Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

10日ぶりの現場仕事

2015年03月31日 | 日記

 3月31日(火)

 先月の21日以来10日ぶりに仕事へ行った。久しぶりにあった仲間達は私が遊びに行ってたと思い込み、「どこの山登ってたの。」とか「海外へ行ってたの。」と冷やかしの声が飛ぶ。

 「とんでもない風邪で一週間寝込んでたんですよ。」と答えた私の森進一ばりのカスレ声(セキで喉を痛めたお蔭で)に、皆本当に風邪を引いてたんだと信じてくれたようだ。

 今日は幸い暖かかったけれど一週間臥せってばかりいた身体に、朝から夕までの土方仕事は厳しかった。それでも「無理しなくていいよ。」という仲間の声に助けられ、適当に手を抜けながら何とか最後まで頑張った。誰でもできる単純仕事だが、今日一日頑張ったという達成感が仕事のモチベーションなんだなあと改めて実感した。

 それからベテランのOさんがトラバーユするので、今日をもってこの職場を去るとの事だ。Oさんには私が仕事を始めた当初からお世話になり激励もしてもらった。親しい人が去るのは淋しいが、お別れの挨拶が言えて良かった。Oさんの新たな道に幸あれと祈る。

 

 

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ノド鼻の風邪は内科じゃ無くて耳鼻咽喉科に行こう。

2015年03月29日 | 日記

 3月29日(日)

 私のブログを見た山の先輩の I さんやSさんから見舞いの電話が届いた。そのSさんが「F君、喉や鼻風邪には内科より耳鼻咽喉科の方が患部を直接治療してくれるから早く治るそうだぞ。」と教えてくれた。

 そう言えば発症初期の24日(火)に訪れたW内科クリニックは、診療時間内なのに待合室に患者が1人居らず閑古鳥が鳴いておりヤブっぽさに満ちていた。呼ばれて入った診察室には肥満体で黒縁メガネを掛けたオタク青年風の医師が居て、待たせた割にはチラッと私の喉チンコを鏡で覗いただけで、「抗生物質の効かない風邪なので、漢方を含めたお薬を幾つか出しておきます。お大事に」と10秒も掛からぬうちに診察を終えた。私も単なる風邪だから今日明日には治るだろうと敢て聞き直すような事もしなかった。

 しかし貰った薬は全然効かずその後症状は悪化するばかり、目玉の漢方薬とは市販薬の「葛根湯」の事で、唯一効いたのは解熱剤の「トンプク」だけだった。

 そんな私がSさんのアドバイスを頼りに、近在のよしなみ耳鼻科クリニックを訪れた。耳鼻咽喉科何て殆ど行った事は無かったが、受付待合室は小(幼)児を中心の多くの患者で賑わっていた。その割には30分程待たされただけで診察室に呼ばれた。

 診察する先生は50代だろうか銀髪の温厚誠実な紳士風、数日前の医者とはエライ違いだ。説明も的確で判り易い、治療も全く違って丁寧だ。ファイバースコープで直接喉の患部に治療液を塗りつける。「喉が真っ赤に腫れてますね。」と言われた。

 それから点滴ルームで1時間半程点滴を受けた。溶剤の中には抗生物質や炎症を抑える薬に含まれているとの事、ゆっくりと休む事ができた。受付に訪れた時は「38.6度」あった体温が帰る時には「37.0度」に急降下していた。

 そして今日はズーッと平熱で喉の異常が残るだけだ。5日も臥せていたので2時間程足慣らしで妻とウォーキングを楽しんで来た。やはり病気の時は、自分に合った病院をしっかりと選ばねばならない。最初からよしなみクリニックを訪れていたらトックに治っていただろうと思うと残念でならない。

 とても良いクリニックだったので、HPをご紹介しておきます。

 よしなみ耳鼻科クリニック

 

 

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風邪が長引き今だベッドから離れられず

2015年03月26日 | 日記

3月26日(金)

