ふうせんのホームページ

合唱とパソコンを趣味として、つれづれなるままに、書き連ねます。

除染廃棄物が流出

2015-09-11 22:28:49 | ニュース

除染廃棄物、82袋が川に流れる 福島・飯舘村

http://www.asahi.com/articles/ASH9C5FX9H9CUTIL068.html?iref=comtop_6_06

 

各地に爪痕を残しながら、ようやく、大雨が峠を越えた。

しかしながら、床上浸水、床下浸水、河川の氾濫、がけ崩れ、などで孤立しているひ人は166人、行方不明者も23人。

というなかに、除染廃棄物が川に流れだしたのが、82袋。

回収できたのは、45袋という。

 

またしても、予期せぬ自然災害に翻弄されている放射性物質の存在が露呈した。

地震も雷も、台風も大雨も日本国内では、いつ起こるかはすぐにはわからない。

 

台風が来る。

大雨になると警報が出ていたのに、流出を防げなかった。

そして回収もすべてはできなかった。

想定外で今回の事も見逃していくのか。

 

すべて予想することは、難しいのが自然の猛威。

それを予測して、完全な備えをすることが、要求されて当たり前のことではないのか。

 

危険なものを扱うなら、それをきちんと防ぐ手だてが出来なければ利用すべきではない。

それほど、危険なものを何故利用するのか。

 

防御もしきれないものを利用する価値はないと思う。

利用するのは、人の生活のためのはずだから。

 

危険を防げない危険なものをこわごわ使う意味はないだろうと思う。

 

原子力を使うということは、少なくとも庶民のためではないとしか思えない。


バスの雑学

2015-09-11 19:38:07 | 日記

基本的に乗り物は好き。

但し絶叫マシン、は嫌い。

ハングライダーやヘリコプターには、乗ってみたいとは思う。

車の類は、バキュームカー以外は、運転してみたい。

但し、運転技術には自信がないので公道を走ることはまずない。

ショベルカーは一度動かしたことがあるのが自慢。

 

なので、バスは路線バスも観光バスも、高速バスも好き。

運転しなくてもいい。

ゆったり腰かけて、周りの景色を眺めたり、カラオケがあったら歌ってみたい。

最近は、鉄道を利用することばかりでめったにバスにのることがない。

 

8月に乗ったのが久しぶりだった。

 

バスの会社にしばらくいたことがあった。

バスガイドをバイトでしようかと思って門をたたいた。

対応してくれた総務の人は、たまたま、事務員の空きがあるということで、事務員の仕事を世話してくれ、2年弱バス会社の一員になったことがある。

勤務先は、その頃の「本社」路線バス乗務員のターミナルにもなっていて、休憩をとる運転手たちが集まって休憩していた。

インスタントのラーメンを手早く作って食べていたのを思い出した。

一人顔見知りが出来、時折、休憩室であったり、路線バスで乗り合わせることがあり、嬉しかった思い出もあった。

 

もう、定年になって、年金生活をしているだろう。

 

思いでの多いバス。

良く、利用していたころの小さい懐かしい思い出はまだまだある。

しかし、わが身を犠牲にした運転手さんの話は、いたたまれない思いだった。

「そんな、そんなことって!」

尊い犠牲があって安全が見直される。

ああ、バスにもあったんですねぇ。

 

「タイトルに偽りアリ!」

でもこの話は外せないか。

 

バスの面白すぎる雑学話

何と停留所の数が167か所、そんな路線バスがあるって、知ってた?!

