Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

新鮮な山菜のお裾分け

2015年05月31日 | 日記

 5月31日(日)

 昼寝がてら出掛けた街の図書館から夕刻戻ると、夕餉の支度をしていた妻が「 I さんがワザワザ山菜を届けてくれたわよ。」と言い、食卓には山菜のテンプラやウドのきんぴら、ワラビのお浸し、コゴミのマヨネーズ和え等が美味しそうに並んでいた。

 今週末、予定では岳友の I 夫妻やS夫妻と奥秩父にシャクナゲを見に行くはずだったが、Sさんが突然腰痛を発症し、天気もパッとしなかったので中止となってしまった。それで I 夫妻は山菜山行に変更して新鮮な山菜を収穫し、帰宅途中に我が家へ立寄ってお裾分けをしてくれたのだ。

 久々の山の幸に晩酌のビールもいつもより美味い喉越しだった。 I さんどうも御馳走様でした。Sさんが回復したら、快気祝いに何処かの山へ行きましょう。

 お裾分けの山菜

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民主党政権の無策に恨み骨髄

2015年05月29日 | 日記

 5月29日(金)

 何処かの高級官僚何かと違い我々一般庶民の年金何て微々たるものだから、これだけを頼りに老後を迎えたら憲法で保障する「平和で文化的な生活」すら危うくなる。

 そこで生活の足しにと、十数年前なけなしの金を叩いて外資系保険会社の「一時払い個人年金」に加入した。この保険、米ドルで購入したのだが配当が凄く高くて順当ならば、年金支払い開始時には支払った金額の1.5倍になる計算だった。

ハイリターンならば当然ハイリスクもある。それは為替の変動、つまり年金支払い時にドル高(=円安)ならば支払額が高くなり、逆ならば損をすると言う訳です。

 その支払開始時期が4年前だった。ちょうど民主党野田政権の時で東北大震災の年でもあった。時あたかも1ドル80円を切ろうかという超円高時代、支払金は大損こそしなかったものの雀の涙程の上乗せしかなかった。

 時の民主党政権は「事業仕訳」なる学芸会みたいなパフォーマンスばかりに熱心で、具体的且つ有効な政策は何一つ実行できず「円高」「株安」のダブルパンチで日本経済は沈滞し、ついでに我が家の家計も沈滞した。

 連坊女史は「2位では駄目なんですか。」と啖呵を切ってヒロイン気分、宇宙人鳩山さんは「最低でも県外」とほざいて、自分が宇宙の圏外へ行方をくらましてしまった。

 1ドル120円を超える今が支払開始時期だったら年金額は50%アップしてたのに、クソ民主党の無策のせいで大損こいた。だから民主党には絶対投票してやらない。民主党に入れるくらいだったら社民党か共産党に入れてやる。それ程お金が絡む恨みは大きいのだ。

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最近の暑さで気になる日焼け

2015年05月27日 | 日記

 5月27日(水)

 ここ数日真夏のような暑さが続いている。遊びに行く分には絶好の行楽日和だろうが、屋外の土方作業には辛い日々だ。暑いのもさることながら、強烈な日差しも堪える。元々地黒の顔が増々黒くなってきた。

 作業の合間の休憩時間には向いの人から、「Fさん外人みたいだね。」と言われる。「ソウすか。」と答えたら、続けて「南アジアの人みたい。」と言われてしまった。そう言えば以前交差点を歩いている時、イラン人みたいな男性から笑顔で会釈された事もあった。

 色黒については、健康的且つ活動的にも見えるし何とも思っていなかったのだけど、先日テレビの健康番組で「紫外線による皮膚への悪影響」というのを観て、やはり度を過ぎるのはヤバいのかなと思い最近雪山登山用に買った日焼け止めクリームを顔に塗ったくって作業に出てるんだけど、今更やっても手遅れという気がしないでもない。・・・・じゃなくて大いにする。

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駅前で、ブラジルサンバのお祭り

2015年05月25日 | 日記

 5月25日(月)

