Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

日本三百名山回顧№134長野・富山県境、野口五郎岳(3百名山)

2025年01月24日 | 三百名山回顧

 野口五郎岳は北アルプスの裏銀座縦走コース上に聳える山で、広々として明るい山頂からは素晴らしい展望が広がります。標高3000mに迫る雄峰だが、ゆったりとして凡庸な山容が災いして、北アルプスの中では印象の薄い山です。 

 最初に野口五郎岳を登ったのは昭和55年の8月、職場仲間の I 君、A君を誘って裏銀座コースを縦走した時でした。この時は、まずまずの天気に恵まれて楽しい山行だったと思うのだが、何しろ遠い昔の事なので殆ど記憶に残っていません。二人と一緒に山を登ったのはこの時の一度だけ、彼等にとって登山はあまり魅力のあるものではなかったようです。職場を離れて以来音信不通だが、両君とも健在でいるのだろうか。

昭和55年8月11日野口五郎岳山頂

同上、山頂から水晶岳方面

 2度目の野口五郎岳は、令和元年8月に妻と二人で浦銀座コースを縦走した時でした。この時の記録が当時のブログに掲載されていたので、下記に転載してみます。

令和元年8月19日(月) 天気=晴れのち雨

烏帽子小屋~野口五郎岳~水晶小屋

05:55烏帽子小屋→ 07:25三ツ岳→ 08:38~57野口五郎小屋→ 09:13~19野口五郎岳→ 09:53~10:02真砂分岐→ 12:13水晶小屋

 

 芳しく無い天気予報だったが、青空が広がる気持ちの良い朝を迎えた。天気が良いとヤル気も出てくる。今日一日何とか持ってくれればと思いつつ烏帽子小屋を出発した。

烏帽子小屋から三ツ岳方面

 歩き始めてすぐにヒョウタン池があり、その周りはテント場になっている。テント場を過ぎると平坦な砂礫の道を歩いて行く。高瀬ダムの堰堤が左手眼下に見え、大声を出せば聞こえそうな近さに思える。

ヒョウタン池

眼下に高瀬ダム

 やがて三ツ岳に向かって緩やかに登って行く。道沿いにはコマクサの花も咲いており、気持ちの良い道が続く。道はだんだん急登に変り、三ツ岳前衛のピークに達し来た道を振り返ると、青い屋根の烏帽子小屋が見え、ゴミを燃やす白い煙が上がっていた。

三ツ岳への登り(左が三ツ岳、右奥が西峰)

 前衛ピークから三ツ岳(2645m)の山頂脇をトラバースし、僅かな登りで三ツ岳西峰に着き一息入れる。ここから行く手を見ると、野口五郎岳へ緩やかな尾根が続いている。

三ツ岳西峰山頂(右奥の山は水晶岳)

山頂から東沢谷を挟んで赤牛岳

山頂から野口五郎岳方面

 岩稜や砂礫が織り交ざる変化の多い道を1時間程進むと岩肌に「小屋まで500m」と書かれており、小さなピークを越えてしばらく歩くと野口五郎小屋の建物が見えた。

野口五郎小屋

 野口五郎小屋は裏銀座縦走路のオアシスみたいな存在で、多くの登山者が憩っていた。私も500円のポカリスエットを買って喉を潤した。小屋から砂礫の道を15分程登って野口五郎岳(2925m)に着いた。

野口五郎岳への登り

野口五郎岳山頂

 広々とした山頂からは360度の眺め、この山も日本三百名山の一つで標高も3千m近い高峰なのだが、登山者には縦走路の単なる通過点位にしか思われていないようだ。魅力に欠けるのは、茫洋として見栄えのしない山容からだろうか。

山頂から真砂岳方面

 野口五郎岳を後にすると、真砂岳の西斜面を巻き気味に降って行く。野口五郎岳から30分余で真砂岳直下の真砂分岐に着く。此処から高瀬川へ降る道が左へ分岐している。

真砂分岐への降りから水晶岳方面

真砂分岐付近(正面の山は真砂岳、高瀬川へ降る道が山腹のを右に分岐している。)

 分岐からは岩稜や岩屑の歩き難い道が続く。天気は降り坂で稜線を雲が覆うようになってきた。急坂を降った鞍部の東沢乗越に着き、一息入れてここから水晶小屋へ向かって岩尾根の急登になる。乗越から登り始めた途端、ポツポツと雨が降り始め、その後本降りの雨となった。

登山道から野口五郎岳(左奥)と真砂岳(右)

 慌てて雨具を着込み俯いて黙々と岩尾根を登って行く。やがて水晶岳から鷲羽岳へ続く稜線に達し、尾根上に建つ水晶小屋へ着いた。時間はまだお昼過ぎだし、予定では三俣山荘まで行く事になっていたが、雨は風を伴い増々強くなってきている。もうこれ以上歩く気力は無くなり、水晶小屋へ泊る事に決めた。

東沢乗越から岩尾根の登り

雨の中の急登

 小さな水晶小屋にはその後登山者が続々と詰めかけて、けっこうな混み合いとなった。でも手足を広げて寝られるスペースを確保できただけマシだった。小屋の人の話だと昨日はもっと酷くて、客室が足らずに食堂へ布団を並べて寝た人も居たそうだ。

水晶小屋

 乾いた服に着替え休憩スペースで小屋の衛星テレビを見ていると、この辺りの天気予報は明日以降もズーッと傘マークが続いている。せっかく台風一過の好天を狙って来たのに、これじゃ思惑違いもいいところだ。

 でも此処まで来たらもう戻る事はできず、新穂高温泉まで歩き通すしかない。それ程酷い天気にならぬ事を願いつつ、ビールを飲みながら午後の合間を過ごした。

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日本三百名山回顧№133長野富山県境、烏帽子岳(2百名山)

2024年12月25日 | 三百名山回顧

 高瀬ダム近くの登山口から北アルプス三大急登の一つ、ブナ立て尾根を登った稜線上に烏帽子岳の鋭鋒が聳えている。烏帽子岳から槍ヶ岳に至る登山道は、裏銀座コースと呼ばれる北アルプスの人気縦走ルートです。

 その烏帽子岳へ最初に登ったのは今から44年前、昭和55年8月でした。職場の同僚だったA君とI君を誘い、三人で裏銀座コースを三泊四日で縦走したのです。

 二日目に泊った双六小屋では、「富士山吉田大沢の大規模な落石で、死者12名、負傷者29名の大惨事山岳遭難が発生」というニュースを聞いた事は今でも鮮明に覚えています。

昭和55年8月11日(月) 烏帽子岳~鷲羽岳~笠ヶ岳縦走

ブナ立て尾根の登山道から高瀬ダム湖

前烏帽子岳山頂?

烏帽子岳山頂

山頂から南沢岳(右手前の山)方面

 

 2回目の烏帽子岳は、平成4年9月に単独で烏帽子岳~七倉岳を縦走し、七倉ダムへ下山した。この翌週には妻と二人で、針ノ木岳~七倉岳を縦走し七倉ダムへ降った。七倉登山口の食堂に私が2週続けて顔を見せたので、お店の女将さんから「地質調査でもやってるんですか?」と不審げ気に尋ねられた思い出があります。

平成4年9月5日(土) 烏帽子岳~七倉岳縦走

南沢岳山頂

南沢岳から烏帽子岳(左手前の尖った山)

南沢岳から立山・剣岳方面

不動岳から南沢岳

不動岳から船窪岳方面(左奥の山は針ノ木岳)

 

 3回目の烏帽子岳は、令和元年8月に妻と二人で烏帽子岳から裏銀座コースを三泊四日で縦走しました。この時は2日目以降雨に降られて辛い山行でしたが、それも今では良き思い出です。この時の山行記録が私のブログに書かれていたので、下記に転載してみます。

令和1年8月18日(日)      天気=晴れ後曇り

高瀬ダム~烏帽子岳~烏帽子小屋

07:57高瀬ダム→ 08:03~101濁沢キャンプ地→ 08:20~26ブナ立て尾根登山口→ 09:28権太落とし→ 11:23~30三角点→ 12:49~13:10烏帽子小屋→ 13:45~14:00烏帽子岳→ 14:38烏帽子小屋

 私が最初に裏銀座コースを縦走したのは40年以上昔の話です。あの頃はまだ山を始めたばかりで、職場の仲間のI君とA君を誘って烏帽子岳から笠ヶ岳まで縦走したのだが、初心者ばかりの3人で良くも歩けたもんだと今では懐かしい。

 長い前置きになったが、昨夜車中泊した梓川サービスエリアからJR穂高駅へ行き、駅から歩いて5分程の所に在る登山者用無料駐車場に車を停めた。その後列車で信濃大町駅まで行って、 駅前からタクシーで登山口の高瀬ダムへ向かった。

 タクシー代は¥8,300円で、道中運転手さんがよもやま話に「先週は天気が良くて、沢山登山者が来てくれましたけど、韓国の人は随分減りましたね。でもあの人達は大声で煩いし、来てくれない方がいいですよ。」何て話もしていた。私も昔、白馬岳のテント場に泊った時、隣に韓国人パーティがテントを張り夜中まで煩かったので、運転手さんの気持ちがチョットは判る。

登山口の高瀬ダム堰堤上

 タクシーは、駅から30分足らずで高瀬ダムの堰堤上へ着いた。堰堤上には若い二人組の男性が先着していたが、サッサと準備を終えアッいう間に居なくなった。我々も準備を終えると彼らの後を追うように出発する。

 堰堤を渡ると直ぐに長さ400m程のトンネルを通過する。トンネル内は蛍光灯の灯りでヘッドライトを出す事も無かった。トンネルを抜けると、不動沢に架かる吊橋を渡る。吊橋を渡った所には、濁沢キャンプ場が在る。粗末な簡易トイレがあるだけの侘しいテント場で、こんな所でテントを張る人が居るのだろうか。

不動沢の吊橋

濁沢キャンプ場

 キャンプ場から5分程で濁沢に架かる丸木橋を渡る。手摺の無い橋は雨の時など滑りそうで渡るのがチョット恐い感じだ。橋を渡った先がブナ立て尾根コースの登山口で、此処から烏帽子小屋まで急登を登る。登山口傍の小沢から水が得られ、ブナ立て尾根コースで唯一の水場だ。

濁沢の丸木橋

濁沢の最下部の滝

ブナ立て尾根登山口

 ブナ立て尾根は北アルプス三大急登の一つと言われ最初から階段状の急坂が続く。道はよく整備され歩き難くは無いものの、今朝は風も無く暑さが堪える。暑さに強く無い妻は足取りが少し重い。

最初から階段が続く登山道

 数えきれぬ程ジグザグを繰り返し1時間程登ると「権太落とし」に着いた。昔権太という人物が此処から転落でもして、その名が付いたのだろうか。でも特に危険という場所でも無い。

権太落し

 登山道の要所には数字を書いた標識があり、登るにつれ「8,7,6・・・」とだんだん減って行く。標高が高くなってくると、少しは風も吹いて暑さが凌げるようなってきた。権太落としから2時間程で黄色い標柱が建つ三角点ピークに着いた。此処まででブナ立て尾根コースの三分の二を登った事になるが、まだ先は長い。

樹林越しに濁沢源頭部が見える。

三角点ピーク

 三角点ピークからしばらく緩やかな道だったが、稜線が近づくにつれ再び急登になった。樹林越しに見えていた南沢岳から不動岳への稜線が同じ目線に見えた頃稜線に達し、程なく烏帽子小屋に到着した。

登山道から不動岳方面

 烏帽子小屋は青いトタン屋根の木造で、昔の山小屋の風情が残る。料金は一泊二食で9千5百円で、他の北アルプスの山小屋と比べると若干安い。受付を済ますと、小屋で休んでると言う妻を残して単独で烏帽子岳へ向かう。

烏帽子小屋

 小屋からも見えるピークは、「ニセ烏帽子」とも呼ばれる前烏帽子岳(2605m)で、その先に日本二百名山の一つ烏帽子岳が聳えている。槍ヶ岳を小粒にしたような、キリリとした山容だ。

前烏帽子岳への登り

前烏帽子岳から烏帽子岳

 南沢岳へ向かう縦走路から左に曲り、鎖場やトラバースの有る岩稜をよじ登ると烏帽子岳(2628M)の山頂標識が立っていた。実際の最高地点は標識右手の岩塔で、此処へ達するには若干の勇気が要る。

登山道分岐から烏帽子岳

鎖場

トラバース地点

烏帽子岳の山頂標識

最高地点の岩塔

 山頂からは北アルプスの山々の展望が良く、眼下には高瀬ダムの湖面が意外な近さで望まれた。20分程の滞在で山頂を後にし、来た道を戻る。烏帽子小屋は設備こそ古めかしいものの、従業員の応接が良く食事もソコソコに美味くて居心地の良い宿だった。衛星テレビが明日の天気を報じていたが、「曇り後雨」の予報で一寸気懸りだ。

山頂から南沢岳(中央の山)、不動岳(右奥の山)方面

山頂から前烏帽子岳(左手前)、三つ岳方面(右奥)

