GABACHOP〜あがんにゃな日々〜

趣味について、日記がてら。

簡易映画レビュー2004

2006年01月09日 | 映画

 2004年に見た映画を、個人的見解で点数付けます。

 ちなみに2005年のはこちら

 満点は100点。管理人はかなりひねくれていますが、そのくせ自分がお金払った物に関しては意地でも満足するよう自分自身を洗脳しにかかるので、一般人にはあまり参考にならないハズ。ご了承を。

『コラテラル』(65)
 ブラピのかっちょよさが全てな映画。ストーリーも悪くはない。

『バレットモンク』(30)
 アジアンマッチョ坊主のアクション映画。このドつまんなさが逆にツボ。

『リクルート』(60)
 こういう映画を見るときは何も考えないように。先読みせずに正しくだまされよう。

『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』(70)
 ファンタジー嫌いなのでこんな点。好きな人にはたまらないのでは。長くて疲れた。でもおもしろい。

『レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード』(60)
 こういう単純アクション好き。

『漫☆画太郎SHOW ババアゾーン(他)』(10)
 同監督の前作『地獄甲子園』は傑作なのに。ねらいすぎたか。

『N.Y.式ハッピー・セラピー』(1)
 生まれて初めて途中で映画館出た。

『CASSHERN/キャシャーン』(15)
 前半はかっちょええ。六本木ヒルズに住んでる人が作りそうなひとりよがり作品。

『キル・ビル vol.2 ザ・ラブ・ストーリー』(40)
 何を語ってもタランティーノの掌の上。

『スクール・オブ・ロック』(60)
 ロック好きにはたまらん。シナリオはどっかのパクリだけど問題なし。

『ドーン・オブ・ザ・デッド』(70)
 ゾンビがわらわら~ムシャムシャ~。楽しい。

『デイ・アフター・トゥモロー』(65)
 こういうありそうでない世界観を疑似体験できる映画好き。

『スターシップ・トゥルーパーズ2』(60)
 清く正しいコテコテアメリカSF映画。の割にはおもしろい。

『メダリオン/飛龍再生』(20)
 ジャッキーはスクリーンの中に存在しているだけでOK。許す。

『いかレスラー』(100)
 この映画に出会えた奇跡を一生忘れない。

『マッハ!』(70)
 アクションがすごい。めちゃくちゃすごい。でもおもしろくはない。

『リディック』(35)
 主人公が弱そう。

『華氏911』(40)
 小難しい話嫌い。

『ヴァン・ヘルシング』(60)
 ドラキュラと狼男とフランケン。アメリカ版怪物くん。そこそこ楽しい。

『ヴィレッジ』(55)
 怖がりなので、森の中のシーンにドッキドキ。オチはどっかで見た。

『バイオハザードII アポカリプス』(50)
 前作は好きだった。女ランボー対ターミネーター。

『アイ,ロボット』(70)
 ロボットの作りがアメリカっぽくてなじめず。それ以外はおもしろい。

『ソウ/SAW』(90)
 見てない人はレンタルショップへGO!

『80デイズ』(60)
 ジャッキーは(以下同文)。それでいて案外おもしろい。

『あゝ!一軒家プロレス』(100)
 主演の橋本真也追悼点数。

『エイリアンvs.プレデター』(80)
 駄作かと思ったらなかなか。嬉しい誤算。



 我ながら頭悪そうなレビューだなあ。でも深く考えて映画見ても楽しくないのです。肩の力抜いて、頭からっぽにして、のんびり見るのがGABACHOP流。頭使うのは仕事だけで十分。ちなみに、となりに彼女がいたとしたら全部100点。言える。






イラストを投稿してました

2006年01月09日 | 日記・コラム

 今回は内輪向けの内容になっています。関係者以外が呼んでもイタイだけやと思いますので、読み飛ばしてください。

 28歳にもなって、幼稚かつ稚拙なイラストを描き続けています。少々長くなりますが、事の発端は、こうです。

あれは小学5年生の時。母親が買ってきた一冊の小説『三国志』。それは子供向けに短く編集されていたものの、やたら個性的な人物達、よくわからんけどすごそうなストーリー、結局主役もライバルも天下を取れずに終わってしまう不条理さなどにまみれていて、図書館で江戸川乱歩の少年探偵団シリーズを読破した少年の心を、グワシッと謀図かずおばりにつかみ離しませんでした。

