Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

群馬、岩櫃山&嵩山登山

2015年11月30日 | 山歩き

岩櫃山登山 

11月28日(土)   天気=晴れ時々曇り

07:56蜜岩コース登山口駐車場→  09:18~09:30岩櫃山山頂→ 10:20~37岩櫃城址跡→ 10:55平沢登山口駐車場

 

 「Fさん岩櫃山&嵩山へ行かない。」とテニス仲間のYさんから誘われた。「エッ岩櫃山&嵩山ってどこにあるの?」とPCで検索したら、JR吾妻線沿線に在る1000mにも満たぬ低山だった。しかしYさんの話ではけっこうな岩山で鎖場も多いらしい。

 今朝は女性4名、男性4名、計8名の仲間が参加し、Yさんと私の車に分乗して出発した。吾妻線の郷原駅手前で国道を右折し、狭い道をしばらく行くと岩櫃山登山口の駐車場があった。目前には岩櫃山の迫力ある岩峰が聳えている。集落の間の細い道を歩いて行くとすぐに登山口に着いた。

 蜜岩コース登山口駐車場から岩櫃山

 登山口付近

 登山口から稜線までの道は一気に登りの急登で、落葉が積もり滑りそうなので少し歩き難い。ジグザグに登って行くと直に稜線に達した。稜線を右に進むと鎖場が連続する岩場の道になる。

 稜線に向け急登

 稜線間近

 そして今日一番の難所「天狗の架け橋」に着く。ここは両側が切り立った幅の狭い平均台のような難所、長さは5~6mくらいだが、最狭部は靴巾分しかないので渡るにはちょっと勇気がいる。左手に迂回路があるから高所恐怖症の人はそちらを行った方が無難だ。我々のパーティは皆山慣れ下人ばかりなので易々と通過した。(てっ事にしときましょう。)

 天狗の架け橋

 天狗の架け橋の先も鎖場が何箇所か続き、岩の穴を潜る箇所もあって変化に富んだ面白い道だ。そして最後10m程の鎖場を攀じ登ると岩櫃山(802m)に到着した。岩峰の突端である山頂からの眺めは抜群で360度の展望、白銀の浅間山を始め関東平野外縁の山々が見渡せる。

 鎖場

 登山口方面の集落

 岩穴を通過する。

 登山道から遠く浅間山方面(中央奥の白い山)

 山頂直下の岩場を登るSさん

 山頂から中之条市街と右奥、子持ち山方面

 岩櫃山山頂

 

 山頂を後にすると平沢集落へ至る沢通りコースを降る。岩壁と岩壁の狭い隙間を降って降るとやがて緩やかな樹林帯に入った。途中岩櫃城址跡に向かう道が右に分岐していたので立寄ってみる。岩櫃城址跡は樹林に囲まれ展望は無いものの、あずまやとベンチがあって良い休憩ポイントだ。

 岩櫃山山頂

 沢通りの下山道

 岩櫃城址跡地

 城址跡から更に樹林の道を緩やかに降ると、意外にアッケなく平沢登山口の駐車場に到着した。こちらから岩櫃山へ登る人が多いとみえて、駐車場は10台以上の車が停りほぼ満杯だった。ここで軽く食事をとり、次は中之条町の北に聳える嵩山に向かいます。

 平沢登山口駐車場

 

 嵩山登山

12:00道の駅嵩山→ 12:30~41小天狗→ 12:51~53中天狗→ 13:10~20大天狗(嵩山最高地点)→ 14:00道の駅嵩山

 

 岩櫃山から嵩山の登山口がある「道の駅霊山たけやま」まで10キロ足らずしか離れておらず20分程で到着した。道の駅から嵩山へは小天狗へ向かう表登山道と大天狗へ向かう東登山道の二つがあり、我々は表登山道を登って行く。良く整備されたつづら折りの道だが、先程昼飯を食ったせいか、何となく脚が重い。休まず歩いて20分程で稜線に達し、左に曲ってしばらく行くと岩を積み上げたような狭い小天狗の山頂に着いた。

 道の駅霊山たけやまの駐車場

 表登山道

 小天狗山頂

 山頂からの眺めは岩櫃山山頂に劣らず素晴らしい。志賀の山々や浅間山は既に白雪を纏い冬山の佇まいだ。榛名山や赤城山も山頂部は白い雪化粧をしている。記念の写真を撮り終えると尾根道を伝い嵩山の最高地点、大天狗へ向かう。登山道沿いには石仏像や石の祠等信仰の遺跡が多い。中間地点のピーク中天狗は展望は無く、山頂標識と小さな祠が在るだけだった。

 小天狗から岩櫃山方面(中央手前の小さな山)

 小天狗から榛名山方面

登山道沿いの石の祠

 同じく石の仏像群

 やがて東登山道が右手から合流し、その先の長い鎖場を登ると大岩が鎮座する嵩山最高峰、大天狗(789m)だった。この山頂も360度の展望で眺めが良く、登山口の道の駅が真下に見える。山頂での記念写真を終えると東登山道を降って行く。

 大天狗から道の駅霊山たけやま

 大天狗山頂

 山頂直下の長い鎖場

 しばらく降るとオーバーハングした真っ白な岩壁が現れた。岩壁の真下の標識は「一杯水」と書かれており、岩壁の隙間から雨垂れる滴がその名の由来なのだろうか。又岩壁の右端には、弥勒穴という仏像を収めた岩穴もあった。