烏帽子小屋に戻って来た。(奥のピークが前烏帽子岳)

 ※烏帽子岳という名のつく山は全国各地に幾つも存在するが、その中でも北アルプスの烏帽子岳が標高・山容共に断トツの名峰といえるでしょう。

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日本三百名山回顧№132長野県、有明山(2百名山)

2024年11月23日 | 三百名山回顧

 信州安曇野の里から西を望むと、台形のどっしりした山容で聳える山が有明山です。頂に有明神社の奥社を祀る信仰の山でもあるが、山頂へ至る道は修験道と言うべき難路で、容易に登れる山ではありません。

 初めて有明山の山頂を踏んだのは、平成9年9月22日の事でした。前々日に黒四ダムから黒部川峡谷下の廊下を歩き、前夜は中房川沿いの空地で車中泊をした。そして当日早朝、中房温泉近くの登山口から裏参道と呼ばれる道を登って有明山を登った。

黒四ダムの真下

黒部峡谷下の廊下

同上

同上

下の廊下十字峡

仙人池から剣岳

 しかし当時のアルバムを幾ら探しても、黒部峡谷の下の廊下や剣の仙人池を撮った写真は残っているが、有明山の写真は一枚も見つからなかった。

 再び有明山を登らねばとならぬ思い、初登から22年後の令和元年9月28日に、今度は麓の有明山神社から山頂へ至る表参道を登った。当時のブログにその時の山行記録が載っているので、下記に転載してみます。

 

北アルプス、有明山登山

2019年9月25日(水)      天気=小雨後曇り一時晴れ

04:27有明山神社駐車場→ 04:54表参道登山口→ 05:10林道終点→ 06:45~49妙見滝→ 07:17白河滝→ 08:21~35落合→ 09:41~58有明山(北峰)→ 10:06~11南峰→ 10:20~26有明山(北峰)→ 12:20有明荘側登山口→ 12:23有明荘バス停

 

 有明山には平成9年の9月にも登っているが、それは裏参道と呼ばれる中房温泉側からの道で、一度は有明神社から登る表参道を登ってみたかった。しかしこの道は参道とは名ばかりの、有明神社から山頂を越えて中房温泉までコースタイム10時間を超えるロングコースで、急登や鎖場が連続する険しい道です。

 昨夜車中泊をした神社の駐車場を、早朝暗闇の中を出発する。中房温泉へ向かう道は舗装されているので僅かなヘッドランプの灯りでも歩いて行けるが、外灯も無く真っ暗な中を歩くのは心細くなる。

暗闇の中の表参道登山口

 神社から30分程で、表参道登山口に着いた。此処から右折する狭い林道に入る。更に心細い気持ちだが進むしかない。登山口から15分程で、林道の終点に着いた。

林道終点

 此処から登山道になるが、闇に眼が慣れたのと僅かな朝陽が差し始めたので、探り探りの状態で登山道を進んで行く。予報では今日の天気は良いはずなのに、山にだけ雲が纏わりついてるか滲むような霧雨が降っている。

 道沿いに目印が点々とあるので道に迷う事は無いが、ガスに包まれ荒涼とした沢沿いの道は魔界へと迷い込むようで気持ちも萎えてくる。でも踏み跡が続く限り歩き続けるしかない。

気持ちに余裕が無くて、妙見滝まででたった1枚撮った写真

 黙々と歩き続け、ふと前方を見ると左手に妙見滝が見えた。登山口から此処まで約1時間50分のタイム、休まず歩き続けたのでまあまあ良いペースだ。滝の先で2本連続した鎖場を攀じ登る。ネットの情報では大変そうに書かれていたが、案外容易に通過する事ができた。

妙見滝

妙見滝から下流部

 良いペースの歩きに気分が緩んだか、油断して濡れた木の根に脚を滑らせてしまった。転倒し思わず右手をついたが、その時挫いたのか負荷を掛けると右手に痛みが生じた。又不安の種が一つ増えたが、此処まで来たらもう戻る事はできない。

白河滝

 妙見滝からさほどかからず白河滝に着いた。沢沿いの道は此処までで、この先稜線の落合まで、ロープや鎖が連続するつるべ落としの急登となる。普通の登山道では「わあ~緑が綺麗とか空気が爽やか」何て楽しいものだが、この道はウンザリする程ロープや鎖場が続き、急登の連続でシゴキというかイジメに等しい。でも修験の道だから仕方ないか。

滝の右手の鎖場を登る。

延々と梯子やロープ、鎖場が続く。

 途中小さな祠があったり、岩の隙間を通過したりして登って行くと、稜線間近の樹林帯となり、やがて松川村からの裏参道が合流する落合に着いた。松川村からの道はネットで登った記録を見た事が無い。現在は廃道化しているのだろうか。

岩の隙間を通過する。

落合手前の樹林帯

登山道合流地点の落合

 落合からしばらくは歩き易い道であったが、それも僅かな距離で再び梯子やロープ、鎖場が続く急坂となった。それでも落合までの登りより傾斜は緩やかになる。

梯子やロープの道が続く。

岩の右手をトラバースする。

 標高が上がるにつれ、雲が薄れ陽射しも差すようになってきた。暑苦しい雨衣を脱ぐ事ができ、足取りも軽くなる。道沿いには石碑や祠などの宗教遺物が残り、昔の人の信仰心の強さと逞しさが窺い知れる。

登山道沿いの祠

 頂上はまだかまだかと思いつつ登り詰めていくと、突然頭上に銀色に輝く鳥居が見え、有明山(北峰2268m)に到着した。念願の有明山に登ってホッと安堵する。

有明山(北峰)山頂

 山頂部では一瞬雲が払われ、安曇野の山麓を望む事ができた。一息入れた後に、南峰へ向かう。歩いてすぐに中央峰の三角点に着くが展望は無い。中央峰の先の岩稜で視界が開き常念山脈を展望できたが、残念ながら殆ど雲に覆われていた。

山頂から安曇野の眺め

北峰の祠

中央峰の三角点

南峰へ向かう岩稜の道

常念山脈の眺め

 北峰から10分足らずで南峰に着いた。此処にも小さな祠が鎮座し、祠の横から常念の山々を望む事ができた。再び北峰へ戻ると、中房温泉側から登って来たという中年の男性が一人山頂に座っていた。彼とはしばらく互いの情報を交わした後、中房温泉に向けて下山を始める。

南峰の祠

 下山の道は表参道に比べると格段に歩き易い。登って来る人もポツポツ居て、4人ほどとすれ違った。とは言っても途中には鎖場や崩壊地など気の抜けない箇所もある。

最初は樹林帯の降り

道沿いの巨石

下山途中の崩壊地(修復はされている。)

 登る前は有明荘を16時18分に出発する最終便バスに乗れるか心配だったが、時計を見ると14時台のバスには充分間に合いそうだ。イヤ頑張れば12時台のバスだって乗れるかも知れない。自然と足が速まってくる。

 標高が下がるにつれ、急坂の連続となる。やがて工事の作業音や車の騒音が小さく聞こえるようになり、植林帯の中を降って行くと分岐に着いた。右は三段滝方面の下山道で、私は左折して有明荘へ降って行く。

急坂の降り

分岐地点

 分岐からは遊歩道のような快適な道で、そぞろ歩いて12時20分に有明荘傍の登山口へ降り立った。登山口の駐車場には満杯の車が停まっていたが、殆どは燕岳登山者のものだろう。

有明荘前の登山口

 有明荘バス停に着いて時刻表を見ると12時38分発のバスがある。何というグッドタイミング、服を着替え行動食のオニギリを頬張っていると、マイクロバスがやってきた。このバスは前払い制で、有明山神社まで1200円也を払って乗車する。

有明荘バス停

 ウツラウツラするうち、40分程でバスはアッケなく有明山神社へ着いた。厳しい登山を覚悟して臨んだ有明山であったが、終わってみれば白昼夢のような気分です。でも厳しい道を歩き通して、まだまだ充分やれるワイと少し自信を持てた山行でありました。

有明山神社駐車場に戻って来た。

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日本三百名山回顧№131長野県、燕岳(2百名山)

2024年09月30日 | 三百名山回顧

 前回のブログで書いたように、燕岳は初めて私が登った北アルプスの山頂でした。そして私が山男になると決意した山でもあります。それ以降翌年5月連休の燕岳~槍ヶ岳の表銀座縦走を皮切りに、燕岳へは何度も登りました。

 中でも思い出深いのは、昭和60年の年末年始に当時所属していたK山岳会の正月山行で登った冬の燕岳登山です。この時は上高地~蝶ヶ岳~燕岳を縦走するパーティのサポート隊として登ったのですが、私は仕事の都合があったので縦走組とは会えぬまま一足早く下山したのでした。

 山岳会の大先輩でもあったH氏が、この時の行動記録を当時の会報に残していたので、その抜粋を下記に転載してみます。

 

正月山行、北ア、燕岳登山  行動記録=R・H

昭和60年12月29日~昭和61年1月2日

参加者:CL、H氏以下、N、F、男3名 S、女1名 計4名

12月29日   

23:30 新宿発南小谷行き、急行アルプス57号は50%の乗車率で楽々と座る。

12月30日

04:58 有明駅着。入山者15~6名程度、予約していた安曇タクシーが待っており、すぐに宮城ゲートへ向かう。

05:20 宮城ゲート着。タクシー代1820円、ゲート前には15台位の駐車場有り、ゲート脇を抜け出発。空は暗いが月明かりあり懐中電灯不要。

06:30 発電所前で軽い朝食。

07:35 観音峠先の中部電力待避所前で小休止。待避所内には℡、スキーストーブが設置してある。

08:50 信濃坂の近道を登るが、木段のステップが大きく登るのに一汗掻く。途中から気付くが、道路わきに所々「中房温泉迄あと何km」の道標あり。野猿多く、道路上に猿の糞が多い。

10:40 有明荘の前で雨が降り出す。有明荘は閉鎖しているが、冬季小屋が後ろの方で営業している様子。

11:00 中房温泉着。雨激しく降り出す。宿泊料2食付き6000円を支払い部屋へ入る。軒先から雪が時々「ドサッ」と落ちるので、玄関の出入りに気を遣う。外の天幕の連中も雨が激しい為に宿へ逃げ込む。

中房温泉(左側私、中央H氏、右側S子さん)

12月31日

05:00 起床、朝食。  07:10出発、夏ルートより左の冬ルートを歩く。積雪50cm位、気温高く雪が腐っている。

08:05 第1ベンチ。  08:48 第2ベンチ。  09:20小休止、大天井岳の小屋が見える。 10:15 富士見ベンチ。 11:05 合戦小屋。5~6張りの天幕あり、昼食。

合戦尾根の登り(右端、Nさん)

同 上

11:45 合戦小屋出発。  12:30 縦走隊とトランシーバー交信、縦走隊のF、Iの2名は、蝶ヶ岳から常念岳へ向かう降り付近らしい。

合戦小屋前

13:05 燕山荘着。冬季小屋満員、素泊まり3700円、缶ビール500円、酒450円、F()はツェルトを設営。

燕山荘直下の合戦尾根

14:30 定時交信するも縦走隊と交信不可。  15:00~16:30 燕岳往復。夕陽の雲の中に槍ヶ岳が美しい。  16:30 縦走隊と定時交信、雑音多く交信不可。  18:00 年越し蕎麦の夕食。   22:00 就寝、雨漏りがするのでビニール袋を天井に張る。

燕岳直下の道

燕岳山頂

1月1日

04:00 起床、時間を間違え1時間早く起きる。  05:00 朝食、雑煮。乾燥ホウレン草が粉状で入れ過ぎドロドロの雑煮になる。  06:50 初日の出、雲多く駄目だった。  08:30 縦走隊と定時交信、他の交信は入るがFとの交信は不可、皆心配する。

 08:45 F()後ろ髪を引かれる思いで下山する。  10:30 定時交信、縦走隊は大天井岳の手前15分位の所にいる。皆思わずホッとして顔がほころぶ。  11:10 大天井岳方面へ縦走隊を迎えに出発、北風強し。

元旦朝、一足早く下山する私

 12:30 蛙岩付近で定時交信、大天井岳を降り始めているらしいが風強く雑音多い。  13:00 岩陰で昼食、Hは燕山荘へ引き返す。  大天井岳下の尾根に縦走隊2名の姿らしき人影が見える。N、S迎えに出発。

 14:30 縦走隊と合流。  15:45 燕山荘い全員合流。  18:00 縦走隊と天幕で夕食、パーティ。  22:00 就寝、風が止み星空が美しい。

1月2日

05:30 起床。  06:30 朝食、ラーメン、天幕撤収。  08:35 燕山荘出発、快適に降る。  08:55 合戦小屋着、風無く燕山荘付近とはまるで違う。  10:35 第1ベンチ、美味な水を飲む。  11:08 中房温泉着。  11:35 中房温泉出発。