 山歩きの疲れが残っており昨日は家でノンビリしていたのだが、駅前辺りからドンドコドンドコ太鼓の賑やかな音が聞こえてくる。何事だろうと昼下がり見物に行ってみた。

 賑やかな音の正体は、ブラジルサンバ祭りの音楽だった。ブラジル人らしき男性が楽器で音楽を奏で、豊満な女性が派手な姿で踊っていた。見物する人も肌の色が異なる多くの外国人が多数を占めていた。

 我が街は全国何処にでもある平凡な田舎町なんだけど、こんなに外国の人が居たのかとちょっとした驚きである。そう言えば何時の間にか駅の東側にはインド料理の店ができ、西側にはブラジル料理の店ができた。

 サンバのリズムに乗って発する異国の人のエネルギーが凄くて、自分の国なのにそのエネルギーに気圧されて日本人の観衆はヒッソリと小さくなって観ている感じだ。何か大相撲でモンゴル勢に圧倒される日本人力士みたいな雰囲気だなあと思ってしまった。

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谷川岳、西黒尾根 登山

2015年05月24日 | 山歩き

5月23日(土)     天気=晴れ

06:50慰霊碑横駐車場→ 07:00~07登山センター→ 07:11登山道入口→ 07:25高圧送電線鉄塔→ 08:34~45ラクダのコブ→ 09:44トマの耳(谷川岳)→ 09:54~10:16オキノ耳(谷川岳)→ 10:27~37トマノ耳→ 11:13熊穴沢避難小屋→ 11:43~46天神平スキー場→ 12:40慰霊碑横駐車場

 

 谷川岳は以前「魔の山」何て呼ばれて恐れられていたけれど、あれは岩登りや冬山で遭難する人が多かったからで、普通に登る分にはアクセスが容易でとてもイイ山だ。古い山好きの人なら、夜行列車に乗り深夜土合駅の長い地下階段を登って谷川岳登山をした人も多いだろう。今では高速道路が通じて2時間程で登山口に来る事ができる便利な時代になった。

 今日は谷川岳西黒尾根を登るべく早朝我家を出発した。西黒尾根は山頂まで標高差1200mを一気登りする急登コース、トレーニングにはうってつけで私の大好きなコースの一つだ。

 遭難者慰霊碑横の駐車場

 ロープウェー山麓駅の駐車場は500円を払わねばならぬので、それを惜しんで少し下の遭難者慰霊碑横の空き地に車を停める。此処は早くいかねばすぐ満車になるから要注意、車道を歩いて10分程で登山センターに着く。ここで登山計画書を提出し、車止めのゲート脇を抜けて登山口へ向かう。

 登山道手前の登山センター

 センターから5分程歩いて西黒尾根の登山道入口、立派な標識があるから見落とす事は無い。最初から樹林帯の急登だが、何度か通った道のせいか案外登り易い。登山口から15分程で送電線鉄塔下に着く。以前冬に登った時は、吹雪の為にここから引き返した事がある。

 西黒尾根登山道入口

 更に樹林の急登が続く。週末とあって何組もの登山者が前後して登っている。標高が上がると残雪が多くなるが、殆ど夏道を歩く事ができる。森林限界を越えると尾根が狭まり展望が拡がる。南に意外な近さで天神平スキー場が見える。

 西黒尾根の鎖場

 この先は痩せ尾根に鎖場が3か所程続く。いずれもしっかりと鎖が張られそれほど危険は無い。むしろ若干のスリルが味わえて楽しい登りと言えるくらいだ。鎖場を抜けると尾根上のピーク、ラクダのコブ(1516m)に着く。何度来てもここからの絶景は素晴らしい。谷川岳東面の岩壁群、その奥には谷川連峰はもとより越後、尾瀬、奥日光の残雪を抱いた山々が拡がりウットリと眺める。

 ラクダのコブと奥に谷川岳

 マチガ沢の雪渓と奥は東尾根

 ここから一旦ラクダのコルに降り、山頂へ向けて一気に登って行く。急傾斜だが、夏道を行く分には危険は無い。ただザンゲ岩付近では2カ所ほど残雪の通過箇所があり、雪が薄くなって踏み抜きそうな気配でちょっとロシアンルーレットのような気分、今日のコースではここが一番の要注意個所だった。