 月曜日の夕刻から発症した風が今だに治らない。今日の午後、熱を測ったら39.6度もあった。こんなに寝込むのは2年前に「脊柱管狭窄症」を患った時以来だ。

 あの時は無職だったから誰に迷惑を掛けるでもなかったが、今は現場仕事があるので気懸りだ。「Fさん普段元気そうなのにしょっちゅう休むねぇ。」何て上司や仲間から陰口を叩かれてるんじゃなかろうか。別に辞めても生活に困る訳じゃなし、友達作りで仕事に行ってるんじゃないから気にする事も無いのだけど、体調が弱ってる時は気持ちも弱気になる。

 何年か前の冬に、私が所属する障害者スキー「雪だるまクラブ」の仲間であったNさんが突然のように亡くなられた。Nさんは20代後半くらいの屈強な若者で、障害者の重いチェアースキーを後ろからロープ自在にサポートするのが得意だった。

 彼がツアーをキャンセルしたと聞いたので電話をしたら「イヤー済みません。最近どうも調子が悪くって、次回は必ず行きますから」と答えてくれた。その電話から如何ほども経たぬうちに彼の訃報を聞いた。どうも原因不明の衰弱死だったそうで奥さんと小さなお子さんを残しての旅立ちは、さぞかし無念であったろう。

 若く屈強な若者でもそんな事がある。増して私は彼より3倍近い年寄り、このまま衰弱のスパイラルに陥り、ひょっとしたら最悪の事態になるのではと思わぬでもない。

それにしても四日前に10キロマラソンを走った男が、今は死の影に怯える。人間の存在の何と脆いものよと思う。・・・・こんな下らぬブログを書いてる暇があったら早くベッドに行って安静にしてないと治るものも治らないよ。

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マラソンの翌日から風邪でダウン

2015年03月24日 | 日記

 3月24日{火}

 昨日から風邪で寝込んでいる。風をひいた要因は2日前のマラソン大会の疲れだったのかも知れない。体調すぐれぬまま。昨日は朝から青梅市の宗建寺に墓参り、昭島市の「アウトドアヴィレッジ」へショッピング等と動き回ったのが引き金となって帰宅後完璧にダウン、悪寒と喉の痛みに耐えながらズーッと床にへばりついている。

 こんな弱り身の時しか思わないのは申し訳ないが、看護してくれる妻の存在がつくづくありがたい。回復したら妻孝行しなければと思うんだけど、元気になると忘れるんだよね。

取りあえず此処まで書いて、今からベッドにもどります。

 お墓がある青梅市、宗建寺

 昭島市の「アウトドアヴィレッジ」

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陽春の中、熊谷マラソンを走ってきました。

2015年03月22日 | マラソン

 3月22日(日)

 風も弱く暖かい春の日差しの中、熊谷マラソン大会(10キロ)を走ってきた。タイムは49分20秒、辛うじて50分台は阻止した。今は週に1回ぐらいしかランニングをやっていないから、その割には良く走れたのではと思っている。

 大会のゲストランナーは「川内優輝選手」「渋井陽子」、川内選手はハーフの部を走ったので姿は見なかったが、渋井選手は10キロの部に参加したので、ゴールで握手をしてくれた。彼女声はドスが効いてるけど素顔はチャーミングな女性で、握手してくれた手が柔らかかった。

 私のランニング歴を振返ると、50歳前半の時は40分を切るか切らぬのタイムだったのが、50歳半ばで胃ガンの手術し45分台に低下した。そして昨年は「脊柱管狭窄症」を発症し一時は歩く事さへ困難だったのを何とか克服し、それ以降走った2回の10キロレースはいずれも49分台と更に低下した。

 病を患うごとにタイムが階段状に低下していくのは老化の証で抗えるものではないだろう。もう50分台になるのは目前だが、順位が真ん中より上であるうちはマラソン大会には今後も参加していこうと思っている。今日も気分的には余裕を持って走れたので、今年の12月はハーフマラソンに挑戦します。

 若者に混じってスタート直前意味の無いVサイン

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テニスの最中右足に違和感、明日の熊谷マラソンが心配だ。

2015年03月21日 | 日記

 3月21日(土)

 昨日4日ぶりに所属する地元テニスクラブの練習に行った。風も弱く曇り空が日差しを遮ってくれる絶好のテニス日和だった。しかしシャベルを使った遺跡発掘の穴掘り作業が此処数日続いて疲労が蓄積しているせいか身体が重い。

