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ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

ナンチチ

2011年03月28日 | 飲食:食べ物(料理)

 今は無きお焦げ

 何年か前かはっきり覚えていないが、ある土曜日の午前中、NHKFMラジオを聴いていたら、「ラグタイム」という懐かしい言葉が聞こえた。私が大学生の頃、よく聴いていた音楽だ。そして、その曲が流された。懐かしい気分に、しばし浸ってしまった。
 ラグタイムという音楽のジャンルがあることを、私は大学に入って初めて知った。即座に気に入って、以後、多くの曲を聴き、ラグタイムギターの練習もした。
 私にラグタイムを教えてくれたのは友人のYであった。彼は二十歳にならない当時、既にギターの名手であり、ラグタイムの難曲を弾きこなしていた。
 その時のNHKFMラジオの番組司会者(パーソナリティーとかDJとかMCとか言うのかもしれないが、その辺のことに私は詳しくない)はゴンチチであった。彼らもギターの名手である。その中の一人が、「昔、宮崎出身の男がやってきて、この曲(題は覚えていないが、話の流れからラグタイムの一つ)を覚えたいというのでレコードを貸した。俺が何週間もかかった難しい曲を、この男は1週間かそこらで覚えてきた。」と言う。
 友人のYは宮崎出身である。話から推測できる年齢も彼と同じくらいである。「おー、おそらく、その男はYに違いない。」と私は思った。

 さて、今回、話するナンチチは、そのゴンチチとは何の関係も無い。ナンチチからゴンチチを連想して、上述のことを思い出しただけである。

 いつ頃までだったか、はっきり覚えていないが、おそらく、私が小学生の頃までは、我が家では羽釜を使ってご飯を炊くことがあった。電気炊飯器があっても、ジューシー(沖縄の炊き込みご飯のようなもの)やお粥を作るときには羽釜であった。母が忙しくて、替わりに祖母がご飯を炊くときには、普通のご飯でも羽釜を使っていた。
 羽釜をガスコンロにかけ、「初めちょろちょろ、中パッパッ、赤子泣いても蓋取るな」みたいなことをやっていたと思う。そうやって炊いたご飯には、たいていナンチチがあった。あんまり黒くなったものは苦くて食えなかったが、適度に茶色いナンチチは美味しかった。そのまま齧っても良く、お茶漬けにすると風味があり、なお良かった。
 もうお判りだと思うが、ナンチチとは御焦げ(おこげ)のことである。御焦げは「釜の底に焦げついた飯」(広辞苑)であるが、沖縄語辞典を見ると、ナンチチは「こげて鍋などに付いたもの」とあり、ご飯の焦げたものだけを指している訳では無く、煮物や炒め物の焦げた野菜や肉なども指すみたいである。しかし、ナンチチというと私は真っ先にご飯の御焦げを連想し、けしてマイナスイメージでは無い。
 ところが、ナンチチカジャーというと、それは少しマイナスイメージとなる。
 「ィエー、ナンチチカジャーソーンドー(おい、焦げ臭いぞ)」
 「アイ、デージ、忘リトータン(あら、大変、忘れていた)」となって、調理していた料理が焦げてしまうことになる。ちなみに、カジャは倭国の古語にあり、香と書いて、カザと読み、「におい。かおり。」(広辞苑)のこと。

  キャンプの際に飯盒でご飯を炊く時には概ねナンチチができる。キャンプの夜は、私はたいてい酒浸りで、酒を飲む時はご飯を食べない主義なのだが、飯盒でできたナンチチは酒の肴に少し頂くことがある。その香ばしさを感じつつ、懐かしさに浸る。
 キャンプもここ数年やっていない。なので、私も久しくナンチチを食っていない。ナンチチをガジ丸HPで紹介しようと思った時から、ナンチチを食いたくなっていたが、実家にあった羽釜は、とうの昔に消えている。飯盒も手元に無い。
 さて、どうしたものかと思案して、冷や飯をフライパンで焼いてみることにした。やってみるとこれがなかなか良い出来であった。懐かしい気分に浸れた。