 ザンゲ岩から巻機山方面

 ザンゲ岩付近の残雪通過場所(割れそうで不気味)

 だんだんと右手にトマノ耳、オキノ耳の山頂が近づいてくる。やがて傾斜も緩み残雪が拡がる山頂台地に到達する。一気に西側の展望が拡がり、苗場山や志賀草津の山々が望まれる。谷川岳南峰トマノ耳(1963m)には留まらす、最高地点の北峰オキノ耳(1977m)へ向かう。

 西黒尾根上部(手前トマノ耳と奥にオキノ耳)

 オキノ耳山頂の東面は一ノ倉沢の岩壁で、湯檜曽川に向かって一気に削ぎ落ちている。高所恐怖症の人だと足が竦む光景だ。360度の大展望、日帰りで行ける山でこれ程の展望を誇る山は、そんなに無い。吹く風は優しく大自然の平和な風景に、この山で何百人もの人で亡くなったとは俄かに信じ難い思いだ。

 谷川岳(オキノ耳)山頂

 オキノ耳山頂から一の倉沢俯瞰

 オキノ耳山頂から登ってきた西黒尾根

 オキノ耳側からトマノ耳

 20分程滞在した後、山頂を後にする。10分程歩いてトマノ耳山頂に戻り、オキノ耳にサヨナラをして天神尾根へと下山を開始する。この尾根は緩やかな道で、中腹の天神平スキー場までロープウェーが通じているから山頂までの最短コース、今日も登山者が次から次へと登ってくる。中には殆ど荷を持たず運動靴の人もいて、「残雪の所はどうすんだろ。」と危ぶむが、まあ他人の事を心配してもしようがない。

 トマノ耳からオキノ耳方面

 トマノ耳から天神尾根

 トマノ耳から1時間程で着いた天神平スキー場は、スキーの営業は終わって今は観光客の天下、多くの老若男女が雪山の風景を楽しんでいた。時間はまだお昼前だし私は1230円のロープウェー料金を払うのが惜しくて、ロープウェー沿いの道を山麓へと降って行く。

 天神尾根の途中から俎方面

 熊穴沢の頭の避難小屋

 天神平スキー場

 残雪の残る道沿いはフキノトウやコゴミが見られ、それを捜しながら降ったので退屈する事はなかった。ゴンドラに乗った人は真下の山道を一人歩く私を見て、「変わり者がいる。」とでも思っただろうか。

 天神平から山麓への下山道(奥の山は朝日岳)

 山麓間近になると道が拡がり大型の建設車両が何台か置かれていた。もうその先は車道でス、キー場から1時間程で慰霊碑横の駐車場に戻った。あんまり早く帰るのも妻の手前気まずいので、水上町の無料駐車場に車を停め、近くの日帰り温泉「ふれあい交流館」でゆっくりと湯に浸かった。

 この温泉は小さいけれど、便利な所にあるわりには空いており料金(550円)も安い。意外と穴場の温泉だ。素朴な接客態度も好ましくて私は何度も来ている。温泉を出ると高速料金を節約しようと一般道で我家へ向かう。渋川ICまで来て関越道に乗り、5時前には我が家に到着した。出発から帰宅までちょうど12時間の小さな旅だった。

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クランクで車のエンジンを始動した事を今の若い人は知らない。

2015年05月22日 | 日記

 5月22日(金)

 先日遺跡発掘現場の懇親会で幹事をやってくれたK君が先日車の免許を取得したので、作業の休憩時間ではもっぱらその事が話題になった。私は40年程前に大型免許を取得したのだが、「自動車学校の実技では手廻しクランクでエンジンを始動したんだよ。」と話したら、大半の人が「エッ何ですかそれ?」と不思議そうな顔をされた。

 勿論あの頃のトラックだってエンジンキーはあったんだけど、我々は実技の中で手動でエンジン掛けをやらされたのだ。私と同年輩の中には頷く人もいたが、今の若い人にはそれは信じられない事らしい。時代の隔たりを実感させられる。