 ラリーをやっている最中に右足の脹脛がピリッときた。この部位はズーッと以前にも肉離れをやらかした要注意部位だ。それが気になるせいか以後のプレーに調子が出ずミスばっかりで、練習だから気にしなくともよいのだけどダブルスを組む相方の人に申し訳なくて気分が落ち込んだ。

 仲間の人は「Fさんそういう日もあるよ。気にすんな。」と慰めてくれたが、私の本当の心配は明日の事だ。実は熊谷マラソンで10キロを走る事になっている。今のところサポーターをガッチリ巻いて走れば大丈夫だろうとヤル気満々だが、悪化するのではという不安もある。

 まあ栄光や名誉を背負って走る訳じゃないから無理するつもりはなくピリッときたら棄権するつもりだが、できれば完走して美味いビールを飲みたい。それにこのレースは私のフルマラソン再チャレンジ計画の試金石だから失敗したくないのだ。

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NISAでインドの投資信託を買ってしまった。

2015年03月19日 | 日記

 3月19日(木)

 私の口座があるS証券の営業、D女史から最近よく電話が掛かってくる。「NISAでのご購入は如何ですか。」という内容だ。同時に幾種類か投資信託のパンフレットも送られてきた。

 ご存じの方も多かろうが、「NISA」とは「100万円の投資なら利益は非課税ですよ。」と国民に投資を促す国のセコイ経済振興策で、去年から始まった。

 「投資信託など信用ならないから絶対やらぬ。」と私のブログの師匠であり山の先輩のIさんは言っている。その気持ちは判らぬでもないが、何しろ銀行貯金の利息が低すぎる。定期でも僅か0.0025%、100万円をあずけたところで年に僅か2500円、それに課税されるから実質2000円、これじゃ夫婦でランチ定食を一回食ったらお終いである。

 去年は毒まんじゅうを喰らう気持ちで「ユーロハイイーグル債権毎月分配型」なる投資信託を購入したが1年後の結果は、基準価格と口数を掛けた現価格は67,228円の減、そして配当金は月々9266円×12回=111,192円となり、差し引き43,964円の+であった。大儲けはしなかったが、ソコソコの成績であったのではと思う。

 だがこれを購入した事により、その後ユーロ諸国の経済状況が気になりギリシャがズッコケはしないかとハラハラした。(今も予断は許さないが、)

 そしてD女史の「3月中なら手数料は無料ですよ。」の口車に乗せられて、今年も「インド債権(毎月分配型)」なるものを購入してしまった。果たして利益を上げてくれるであろうか。しかし心配事が又増えた。我祖国「日本」の事さへ憂慮しておるのに、今後はユーロ諸国やインドの事まで気にかけていかねばならぬ。コリャ大変だなあ。

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仕事帰りにビールを飲んで英語の勉強

2015年03月18日 | 日記

 3月18日(水)

 此処数日小春日和の暖かさが続いている。日中遺跡発掘の土方作業で汗を流すと喉が渇いて、つい帰宅途中に駅前のコンビニで缶ビールとツマミを買い近くのベンチで一杯やる事が多くなり習慣化しつつある。

 名誉や地位とは無縁の身であるから誰はばかる必要は無いのだが、泥で薄汚れた服装のオッサンが白昼街頭でビールをあおる姿は、行き交う人に「性もないヨッパライ」と思われても仕方なく引け目を感じなくもない。

 そこでアカデミックな雰囲気を醸し出そうと、NHKラジオの英会話テキストを手に録音機能付ラジオのイヤホンを耳にあてて、俺は単なるヨッパライじゃ無くて英語を勉強中のオジサンなんだよというポーズをする。(イヤ、実際にしてるんだけどネ。)

 そうするとアルコールで血の巡りが良くなったせいか脳の活動が活発になり、英語の知識がドンドン身につくような気がする。労働の後の美味いビールが飲めて英語が上達する。何と充実した時間であろうか。・・・と思っちゃたりするのは単なるヨッパライの妄想かな。

   