 一杯水の岩壁

 弥勒穴(中央上部)

 東登山道も良く整備された道で歩き易く、ユルユル降って登山口の道の駅に戻って来た。車に乗ると吾妻川の河畔に建つ日帰り温泉「小野上温泉」で山の汗を流す。ここは広々として綺麗な施設で、料金(2時間=410円)も安く中々快適だった。

 東登山道入口

 岩櫃山、嵩山いずれも小さな山なので、高尾山くらいのつもりだったが、意外や意外、山椒は小粒でピリリと辛いスリルと歴史のロマンあふれる見所満載の山だった。長年山歩きをしているけれど、まだまだ私の見知らぬ魅力ある山があり、日本の山も奥が深い。

 

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冒険家「植村直己」を偲び開催された2015日本冒険フォーラム

2015年11月27日 | お出掛け

 11月27日(金)

 週末の日曜日、冒険家植村直己さんを偲んで「2015日本冒険フォーラム」が、彼の母校明治大学アカデミーホールで開催されたので、妻と二人で会場へ赴いた。

 このイベントは、植村さんの出身地で「植村直己冒険館」がある豊岡市が主催して4年に一度開催されている。会場には植村さんゆかりの品々や写真が展示され、フォーラムでは彼の記録映像や彼をよく知る知人友人の講演、最後は現在活躍している冒険家、登山家の人達や女優の市毛良枝さんをゲストに、冒険について語りあうプログラムになっている。

 植村さんがアラスカのマッキンレー(デナリ山)で消息を絶って久しいが、今だ彼の人気は衰えぬようで、会場は満席の盛況(入場無料という事もあるが)です。

 私が「植村直己」という名を知ったのは、彼が日本人として初めてエベレストに登頂した頃だから45年以上前になるかな。当初は武骨で厳つい山男というイメージを持っていたが、映像で見る彼は朴訥な田舎のお兄ちゃんといった風情で、その人柄にとても好感を覚えた。

 その後彼は五大陸最高峰登頂や北極点単独行等を成功させ、世界的な冒険家になって行く。最後は冬のマッキンレーを単独登頂後、下山途中で遭難し消息を絶ってしまった。あの時は生還を強く願ったけれど、絶えず極限に挑戦し続けなければならぬ冒険家としての宿命だったのかも知れない。

 フォーラムでは現代の冒険家達の生々しい声が聞けて中々面白かった。このイベント今回は二回目だが、最初に開催された4年前は東北大震災の直後だった。あの時の日本は絶望的な状況だったが、冒険家達のポジティブな発言が随分私を勇気づけてくれたものだ。

 次回開催するとなれば東京オリンピック前年の2019年になる。できれば再び出席したいが、その時の私はまだ相変わらず山歩きをやってるであろうか。それとも認知症を患い市街を彷徨っているかも・・・・あるいは鬼籍の人となりあの世へ旅立っているかも知れない。

 フォーラム会場(左から進行役の江本嘉信伸さん(ジャーナリスト)。 市毛良枝さん(女優)。

大場満郎さん(冒険家)。岩野祥子さん(南極越冬隊員)。荻田泰永さん(冒険家)。

武田剛さん(アドベンチャー取材記者)

 

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山梨県、三つ森北峰~奈良倉山登山 

2015年11月25日 | 山歩き

11月24日(火)   天気=晴れ曇り

 

07:45富岡バス停→ 08:30~33 662ピーク→ 10:16~30三つ森北峰→ 10:58~11:00大寺山→ 11:15小寺山→ 11:36~45西原峠→ 12:18~13:14佐野峠→ 13:54~14:08奈良倉山→ 14:45~53鶴峠→ 15:30小菅村、小永田

 

 奥多摩山地の西端、鶴峠から奈良倉山~西原峠を経て中央沿線の権現山に延びる山稜は、古い地図には登山道が無く未知の山域だったので一度は歩きたいと思っていた。未明に我家を出発し、小菅村の日帰り温泉「小菅の湯」にはAM6時頃着いた。

 富岡のバス停

 07:06発の大月駅行始発バスに乗って40分程で大月市駒宮集落の富岡バス停に着いた。ここから歩き始める。今朝は朝から蒸し暑く、長袖シャツ1枚でも汗が滲み出る。集落の狭い道を「麻生山へ」と書かれた小さな標識を伝って進んで行く。

 麻生山への登山口

 程なく「長尾根」沿いの登山道に入った。最初は笹薮や倒木で歩き辛かったが、進むにつれ、落葉が積もった樹林の道に変った。駒宮嶺(584m)の小さなピークを越え、更に進むと地図に示された662m地点で標識は無くGPSで確認する。

 662m地点

 長尾根を更に登って行くと、麻生山から三つ森北峰に連なる稜線がだんだん近づいてくる。紅葉は盛りを過ぎたのかもう一つパッとしない。樹林の道は緩やかで気持ち良いが落葉と泥で滑り易く歩き難い。チョット踏ん張ったら先日ジョギングで痛めた右足脹脛がズキッと痛みを発した。

 ここで悪化したら登山を諦めねばならない。サポーターを装着すると何とか歩けそうだ。麻生山直前の標識で左へ曲がり、山腹のトラバース道を進んで行く。そして三つ森北峰の南隣りのピーク(これが南峰かな?)手前で稜線に合わさった。

