3月26日(月) 天気=曇り後晴れ
07:02美濃戸口発→ 07:58~08:04美濃戸山荘→ 08:52~58堰堤広場→ 0:48~11:25赤岳鉱泉テント場→ 12:39~44赤岩ノ頭→ 12:56~13:04硫黄岳→ 13:10~14赤岩ノ頭→ 13:54赤岳鉱泉テント場→
「年に一度は雪山でテント泊する。」と誰に言われた訳ではないが、勝手に決めた自分の思いがある。今年はまだチャレンジしていないので八ヶ岳へ向う事にした。高速料金深夜割引の効く朝4時前に圏央鶴ヶ島ICから高速道に入り中央道、諏訪南ICで高速を降りる。インター側のファミリーマートで朝食を調達して登山口の美濃戸口には7時前に着いた。有料駐車場(1日=500円)に車を停める。平日とはいえ10台程が既に駐車しており、中高年男女6名パーティが出発しようとしていた。
美濃戸口の駐車場
私も装備を慎重に点検した後(何しろ前回登山靴を忘れるという失敗を演じたばかりなので)幕営装備でズシリと重いザックを背に歩き始める。寒気が入った冬型気圧配置のせいか空気が凍えるように痛い。しばらくは凍結した林道歩きが続く。この先の美濃戸まで一般車の通行可能だが、ガチガチに凍結した深い轍の状態ではタフな四駆でなければ進入は無理だろう。それに駐車料金が倍の1日1千円もする。
1時間程で数軒の山小屋が点在する美濃戸に着く。夏場は混雑する所だが今は人影も無く静かだ。行者小屋へ向う南沢コースを右に見て北沢コースを進む。赤岳鉱泉小屋の四駆車が駐車している堰堤広場が林道の終点で、此処からは北沢沿いの登山道に変る。雪景色にしっかりとした踏み跡が続いている。
北沢沿いの登山道
登山道に入ってすぐに先行したパーティに追いついた。全員アイゼンを装着しており荷物から察すると赤岳鉱泉小屋に宿泊するのだろう。沢沿いに標高を序々に上げて行く。最近マラソンの練習を多めにしているので久し振りの重荷にも係わらず脚の調子がすこぶる好調だ。稜線の山々は雪雲に覆われて見る事はできない。森林の奥に建物が現れた。意外にアッケない感じで赤岳鉱泉小屋に到着した。
早速テントの設営に取り掛かる。テントが完成すると小屋に行きテントの受付を済ます。1日1千円の幕営料は一寸高いが安全を買うと思えば納得できる。赤岳鉱泉は随分久し振りだが屋内がとても洒落ていて山小屋と言うより山のホテルという雰囲気だ。屋外にはアイスキャンディと呼ばれている人工の氷壁がありアイスクライミングのゲレンデとなっている。
赤岳鉱泉の食堂
アイスキャンディ(アイスクライミングゲレンデ)
パンの昼食を終えて11時25分に硫黄岳へ出発する。森林の中にしっかりしたトレースが続く雪道だ。ジョウゴ沢へ向う踏み跡を右に見ると森の中ジグザグの急登に変る。途中で青い服装の中年男性を追い抜いた。だんだん風音が強まってくると森林限界を越え小さな雪庇を伴った赤岩ノ頭が真上に見えた。そこまで距離は僅かだが凄い急坂で何年か前に雪崩遭難が発生した場所のはずだ。出発前に小屋の男性従業員が「今は大丈夫ですよ。」と言ってくれたので危惧はしていないが、雪壁みたいで両手両足を駆使して赤岩ノ頭(2656m)に着いた。
赤岩ノ頭ピークに着いた途端殴りつけるような風雪に見舞われた。此処で引き返そうかと一瞬思ったが硫黄岳はそんなに遠くない。視界も効いているので前進を続ける。強烈な西風に身体を傾けながら序々に進み岩稜の尾根を越えて硫黄岳(2760m)に着いた。
赤岩ノ頭より硫黄岳方面(黒い岩の奥に硫黄岳)