 ひたすら読んだ。孫堅、孫権、孫乾(いずれも“そんけん”)の区別もつかないままに、むさぼり読んだ。

当時、僕は、学校内でもそこそこ勉強ができるほうで、ちょっとひねた性格のせいもあり、人生に見切りをつけていました。このまま勉強で身をたてたとこで、ありがち人生の焼き直しじゃないか、そんなことばかり考えていた。そういう発想自体、実は案外ありがちだというのも知らずに。

 まあ、それはそれで、勉強で身をたてることを否定し、別の世界で才能を発揮し、己を磨いていった偉人は多い。そんな人生のターニングポイントで僕は何を選択したのか。『三国志』でした。・・・。母親が、息子の知的レベルの向上にと思いなにげなく買って来た一冊の小説が、その後の息子の将来を大きく、どうしようもない方向に持って行こうとは、その時は誰も予測できませんでした。

 中学に入学してバスケ部に入りました。動機は単に背を伸ばしたかっただけ。不純です。でも楽しかった。翌年、週刊少年ジャンプにて大ヒット漫画『スラムダンク』が連載スタート。作者井上雄彦にはデビュー作『カメレオンジェイル』のころから目をつけていたひねくれ少年にとって朗報でした。ただ、『スラムダンク』は想像以上にヒットしてしまいました。2年生になった時、バスケ部には30名の新入部員が入ってきました。人とのコミュニケーションが苦手な僕のモチベーションを下げるのには十分で、ますます『三国志』に逃避することになります。

 当時はプチ三国志ブームでした。光栄(現コーエー)のファミコンゲーム『三国志』が発売され、アニメでも『横山光輝三国志』がスタート、NHKでも『人形劇三国志』再放送が放映されていました。“俺の時代がまもなくやってくる”、そう確信したバカ中学生は、周囲が漫画『ろくでなしブルース』の話題で盛り上がりプチヤンキー化していく中、一部の友人達と、『人形劇三国志』に登場するキャラクターの物まねなんぞで盛り上がっていました。

 なんの成長もないまま、高校に進学。数年前には学年でもトップクラスの学力だったのが、次第に見る影もなくなってきます。勉強しないのだから当たり前です。落ちぶれた僕は、可も無く不可も無い平凡な学校で、机に落書きなんぞをしつつ、微妙な毎日を送っていました。

 ある日、本屋で、ある雑誌に目がとまります。歴史やゲームに関する読者投稿ばかりを集めた、いわゆる“投稿本”でした。三国志のコーナーもありました。元来イラストや文章をを書いたりするのが好きだった僕は、高校では共通趣味の友人が皆無だったために行き場のなかった創作意欲を、半分興味本位ながらも数点の作品として投稿してみました。載りました。他愛も無い、ゲームの感想を書いた数行の文章だったのだけど、不特定多数が購入する媒体に自分の作品が載ったという事実に、少しうれしさを感じました。

その後も投稿を続けました。ところが全然載りません。それもそのはず、本格的な手法のイラストや文章なんざ描いたことが一度も無いわけで、したがって知識もほとんどなく、無地ノートに色鉛筆(あきらかに印刷に写りにくい)で描いたイラストなんかを恥ずかしげもなく送り続けていたのですから。約1年が過ぎたころ、少しは進歩したのか初めてイラストが載り、その後も下手な鉄砲なんとやらで、質より量の投稿を続け、20枚送るとだいたいお情けで1,2枚載るなりました。送る前に、自分で没にした作品もあるので、実際には30ほどの作品を、毎月書き続けていたことになる。さすがに進歩したのか、多少は見れた絵面になってきたような気もします(今見るとそうでもない)。次第に軌道にのり、のべ5,6年で、32号連続掲載を達成、雑誌内では、ちょっとは名が知れるようになりました(いい意味でか悪い意味でかは置いといて)。

 当時、下手なりにひとつだけ心がけていた事があります。けして、自己満足のみに陥らず、見た人がちょっとでも心を動かしてくれる作品を作ろう、と。当時よくあったのが、好きなキャラクターのイラストをひとつ描いて、横にどうでもいい自己満足的な雑感をちょこちょこっと書いた作品。鬱屈した自己の発表なら他所でやってね。せっかく描くなら、ちょっとひねりのある、お金を払ってこの本を購入している読者をちょっとでもニヤっとさせる作品を作り続けたいな、と。もっとも、実力がこれっぽっちも追いついていなかったので、読者の感想は似たようなもんだったか、それ以下だったろうけど…(実際某掲示板で、嫌いな投稿者として名指しされたり)。