 麻生山のトラバース道

 南峰?と北峰間は岩場の急登、急降下の険しい道で難渋した。辿り着いた三つ森北峰(1202m)には、何故か割れた大きな鏡が設置されていた。一体何の為にあるのだろう?山頂からは頭に白雪を乗っけた富士山が眺望できた。

 三つ森北峰手前の岩場

 三つ森北峰山頂

 山頂から南の眺め(右側手前は百蔵山その奥は丹沢の山々)

 北峰から大寺山へは穏やかな尾根道になったので歩き易くなったが、踏ん張ると右足がズキッと痛むので早く歩けない。大寺山(1226m)は小さな標識がポツンとあるだけの山頂で、樹林に囲まれ眺望は無い。

 大寺山山頂

 大寺山を降りしばらく行くと尾根が左右に分岐して、右の尾根へ進みそうになるが左の尾根が正しいルートで、「松姫温泉に至る」と書かれた標識が目印になる。小寺山手前で道が巾広い作業道に変った。小寺山(1165m)は広い尾根の高まりで標識は無く、GPSで確認する。

 私の地図には小寺山~西原峠間はヤブが多いとあったが、そんな事も無く幅広の作業道を進み、西原峠手前で作業道を離れ、鹿避け柵沿いに直進すると西原峠に着いた。峠から西には大菩薩連峰の眺めが良い。ここから松姫温泉に降る道が左に分岐しており、降ろうかという思いが一瞬浮かんだが、無理しなければ大丈夫と思いを改めた。

 西原峠手前から大菩薩連峰

 西原峠(右が松姫温泉へ降る道)

 西原峠から作業道は徐々に標高を上げていく。途中眺めの良い場所から見る富士山が絶景だった。西原峠から約30分程で佐野峠に着いた。12時を過ぎていたので、お湯を沸しここでランチタイムとする。

 佐野峠手前の道から富士山

 佐野峠

 具の無いラーメンとオニギリと缶ビールの昼食

 1時間のランチタイムを終え、ほろ酔い気分で出発する。作業道沿いに北へ進んで行くと前方にゆったりとした山容の奈良倉山が見えてきた。十文字峠(標識無し)に降り、そこから奈良倉山へ作業道は緩やかに高まって行く。

 作業道から奈良倉山への分岐地点

 やがて右手に「奈良倉山」と書かれた標識があり、そこから樹林の中の踏み跡を登って行くと程なく奈良倉山(1349m)に着いた。樹林の山頂は広々としており西の方角から富士山を望む事ができる。時間は既に午後2時、計画ではこの先、松姫峠~鶴寝山を越えて小菅の湯に下山する予定だったが途中で暗くなってしまいそうだ。予定を変更してここから鶴峠に降る事にする。

 奈良倉山山頂

 山頂から樹林の中を東へ直進すると鶴峠に降る登山道に合流し、その後は登山道沿いに降って行く。山頂から40分程で県道が通る鶴峠のバス停に着いた。時刻表を見ると小菅の湯へ向かう村営バスは30分後だ。30分待つなら歩こうと車道をテクテク降って行く。

 鶴峠へ降る道

 鶴峠のバス停

 小菅の集落に入るとけっこうアップダウンの道が続きだんだん疲れてきた。ちょうどそこへ村営バスがやって来て、運転手さんが「乗りますか?」と声を掛けてくれた。これ幸いとバスに乗りアッケなく小菅の湯に到着した。料金はたったの100円で、これなら峠で30分待ってりゃ良かったと後悔した。

 私を乗せてくれた村営バス(小菅の湯)

 小菅の湯で山の汗と疲れを流した後、我家へと帰宅の途についた。今日は計画通りでは無かったが、目標としていた未知の山域を歩き通す事が出来た。右足の痛みも大事に至らず取りあえず満足の山行だった。

 

 

 

 

 

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上野の西洋美術館で開催された「古代地中海世界の秘宝、黄金伝説展」見学

2015年11月23日 | お出掛け

 11月22日(日)

 最近久しく東京都内へ足を向けていないが、新聞販売店から上野の西洋美術館で開催されている「古代地中海世界の秘宝、黄金伝説展」のチケットを貰ったので、ゲージュツ鑑賞がてら久し振りに都内へと出掛けた。

 朝早い時間に出発したので時間がたっぷりある。「東大の赤門辺りイチョウが黄色く紅葉してるかも」と妻が言う。そう言えば関東地方に住み着いて40年になるけれど、凡庸なる一般庶民には縁の無い所と、今だ東京大学を見た事が無い。

 赤門付近のイチョウは紅葉にはまだ早く黄と緑のまだら模様だったが、東大の構内がフリーパスで誰でも自由に出入り出来る事にチョット驚いた。日本の優れた頭脳が集まる最高学府に、こんなボンクラが侵入してよいのかと怯えつつ構内へ恐る恐る足を踏み入れた。

 東大の赤門

 三四郎池

 安田講堂

 妻が言うには、ここは加賀前田藩の元藩邸だったとの事、広大な構内は三四郎池や安田講堂等自然や見所も多く、金を使わずけっこう観光を楽しめた。30分程見学したが、東大の空気を吸ってチョット賢くなったように思うのは気のせいだろうか。

 東大を出るとその足で不忍池を渡り西洋美術館のある上野公園に向かった。国立博物館前の広場では数多くの露店が並び賑やかなイベントが行われていた。ちょいと覗くとそれは、忍者で有名な伊賀上野市のイベントだった。同じ上野つながりでやっているのだろうか。忍者に興味は無かったけれど、美味しそうな匂いにつられ、オニギリと団子汁を買って昼飯にした。