謎解きゼミナール 編

河出夢文庫

ISBN978-4-309-49862-1


まわり道

2015-09-11 11:07:28 | 日記

人生においてもまわり道がある。

まわり道は、有意義なものになりうる。

いや、まわり道こそ、効果的と。

公職とか、先生と称される人には、順調な人生を送っている者が多いという先入観がある。

 

順調な人生を送っている者は、歯車がちょっとずれても、対応できない。

少しの間が魔になる。

 

そして、他人への思いが希薄。

痛みを知らないから、他人の痛みを理解できない。

というふうに、偏見があるので、

まわり道はいいのではないかと漠然と思っていた。

 

この書を読んで、まわり道こそ不可欠なものになるらしいと思った。

 

まわり道をしてきた人には朗報。

まわり道に陥って困っている人には、明るい未来があるよと思った。

まわり道ってあっていい。

無ければ無くて良いのではなく、あったほうがいいのだ。

 

「まわり道」の効用

画期的「浪人のすすめ」

小宮山悟

講談社+α新書

ISBN978-4-06-272677-1


台風の猛威

2015-09-11 09:26:31 | ニュース

大雨被害があった、今回の台風18号の爪痕はすさまじい。

直撃したわけではないのにというのが最大の驚き。

例年なら四国あたりから北上の台風の時は関東に雨がふっても海岸沿い以外はさほどの影響はない。

 

今回は、日本海側に抜けて熱低になったというのに、日本国中のほとんどに警報や注意報が出た。

大雨が西から東に少しづつ移動してきた。

東京アメッシュを見てると、刻々の変化がよくわかった。

東京の東部に大雨の表示がくると、それから何時間たっても、東へ動いていかない。

交通網は、遅延、休止、などの表示が沢山あった。

NHKの動画ニュースで、川の氾濫を見た。

こんなことが起こっていることが不思議だった。

直撃でもないのに----。

 

最近、何十年ぶりの〇〇の言葉を良く見る。

熱低と台風が日本列島を挟んでいた。

 

自然は、いつも違う姿になるということを肝に銘じる必要がある。

過去の再来は、同じではない。

 

 

相模川・相模川河口部のライブカメラ

http://www.ktr.mlit.go.jp/keihin/keihin00191.html


台風と低気圧

2015-09-10 11:43:11 | ニュース

ほぼ、日本中に警報や注意報がでていて、雨雲が、栃木・茨城を中心に雨を降らしている。

 

NHKのニュースサイトでは、TVの中継がネットでも見ることができる。 

http://www3.nhk.or.jp/news/live/

 

四国近辺を北上して日本海側に抜けると、今までは天気が回復。

風雨がおさまり台風一過になった。

 

今回は、四国近辺に上陸するころから今までは少しくらいの影響ですんでいた東日本でも、強い雨や大雨に見舞われた。

 

日本海側に抜けたというのに、天気が回復しない。

 

大雨を降らしている雨雲が東京や千葉にかけての広い範囲に居座り続けた。

 

1時間もすれば太平洋へいくのかと、楽観していたものの、2日たっても動かない。

 

関東地方と福島の8都県で避難勧告は約124万人に上ったそう。

東に行こうとする、台風から熱帯低気圧になった低気圧を東にまだいる台風が西北へ行こうとしているらしい。

 

初めて見る動きだ。

この大雨はまだ続くとか。

 

ドラえもんの秘密道具があったらなぁと思う。

 


駅探

2015-09-10 11:04:23 | ニュース

よく利用しているサイトに「駅探」がある。

 

電車の時刻、経路、運転状況、駅名での検索、駅の周りの地図、駅構内の案内図等々。

色々な情報を提供してくれる。

 

路線の遅延情報もある。

http://ekitan.com/

 

刻々とかわる電車の情報は、外出したいとき、初めての場所へ行くとき、時には、広範囲でのことも知ることができる、大変ありがたいサイト。

日本国中どこでもOK。地域に限定してもOK.