 若い頃の私は不器用で(今もそうだけど)実技の試験では2度失敗し、3度目の正直でやっと合格した。言い訳がましいが当時のトラックはハンドルが重くチェンジレバーの切換えも難しかったのだ。

 その時自分には運転の才能は無いとキッパリ悟り、それ以降40歳半ばまでハンドルを握る事はなかった。たぶんその判断は正しかったのだと思う。あのまま運転を続けていたら、大きな事故の一つや二つ起こし今頃生きていなかったかも知れない。

 何故運転を再開したのかという理由は後日に委ねるとし、技術の進歩で今の車は運転が随分楽になった。それに故障もしない。だから私のようなヘタクソでもドライブを楽しむ事ができる。全く良い時代になったものだ。

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いしいさんちの石井秀寿さんは凄い人だ。

2015年05月20日 | 日記

 5月20日(水)

 世の中には、どうしょうも無い馬鹿者も掃いて捨てる程いるが、反面「何て凄い人なんだ。」と感心する立派な人も存在する。千葉市で老人介護施設を運営する「石井英寿氏」も正にそんな人だ。

 先日テレビで紹介されたからご存じの方もいるだろうが、認知症老人に対する彼の対応が実に素晴らしい。色黒ギョロ目で愛嬌のある石井さんはとに角よく笑う。すると隣で能面のように無表情で会話も出来ぬお年寄りが一緒になって笑い出した。彼の笑い声には伝染する魔力があるみたいだ。

 テレビを観ているとこんな場面があった。元証券マンだったという認知症のお爺ちゃんが、「駄目だ。」と言って頑なに送迎車から降りようとしない。そこで石井さん、やおら書類のようなものを手に「この書類の決裁をお願いします。」とお爺ちゃんに頭を下げるのだ。すると気を良くしたお爺ちゃん石井さんと一緒に介護施設の中へ入って行く。

 又、お風呂が大嫌いというお爺ちゃんがいる。今度は石井さん、白衣を着てお爺ちゃんに「今から健康診断をします。」と言う。お医者さんには逆らえないお爺ちゃんは、されるがまま石井さんに服を脱がされ一緒に裸になって浴室へ、身体を洗ってもらったお爺ちゃんは「ありがとう。」と石井さんにお礼を言う。

 もう一つ、徘徊してすぐ行方不明になるお爺ちゃんがいた。石井さんはこのお爺ちゃんに「貴方を交通情報調査員に任命する。」と書かれた手書きの辞令書を渡し、「道路を通る車や自転車の数をチェックしなさい。」と指示したそうだ。

 このお爺ちゃん元警備員で実直な人柄だそうだ。その後施設にいる間はズーッと施設前の道路に置いた椅子に座り一生懸命車や自転車の数をチェックして、行方不明になる事は無くなったと言う。

 まるでコントを見ているようで微笑ましくもあるが、これは石井さんがそれぞれのお年寄りを知り尽くしているからこそできるのだろう。彼は認知症の人が何をしても怒らないし、お年寄りに話を合せて常に笑顔で接すのだ。

 口で言うのは容易いけれど常人の出来る事では無い。深い情愛があるから出来るのだろう。お世話になっている認知症老人のある家族も、「石井さんは普通の人では無い。」とまるで神様のような言い方をしていた。この施設でお世話になるお年寄りは幸せだなあと思った。

 毎年春・秋の叙勲では、長らく役所に居座っていたというだけで、あるいは議員の椅子に踏ん反り返っていたというだけで、「旭日何とか章」やら庶民にはさっぱり意味の判らぬ勲章を授与される輩を数多く見受けるが、社会の底辺を人間愛で明るく支える「石井英寿さん」みたいな人にこそ、一番光り輝く大勲章を授与されるべきと強く思うのだ。

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北野武映画「龍三と七人の子分達」を観てきた。

2015年05月18日 | 映画・コンサート

 5月18日(月)

 誰が書いたか忘れたが「元日本兵だった老人達が隠匿していた旧日本軍の武器を使って卑劣な暴力団を攻撃して叩きのめす。」という痛快小説を読んだ記憶がある。何てたって老人が主役で悪を倒すというストーリーが、同じ老人として心地よい。