 ※羽釜(はがま):周囲に鍔(羽という)のついた炊飯用の釜。(広辞苑)
 

 記:ガジ丸 2008.3.2 →沖縄の飲食目次


炭焼き

2011年03月28日 | 飲食:飲物・嗜好品

 冬の肴

 もう30年ほども前の話だが、東京に住んでいる頃、私の最初の住まいは家賃1万8千円、6畳一間、台所半畳、トイレ共同、風呂は当然無しの下宿だった。
 住み始めてほどなく、食卓兼、勉強(ほとんどやらなかったが)机兼、マージャン卓兼のコタツを友人に貰ったか、質屋で買って(昔のことなので記憶が曖昧)手に入れた。それがその部屋の唯一の暖房器具であった。その年の冬が来た。寒かった。
 凍え死ぬかもしれないという寒い冬を初めて経験した南方出身の青年は、足を水平方向に折り曲げて、コタツ布団を肩まで掛けて、そこで寝ることも多かった。
 暖房器具としてはそのコタツが唯一であったが、暖房器具の代わりになるものが部屋に一つあった。ガスコンロである。ヤカンに水を入れ、コンロに乗せ、火を点ける。それで部屋が、焼け石に水程度であったが、幾分暖まった。夜、部屋に充満した蒸気が、朝になると窓ガラスで結露して、窓が凍って開かないということが何度もあった。

 温暖化ガス増加のせいなのか、あるいは、たまたま太陽系の運行上による温暖化なのか知らないが、他の地域同様、沖縄も年々気温が上昇している。私が子供の頃は、もっと寒かった。霰が降るなんてこともたまにあった。
  その頃、私の家にはコタツがあり、電気ストーブがあり、石油ストーブがあり、祖父母の部屋には火鉢もあった。それらの暖房器具の中では、火鉢が最も暖房の役に立たないものと子供の私は思った。火鉢は、かざした部分しか暖まらなかったからだ。
 だが、その火鉢、楽しみが別にあった。祖母が餅を焼いてくれたり、祖父がスルメを焼いてくれたりしたのだ。ハフハフしながらそれを食い、少年は幸せであった。

 去年に続いて、沖縄は今年も暖冬である。2月に 入って少々寒くなったが、それでも気象庁が発表する那覇の最低気温が14度台、13度台になったという程度である。まあ、たいした寒さではないのだが、隙間風が吹き込み、外気温とほとんど変わらず、また、有能な暖房器具も無い私の部屋では、火鉢に炭を熾すのに十分な理由となる気温だ。
 火鉢に炭が入った。子供の頃、炭で餅を焼いて、それを食べて幸せになった少年は、何十年という時を経て、別の物を炭焼きして幸せなオジサンとなる。

  火鉢で焼く物は脂分の少ない物が良い。脂が多いと煙が出るからだ。私は主にイカ、タコ、貝類、白身の魚などの他、椎茸やピーマンなどの野菜を焼いている。今年は既にクブシミ(コブシメ)、タラ、マダコ、ホタテ貝柱、椎茸、ピーマン、ジャガイモを焼いて、酒の肴にしている。先週末はクルキンマチ(白身魚)、セーイカが肴になった。
 火鉢に炭、炭焼きで旨い肴、そして旨い酒、こういうのがあるから、私は冬が好きである。もちろん、凍えるほどの寒さが無い沖縄の冬に限定するが。
      
      
      
 記:ガジ丸 2008.2.8 →沖縄の飲食目次


ヂーアンダ

2011年03月28日 | 飲食:食べ物(料理)