 上野、不忍池

 伊賀上野忍者フェスタ

 休日とあって上野公園は混雑していたけれど西洋美術館は意外に人出は少なかった。「古代地中海世界の秘宝、黄金伝説展」の展示品で多くを占めるのが金で細工された品々で、中には6千年前に作られた世界最古の金製品もあった。古代の人々の高い技術力には感心させられるが、金など無縁な私は見学していても、「これで一体幾らするんだろう。」と銭勘定ばかりが頭の中を巡った。

 国立西洋美術館

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「起終点駅ターミナル」という映画を観て

2015年11月21日 | 映画・コンサート

 11月21日(土)

 ポイントが溜まって1回タダで鑑賞できるので映画館へと足を運んだ。そして観たのは「起終点駅ターミナル」という映画、その理由は「佐藤浩市」「尾野真千子」という好きな役者さんが出演していたからだ。

 ストーリーをサクッと流せば、裁判官である主人公の鷲田(佐藤浩市)は、被告となった昔の恋人冴子(尾野真千子)と法廷で再会する。再び不倫の愛を燃やす二人だが、逃避行の最中、冴子は鷲田の目前で自らの命を絶つ。

 深く傷ついた鷲田は妻子と別れ、道東の釧路で国選の弁護士として孤独な日々を過ごす。そんな鷲田が、ある日敦子(本田翼)という若い女性の弁護を引き受ける。敦子に冴子の面影を見た鷲田は、彼女を立直らせようと努力する。敦子もそんな鷲田に気を許していく。・・・・とマァこのような物語です。

 最果ての街、釧路を舞台に人生の孤独や切なさを描きたかったのであろうが、全般にメリハリが無くて、切なさや優しさ等、観る人の心を揺さぶるようなシーンに出会えず、気の抜けたビールを飲んだような気分になった。

 更に言えば、威勢のよい尾野真千子さんに薄幸の女性はあまり似合わず、不幸な生い立ちというには本田翼さんはあまりに明るく素直な美少女で、ちょっと不自然だった。

 マア悪くは言ったけど、映画に関する感性は人それぞれだから、良かったと言う人も多くいるだろう。でもタダ券で観て言うのも何だが、私にとってはチョット期待外れでガッカリの映画であった。

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終活で使わぬ登山道具を処分

2015年11月19日 | 日記

 11月19日(木)

 遠からぬあの世への旅立ちでも意識したのか、最近妻がやたらと身の廻りの品々を整理し始めた。所謂「終活」というやつだろうか。そして「コレいるの?アレいらないの?」と、その矛先が私にも向けられた。

 以前観たテレビ番組で、ある生活評論家が「3年間使わなかった物は捨てなさい。」と話したのを聞いた記憶がある。私は根っからのケチで貧乏性だから、狭い我が家にそんな品々は大して無いと思っていたが、棚の奥にそれらは存在していた。

 それらとは昔使っていた登山道具で「4~5人用のドーム型テント」、「40mザイル」、「大型の コッフェル(登山用食器)」、「ハーネス、カラビナ等登攀用具」等の品々だ。

 いずれも確実に20年以上前から使用していないし、今後も100%の確率で使用しないだろう。いずれはと未練がましく持っていたのだけれど、思い切って処分する事にした。

 そして最後に残ったのが「45㎜径、40mの防水ザイル」これは昔所属していた山岳会の共同装備品で、会が解散する時に私が譲り受けた物だ。購入後たった1度しか使用しておらず捨てるには惜しい。

 登山で使わずとも我家のマンションに火災が起きた時の脱出用として、あるいはいよいよ家計が行き詰まり生活が破たんした時の首つ・・・・(オォくわばらくわばら)

 リサイクルショップへ持ち込んだって1円にもならぬだろうし、まあ青春時代の証としてもうしばらくは持っていようかな。

 青春の証、クライミングザイル

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ハーフマラソンを来月に控え、右足に肉離れの兆候

2015年11月17日 | マラソン

 11月17日(火)

 2年前の今頃は脊柱管狭窄症で苦しんでおり、最悪時は50mも歩けぬほどだった。その後病院や整骨院に通い、自分なりのエクササイズ等を続けて症状はやがて改善した。

 元気になれば気持ちも前向きになって、再びフルマラソンを走ってみたいと思うようになった。「歩くと事もできなかった脊柱管狭窄症患者がフルマラソンを完走する。」、世間的な評価は無くとも私的には壮大な夢である。

 その夢に向け、去年は10キロレースを幾度か走り些かの自信を得て、来月小川町で行われるハーフマラソンに挑戦する予定だ。これを容易にクリアできれば、フルマラソンがいよいよ現実味を帯びてくる。

 大会に備えて数日前、予行練習として2時間走をやってみた。ところが1時間30分程経ったところで右足脹脛がピリリと痛みを発し、それ以降走れなくなった。場所が我が家から7~8キロも離れた場所だったから、テクテク歩いて我家に戻り着くまでのマア遠かった事。

 痛みを発した箇所は以前にも肉離れをやらかした部位、もし肉離れの再発ならばしばらくは走る事は無理だろう。壮大な夢に暗雲が覆ったようで、些か意気消沈、壮大な夢がスーッと遠のいてしまったようだ。