 この映画も、老人の元ヤクザが悪徳詐欺組織を攻撃するというストーリーなので、そんな痛快さ期待して観たのだが・・・・主人公の老人元ヤクザ達のガラが悪すぎて共感できぬ。悪徳組織との抗争もドタバタバラエティー喜劇みたいでリアリティー無さ過ぎ、せっかく藤竜也を始めヴェテラン個性派俳優を揃えたのだから、もっと深みと渋さのある映画にならなかったものかと残念だ。北野武監督映画は初めて観たが、このドタバタが彼の特長で狙いとすれば、ちょっとがっかりである。

 老人と悪者の対決というストーリーでは、以前クリント・イーストウッド監督・主演の「グラントリノ」という映画を観たが、この映画のラストシーンは凄まじくてスクリーンに思いっ切りのめり込み、手に汗握る思いをした。これに比べると今日の映画、ちょっと安っぽかったなあというのが私の正直な感想だ。

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遺跡発掘の現場仲間で暑気払いの飲み会

2015年05月16日 | 日記

5月16日(土)

 先日列島を通過した台風6号は、真夏並みの暑さを関東地方に残していった。こんな時、屋外での土方仕事は辛い。ヘルメットは熱を帯び、暑さに慣れぬ身体は朦朧としてスコップを持つ手に力が入らない。

 早く終わって冷たいビールを飲みたいなあ何て夢想していたら、プレハブの現場事務所の机に「焼肉食べ放題の懇親会をやりましょう。」と飲み会のチラシが張られていた。どうも我が班の若手K君が幹事役をかって出たようだ。

 「Fさんもどうですか?」と声を掛けられたので、私も喜んで出席の欄に名前を記入し、昨夜「焼肉ジャンジャン」で行なわれた飲み会に参加した。普段現場で指揮をとる調査員のNさんやHさん、現場作業員で平成4年生まれという若者H君から70歳は越えたと思われる長老Oさんまで全部で15名の人が顔を揃えた。

 普段現場では同じヘルメットで黙々と汗を流して働く人達も、普段着の姿に戻れば随分感じが異なって見える。酒を酌交しつつ話をすれば「ヘ~こんな人なんだ。」と意外な個性に印象新たなものがあり、楽しい3時間の宴席だった。この場を設けてくれた幹事のK君に感謝々々である。

 我家の食卓ではご法度の「焼肉」を、食べ放題の文句に釣られてガツガツ食い過ぎたせいか今朝目覚めたらした下顎の歯がズキズキと痛みを発している。それにも懲りず昼飯に吉野家の牛丼を食っちまった私はバカである。

 バカチョンカメラなんで奥の方ボケっちゃった。

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「ビターな中に人生の喜びがある。」というマイ人生訓

2015年05月14日 | 日記

 5月14日(木)

 私は50歳代半ばで胃ガンを発症し胃の三分の二を切除した。その後抗癌剤治療も受けたりしたが、その時は死神が隣の部屋まで忍び寄ってきたような気分だった。

 まあその後再発もせず現在に至るのだが、その時強く思ったのは、「もし60歳まで生きていたら、その後の人生は好きな事だけやろう。」というものだった。私の好きなものとは、登山、テニス、マラソン&世間体を考えて読書、の類である。

 実際60歳過ぎたらそのような生き方をしてきたのだが、毎日が日曜日の日々を過ごしているうちに、ある事に気付き始めた。それは「好きな事楽しい事ばかりやっていると、その楽しみ喜びが薄らいでしまう。」という事だ。

 例えて言えば、「高級食材のウニやアワビ、ビーフステーキも、毎日食べ続けたら美味しくなくなってしまう。」と言えばお判りいただけるであろうか。好きなテニスだって、錦織 圭じゃあるまし、毎日やる程の熱意は無い。

 そう「人生とは嫌な事があってこそ、好きな事がより深く実感できるのだ。」というマイ人生訓に気付いた。私が遺跡発掘の仕事を始めた要因も正にそこで、仕事という「嫌な事があれば、好きな事がより深く味わえる。」と考えたのだ。