 14:10 発電所。途中道路結氷し滑って歩き難い。信濃坂付近で野猿の集団に遭う。  14:50宮城ゲート着。タクシーで松本に向かう。  15:40 松本信州会館着。入浴、寄せ鍋、ビールで乾杯、夕食。  19:36松本駅発、急行アルプス10号乗車。  23:08 新宿駅着、 解散。

 ※縦走組とはトランシーバーでの交信が中々上手くいかず、ヤキモキする事もあったのですが、F君とI子さんは蝶ヶ岳から無事に燕岳へ到達し、見事冬の北アルプス縦走を成功させました。

 縦走組のF君とサポート隊のS子さんは、その後目出度く結ばれて幸せな家庭を築かれました。そういう意味でもこの山行は、ハッピーエンドで終わった忘れ難いものでした。

 

 

 上記の燕岳正月山行から29年経った平成25年の正月に、今度は単独で燕岳へ登りました。この時の記録は当時の私のブログに掲載済みですが、冬の燕岳を登ろうという人には参考になるかも知れないので、下記に転載してみます。

北ア、燕岳登山

平成25年1月3日(土) 天気=晴れ

10:00宮城ゲート→ 10:28有明山登山道分岐→ 11:26~36観音峠→ 12:14信濃坂発電所→ 13:15有明荘→ 13:30中房温泉

  今年の初登山、北ア、燕岳へ行ってきました。夏ならば登山口の中房温泉までバスやマイカーで行く事ができるが、冬期は通行止めになる為、宮城ゲートから登山口まで13キロの道程を歩かねばならない。ゲート下にある登山者用駐車場には意外に多くの車が停まっていた。

宮城ゲート登山者用駐車場

 ゲートの脇を抜け雪の車道歩きが始まる。時折すれ違うのは燕岳登山か中房温泉泊りの人だろう。道路沿いの所々に中房温泉までの距離標識が設置されており良い目印になる。

宮城ゲート(タクシーが下山者を待っていた。)

距離表示した標識

 第4発電所横の橋を渡ってジグザグの道を登り、トンネルを抜けた先が小さな祠がある観音峠、此処までで中房温泉まで4割くらいの距離、車の無い時代の湯治客が道中の安全を祈願したのだろうか。

観音峠の祠

 道路には倒木や落石もあったが、落石は下山時取り除かれていたので、保守管理はされているようだ。中房川の対岸を見上げると1千m以上の標高差を隔てて有明山(2268m)の黒い山容が持ち上がる。又源流部には白い山波も見える。

道に横たわる倒木と落石(下山時落石は除かれていた。)

道沿いに見上げる有明山

遠く東沢岳付近の稜線

 信濃坂第5発電所で中房温泉まで三分の二の距離になる。ここから信濃坂の登り降りになり、車道歩きでは一番きつい所だ。坂を越えると後は中房温泉目指して登り一方の道、今日は温泉泊りだから気分も楽である。

信濃坂第5発電所

 ゲートから3時間半で中房温泉に着いた。この辺りは温泉の地熱で積雪が少ない。温泉宿は燕山荘と同じく年末年始だけ営業している。宿泊料金は2食付で¥9700円、飯は不味いし部屋は汚いが他に宿は無いのだから選択の余地は無い。お風呂だけは源泉掛け流し、私の入った岩風呂は実に心地よかった。

登山口手前の有明荘(冬季休業)

中房温泉燕岳登山口(地熱で雪が少ない。)

中房温泉玄関

入浴した岩風呂

 今宵の宿泊客は10名程、殆ど明日燕岳登山をする人だ。同年輩の単独男性二人と同部屋になった。桐生市と練馬区の人でいずれも穏やかで優しい人達で、同じ趣味を持つ者として、山の話で盛り上がった。

 

1月4日(日)     天気=曇り後雪

07:00中房温泉→ 07:37第1ベンチ→ 08:03~07第2ベンチ→ 08:32第3ベンチ→ 09:27~40合戦小屋→ 10:38燕山荘

 朝焼け空で今朝の天気は芳しく無さそうだ。登山口を出発すると最初から急登の道が始まる。黙々登って行くと口から白い息が洩れ蒸気機関車になった気分、しばらく行くと年輩の男女ペアを抜く。雪山に挑戦する勇気は偉いが、歩みの遅さに大丈夫かいなと少し気に懸る。

 1時間程着いた第2ベンチで練馬区の人に追いつく。30分程先に出発した彼は、「もう来る頃だろうと思ってたよ。」と笑った。その後登るにつれ下山者が続々と降って来る。皆さん脇に避けてくれるが、その都度に礼を言い喘ぎつつ通過せねばならぬので疲れが倍加する。

 1時間半で着いた第3ベンチは辛うじて標柱が顔を出していたが、富士見ベンチの標柱は雪に埋もれて見えなかった。約2時間半で合戦小屋に着いた。テントが2張設営されている。この先は吹き曝しの尾根なので、防寒装備を固めて出発する。

第3ベンチ

合戦小屋

 疎林の間を抜け合戦の頭(2488m)に達すると途端に横殴りの寒風と白い霧の世界に突入した。大晦日に女性が遭難したのもこの辺りだ。彼女を救う手立ては無かったのかと憐憫の情が湧く。

森林限界上の合戦尾根

 視界が全く無いから黙々と登るしかない。と目の上に突然建物が現れた。10時38分燕山荘に到着した。夏場は尾根の右手から直接玄関に入るが冬場は建物の左手をグルリと半周して小屋の中に入る。小屋の人が出してくれた暖かいお茶に身体がほぐされた。

燕山荘の建物が見えた。

 今日のうちに燕岳を登ろうと思っていたが、外は吹雪が止まず視界も無い。明日の好天を期待して、暖かい小屋の談話室でビールを飲みつつ読書を楽しんだ。前夜同室の人達も昼過ぎに到着した。心配した年輩のご夫婦も午後に到着したようだ。

 窓の外は身も凍る吹雪なれど、小屋の中はポカポカで正に極楽だ。燕山荘は明日が営業最終日で今宵の客はガイド登山の人達も入れて20名程、談話室で楽しい一時を過ごした。

夕食時、オーナー赤沼氏の談話

 燕山荘は2食付で¥10500円、でも食事は昨日の温泉宿よりはるかに美味いし寝具も軽くて快適、この小屋が人気ランキングのベストワンになるのも無理は無い。夕食時、小屋のオーナーの赤沼氏から冬山の留意事項や先日の遭難の顛末等話してくれた。最後に「明日は晴れますよ。」と言ってくれたので、それを期待して床に着いた。

 

1月5日(月)     天気=晴れ後曇り

 

06:47燕山荘→ 07:20~31燕岳→ 07:55~08:30燕山荘→ 09:14~16合戦小屋→ 09:37第3ベンチ→ 09:51~10:02第2ベンチ→ 10:20~40中房温泉→ 11:37信濃坂発電所→ 12:08~17観音峠→ 13:20宮城ゲート

 

 赤沼氏の言葉どおり素晴らしい快晴の朝を迎えた。日の出時刻が6時47分なので、朝食も慌ただしく済ましバッチリ防寒服装に身を固め燕岳へと出発する。西からの風が強烈で思わず身が竦む。

雲海から日の出

 やがて白い雪稜の奥からシズシズと陽が昇った。行く手の燕岳や遠く槍穂高の峰峰が紅く染まっていく感動の一瞬、此処に来て良かったと嬉しさが込み上げる。30分程で燕岳(2763m)に到着した。四周遮るものの無い青と白の世界、冬の燕岳は30年ぶりだけど今回は格別に嬉しい。

モルゲンロートの燕岳

同じく槍穂高連峰

メガネ岩

燕岳間近

 丁度山頂に居合わせた単独の青年に写真を撮ってもらう。彼は中房温泉にテントを張り、昨日は小屋泊りで我々と楽しく語り合った。彼と喜びを分かち合う。10分程滞在し山頂を後にする。小屋に戻る雪尾根の道は、雪煙が舞い雪山の美しさと厳しさにウットリする。

山頂から北燕岳方面

燕岳山頂

山頂から燕山荘、常念岳方面

山頂から槍ヶ岳

山頂から鷲羽岳方面

雪煙に舞う雪尾根

 小屋に戻ると装備を整理してザッグに収納し、合戦尾根を降って行く。昨日とはうって変わり、今日は雲海の上に雪尾根が延び美しい風景だ。途中でガイド登山のグループに追いつくがトレイルが1本しかないので追い抜く事ができない。最後尾の女性が「スミマセン。」と申し訳無さそうだった。

山荘から大天井岳方面

雲海に降る合戦尾根

合戦尾根から燕山荘を振り返る。

 合戦小屋でグループを抜くと、後はマイペースで降って行く。雪の合戦尾根は夏より楽だ。半ば滑るようにして一気に降った。殆ど休まなかったので燕山荘から中房温泉登山口まで1時間50分程で降り立った。

樹間から見える有明山

 しかし、此処まででエネルギーを遣い過ぎたのか、この後の13キロの車道歩きが堪えた。昨日の雪で道には10㎝程新雪が積もっており油断すると脚が滑るのだ。ホームセンターで買った¥950円也のチェーンスパイクを靴に装着したが、このグッズ、凍結路面には効果があるが積もった雪には気休め程しか効かなかった。

 登山口から2時間40分程で宮城ゲートの駐車場に戻った。近くの日帰り温泉で山の疲れを癒し、夕刻我が家に戻った。山の疲れが限界を超えたのか、このブログを書いている今、風邪の症状が出て鼻水と震えが止まらない。これを書き終えたら、即刻病院へ向かいます。

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日本三百名山回顧№130長野県、餓鬼岳(2百名山)

2024年08月30日 | 三百名山回顧

 人気の山が幾つもある北アルプスの中にあって、餓鬼岳は地味な存在と言えるでしょう。山名からして、何となく不気味な感じがします。山頂までは白沢登山口と中房温泉登山口の2コースありますが、いずれも山頂までは一日がかりの長丁場、厳しい道程です。山頂直下の餓鬼岳山荘は小じんまりとして昔ながらの風情があり、居心地の良い山小屋です。

 餓鬼岳へ登ったのは、今から35年前、平成元年の10月でした。当時所属していたK山岳会の会山行として私が計画し、妻とF子さんの3人パーティで登りました。私が記録した山行記録が、当時の会報に残されていたので下記に転載してみます。

 

 

餓鬼岳~唐沢岳登山

 

期間:平成元年10月5日~8日(2泊3日)

コース:白沢登山口~餓鬼岳~唐沢だけ~東沢岳~中房温泉

参加者:F、F妻、F/K子さん 計3

 

行動記録

10月6日(金) 曇り後雨

06:40白沢登山口→ 08:00~05魚留滝→ 11:52松川新道分岐→ 13:30餓鬼岳山荘

 

 白沢登山口までタクシーで入り、朝食の後出発。沢沿いに続く道はよく整備されている。紅葉の滝は大した事はなかったが、その奥の魚留の滝は中々立派。ここから登山道は急登になる。

魚留の滝

 途中で道で餓鬼岳山荘のオーナー伊東さんに声を掛けられ、サっと追い抜かれる。稜線へ着いてやっと急登が終わり、しかし餓鬼岳はまだ遥かな高みに見える。大凧山は知らぬ間に通過して、最後の急登、百曲りが始まる。

登山道から餓鬼岳

 ジグザグを何度も何度も繰り返した後、ようやく餓鬼岳山荘へ到着した。今夜の宿泊客は我々を含めて9名、夜に雨となる。

餓鬼岳山荘間近の尾根

 

10月7日(土) 曇り

07:20餓鬼岳山荘→ 07:25~30餓鬼岳→ 08:00西餓鬼岳分岐→ 10:00~40唐沢岳→ 12:33西餓鬼岳分岐→ 13:03餓鬼岳山荘

 

 霧が深く、出発を07:20に遅らせる。一登りで着いた餓鬼岳山頂は視界が全く無く、記念の写真を撮った後早々に出発する。西餓鬼岳分岐ではガイドブックで要注意と書かれていたにもかかわらず、右へ曲がる所を直進してしまい少し迷ってしまった。餓鬼のコブは左側を巻いて、樹林帯の中をしばらく進む。

餓鬼岳山頂

 最低鞍部から唐沢岳へは、短い割に厳しい箇所もありきつい登りだった。到着した唐沢岳は我々以外誰も居らず、静寂の山頂は心地よい所だった。生憎霧で展望を望めないのが残念、約40分間滞在し、来た道を餓鬼岳山荘へと戻った。今夜の山荘は満室で、大賑わいだった。

唐沢岳付近の道

唐沢岳山頂

 

10月8日(日) 曇り後雨

06:05餓鬼岳山荘→ 07:10~18剣ズリ分岐→ 08:50~09:50東沢岳→ 10:12~16東沢乗越→ 12:15中房温泉

 

 昨夜は星も見えて好天を期待したが、今朝も霧の中の出発となった。東沢岳へ向かう稜線は岩稜の小さなアップダウンが多く、凍った梯子や木橋に少々手こずる。剣ズリの分岐は、樹林帯の巻き道を進む。東沢岳へ着いた時、一瞬霧が薄れて剣ズリや燕岳を望めたが、再び霧に覆われてしまった。

剣ズリ付近の道?