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中央沿線、九鬼山~馬立山登山

2015年03月16日 | 山歩き

3月15日(日)    天気=曇り後晴れ

 08:57禾生駅→ 09:10登山道分岐→ 10:40~11:25九鬼山→ 12:00~07田野倉分岐→ 12:40~13:00馬立山→ 13:33~38御前山→ 13:50~55神楽山→ 14:33猿橋駅

 

 妻とは去年の11月以来一緒に山を登っていない。別に不仲になった訳じゃないが行く機会がなかった。そこで今日は久し振りに、妻と電車に乗ってJR中央本線沿いの山登りに出掛けた。

 今日登るのは、大月市の南に位置する九鬼山~馬立山~神楽山の尾根歩き、先日ここを登ったテニス仲間Yさんの話だと、雪は全く無いというので気を遣わず歩けそうだ。

 富士急、禾生駅

 富士急行、禾生駅が登山の出発点で、AM9時前に歩き始める。国道139号を大月方面へ500m程歩くと前方にリニア実験線の高架が見え、橋を渡った地点で細い右の道に入る。随所に「登山道⇒」と書かれた標識が設置されているから迷う事はない。

 前方にリニア実験線橋を渡った所で右折する。

 しばらく行くと登山道が左右に分岐する。いずれの道も九鬼山への登山道で時間的にも大して変わらない。我々はまだ歩いた事の無い右側の杉山新道を登って行く。杉山新道に入ってすぐに住宅が尽き、道は舗装道路から登山道に変る。

 最後の水場

 最初は沢沿いの薄暗い植林帯の道だったが、最後の水場である沢を渡りジグザグに登って行くとだんだん疎林の明るい道に変ってきた。50分程登ると九鬼山から南西に伸びる尾根に到達した。駅から我々より先に出発した6人パーティの人達が休憩していた。

 尾根到達地点

 我々も此処で一息入れる。景色は見えぬけれど落葉樹に柔らかな日差しが当り心地よい場所だ。6人パーティが出発したので、我々もその後を追うように出発する。適度な傾斜の尾根道で気持ち良く歩いていける。

 九鬼山手前から富士山遠望

 30分程で倉岳山方面へ向かう道が右に分岐する。更に進むと先程登山口で左に分岐した登山道が左手から合さる。その少し先の高まりが九鬼山(970m)だった。6人パーティの人達が写真を撮ろうとしてたので私が全員写真を撮ってやった。

 九鬼山山頂

 山頂から南にあたる富士山は残念ながら木陰に隠れ見えないが、大菩薩等北方の山々は良く見えた。又眼下に大月市街の家々がマッチ箱のように見えた。我々は山頂の一角にシートを広げ、お湯を沸かして大休止する。里では喰いたいとも思わぬカップうどんも一汗流した山の上で喰うと実に美味い。

 山頂から手前大月市街と奥に大菩薩山塊

 45分程の休憩を終えると山頂を後に出発する。山頂からの岩場の急降りとその後のトラバースは、傾斜が急でハイキングコースとしてはけっこう厳しい道だ。でもトラロープが張られているので随分と助かった。

 九鬼山直下、トラバース地点

 札金峠付近から富士山(左)、三つ峠山(右)遠望

 トラバースを過ぎると歩き易い尾根道に変った。尾根の最低鞍部が札金峠で富士急、田野倉駅方面へ降る道が左に分岐している。峠から馬立山への登り道は長くは無いがけっこう急登できつかった。辿り着いた馬立山(797m)は藪に囲まれそれ程展望は無い。ここら辺が今日のコースの中間点になる。

 札金峠の田野倉分岐点

 馬立山から小さなピークを幾つか越えて徐々に標高を落し大月市街へ降る道を左に見ると、その先の岩峰が御前山(730m)だった。山頂の南側は断崖絶壁になっており本日一番の大展望で、今日歩いて来た九鬼山や馬立山が良く見える。御前山から砂の多い滑り易い道を10分程降ると道が分岐し猿橋駅へは左に曲る。右は神楽山への道で、ここで待つと言う妻を残し一人で山頂へ向かう。

 御前山山頂

 山頂から九鬼山(中央奥)と馬立山(右手前)