 あくまで好きな事がメインだから、募集案内で「週四日以上」となっていたのを強引に週三日で採用してもらった。そして働き始めたら休日が待ち遠しくなり、テニスや登山ができる喜びが増した。でも体力的・時間的にマラソンまでヤル余裕が無い。もう一日休みを増やしたいところだが、それを言ったら確実に首になる。来月以降現場が縮小される噂があり、事実ならば人員整理があるだろう。それを望む思いもあり、そんな節操の無い自分がちょっと情けないところだ。

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私の通う遺跡現場が、先日一般公開された。

2015年05月13日 | 日記

 5月13日(水)

 昨日の台風6号沖縄や九州では被害があった模様だが、関東地方には恵の雨となった。私が仕事する遺跡発掘現場でも最近の好天続きで現場の地表がカチカチに乾燥しスコップの刺さらない。刺さってもボロッとコンクリート片のように剥がれ仕事がやり辛かった。それが昨夜の降雨で地面が柔らかくなり、今日は随分作業が楽になった。

 そんな遺跡現場だが、発掘した遺物や遺跡現場が先週の日曜日一般公開された。私は行かなかったが、新聞の地方版にも載ったようで約300人の市民が訪れたという。(世の中、暇な人が多い。)

 展示された出土品は縄文時代から中世まで、随分数多くの遺物があるので改めて驚いた。現場に通い始めて八箇月、私の手で掘り起こしたのは土器の欠片や馬の骨?等ロクな物はない。

 貴重な遺物を見つけた人は、「ヤッター」と心の中で叫んだ事だろう。でも見つけたからといって、報奨金を貰ったり表彰されたりする訳でもないから、別に羨ましくもないが、作業員の誰もが自分の手で掘り出したいと思ってるだろう。そしてそれが単調な土方仕事のなかで小さな光明にもなっている。

   

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日々クダラヌ悩みを抱えつつ生きている。

2015年05月11日 | 日記

5月11日(月)

 私の生活サイクルは、週のうち3日は、遺跡現場の土方アルバイト、残り4日はテニス、登山、ジョギング等に費やし身体を休める暇が無い。そんな老骨にとっては過酷な日々を過ごしているせいか時折無性に甘いものを食べたくなり、夕食の後にお菓子何かを食ってると、「寝る前にそんなの食べたら身体に毒よ。」と妻がグチグチ文句を言う。

 体脂肪20%超えから何で体脂肪7%が「喰い過ぎ」と文句言われなきゃならんのだと腹が立ち、「四つ五つのガキじゃあるまいし好きな物くらい黙って食わせてくれよ。」と言いたいのが私の本音、妻が私の健康を気遣って言っているのは判るんだけど。

 そんな戯言ばかり書いている私のブログだが、けっこうストレスの解消には役立っている。私がブログを書きこむのは殆ど寝る前の時間帯だが、先日テレビを見ていたらある健康番組で「パソコンの光りは睡眠障害の原因になる。」と報じていた。

 確かにパソコンをやった直後は寝床に入っても、しばらくは寝付けない事が多い。やっぱり生活習慣を変えなきゃいかんのかなとも思うのだが、ブログの作成は唯一私の脳ミソを刺激する知的な趣味だ。これをやらなくなったら一挙にボケてしまうのではと、こちらの方がもっと怖い。・・・・とこんなクダラヌ悩みを抱えながらちっとも涸れずに生きている私です。

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久し振りの都内、ユトリロの絵と神田祭りを見てきました。

2015年05月10日 | お出掛け

 5月10日(日)

 新聞販売店からチッケットを貰ったので、新宿、東郷美術館で開催中の「ユトリロとヴァラドン展」を見に行った。本当はプロ野球、西武ドームの方が欲しかったのだけど、今年のライオンズは強いのでチケットの入手が困難らしい。でもこの絵画展だって普通に買えば1200円もするのだから、タダでもらえるだけありがたい。

 東郷美術館は、損保ジャパンビルの42階にあるから眺めが良く、これも一見の価値がある。ユトリロの名は教科書にも載る程有名だが、ヴァラドンという名前は知らなかった。この人はユトリロの母親であり、且つ画家でもあった。今回は親子の作品が展示されている。

