Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

初滑りの前に、スキー板の手入れとタイヤチェーンの装着練習

2024年01月31日 | 日記

 1月30日(火)

 今週末に障害者スキーサークルのツアーに参加する予定なので、その前の足慣らしで明日ナスパ湯沢スキー場へ初滑りに行く事にした。  

 去年からケースにしまったままのスキー板を引っ張り出し、エッジを磨き板面にワックスを塗り付ける。そして路上でタイヤチェーンの装着要領を練習する。

 ハイ、これでスキーへ行く準備は整いました。妻はスキーを引退と言うし、声を掛けた友人もスキーは卒業と言う。仕方が無いので、明日は一人で淋しく滑って来ます。

 私も既に後期高齢者、いつまでも未練がましくスキーをやる齢じゃない。今使ってるスキー道具が壊れたらスキーは止めようと思っているのだが、10年近く使い続けているスキー板や靴が中々壊れてくれそうにない。

 早く壊れて欲しいような・・欲しくないような・・揺れるジジイ心です。

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国道407号沿道で営業を続けるビッグモーター坂戸店

2024年01月29日 | 日記

 保険金不正受給問題で一頃世間を騒がした中高車販売店の「ビッグモーター」だが、「能登半島地震」や「自民党裏金問題」など大きなニュースの影に隠れて、最近はその名を聞かれなくなった。

 先日自転車で国道407号沿いを走っていると、「ビッグモーター坂戸店」の前を通りかかった。見るとは無しに中の様子を伺うと店内は灯りが煌々と輝き、お客の姿は確認できなかったが従業員の人達が黙々と仕事に励んでいた。

 気になった店舗前の街路樹は、青々として枯れた様子は無い。してみるとあのバカ社長・・じゃ無かった副社長はこのお店には査察に訪れなかったのか。それとも店長が賢明な人だったのだろうか。

 このお店は以前カインズホームが在った広い跡地に建てられた、国道沿いでは最大規模の中古車販売店です。経営陣が愚かで無ければ、地域に貢献するお店として繁盛していたはずです。それを思うと真面目に働いている従業員の人達が、一番の被害者なのではと思えてきます。

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ショッピングモール「ららぽーと富士見」を久しぶりに訪れたら

2024年01月27日 | お出掛け

 役所広司がカンヌ国際映画祭で主演男優賞を受賞した映画「Ppprfect Days」を観る為に、映画館が在る「ららぽーと富士見」を先日久しぶりに訪れた。当日は北風がビュンビュン吹く酷寒の日だったせいか、空調が効いて暖かな店内は避寒を兼ねた買い物客で随分賑わっていた。

3階の映画館

 広い店内のショッピングロードを隈なく歩けば2キロ近くあり、寒い日何かウォーキングにはうってつけです。しかも食堂やレストラン、喫茶店などが幾つもあり、快適な休憩場所にも事欠きません。安上がりな避寒地として、大勢の人が訪れたくなるのも頷けます。

ららぽーと富士見のショッピングロード

 前回「ららぽーと富士見」を訪れたのは丁度コロナ過が猛威を振るっていた頃で、広い店内は閑散として空き店舗が3~4軒も在り、このまま寂れていくのではと悲観的な気持ちになったものです。

 ショッピングモールは地域のランドマーク的存在で、無くなれば街の活気も失われてしまいます。しかし今回訪れてみると、空いていた店舗は全て埋まり以前の賑わいを取り戻しつつあったので、何だか嬉しい気持ちになりました。

 「ららぽーと富士見」は魅力的なお店がたくさん有り、我々地域の住民にとって気軽で身近な観光地のような存在です。今度来る時は映画だけじゃ無く、食事とお酒も楽しみたいなと思います。

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奥武蔵、新柵山~大築山ハイキング

2024年01月25日 | 山歩き

1月23日(火)    天気=曇り時々晴れ

08:40ときかわ町民農園駐車場→ 08:46新柵山登山口から登山口→ 09:33~43新柵山→ 09:51新柵峠→ 10:10~15越沢稲荷の大杉→ 10:41~11:05展望デッキ→ 11:15大築山登山口→ 11:43~51大築山→ 12:03小築山→ 12:41西平分岐→ 13:01ときかわ町民農園駐車場

 

 冬場にしては割と暖かな一日、妻と二人で奥武蔵の山歩きに出掛けた。向かったのはときがわ町の新柵山~大築山、いずれも標高4百m台のマイナーな低山だが、一応埼玉百名山にその名を連ねています。

 近場の山なので朝食を済ました後我が家を出発、AM8時半過ぎ「ときがわ町民農園」駐車場に着いた。ここがスタート地点、準備を終えると歩き始める。

ときがわ町民農園駐車場

 車道を5分ほど歩いて、新柵山の登山口に着く。標識の類は全く無いので、GPSで現在地を確認する。樹林帯に、適度な傾斜で登山道が続く。登山口を出発してすぐの地点で、焼失した家屋跡地があった。

新柵山登山口(車道から支道に入ってすぐの右手にある。標識無し)

 しっかりした登山道だが、あまり歩いた形跡は無い。登山道と言うより山仕事の道という雰囲気だ。やがて尾根に達し、そこから急な道をしばらく登ると、樹林の中に新柵山(490m)の山頂が在った。

山頂直下の急登

新柵山山頂

 登山口から山頂まで約50分の登り、けっこう汗を掻かされた。樹林に阻まれて、周囲の展望は全く無い。新柵山からは、快適な尾根歩きが続く。山頂から10分足らずで新柵峠に着き、峠から更に20分で、椚平集落に在る「越沢稲荷の大杉」へ降り立った。

