パンクロッカー兼作家、町田康(まちだこう)の小説にはまっています。
僕が町田作品ではじめて手に取ったのは『へらへらぼっちゃん』なるエッセイ集。一話目の「旅人・遊び人」を立ち読みしてみました。
“遊んで暮らしたいなあ。考えていると電話が鳴る。出てみれば、一応の面識はあるが、さほど親しくはない年少の知人。用件を話す。用件が済んで切りぎわ、世慣れた調子で吐かす「今度遊ぼうよ」憤激する小生。遊んで暮らす、ということが大変にむつかしいというのは、このようなふざけた輩が居りやがることからも知れる。”(以上引用)
遊んで暮らしたいのに、誘って来た友人に大して憤慨。不条理です。不条理なのだけど、なぜだかわからないのだけど、100%共感している自分に気づきました。
いや、ちょっと待て、俺はこんなにもひねくれてないよ。友人に逆ギレって、なんだよそれ。もし俺が誘われたら、それはそれは喜んでかけつけ・・・。
ん?あれ?・・・・。
・・・・。ない。・・・・。誘われた記憶がない・・・。なんということだ、友人を誘った記憶は多々あるのだけれど、誘われた記憶がこの数年一度もない!
そう、このひねくれた性格が災いしてか、もはや友人と呼べる存在は数人しかおらず、その数人もこちらが思っているだけで、向こうが思ってくれているかは全くの未知数という、非常にせつない今日このごろなのです。
そんな的確な自己分析をしているうちに、少しづつ自我が崩壊していく音が聞こえ始めてきたので、そんな自分をごまかすために、友人なんていらねえ、遊びなんてクソ食らえ、せいぜい弱者同士でなぐさめあっていればいいさ。いひひ。
・・・ごめん、やはり共感100%。
というふうに、とてもおもしろいので、ぜひ読んでみてください。
どんまい。
僕が町田作品ではじめて手に取ったのは『へらへらぼっちゃん』なるエッセイ集。一話目の「旅人・遊び人」を立ち読みしてみました。
“遊んで暮らしたいなあ。考えていると電話が鳴る。出てみれば、一応の面識はあるが、さほど親しくはない年少の知人。用件を話す。用件が済んで切りぎわ、世慣れた調子で吐かす「今度遊ぼうよ」憤激する小生。遊んで暮らす、ということが大変にむつかしいというのは、このようなふざけた輩が居りやがることからも知れる。”(以上引用)
遊んで暮らしたいのに、誘って来た友人に大して憤慨。不条理です。不条理なのだけど、なぜだかわからないのだけど、100%共感している自分に気づきました。
いや、ちょっと待て、俺はこんなにもひねくれてないよ。友人に逆ギレって、なんだよそれ。もし俺が誘われたら、それはそれは喜んでかけつけ・・・。
ん?あれ?・・・・。
・・・・。ない。・・・・。誘われた記憶がない・・・。なんということだ、友人を誘った記憶は多々あるのだけれど、誘われた記憶がこの数年一度もない!
そう、このひねくれた性格が災いしてか、もはや友人と呼べる存在は数人しかおらず、その数人もこちらが思っているだけで、向こうが思ってくれているかは全くの未知数という、非常にせつない今日このごろなのです。
そんな的確な自己分析をしているうちに、少しづつ自我が崩壊していく音が聞こえ始めてきたので、そんな自分をごまかすために、友人なんていらねえ、遊びなんてクソ食らえ、せいぜい弱者同士でなぐさめあっていればいいさ。いひひ。
・・・ごめん、やはり共感100%。
というふうに、とてもおもしろいので、ぜひ読んでみてください。
どんまい。