ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

芋羊羹

2011年03月31日 | 飲食:果物・菓子

 ウムニーついでに

 はまっている、というほどではないが、芋(甘藷)を食う機会が増えている。脱サラ農夫Tから大きな芋を何個か貰っているということもあるが、「芋こそ食糧難の時代を救う食物だ」と、私自身が思っていて、芋食に慣れておこうという考えからである。
 食糧難の時代が来るかどうかは全く不明だが、地球環境の悪化から、世界的不作があるかもしれないという不安は、以前よりは大きくなっていると思う。

 さて、芋料理に慣れるには、いろんな芋料理を覚えなければならない。私の実家では、芋料理というと蒸かした芋、天麩羅にした芋、そして、ウムニーの3種があった。
 ウムニーとは、煮た芋をつぶしてこねたもの。沖縄語辞典などにはンムニーと表記されていて、それが正確なのだとは思うが、我が家ではウムニーと発音していた。ちなみに、沖縄語のウとンの発音の違いは微妙である。日本語のンとはちょっと違う。
 煮た芋は焼いた芋より甘味が少ない。さらに、私が子供の頃の沖縄の芋は、元々、さほど甘いものでは無かった。なので、砂糖を入れないウムニーはご飯の代わりとして扱われた。味噌汁とおかずとウムニーの食卓だ。母の作るウムニーには、砂糖が入っているものもあった。それはご飯の代わりでは無く、お菓子となった。琉球料理の本を見ると、確かに、ウムニーにはご飯としてのものと、お菓子としてのものの2種がある。
      
 子供の頃から知っている芋料理には、母が作ってくれた上記の3種の他に、本土では普通の焼き芋(やーきいもー、いーしやーきいもー、おいも、の焼芋屋さん、私が子供の頃はなかった。焼き芋は焚き火をしている時などに作った。)と、本土ではあまり見かけないイモガリガリがあった。イモガリガリは、既にこのHPで紹介しているが、ポテトチップのサツマイモ版といったもの。沖縄にはイモガリガリ専門の店があった。

  以上、合わせて5種の芋料理、だが、毎食、芋を食うということになると、それだけでは足りない。それと、日持ちする芋料理も必要、ということで、先日、芋羊羹作りに挑戦した。羊羹は日持ちすると覚えている。それが正しいかどうかは後日調べる。
 で、とにかくトライ。芋を羊羹にするには先ず、芋をウムニーにすることから始まる。で、ウムニーを作る。皮を剥いて、小さくスライスして、煮て、潰して、こねる。ここで迷った。砂糖を入れるかどうかである。私の家に白砂糖は無い。黒砂糖しかない。黒砂糖を入れると色が変わる。母の作ってくれ た昔懐かしいウムニーの色じゃなくなる。
 ということで、砂糖無しのウムニーとなる。久々のウムニーだ。実家で暮らしていた浪人の頃に食べたことがあったとしても30年ぶりくらいのウムニーだ。食べてみる。甘くない。昔の味は蘇らない。母のウムニーの多くは砂糖が入っていたようだ。
      
 そのウムニーにゼラチンを混ぜ、羊羹作りに進む。羊羹はしかし、大失敗だった。ゼラチンを溶かす水分量が多かったみたいで、固まってくれなかった。
 それを3日冷蔵した後、食べてみた。妙な味がした。見ると、表面が変色している。どうやら痛んでいるみたいだ。羊羹が日持ちするのは砂糖をたっぷり含んでいるからだと認識した。捨てるのは勿体無いので、表面を取り除いて食べる。あんまり美味くない。日持ちしない上に美味くもない。芋羊羹作りはさんざんな結果となった。
      
      
      
      
      
 記:ガジ丸 2009.1.31 →沖縄の飲食目次


パパイア

2011年03月31日 | 飲食:食べ物(料理)

  パパヤあれこれ

 人は食わなきゃ生きていけない。世の中が大不況に陥るかもという中、いつリストラされてもおかしくない私は、食っていけるかという不安は常にある。ということで、路頭に放り出された場合のことを考え、私は野原の食えるものを調べている。
 野原の食えるものだけで無く、「野原にこういうものがあると助かるなぁ」というものも調べている。先ずはカンショ(甘藷)、茎を土に差しておけば、そのうち芋ができる。ダイジョ(大藷)も同じ。カンショは栄養価が高く、それだけで、ご飯と野菜の代わりになる。ダイジョは生でも食えるところが重宝する。
 その次に考えたのがパパイア。パパイアはご飯 の代わりにはならないが、野菜として食え、熟すれば、果物として食える。それに、台風の強風には弱いが、それさえ気をつければ育てやすい。着果数も多く、収穫期間も長い。