広々した山頂は強風が吹きぬける。でも雲は稜線付近だけなので時折赤岳や阿弥陀岳の姿も垣間見える。小さなお社で強風を避け証拠の写真を撮ると早々に山頂を辞す。下山途中、青色服の男性が赤岩ノ頭の雪壁下まで来て居た。彼はそこから引き返すと言う。風雪が私の登った痕跡をかき消して雪壁への降り口がよく判らない。少し踏み出したら雪庇がボロッと割れて一寸ビックリさせられた。
硫黄岳山頂
広々した硫黄岳山頂
青色服の男性がもう少し右だよとアドバイスしてくれて登りの痕跡を見つけて雪壁を降った。雪壁の下は先程の強風が嘘の様に静か、男性は此処で写真を撮って下山すると言う。下山の雪道はクッションがあるので夏道より楽だ。グングン降って行ける。途中2名程登って行く人とすれ違った。
PM2時頃赤岳鉱泉に戻る。日差しがあるとテントの中は温室効果で暖かくて快適だ。ビールを飲みながらアイスクライミングの見物等で時間を過ごす。夕食後テントを出ると森の上に聳える大同心や赤岳が残照に映えて実に美しかった。
テント場と奥に白く輝く大同心岩峰
3月27日(火) 天気=晴れ
07:02赤岳鉱泉テント場→ 07:36~38行者小屋→ 08:45~54地蔵ノ頭→ 09:27~39赤岳→ 10:00~10:12地蔵ノ頭→ 10:58~11:00行者小屋→ 11:09~15中山展望台→ 11:29~12:35赤岳鉱泉テント場→ 13:02~05堰堤広場→ 13:31~35美濃戸山荘→ 14:25美濃戸口
天気予報どおり今朝は快晴、絶好の登山日和となった。ガソリンコンロの調子が悪かったので朝食が遅れ、出発は7時過ぎとなった。風は無いが朝方の冷え込みで手足の先が痺れる程寒いが素晴らしい眺望に心は弾む。30分程で行者小屋に着く。小屋は無人だが2張りテントが設営されている。
赤岳鉱泉小屋と奥に硫黄岳
行者小屋より阿弥陀岳方面
小屋脇から地蔵尾根コースが始まる。このコースはとても急峻で登れば登る程傾斜が強まる。森林限界を越えたら気を休める場所は無くひたすら雪尾根を登って行く。特に稜線直下はナイフリッジ状になっており靴幅も無い踏み跡で緊張を強いられた。此処は4年前の1月にも登っているが、雪が多く凍結箇所も多い3月の方が困難な気がする。
稜線の地蔵ノ頭に着いてホッと一息、紅茶とパンでブレイクタイム、展望が開き白銀の山々が美しい。八ッの山々は勿論北・南アルプスや浅間山遠くは富士山まで眺望できて心満たされる思いだ。
地蔵ノ頭より横岳
地蔵ノ頭から阿弥陀岳
赤岳展望荘より赤岳山頂
休憩を終え無人の赤岳展望荘の脇を抜け赤岳へ向う。急な雪稜をジグザグに登って行く。途中2名の単独男性と交差した。9時27分八ヶ岳最高峰、赤岳(2899m)に到着した。幸い山頂には誰も居らず独り占めする事ができた。
赤岳山頂
赤岳より権現岳奥に南アルプスの山々
赤岳北峰より赤岳山頂(南峰)
しばらく山頂からの眺望を心ゆくまで満喫する。自分の年齢を考えたら雪の赤岳山頂は今回が最後かも知れないと思えば感慨も深い。満足な思いで山頂を後にする。下山の道は往路を忠実に辿る。地蔵ノ頭直下のナイフリッジは、登り以上に下りは緊張させられた。
森林帯まで降って緊張から解放された。下山途中の中山乗越から分岐する中山展望台ピークにはまだ行った事が無かったので時間も早いので寄り道してみる。5分程で着いたピークからは、赤岳や横岳西壁の展望が素晴らしくて中山展望台という山名に偽りは無かった。
中山展望台より横岳西壁
中山展望台より赤岳
戻り着いた赤岳鉱泉のテント場には暖かい日差しが注がれてとても心地良い。テントの撤収を終え装具をザックに収めると下山の途につく。昨日は雪に覆われていた沢に架かる幾つかの橋も、今日は雪が溶け露になった木板が傷つくのではとアイゼンで渡るのが少し心苦しい。「明日はスキーを楽しめる。」と下山の道も心弾む。14時25分美濃戸口の駐車場に到着すると昨日出発時には不在だった駐車場管理人のオジサンに2日分1千円の料金を支払う。