チョイスしての情報も可能。

 

運営している会社は「株式会社駅探」

 

沿革

http://ekitan.co.jp/corp/history.html


集中しての暗譜

2015-09-10 09:53:59 | 合唱

意図して暗譜をしなくても、頭に入る曲もあれば、意図して覚えなければならない時や意図して覚える必要に

迫られる曲があります。

 

何度も何度も、聴いていて覚えるのは、その曲に、思い入れや好きになった曲。

こういう場合は意識しなくても頭に入ってきます。

 

なんとなく過ごしてしまった曲は、断片しか覚えてなくて、歌詞どころか、曲もあやふやだったりします。

 

演奏する日が決まっている場合は、どうしても本番に合わせて取り組むことが多くなります。

8月下旬に本番があって、それまでは注力をそれに合わせてきていました。

8月に本番が終わり、今度は10月の本番に向けて練習に集中しなければいけない時期になっています。

 

9月もはや中旬に入ります。

10月本番の曲が、仕上げに入ってなければいけないはずが、まだ、そこまで行っていません。

 

何とか遅れを挽回すべく、予定をたてました。

合唱なので、声がでないと話にならないので曲の大まかな流れをまず叩き込みます。

 

大まかなところをこの一週刊でつくりあげ、第二段階として、言葉を修正していきます。

土器づくりに似ている?

土器を手作りしたことはないので大きく違うとお叱りを受けるかもしれませんが、素人として似ているようにおもいました。

さあ、あと2週間です。

精一杯、集中して取り組まねばなりません。

 

 


「使用」、一転「中止」

2015-09-09 14:48:17 | ニュース

『エンブレム入り紙袋など、一転「使用中止」に』のニュースがあった。

 

よくもまあ、ころころと変わるもの。

いけしゃあしゃあと、言えるものだと思う。

 

旧のマーク入りのグッズを使用中止にするのは、なんとももったいないなぁとは思う。

 

しかし、使用が中止となったものを、商店が古いロゴを使うのであっても、品物があるうちは使いましょうとはならないはず。

 

使用が中止になったものなら使えないのが本来だと思う。

 

「使うのは問題なし」の判断。

そして、「イメージが悪化したエンブレムは使わないほうがいい」という話もちょっと違うのではないかと思う。

使用を何故中止になったかを考えれば、使ってもいいという発想にはならないと思う。

 

よく、会社人間は、会社内の常識が世間でも常識と思い込んでいる節があるが、常識的な物事の思考がないように見える。

 

世間知らずでは済まなくないか。

余計な出費だって、見通しの甘さや、思考の稚拙さで大きくもなるし、小さくもなると思うのだが。

皆さん、頭が良いはずなのにすることは稚拙。

 

参考記事→http://www.yomiuri.co.jp/national/20150904-OYT1T50126.html?from=yartcl_outbrain1


学歴詐称問題

2015-09-09 11:23:59 | ニュース

学歴詐称で町に6年勤務した職員が、勤務態度に問題で発覚し、依願退職した給与差額分を返納したという。

http://www.yomiuri.co.jp/national/20150904-OYT1T50027.html?from=yartcl_outbrain1

 

公務員は、狭き門だったはず。

狭き門を大学卒業できなかった者が受験し、採用されていたということに、驚く。

採用試験は、成績と、卒業見込みの学校からの内申書だけ。

勤務態度がどうかは採用後にしかわからない。

 

成績だけでは測れない人の性格。

 

不採用になった勤務態度はよかっただろう人を採用できなかったのは、結局雇用する側の損失ともなる。

不採用になった者の精神的なショックもあろう。

 

試験で人のすべてをはかることはできない。

成績や表面に現れたところだけで判断をするしかないのは、解かるが、こういうことが起きると、

何とかならない物かと思ってしまう。

ある意味人の人生をそれも二人の人生を狂わすのだから。

 

挫折を知った者の方が人生にはプラスになるとはいわれるけれど、そうとばかりならない者もいる。

やっぱり、おさまるところに収まるような体制で会って欲しいと思う。

 


合唱時の腰の掛け方

2015-09-09 09:09:33 | 合唱

2時間の練習時には、たいていの団は椅子を用意します。

休憩中、練習開始前は、椅子に座って思い思いに過ごします。

楽譜を確認する人。

楽友と言葉を交わしている人。

夕飯をぱくついている人。

 