 パパイアの難点は、料理法が限られていることであった。私はパパイアタシヤー(イリチーとも)しか知らなかった。しかし、それは私の無知であった。脱サラ農夫の友人Tからパパイアをたくさん貰ったので、プロの料理人にパパイアの食い方を尋ねた。
 先ず、生でサラダに良し、漬物でも良し、煮物に して良し、そして、天麩羅にしたも美味いとのこと。さっそく、それらを試してみる。
 私の料理の腕が未熟ということもあるが、生、漬物、煮物は、特に美味しいというほどのものではなかった。まあ、不味くは無いので、食い物としては合格。天麩羅は、乾燥桜海老と一緒にかき揚げにしたら美味かった。天麩羅という料理が面倒であり、コンロ周りも汚れるのでしょっちゅうはできないが、食べ物として大合格。

 じつは、植物としてのパパイアは既にこのHPで紹介しており、それは4年近く前の、2005年2月 のことだが、その中で私は、「試したことは無いが、天ぷらにしても美味しいような気がする。」と書いてある。私の食の感性は正しかったようである。
 同じ記事の中、パパイアの説明文の中で、「農作物としては産業になりにくいようだ。スーパーにも加工(チャンプルー用として切られた)されたものは時々見るが、パパヤそのものはあまり見ない。」とも書いてある。しかし、4年経った今、Tの店にパパイアはあり、近所のスーパーの、地産地消のコーナーにもたいていある。病害虫に強い品種が開発されたか、栽培方法が確立されたか、パパイアを食べる消費者が増えたか、どういう理由なのかしらないが、パパイアの生産も消費も増えているようである。
 いろんな料理法があると広く知られるようになれば、消費はさらに増えるであろう。庭の片隅にパパイアを植えておけば、放っておいても果実を多く実らせてくれる。野菜の少ない時期に重宝するであろう。誰の土地でもない野原にパパイアがあれば、食べ物が無くて困っている人を救ってくれるだろう。パパイアの未来は明るい。
 
 
 
 
 パパイア(蕃瓜樹):果物・野菜
 パパヤ科の草本性常緑高木。原産分布は熱帯アメリカ。方言名:パパヤ
 →植物としてのパパイア

 記:ガジ丸 2009.1.31 →沖縄の飲食目次


鍋物

2011年03月31日 | 飲食:食べ物(料理)

 私の鍋料理

 1年の8割がたはコンロ下の棚に仕舞われている土鍋を、寒くなると出す。出して、もちろん鍋料理をする。鍋料理は手間がかからず、いろいろな味が楽しめて、肉や野菜をバランスよく摂取することもできて、私は大好きである。
  私の鍋料理はだいたいパターンが決まっている。初めは湯豆腐、水炊きなど煮汁に味をつけず、ポン酢で食べるもの。水炊きも、最初は魚介類と野菜、きのこなどのあっさり系で、次に鶏肉を使った脂系となる。ここまでは煮汁に味はついていない。ただし、出汁は魚介、肉、野菜などからたっぷり出ている。
 鶏肉の水炊きが終わると、煮汁に味をつけて、ちり鍋となるか、あるいは、おでんになる。おでんには2種類あって、最初は倭国風の練り物を中心としたあっさり系、次に足ティビチ(豚足)を加えたこってり系の沖縄おでんとなる。
  沖縄おでんの際は、レタスやチンゲンサイなどの葉野菜をたっぷり、何度も使う。野菜には煮汁が沁み込む。そうやって煮汁も摂取していく。その頃の煮汁は足ティビチからのゼラチンがたっぷり含まれているので、コラーゲン摂取ということになる。足ティビチを食い終わったらお決まりの雑炊となって、煮汁も一滴残さずお腹の中に収まる。
 以上で、私の鍋料理は終わるが、湯豆腐から雑炊を食べ終えるまで、だいたい4週間が経過する。4週間ずっと鍋料理というわけだが、ちっとも飽きることは無い。