 そんなバカな事を考えているうちに月日は流れ、三十路にあと一歩な年になりましたた。その雑誌もとうの昔に廃刊になったし、当時の事を思い出すと、恥ずかしくて体中に鳥肌がたちます。元来性格はマニアックなのに、アンチオタクの僕は、正直“萌え”とか秋葉系作品には生理的にヘドが出る体質で、それでも未だにイラストを描き続けているのは、投稿者時代に言われた『○○さんの作品のファンです』という女の子のひとことから。

今回は「もてない青年に与える、女の子のなにげない一言の衝撃」についての考察でした(違う)。




カラオケ論

2006年01月09日 | 日記・コラム

 カラオケが大嫌いだった。狭い密室、聞く気のない周囲、無理矢理感漂う盛り上がり。生理的に合わなかった。集まればとりあえずカラオケ、そんな友人達を心の底から侮蔑したもので、誘われても大抵断っていた。

 ところがどっこい、今はカラオケが大好きである。マイクを手放して一ヶ月もすると、体はガクガク、脳みそドロドロ、あたりによだれをまきちらし、あたかもどら焼き禁断症状に苦しむド○えもん(36巻参照)のごとくと成り果てる。

 われながらどういう心境の変化だろうか。いや、なにひとつ変わってはいないのだ。狭い部屋で許可なくタバコなんぞ吸われようものなら、机ひっくり返して大暴れしたくなるし、他人が歌ってるときに選曲本見たり、会話している輩がいようものなら髪の毛つかんで引きずりまわしたくなるし、無理矢理盛り上げようとする雰囲気には反吐が出そうになる。

 しかし、それはあくまで個人的な見解・感情であり、人間界は広い、中にはそうする事で心底楽しめる人間がいてもおかしくないわけだし、検証するまでもなくいつ何時でも少数派に属してしまうひねくれものの自分の事をかんがみれば、こちらが我慢するのが妥当であり、周囲にとって最良の選択であろう。皆が喜んでくれるなら、人徳者たるもの、望んで自らをいばらの道へといざなう度量が必要とされるのである。ともすれば話は簡単。古来より、歌や演奏は、祭祀、娯楽、軍楽など形は様々なれど、すたれる事なく脈々と受け継がれてきたわけで、それは人間の本能に根源的に存在する不可避な欲求なのである。ただその本能に基づき、愚物どもは完全に無視し、ただ歌うことを楽しめばいいのだ。

 以上のことにより、僕にとってのカラオケは、コミュニケーションの場ではなく、個人的なストレス解消・発散の場となった。そもそも日常の生活空間で、声を張り上げて叫ぶなど、よほどの理由がないかぎりキ○○イの沙汰であるわけだが、この行為は実にストレスの解消に持ってこいなのであるし、また、他人に自分の好きな歌を提示する行為と言うのは、これまた日ごろは素直に表現し辛い自己を表現するという行為を彷彿、精神衛生的には大変よろしいこと明確である(聞かされている方は十中八九どうでもよく思っているのだが)。楽しい。めっちゃ楽しい。高い音階の曲を初めて歌う時のハラハラドキドキ感、難しい歌を間違えずに歌えたときの達成感、あきらめていたマイナー曲が配信されているのを見つけたときの高揚感。わはは、カラオケ最高。

 ということであるので、正直、他人は無視し、ひとりマイペースで歌っていたいわけなのだが、いくらひとカラが流行っているとはいえ、ひとりでカラオケに行くほどの勇気があるでもなく、それにやはりひとりは寂しいので、友人と席をともにせざるをえないわけで、そんな中ひとりマイクを離さず歌い続けるのも、自分のされて嫌なことはなんとやらで、恐らくは場の雰囲気をしらけさせるに違いなく、仕方ないので、がんばって流行歌を覚え、少しでもみんなの輪に入って一緒に歌えるよう精進する毎日であるし、それも案外楽しかったりする。ヒュルリーラ。



【UGA】業界最高100,000曲配信機種!
http://ugakara.com/pc/index.html

【HYPER JOY】業界2位、約50,000曲配信。マイナー曲充実
http://joysound.com/index.html

【CYBER DAM】月1000曲新曲配信。音質はピカイチ
http://www.clubdam.com/karaoke/index.html

以上3機種以外に誘われる=喧嘩を売られたとみなします(それだけクオリティが違うのだ)。


【ひとりカラオケ】
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?