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我が街の産業祭りに行ってみた。

2015年11月15日 | お出掛け

 11月15日(日)

 昨日、車で市の運動公園を通りかかったら、多くの露店が並び賑わっている。そうだ毎年恒例、我が街の産業祭りが今週土日開催されていたのだった。それ程興味も無かったが、ブログネタにでもなればと散歩がてら会場へ行ってみた。

 駅から遠く田園地帯のど真ん中に在る運動公園は交通アクセスが悪いのだけど、予想以上に多くの人出で賑わっている。ローカルなありふれたイベントだけど、休日の暇つぶしにちょうど良いのかも知れない。

 露店から美味しそうな匂いが漂っていたので、取りあえずモツ煮とインドのサモサと生ビールを注文してお昼代りにした。常人の1/3しかない私の胃はもうこれだけで充分満腹になり、サザエやらホタテ、焼き鳥等他にもっと美味しい物があったのにと少し後悔した。

 ブログ用の写真をと周囲を見渡せる場所でカメラを構えたら、同じく隣で写真を撮っていた男性が何処かで見たような顔、そうだ我が街の市長さんではないか。広報紙やポスターではお馴染みだが、実物は初めてお目にかかった。全国に名を知られぬ極めて地味な我が街だが、市長さんも群衆に溶け込んで地味そうなお方だった。でも私は、親分面して踏ん反り返った奴より、こんな控えめそうな人の方が好感が持てるけど。

 食べて写真を撮ったらする事も無くなったので、会場を後にした。そしてこのブログを綴っていると外はもう真っ暗だ。夕飯時というのに都内へ出掛けた妻はまだ帰って来ない・・・・とグチっていたら玄関のドアが開く音がした。

 産業まつりの会場

 お笑いコンビ(ツインクルと言ったかな?)の司会でオヤジのハゲ頭対抗戦というイベントが、あまりにローカル過ぎて物悲しい。

 会場となった我が町の運動公園(ちょっと良い所でしょ。?)

 

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中国地方の観光地

2015年11月14日 | 旅行

 先日、3百名山登山で中国地方を訪れた際、各地の観光地巡りもしたので

サクッと写真でご紹介します。

 

 第3セクター若桜鉄道終点「若桜駅」に展示されている蒸気機関車C12  (10/26)

 鳥取市河原町の「河原城」(最近建てられたお城で鳥取自動車道からよく目立つ。)  (10/26)

 河原城から鳥取市街方面(中央奥)  (10/26)

 鳥取砂丘(10月27日)  (10/27)

 鳥取砂丘で栽培されるラッキョウ畑  (10/27)

 夕暮れの鳥取市浜村海岸(10/27)

 兵庫県佐用町の宿場町平福 (10/28)

 宿場町平福を流れる作用川(10/28)

  石見銀山の略図 (10/30)

 石見銀山ボランティアガイドのおじさんから説明を受ける。 (10/30)

 石見銀山の武家屋敷(渡辺家) (10/30)

 一番最後まで稼働した清水谷の製錬所跡 (10/30)

 龍源寺間歩(坑道)前で記念写真 (10/30)

 こんな間歩(坑道)が幾つもある。 (10/30)

 公開している龍源寺間歩の入口 (10/30)

 龍源寺間歩坑道内 (10/30)

 坑道内から更に毛細血管のように坑道が延びている。 (10/30)

 坑道内の説明板 (10/30)

 石見銀山住居跡地 (10/30)

 石見銀山大森地区の古い街並み (10/30)

 出雲市の多岐海岸 (10/31)

 足立美術館(料金が¥2300と高額なので私は入場せず妻だけ見学)  (10/31)

 足立美術館の庭園  (10/31)

  先日国宝に指定された松江城 (10/31)

 松江城から松江市街(遠く伯耆大山が見える。)  (10/31)

 松江郷土館(お城に隣接し、戦前は県の迎賓館)  (10/31)

 夜の松江城  (10/31)

 お城のお祭りで明りのデコレーション  (10/31)

 鳥取県倉吉市の古い街並み (11/1)

 倉吉市街頭の可愛い像 (11/1)

 昭和の香り漂う三朝温泉街 (11/1)

三朝温泉河原の露天風呂 (11/2)

 鳥取県佐治町の田園風景 (11/2)

  兵庫県竜野市の武家屋敷と奥に竜野城  (11/2)

 姫路城大手門 (11/2) 

 三の丸広場から姫路城 (11/2)

 (11/2)

 姫路城正門 (11/2)

 姫路城直下 (11/2)

 姫路城内部 (11/2)

 姫路城最上階天守閣 (11/2)

 姫路城から姫路駅方面 (11/2)

  (11/2)

 姫路城歴代の鯱 (11/2)

 姫路城西の丸(大奥)の内部 (11/2)

 西の丸から姫路城 (11/2)

 近江八幡市の日牟禮八幡宮 (11/3)

 近江八幡市の商人屋敷街  (11/3)

 八幡小学校の立派な校舎  (11/3)

 近江八幡市の掘割  (11/3)

 彦根城の彦ニャン (11/3)

  彦根城正門  (11/3)

 彦根城 (11/3)

 彦根城から伊吹山方面 (11/3)

 彦根城内部 (11/3)

 彦根城から琵琶湖 (11/3)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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鳥取県、三徳山投入堂参拝登山 