新柵峠

越沢稲荷の大杉

 山里の奥にヒッソリと聳え立つ大杉はしめ縄が巻かれ、ご神木の風格がある巨木です。椚平集落の細い道を歩いていると洒落た展望デッキが在ったので、此処でコーヒーブレイクとする。

椚平集落と沢向いの奥に大築山(中央奥)

コーヒーブレイクした椚平集落の展望デッキ

 休憩を終えて歩き始めたら地元の高齢男性が「ハイキング?」と話しかけてきた。親切な人で、大築山登山口への最短路を尋ねたら道の入口まで案内してくれた。登山口への道は畦道のような踏み跡で、標識も無いから教えてくれなければ道を見失ったかも知れない。彼に出会えてラッキーだった。

大築山登山口への降り口

 踏み跡を数分降ると沢に架かる小橋に降り立ち、そこが大築山の登山口だった。橋を渡って蠟梅の花咲く緩やかな道を登ると登山道が交差する峠に着き、峠を左に曲がって尾根道を15分程登ると、大築山(466m)だった。

大築山登山口

大築山への登山道から椚平集落と右奥に新柵山

大築山山頂

 昔山城があったという平坦な山頂は、樹林に囲まれて展望は無い。山頂から緩やかな尾根を伝って、10分余で小築山(420m)に着いた。こちらの山頂も樹林に囲まれて展望は無い。

小築山山頂

小築山山頂付近から関東平野が垣間見えた

 小築山から樹林帯の尾根道を、小さくアップダウンしながら歩いて行く。途中何箇所か道が分岐していたので、GPSで進行方向を確認しながら進んで行く。

登山道分岐に祀られた石像

 小築山から40分程で、西川原集落奥の車道に出た。ここから緩やかに降って行く車道をノンビリと歩いて、PM1時頃車を停めている「ときがわ町民農園」の駐車場に戻って来た。

西平分岐(ここから車道歩き)

ときがわ町民農園近くの車道

 車に乗ると時間が早かったので、ときがわ町の人気蕎麦店「とき庵」へ立ち寄って、一番人気の「天盛り蕎麦」を食べる。ここはいつも美味しいお蕎麦だが、今日はお腹が空いてたせいか一際美味しく頂きました。

ときがわ町の蕎麦店「とき庵」

 夏のクソ暑い時期に関東近郊の低山は猛暑地獄で歩く気にもならないが、冷たい北風が吹く冬場は火照った身体が冷やされて、ハイキングのベストシーズンと言えるかもしれません。今日も埼玉百名(?)山2座をゲットして、最後はお蕎麦で締めくくり、楽しい山歩きでした。

 

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地元密着、個人営業のお店が立て続けに閉店

2024年01月23日 | 日記

 昨年暮れに、近所の蕎麦屋さんと和食店が立て続けに閉店した。いずれも地域の個人営業店で、馴染みというほどでは無かったがソコソコお客で賑わうお店でした。

 営業が成り立たなくなったのか、はたまたお店を続ける人材が居なくなったのか、閉店に至った詳しい理由は分らない。地域に根付いた個人営業のお店がだんだん減って、チェーン展開する企業型大型店ばかりが街に残るというのも何だか味気なく淋しい思いがします。

 そう言えば先日、NHKテレビで「2040年、人手不足1100万人」というスペシャル番組をやっていた。団塊ジュニア世代が65歳以上になる西暦2040年には、企業などで働く労働者が全国で1100万人も不足して、基盤産業を支える担い手が居なくなり、日本社会は深刻な状況に陥る。・・という暗い未来を予測する内容でした。

 しかし2040年の人手不足問題と言っても、既に影響が出始めているのではないだろうか。長らく地元に貢献していた個人営業のお店が街から徐々に消えていくのも、その前兆ではと思わずにいられない。

 

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日本三百名山回顧№123富山県、剣岳(百名山)

2024年01月21日 | 三百名山回顧

 剣岳は美しくも険しい岩場の鋭鋒で、登山を志す者なら誰もが一度は登りたいと思う北アルプスの名峰です。そんな剣岳へ初めて登ったのは昭和55年の9月でした。2泊三日で室堂から立山~剣岳~大日岳と縦走しました。

 遠い昔の山行なので雷鳥平のテント泊が酷く寒かったのと、剣岳の登山道が意外と楽に登れた事くらいしか記憶に残っていません。

 昭和55年9月14日(日)~16日(火)

 室堂~立山~剣岳~大日岳~室堂

別山乗越から剣岳

痩せ尾根の登山道

剣岳山頂

山頂から南に大日岳方面

山頂から北に毛勝岳方面

 

 2回目は昭和62年8月に当時所属していた山岳会の立山集中山行の時、会長のHさんと我々夫婦の三人で、早月尾根から剣岳を登りました。会長のHさんは当時70歳位だったはずですが、お酒が好きでタフで優しい山男でした。

 不死身のように元気だったHさんもその後病に倒れ、あの世へ旅立ってしまった。この山行ではHさんが行動記録を当時の会報に残していたので、お世話になったH会長を偲びつつ下記に転載してみます。

 

 立山集中山行(早月尾根、剣岳コース)

日時:昭和62年8月14日(金)~17日(月)

参加者:F、 T子、 H    男×2、女×1、計3名

行動記録: H・R

8月13日(木)

