m)を越えて、長尾峠から下山する。車を停めている駐車場に戻ると出発時、無人だった管理小屋に80歳位の老夫婦が居た。
二本ボソから亀山峠への降り
600円の駐車料金を払いがてら「入山料払っときましたよ。」と言ったら、「あの山はウチと関係ないよ。」と愛想よく御爺さんが答えた。お婆さんの方は愛想なしで眉一つ動かさない。その時大型の観光バスが入場して、中からご老人の団体さんが続々と降りてきた。曽爾高原は観光地でもあるらしい。
登山がアッケなく終ったので、余った午後の時間は、この付近の名所、室生寺と長谷寺を見物した。実はこの両所、遥か昔の新婚旅行時に大峰山登山を終えた後に見物して以来の再訪です。あの時の事はおぼろげにしか記憶がないけれど、若かりし頃の躍動感だけが思い起され、感慨深いものがあります。
室生寺の五重塔
長谷寺の回廊
12月27日(火) 高見山 天気=曇り時々雪
08:40舟戸登山口→ 09:40高見峠→ 10:18~28高見山→ 10:53~11:01高見峠→ 11:30舟戸登山口
今日の日本列島は、強力な冬型の気圧配置に覆われ、高見山目指して国道を走る私の車が揺さぶられるほど強い風が吹いている。(この日北海道では送電鉄塔が吹き倒されて大規模停電事故が発生していた。)国道から細い車道を経由して松阪市西側最奥の舟戸集落に着いた。此処が高見山の登山口になります。
舟戸登山口
見上げる高見山の稜線は黒雲に覆われて我々を拒むかのように威圧的な眺めだ。舟戸登山口から奈良と三重の県境である高見峠までの道は、江戸時代紀州の殿様が参勤交代で往来した街道なので、緩やかで大変歩き易く続いている。又所々往時を忍ぶ旧跡等もあり興味深い道だ。
約1時間で街道の最高点、高見峠に着いた。この峠まで車道が通じているが、去年の台風被害の為、峠の両側とも通行止めとなっている。通行可能ならば此処まで車で来て登れば、山頂まで簡単に登れてしまう。それでは登山としてはあまりにアッケないから個人的にはこのまま廃道化してくれた方が自然保護の為にも良いのではなかろうかと思う。
高見峠
峠上部から見る山頂部
小さな鉄製の鳥居を潜って、いよいよ高見山へ向け急登が始まる。峠から見上げる山頂部は霧氷で白い帽子を被っているようだ。吹き抜ける風は冷たく、ストックを持つ手先がジンジン痺れてくる。ジグザグの急登を頑張ること40分、祠のある狭い高見山(1248m)に着いた。
高見山山頂
山頂の霧氷
雪雲が上空を覆っているが、山頂一帯は白い霧氷の花が咲き、周囲の山々や麓の街並みや集落等が眺められ中々素晴らしい展望です。しかしあまりにも寒いので休憩する気にもならず、写真を撮り終えると山頂を後にする。
峠にある本居宣長の歌碑
急坂を降って高見峠にある小さな避難小屋でランチタイムとする。この峠には、此処を何度も行き来したと言われる江戸時代の国学者「本居宣長」の詠んだ歌碑が建立されている。又西側の奈良県方面の眺めが素晴らしい。
休憩を終えると舟戸集落へと下山する。峠から約30分で舟戸登山口に戻ってきた。昨日の三峰山も今日の高見山も誰にも会わない静かな山行だった。
明日は三重県名張市近郊の倶留尊山を登る予定なので、その近くにある国道165号沿いの道の駅「宇陀室生」を目指し慣れない大和路をひた走った。到着して道の駅レストランで夕食を食べようとしたらPM6時前にクローズしてしまい、仕方なく近くのローソンでオデン等を買って夕食とした。このオデンが予想外に美味く、「コンビニ侮るべからず。」と感心した。今宵は此処で車中泊、冷え込みがきつくてけっこう寒かった。