東沢岳

東沢乗越付近?

 燕岳へ向かうF子さんとは東沢乗越で別れ、我々夫婦は中房温泉への道を下山する。沢沿いの道はかなりの高巻きもあり、地図で見るよりも難コース、大雨の時には遠慮したい道だ。乗越から約2時間で中房温泉へ到着、秘湯ブームのせいか温泉は大賑わい、源泉風呂で汗を流した後、穂高駅行きバスに乗って帰宅の途についた。

東沢乗越

 記録を読み返すと、餓鬼岳登山はあまり天候に恵まれなかったようです。天気の良い時に再チャレンジ・・・と言うには餓鬼岳への登りは厳しく、もうあの山頂を踏む事は無いでしょう。

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日本三百名山回顧№129富山・長野県境、蓮華岳(3百名山)

2024年08月01日 | 三百名山回顧

 後立山連峰の南端に聳える蓮華岳は、信州の信濃大町市街地から望むと標高差2千m余の高みに聳える雄大な山容です。ゆったりとした白砂が広がる山頂は360度の大展望で、美しいコマクサの群落を見る事ができます。

 初めて蓮華岳を登ったのは、平成4年の9月の事でした。妻と二人テントを背負い針ノ木岳から蓮華岳を経由して七倉岳まで縦走し、七倉ダムへと下山しました。この時は一泊二日の強行軍で、妻はきつくて足が痙攣しそうだったと回顧している。それくらい我々は若くて元気があったんだなあと、懐かしく想い出されます。

平成4年9月12日~13日

針ノ木峠(幕営)→ 蓮華岳→ 北葛岳→七倉岳→ 七倉ダム

蓮華岳山頂

山頂から剣岳方面

山頂から鹿島槍ヶ岳(左)、爺ヶ岳(右)方面

北葛岳山頂?

北葛岳から蓮華岳

途中で出会った雷鳥

七倉岳山頂

七倉ダムへの下山の道から望む高瀬ダム

 

 2度目の登頂は平成25年8月妻と二人で針ノ木岳登山をした時に、針ノ木峠から私が単独で蓮華岳まで往復しました。その時の記録が当時のブログに載っていたので、下記に転載してみます。

平成25年8月3日(土)  天気=晴れ

針ノ木峠→ 蓮華岳→ 針ノ木峠

 テントの設営を終えると妻に留守を頼み、単身で針ノ木峠から蓮華岳へ向かう。最初は岩場の急登だが、だんだん傾斜が緩み峠から見える前衛ピークに達した。蓮華岳はその奥にある。白砂の道の両側はコマクサを始めいろんな高山植物が咲き誇り、天上の楽園を歩いているようだ。

蓮華岳への道

 緩やかな登りを伝って蓮華岳(2799m)に着いた。山麓の大町市から眺めると西に聳える此の山は実に雄大だ。三角点のピークと祠のピークがあり、どちらにも山頂標識が無いので両方踏み跡を残す。山頂からの眺めは360度実に素晴らしい。何時までも居たい気分だが、テントに残る妻が心配なので(本音は早くビールが飲みたい。)写真を撮り終えると往路を下山する。

蓮華岳山頂

山頂から南、槍ヶ岳方面

山頂から針ノ木岳方面

山頂付近のコマクサ

 峠に戻るとテントの入り口に居座りビールを飲む。此処のテント場からは北アルプス南部の展望が素晴らしく、槍や穂高を眺めながらビールを飲んでいると、とても贅沢な時を過ごしているようで嬉しくなる。

針ノ木峠から七倉岳(左手前の山)、槍ヶ岳(右奥の山)方面

懐かしの蓮華岳は、里から望んでも山頂から望んでも男前の立派な山です。

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日本三百名山回顧№128富山・長野県境、針ノ木岳(2百名山)

2024年06月22日 | 三百名山回顧

  黒部アルペンルートの玄関口、扇沢駅の奥に聳える針ノ木岳は、日本三大雪渓の一つ、針ノ木大雪渓を懐に抱く後立山連峰南部の鋭峰です。しかし前面に聳える蓮華岳が邪魔をして安曇野の里からその姿を見る事はできず、名峰揃いの北アルプスに在っては今一つ地味な存在の山です。

 そんな針ノ木岳へ最初に登ったのは昭和54年9月末でした。この時は単独で唐松岳から後立山連峰を縦走し、最後に針ノ木岳を登って扇沢へと下山しました。今から約半世紀前の山行なので殆ど記憶は残ってないが、種池山荘で山岳写真家の白旗史郎氏とお会いした事や、残雪の無い針ノ木雪渓で猿の大群と遭遇した事が薄っすら思い出されます。

昭和54年9月30日

種池山荘→ 赤沢岳→ 針ノ木岳→ 針ノ木峠→ 扇沢

赤沢岳山頂

針ノ木岳山頂

針ノ木雪渓の降り

 

 2度目は平成4年9月中旬に、妻と二人で扇沢からを針ノ木雪渓を登って針ノ木岳の山頂を踏みました。この時はテント泊で、その後蓮華岳~北葛岳~七倉岳と縦走したのですが、妻は今でもこの時の山行は厳しくて足が攣りそうだったと言っています。

平成4年9月12日

扇沢→ 針ノ木峠→ 針ノ木岳→ 針ノ木峠(テント泊)

針ノ木雪渓(残雪が殆ど無い)の登り

針ノ木雪渓を上から見下ろす

針ノ木岳山頂

山頂からスバリ岳方面

 

 3度目は平成25年8月初旬に、再び妻と二人テント泊で針ノ木岳を登りました。この時は爺ヶ岳まで縦走する計画だったが、雨に降られて針ノ木岳の山頂を踏んだだけで扇沢へ下山しました。私の古いブログに当時の記録が載っていたので、下記に転載してみます。

平成25年8月3日(土)    天気=曇り時々晴れ

05:35扇沢無料駐車場→ 07:00~05大沢小屋→ 07:43~53針ノ木雪渓末端→ 09:04マヤクボ沢出合下→ 09:58針ノ木小屋→ 10:18~1106テント場→ 11:51~12:05蓮華岳→ 12:36針ノ木峠テント場

 黒部アルペンルートの玄関口である扇沢の無料駐車場は、土日にはAM3時で満車になるとのネット情報を見て昨日夕刻に到着した。ネット情報は正しく既に8割方スペースが埋まっており、AM4時に目覚めると広い駐車場は満杯で行き場を失った車が場内をクルクル回っていた。

 簡単に朝食を済ましAM5時半出発する。2日分の食糧と幕営具を背負ったザックがズシリと重い。久しぶりに重荷だが妻は意外と元気が良い。数カ所の沢を渡り1時間半で大沢小屋に着く。

途中の沢に架かる仮橋(ミニ鯉のぼりは目印)

 小屋の管理人さんに針ノ木雪渓の状態を確認すると「アイゼンが無ければ登り降りに苦労する。」と言うので4本爪軽アイゼンをレンタル(1組500円)する。

 大沢小屋から雪渓までの間は、不規則な石が多く、急な斜面のトラバース個所も幾つかあって重荷を背負っている事もありけっこう苦労させられた。小屋から40分程で雪渓末端に着いた。

針ノ木雪渓が見えてきた。

 針ノ木雪渓は白馬、剣沢と共に日本三大雪渓の一つで、スケールこそ両者に譲るものの雄大な眺めは北アルプスでしか見る事ができない。先行する登山者の姿が真っ白な雪渓にゴマをまぶしたように見える。

雪渓を登って行く。

 軽アイゼンを装着して登って行く。冷気が雪渓上を覆い、強力なエアコンの中を行くようで心地よい。1.5キロの雪渓の道は、中程で傾斜を強めマヤクボ沢が分岐する辺りで終わる。此処からアイゼンを外して夏道を登って行く。

雪渓上で一休み

 この頃から疲れが出たようで妻の歩みが遅くなる。私は「ゆっくりゆっくりでイイからネ。」と声を掛け、最後の水場で3ℓ水を確保すると針ノ木峠へ向けて先行する。

雪渓上部から爺ヶ岳方面

 AM10時前、峠にある針ノ木小屋に到着、さっそくテントの受付を済ます。此処のテント場は狭いので週末は午前中で満杯になると聞いていた。取合えず場所を確保出来てホッとした。妻も少々遅れたものの笑顔で峠に着いた。

針ノ木峠

針ノ木峠テント場

 

8月4日(日)   天気=雨後曇り

07:33針ノ木峠テント場→ 08:17~20針ノ木岳→ 08:56~0923針ノ木峠テント場→ 10:00~18マヤクボ沢下→ 10:56~11:06針ノ木雪渓末端→ 11:41~54大沢小屋→ 13:00扇沢無料駐車場

 AM4時前テントから顔を出すと山々は灰色の雲にドップリ覆われていた。朝食の最中には本降りの雨に変わった。今日は種池山荘のテント場まで行く予定だったが、先日の韓国人登山者遭難の例もあり、雨天の縦走は厳しいので天気の様子をみる。

 しかし7時を過ぎても雨は止まない。縦走を諦め針ノ木岳のみ往復して昨日の道を下山する事にした。雨具に身を固め軽装で針ノ木岳へ向かう。山頂へは岩屑の急登が続く。色とりどりの高山植物が道沿いにヒッソリと群れ咲いている。

登山道から針ノ木小屋とテント場

 幾人かの登山者とすれ違いながら約40分程で針ノ木岳(2821m)に着いた。むろん山頂は乳白色のガスに覆われ何の展望も無い。居合わせた単独の男性に記念の写真を撮ってもらい早々に山頂を辞す。

針ノ木岳山頂

 下山の道も幾人かの人とすれ違う。中にはこの雨の中縦走するパーティもいる。峠に戻ると雨に濡れたテントを撤収し、小屋でアイゼンを借り受けると重い装備を背に扇沢に向け下山を始める。

 計画を断念するのは、敗走する兵士のような気分で背中のザックがやけに重く感ずる。マヤクボ沢下でアイゼンを装着し雪渓を降るが、軽アイゼンはすぐに雪団子状態になり爪が雪面に刺さらずあまり効果が無い。それでも無いよりはマシなので雪団子をストックで落としながら降る。

下山時の雪渓

 広い雪渓は登って来る人も多い。中には全員ヘルメットを被った二十数名の集団が整然と列をなして山岳兵の行軍のようだ。雪渓末端まで降ってアイゼンを外し、来た道を振り仰ぐと峰々は雲に覆われているが、時折稜線が垣間見える。天気は回復に向かっているようだ。

 雪渓が終えても雨に濡れた道は歩き難く下山の脚は重い。大沢小屋に着きホッと一安心、アイゼンを返却し軽く食事を済ました後、扇沢へと降って行く。里が近づくにつれ陽が差し気温も上がってくる。やがて車道と交差するようになると登山口も間近、PM1時に扇沢に着いた。

 今までの静寂が嘘のように扇沢は観光客で大賑わい、有料駐車場は順番待ちの長い車列が出来ている。車に戻ると大町温泉郷の上原の湯へ向かう。此処は地元の人向けの温泉で、施設も簡潔で綺麗、料金もリーズナブルとても気に入った。

 温泉で山の汗を流したら気分もリフレッシュ、山の先輩 I さんが避暑を兼ねて先日から大町近郊の別荘に滞在して居るので風呂上りに電話したら、「今日、碁の大会で大町市内にいるけど、今からそっちに行くよ。」との返事。

 10分程でやって来たIさんとは一か月余ぶりの再会、暑さ知らずの緑深い別荘で夏を過ごす先輩は、先週からカムチャッカ半島観光&長岡の花火見物そして碁三昧、年金世代の範となるような気忙しくも優雅な日々で一寸羨ましくなる。

 地元に詳しいIさんの案内で大町市美麻地区にある「山品」という蕎麦屋を訪れ一緒に食事する。有名人も多く訪れるというこの蕎麦屋さん、味よく料金も安くて感じの良いお店だった。

 I さんとは此処で別れ帰宅の途につく。上信道、更埴ICから高速に乗り我が家へ向かう途中道路情報を聞くと、日曜日の今日「高坂SAから上里SAまで35キロの渋滞」と報じている。そう言えば先週の日曜日に浅間山から帰る途中も同じ事を言っていた。幸い関越道、本庄児玉ICまでさしたる渋滞も無く、そこから一般道を走ってPM8時頃我が家へ戻る事ができた。

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日本三百名山回顧№127富山県、薬師岳(百名山)

2024年05月14日 | 三百名山回顧

 北アルプスの南部の槍穂高連峰と北部の剣立山連峰を繋ぐ長大な縦走路の中間部に堂々たる山容を持ち上げている山が、「北アルプスの貴婦人」と呼ばれる薬師岳です。富山平野からは北に聳える剣岳の峻峰とは対照的に、たおやかな薬師岳を望む事ができます。