その後、管理人のオジサンに教えてもらった原村の日帰り温泉「もみの湯」で山の汗を流す。夕刻コンビニで夕食とビールを購入し、蓼科ビーナスライン沿いの花蒔公園駐車場で車中泊をして一晩を明かした。
翌28日(水)はピラタス蓼科スノーリゾートに移動してスキーを楽しむ。春スキー料金という事でシニアは1日券2千円と格安だった。このスキー場は標高が高いので、この時期としては雪質も良好で、ロープウェーを利用して思う存分滑る事が出来た。天気は生憎の雪模様だったけれどスキーには支障なく、今日が登山だったら登れなかっただろうから天気の巡り合せも今回はラッキーだった。登山とスキーでグッタリ疲労が蓄積した身体をお土産に夕刻我家へ帰宅した。
平成24年3月23日
還暦過ぎた私ですが、時々若い女性からお誘いの電話があるのです。彼女はN証券K支店に勤めています。 そうです。それは私的感情0、ピュアーな営業の電話何です。些少の金額を預委しているので現況報告という訳です。年に数回サイクリングがてらK支店を訪れますが、NHK女子アナ風雰囲気の彼女が説明する経済専門用語のオン・パレードに、解った振りしてフンフン頷きながらもその半分程は理解不能です。気の弱い私はなるべく彼女と目線を合わさぬようにして、最後はヤル気の無い官僚みたいに「検討してみます。」と答えて家路に着きますが、背中のザックはパンフレットのお土産がドッサリ、思い起こせば私が株や投資信託を始めた頃は、丁度バブル崩壊後のリバウンド時期だったので、面白いように値上りが続き、「投資何てチョロイもんだな。」と甘く見ていた私ですが、リーマンショックで一転、急坂を転げるように値下りし、その後は資料を見るのも嫌になっちゃいました。再びあの頃みたいな値上りを期待しているのですが、急速な老人大国化が進む日本では私の生きているうちは無理でしょうね。
平成24年3月20日
一昨日の日曜日、熊谷市さくらハーフマラソンを走って来ました。さくらと言う名称とは裏腹に今年は寒さのせいで花一輪咲いておりませんでしたが、熊谷市運動公園をスタート・ゴールにしたフラットなコース、曇天・風弱しというマラソンには絶好のコンディション、私の体調もマアマアで、先月走った荒川ハーフより相当良いタイムが出るかと思ったら大して変らず、どうもハーフ1時間40分台前半が届かなくなってきた。老化がジワジワと筋力を低下させているのが実感させられます。40代の頃は女性ランナーに抜かれる何て滅多に無かったのに最近は抜かれ放題です。記録に治する意欲が薄れていく反面、ピチピチギャルランナーの後姿を見る機会が増えたワイとニヤニヤする私は、スポーツマンシップには程遠いオジサンランナーと化しつつあるようです。
平成24年3月17日
山登りがコンセプトの私のブログも、寒さのせいか冬はスキーの方が多くなるようです。どちらも山を舞台にするという点では共通しておりますけれど。私のスキーは40年ほど前に北海道で勤務していた時が初体験でした。北海道の人は皆一様にレベルが高く、幾度も転倒する私の脇を小さな子供達が嘲笑うようにスイスイ滑って行くのです。その屈辱的体験が私をすっかりスキー嫌いにさせ、北海道滞在中二度とスキー場へ足を向けませんでした。スキーを再開したのは東京近郊に移り職場や山岳会の仲間達に誘われてからです。関東のスキー場は私と似たレベルの人が多く、見栄っ張りの私もさほど劣等感を覚えなかったのが続けてこれた理由でしょう。白銀の世界で雪煙を上げて仲間と共に滑るのは確かに爽快で楽しいものですが、一人で行った時等、リフトと滑降を繰返す行為がまるで「巣箱の車輪を夢中で回すハツカネズミ」のようで、空しさを覚えることもあります。それでもスキーを続けているのは、華麗な滑降を夢想しながらいつまでも上手くならない自分に「ああすれば・・・・こうすれば」と思う向上意欲があるからでしょう。それが無くなったら私のスキーが終る時だと思います。
