晴れ。最低気温−4.9℃、最高気温1.5℃。
今年の今日(2020年3月16日)撮影
昨年の今日(2019年3月16日)撮影
昨年の今日は雪景色。今年は雪解け模様。春はいつも道草をしながらやって来ます。きっと、この後も雪は降り、冷たい風が吹きすさぶことでしょう。
三寒四温を繰り返し、やんちゃをしながらやってくる春。今年はいつもの年より、辛抱強く待つことになりそうです。
ヤマガラ 野幌森林公園
晴れ。最低気温−4.9℃、最高気温1.5℃。
今年の今日(2020年3月16日)撮影
昨年の今日(2019年3月16日)撮影
昨年の今日は雪景色。今年は雪解け模様。春はいつも道草をしながらやって来ます。きっと、この後も雪は降り、冷たい風が吹きすさぶことでしょう。
三寒四温を繰り返し、やんちゃをしながらやってくる春。今年はいつもの年より、辛抱強く待つことになりそうです。
ヤマガラ 野幌森林公園
晴れ。最低気温−7.0℃、最高気温2.5℃。
茨木家中出張番屋
茨木家漁家住宅
白鳥家番屋
小樽市鰊御殿(積丹から移築された旧田中家住宅)
旧近江屋番屋
祝津パノラマ展望台から日本海を望む
晴れていたので、小樽の祝津へ向かいました。祝津はかつて大いに栄えた日本海沿岸鰊漁場の一つでした。
小樽の鰊漁は江戸期寛政5年(1793年)に始まり、明治2年(1869年)、松前藩の場所請負制度が廃止されると民間に開放されます。
明治中期から大正年間を通じ、祝津は豊漁に恵まれ、三大網元と称される青山家、白鳥家、茨木家が隆盛を極めました。その御三家の中の茨木家初代当主茨木與八郎(山形県西遊佐町出身)により明治後期に建てられた漁場建築物が「茨木家中出張番屋」です。
この建物の修復事業が完成することを記念すると共にニシン漁の歴史と文化を後世に伝える主旨のもとに北海道日本海沿岸の市町村を結ぶ「にしん街道」の標柱が設置されたとのことです。
設置日は平成22年6月吉日、設置者は北後志風土ツーリズム協議会。
御三家のもう一つ青山家の漁家住宅は4代目の馨氏が亡くなった年の1980年、野外博物館北海道開拓の村に寄贈されました。現在、倉庫群等と共に開拓の村で往時の姿を留めています。
それにしても、かつてニシン漁で賑わいをみせていたであろう祝津はコロナウィルスの影響もあってか、訪れる人はわずかで閑散としていて寂しいものでした。
晴れ時々曇り。最低気温−6.9℃、最高気温2.3℃。
前菜
キャベツとエビの和風パスタ
オーガニックコーヒーとプリンのデザート 以上で税込み¥950
義妹と家人と三人で訪れたのは我家から車で10分のところにある、カフェ&ランチの店「モッティ」。女性オーナー手作りのランチはこの度も変わらず美味しく、12時から13時過ぎまで、おしゃべりに興じてきました。
この間、私たち以外は一人のお客様だけ。コロナの影響が避けられない状況とのことです。
百年記念塔を望む(ふれあいコース)
夕方、野幌森林公園ふれあいコースから大沢口までを散歩してきました。
雪のち晴れ。最低気温−1.9℃、最高気温3.7℃。
ヒヨドリ(バス待ちの間に)
今日は3か月ぶりに定期健診へ。バスを待つ間に近くの木に止まってなかなか動かないヒヨドリを撮影。近くにカメラを向けてもです。どうしたのかなと心配になってしまいました。
さて、次回の検診日は3か月後。その時は約1年が経過することになると担当医師から告げられ、「そうなんだ?」と思った次第です。順調に癒えてきているようで、ホッとしました。
帰りのバス時間まで、新札幌サンピアザで買い物。光の広場では「北海道産品応援フェア」が催されていました。買い物をして応援できるのであればと思い、購入したのが「鮭太昆布巻」です。商品はどれも2個で1個分の値段となり、さらにそこから2割引きと格安で販売されていました。
「鮭太昆布巻」は骨ごと柔らかく煮込んであり、塩辛過ぎず素材の旨味が引き出されている逸品です。
安価すぎるお値段での購入。それでもちょっとだけ応援の輪に関われたのなら良かったかな・・・と。
曇りのち晴れ。最低気温−0.7℃、最高気温4.8℃。
久しぶりに晴れの日の風景をカメラに収めることができました。
不安感に覆われている今だからこそ、できることを自分なりに一つ一つです。
曇り時々晴れ。最低気温℃、最高気温4.9℃。
習い事先ではマスク着用。今日はおしゃべりを慎み、すぐにレッスン開始。
その後、わだちになった車道を横目で見ながら野幌森林公園へ。
例年、ミズバショウを咲かせる湿地が雪を割るように顔をのぞかせ始めました。昭和の森のカツラは、大手を広げてお出迎えです。
自然の変わらない姿がそこここに見られました。
北海道新聞日刊紙
東日本大震災から九年目となる今日。忘れてはいけない日。
曇りのち雨。最低気温1.2℃、最高気温4.4℃。
三月に入ってから、初めて一日中プラスの気温となり、午後からは雨となりました。
傘をさして野幌森林公園ふれあいコースを散歩。樹々の枝先に雨粒が光っていました。車道にできた水たまりには小さな輪がいくつも重なり合って、ちょっとした幾何学模様の様相。
雨は、夜となった今も降り続いています。この雨は全道的なものらしく、河川の増水や土砂災害への注意がさかんに呼びかけられていました。