2015年11月12日 | 山歩き

11月1日(日)   天気=曇り

10:30第一駐車場→ 10:40~51三徳寺本堂(登山受付所)→ 11:33~36投入堂→ 12:02三徳寺本堂(登山受付所)→ 12:12第一駐車場

 

 三徳山投入堂は、石見銀山と共に妻が今回のツアーで絶対訪れたいと言っていた場所だ。断崖の中腹に建つお堂だが、最近テレビ等でよく放映されるからご存じの方も多いだろう。週末という事もあり、お寺の駐車場は混んでいたが何とか停める事ができた。

 三徳山の第一駐車場

 お寺の受付案内所

 車道から階段を上がった所に受付案内所があり400円の拝観料を払って境内に入る。更に階段を登ると本堂があり、その奥に登山受付所があった。ここで入山の手続きをするがチェックがけっこう厳しい。

 本堂(右奥に登山受付所がある。)

 まず運動しやすい服装で、靴はトレッキングシューズか登山靴がベター、普通の革靴やサンダルは勿論、底が擦り減ったり金具の付いた運動靴もダメだ。ダメな人はワラジを有料で購入(¥500円?)せねばならない。

 登山受付所

 チェックが済むと200円の登山料を払い入山記録に記帳して「六根清浄」と書かれたタスキを受取りやっと出発できる。だからここで投入堂への参拝を諦める人もけっこういる。

 宿入橋手前の御神木

 御神木の間を抜けて宿入橋を渡り最初から急な登山道が始まる。木の根や岩場の多い道はけっこうハードで、山慣れぬ人には大変だ。その上行き交う人が多過ぎて渋滞が起き、中々スムーズには歩けない。

 木の根と岩場の急登

 文殊堂直下の鎖場が急でコース一番の難所、文殊堂の縁側から良い展望だけど柵が無く、足元は断崖なのでもし転落したら大変な事になる。文殊堂の上が地蔵堂でいずれも重要文化財の建物だ。更に行くと鐘楼で、参拝者は皆ここの鐘をついて行く。

 文殊堂直下の鎖場

 分殊堂縁側からの眺め

 鐘楼

 馬の背のような岩場を通過すると断崖に埋め込まれたように建つ観音堂に着き、その先が目的地の国宝「投入堂」で登山受付所から約40分程の道程だった。断崖の中腹に建つお堂は正に天下の奇観、容易に近づけぬ場所によくぞ建てたものだと思う。

 馬の背の岩場

 観音堂

 元結掛堂

 国宝「投入堂」

 しばらく眺めていたが、次から次と人が押寄せるので場所を空け下山を開始する。来た道を降り、投入堂から約30分程で登山受付所に戻って来た。短い時間だったが、けっこう楽しめた。妻は「吾妻山登山よりきつかった。」と言う。参拝を終え精進したので今宵はちょいと贅沢して、名湯三朝温泉に在る創業300年の宿「橋津屋」に泊ります。

 宿入橋に戻って来た。

 三朝温泉、橋津屋旅館

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島根県、三瓶山登山(詳細)

2015年11月11日 | 山歩き

 10月31日(土)   天気=晴れ

07:22北の原登山口(青年の家駐車場)→ 07:44男三瓶山分岐→ 08:31~45男三瓶山→ 09:16~22女三瓶山→ 09:43男三瓶山分岐→ 09:58北の原登山口

 

 昨夜は出雲市の日本海沿いに在る道の駅「キララ多岐」で車中泊した。今日は三瓶山に登るのだが、朝方妻が「疲れたから一人で行って来て、道の駅で待ってるから。」と言う。連日の登山だから確かに疲れもあるだろう。しかし最後の登山くらい一人気儘に歩かせてやろうという妻の優しい配慮があるような気がしないでもない。

 という事で愛妻(生まれて初めて使った。)を道の駅に残し、私は一人三瓶山へ向った。道の駅から1時間程で着いた北の原登山口は、青年の家や三瓶自然館等の施設があり公園のように整備されている。青年の家の駐車場に車を停め、出発する。

 広々とした青年の家駐車場

 最初は緩やかな樹林帯の道、20分程歩くと道は分岐し左は女三瓶山への道、私は右折して男三瓶山へ向う未知に入る。分岐から男三瓶の山頂まで直線距離で約1000mそして標高差400mだからかなりの急登だ。しかしジグザグに刻まれた道は歩き易くグングン高度を上げて行く。途中男性二人組を追抜いただけで誰とも会わず静かな道が続く。40分ほど急登を頑張ると、やっと平たい山頂部が前方に見えた。

 男三瓶山分岐

 山頂間近の樹林帯

 分岐から45分程で男三瓶山(1126m)に到着した。山上高原のような山頂からの展望が素晴らしい。北側は一面日本海が広がり、北東の方向には出雲市街が小さく見える。山頂の一隅には避難小屋が建ち古い建物だが良く整頓されて居心地良さそうだ。

 男三瓶山山頂

 山頂から遠く出雲市街方面と日本海

 山頂に広がる草原

 山頂の避難小屋

 山頂には15分程滞在し、東に位置する女三瓶山に向かって急坂を降って行く。標高差は200m程だが、男三瓶から見ると女三瓶は随分低く見える。最低鞍部に近づくと室内池の丸い湖面が右手に見えた。

 女三瓶山方面

 下山の道から男三瓶山山頂部

 室内池と孫三瓶山(右奥)