  実家にも土鍋はある。だが、鍋料理を食べた経験は少ない。足ティビチの入った沖縄おでんはあったが、水炊きなどは記憶に無い。すき焼きは時々あったが、それは土鍋では無く、鉄製のすき焼き鍋を使っていた。私の母は料理上手だったので、鍋料理ができないというわけでは無く、おそらく父の好みなのであろう。
 父は、今でもそうだが、好き嫌いが多く、特に、野菜や魚介類に嫌いなものが多くて、そのため、鍋料理が少なかったのだと思われる。すき焼き専用鍋があったのは、父が牛肉大好きで、すき焼きも大好物だったからに他ならない。

  元々、沖縄には鍋料理なるものは無かったと思われる。沖縄の伝統焼物、壷屋焼きにも土鍋は見たことが無く、琉球料理の本を見ても、私が食べているような鍋料理は無い。ただし、シンメーナービという鉄製の大きな鍋で山羊を煮込んだ料理はある。名前はヒージャー(ウチナーグチで山羊のこと)汁と言うが、料理の形態は山羊鍋といっていい。
 ヒージャー汁は、滋養強壮に効き、肉体労働者が概ね好んで食べる。真夏の暑い中、肉体労働をしてブチクン(気絶しそうな状態)となった者にとって、命の薬となる。

 現在では、多くの飲み屋さんのメニューに鍋料理がある。ヒージャー汁は季節を問わないが、鍋料理は概ね冬限定である。私の場合は全くそうである。暑い時期に熱い鍋料理なんて、考えただけでブチクンになりそうだ。ヒージャー汁が必要になる。
 
 
 
 

 記:ガジ丸 2009.1.13 →沖縄の飲食目次


チキナー

2011年03月31日 | 飲食:食べ物(料理)

 沖縄の漬物

 沖縄料理をメインとした居酒屋の中には、そのメニューの中にチキナーチャンプルーを置いてある店がある。チキナーチャンプルーは私の好物なので、そういう店に行って、機会があれば注文して、食べる。「機会があれば」というのは、私は居酒屋に行っても小食なので、他のメンバーがいろいろと注文しているとそれだけで十分となる。他のメンバーがまだ注文していない機会があれば、ということである。
 元々、居酒屋を含め、外で食事をすること自体、年に20回も無い。その内、チキナーチャンプルーを置いてある店に遭遇するのは数回で、他のメンバーがあれこれ注文する前となると、2、3年に1回くらいではないかと思う。というわけで、ここ2、3年、私は好物であるチキナーチャンプルーを食べていない。

  チキナーチャンプルーは、子供の頃から好きである。母が時々作ってくれた。チキナーとは漬け菜という意味のウチナーグチ(沖縄口)で、チャンプルーはごちゃまぜという意味だが、料理用語としては炒め物となり、漬け菜の炒めものとなる。ちなみに、チャンプルーは比較的新しい言葉のようで、私の母はチキナータシヤーと言っていた。
 私は料理に興味があったので、料理する母の手元を良く見ている。「男が台所に立つもんじゃない!」と父に怒鳴られたが、母は私の味方をし、いろいろと教えてくれた。
 チキナーに用いる菜っ葉は概ねシマナー(島菜=カラシナ)、それ以外の葉野菜によるチキナーは、あるかもしれないが、私は見たことが無い。夕食が終わって、台所の片付け物も終わった後、根の部分を切り落とし、水洗いしたシマナーを、母は流しの上にひらいて、並べて、塩をふって、そのまま一晩置いた。その後どうしたかは見ていないが、おそらく、水で洗って、塩を落として、固く絞ったと思われる。
 
 
 
  そうやって出来たものがチキナー。そのチキナーは冷蔵庫に保管された後、チキナータシヤーとなって、夕食に出された。その作り方は見て、概ね知っている。
 豚肉、またはポークランチョンミート(スパムとかチューリップとかいった缶詰)と豆腐と共にフライパンで炒める。味付けは、母は砂糖と醤油だけであった。チキナーに塩分が含まれているので、砂糖は、その塩辛さを中和し、味に深みを与える。醤油は香り付け程度だったと思うが、砂糖や醤油の量はよく覚えていない。

  さて、そんなチキナーチャンプルー、私の好物だが、しばらく食っていない。すると、昨年末、「畑にナンクルミー(自然発生)のシマナーがいっぱい出来ているよ。」と従姉が言う。シマナーと聞いてチキナーがすぐに思い浮かんだ私は、「くれ。」となって、大きめのものを3株ほど頂く。「私もチキナー作ったけど、要る?」との従姉の申し出も断ることなく、彼女の手作りのチキナーも2株分ほど頂く。
 その夜、早速、従姉のチキナーをチキナータシヤーにする。従姉のチキナーは冷凍されてあった。そのせいか、柔らかくなって食感が物足りない。母のとは違う。2日後、貰ったシマナー3株をチキナーにする。母とは少々違った方法で作るが、ちゃんとチキナーになっていた。チキナタシヤーは1月3日に第一回のチャレンジ、これは、使う豆腐の種類を間違えて、ちょっと失敗。第二回目は1月7日(風邪を引いたせいで間が空いた)、この時は味付け方も母のやり方と少し変えたが、しかし、これは大成功となった。
 