 その薬師岳に最初に登ったのは、昭和53年8月下旬に立山から薬師岳へ縦走した時でした。途中の五色が原で一泊し翌日の夕刻に達した山頂は、素晴らしい展望で私を迎えてくれました。

 山頂を後にしてその夜は、営業していない薬師岳山荘の避難小屋を仮の宿としました。誰も居ない狭い小屋で寝ていると、吹き渡る夜風が「ひゅ~う、ひゅ~う」と、まるで山で命を落とした岳人の叫び声のように聞こえてきます。(当時は冬の薬師岳で13名の愛知大生が遭難死した山岳遭難事故の記憶が、まだ生々しかったのです)

 この山行は槍ヶ岳まで歩く計画でしたが、この夜眠れぬ一夜を過ごした私はすっかり怖気づいてヤル気を無くし、翌日縦走を断念して折立へ下山したのです。それでも当時登山を始めて間もない私にとっては、忘れえぬ思い出深い登山でした。

昭和53年8月26日(土)~29日(火)

室堂~立山~五色が原~薬師岳~折立

五色が原から立山方面

鳶山から越中沢岳(左手前の山)と薬師岳(右奥の山)

北薬師岳から薬師岳

薬師岳山頂

山頂から遠く槍穂高方面

東南稜分岐から薬師岳山頂

 

 

 

 2回目は平成26年8月下旬に、妻と二人で薬師岳を登りました。この時は前回とは逆で、薬師岳から立山へ縦走しました。当時のブログにこの時の山行記録が残されていたので、下記に転載してみます。

 

平成26年8月27日(水)~29日(金)

北ア、薬師岳~立山縦走

8月27日(水)     天気=曇り後雨

08:35折立登山口→ 10:10~21三角点ベンチ→ 11:35五光岩ベンチ→ 12:16~57太郎平小屋→ 13:16~26太郎平テント場→ 14:06薬師平→ 14:47薬師岳山荘

立山駅前駐車場で車中泊の朝を迎えた。電車で有峰口駅まで行き、そこから折立登山口へ向かうバスに乗った。富山駅発の登山バスは予約制なので満席近い状況に乗せてもらえるか心配したが我々夫婦分の席を何とか確保できホッとした。

 8時半前にバスは登山口の折立に着いた。登山口にはトイレと休憩所と広い駐車場があるだけ、駐車場には10台程の車が停まっていた。バスを降りた乗客は粛々と出発して行く。我々もその列に従うように歩き始める。

折立登山口

 この折立コースを登るのは30年ぶりだ。その時は我々夫婦と山仲間のS子さん、F子さんの4人パーティで4泊の幕営縦走をしたのだがあの頃の若さが懐かしく思える。

 昨日は大雨警報の富山地方は今朝も雲行きが怪しい。雨の降らぬ事を祈りつつ登る。北アルプス登山は1年ぶりの妻も中々快調な脚取りだ。ジメジメした樹林帯の道を黙々と登り、約1時間半の歩きで三角点ベンチに着いた。

三角点ベンチ

 周囲は霧に覆われて何も見えない。この辺りから草原状の緩やかな道に変わる。時折薄陽も差して眼下に有峰湖が望まれた。五光岩ベンチを過ぎるとたおやかな尾根道が続き快調に進んで行く。

五光岩への登り(眼下に有峰湖が見えた。)

太郎平へ続く尾根道

 やがて稜線に太郎平小屋が小さく見え、お昼過ぎ広い台地に建つ太郎平小屋に着いた。売店でオデンを注文し屋外ベンチで昼食をとる。此処の展望は素晴らしく雲の平方面を眺めていると、雨雲が雨を降らせつつ東へ移動するのが見えた。

太郎平小屋が見えた。

太郎平小屋

 昼食を終えると薬師岳山荘目指し出発する。太郎平テント場で水を確保していたら突然の土砂降りとなった。大慌てで雨衣を装着する。登山道は水流が溢れ辛い登りになる。ケルンの建つ薬師平まで登ると緩やかな尾根道になり歩き易くなった。

太郎平から薬師岳への道

太郎平テント場

途中出会った雷鳥

 小雨降る中黙々歩いていたら白い霧の中から建物が現れ、14時47分薬師岳山荘に到着した。山荘内の施設は新しく綺麗で従業員の人も親切だ。とても快適な環境に感激した。

 夕食も下界の宿顔負けのご馳走で、「今日はお客が少ないのでオカズを1品おまけした。」と話す小屋のご主人に皆で拍手して喜んだ。屋外は冷たい霧雨が降り続いているが、小屋の中は暖かい天国でグッスリ熟睡する事ができた。

薬師岳山荘の夕食

 

8月28日(木)     天気=曇り

05:35薬師岳山荘→ 06:27~40薬師岳→ 07:24~40北薬師岳→ 08:53~57間山→ 09:54スゴ乗越小屋

 

 朝5時に朝食を取り5時半過ぎに山荘を出発する。辺りは昨日と同様霧に包まれているが雨が降らないだけ幸いだ。登っていると朝食前に薬師岳へ登った人たちが数名降りてきた。

薬師岳山荘玄関にて(出発時)

薬師岳山荘

 山荘から約50分ほどで薬師岳(2926m)に到着した。周囲は真っ白で視界数十m程、妻に山頂からの大展望を見せてやれないのが残念だ。一緒に登った単独の男性と互いに写真を撮り合い逆方向へ向かう彼とエールを交わして別れた。

薬師岳山頂

 薬師岳から北薬師岳の間は岩がゴロゴロした細い岩尾根で難渋し、45分も掛かってしまった。携行する地図には30分と記されていたが相当健脚で無くては30分で歩くのは無理だと思う。北薬師岳(2900m)は、山頂標識が建つだけの簡素な山頂で期待した眺望も駄目だった。

北薬師岳への岩尾根

北薬師岳山頂

 北薬師岳から先もしばらくは岩がゴロゴロして歩き辛かったが、だんだん広々とした尾根道に変わり降り易くなった。天気も上向き晴れ間も覗くようになる。やっぱり登山は天気が良くなくては楽しくない。

 間山(2585m)まで降ると山頂に大きなザックを持った白人男性が居た。拙い日本語で「友人と穂高までテント縦走する予定」と彼は言った。身体もデカイが体力も凄そうだ。

間山山頂

 間山から降るとすぐに白人女性2人とすれ違う。先程の彼の友人らしい。「ユアフレンド、オーバーゼアー」と拙い英語で教えてあげた。更に降って行くと湿地帯のぬかるんだ道に変り再び歩き辛くなった。だんだん疲れを覚えた頃、スゴ乗越小屋に着いた。

スゴ乗越小屋への下山道(遠くの山は越中沢岳)

 時間はまだ10時前でタップリあるが、次の五色ヶ原山荘まで三つの山を越えコースタイム6時間10分の道程だ。疲れてもいるし辛い歩きになりそうなのでスッパリ諦め、少し早いが今日はこの小屋に泊る事とする。

 昨日のモダンな薬師岳山荘と大違いで、スゴ乗越小屋は古い木造で素朴な佇まいの山小屋だ。これはこれで風情があって悪くはない。午後は缶ビールを飲みつつノンビリ読書タイムで過ごす。今宵の同宿者は我々夫婦を含めて6名、同じ同好の士として和気アイアイで話も弾む。5時過ぎ到着した私と同年配の単独男性は「新穂高温泉を出発して二日目で此処まで来た。」と言う。何という健脚かと驚いた。

スゴ乗越小屋

 夜中イビキが煩いと、妻から3~4度頭を突かれた。自分じゃあまり鼾を掻かない人間と思っていたが、老いかそれとも疲れがでてるのか。

スゴ乗越小屋の朝焼け

 追記・・翌日はスゴ乗越小屋から五色が原を経由して立山の室堂へ下山したのですが、文末には「団塊世代の我々夫婦にとって、高い峰々を貫く縦走登山は今後そんなに多く出来ないだろう。そういう意味で今回の登山は貴重なメモリアル登山になったのではと実感している。」と感想が書かれていた。

 

 

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日本三百名山回顧№126富山県、鍬崎山(3百名山)

2024年04月08日 | 三百名山回顧

 鍬崎山と言われてもよほどの山好き以外は、「エッ、そんな山何処に在るの?」と応える人が殆どでしょう。富山平野から眺めると鍬崎山は北ア、立山連峰前衛の山で、あまり目立たぬ地味な存在です。しかし戦国時代の武将、佐々成政が莫大な埋蔵金を隠した山と言い伝えられ、寧ろ歴史好きの人に知られている山かも知れません。

 私も日本三百名山の一座で無ければ、この山へは行かなかったでしょう。平成25年8月、奥大日岳や立山を登った後に、最後のトリで鍬崎山を登りました。古いブログに当時の山行記録が掲載されていたので、下記に転載してみます。

 

8月24日(土)   天気=雨後曇り

07:17立山山麓スキー場山頂駅→ 07:47~50瀬戸蔵山→ 08:17~19大品山→ 09:271756mピーク→ 10:15~35鍬崎山→ 11:021756mピーク→ 11:46大品山→ 12:08~12瀬戸蔵山→ 12:29立山山麓スキー場山頂駅

 

 当日の朝になっても、雨は一向に降り止まない。天気回復という予報の言葉を信じて、鍬崎山を登る事にする。AM7時前にゴンドラ山麓駅へ着いた。今日の午後に此処のゲレンデで音楽祭があり、「泉谷シゲル」や「渡辺真知子」「白井貴子」等一流歌手が出演して凄い賑わいになるらしい。そのイベントを記念してゴンドラ往復券一人1千円のところ、本日は半額の500円になると言うので得した気分になった。

 鍬崎山登山をする者は登山者名簿に記入せねばならず、今日は私が最初の登山者だった。係員に「大雨の後だから登山道は泥んこなので、気をつけて登ってください。」とアドバイスされた。

 私一人を乗せて朝一番のゴンドラは、一気に山頂駅まで運んでくれた。軽く準備体操を下後に、ゆっくり歩き始める。瀬戸蔵山(1310m)を越え大品山(1404m)までは家族向けハイキングコースなので、歩き易く私は傘を差して登って行く。

瀬戸蔵山付近の道(下山時)

 大品山を過ぎると一旦鞍部に降り、此処から本格的な登山道が始まる。山頂まで標高差約800mの一気登りの道だ。道は刈払されており、思ったよりよく整備されている。雨は時折り強く降るものの、徐々に弱まっているようだ。

大品山山頂(下山時)

  鍬崎山からの展望は日本海と北アルプスの眺めが絶景と聞いているので、山頂に着いた頃天気が回復してくれればと願いつつ登って行く。地図を見ると大品山から山頂までのコースタイムは、登り3時間15分となっており道程は長い。しかし山頂までは絶対脚を休めぬと決め、黙々と歩みを進めて行く。

途中の鎖場

1756mピーク付近の道(下山時)

 顕著な1756mピークを過ぎ、幾度かニセピークに騙された後、10時15分鍬崎山(2090m)の山頂へ到着した。大品山から約2時間の道程だった。雨は上がったものの展望は全くゼロ、でも登頂出来た喜び心は弾む。たとえ景色は見えなくても無心で登っていると、「今生きているんだ。」という充実感が湧いてくる。

鍬崎山山頂

同上

 休憩を終えると、もう2度と此処へ来ないだろうという惜別の思いを秘め山頂を後にする。雨が上がったので、両手両足を自由に駆使して下りの道は早い。下山の途中で、精悍そうな単独男性とすれ違った。今日鍬崎山を登る人間は、多分この若者と私の二人だけだろう。

 瀬戸蔵山へ着くと、二人の中年男性が食事中だった。「鍬崎山まで行って来たの?」と問われ、俺も行こうかな何て言うので「今の時間からだと、ゴンドラの最終運行時間に絶対間に合わないので無理ですよ。」と応えた。

 12時半にゴンドラ山頂駅へ戻って来た。駅周辺では家族連れ等、大勢の行楽客で賑わっていた。ゴンドラ山麓駅周辺では既に音楽祭が開催されており、朝方とは雰囲気が一変している。私は車に乗込むと早々に昨日も入浴した「グランドサンピア立山ホテル」へ向かう。此処でお風呂に入って、午後はゆっくり寛いだ。

ゴンドラ山頂駅

 ホテルを出ると、その後称名滝見物へ向かう。日本一の高さとスケールを誇る称名滝は大雨のせいもあって水量が一段と豊かで、その迫力は凄まじく暴れる白龍のよう正に日本一の名瀑だ。日光華厳の滝や袋田の滝も、称名滝と比べれば巨人と赤子、戦艦大和と屋形船の違いで一見すべき天下の偉観です。

称名滝

 見物を終えると立山町のアルペン村駐車場へ向かい、昨日に続き今夜もここで車中泊、翌日は富山から一般道をのんびりドライブして夕刻我が家へ戻った。

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日本三百名山回顧№125富山県、立山(百名山)

2024年03月27日 | 三百名山回顧

 越中富山の名峰立山は、日本3名山の一座であり古くからの信仰を集める山でもあります。立山という名は一つの山では無く、最高峰の大汝山や雄山、別山、真砂岳、浄土山などの山々を総称した山名です。

 そんな立山を最初に登ったのは昭和55年9月中旬でした。この時はテント泊で立山~剣岳~奥大日岳~大日岳などの山々を登った記録が、古いアルバムに残されていました。

昭和55年9月14日(日)~16日(火)  (室堂~立山~剣岳~奥大日岳~大日岳~室堂)

雄山から五色が原方面

真砂岳から剣岳方面

別山から大汝山~雄山方面

 

 

 2度目の登山は平成9年8月に、妻と二人で黒部第4ダムから立山ロープウェー真下の登山道を歩いて立山を登りました。黒部アルペンルートを利用すれば汗も掻かずに1時間足らずで室堂まで行けるのに、ワザワザ藪っぽい登山道を半日がかりで登り、その日は疲れて雄山直下の一の越山荘に泊ったように記憶しています。

 2日目は立山を登り、その後南の五色が原まで縦走してここでテント泊。3日目は黒部湖の平の小屋へ降り、そこから黒部湖の湖岸を歩いて黒部第4ダムへ下山しました。けっこうハードなコースでしたが、天気が良くて楽しく充実した山行でした。

平成9年8月16日(土)~18日(月)   (黒部第4ダム~立山~五色が原~黒部第4ダム)

黒部第4ダムから立山

登山道から黒部湖を見下ろす

大汝山山頂?