 最低鞍部から女三瓶山への登りに入ると俄然登山者が増えて続々とやって来る。山頂間近に来てその理由が判った。山頂直下まで「さんべ温泉スキー場」のリフトが運行しており多くの登山者はそれに乗って来ているようだ。

 女三瓶山からさんべ温泉スキー場

 最低鞍部からアッケない登りで女三瓶山(953m)に着いた。山頂一帯はアンテナ群が林立し、チョット興ざめの雰囲気、しかし西には男三瓶が雄大に聳え、その南側に子三瓶山(961m)や孫三瓶山(903m)が連なって可愛く聳えている。

 女三瓶山山頂のアンテナ施設

 山頂から男三瓶山

 山頂から孫三瓶山(左)と子三瓶山(右)

 この山頂で休憩する気にもならず写真を撮り終えるとアンテナ施設の間を抜けて北の原登山口へと下山を開始する。下山の道は緩やか且つ明瞭で歩き易く重力に引かれるままグングン降って行く。

 北の原へ向かう下山の道

 女三瓶から20分程で男三瓶山分岐に着いた。分岐手前にコンクリートの建物があり何かと思ったらトイレで、その立派さに驚いた。分岐から遊歩道のような樹林の道を歩いてAM10時頃、北の原登山口へ戻って来た。

 山中には立派過ぎるトイレ

 これで今回目的の山は全て登り終えたが、月曜日から土曜日まで毎日欠かさずお仕事するように登れるとは思わなかった。お天気様々です。これからは妻がリーダーとなりアチコチ観光巡りの予定、どんな無理難題が待っているだろうかとヤヤ不安。

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山仲間Sさんから野菜の差入れ

2015年11月10日 | 日記

 11月10日(火)

 昨日は朝から雨模様で、妻はさっさとサークル活動に出掛け、私はテニスの予定が中止になったので、家でパソコンと戯れ無為な時間を過ごしていた。そこへ突然山仲間のSさんからの電話があった。「Sだけど、野菜入ります?」

 Sさんはこうして時々、自分で栽培した野菜を我が家に差入れてくれる。私は野菜大好き男(除く人参)だし、妻は以前からベジタリアンなので新鮮な野菜の差入れは大歓迎だ。我家のマンション下まで来てるというので、慌てて1階へ降りて行った。

 玄関に出るとSさんが待ち構えたように私へビニールに入った野菜を手渡し、「上に上がってお茶でも」という私の言葉を尻目に、「じゃあね。」と言ってメガネをキラリと光らせ風のように去って行った。お礼を言い損ねたので、ブログで御礼の一言「Sさんいつもありがとうございます。美味しくいただきます。」

 Sさんから差入れの野菜

 

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広島・島根県境、吾妻山登山(詳細) 

2015年11月10日 | 山歩き

10月30日(金)   天気=曇り

08:12吾妻山国民休暇村→ 08:41~48吾妻山→ 09:04南ノ原分岐→ 09:23吾妻山国民休暇村

 

 昨夜宿泊した「吾妻山国民休暇村」の標高が1000mあり、吾妻山までの標高差がたったの240m程しかない。しかも宿から山頂まで直線距離で僅か1キロで、窓から山頂標識が肉眼で見える近さである。これじゃ登山と言うより裏山散策と言った方が的を得ている。

 吾妻山国民休暇村本館

 本館裏の大池

 そんな気分で宿から歩き始める。近くに点在する池には、朝食を終えた幾人かの宿泊客が散策を楽しんでいた。牧場の様な草原をしばらく登るとベンチが一つ置かれた小彌山(コミセン)と呼ばれる丘に着く。ここから緩やかな尾根越しに吾妻山までもう僅かな距離だ。

 吾妻山への登山道

 小彌山から吾妻山

 その緩やかな道を伝って吾妻山に到着した。宿から歩いてたったの30分だった。これじゃアッケなくて朝飯の腹ごなしにもならない。360度の展望だけど曇り空の下、墨絵のように色彩の無い風景に心も弾まない。消化不良の気持ちのまま、早々に山頂を後にする。

 吾妻山山頂

 山頂から吾妻山国民休暇村方面

 南ノ原に向かう下山道

 下山は南ノ原に向かう草原の明るい尾根道、ススキの原を抜けると南ノ原分岐に着いた。此処を右折して国民休暇村へ向かう林間の散策路に入る。良く整備された心地よい道で幾人かの人が散策を楽しんでいた。昨夜泊った休暇村のコテージ裏を通過し国民休暇村の本館に戻って来た。今日は僅か1時間10分程の登山(散策)だった。

 南の原付近のススキ

 国民休暇村へ向かう林間の道

 昨夜泊ったコテージ(ガスストーブが切れ寒くてあまり寝れなかった。)

 タップリ時間があまったので、先年世界遺産になった島根県の「石見銀山」に向かう。お昼頃案内所に着き、PM1時からガイド案内があるというので便乗した。採掘跡やら史跡をボランティアのオジサンが約3時間を掛けて案内してくれた。

やはり詳細を聞きながら見学すると、この鉱山が世界遺産となった理由が良く理解できる。個人で採掘跡だけ見たら「何だ。こんな所か」とガッカリしただろう。有意義な時間を過ごせたと思う。正直今日は、吾妻山登山よりも石見銀山で約7~8キロを歩いた観光の方が疲れた。

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広島・鳥取県境、道後山登山(詳細) 