20:00 上野駅8番ホームに全員集合、ホームにてF君親子に偶然出会う。親子で飯豊連峰へ行くとの事

21:45 急行越前81号は乗車率60%位で、昼間の混雑が嘘のよう。最近のお盆帰省者は夜行列車の利用が少なくなった。

8月14日(金) 曇り時々雨

5:10 滑川駅着、駅でおにぎりの朝食

5:56  〃 発、地鉄(富山地方鉄道)富山行きは2両編成で一番電車。¥300円

6:10 上市駅着、時折雨、6:15発の馬場島行きバスは既に満員、バスも中型で一日2本のみ、馬場島まで立ちっぱなし、途中急カーブの連続で疲れた。¥1100円

7:30 馬場島着、剣岳青少年センターへ登山計画書を提出。水を補給し7:55出発

馬場島から剣岳へ向かう早月尾根

8:50 松尾平着、樹林帯の急登で汗びっしょり、岡山労山15名ほどの中高年グループと前後しながら歩く。最近は何処の山でも中高年が目立つ。姫路の単独行男性S氏が我々と同行する。

12:15 1920mピーク。 12:40 避難小屋跡

13:45 伝蔵(早月)小屋着、予定より2時間早く着く。F君先行しテントを設営。缶ビール¥500円で乾杯、幕営料一人¥400円

19:30 就寝、夜半富山市の灯りと富山湾の漁火が見事、月はあるが天の川が良く見える。

伝蔵小屋のテント場

伝蔵小屋から剣岳西面

8月15日(土) 曇り時々雨

3:50 起床。 5:15 出発。

06:00 2400m地点 途中休憩2回ほど。

06:35 2600m地点 雪渓水有り。

08:20 2900m地点 だんだんペースが遅くなる

早月尾根上部の登り

山頂直下の早月尾根

08:58~09:50 剣岳山頂、頂上は40名ほどの登山者で満員、K会のメンバーは見当たらず、360度の展望もガスで視界ゼロ、記念写真、お湯を沸かし昼食という時に大粒の雨、食事もソコソコに出発する。

剣岳山頂

10:05 岩場(カニの横ばい)、長い渋滞で1時間20分待ち。

剣岳の降り

11:38 平蔵避難小屋。   13:25 一服剣。   14:00 剣山荘。

14:50~15:00 剣沢小屋、テント場は100張りほど有り。

15:50~16:07 剣御前小屋、雷鳥平をガスの中に遠望する。

16:50 雷鳥平キャンプ場着、幕営届提出1名¥200円、Kato氏来たり、会の参加者は全員雷鳥荘に集合で幕営者は居ないとの事。取りあえず缶ビールで乾杯¥400円、夕食。

雷鳥平のテント場

19:00 雷鳥荘。全員で乾杯、各コースの報告、明日からの行動予定を打合せ、21:30テントへ戻る。今夜は星が最高に見えるが、疲労と酔いでバタンキュー!!