立山から五色が原方面

山頂から室堂方面

山頂から剣岳方面

獅子岳山頂

五色が原キャンプ場

 

 

 3度目は室堂の雷鳥平キャンプ場にテントを張り、奥大日岳~立山を縦走しました。この時の山行記録が当時のブログに掲載されていたので、下記に転記してみます。

平成25年8月22日(木)  (雷鳥平キャンプ場~奥大日岳~立山~雷鳥平キャンプ場)

 奥大日岳から新室堂乗越へ戻り、別山乗越への登山道を登る。途中で7名程の女性パーティと若いアベックを追い越すが、追い抜き際に挨拶するとアベックの女性はコンニチワと返答してくれたが、男性には黙殺された。私のような老いぼれに追越されたのが、面白く無かったのかもしれない。

別山乗越への登り

 お昼前、別山乗越の剣御前小屋に着いた。正面に剣岳が今まさに雲のガウンを取って雄姿を現そうとしている。感激の眺めで此処まで登って来た甲斐があった。

別山乗越から剣岳

 午後からすっかり晴れて登山日和となった。今日は立山を縦走して今夜も雷鳥沢でテント泊しようと決める。乗越から20分程で別山(2874m)に着いた。此処からも剣岳の眺めが素晴らしい。ついでに別山北峰(2880m)にも立ち寄る。

別山北峰山頂

 山頂に居たオジサンに剣岳をバックに写真を撮ってもらったが、その時剣岳は雲に隠れてしまった。別山へ戻ると真砂乗越まで大きく降って再び真砂岳へと登り返す。別山から30分程で着いた真砂岳山頂((2861m)には中高年のツアー登山の団体が山頂を占領して賑わいでいた。

真砂岳から室堂と奥に大日岳

真砂岳から別山方面

 此処から剣岳は別山の背後となり一部しか見えないが、行く手に富士ノ折立から雄山に続く稜線が一段と高く聳えている。左の眼下は豊富な雪渓を抱えた内蔵助カールが美しい。

内蔵助雪渓と富士の折立ピーク

内蔵助カールと後立山連峰

 一旦降って富士ノ折立への登りは急で厳しい。真砂岳から約30分で富士の折立に登り着いた。尖ったピークの標高は2999mで3千mまであと1m足りないだけだ。西側眼下は室堂平が一望に広がる。次のピーク大汝山の標高は3015mで立山の最高地点です。山頂から東側足下に緑色した湖面の黒部湖が横たわって見えた。

大汝山山頂

大汝山から黒部湖

大汝山から雄山

 此処から昨日登った雄山までは僅かな距離だ。雄山山頂に着く直前、荷物を積んだヘリコプターが飛び去った。山頂にいた作業員が「ヘリはすぐ戻って来るので危険だから山頂には留まらないでください。」注意され、急かされるように下山する。

 昨日悪天で苦労した道も今日は気楽に降って行ける。一ノ越からキャンプ場へ直行する道もあったが、途中でビールを調達したいので室堂山荘経由の遊歩道を降った。PM4時前なのに、まだ多くの観光客が散策している。今日午前に、別山乗越への登りで追い抜いた女性7名のパーティとキャンプ場手前で再会した。彼女らは雷鳥沢を降ってきたようだ。

ミドリヶ池から雄山

雷鳥荘から眼下に雷鳥平キャンプ場

同、地獄谷と大日岳

 雷鳥沢ヒュッテでビールを購入し雷鳥沢キャンプ場に戻った。すぐに夕食の準備に取り掛かる。長逗留している羽生の男性がトマトとキャベツのサラダをお裾分けしてくれた。彼は後一週間程は滞在する予定との事だ。私が「ジフィースとインスタントラーメンが余ってから入りませんか。」と言っても、「まだコメが3升もあるから食料は入らない。」と断られた。

雷鳥平キャンプ場

 彼の情報だと明日は朝から大雨になるという。明朝テントを撤収するまで何とか降らないで欲しいと願いながらテントの中で眠りについた。

 

 追信・・古いアルバムをチェックしていたら、昭和53年8月27日に立山の雄山に登っており、これが初めての立山登山でした。この時は立山から五色が原を経て薬師岳まで縦走した事が、アルバムの写真で分りました。

室堂の雷鳥平キャンプ地(昭和53年8月26日)

雄山山頂(昭和53年8月27日)

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日本三百名山回顧№124富山県、奥大日岳(2百名山)

2024年02月19日 | 三百名山回顧

 信仰の山として名高い日本三名山の一つ立山から、富山平野へ流れ込む大日尾根の最高地点が奥大日岳です。北隣に聳える剣岳とは対照的に穏やかな山容で、高山植物が多く咲く花の百名山としても知られています。

 奥大日岳へ最初に登ったのは、昭和55年の9月でした。遠い記憶を思い起こすと、剣岳を登頂した後に尾根を縦走して奥大日岳の山頂を踏み、大日岳直下の大日小屋へ泊ったのだと記憶しています。

 昭和55年9月16日(火)~17日(水)

 剣岳~奥大日岳~大日岳~大日小屋

立山から大日岳(左の山)と奥大日岳(右の山)

大日岳から剣岳

 2回目に奥大日岳を登ったのは平成25年の8月でした。この時はテント泊で当初立山から薬師岳まで縦走する計画だったが、初日から大雨強風の悪天に遭遇し室堂の雷鳥平にテントを張って避難したのです。

 当初の縦走計画は頓挫したので、天気が回復した翌日は軽装で奥大日岳~立山を歩きました。その時の記録がブログに掲載されていたので、一部を抜粋して下記に転載してみます。

 

平成25年8月22日(木)   天気=曇り後晴れ

 

07:30雷鳥沢キャンプ地→ 07:55新室堂乗越→ 09:12~15奥大日岳→ 09:27~44大日岳最高点→ 10::55~11:09新室堂乗越→ 11:58~12:12別山乗越→ 12:34~38別山→ 12:43~50別山北峰→ 12:55~58別山→ 13:29~32真砂岳→ 14:00~09富士ノ折立→ 14:19~23大汝山→ 14:40~41雄山→ 15:01一ノ越→ 15:25~27室堂山荘→ 15:57~16:00雷鳥沢ヒュッテ→ 16:04雷鳥沢キャンプ地

 

 朝方まで降っていた雨もどうやら上がった様子、取敢えず奥大日岳でも登ろうかと雷鳥平のテント場を出発する。天気の回復に幾人もの登山者が登り始めている。新室堂乗越の登山道分岐で左に曲がる。白いガスで何にも見えず黙々と歩くのみ、高山植物の群落が眼を和ませてくれる。

雷鳥平のテント場

高山植物の群落

奥大日岳へ向かう登山道

 カガミ谷乗越のピークを越えトラバース気味に登って行くと奥大日岳も近い。再び稜線に出てしばらく進むとガスの中に奥大日岳(2606m)の山頂標識が現れた。白いガスで何の展望も得ず記念の写真だけ撮って引き返す。10分余歩いて大日岳最高点(2611m)にも立ち寄る。ヒッソリとした山頂だった。

奥大日岳山頂

天気が良くなって室堂方面の展望が開いた

 来た道を引返し新室堂乗越に戻った頃には、視界を遮っていた雲も後退し室堂平の全貌が見渡せるようになってきた。これなら剣岳も見えるかも知れない。別山乗越へ向かう事にする。・・・

新室堂乗越から別山乗越方面

追信・・・ 奥大日岳は、北アルプスの中では比較的容易に登れる山です。妻がまだ登っていなので、元気なうち一緒に大日小屋泊りで再訪してみたいものです。

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日本三百名山回顧№123富山県、剣岳(百名山)

2024年01月21日 | 三百名山回顧

 剣岳は美しくも険しい岩場の鋭鋒で、登山を志す者なら誰もが一度は登りたいと思う北アルプスの名峰です。そんな剣岳へ初めて登ったのは昭和55年の9月でした。2泊三日で室堂から立山~剣岳~大日岳と縦走しました。

 遠い昔の山行なので雷鳥平のテント泊が酷く寒かったのと、剣岳の登山道が意外と楽に登れた事くらいしか記憶に残っていません。

 昭和55年9月14日(日)~16日(火)

 室堂~立山~剣岳~大日岳~室堂

別山乗越から剣岳

痩せ尾根の登山道

剣岳山頂

山頂から南に大日岳方面

山頂から北に毛勝岳方面

 

 2回目は昭和62年8月に当時所属していた山岳会の立山集中山行の時、会長のHさんと我々夫婦の三人で、早月尾根から剣岳を登りました。会長のHさんは当時70歳位だったはずですが、お酒が好きでタフで優しい山男でした。

 不死身のように元気だったHさんもその後病に倒れ、あの世へ旅立ってしまった。この山行ではHさんが行動記録を当時の会報に残していたので、お世話になったH会長を偲びつつ下記に転載してみます。

 

 立山集中山行(早月尾根、剣岳コース)

日時:昭和62年8月14日(金)~17日(月)

参加者:F、 T子、 H    男×2、女×1、計3名

行動記録: H・R

8月13日(木)

20:00 上野駅8番ホームに全員集合、ホームにてF君親子に偶然出会う。親子で飯豊連峰へ行くとの事

21:45 急行越前81号は乗車率60%位で、昼間の混雑が嘘のよう。最近のお盆帰省者は夜行列車の利用が少なくなった。

8月14日(金) 曇り時々雨

5:10 滑川駅着、駅でおにぎりの朝食

5:56  〃 発、地鉄(富山地方鉄道)富山行きは2両編成で一番電車。¥300円

6:10 上市駅着、時折雨、6:15発の馬場島行きバスは既に満員、バスも中型で一日2本のみ、馬場島まで立ちっぱなし、途中急カーブの連続で疲れた。¥1100円

7:30 馬場島着、剣岳青少年センターへ登山計画書を提出。水を補給し7:55出発

馬場島から剣岳へ向かう早月尾根

8:50 松尾平着、樹林帯の急登で汗びっしょり、岡山労山15名ほどの中高年グループと前後しながら歩く。最近は何処の山でも中高年が目立つ。姫路の単独行男性S氏が我々と同行する。

12:15 1920mピーク。 12:40 避難小屋跡

13:45 伝蔵(早月)小屋着、予定より2時間早く着く。F君先行しテントを設営。缶ビール¥500円で乾杯、幕営料一人¥400円

19:30 就寝、夜半富山市の灯りと富山湾の漁火が見事、月はあるが天の川が良く見える。

伝蔵小屋のテント場

伝蔵小屋から剣岳西面

8月15日(土) 曇り時々雨

3:50 起床。 5:15 出発。

06:00 2400m地点 途中休憩2回ほど。

06:35 2600m地点 雪渓水有り。

08:20 2900m地点 だんだんペースが遅くなる

早月尾根上部の登り

山頂直下の早月尾根

08:58~09:50 剣岳山頂、頂上は40名ほどの登山者で満員、K会のメンバーは見当たらず、360度の展望もガスで視界ゼロ、記念写真、お湯を沸かし昼食という時に大粒の雨、食事もソコソコに出発する。

剣岳山頂

10:05 岩場(カニの横ばい)、長い渋滞で1時間20分待ち。

剣岳の降り

11:38 平蔵避難小屋。   13:25 一服剣。   14:00 剣山荘。

14:50~15:00 剣沢小屋、テント場は100張りほど有り。

15:50~16:07 剣御前小屋、雷鳥平をガスの中に遠望する。

16:50 雷鳥平キャンプ場着、幕営届提出1名¥200円、Kato氏来たり、会の参加者は全員雷鳥荘に集合で幕営者は居ないとの事。取りあえず缶ビールで乾杯¥400円、夕食。

雷鳥平のテント場

19:00 雷鳥荘。全員で乾杯、各コースの報告、明日からの行動予定を打合せ、21:30テントへ戻る。今夜は星が最高に見えるが、疲労と酔いでバタンキュー!!