 東郷美術館から都心の眺め

 絵画展を鑑賞していつも思うだが、有名画家の絵と、町の公民館何かに展示されているゲージュツ好きな中高年が暇つぶしに描いた絵に、格段の技術的相違があるとは思えないのに(あくまで私の審美眼では)、片や1枚ンー億円、オッちゃんオバちゃんの絵はいずれ可燃ごみとなって焼却場行き、「この宇宙的な差は何処からくるのだ。」と私の初期認知症の脳ミソは考えてしまう。

 美術館を出ると神保町にある「ミズノスポーツ直営店」に行き、ランニングシューズを購入した。今使ってる靴は2年前に買ったもので底がだいぶ磨り減って限界に近づいている。さあこれで「フルマラソン再チャレンジ計画」に向かって始動するのだ。

 ミズノの店を出ると、法被姿で往来を歩く人が多い。そうだ今日は近くの神田明神で「神田祭り」が行なわれている。ブログネタになりそうなので見物に行った。

 御茶ノ水駅近くの神田明神界隈は押すな押すなの大賑わい、予想以上に盛大なお祭りだ。いろんなお神輿が次から次と明神様へ繰出して行く。夢中で写真を撮ってフト下を見ると、ポシェットのチャックが空いているのに気付いた。「しまった。スラれたか。」と一瞬焦ったが幸い中の財布は無事だった。

 神田祭り

 同 上

 「これだから人混みの都会は嫌なんだ。」ともう見物する気は失せ、早々に静かな田舎町の我が家へ戻って行ったのでした。

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白川郷の中国人観光客が凄い。

2015年05月09日 | 日記

 5月9日(土)

 最近、日本へやってくる外国人が増えたなあと実感しているが、先日、奥飛騨の白川郷へ行った時には驚いた。その日は平日にも係らず狭い集落内は溢れんばかりの観光客で賑わっていた。

私の推測だが、その観光客の9割が外国人で、更にその内の9割が中国人という感触だった。声高に響き渡る中国語を聞いていると、まるでここは中国の観光地かと錯覚するほどだった。

 中国の人については、マナーが悪い。自分勝手、声が大きい等良くない評判もあるようだが、何処の国だって良い人もいれば悪い人もいる。大勢の人が遠路遥々日本を訪れてくれる事自体は有難いし、喜ばしい現象と言える。リアルな日本を知る人が増えれば、日中友好にも大きく寄与するのではないだろうか。

 反面、こうも圧倒的な中国人パワーを見せつけられると、21世紀は中国が世界をリードする時代になるのではという思いすら浮かんでくる。

 我々は国民の主権と自由を保障した民主主義こそベストな政治と信じているが、国力増強という面では、決断と実行が迅速で無駄が無い分だけ、独裁専制国の方が優っているのではと最近思わないでは無い。

 一党独裁の巨大な隣国が世界のリーダーになった時に、平和憲法の元で居心地の良いぬるま湯に70年間ドップリと浸かっていた日本人が、果たして幸せでいられるだろうか。とてもそうは思えない気がする。

 民主主義国家と異なり、逆らう者は全て罪状をおっ被せて犯罪者にしてしまうのが巨大な隣国の政治だから、日本は逆鱗に触れぬよう絶えずビクビクしながら生きる時代に変るのではないだろうか。

 とすれば日本が幸せに生きる道は唯一つ、欧米と強いきずなでタッグを組み、民主主義を護って行く以外無いように思える。「我が国は世界に冠たる平和憲法があるから大丈夫」で解決できれば、これ程楽な事は無いけれどネ。・・・・

・・・・(白川郷の観光を書くつもりが、つい柄にも無く熱い国家輪を語ってしまった。)

白川郷に押し寄せる中国人観光客の団体さん

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富士地区、長者ヶ岳~天子ヶ岳登山

2015年05月07日 | 山歩き

5月6日(水)     天気=晴れ

07:37休暇村富士駐車場→ 08:17登山道分岐→ 09:11~30長者ヶ岳→ 09:48上佐野分岐→ 10:07~11:00天子ヶ岳→ 12:06~08林道出合→ 12:14休暇村富士駐車場