11月25日
天気=晴れ
朝、我が家を出発しはるばる伊勢路までやって来ました。今日は妻の希望で伊勢神宮をお参りしました。三連休の最終日とあって凄い人出でした。今宵は山中の、道の駅飯高駅で車中泊、温泉、レストラン等あって快適な所ですよ。
平成24年11月24日
明日から1週間、夫婦で関西へ行って来ます。目的は山登りですが、ちょうど紅葉時期ですので観光の方も楽しんで来ようと思います。旅の間、時間があったら携帯で至急電報風のブログ更新するつもりです。旅の詳細は、帰宅後再編集します。さてどんな旅になりますやら期待と不安が錯綜している前夜です。
平成24年11月23日
11月は私の誕生月です。また一つ年齢が増えるので嬉しくも何ともないが、自分へのお祝いとして、今週末から1週間ほど関西の山登りに夫婦で行ってきます。もう一つ言い忘れた事があって、我々夫婦が数十年前に結婚式を挙げた月でもあります。その当時既に新婚旅行は海外が主流でしたが、金が無かった私達は、関西での山登りが新婚旅行で、今は無き「大阪行き、寝台急行”銀河”で出掛けたのでした。その時は、登山以外に奈良や京都見物もしたのですが、随分昔の事で殆んど覚えていません。そんな中で鮮明に覚えている事が一つだけあります。11月末の寒々とした時期に、大峰山系、八経山を目指して二人で登っている登山道で、大きな蛇と遭遇したのです。冬間近に出会うとは思わずビックリしました。多くの人と同じく私も蛇は苦手で、出来ればお会いしたくないのですが、昔の人は家に居つく蛇を守り神として敬ったと聞きます。あの時、寒さに耐える様にジッと横たわっていた蛇は、我々夫婦の末長き安泰を願って現れた神の化身ではなかったか。と私の脳裏の片隅に信じるものがあるのです。そうでなければ、水と油のように性格の違う我々が、今日まで一緒にやってこれた訳がありませんから。新婚旅行以来二人で訪れる関西の山、もしあの時の守り神と再会できるならば、感謝の思いを伝えたいものです。
11月20日(火) 奥多摩、三頭山~奈良倉山 天気=晴れ
08:19深山橋P→ 08:22~24ムロクボ尾根登山口→ 09:57~10:00ヌカザス尾根分岐→ 10:57~11:10三頭山→ 11:58小焼山→ 13:01~15鶴峠→ 14:09~19奈良倉山→ 14:43~48松姫峠→ 16:20小菅ノ湯→(自転車)→17:00深山橋P
晩秋の山を気儘に歩きたくなって奥多摩にやってきました。我家から手軽な距離にある奥多摩は、思いつき登山にはうってつけの山々です。今日目指すのは、奥多摩湖の南岸に位置する三頭山と鶴峠を挟んでその西にある奈良倉山で、奈良倉山には行った事が無く興味がありました。
早朝我家を出発、まず奥多摩源流部の小菅村にある日帰り温泉小菅の湯まで行き、ここに折畳み自転車を残置する。そして奥多摩湖の深山橋側の駐車場まで戻って車を停める。ここが出発点となります。
深山橋付近の紅葉
奥多摩湖の標高は約550m、湖岸は今ちょうど紅葉が身頃です。奥多摩周遊道路の入口の三頭橋を渡るとすぐにムロクボ尾根の登山口、最初から標高差200m余の急登です。身体はシンドイけれど効率良く高度を稼げるので私は急登が嫌いではありません。登山道沿いは杉の植林帯で紅葉の木々も時期を終え大部分が落葉しています。
最初の急登を越えると幾度かアップダウンを繰返して高度を上げて行く。晩秋特有の乾いた冷たい空気がほてった身体に心地よい。再び急登となり登山口から約1時間半でヌカザス尾根登山道と合流した。ここから一旦一寸降って、「お常の泣き坂」と呼ばれる急登が待ち構える。以前春先に妻と来た時は、ズルズル滑って随分苦労した箇所だが、晩秋の今は乾いており、思ったより楽に通過できた。