雷鳥荘で全員集合

22:00 就寝。明日の行動予定は体調を見てコースを真砂沢泊りとし、内蔵助平より黒4ダムへ往く事に変更。

8月16日(日) 曇り後雨

04:00 起床。雷鳥荘へ行き、食料の差し入れを受ける。早月尾根より同行した姫路のS氏と別れる。単独行の彼は室堂から立山方面へ。

06:40 出発。出発前にラジオ体操、子供連れの家族が多い。

08:25~50 剣御前小屋、ガスの中気温低い。

09:15~30 剣沢小屋。   10:00 剣沢雪渓取り付き。

10:30~45 雪渓途中で休憩、小さな子供連れ家族あり、小屋に泊りながら仙人池より阿曽原~宇奈月へ行く予定だそうだ。大したものだと感心する。

剣沢雪渓の降り

雪渓の崩落地点

11:00~25 真砂沢小屋、男性二人のパーティから池ノ平テント場の話を聞く。F君と協議の結果、最初の予定通り、仙人池~阿曽原~宇奈月コースを行く事にする。

真砂沢のテント場

12:25~45 二股吊り橋、途中4カ所ロープ場、2カ所雪渓トラバースあり。

二股の吊り橋

14:53 仙人峠、樹林帯の仙人新道は急坂で一汗掻く。三ノ窓、小窓の雪渓が良く見える。時々陽射しが蒸し暑い。F君、池ノ平テント場へ先行する。

仙人新道の登りから三ノ窓雪渓

15:25 池ノ平小屋着、小屋横に幕営。一人¥400円、缶ビール¥500円。テントを張り終えた途端激しい雷雨、間一髪のところだった。

19:00 就寝、星が少し出るが、夜中再び雨。

8月17日(月) 雨後曇り後雨

03:25 起床、時々雨激しく降る。テントの雨を通って中におびただしい虫、T子さん被害甚大、蚊取り線香の携帯を痛感する。激しい雨はテント撤収時止む。

05:15 出発。   05:45 仙人峠。

06:00~20 仙人池小屋、仙人池は晴れていれば剣岳を映し出し見事であろうが、雨で何も見えず。

07:40~08:00 仙人湯小屋、静かな露天風呂あり、お湯で汗を拭く。若い夫婦のパーティと同行。

仙人湯小屋の露天風呂

08:20 沢の合流地点で雪渓の崩壊箇所ありトラバースに苦労する。剣沢で会った家族連れが心配になる。

09:55 阿曽原峠、黒4発電所の鉄塔が目前に見える。急坂を一気に降り10:15下ノ廊下分岐に着く。

10:30~50 阿曽原小屋、缶ビール¥500円、テント場で水平歩道の監視人が通行者の数をチェック、電話で報告している。

11:20 一登りして送電線鉄塔下に出る。ここから延々5時間の水平歩道歩きが始まる。

黒部峡谷の水平歩道

12:15~35 オリオ谷手前の大滝、昼食、オリオ谷は砂防ダムの中がトンネルになっている。

オリオ谷手前の大滝

13:35 志合谷出合、水平歩道は谷をトンネルで巻いており、懐中電灯を着装、中は流水が踝まであり運動靴が一発でビッショリ、5分くらいトンネル内を歩く。

15:05~25 鉄塔、水平歩道終わり、もうバテバテ、差し入れの羊羹で元気を出し一気にケヤキ平に降る。

ケヤキ平上部の黒部峡谷

16:05 ケヤキ平駅着、駅周辺は乗車待ちの人で溢れている。運よく16:41のキャンセル予約券を入手、トロッコ電車に乗り込む。乗車券(ザック代込)¥1400円。

 トロッコ電車は殆どトンネルで、着替える暇が無かった。汗と雨で濡れた身体が寒い。着替えしたくともザックは後ろの荷物者。

17:50 宇奈月駅着、宇奈月温泉はお祭りで、宿泊場所は全て満員。駅前の交番で聞いてみると、若い巡査の方から真砂沢で出会った中年男性二人組の事を15分位事情聴取される。見返りにホテルの温泉に無料で入浴させてもらい、宿泊できるお寺を紹介してもらう。

 五日ぶりの温泉風呂、湯上りに自販機の缶ビール¥280円をグイ、ザックをお寺に置き、折からの雨の中街で夕食。生ビールで山行の無事を祝す。お寺はお祭りのテキヤの人と花火師の人で満杯、我々は別部屋に泊る。

8月18日(火) 雨後曇り後雨

5:20 起床、お寺の朝食を食べて見たかったが、時間が無いので雨の中お寺を出る。

06:08 宇奈月駅発、電車はガラガラ、急行と書いてあったのに各駅停車。¥700円

07:08~28 魚津駅、F君と相談、夕方まで東京に帰れれば・・という訳で「青春切符」で帰る事にする。乗車券一人¥2200円、駅売店でビール、つまみを仕入れる。

 魚津初の電車は何とブルートレインの通勤電車、東京の山手線では考えられない。通勤者は悠々と新聞を広げている。我々も缶ビールと鱒寿司で朝食。

08:25 糸魚川駅着、久々に大糸線に乗り換える。こちらは旧電車の車両を使用、乗車率は50%位。

09:49 南小谷駅着、乗り換え、駅前でビールを補給。乗客の種が変り、ラケットを持ったティーンエイジャー多し。雨で北アルプスの山並み見えず、ウツラウツラ居眠り。

12:29 松本駅着、乗り換え、駅ホームで喰った天婦羅うどん不味い。せっかくの気分が台無し。

14:11 小淵沢駅着、乗り換え、南アルプスも八ヶ岳も見えず、山岳展望の旅は失敗に終わる。電車待ちの間、パノラマ特急が停まる。¥2200円の旅とはだいぶ差があるが、山が見えないのは同じ。

小海線にボディ一杯コーヒーのコマーシャルを描いた電車あり、JRもやるもんだと感心。甲府辺りから混みだした。立ち席の人多し。

17:02 高尾駅着、乗り換え、西国分寺駅でF夫妻と別れる。

18:00 東中野駅着、魚津より10時間半、鈍行の旅が終わる。

 

感想  H氏

 寝不足の夜行列車で早月尾根を登るハードスケジュールは、PLの適切なリードのお陰で久々にタップリ汗を掻き、2時間も早く伝蔵小屋に着き旨いビールを飲む事ができた。

 天候は全般的に不安定で天気はいまいちであったが、三泊のテント生活は楽しかった。ただ雷鳥平で仲間のテントが無かったのは淋しかった。仙人池は雨であったが、もう一度晴れた日に池に映る剣を見に来たい場所である。

 しかし阿曽原からケヤキ平の水平歩道は始め調子よく飛ばしたが、やがて飽きてしまい目的地の送電線鉄塔が中々近づかず、途中で嫌になってしまい、雷鳥荘で皆に差し入れてもらった羊羹の美味しかった事。

 宇奈月温泉で富山県警交番のお巡りさんの好意により、ホテルの温泉で汗を流し、お寺に泊めてもらい、魚津から青春18キップで東京まで鈍行で乗り継ぎ¥2200円で帰ったり、今回も話題に事欠かない集中山行であった。

 

 3回目は平成26年8月初旬にバリエーションルートの長次郎谷から単独で剣岳に登った。この時は天気にも恵まれて、剣岳のアルペン的な景観を存分に堪能する事ができました。尚この山行は当時のブログに掲載済みなので、詳細は下記をクリックしてご覧ください。

クリックしてネ

 

 

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「Perfect Days」は心に滲みる映画でした。

2024年01月19日 | 映画・コンサート

 ドイツ人のビム・ベンダースが監督し役所広司が主演の「Perfect Days」は、久々に観たい映画だった。「ららぽーと富士見」のTOHOシネマで上映していると聞いたので、ネットで予約して妻と二人でさっそく観に出掛けた。

 映画の主人公の平山(役所広司は、都内の公衆トイレ清掃員として働いている。一人暮らし寡黙な彼の暮らしは単調だ。安アパートで目を覚まし歯を磨き植木に水をやった後、軽トラックでアパートを出る。

 一日中トイレの清掃に精を出し、仕事を終えると駅地下の安食堂で一杯飲みつつ夕食を摂る。その後街の浴場で仕事の汗を流し、アパートへ戻ると就寝前の読書が彼の唯一の楽しみ、そして床に就く。

 平山は毎日こんな生活の繰り返しで、盛り上がりも無く物語としてはちっとも面白く無い。だけど映画を観ていると、何故だか心が惹きつけられる。それは役所広司の演技力のせいなのか、それともビム・ベンダース監督の演出力のせいなのか、そこんとこはよく分らない。

 又映画の舞台となる都内の公衆トイレも、それぞれ個性的なデザインでユニーク造りが面白い。ひょっとしてドイツ人の監督はこれらのトイレに魅せられてこの映画を作ろうと思ったのだろうか?