 

 

 富士山山麓の富士五湖は有名だが、その他にも富士山の西側には田貫湖という小さな湖があり、富士山の眺めが絶景だ。その西に聳える長者ヶ岳~天子ヶ岳に登らないかとテニス仲間のYさんに誘われた。

 今は新緑の時期だし残雪の富士山も拝めそうなだし、妻もぜひ行きたいと言うので夫婦で参加した。早朝5時、最寄りのコンビニに本日の参加者8名が集合し、Yさんと私の車に分乗して出発した。連休最終日なので混雑すると思われた中央高速は意外にガラガラで、登山口の休暇村富士の駐車場には7時過ぎに到着した。

 今朝はこの時期にしては暑くて私はTシャツ1枚になる。車道を歩いてすぐに登山口となり、そこから登山道が始まる。かなりの傾斜だが、良く整備されたつづら折りの道なので快適に歩いて行ける。

 長者ケ岳登山口

 出発して40分程で田貫湖畔からの道と合流した。コースタイムより10分程早く中々快調なペース、初めて参加した妻も「皆さん健脚だね~」と感心していた。(特に女性陣が強い。)そこから長者ヶ岳までの尾根道は傾斜も緩み、新緑やツツジを楽しみながらの心地よい道が続く。

 登山道合流地点

 長者ケ岳への登山道

 9時過ぎに長者ヶ岳(1336m)に到着、疎林の合間から東側はデッカイ富士山、北西側は南アルプスの白峰三山から聖岳までの雄峰を展望する事ができた。20分程休憩し、次の目的地、天子ヶ岳へ向かう。ゆったりと降って上佐野への分岐を通過すると登りに転じる。この道もブナの新緑が鮮やかでピンクや白のツツジも美しい。

 長者ケ岳山頂にて

 山頂から富士山

 上佐野分岐地点

 天子ヶ岳(1330m)は山頂部が細長く、一体何処がピークだと思いつつ歩いていたら、最高地点より少し下がった場所に山頂標識があった。此処も樹林に囲まれた山頂だが、東側の展望台から富士山を眺める事ができる。広々とした山頂の一角でランチタイムとなった。皆さんそれぞれに美味しい果物やオカズ等お裾分けしてくれるのだが、我家は何も準備してきておらず少々肩身の狭い思いをした。

 天子ケ岳から富士山

 広々とした天子ケ岳山頂

 1時間程のランチタイムを終え、山頂を後にする。下山の道は最初のうち急で滑り易く慎重に降ったが、徐々に傾斜も緩み歩き易くなった。前方の富士山を目指すように樹林の道を降って行くと、山頂から1時間程で林道に降立った。地図では林道を左折するよう記されているが、この林道はできて間も無い感じで標識も無い。怪しいので更に100m程降ってみると舗装された林道と道標があり、そこが正規の道だった。

 下山道沿いの艶やかなツツジ

 林道合流地点

 そこからスタート地点の休暇村富士までは約1時間単調な車道歩きだが、僅かばかりだが、道端のワラビを採ったり、先頭を行くSさんが昼寝中の青大将を驚かせたりと退屈はしなかった。

 休暇村富士の駐車場に戻るとそさっそく車に乗り、山中湖畔の温泉へ向かう。ところが途中の国道139号が渋滞で全然進まない。ここでこんなに混むんじゃ帰りの中央高速は大渋滞だなあと少々ウンザリ気分になった。

 休暇村富士から眺める富士山

 富士吉田市内に入ると渋滞も緩和し、山中湖近くの日帰り温泉「紅富士の湯」に到着、この温泉、料金は630円とリーズナブル、浴室も清潔で広々とした露天風呂、それにレストランや軽食コーナーもあり居心地の良い温泉だった。

 帰りの高速道路の渋滞は、懸念した程でも無く、午後7時過ぎには我が家へ戻る事ができた。今日は天気に恵まれて残雪の富士山と艶やかなツツジと鮮やかな新緑が楽しめ気持ちの良い山行だった。Yさん、又次回の山行も楽しみにしています。

 

コメント
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