【Request Station】カラオケ新曲リクエスト簡易化サイト
http://yokazaki.org/~request/






私的ダイエット法

2006年01月09日 | 日記・コラム

 高校生のころからずっと58キロ前後をキープしていた体重が64キロに到達していた事に気付いたのは今年('05)の春だった。本気で打ち込んでる人が聞いたら確実に罵詈雑言と鉄拳を叩き込まれる覚悟を強いられる程度の内容だが一応4年間武道をたしなんでいた自分にとって、肉体の著しい退化は屈辱に他ならない。早速ダイエットの開始である。

 今現在、通販などでダイエット商品が爆発的に売れていて、常に新商品が開発され続けているのは、これすなわち、それら商品に期待以上の効果と呼べるものが発現していないからであって、もし本当に効く薬や器具があれば、それ以降新作などが登場する意味がないわけで、したがって物や薬に頼るダイエットを考えることは端からしなかった。やはり基本は、運動と食生活の改善、この2点。子供でも知っているこの世の心理である。まずは運動。通常の帰宅ルートは「地下鉄10分~JR線13分~自転車20分」なのだが、まず地下鉄10分、駅にすると3駅分を歩くことにした。これでおおよそ40分の有酸素運動を確保。これに自転車の20分(上り坂)を加えると1日あたり1時間となり、カロリーに直すと200キロカロリーの消費となる。途中コンビニでプロテイン系のゼリー飲料なんかを買い食いして自己満足にひたり、家に到着すると、すぐさま短パンに履き替え、2階のトレーニングルーム、というか自分の部屋に移動、サンドバッグを一心不乱にぼてくりこかす。全力&無呼吸で2,3分続け、ほんのり貧血になり意識が朦朧としたころにストップ、筋トレへと移行する。以下その内容。


【月・木曜日 胸と肩の日】

●ワイドプッシュアップ(40回)

●サイドレイズ(20回)

●フロントレイズ(10回)


【火・金曜日 足の日】

スクワット(100回)



【水・土曜日 背中と腕の日】

腕立て伏せ(40回)

リバースプッシュアップ(20回)

アームカール(20回)

ダンベルローイング(20回)

ストレートローイング(20回)


プラス毎日腹筋50回・横腹筋50回。


 その後、適度に鏡の前でポーズを決めた後、水シャワーをサッとかぶり、クーラーの効いた部屋でキンキンに冷やした牛乳(時にはマンゴーカルピス入り)をガブ飲んで終了。

 正直、ちょっとでもスポーツをかじった人には物足りない運動量かもしれないが、当方学生時代に通信簿で体育に関して3以上の評価をされたことのない、根っからの運動オンチであり、また、最近読んだうさんくさい心理学の本によると、昨今マッチョはあまりもてないらしいので、これっくらいが丁度いいのである。

 次に食事である。とりあえず1日4食を3食に減らす。我が家では晩御飯が夜9時以降なのが普通であり、そのため空腹に耐え切れず、会社帰りに軽く外食を間食してするのが日課となっていた。学生時代は(運動オンチなりに)ガンガン運動していたのでそれでもよかったのだが、運動不足のサラリーマン生活ではそうも言ってられない。ひたすら我慢。そしてなるべく炭水化物の摂取量を減らすことにした。ご飯の量を半分くらいにしたのだ。おおよそご飯茶碗1杯分で100キロカロリーあるらしく、ということは、1日2食のご飯を半分にすることで、約30分の有酸素運動に匹敵するのだ(多分)。

 飽きもせず、続行すること3ヵ月。体重は64>58キロとなり、体脂肪率は19%>12%に。よっしゃ、ダイエット成功!…かに思われたが、折り悪く、会社内で健康診断が行われ、結果、「中性脂肪が少なすぎます」「もっと食事を取りましょう」などとのたまわれ、思わず、キーッ、覚えてらっしゃい、な今日このごろである。