平成24年3月12日
大震災はいずことグルメやお笑いタレントばかりだったテレビ番組も、地震発生から1年を迎え、競うように災害報道をしています。改めてその映像を観ると、災害の甚大さに眼を覆いたくなる思いです。中でも福島原発事故という人災は被災地に深刻なダメージを与えました。その対応について、東電そして当時の菅総理が多くの批判を浴びてますが、果たして彼らだけでしょうか。
無いと言った水素爆発を追求された某原子力安全委員長、「総理からきつく言われたら誰も何も言えない。」と頭を抱えたという。まるで先生に叱られて泣いてる小学生の言動、こんな人物が原子力の安全を司る組織の長とは情けないの一言。こんな組織しかない日本は、原発を持つ資格が無いと言わざるを得ません。それから「菅首相は極刑に値する。」と言った自民党の某議員、そもそもいい加減な原発行政を推進したのはアンタの党ではないか。それを棚に上げて非難する鉄面皮には呆れてしまう。後もう一つの元凶、湯水の如く電気を浪費し続けてきた国民、「原発を廃止しろー」と糾弾する人々は、同じ様に「電気の無駄使いをするなー」と国民にも叫ばねばなりません。
平成24年3月10日
昨日は一日雨の予報、一日中家に居たら気詰まりになりそうでなので、スキーの怪我が直りきらない妻を残し、都内へと一人出掛けました。新聞販売店から入場券を貰っていたので、浅草演芸ホール「東洋館」へ向かいました。JR山手線の車窓から見えるビル群の中では、多くの人が忙しげに働いています。もうすぐ1年目となる東北大震災を思い起こし、今発生したらあの人々はどうなるのか。といらぬ危惧が浮びました。
有名芸人が出る訳でもなく平日なのでガラガラだと思ったら、以外にも4階のさして広くない劇場内の席は満杯で、立ち見の人差へ見受けます。殆んどが団塊世代以上の人ばかり、意外な盛況に一寸ビックリです。演芸見物等、私には初めての体験で、大して期待もせず観ておりました。始めに出てくる若手芸人達は、熱演すれども観客の笑いを呼ぶには程遠く、パラパラと気の乗らぬ拍手だけのいわゆる寒い、スベる芸が続きます。でもベテラン芸人さん達の出番になると観客の笑いが絶えなくなってきました。上手い芸人さんはお客を笑わすツボをしっかり掴んでいるんですね。八十何歳の芸人さんが演ずる達者な芸には、思わずウーンとうなってしまいました。飽きたら途中退席しようと思っていたのに、だんだん面白くなっていくので、結局12時の始まりから16時半のトリまで席を立ちませんでした。まあ2千5百円の正規料金を払ってまで観ようと思いませんが、明るい未来を描けない世情で、こんな笑いもアリかなあと感じました。
3月7日(水) 天気=晴れ後曇り
雪山歩きをしたくなったので、浅間山へ出掛けた。計画は「今日が浅間山登山で、明日はアサマ2000スキー場でスキー」という2度楽しいプランです。未明、妻を起さぬようソッと我家を抜け出し、関越道~上信道を経由して佐久ICで降りると、高峰高原の車坂峠駐車場に車を停める。
さあ出発と装備を点検したら、たった一つ忘れ物があった。《冬山用の登山靴》 無雪期なら運動靴でも歩けるが雪山ではお手上げ、リーマンショック時の株価のように一挙に私のモチベーションが低下した。なまじ好天なのが恨めしい。