ヌカザス尾根合流地点
入小沢ノ峰(1302m)を過ぎれば三頭山まで緩やかな道が続く。三頭山のピークと西に伸びる鶴峠へ続く尾根が正面に広がる。10時前三頭山(1531m)に着いた。この山は奥多摩三山の最高峰で人気の山、桧原村側から1時間もあれば登れるので、平日の今日も10名余のハイカーで賑わっている。展望も素晴らしく白く装った富士山が南に聳えビューポイントです。ここでパンだけの食事を終え鶴峠へ向けて降って行く。
三頭山山頂
三頭山から富士山
途中、神楽入ノ峰(1447m)付近の岩場からは、大菩薩の山々が西の位置にクッキリと眺められた。その先の小焼山(1322m)は、登山道から外れており、ヤブッぽい尾根を強引に登ってピークで証拠の写真だけ撮る。
神楽入ノ峰付近から大菩薩の山々
鶴峠が近づくにつれ、道はよく整備されて歩き易くなってくる。この道は以前妻と二人歩いた経験があるので安心して降って行く。・・・・とそこに油断があったのか、道に迷ってしまったのです。道が尾根筋から左に下り始めたので「おかしいなあ。地図ではズーッと尾根伝いなのに?」この道は西原集落へ直接降る道ではないか。と安易に判断し、尾根の所まで戻って今度は右手の尾根を降って行く。落葉で埋められ何処が道とも判別できぬ尾根を降って行くと地図に記載の無い林道にぶつかった。そのクネクネ曲った林道を下ると突然林道が途切れてしまった。左手を見ると明らかに此処より高い。鶴峠への道でないのを確信、登り返すのも面倒なので、森林帯をトラーバス気味に横切って行くと上野原市から鶴峠を越えて小菅村に繋がる車道に出た。鶴峠から数百m北側の場所だった。
やはり左に降った最初の道が正解だったのだ。迷った時にコンパスで方向を確認していたら、こんなミスは無かったのにと猛反省、モチベーションも低下してこのまま車道を降ろうかと思ったが、奈良倉山だけでも登らねばと鶴峠への車道を登り返す。
奈良倉山への登りから振り返る三頭山
峠からは遊歩道のように良く整備された道が奈良倉山へ続いている。しかし気力が萎えたせいか脚が重い。振り返ると先程登った三頭山の山容が大きい。峠から1時間ほど着いた奈良倉山(1349m)は、展望の無い樹林の平坦なピークだった。お湯を沸かしてノンビリしたいところだが、もうPM2時を過ぎている。秋の日暮れはつるべ落としで早いから、暗くならぬうちに下山しようと早々に山頂を後にする。
奈良倉山山頂
緩やかな降りを20分余歩いて、大月市と奥多摩を結ぶ県道が横たわる松姫峠に着いた。計画では、この先の鶴寝山を越えて小菅村に降るつもりだったが、もうその気力は無く、クネクネ折れ曲がった県道を1時間半ほど掛けて降り、自転車を残置している小菅ノ湯に戻った。
松姫峠への下山道
松姫峠の奈良倉山入口ゲート
悪い事は重なるもので、いざ自転車に乗ろうとしたら後輪タイヤの空気が減って半ペチャンコ状態、下り坂は何とかなるものの登りになった途端全然進んでくれない。日は暮れるしトホホ状態で、やっとこさ車を停めている深山橋に戻ってきた。こんな結末なものだから充実感等ほとんど湧かず、ただ疲れだけが残った今日の登山だった。
平成24年11月19日