くつろいでいる時は、極端に言えば、どういう座り方をするのも自由です。

しかし、練習が始まったら、練習に臨んでいる掛け方をしたいものです。

 

通常は、椅子の前の方に尻をつき背筋を伸ばすのが理想的です。

伸ばせない人、伸ばすと背中が痛むなどの支障のあるかたは、楽な姿勢で構わないと思います。

 

しかしながら、支障のなさそうな場合は、練習中、パート練習で自パートが声を出さない場合を除き

きちんと、背筋を伸ばして浅く腰をかけることをお勧めします。

 

声には姿勢や、態度も現れます。

腰を深くかけて背中も丸まっているのは、論外と考えてます。

オペラ歌手は寝ていても、うつ伏せでも歌わなければならない場合がありので、どんな姿勢でも歌えることを要求されますが、オペラ歌手は基本ができていて、どのような姿勢でもきちんとした声を出すことができるようになっています。

アマチュアは姿勢が影響しやすいですし、指導者にたいしても失礼ではないかと思います。

 

以前、所属していた合唱団では、指揮者から指摘があったり、団内の者やヴォイトレの指導者からは立ち姿と同じように椅子の掛け方も指導されました。

本番で、椅子に掛けて待つという事もありますし、日常の練習時から、声を発する時は、それなりの姿勢にさっとりかえることが大切なことではないかと思っています。

 

深く腰を掛けて背を丸めている人を見ると、「ヤル気あるの?」と疑いたくなります。

 

浅くかけて背筋を伸ばすとヒップアップにもなるそうですよ。


浄化槽への転落事故

2015-09-08 21:50:08 | ニュース

家庭内での事故や怪我は、結構多いらしい。

 

階段から落ちたとか、つまずいたとか、誤飲とか。

急病や怪我など、は毎日どこかでおきているよう。

 

今日は、こんなニュースがあった。

http://news.goo.ne.jp/topstories/nation/958/919cfb16e8bbd70b282ce69f162dc096.html

 

浄化槽の点検をしていた人が、直径46センチの点検中に頭から転落、救急搬送されたものの溺死したという。

 

30cmあれば溺死するというのを聞いたことはあったが、直径が46センチといえば、はまったら自力で抜け出すのは困難かもしれない。

 

よく、指輪が抜けなくなって・・・というのを聞いたことがあるが、浄化槽に遊びをとは通常考えないことかもしれない。

 

よく狭い所に入り込んで抜けなくなったというのを聞く。

壁に挟まった猫とか、細身の人。

窓から出ようとして挟まった泥棒とか。

 

危険なものはどこにでもある。と言えるかもしれない。

最近は危険予知をまるで気にしない風潮がある。

 

どこに危険があるか、どういう危険が潜んでいるのか、気にしないといけないということへの警鐘なのか。

 


大阪市立少年保養所

2015-09-08 15:29:17 | 日記

大阪市立少年保養所

かつて、大阪府貝塚市に大阪市立少年保養所という名称の建物があった。

そして少年保養所のすぐ近くに、大阪市立貝塚養護学校

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82%E7%AB%8B%E8%B2%9D%E5%A1%9A%E9%A4%8A%E8%AD%B7%E5%AD%A6%E6%A0%A1

があった。

 

少年保養所というのは、結核にかかった小学生、中学生のための保養所で、親元から離れてここで療養しながら病気が軽い子どもは近くの養護学校に通うという生活を送っていた。

保養所には、医師、看護師、寮母、ボイラー係り、薬剤師、調理師などが通いや宿直勤務を行っていた。

初めは結核療養だけの施設だったらしい。

結核児童の減少、ぜんそく児童の増加という背景からか、小児結核療養の施設だったけれど、小児喘息の子どもが半数近くを占めるようになった。

1992年には小児結核、小児喘息の治療法がかわって入所者が減り閉鎖になったそう。

養護学校は閉校されたが、やがて、生まれ変わったらしい。

http://osakawalker.com/Pages/sannojo.html

 