 淡々と描かれるこの映画は、主演の役所広司無くして成立しなかったのではと思うほど、内から滲み出る彼の演技は素晴らしかった。カンヌ国際映画祭で主演男優賞を受賞したのも当然の事と思えた。

 厳しい環境の中で小さな自然の芽生えや暖かな朝陽の輝きに喜びを見出す禅修行者のような彼の暮らしぶりを、「Perfect Days」という映画の題名にしたのだろうか。味わい深く心にジンと滲みる映画でした。

 

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殺人犯、市橋達也の「逮捕されるまで」という逃亡記を読んで

2024年01月17日 | 読書

  市橋達也という男の名前を覚えておられるだろうか。2007年に英国人女性リンゼイさんを殺害し、長期逃亡を続けた後逮捕された殺人犯人です。

 今は獄中にいる彼が自身の筆で書いた「逮捕されるまで」という本が、図書館の棚にあったので借りて読んでみた。これが実に奇想天外なストーリーで、面白くて一気に読んでしまった。。

 随分昔のテレビで、「逃亡者」という米国発のドラマが放映されていた。主人公の医師リチャード・キンブルが無実の罪に着せられて、逃亡を続けるというドラマです。その緊迫した展開に、毎週ハラハラしながら見ていたものでした。

 市橋達也の「逃亡記」もそれに比類するような内容で、実録であるだけにドラマを上回る迫力と緊迫感があった。彼は逮捕の現場を逃れた後、北は青森から南は沖縄まで各地を転々と彷徨い逃げ回った。四国ではお遍路姿になり、沖縄の離れ小島では自給自足のサバイバル生活で身を隠した。

 大阪の飯場で土方となり逃走資金を調達、そのお金で顔の整形手術を受けたのが仇となり、最後は大阪港のフェリーターミナルから沖縄へ逃亡するところを逮捕され、2年7カ月にも及ぶ長い逃亡生活を終えた。

 緊迫した逃亡の連続に、逮捕間際のシーンでは思わず市橋達也のサイドに立ち、「今逃げなきゃ捕まるぞ」と思わず彼を擁護してしまうほどだった。

 この本を読んで感じたのは、市橋達也という人間の並外れた体力、気力、生活力です。殺人を犯したのだから精神的な問題を抱えていたのでしょうが、もし罪を犯していなければ、彼は一角の人物として人生を歩む資質があったのではと伺えます。

 現在無期懲役囚としては服役している市橋達也ですが、いつの日か出所できる日はあるのだろうか。もし娑婆に出たとしても、彼に陽の当たる人生を送る資格は無い。

 しかし市橋達也の並外れた能力を、刑務所に埋もれさせたままというのも惜しいような気がする。彼が人生の最期に罪を悔いて社会に何がしかの貢献をすれば、被害者や迷惑を掛けた関係者への幾ばくかの償いになるのではないだろうか。

 

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箱根、神山~駒ヶ岳ハイキング

2024年01月15日 | 山歩き

1月12日(金)    天気=晴れ

08:20登山口駐車場→ 08:27登山口→ 09:28~37分岐→ 10:07~13神山→ 10:26~30冠ヶ岳→ 10:43~53神山→ 11:16分岐→ 11:34箱根ロープウェー駅→ 11:40~12:15駒ヶ岳→ 12:30~37分岐→ 13:13登山口→ 13:19登山口駐車場

 

 芦ノ湖の周りに聳える箱根の山々で最高峰は標高1438mの神山だが、火山活動の活発化により数年前から山頂を含む山域一帯が通行禁止になっている。しかし最近のネット情報を見ると、ポチポチと登っている人もいるようで、私も興味が湧き山友のJさんを誘って登ってみる事にした。

 早朝車で我家を出発し、圏央道~東名道を経由して防ヶ沢登山口近くの駐車スペースにAM8時過ぎに着いた。天気は一片の雲も無い快晴だが、吹き渡る風が氷の様につめたい。

 駐車場所から車道を500mほど歩いて登山口に着く。入口は柵で閉じられ「現在ハイキングコースを閉鎖しています。」と書かれた看板が設置されている。ご意見無用の老登山者二人は、柵の横から躊躇なく登山道に侵入する。

防ヶ沢登山口近くの駐車スペース(3~4台ほど駐車可能)

登山口の通行禁止柵と看板

 防ヶ沢分岐に向かう登山道は刈り払いもされて気持ちよく歩いて行ける。概ね樹林帯で展望は無いが、寒風を防いでくれるのがありがたい。分岐が近づくと傾斜が緩み、右手に草原の駒ケ岳が望めるようになった。

防ヶ沢分岐に向かう登山道

分岐の手前で、駒ヶ岳が山頂部が見えた(下山時)

 登山口から約1時間で、左右に道が分岐する防ヶ沢分岐に着いた。ここにも通行禁止の看板と柵が設置されている。分岐を左に曲がって神山へ向かう。

防ヶ沢分岐(駒ヶ岳と神山の登山道が分岐する「此処にも通行禁止の柵がある」)