 
 
 

 記:ガジ丸 2009.1.10 →沖縄の飲食目次


三枚肉

2011年03月31日 | 飲食:食べ物(材料)

 アンダジシジョーグー

 毎年元旦には実家へ行き、新年の挨拶をしていた。実家には両親がいて、父はのんびりテレビの前、母は朝から正月料理を作っている。私の挨拶は「お早う。謹賀新年。はい、お年玉」の三言だけ。両親も「おめでとう」と返す。
 私の少ない給料からコツコツと500円硬貨を貯めて、1年間で240枚前後となった貯金箱をお年玉として両親にあげる。5、6年前からの恒例。それに対し、母は「ありがとう」と言い、作ったばかりの正月料理を私に持ち帰らせる。

 沖縄の正月料理は仏前に供えるウサンミ(御三味)と言われるものが中心。法事などに供えられるものと内容はほぼ同じ。私が持ち帰る料理は、サーターディンガク(田芋の砂糖煮)、魚や野菜の天麩羅、カマボコ、カステラカマボコ、揚げ豆腐に、料理名を何と言うのか不明だが、昆布とゴボウとコンニャクと豚肉を甘辛く煮たもの。
 それらを持ち帰って、サーターディンガクはおやつに、天麩羅と昆布とゴボウと豚肉の1種は、私の正月の肴となる。実家から帰って、年末にやり残した部屋の掃除をした後、貰った料理を温めなおして、午後のまだ明るいうちから正月は酒となる。

  翌日、母から貰った正月料理のうち、肴にならなかったものを別の料理にする。コンニャク、揚げ豆腐、カマボコ、カステラカマボコ、豚肉の別の1種、それと前日から水に漬けてあった干し椎茸を細い短冊形に切り、イナムドゥチ(猪擬き)を作る。これが正月2日、3日の朝食となる。二日酔いの朝にイナムドゥチはとても美味い。

 さて、正月の酒の肴になる豚肉の1種と、イナムドゥチにする豚肉の別の1種とは、両者とも昆布とゴボウとコンニャクと豚肉を甘辛く煮た料理の中にあり、同じ味付けをされている。種類が違うのは味 付けでは無く、豚肉の部位の違いである。一方はロース肉で、もう一方は三枚肉。三枚肉の方が汁物にした場合、汁にこくが出て美味い。

 三枚肉とは豚バラ肉の皮付きのこと。皮と脂身と赤味の三層あるからその名がある。沖縄の肉屋やスーパーには必ず置いてある。子供の頃から、たぶん20代までは、皮と脂身がトロトロになったラフテーや足ティビチを例外として、私は三枚肉があまり好きでは無かった。皮の硬さが嫌だったし、脂身の脂が美味いと思わなかったからである。
 その頃、私の祖母がまだ健在で、彼女は三枚肉 を好んだ。その中でも特に脂身の方が好きで、ウチナーグチ(沖縄口)で言うアンダジシジョーグー(脂肉上戸)であった。歳取ると脂肉が好きになるのか、だから元気なのかなと私は思いつつ、「アンダジシは美味しいよー、あんたも食べるねー?」と訊かれたら、「マシサーがましさー。」と私は答えていた。マシサーとは真肉ということで、赤肉を指す。
 今の私は三枚肉も平気である。とはいえ、脂分のたっぷり残った脂身はまだ少々苦手としている。汁物にして、脂をいくらか除去すると美味しい。

 一昨年に母が無くなって、去年の正月はやっていない。実家には姉がいたが、正月料理を作ることも無く、私の恒例のお年玉も無かった。今年も実家には姉がいる。おそらく料理を準備するであろうが、彼女が作るものを私はきっと持ち帰らない。彼女が作るのよりは自分で作った方が母の味に近いものができると思うからだ。また、私のお年玉は今年も無い。老後の暮らしに不安のある私は、自分のための貯金が必要となったから。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 記:ガジ丸 2008.12.26 →沖縄の飲食目次