「キンは百歳ギンも百歳」で有名だったギンさんの娘さん達4人が90歳過ぎても揃って元気でいると、テレビの特集で放映していた。一般的に人は老化すると抑鬱症が進行して元気がなくなるという。そう言えば、私のブログの師匠であるITOさんも自身のブログで、「気分的に落ち込んだ訳」何て言っていたっけ。こんな事書いたら「俺は年寄りなんかじゃネーゾ。」と師匠から怒られそうだ。私自身が年寄りになる過程を振り返れば、「年齢を取ると人間が丸くなる。」何て真っ赤な嘘で、むしろ短気且つ悲観的且つ忍耐力低下等、精神的には劣化しているように思えます。「丸い」と言われるのは無気力なのと、長年の生活が培った良識で抑制しているだけの事です。因みにギンさんの娘さん達が元気な秘訣は、全員揃って毎日陽気におしゃべりしている習慣が、脳を活性化させているからだという事です。しかし核家族化が進む中で孤立するお年寄りは増加するばかり、陽気で社交的な年寄りになれと言われたって簡単にはいきません。考えてみれば私だって、日常の中で妻との会話は殆んどありゃしない。こんな調子じゃ遠からず呆けちゃうのかな。・・・・イカンイカンまた悲観的になってしまった。
平成24年11月17日
野田総理突然の衆議院解散宣言、久し振りに緊迫した国会審議となりました。それに伴う一部民主党議員の右往左往振りには一寸唖然とさせられます。今までやってきた事に自信があるのなら堂々と選挙を受けて立てばいいのに、沈没船から逃れる鼠みたいな姿は見苦しいとしか言いようがありません。こんな子分達じゃ野田さんが気の毒になってしまいます。まあこれで贅肉みたいな日和見党員は皆振い落してしまえば、民主党の公約自体は間違っていないのだから、スッキリしてグレードアップした政党に進化できるんじゃないですか。次の選挙で野田内閣も多分THE END。しかしコロコロとトップが替わるなあ。1年毎の内閣交代がすっかり定着した感じです。日替わり定食ならぬ年替わり内閣ですネ。何十年も独裁やってる隣国よりは益しだろうけど、こんなリーダーでは外国からまともに相手にされず、国益を損なうのではと心配です。大統領選の時、敗者が勝者にエールを送る潔さに米国人器の大きさを感じましたが、与野党足の引っ張り合いに終始する器の小さい日本人に、今の体制がマッチしてるのだろうかと時折疑問に思います。
平成24年11月15日
一ヵ月後、ハーフマラソンに出場するので、久し振りに長距離ロードを走ってきました。東武東上線の若葉駅をスタートし、川越を経由して板橋区、成増駅まで約3時間30分掛かりました。2時間過ぎた辺りからヘロヘロでしたけど「何としても県境は越えるぞ。」という執念でやっとゴールしました。まあこれだけ走れるならばハーフは完走できるだろうと一安心です。このコースは去年10月にも走っていて、その時に比べるとタイムが10分遅くなっており、順当に老化が進んでいるという事でしょう。前回走った時期は野田首相が就任したばかりでした。何故覚えているかというと、大震災直後に建設するというので糾弾された、国家公務員朝霞宿舎建設予定地がコースの側にあるからで、この時は野田首相直々に視察して中止となった記憶が強く残っています。それから1年経った今、震災復興予算の不正使用が数々批判されています。全く「浜の真砂は尽きるとも、世に盗人(不正流用)の種は尽きまじ)と辞世の句を詠んだ石川五右衛門の気持ちがよく判ります。
平成24年11月13日
幾日かに一度の頻度で「※※町の※※さん、※※才が今朝から行方不明になっています。お心当たりの方は・・・・」というようなお年寄りの行方不明に関する情報が、我が町の行政マイク放送から流れます。普段私は自分の年齢を気にするほうじゃないのですが、これを聞くと気が滅入ります。というのも行方不明者の殆んどは痴呆症を発症しているお年寄りで、その年齢が七十※才何て聞くと「俺も十数年でその年齢じゃないか。」と暗雲漂う未来が脳裏を覆うのです。しかし痴呆症になるならぬは神様のご采配、己の努力でどうなるものでもない。だったら思い悩んでもしょうがない。心身が健全なうちに、やりたい事をやっておかねばと思う昨今です。