 分岐から数分でアッケなく神楽山(674m)に着いた。テレビアンテナと山頂標識があるだけの藪に囲まれ展望の無い山頂だ。写真だけ撮って分岐へ戻った。分岐からは猿橋の街へ向かって急な尾根を直線的にグングン降って行く。

 神楽山山頂

 街並みが徐々に近づいてくる。道はやがて尾根から鋭角に左折し笹薮の道を抜けると整備された石の階段があり、そこが神楽山の登山口だった。後は車道を10分足らずで猿橋の駅に着いた。

 神楽山登山口

 JR猿橋駅

 即缶ビールを飲みたかったけれど駅近くに売ってる店は無く、上り電車の時間も迫っていたので我慢して電車に乗った。今日は随分長い時間歩いた気がしたけれど、PM4時頃には武蔵野線の北朝霞に戻ってきた。

 北朝霞駅近くの「海」という海鮮居酒屋の一番客となり、妻と二人で打ち上げをやった。いつも面倒くさいのでマイカーで山へ行くけれど、下山後にビールが飲めるからたまには電車で行くのも楽しいものだ。妻も普段家に居る時と違い晴れ晴れとした表情をしている。夫婦仲リニューアルの効果も大だし、時には電車で山登りも悪くは無いなあと再認識した。

 

 

 

 

 

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我家の食卓、最近大嫌いな人参の煮物が多い。

2015年03月14日 | 日記

 3月14日(土)

 貧困育ちの私は、小さい頃からロクなものを喰ってこなかったので食い物に好き嫌いは殆ど無い。だから大抵のものは美味しくいただけるのだが、そんな私でも唯一嫌いな食べ物がある。

 それは人参の煮物です。生臭そうな甘さと頼りない歯応えがどうしても好きになれない。(テンプラにしたものや漬物、サラダ何かはそれ程嫌ではないのだが。)妻はその事を十分承知しているはずなのに、最近我家の食卓は人参の煮物がやたらと多い。

 どうして何だろうか。食料は生協で一括購入しているのだが、注文ミスで人参を大量に買ってしまったのか。それとも私のビタミンA不足を心配した妻が、健康を気遣って意図的に作ってくれているのだろうか。

 いやひょっとしたら、気付かぬうちに私が妻の神経に触るような事をしでかして、頭にきた妻が嫌がらせでワザと多く作っているのだろうか。・・・・等々思いを巡らせているが判断が尽き兼ねている。

 直接不満を口にすれば簡単なんだけど、気の小さい私は「何も波風立てずとも」と今だ言いだせないでいる。

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恐怖の認知症識別テスト

2015年03月12日 | 日記

 3月12日(木)

 学校の入学試験から各種の資格試験まで、社会人として生きていく上で多くの人は試験やテストから逃れる事はできないだろう。又その成否によってはその後の人生に大きな影響を及ぼす事が多々ある。

 小心者の私はプレッシャーに滅法弱いから、ここ一番の試験で上手くいった試しが殆ど無い。私の人生が花咲かぬまま朽ちようとしてるのも、それが大きな要因の一つであったような気がする。

 60半ばになれば、もう試験のプレッシャー等縁が無かろうと思っていたのだが、ある怖ろしいテストがある事に気付かされた。数日前テレビを観ていると、健康番組で出演者相手に「認知症識別テスト」なるものをやっていたので、私も出演者になったつもりで聞いていた。

 その内容は「これから数字を5つ言います。5、7、0、3,2・・・ハイ、今言った数字を逆から読んでください。」、私「何だ簡単じゃないか。2、3、0、ンッ何だっけ?」

 「次は適当な言葉を10個ほど言います。「冷蔵庫」「うさぎ」「桜」「新幹線」「海水浴」「ラーメン」「映画館」「ひまわり」「まんじゅう」「温泉」・・・ハイ、今私が言った言葉を幾つ言えますか。」、私「エーッと、ラーメン、まんじゅう、ひまわり、映画館、新幹線・・・アレッ何だっけ?、・・・冷や汗がタラ~リ、こんなのが出来ない何て、コレッて私がプレッシャーに弱いから何だろうか。それとも本当に〇〇症の初期症状?、不安な思惑が脳内に渦巻く。