2015年11月09日 | 山歩き

10月29日(木)   天気=曇り後晴れ

08:15月見ヶ丘登山口→ 08:39岩樋山分岐→ 08:54~57岩樋山→ 09:15~30道後山→ 09:40大池→ 10:12岩樋山分岐→ 10:26月見ヶ丘登山口

 

 昨夜泊った「ひば・道後高原荘」は日本のトップ駅伝チームの合宿所として頻繁に使われているようで、食堂には多くの有名選手のサインが張られていた。私も1枚書いてあげようかと思ったが、可燃物として廃棄されるのがオチなので遠慮しておいた。

 宿泊した「ひば・道後高原荘」

 宿から見る岩樋山~道後山

 マッそんな戯けた冗談はとも角、道後山の登山口は山麓に広がる道後山スキー場ゲレンデの上部にあり、宿から車で10分程で着いた。この辺り標高1000mを越える展望の良い高台で月見ヶ丘と呼ばれる。広い駐車場や綺麗なトイレも完備して気持ちの良い所だ。

 月見ケ丘登山口(奥の山が岩樋山)

 連日続いた好天も今朝は曇り空で寒々とした風が吹き渡っている。地図も見ずトイレ横の踏み跡から出発したが、どうもこの道はキャンプ場への道らしく、正規のコースはその奥にあった。

 最初は平坦な林道を進むが徐々に傾斜が強まり、ジグザグに登山道を登って行く。登山口から25分程で分岐に着き、右は岩樋山山腹をトラバースし道後山へ向う道で、我々は岩樋山へ向う左の道を進む。

 分岐手前のあづまや(山麓の展望良し)

 更に傾斜が強まるが、それも大した時間では無く分岐から15分程で広々とした岩樋山(1271m)に着いた。360度の展望だが、山頂を吹き抜ける風が冷たくて、早々に出発する。

 岩樋山山頂(右奥の平たい山が道後山)

 岩樋山の降りから見る道後山

 岩樋山と道後山の間はゆったりとした尾根で高原を散策しているような気分だ。最低鞍部からゆったり登り、岩樋山から20分足らずで道後山(1269m)に到着した。こちらも岩樋山と似たような佇まいだが、二百名山に名を連ねている分だけ、山頂標識が立派だ。

 道後山の登りから見る岩樋山(左の山)

 道後山山頂

 陽が差し始めて暖かくなったので少しノンビリ周囲の景色を楽しんだが、昼飯には時間が早くお腹も空かぬので、15分程滞在し山頂を後にする。下山は大池経由の道を降った。道後山の山腹にある大池は、名に大という字がついても実際は直径10mにも足りぬ小さな水たまりに過ぎない。それでも秋の高原を彩る一幅の点描にはなっている。

 下山途中、道後山を振り返る。

 大池と奥に道後山山頂部

 最低鞍部に戻り、岩樋山の山腹を捲いて降っていると下から一人のおば様がやって来た。単独の身が淋しかったのか声を掛けられて妻との会話が弾んだ。女の長話に少々イラついたが、優しく見守るのが紳士のマナーと大人しく会話の終りを待った。

 女の長話が弾む。

 登山口間近の登山道

 岩樋山分岐から来た道を降り10時半頃月見ヶ丘の登山口へ戻った。今日もたった2時間ちょっとの登山だった。この時間帯になると続々と車がやって来て登山の人で賑わい始めた。まだ時間がたっぷりあるので、この後広島県の庄原市や三次市等をドライブし今宵の宿「吾妻山国民休暇村」へ向かった。明日はここから吾妻山を登る予定です。

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映画「エベレスト」を観てヒマラヤの山を登ろう何て気は失せた。

2015年11月08日 | 映画・コンサート

 11月8日(日) 

 封切りを待ち望んでいた映画「エベレスト」を観た。これは1996年にエベレストで11名もの死者を出した山岳遭難を描いた映画です。遭難者の中には「難波康子さん」という日本人女性もおり、映画にも実名で登場します。

 この遭難は本にも書かれたから、私も既読してある程度は知っていたが、映画の臨場感が半端で無く凄い。まるで現実の遭難を目撃しているかのような気分で最後まで息を飲んで観た。

 又、3D効果のせいもあるがエベレストの迫力ある映像に圧倒された。これを観て思うのはヒマラヤの高山何てのは素人が立入るべき所では無く、一部のエキスパートにのみ許された過酷な世界であるという事です。そんなエベレストで商業登山を行うという危うさを、この映画は教えてくれる。

 そしてもう一つ感ずるのは、フルマラソンがスタートして折り返し点を経由しゴールに戻って初めて完走と言われるように、登山も登山口を出発し山頂をタッチして登山口に戻り着いた時、初めて登頂成功を言えるのではないかと言う事。 

 80歳でエベレストの山頂を踏んだ三浦雄一郎さんは偉大な人物だと思うが、自力でベースキャンプに戻れなかった時点で登頂成功とは言い難いのではないか。いずれにして私は命がまだ惜しいから、ヒマラヤに登ろう何て無謀な事は思わない。山麓から白い高嶺を拝めるだけで充分だ。

 最後にもう一言、登山が嫌いな人でもこの映画でエベレストを登った気分になれるので鑑賞されては如何です。ついでに遭難した気分も味わえます。まあ嫌いな人はその前に、何でこんな馬鹿げた事をやるんだろうと思うかも。

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