 こちらの道も、頭上に木々が被った箇所などあるが概ね歩き易い。侵食してV字型に掘れた箇所は靴やズボンが泥だらけに汚れそうだが、冬場の今は凍っているので逆に歩き易い。

神山へ向かう登山道を塞ぐ倒木

V字に侵食された道

神山山頂直下の道

 分岐から30分で着いた神山(1438m)は、疎林に囲まれて展望は良くない。しかし陽の当たる山頂は、風も穏やかで居心地がいい。山頂から通行禁止の柵の横を抜けて、冠ヶ岳への道に入る。

神山山頂

山頂から冠ヶ岳へ向かう登山道入口の通行禁止柵

神山山頂から富士山

 急坂をしばらく降ると鞍部の大涌谷へ向かう分岐に着き、そ分岐を左に登ると小さな祠が在り、そこから数分で冠ヶ岳(1409m)に着いた。山頂は狭く樹林に覆われ展望も無い。だが樹林の合間に白煙を上げる大涌谷が足下に望めた。

冠ヶ岳山頂

山頂から眼下に白煙上げる大涌谷

 冠ヶ岳を後にすると再び神山へ登り返し、往路を辿って防ヶ沢分岐へ戻った。今度は分岐から、駒ケ岳へと登って行く。この道も良く整備され問題無く歩いて行ける。

しばらく登ると、駒ケ岳山頂の箱根本宮神社が見えた

 分岐から20分足らずで箱根ロープウェー山頂駅に着いた。行楽客で賑わっているかと思ったら駅周辺に人の姿は無い。淋しくもあるが静かな山頂を楽しめるのはありがたい。

箱根ロープウェー山頂駅(ロープウェーを点検する作業員が数名いるだけで他には誰もいない)

 山頂駅から遊歩道を通って、駒ヶ岳の最高地点に建つ箱根本宮に着いた。神社の入口は閉じられていて、お参りしたかったが叶わなかった。山頂を吹き抜ける風があまりに寒く、神社裏手の風を遮る場所でランチタイムとする。jさんと二人、周囲の展望眺めつつ飲むコーヒーの味は最高です。

駒ケ岳山頂の箱根本宮神社

山頂から富士山と神山(右の山)

富士山のアップ(例年より雪が少ない感じ)

山頂から湘南海岸と相模湾

 30分余の休憩を終えると、眼前に広がる富士の霊峰に拝礼した後山頂を後にする。最高の登山日和で気分が弾み、下山の道も足が軽い。下山の道の眼下には光り輝く芦ノ湖の湖面も望めた。

下山の道から望む芦ノ湖

 休まず歩いたので、駒ヶ岳から1時間足らずで登山口へ戻って来た。登山の後は温泉に入る予定だったが、大して汗も掻いてないので、高速道路が混まぬうちに帰宅する事にした。

登山口へ戻って来た

駐車場へ到着

 帰りの高速道路は厚木ジャンクションが一時渋滞してだけで、スンナリ走れたので、PM4時過ぎには我が家へ戻る事ができた。その後はいつものレストランでJさんと反省会、気分良く歩いたので楽しい酒席となりました。

 箱根山の最高峰神山は日本三百名山の一座で、随分前の冬に妻と二人大涌谷から神山~駒ヶ岳まで歩いている。しかしその写真や記録が何処を探しても見つからず、何時頃登ったのか正確な期日も分からない。

 それもあって通行禁止を承知で登ったのだが、今回歩いた道はよく整備され静かで(入山禁止だから当然か)快適な山歩きができました。風の噂によれば、通行禁止も今年の春には解除されるようだ。賢明なる皆さんは、それを待って登った方が良さそうです。

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1月初旬なのに、もう梅の花が咲いている。

2024年01月13日 | 日記

 元旦早々発生した能登半島地震は実態が分かるにつれ被害は拡大し、石川県だけで死者215名、行方不明者28名という大惨事となりました。被災者救援は進まず、私もボランテアとしてはせ参じたい思いが募ります。

 しかし政党れいわのY議員のように、自己アピールしたいが為に被災地へ出掛け、被災者用のカレーを食って批判される。そんな愚かな行為はしたくないので、乏しい年金の中から気持ちばかりの募金をして、被災者支援の一助になればと思います

 そして今日、奥武蔵の自然豊かな毛呂山町を訪れると、公園の梅の木が既に花を咲かせ始めていた。冬の最中に春の訪れを感じて、厳しい環境下に置かれている被災地の皆さんにも、一日も早い暖かな春の訪れと、元通りの生活が戻る事を願わずにはいられません。

 しかし1月初旬の今梅の花が咲く何て、チョット早過ぎるのではないだろうか。これも地球温暖化が一段と進んだ為と言うのなら、それはそれで人類にとってはあんまり喜ばしくない出来事です。

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羽田空港の航空機事故で、フト浮かんだ事故防止の改善策

2024年01月11日 | 日記

 新年早々の1月2日、羽田空港で日航機と海上保安庁の飛行機が衝突炎上する重大事故が発生した。ニュースによれば離陸しようと滑走路上にいた海上保安庁の飛行機に、着陸して来た新千歳空港からの日航機が衝突して炎上したと報道されています。

 昔東京湾の荒川河口を訪れた時に、羽田空港へ着陸する飛行機を眺めた事がある。概ね2~3分に1機の間隔で輪を描きながら飛行機が着陸しているように見えた。同じような間隔で離陸もしているのだろうから、トータルすれば1分に1機の割合で飛行機が離着陸している事になります。これをもってしても、羽田空港の混雑ぶりがよく理解できます。