 「認知症識別テスト」・・何と怖ろしいテストであろうか。真実を知るのが怖い私は、このテストだけは絶対に受けたくない。

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王滝村スキーツアー(詳細)

2015年03月11日 | 旅行

 3月7日(土)    天気=曇り後雪

 早朝我家を出発する。週末にしては中央道下りは意外に空いていた。伊那インターで降りて王滝村までの一般道がけっこう遠い。王滝村に入ると車の往来が殆ど無く、スキー場は営業してるのだろうかと不安になる程だ。

 王滝2240スキー場は御嶽山麓の標高1600~2240mに広がり、ゴンドラや高速リフトもあってけっこう大きなスキー場だ。今日はゲレンデにガスが漂い御嶽山の姿は拝めない。

 王滝2240スキー場ゲレンデ

 御嶽山の立入制限が緩和されて、ゲレンデは2月末にオープンしたばかりだ。リフト券を買った時、「非常時の防災対策」というチラシを貰った。それには、御嶽山が噴火した際の避難要領が書かれていた。

 

 休業中の施設も多いせいか週末なのに客の姿が少ない。ゴンドラも空いているのでガンガン滑れる。しかし雪質が硬く脚に衝撃が直撃するのでやたら疲れる。せっかく二日券を買ったのに妻はロクに滑りもせず殆ど食堂で休んでいた。

 午後3時過ぎにはゲレンデを離れ宿泊先の「おんたけ休暇村」へ向かった。ここは名古屋市が運営する公営の宿で3階建ての大きな建物、クライミングウォールや天文台も併設され、天体望遠鏡の観望を期待していたが、雪の舞う天気で残念ながら叶えられなかった。

 

 

3月8日(日)    天気=曇り後晴れ

 朝、外は新たな雪が積もっていた。朝食後スキー場へ向かう。昨日より天気はイイものの相変わらずゲレンデはガスに覆われている。新雪のお蔭で昨日より雪質が良くスキーを楽しめる。時折陽も差し一瞬御嶽山の山頂部が見えたが、晴れていれば御嶽や中央アルプス、乗鞍岳の大展望が眺められるのに残念だ。

 早朝のおんたけ休暇村

 王滝2240スキー場ゲレンデ

 同 上

 同 上

 今日は暖かくて午後からグズグズ雪に変り、滑り辛くなった。妻は再び休憩モードに移行、私も嫌気が差し午後3時過ぎには宿へ引き上げた。

 夕刻には上空の雲が払われ、初めて御嶽の山頂が見えた。又は東には中央アルプスの山々が眺められた。フロントに見学を申し込んでいたので、夕食後の午後7時半、天文台へ向かう。

 部屋から眺める中央アルプスの山々

 同じく御嶽山頂部

 見学者は我々を含め10名程、天文ドームには60㎝反射望遠鏡と20㎝屈折望遠鏡が設置されている。どんな具合に見えるかワクワクしていたのに、ドームが凍りついて回転出来ないので観測は無理との担当者の説明にガックリ、しかし開閉部から見えた木星だけは覗かせてくれた。

 大型天体望遠鏡

 私のチッポケな望遠鏡とは違い、大型望遠鏡の威力は流石で素晴らしい木星像だった。接眼部にデジカメを付けて写真を撮ったけれど明るすぎて模様が飛んでしまった。

 手ブレでハッキリしない木星像(左にガリレオ衛星が2個写っている。)

 

 3月9日(月)     天気=曇り後雨

 今朝は今にも雨が降りそうな空模様なのでスキーは諦め、一般道をドライブしながら我が家へ戻る事にする。途中、道の駅や高遠城址を見物し、雁坂トンネル~秩父経由で夕刻我が家へ辿り着いた。

 高遠城址

 高遠城址から中央アルプス

 今回はスキーが目的の旅だったが、スキーを楽しむよりも初めて大型天体望遠鏡で観望できた事が一番印象的で嬉しい事だった。

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御嶽山、王滝スキー

2015年03月08日 | 旅行

 3月8日(日)
 昨日から王滝スキー場で滑っている。天気がパッとせず雪質も悪くて疲れるスキーだ。だから妻は休憩ばかりしている。
我々が宿泊しているのは、名古屋市営「おんたけ休暇村」という快適な宿です。60センチ天体望遠鏡が併設されており、是非とも覗いてみたい。今夜晴れてくれればよいのだけど。・・・・