雷鳥荘で全員集合

22:00 就寝。明日の行動予定は体調を見てコースを真砂沢泊りとし、内蔵助平より黒4ダムへ往く事に変更。

8月16日(日) 曇り後雨

04:00 起床。雷鳥荘へ行き、食料の差し入れを受ける。早月尾根より同行した姫路のS氏と別れる。単独行の彼は室堂から立山方面へ。

06:40 出発。出発前にラジオ体操、子供連れの家族が多い。

08:25~50 剣御前小屋、ガスの中気温低い。

09:15~30 剣沢小屋。   10:00 剣沢雪渓取り付き。

10:30~45 雪渓途中で休憩、小さな子供連れ家族あり、小屋に泊りながら仙人池より阿曽原~宇奈月へ行く予定だそうだ。大したものだと感心する。

剣沢雪渓の降り

雪渓の崩落地点

11:00~25 真砂沢小屋、男性二人のパーティから池ノ平テント場の話を聞く。F君と協議の結果、最初の予定通り、仙人池~阿曽原~宇奈月コースを行く事にする。

真砂沢のテント場

12:25~45 二股吊り橋、途中4カ所ロープ場、2カ所雪渓トラバースあり。

二股の吊り橋

14:53 仙人峠、樹林帯の仙人新道は急坂で一汗掻く。三ノ窓、小窓の雪渓が良く見える。時々陽射しが蒸し暑い。F君、池ノ平テント場へ先行する。

仙人新道の登りから三ノ窓雪渓

15:25 池ノ平小屋着、小屋横に幕営。一人¥400円、缶ビール¥500円。テントを張り終えた途端激しい雷雨、間一髪のところだった。

19:00 就寝、星が少し出るが、夜中再び雨。

8月17日(月) 雨後曇り後雨

03:25 起床、時々雨激しく降る。テントの雨を通って中におびただしい虫、T子さん被害甚大、蚊取り線香の携帯を痛感する。激しい雨はテント撤収時止む。

05:15 出発。   05:45 仙人峠。

06:00~20 仙人池小屋、仙人池は晴れていれば剣岳を映し出し見事であろうが、雨で何も見えず。

07:40~08:00 仙人湯小屋、静かな露天風呂あり、お湯で汗を拭く。若い夫婦のパーティと同行。

仙人湯小屋の露天風呂

08:20 沢の合流地点で雪渓の崩壊箇所ありトラバースに苦労する。剣沢で会った家族連れが心配になる。

09:55 阿曽原峠、黒4発電所の鉄塔が目前に見える。急坂を一気に降り10:15下ノ廊下分岐に着く。

10:30~50 阿曽原小屋、缶ビール¥500円、テント場で水平歩道の監視人が通行者の数をチェック、電話で報告している。

11:20 一登りして送電線鉄塔下に出る。ここから延々5時間の水平歩道歩きが始まる。

黒部峡谷の水平歩道

12:15~35 オリオ谷手前の大滝、昼食、オリオ谷は砂防ダムの中がトンネルになっている。

オリオ谷手前の大滝

13:35 志合谷出合、水平歩道は谷をトンネルで巻いており、懐中電灯を着装、中は流水が踝まであり運動靴が一発でビッショリ、5分くらいトンネル内を歩く。

15:05~25 鉄塔、水平歩道終わり、もうバテバテ、差し入れの羊羹で元気を出し一気にケヤキ平に降る。

ケヤキ平上部の黒部峡谷

16:05 ケヤキ平駅着、駅周辺は乗車待ちの人で溢れている。運よく16:41のキャンセル予約券を入手、トロッコ電車に乗り込む。乗車券(ザック代込)¥1400円。

 トロッコ電車は殆どトンネルで、着替える暇が無かった。汗と雨で濡れた身体が寒い。着替えしたくともザックは後ろの荷物者。

17:50 宇奈月駅着、宇奈月温泉はお祭りで、宿泊場所は全て満員。駅前の交番で聞いてみると、若い巡査の方から真砂沢で出会った中年男性二人組の事を15分位事情聴取される。見返りにホテルの温泉に無料で入浴させてもらい、宿泊できるお寺を紹介してもらう。

 五日ぶりの温泉風呂、湯上りに自販機の缶ビール¥280円をグイ、ザックをお寺に置き、折からの雨の中街で夕食。生ビールで山行の無事を祝す。お寺はお祭りのテキヤの人と花火師の人で満杯、我々は別部屋に泊る。

8月18日(火) 雨後曇り後雨

5:20 起床、お寺の朝食を食べて見たかったが、時間が無いので雨の中お寺を出る。

06:08 宇奈月駅発、電車はガラガラ、急行と書いてあったのに各駅停車。¥700円

07:08~28 魚津駅、F君と相談、夕方まで東京に帰れれば・・という訳で「青春切符」で帰る事にする。乗車券一人¥2200円、駅売店でビール、つまみを仕入れる。

 魚津初の電車は何とブルートレインの通勤電車、東京の山手線では考えられない。通勤者は悠々と新聞を広げている。我々も缶ビールと鱒寿司で朝食。

08:25 糸魚川駅着、久々に大糸線に乗り換える。こちらは旧電車の車両を使用、乗車率は50%位。

09:49 南小谷駅着、乗り換え、駅前でビールを補給。乗客の種が変り、ラケットを持ったティーンエイジャー多し。雨で北アルプスの山並み見えず、ウツラウツラ居眠り。

12:29 松本駅着、乗り換え、駅ホームで喰った天婦羅うどん不味い。せっかくの気分が台無し。

14:11 小淵沢駅着、乗り換え、南アルプスも八ヶ岳も見えず、山岳展望の旅は失敗に終わる。電車待ちの間、パノラマ特急が停まる。¥2200円の旅とはだいぶ差があるが、山が見えないのは同じ。

小海線にボディ一杯コーヒーのコマーシャルを描いた電車あり、JRもやるもんだと感心。甲府辺りから混みだした。立ち席の人多し。

17:02 高尾駅着、乗り換え、西国分寺駅でF夫妻と別れる。

18:00 東中野駅着、魚津より10時間半、鈍行の旅が終わる。

 

感想  H氏

 寝不足の夜行列車で早月尾根を登るハードスケジュールは、PLの適切なリードのお陰で久々にタップリ汗を掻き、2時間も早く伝蔵小屋に着き旨いビールを飲む事ができた。

 天候は全般的に不安定で天気はいまいちであったが、三泊のテント生活は楽しかった。ただ雷鳥平で仲間のテントが無かったのは淋しかった。仙人池は雨であったが、もう一度晴れた日に池に映る剣を見に来たい場所である。

 しかし阿曽原からケヤキ平の水平歩道は始め調子よく飛ばしたが、やがて飽きてしまい目的地の送電線鉄塔が中々近づかず、途中で嫌になってしまい、雷鳥荘で皆に差し入れてもらった羊羹の美味しかった事。

 宇奈月温泉で富山県警交番のお巡りさんの好意により、ホテルの温泉で汗を流し、お寺に泊めてもらい、魚津から青春18キップで東京まで鈍行で乗り継ぎ¥2200円で帰ったり、今回も話題に事欠かない集中山行であった。

 

 3回目は平成26年8月初旬にバリエーションルートの長次郎谷から単独で剣岳に登った。この時は天気にも恵まれて、剣岳のアルペン的な景観を存分に堪能する事ができました。尚この山行は当時のブログに掲載済みなので、詳細は下記をクリックしてご覧ください。

クリックしてネ

 

 

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日本三百名山回顧№122富山県、毛勝岳(2百名山)

2023年12月22日 | 三百名山回顧

 毛勝山は北アルプスの北部に位置し、標高2414mの威風堂々たる山容ですが、富山平野から眺めると背後の名峰剣岳ばかりが目立って、剣岳の前衛峰にしか見られないのがチョット不遇な山です。

 以前は山頂までの道は無く残雪期しか登られぬ山でしたが、近年登山道が開設された事を聞き、平成19年の秋に単独で登りに出掛けたのでした。その時の山行記録が古いHPに記されていたので、下記に転載してみます。

 

平成19年10月17日(水) 毛勝山登山  天気=曇り時々晴れ

06:18僧ヶ岳登山口(車中泊地)→ 06:30毛勝山登山口→ 06:591060m地点→ 08:141700m地点→ 08:57モモアセ池→ 09:10モモアセ山→ 10:04~10:40毛勝山→ 11:28~11:33モモアセ山→ 12:06~12:15 1700m地点→ 13:15 1060m地点→ 13:36毛勝山登山口→ 13:40僧ヶ岳登山口

 前夜仮眠をとった北陸道、入善Pから東又沢の林道を通って阿部木谷出合へ未明に到着。朝食の準備をしていると、2台の車が通りすぎて行った。

 食事と装備の準備を終えると出発。これから1800mの標高差を越えて毛勝山を目指すのだと思うと、マラソン大会のスタートを切るような緊張感を覚える。

林道を少し歩いて、小さな標識がある毛勝山登山口に着く。出だしから絶間ない急坂の連続である。要所にはロープが張ってあるので、それを伝って登り随分と助かった。

 稜線に近づいた雰囲気なのでポケナビを確認すると、1060m地点のようだ。中年男性が一人ここで休んでいた。地元の人のようで「先週は猫又山に登った」と話す。「雪は大丈夫でしたか」と問うと、「雪は大丈夫だったけど、熊が居てネ」と聞きたくない事を言う。

 ここから先は先程までの傾斜ではないが、樹林立帯の尾根道登りが延々と続く。思ったより道は明瞭で迷う心配はない。1700m地点の手前で夫婦連れの登山者を追い抜いた。これで私が先頭に立ったようだ。1700m地点で初めて視界が開けた。ガスの合間に北の駒ケ岳~僧ヶ岳や大明神山などが望めるが、行く手の毛勝山はガスの中に閉ざされている。

僧ヶ岳(左)~駒ヶ岳(右)方面

 少し登った所で最初の休憩をとり栄養補給する。ここら辺が森林限界のようだ。更に登って行くと傾斜が緩んで左手に大きな池塘(モモアセ池?)が在り、草原を横切って登った地点がモモアセ山のようだ。二重山稜なので、何処がピークか判然としない。一旦降って急登すると天国のようにきれいな湿原に着いた。きれいな水を湛えた小さな池塘は、ガイドブックにあった「クワガタ池」のようで、なるほどそんな形に見える。

クワガタ池

 ここから山頂へ向け最後の登り、今まで飛ばして来たツケがドッと出て足が重い。草つきの滑り易い道を我慢の登りを続け、10時04分待望の毛勝山へ到着した。三角点標石と毛勝山と書かれた表示板だけの簡素な山頂、晴れていれば素晴らしい展望だろうが。

クワガタ池から山頂への登り

毛勝山山頂

 流れるガスがだんだん薄くなって、僧ヶ岳からサンナビキ山へと続く北の稜線や真っ青な日本海が、はっきり見えるようになってきた。しかし一番見たかった剣岳は相変わらずガスの中、隣の釜谷山がチラッと見えただけだった。

山頂からサンナビキ山方面

クワガタ池とモモアセ山

富山平野と日本海

 しばらく粘ったが10時40分頃諦めて山頂を後にする。クワガタ池の所でふり返ると毛勝山~釜谷山の稜線がくっきり望める。「今だったら剣は見えるだろうに」と損をしたような心境、疲れも出て帰りの道はやけに長々と感じられた。1060m地点から最後の急坂は、ロープに縋り転げるように降って登山口に戻って来た。

山頂直下下山の道

下山の道から毛勝山(左)と釜谷山(右)

 阿部木谷出合の車に到着すると身体と衣服の手入れを終え、まずは祝杯、全力で登った後のビールは実に美味い。明日は北側の僧ヶ岳と駒ヶ岳を登るので、今夜もここで車中泊をする。

 念願だった毛勝山は期待以上に素晴らしい山でした。剣岳北方の山々は私にとって未知の山域だったが、今回の山行で概ねの位置関係も把握する事ができた。まだ登りたい魅力的な山が幾つかあるので、是非とも再訪したものです。

 ※登山口から山頂までの道は標高差1800mで、コースタイムは11時間の健脚コースです。三百名山を目指す人は、若く体力がある時期に登った方がいい山の一つです。

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日本三百名山回顧№121長野・富山県境爺ヶ岳(3百名山)

2023年10月25日 | 三百名山回顧

 名峰雄峰が群雄割拠する北アルプスでは、信州信濃大町の西に聳える爺ヶ岳はチョット地味な存在です。三つのピークが並んだ山容は穏やかで、名前からして爺ヶ岳と老け込んでいます。