 そこで思ったのだが、今回の航空機事故は離陸と着陸を同一滑走路で行った事にも一因があるのではないか。時速0キロから加速して離陸する飛行機と、時速200キロの高速で着陸する飛行機では、あまりに状況が違い過ぎる。

 だったら滑走路を着陸専用と離陸専用に分けちゃったらどうなんだろう。そうすれば同じ状況の飛行機だけが同一の滑走路を使用するので、管制官も誘導し易いだろうし、衝突の危険度も格段に減少するのではないか。

 幸いな事に、羽田空港にはA~Dまで4本の滑走路がある。離陸と着陸それぞれ2本を分けちゃおうというやり方です。マッかく言う私は航空事情のド素人、実際はそれができない理由なり事情があるのでしょう。でも上りと下りが分かれた駅のホームを見た時に、フトそんな素朴なアイデアが浮かびました。

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パチンコ店に幕を掛けて、幕を取ったらア~ラ不思議お店が消えた。

2024年01月09日 | 日記

 去年の秋に閉店した近所のパチンコ屋さん、解体業者の手で幕が掛けられた。そして幕を取ったら!ア~ラ不思議!、建物が消えてスッカラカンになった。

 これが数刻のうちに起きた出来事なら引田天功顔負けの大掛かりなマジックショーですが、現実は3カ月がかりの解体作業で、建物が完全に撤去されたのでした。

 時々作業の様子を見ていたのだが、今の解体作業は殆ど人手は使わずに重機とダンプカーの力だけで行われているようでした。広い現場で働いているのは重機とダンプの運転手、それに水を掛ける人と現場の警備をする人ぐらいなものです。

 解体されたスクラップは金属、コンクリート、その他のゴミと分別され、コンクリートは重機のドリルで細かく粉砕されている。環境に配慮してるんでしょうか、さすがプロの手際だなあと感心しながら見ていました。

 さて解体を終えてポッカリ開いた空地は、サッカーコートが一面できるような広さです。駅前と言ってもよいようなアクセス至便の土地なので、きっと何かが建つでしょう。それが歓迎すべきものか招かざるべきものか、今後もこの空地から目が離せません。

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ニューイヤー駅伝と箱根駅伝で明け暮れた正月三が日

2024年01月07日 | マラソン

 新年の幕を開ける実業団ニューイヤー駅伝は、トヨタ自動車がブッチギリで優勝した。そして2~3日にかけて開催された箱根大学駅伝は、青山学園大学がほぼ独走状態で優勝した。

 昔我々夫婦が九州の山旅をしていた時、延岡駅前の居酒屋で偶然に宗猛旭化成監督ご家族と一緒になり親しくお話させていただいた事がある。(監督や奥さん、娘さんは凄く感じの良い方々だった)それ以来旭化成の大ファンだが、今年は惜しくも第3位だった。

 旭化成チームもう一つ好きなのは、外国人選手の力を借りず日本人選手だけで戦っているところです。宗監督率いる旭化成チームの飛躍を願わずにはいられません。頑張ってください。

 箱根大学駅伝に今回出場した城西大、東洋大、大東文化大は、チームの合宿所が我が家からほど近い場所に在り、ジョギングの折など練習する選手達の姿をよく見かけている。

 そんな親近感もあるので応援していたが、いずれのチームも10位圏内に入る好成績で嬉しい結果になった。特に今まで出場できればラッキーレベルだった城西大が第3位に食い込んだのは、いつの間に強くなったんだろうかと驚き混じりの喜びだった。

 大会後の会見で優勝した青山学院大学の原監督が「多くの被災に遭われた方がおられる中で、箱根駅伝ができた事本当に感謝申し上げたい」と恐縮したようなコメントを発しておられた。

 でもそんな事はありません。全力を尽くして走る選手達の姿は、多くの国民に日本はまだまだ元気だと勇気と希望を与えてくれたと思います。胸を張って堂々と、勝利の盃を掲げてください。

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立て続けの大惨事、こんな酷い正月は初めてだ。

2024年01月05日 | 日記

 「災害は忘れた頃にやってくる」と言うが、数年に一度あるかないかの災害事故が元旦早々立て続けに起こってしまった。長い人生過ごしてきたが、こんな酷い正月は初めてで、おとそ気分が一挙に吹っ飛んだ。

 能登半島地震が発生した時は、丁度ジョギングをしている最中だった。ニューイヤー駅伝を見終えて今年の初ランと気持ちよく走っていたら、突然不気味な「緊急地震警報」が街中に鳴り響いた。

 立ち止まってしばらく佇んだが、路上では揺れを感じず辺りの様子に変化も無い。大した事無くて良かったと思い我が家へ戻ったら、妻が「能登半島で震度7の地震があり、我が家も揺れて思わず外へ逃げた」と私に告げた。

 正月早々の大惨事、翌日行くつもりだった初詣も自重しようかと悩んだが、「イヤこんな時だからこそお参りすべき」と2日は御嶽山へ出掛けた。そして我が家へ戻った夕刻に、今度は羽田空港での航空機衝突火災事故が発生した。

 救われたのは航空機の乗客乗員全員無事避難だが、立て続けの大惨事に「神も仏もあるものか、払った賽銭返せ」と言いたい気分です。こんな時だからこそ思い出す言葉があります。それは東北大震災後のプロ野球開幕戦で、楽天イーグルスの嶋選手が発したスピーチです。