 追信「そして夜、天文ドームが凍って回転しない爲、開閉部の隙間から木星だけ観測できました。さすが60センチ、大迫力の木星象で感動ものでした。

  王滝スキー場ゴンドラ山頂駅(標高2240m)

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年に一度の確定申告、そして明日から王滝村へ

2015年03月06日 | 日記

 3月6日(金)

 年に一度の確定申告の為、最寄りの税務署へ行ってきた。どうせ税務署は混んでいるだろうと、近在のショッピングモール駐車場に車を停め折畳み自転車で向かった。

 ところが税務署の駐車場は意外にも空いていた。例年2月中旬に行くのだが、遅い時期に行ったのが功を奏したようだ。いつも大腸のように折れ曲がった行列に並ぶのが常だけど、署内もそれ程混んでおらず椅子に座って待つ事ができた。来年からは3月になってから行く事にしよう。

 係員のサポートがあるとはいえ、申告書類のパソコン入力は何故か緊張する。基本的に私はセコイ性分なので、少しでも税金を安くしたという思いが強いからだろう。入力は10分程で終わった。国税は還付も支払いも無かったので、あと地方税が幾らになるか気に掛かる。どうか老プロレタリアを苛めないでネと願うばかりです。

 ところで話変わって、去年噴火した御嶽山の立入制限区域が緩和され山麓の王滝スキー場が2月末に遅いオープンをしたので、妻と明日から二泊三日で滑ってきます。地元、王滝村は人口1千人にも満たぬ小さな村で観光が主産業だが、今回の噴火で大打撃を受けている。我々が行く事で地元経済に少しでも貢献できるのではという思いがあるのです。

 村の活性化の為、一人でも多くの人が観光に訪れて欲しいものだ。そこで私は国に提言したい。今後数年間、王滝村の観光で使ったお金は全て税額控除の対象となる。・・・・オォ我ながらグッドなアイデアではないか。

 意外に空いてた申告会場

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クリント・イーストウッド監督映画「アメリカン・スナイパー」

2015年03月04日 | 映画・コンサート

 3月4日(水)

 クリント・イーストウッドが大好きで彼が監督する映画は殆ど観ている私は、話題の最新作「アメリカン・スナイパー」もさっそく観にいった。

 この映画はイラク戦争時に米国軍で最強の狙撃守と呼ばれた実在の軍人クリス・カールの自叙伝を実写化したものです。映像はドキュメンタリーと見間違う程緊迫感があり、クリント・イーストウッドの手腕が遺憾なく発揮されています。

 主人公のカールはイラク戦争で160名以上の敵を射殺した恐るべき射撃の名手、その活躍に敵は恐れ味方は賞賛し伝説の狙撃手と呼ばれる。しかし度重なる戦闘の中で彼の精神は徐々に蝕んでいく。

 四度目の遠征で戦友を殺した敵の最強狙撃手を射殺して仇を返したカールだが、その直後圧倒的な敵軍に襲撃され危うく難を逃れる。これを機に心身の限界を感じたカールは軍を除隊し家族の元へ帰る。

 除隊後しばらくは戦禍の後遺症に悩まされるが、徐々に癒されて愛する家族と平穏な日常を取戻していく。しかし平和な暮らしも長くは続かなかった。

 軍の英雄でもあるカールは、心身の障害を負った退役軍人達の支援を熱心にやっていたが、ある日心疾患の男に射殺され、突然この世を去る。イラク戦争の英雄の死を悼む数多くの米国民は、星条旗をかざして沿道に並びカールの遺体を乗せた車を見送った。

 ラストシーンの彼の葬儀は演じられたものでは無く、実際に執り行われたクリス・カール本人の葬儀をドキュメンタリーで映している。それがこの映画の結末を重々しく締めくくっている。 

 これは反戦や戦意高揚とは又別次元の映画で、クリス・カールという非凡な軍人の過酷な生き様をリアルに描いたインパクトのある映像だった。クリント・イーストウッド監督の秀作で、充分に見応えがあるお勧めの映画でした。

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