「仕方ない。スキーでもやるか。」とアサマ2000スキー場へ移動しオープンまで車内でコーヒーブレイクする。08:30のオープンになっても駐車場に停まっている車は十数台程、スキーヤーも僅かしかいない。しかもその半数以上はスキースクールや救助隊員等スキー場関係者の様子、カラカラ廻るリフトと、場内に響くアメリカンポップスが物悲しく聞こえてくる。
私も一日券(シニア=2500円)を購入し、リフトに乗車する。此処は4本のリフトが放射状に拡がるこじんまりしたスキー場です。係員の人が「昨日の雨が凍ってアイスバーンなので気をつけて。」と声を掛けた。リフトを降りて実感、全コースがカチカチのスケートリンク状態になっている。写真を撮ろうとデジカメを取り出したらバッテリーがポトリと落ち、何十メートル先までフっ飛んで行った。
スキー場から水ノ塔山方面
モチベーションは上がらないのに、スキー板が勝手にグングンすっ飛んで行く。「ここでコケタら、タダでは済まないな。」と一寸恐くなるほどのスピードだ。ガリガリガリッと滑っちゃリフトを繰返していると、だんだん自分のやってる事が馬鹿らしくなってきた。
それでも11:30過ぎまで滑って車に戻り、昼食の準備をする。と今度はガソリンコンロに火が付かない。どうやらガス抜け穴が詰まった感じだ。針で突いても穴が小さすぎて直らない。今夜車中泊して明日は別のスキー場へ行くつもりだったが、コンロが故障したら食事を作れない。「仕様が無い。今日はおとなしく帰ろう。」と缶ビールを飲みながら考える。
アサマ2000スキー場と奥に黒班山
ほろ酔いスキーかつモチベーション低下のままアイスバーンは一寸無謀なので、2時間ほど読書しつつ休憩する。14:30頃から再び滑り始める。リフトに乗っていたら、西の方から20名近くの団体が列をなして蟻のようにスキー場内へ歩いて来た。どうやら今流行のスノーシューツアーのようだ。見ているとけっこう難儀しているようだから、それ程便利なものとも思えない。
15:40頃スキーを終える。もう滑っている人は殆んど無く、空しくリフトだけがカラカラ廻っている。車で帰る途中、車坂峠の登山口を偵察してみる。浅間山へ向う踏み跡がかなりあるから、けっこう登られているのだろう。峠にある高峰高原ホテルの駐車場には「○○スノーシューツアー様」と書かれたバスが停まっていた。先程の団体さんのバスみたいだ。「今頃温泉に入ってビールを一杯やってんのかな。」と想像したら一寸羨ましくなった。
我家へ戻る車中、妻に今日の事を話したら又馬鹿にされるのは間違いないと若干気が重い。そう言えば有名なことわざがあったな。『二兎を追うものは一兎も得ず。』まさしく今日の私では無かろうか。
平成24年3月4日
久々に感動的な映画に出会いました。スティーヴン・スピルバーグ監督製作による「戦火の馬」、今話題の映画なので、観る人も多いでしょうが、内容は、「第一次世界大戦の頃、英国片田舎の貧乏な農家の少年が育てた馬が、貧困ゆえ軍隊に売られて戦場で数々の危機を乗り越え、最後に兵士となった少年と奇跡的に再会し故郷へ戻る。」というストーリー、馬の自然な演技が素晴らしくて、何故にあのように演じられるのか不思議にさえ感じます。ラストシーンの気高い馬の表情に、怠惰な日々で締まりの無い己の風貌を重ねて、恥じ入る思いでした。
映画は同時に戦争の悲惨さも描いており、民衆から徴集された兵士が虫けらのように死んで行くのです。それは70年程前には日本でも現実の出来事だった事でもあり、私は今更ながらに、平和で自由のある時代そして国に生まれた幸運を、深く感謝しないではいられません。戦争の残酷さに比べたら、「消費増税」も「財政赤字」も「少子高齢化」も蛙の小便程の悩みですよ。