春の気配を感じるも、気持ちが晴れない今日この頃です。
晴れ時々曇り。最低気温−1.9℃、最高気温8.0℃。
キタコブシ ふれあいコース
バッコヤナギ
桂コース
日中は8℃と急に暖かくなった本日。陽気に誘われ、ふれあいコースから大沢コース、桂コースと歩を進め、一時間あまりの散歩を楽しんできました。
今日新たに7人の感染が確認された北海道。夕方には知事の臨時会見があり、記者さんの質問に真摯に答える姿が印象的でした。
曇り時々雨。最低気温−2.7℃、最高気温5.6℃。
夕張のマウントレースィスキー場へ。
このスキー場はコロナウィルス感染拡大防止のため、今日限りで終了とのこと。それもあってか、スキー客が多かったように思います。とはいえ、ゴンドラの待ち時間はないに等しかったです。
午後、夕張から戻る途中の由仁町で「ヤリキレナイ川」という標識を見つけました。アイヌ語で「ヤンケ・ナイ」または「イヤル・キナイ」と言い、意味するところは「魚の住まない川」または「片割れの川」とか。一級河川石狩川水系だそうですが、川の流れは確認できませんでした。
それにしても、「ヤリキレナイ川」とは、今の時世を代弁しているような・・・・・。
晴れ時々曇り。最低気温−4.2℃、最高気温3.6℃。
6:31
家人と我家から高速を使って約40分弱のサッポロテイネスキー場へ。頂上付近にはスキーヤーが少し見られたのですが、他はガラガラ状態でした。
普通に起き、普通にスキーへ行き、普通に滑って、普通に我が家へ戻り、夕食を済ませたところです。
こういう時ですが、できる範囲で普通にと・・・。
曇り時々晴れ。最低気温−1.8℃、最高気温2.6℃。
北海道新聞
商業施設EBRI(エブリ)へ壁面黒板に描かれたチョーク画を見に家人と出かけてきました。マスクをしてです。
店内に人影は数えるほど。余談ですが、布製のマスクが販売されていました。
雪。最低気温−1.2℃、最高気温1.3℃。
ご近所
文教通り(バス通り)
大沢口
バッコヤナギ
今日は啓蟄。「啓蟄とは、二十四気の一つ。春分の前で、陽暦の三月はじめころ。▷土中にひそんだ虫が動きだす時節の意。」と漢字源にあります。
当地では昨日からまとまった雪が降り積もり、我家でも家人が除雪に追われていました。この雪の下の土中では春を察知して虫が動き始めるのでしょうか。
午後から出かけた野幌森林公園では、うっすらと雪化粧した木々が美しい姿を見せていました。
新型コロナウィルスの正体が徐々に見えてきたようですが、感染収束への道はまだまだ遠く不透明。啓蟄を過ぎても、冬ごもり春遠き日々が続きそうです。
曇り。最低気温−3.1℃、最高気温2.9℃。
北広島にあるダイナスティスキーリゾートへ。自衛隊員の方々の他には数えるほどの来場者でした。営業は今月15日までとのこと。
曇り時々晴れ。最低気温−4.0℃、最高気温0.9℃。
通院後に立ち寄ったツルハでは、報道されているようにマスクは消えていました。店員さんにお聞きしたところ、マスクは本日入荷していなく、今後もいつ入荷するか分からないと。入荷したとしても、おひとり様一点とのことで、一点とはおよそ3枚から7枚入りらしいです。
手元のマスクは足りていて、今のところ大丈夫かと思うのですが、難なく箱買いしていた頃が遠い日のことになるとは・・・・。
今日はお雛祭り。桜餅を頂き、気持ちを明るく持って、免疫力アップに繋げたいところです。
さて、新型ウィルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言から数日後に一週間を迎える中、18時15分から知事による緊急会見がありました。
曇り時々晴れ。最低気温−3.7℃、最高気温2.8℃。
北海道新聞本日付け夕刊
「冬眠鼠」を「ヤマネ」と呼ぶことも、この鼠が大人の親指ほどの小さなものであることも初めて知りました。北海道には生息していないというので、知らなかったわけでもあるのですが、この小さな天然記念物の動物について愛情深く?綴られたコラムを読んで興味をそそられてしまいました。
ヤマネの仲間の先祖は5千万年以上前の欧州にいて、現在でも欧州やアフリカには30種類ほどが生存しているとのこと。でも、古いタイプが残っているのは日本だけで化石から欧州起原とのお墨付き。化石の出土記録から500万年前に日本に辿りついたと考えられているようです。
さらにコラムの筆者は、この小さな動物はどうやって今日まで生き残ることができたのかに思いを巡らせ、次のような結論にいたるのです。
一つは日本が大陸から切り離されて、ライバルとなりうる新しいタイプのヤマネが入ってこられなかったこと。
そして、もう一つの理由に「眠る」ということを挙げています。厳しい冬には蓄えた栄養を極力使わない方法として有効であり、しかもこの間は天敵に出会うことも少なくなるというのです。
このコラムは、「寝てばかりいる人は怠けもののレッテルを貼られがちだが、ある種の動物では、長く寝ていることも生き残りの戦略なのである。」と結ばれていました。
最近、春眠暁を覚えず状態で暇さえあれば寝ていたのですが、ヒト科が生き残るための戦略?ってことでしょうか?いや、それはない!ですね。