 「今野球の真価が問われている。見せましょう、野球の底力を。見せましょう、野球選手の底力を・・東北の皆さん絶対乗り越えましょう・・絶対見せましょう、東北の底力を」・・この言葉を聞いた時は感動で目頭が熱くなってしまった。

 今再びこの言葉が蘇ってくる。「今こそ日本の真価が問われています。見せましょう、日本の底力を。見せましょう、日本人の底力を・・被災地の皆さん絶対乗り越えましょう」   

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奥多摩、御嶽山(初詣)~大岳山ハイキング

2024年01月03日 | 山歩き

1月2日(火)    天気=曇り一時晴れ

07:58御嶽山駅→ 08:16~23御嶽山(神社)→ 09:13奥ノ院→ 09:32鍋割山→ 09:48芥場峠→ 10:18大岳山荘→ 10:33~11:04大岳山→ 11:17~22大岳山荘→ 11:46芥場峠→ 12:04~12東屋→ 12:50御嶽山駅

 

 今年の初詣は何処へ行こうか考えて、東京都のパワースポット奥多摩御嶽山に決めた。ついでに御嶽山の奥に聳える大岳山へ登って、今年の初登山とする計画です。

 未明に我が家を出発して御嶽山ケーブルカーの滝本駅へ着いたのはAM7時前、既に数十台の車が列を成していたが、程なく駅前の駐車場へ車を停める事ができた。

御嶽山ケーブルカー滝本駅

 ケーブルカー乗り場も長い行列だったが、07:45発の臨時便に乗る事ができて標高830mの御嶽山駅にアッサリ着いた。ここから御嶽山山頂の神社に向って、大勢の参拝者と一緒にゾロゾロ歩いて行きます。

本殿へ向かう急な参道

 急な階段をしばし登って、標高929mの御嶽山山頂に建つ武蔵御嶽神社本殿に着いた。街中の有名な神社と違い山上の神社はさほど混んでおらず、心置きなく新年のお参りをする事ができました。

武蔵御嶽神社本殿

 参拝を終えると、境内を離れ大岳山への登山道へ入る。平坦な道をしばらく歩いて行くと、奥ノ院へ向かう道が右に分岐していた。奥ノ院への道は登るにつれ傾斜が増し、息を荒げつつジグザグの急坂を登って小さなお社が建つ奥ノ院へ着いた。

参道から大岳山へ向かう登山道入口

分岐から奥ノ院へ向かう道に入る

奥ノ院のお社

 ここで参拝がてら一休みする。お社から奥ノ院ピーク(1077m)に登ると、遠くに大岳山の山頂部がこんもりと見えた。ピークから尾根沿いに小さくアップダウンしながら進むと、疎林に囲まれた鍋割山(1084m)の山頂に着いた。

奥ノ院のピークから望む大岳山(中央奥)

 鍋割山から緩やかな尾根道を快調に進んで行くと、御岳山から大岳山へ向かう登山道と合流する芥場峠に着いた。峠には、「この先滑落事故多発」と書かれた警告表示板が立っていて一瞬ギョッとする。

鍋割山山頂

「この先滑落事故多発」の表示板

 峠からしばらく進むと大岳山の山腹を巻くトラバース道に変わり、岩場が所々現れる。この岩場が表示板に書かれていた危険箇所のようだが、慎重に歩けばさほど危ぶむ事も無い道です。

この先から岩場の道

岩場の道

 芥場峠から約30分で、大岳山直下に建つ大岳山荘へ着いた。遠い昔の冬この山荘に泊った事があり、窓から眺めた東京の夜景が大変綺麗であった事を覚えている。しかし山荘は随分前に廃業し、建物はだんだん荒廃が進んでいるようです。

大岳山荘前

 山荘からお社横を通って大岳山への急坂を登って行く。大岳山へは久しぶりだが、上部へ行くほど急で岩場の多い道です。山荘から約15分ほどで久々の大岳山(1266m)の山頂へ到着した。

お社左手から大岳山へ向かう急登が始まる

大岳山山頂

 山頂には何組かの登山グループが居て、思い思いに寛いでいた。我々も山頂の一角を陣取り、温かいカップヌードルとコーヒーで冷えた身体を暖める。

 天気は下り坂の様子で雲が多く、周囲の展望もパッとしない。それでも又今年も山を一座登る事ができて、気分は爽快です。30分ほどの滞在して、山頂を後にする。

山頂から西側、御前山方面

山頂から南側、道志、丹沢山地方面

 下山は鍋割山の山腹を巻く道を降る。この道が御嶽山~大岳山間のメインルートで良く整備されて歩き易い道だ。御嶽山が近づくと行き交う人が増え、賑わう参道の商店街を抜けて、PM1時前にケーブルカー御嶽山駅に戻って来た。

下山の道から奥ノ院を望む

登山道分岐に建つ東屋

参道の商店街

御嶽山駅に戻って来た

 再びケーブルカーに乗って山麓へ降り、車に乗ると何処かで美味いものでも喰って帰ろうと車を走らせたが、何処もお店は閉まっており「正月だから仕方ないや」と諦め早々に我が家へ戻った。

ケーブルカーに乗って山麓の滝本駅へ

 初詣と登山を無事終えて妻と祝杯をあげていたら、テレビから「羽田空港で航空機炎上事故」のニュース速報が流れた。昨日の能登半島地震と言い今日の航空機事故と言い、元旦早々日本はどうなってんだと青菜に塩をぶっかけられたような気分になった。

 

 

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