平成24年11月11日
私は山登りが趣味なのでよく山間部の集落を訪れますが、山間部=田舎&過疎地ですけど、そこに行って感ずるのは「田舎のお年寄りは元気で明るく親切な人が多い。」という事です。部外者の訪れが少ないせいもあるのでしょうが、田舎では、家屋が大きく田畑や森林もあるので家事や農作業、そして地域の共同作業等、お年寄りに委ねられた仕事が多く必要とされている事が、お年寄りの活力となり元気と明るさをもたらしているのではないでしょうか。反面、都会では図書館や公園等で長時間ボンヤリ過ごすお年寄りを多く見掛けます。(私もその一員です。)それは都会のお年寄りはやる事が無く必要とされてないからだと思います。そして一様に精彩が無く暗く頑なな表情の人ばかりです。(以上の事は、私の独断と偏見の推測で、都会にも活力あるお年寄りが多くおられるのは承知しています。)我々は、他人を馬鹿にする意味の蔑称で「この田舎者」何て言葉をよく用いますが、お年寄りの世界では、「この田舎者」は元気で頑張る人への尊称で、他人を見下す蔑称は「この都会者」というのが正しい言葉遣いのような気がします。
平成24年11月9日
いつも山仲間達と一泊2日で会津の里に行って来ました。幾重にも重なる山襞の合間にひっそりと集落が点在する会津は、日本の古き良き原風景を見るようで本当に良い所です。特に紅葉時期の美しさは格別で、日本人に生まれて良かったと思うほどです。去年大震災から間もない頃訪れた湯の花温泉の本家亀屋さんは、客室が3部屋しかない小さな宿ですが、控えめだけど暖かい接遇と郷土料理の美味さにすっかり感激し、何時か山仲間と共に再訪したいと思っていたのですが、今回やっと実現しました。一緒に泊ったSTO夫妻、ITOさんそして妻も気に入ってくれたので、幹事役の私としては嬉しい限りです。残然ながら本来の目的だった大博多山登山は雨の為登れませんでしたが、しっかりと会津の紅葉を堪能できたので満足の旅でした。衝撃だったのは去年台風による大雨で甚大な被害を受けた只見川沿いの地域が、まだ水害の痕跡をアチコチに残している事で早く元の美しい風景を取り戻して欲しいものです。今回「大博多山登山」という宿題を残したので、来年もこのメンバーで挑戦できればいいなあ。
湯の花温泉、本家亀屋さんの玄関で
高清水自然公園の紅葉
平成24年11月6日
復興予算の無駄遣いもあってか震災被害地の復興は捗ってはいないようです。特に原発被害があった福島県の遅れは顕著なようです。以前、震災後に訪れた湯の花温泉の旅館のご主人が「震災を境にお客さんが全く来なくなりました。」と嘆いていた。「お客さんが来てくれるのが一番ありがたい。」とも言っていた。復興の支援作業が出来なくても、被災地東北へ観光に行く事だって立派なボランティアです。全国の金余りで暇を持て余したお年寄り達よ、海外旅行(特に中国・韓国)に浪費する位なら、その金を東北観光に使いなさい。と私は声を大にして言いたい。明日、我々夫婦はいつもの山仲間達と一緒に福島県会津地方に出掛けます。宿泊は湯の花温泉、本家亀屋さん(℡0241-78-2519)本物の源泉、素朴で美味しい料理、暖かいおもてなし、とても良いお宿です。皆さん美しまふくしまへ是非お出掛けください。