 あくまでなんの根拠もなく思い込みで作成したトレーニングメニューなので、真似して失敗した人がいても、正直知ったこっちゃないのです。押忍。






お酒の席

2006年01月09日 | 日記・コラム

 正直酒が大嫌いだ。もっとも、酒という存在自体に恨みがあるわけでなく、ふとコンビニや自販機などで見かけたからと言って、おのれここで会ったら百年目、積年のうらみつらみ、今この場で返してくれるわい、と叫んで大暴れ、うなる鉄拳、飛び散るガラス片、辺りはたちまち阿鼻叫喚の無限地獄、鳴り響くサイレン、容赦ない包囲、脱出の機会を失して店員を人質に立てこもり、空路トリニダードトバゴあたりに新天地を探そうと車と飛行機を1時間以内に要求するも、血気に逸る新人警官の暴走であえなく射殺され、短いその生涯を閉じる、なんてことも恐らくは今後起きないであろう。

 前ふりが長くなったが、要は、体質に合わないのである。いや、性格に合わないと言うべきか。一部の諸兄はご存知かも知れないが、当方、少々ひねくれ者のケがあり、少々嫌なことがあったからといって、酒ごときで気分を良くしてまぎらわすなんざ正直弱者の発想なのであり、世の中もっと苦しい思いをしているのに、逃避することすらできず、悶え苦しんでいる輩が山といるじゃねえか、ええい、この程度のストレス自力で乗り切ってくれるわ、とサンドバッグを購入、一心不乱にボテくりこかし、頭突き、後ろ拳胴突き、足の上がらないハイキック(ミドルキックじゃん)なんかを呼吸困難になるまで叩き込み、半分目を回しながら、氷で冷やしたマンゴーカルピスの牛乳割りを喉に流し込み、風呂場で水をかぶり、パンツ一丁でクーラーのきいた部屋で寝転がり、アストロ球団全5巻なんかを熟読し、「敗者に歴史は作れねえ!」、などとおもむろにセリフを真似て叫んでみたりして、ひとりイヒイヒ言いながら、そのままうたた寝なんかする毎日を送ることを最上の喜びとしている今日このごろである。

 そんな自分にとって、どうにも理解不能なのが、酒をコミュニケーションの道具として利用している輩たちの存在である。酒というものには、好き嫌いはもちろん、体質的にも合う、合わないが存在するのであり、それは現代の医学でも理論的に立証されている事実なのであるが、そのような不完全なものが、どうして人と人との潤滑油たりえるのか。それでも酒は必要だ、嫌いな者は少し辛抱したまえ、飲み続けていればいずれは体が慣れる、そうすれば極楽が待っているのだ、僕は君の事を思っていってるのだから、その意気に感じて、ささ、ぐいっと、などとのたまう輩は後をたたないだろう。しかし、だ。彼らは自分の好きな酒という存在を、好意かどうかは知らないが、酒の嫌いな当方にすすめてくる。それでは、逆ならどうだ。こちらが、運動不足の相手を気遣って、明日一緒に空手の乱捕り稽古をしませんか、なあに今格闘技がブームだ、汗をかくのは気持ちいいし、やっぱり男は強くなきゃあね、それにこんなにおもしろいことをやらないなんざあ、あなた人生の半分を損してますぜ、へっへへ、などと善意で忠告したところで、彼らのほとんどは耳を貸さないであろう。それは、よくよく考えるとケ○の穴の小さい行為である。他人を自分のテリトリーに引きずりこむのは良しとするも、逆になると彼らは自分の殻に閉じこもってしまう、そんな無知蒙昧で四面楚歌な輩に、相手のことを気遣う余裕などあるべくもなく、ただ飲めない人間を探すことに奔走し、見つけたら最後、飲めないあなたは可愛そう、飲める僕はお利巧さん、などとのたまうのだ。てめえらが飲みたいだけじゃねえか。ええい、よるな触るな、凡人どもめ。酒飲まないと吐露できない程度の本音なんざあ、犬にでも食わせとけい。

 と、こんな事を長々と書いて喜ぶ性格が災いしてか、正直友と呼べる人間が慢性的に不足気味であり、そんな生活にも少しなれたが、やはりちょっとだけ寂しく、正直凡人でもいいので、語り合える友達が欲しいと思い、ああ、みんなと酒が楽しく飲めるようになりたいなあ、と切に願う日々。