 そんな爺ヶ岳なのでこの山を目指してというより、後立山縦走や鹿島槍ヶ岳登山のついでに山頂を踏んだという登山者が多いのではないでしょうか。私も昭和55年に初登山して以降何度か山頂を踏みましたが、いずれも後立山縦走の折りでした。

 しかし平成24年の10月に、親しい山仲間達と一緒に日帰りで爺ヶ岳を登った事がありました。それが実に楽しかった思い出で、古いホームページに記録が掲載されていたので、下記に転載してみます。

 

平成24年10月16日(火) 北ア、爺ヶ岳      天気=晴れ

06:54柏原新道登山口→ 09:07一枚岩→ 10:48~11:11種池山荘→ 11:35~37爺ヶ岳南峰→ 11:47~12:18爺ヶ岳中央峰→ 12:45~13:17種池山荘付近→ 14:41一枚岩→ 15:49柏原新道登山口

 山仲間のS夫妻&I夫妻と一緒に登山するのは去年秋の会津、小野岳大嵐山以来1年ぶりです。皆さん何だかんだと忙しく、今日の北ア、爺ヶ岳登山は久し振りに賑やかな山行となりました。そんな我々に天気も味方して、今朝は爽やかな秋晴れです。
 黒部アルペンルートの扇沢ターミナル近くにある柏原新道登山口を、AM7時前に出発する。ヒンヤリ冷えた大気が心地よく、汗も掻かず快調に登って行く。爺ヶ岳南尾根の西斜面をトラバースするように刻まれた柏原新道は、適度な傾斜と良好な整備で登山者が安心して歩ける好ルートです。

柏原新道登山口

 樹林帯の道を黙々登って行くと、樹林越しに展望が垣間見えてく

る。扇沢ターミナルの施設が眼下に小さく見え、その奥に鋭鋒、針ノ木岳へ突き上げる針ノ木沢雪渓の全貌が確認できます。


眼下に扇沢ターミナル駅と奥に針ノ木岳

 やがて石のケルンが建つ休憩ポイントに着いた。「この先危険転落注意」と書かれた標識がある。此処から200m程は急斜面を横断する道だが、道幅も広く危険を感ずる程ではない。この辺りから樹相が黒々した針葉樹林から落葉樹に変り始め、紅葉が艶やかになってきた。次々ビューポイントが現れるので、脚が中々前へ進まない。

紅葉の登山道
 上から大荷物を背負った若者の集団が降ってきた。昨日小屋閉めした種池山荘の従業員達だった。小屋が昨日で営業を終えた事はネットで承知していたが、もしかしたら残り物のビールを飲めるのではという淡い期待が消滅してしまった。

落石要注意地点
 稜線に建つ種池山荘がだんだん大きく見えてくる。登山道が左に鋭角に曲る所は岩の集積した急斜面で、時折落石もあり要注意箇所だ。此処を通過すると何度か屈曲しながら登り稜線上の種池山荘に着いた。固く戸を閉ざされた山荘の周囲は素晴らしい展望で、今まで今まで見えなかった立山・剣連峰のギザギザした稜線が姿を現した。

種池山荘から登って来た道(遠く富士山が見える)

山荘から爺ヶ岳
 ギックリ腰から回復したばかりの I (旦那)さんは此処に留まると言い、残る5人で爺ヶ岳を目指す。山頂まで1時間も掛からないので、私は一人先行させてもらう。大展望の稜線上に刻まれたジグザグ道を息を弾ませ登って行くと、アドレナリンが噴出して気持ちが高揚してくる。

登山道から種池山荘と背後に立山・剣連峰
 山荘から24分で南峰に着き、後続の仲間を確認後、最高点の中央峰へ向う。その途中の鞍部で、降りてきた単独の男性が「その先に雷鳥がいますよ。」と教えてくれた。その言葉通り1羽の雷鳥がハイ松の中で一生懸命食事中だった。彼(女?)の身体の一部は雪山に備え、白く変身しつつあった。鞍部から一投足で爺ヶ岳中央峰(2670m)に着いた。


食事中の雷鳥

 秋晴れの澄んだ大気の中で山頂からの眺めは絶景の一言、見渡す限り北アルプスの殆んどの山々視界に望め、遠くは富士山や八ヶ岳、浅間、南アルプス等の山々も確認できる。特に鹿島槍ヶ岳と立山・剣連峰の眺めが圧巻だ。後続して来た仲間と共に山頂で記念写真を撮る。標高差1300m余の日帰り登山は楽ではなかったけれど、その労は充分報われた思いがする。


爺ヶ岳中央峰っ山頂

山頂から鹿島槍ヶ岳

中央峰から南峰と奥に針ノ木岳方面

下山の道(右に岩小屋岳、左に針ノ木岳)

 山頂を後に I さんが待つ種池山荘近くまで降り、全員で残った果物やお菓子を食べながらのブレイクタイム、食事を終えると往路をゆっく下山の途につく。時折りカラカラと落石音が聞こえる。岩小屋岳の方に眼を転じると山頂直下の崖で大規模な落石が発生し、まるで火山の噴火のように土煙が立ち昇っていた。

岩小屋岳直下、落石の土煙
 PM16時頃全員登山口に戻ると、大町温泉郷の薬師の湯で登山の汗を流す。その後地元の池田町在住のF氏夫妻と合流して一緒に会食する。F(旦那)さんは以前から留学生のボランティアに尽力しておられ、今年の夏には世話した元留学生に呼ばれてキルギスタンへ行ってきたそうで、その旅行話が大変興味深かった。

 奥さんのS子さんとは30年以上前からの山仲間で、会うと懐かしい思い出が甦る。その夜はF氏の簗場にある別荘に泊めてもらい、別荘で育てたナメコをお土産に頂き、翌日我家へ戻った。

Fさんの別荘にて

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日本三百名山回顧№120長野・富山県境、鹿島槍ヶ岳(百名山)

2023年09月23日 | 三百名山回顧

 信州安曇野の西側に屏風のように連なる後立山連峰の中で、一際目立つ優美な山が鹿島槍ヶ岳です。吊り尾根を挟んで南峰と北峰二つのピークが並び立つ双耳峰で、その美しい山容は後立山連峰の盟主と言うべき存在です。

 そんな鹿島槍ヶ岳を最初に登ったのは昭和52年の夏、白馬岳から後立山連峰を縦走した時に山頂を踏みました。2回目は昭和54年9月末に後立山連峰の唐松岳から針ノ木岳まで縦走した時で、アルバムにその時の写真が幾つか残されていました。

昭和54年9月28日(金)~30日(土)

唐松岳~五竜岳~鹿島槍ヶ岳~針ノ木岳

鹿島槍ヶ岳北側直下の難所八峰キレット

鹿島槍ヶ岳山頂

鹿島槍ヶ岳から冷池小屋に向かう尾根

 

 3回目は昭和60年5月の連休に岳友F君と二人で残雪の五竜岳~鹿島槍ヶ岳~爺ヶ岳を縦走しました。これも私の山歴の中で、想い出多き忘れ難い山行でした。その時の記録が当時所属していた山岳会の古い会報に載っていたので、鹿島槍ヶ岳の部分を抜粋して下記に転載してみます。

昭和60年5月3日(金)~5日(日)

五竜岳~鹿島槍ヶ岳~爺ヶ岳       参加者 Y・F、 H・F 男2名

 ・・五竜岳から、稼いだ高度を勿体ないほど落としながら小さいピークを次々と越えて行く。途中で人見知りしない雷鳥たちが絶好の被写体となって、単調な歩みの我々を楽しませてくれる。

 キレット小屋で再びアイゼンを装着し、「さあ、これから難関の八峰キレットだ」と心を引き締める。キレットへの降りはシュルントの裂け目に落ちそうで、登りは嫌らしいトラーバス、固定ロープが無ければザイルのお世話になるところだ。

 反対から来た大学生パーティがザイル操作にもたついたお陰で、中々前へ進めない。夏のキレットは話ほど大した事無いが、雪が付くとさすがに厳しい。

 キレットを抜け、いよいよ鹿島槍への登りだ。重荷に喘ぐ我が身に「これが最後だ」と言い聞かせながら、やっとの思いで吊り尾根のコルに着いた。北峰を空身でピストンし、南峰に着くとたくさんの登山者が思い思いに周囲の景色を楽しんでいた。

 我々も今までの疲れと緊張を解きほぐしながら、歩いて来た五竜岳からの尾根を安堵の思いで眺める。正月以来の雪山で随分心配もしたが、やっぱり来て良かったなあとつくづく思う。

鹿島槍ヶ岳から爺ヶ岳方面

 その晩、冷池のテント場で大きな満月に照らされて寝たのだが、翌朝目覚めて空を見ると三日月になっている。しばらくキツネにつままれた思いでいると、「月食だ」と言うF君の声で原因が分かった。

冷池テント場から鹿島槍ヶ岳

 な~んだとも思ったが、これも今まで頑張った我々に対する天のささやかなプレゼントかなと柄にもない気分になった。「月食と鹿島槍」これも山行の忘れられない思い出となるだろう。

 あれから40年以上の歳月が過ぎましたが、F君とは今でも古き良き山友です。

 

 

 4回目は平成7年8月に山仲間のF子さんと我々夫婦の三人で、テントを背負い鹿島槍ヶ岳から五竜岳~唐松岳まで縦走しました。今より随分若かったとは言え、キレットなど危険な岩場の多いコースを思い幕営装備を背負ってよく歩いたなあと思います。

平成7年8月11日(金)~13日(日)

鹿島槍ヶ岳~五竜岳~唐松岳

鹿島槍ヶ岳南峰から爺ヶ岳方面

鹿島槍ヶ岳山頂

山頂から五竜岳方面

北峰直下の北壁とカクネ里の雪渓

難所、八峰キレットの通過

 

 最後となる5回目は、平成17年5月に単独爺ヶ岳を経由して鹿島槍ヶ岳を登りました。この時の山行記録が古いホームページに載っていたので、下記に転載してみます。

5月22日(日) 天気:曇り後雨

05:53柏原新道登山口→06:47南尾根分岐→08:50~09:09南尾根JP→10:10~10:30爺ケ岳南峰→11:20赤岩尾根分岐→11:32冷池山荘

 前夜は扇沢の駐車場で車中泊し、AM6時柏原新道登山口より歩き始める。「午後から雨」の天気予報にあまり気分が乗らない。途中から夏道を離れ尾根筋の道に入る。笹や枝の煩い歩き辛い道だ。樹林の中、我慢の急登を続けポッと雪原に出た。
 視界が開け行く手に爺ケ岳の稜線が聳え、背後には安曇野平が見渡せる。緩やかな雪道をしばらく歩き最後に岩屑の道を急登し爺ケ岳南峰に辿り着いた。
 高曇りの空の下、鹿島槍を始めとする後立山の山々が残雪をまとい連なって見える。爺ヶ岳を出発した頃からポツポツ雨が降り出したが、衣服を濡らさぬうちに何とか冷池山荘に到着した。今日はテント泊の予定であったが雨に濡れるのが嫌で小屋泊まりに変更した。

 

5月23日(月) 天気:晴れ後曇り

05:57冷池山荘→06:50~06:59布引山→07:38~08:00鹿島槍ヶ岳→08:26布引山→09:00~09:26冷池山荘→09:40赤岩尾根分岐→10:39~10:48爺ケ岳中央峰→11:04~11:18爺ケ岳南峰→11:58南尾根JP→12:40~12:44 1920m地点→13:44柏原新道登山口

 朝、外へ出ると青空が広がっている。昨日の雨が雪に変ったのか、稜線の山々は真っ白に変貌している。天気予報が悪かっただけに嬉しい誤算です。
 朝食を済ますと慌しく出発。辿る雪道はアイゼンとピッケルが良く効いてまるで冬山気分。周りの景色を楽しみながら登り鹿島槍ヶ岳へ到着、吹く風があまりに寒くて自撮りする事ができない。山頂からは二昔前、F君と歩いた五竜岳の鋭い山容が姿を現し懐かしい。しばらく周囲の眺めを堪能した後往路を下山する。

登山コースから左より布引山、鹿島槍南峰、北峰

登山コースから西に望む立山(左)、剣岳方面(右)

布引山より鹿島槍ヶ岳

鹿島槍ヶ岳山頂(南峰)

南峰より望む北峰

山頂より爺ヶ岳方面

下山の道より振り返る布引山

 冷池山荘で荷物を回収し、爺ケ岳経由で扇沢に下山、途中爺ヶ岳の降りで右靴底が剥がれたが、テープで固定してさほど支障はなかった。
 下山後大町温泉の露天風呂で後立山連峰を眺めると、稜線は既に厚い雲の中であった。温泉を出ると池田町に住む山友のF子さん宅を訪ね、久し振り旧交を温めた。その後中央道を経由して帰宅の途についた。

 

 鹿島槍ヶ岳は超健脚で無ければ一日で辿りつけぬ遠い山、今後里から眺める事はあっても山頂を踏む事は無いでしょう。

 

    ・・「双耳の、姿麗し鹿島槍」・・

 

 

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