正直酒が大嫌いだ。もっとも、酒という存在自体に恨みがあるわけでなく、ふとコンビニや自販機などで見かけたからと言って、おのれここで会ったら百年目、積年のうらみつらみ、今この場で返してくれるわい、と叫んで大暴れ、うなる鉄拳、飛び散るガラス片、辺りはたちまち阿鼻叫喚の無限地獄、鳴り響くサイレン、容赦ない包囲、脱出の機会を失して店員を人質に立てこもり、空路トリニダードトバゴあたりに新天地を探そうと車と飛行機を1時間以内に要求するも、血気に逸る新人警官の暴走であえなく射殺され、短いその生涯を閉じる、なんてことも恐らくは今後起きないであろう。
前ふりが長くなったが、要は、体質に合わないのである。いや、性格に合わないと言うべきか。一部の諸兄はご存知かも知れないが、当方、少々ひねくれ者のケがあり、少々嫌なことがあったからといって、酒ごときで気分を良くしてまぎらわすなんざ正直弱者の発想なのであり、世の中もっと苦しい思いをしているのに、逃避することすらできず、悶え苦しんでいる輩が山といるじゃねえか、ええい、この程度のストレス自力で乗り切ってくれるわ、とサンドバッグを購入、一心不乱にボテくりこかし、頭突き、後ろ拳胴突き、足の上がらないハイキック(ミドルキックじゃん)なんかを呼吸困難になるまで叩き込み、半分目を回しながら、氷で冷やしたマンゴーカルピスの牛乳割りを喉に流し込み、風呂場で水をかぶり、パンツ一丁でクーラーのきいた部屋で寝転がり、アストロ球団全5巻なんかを熟読し、「敗者に歴史は作れねえ!」、などとおもむろにセリフを真似て叫んでみたりして、ひとりイヒイヒ言いながら、そのままうたた寝なんかする毎日を送ることを最上の喜びとしている今日このごろである。
そんな自分にとって、どうにも理解不能なのが、酒をコミュニケーションの道具として利用している輩たちの存在である。酒というものには、好き嫌いはもちろん、体質的にも合う、合わないが存在するのであり、それは現代の医学でも理論的に立証されている事実なのであるが、そのような不完全なものが、どうして人と人との潤滑油たりえるのか。それでも酒は必要だ、嫌いな者は少し辛抱したまえ、飲み続けていればいずれは体が慣れる、そうすれば極楽が待っているのだ、僕は君の事を思っていってるのだから、その意気に感じて、ささ、ぐいっと、などとのたまう輩は後をたたないだろう。しかし、だ。彼らは自分の好きな酒という存在を、好意かどうかは知らないが、酒の嫌いな当方にすすめてくる。それでは、逆ならどうだ。こちらが、運動不足の相手を気遣って、明日一緒に空手の乱捕り稽古をしませんか、なあに今格闘技がブームだ、汗をかくのは気持ちいいし、やっぱり男は強くなきゃあね、それにこんなにおもしろいことをやらないなんざあ、あなた人生の半分を損してますぜ、へっへへ、などと善意で忠告したところで、彼らのほとんどは耳を貸さないであろう。それは、よくよく考えるとケ○の穴の小さい行為である。他人を自分のテリトリーに引きずりこむのは良しとするも、逆になると彼らは自分の殻に閉じこもってしまう、そんな無知蒙昧で四面楚歌な輩に、相手のことを気遣う余裕などあるべくもなく、ただ飲めない人間を探すことに奔走し、見つけたら最後、飲めないあなたは可愛そう、飲める僕はお利巧さん、などとのたまうのだ。てめえらが飲みたいだけじゃねえか。ええい、よるな触るな、凡人どもめ。酒飲まないと吐露できない程度の本音なんざあ、犬にでも食わせとけい。
と、こんな事を長々と書いて喜ぶ性格が災いしてか、正直友と呼べる人間が慢性的に不足気味であり、そんな生活にも少しなれたが、やはりちょっとだけ寂しく、正直凡人でもいいので、語り合える友達が欲しいと思い、ああ、みんなと酒が楽しく飲めるようになりたいなあ、と切に願う日々。