所縁があった、思いでのある少年保養所。

(1974年頃から3年ほど勤務)

 

ここを懐かしむ者、廃墟としての脚光になっているらしいことを最近知った。

 

あの頃の小学生、中学生たち。

今頃は、孫のいる人もいることだろう。

亡くなったという話もあったようだ。

 

自身にいとっては、思い出も、段々遠のいていっている。

 

遠い、記憶の一つです。

 


プロ野球

2015-09-08 08:42:08 | 日記

プロ野球の選手になった知り合いがいた。

はじめプロになった頃、ファンの一人にその選手の話をしたら、「そんな名前の者はしらない」と言われた。

結構、注目(?)されていたと思っていたが、そうでもなかったらしい。

その後その選手は、頭角を現して打者として、プロ野球のファンに知られていった。

 

その後、トレードで別のチームに入り、その後引退。

 

そして、次には監督として、活躍した。

 

もう一人は、戦力外になり、引退。

 

以前、「あぶさん」という漫画に魅せられて、せっせと見たことがあった。

その時に、プロ野球界の事をカイマみた。

 

プロは、プロ。

プロの道は、結果を出すのが当たり前。

結果が出せない者は、戦力外になり、引退に追い込まれる。

スポーツの世界の厳しさの一端を知って、道を究めることの試練をちょっぴり知り、プロ人への敬意さえ抱いた。

 

スポーツ以外でも、プロの道は厳しい。

その厳しさの一端をちょっとかじれるアマチュアは、ある意味、面白さと厳しさを感じられる得な存在カモしれない。

 

プロ野球「戦力外通告」

美山和也

加藤慶

田口元義

洋泉社新書


戯言です。悪しからず。

2015-09-08 00:17:02 | 日記

作り話とわかっていても、気になる。

ウソなんだと分かっていても、涙が出てくる。

そんなドラマがる。

そして、作り物がばればれのドラマもある。

バレバレなのに、惹きつけられて、最後まで見てしまうドラマ。

ばかばかしくて見るのが嫌になってしまうドラマもある。

 

この差ってなんなのだろうか。

 

csやらbsやらが身近な物になって、夢中になってテレビにかじりついた時があった。

ドラマに魅せられて、仕事にとらわれる時間が惜しい気がした。

 

最近は、ドラマの中の遺体が結構作り物とわかるようにはなった。

でも、時折判別のつかない時も。

以前電車や自動車のシーンがあると、画面上でちらちらしている所を見つけて、ああ合成だとがっかりした。

合成でも合成解らないような画面を望んでいた時期があった。

 

合成技術も進化し、ちょっと見には合成とわからない画像が多くなった。

 

それが一時期、人形だなとすぐわかるようなちょっと稚拙なものが増え、ちょっとがっかりもした。

 

不思議なもので、真実とは違うと頭では分かっていても、囚われてしまう画像。

一見、本物らしく見える物の、容易に作り物と判断できるもの。

 

その境目が両極端になっているという気がするようになった。

 

本物としか見えない。

あるいは、作り物とはわかっているけれど、・・・・

のどちらかが良い。

 

視聴者は、わがまま。

でもそれにこたえようとするスペシャリストがいてくれて、満足させてくれると、勝手に期待する。

 

それが、発展につながるのではないかと勝手に思う。

向上心、進歩が上をめざし、それを支える。

 

悲劇になることもあるそう。

でも、やっぱり進歩したい。

 

それは、人にだけにあるのではないか。

 

進歩は欲求の一つ。

欲求を満たす。

あるいは、次につながるから嬉しくて、楽しみなことになる。

人にある特権だろうと思う。

特権だから、そのことを楽しみたい。