 ちょっとしかない珍味

 私が東京に住んでいた頃、もう30年ほど前の話だが、近辺の肉屋さん、あるいはスーパーの精肉コーナーでも、骨付きの豚肉を見た記憶が無い。沖縄には昔から、私の記憶でも私が物心ついた頃から骨付き豚肉は普通にあり、普段口にもしていた。
 骨付き豚肉で双璧を成すものがソーキとテビチ。ソーキは豚のあばら骨の部分で、ソーキ汁、煮付け(ソーキソバの加薬として有名)、バーベキューなどで食される。ソーキは最近では、リブステーキとして倭国でも有名。肉屋にもあるかどうかは不明だが。
 ※加薬(かやく)=うどんなどに入れる肉・野菜などの具のこと(広辞苑)
 テビチは豚の足、主に膝から下、つま先までの部分で、テビチ汁、煮付け、おでんの具などで食される。これは豚足(とんそく)という名で、私が東京にいた頃から珍しいものをおいてある飲み屋さん、中華料理店などにあった。茹でた豚足に辛子味噌をつける。私も2、3度食べたことがある。豚足に脂が多く残っていて、あまり美味しいものでは無かったと記憶している。しかし、沖縄のテビチは、どの料理も私は大好きである。

 「骨の髄まで」という言葉がある。「体の奥の奥まで。転じて、徹底したさま。とことん。」(広辞苑)ということだが、「髄」とは「骨の中の腔所を充たす結合組織で、黄色の柔軟物。」(同)のことで、「骨の髄まで」は文字通りに訳すと「骨の中の腔所を充たす結合組織である黄色の柔軟物まで」ということになる。
  ソーキの骨には無いが、テビチの太い骨の中にはある程度まとまった量の髄が入っている。ある程度まとまった量というのは、食べて、その味を感じられる量ということで、だいたい直径が3ミリ以上、長さが1センチ以上のことを、ここでは言う。
 その量のものを見つけたら、私は決まってそれをスップル(口で吸うという意のウチナーグチ)か、箸でほじくって取り出し、食べる。これが旨いのである。子供の頃から好きであった。とろっとした食感と、旨味のエキスが詰まったような味。味は、カニ味噌に近いのではないかと私は感じている。「骨の髄まで」という文字通りの意味で、私はテビチを食い尽くしているというわけである。
 友人のE子が首里の生まれで、彼女の母親が首里方言を良く知っている。で、訊くと、骨の髄のことをウチナーグチではジーアンダというらしい。沖縄語辞典にもジーアンダは載っていて、「骨の髄にある油」とあった。油は脂の誤記だと思われる。
 「ジーアンダ、クジティ、スップレー。」と、E子の母親はよく言っていたとのこと。骨の髄をほじくって、吸い込みなさい、という意味。

 ちなみに、骨付き鶏肉は倭国でも普通で、沖縄にも普通にあり、牛肉ならTボーンステーキなるものがレストランに行くとあった。アメリカ産の食品を扱っているJスーパーに行けば、Tボーンステーキが入手でき、家で味わうこともできる。沖縄で普通に食されるもう一種の獣肉、ヒージャー(山羊)も、汁用はたいてい骨付きである。ただ、それらのいずれにも、食べるのに適した骨の髄は、少なくとも私は見たことが無い。
 

 記:ガジ丸 2008.2.2 →沖縄の飲食目次


クーブイリチー

2011年03月28日 | 飲食:食べ物(料理)

 沖縄料理の知恵

 母の四十九日が終わって、やっと、公私の私の方の忙しさが一段落した。一段落して、少しずつ母のことを思い出している。親不孝してきたことが先ず浮かび、母が望む私と、私が望む私との間に大きな開きがあり、それによって長い間軋轢があったことなどが思い出される。ネガティブなことばかり思い出してもしょうがないのだが・・・。

 で、ちょっと明るめのことを思い出すことにする。
 母は働く女であった。薬屋を営んだり、裁縫工場に勤めたり、ガスの集金人など何かしらずっと働いていた。それでも彼女は、家族のための食事をちゃんと作っていた。
 母の料理をもっと習っておくべきだったとちょっと後悔している。母は器用であった。私もその血を引いている。私が器用であり、料理上手であることは、私の友人達も認めるところである。その元となっている母も当然料理上手であり、和風、洋風、沖縄風、どんな料理も美味しく作ることができた。
 母にその作り方を教えてもらった料理はイナムドゥチだけである。直接教わってはいないが、見て覚えた料理にはイカ墨汁、ソーキ汁、ティビチ汁、鶏汁、ヒラヤーチー、ナーベーラーンブシー、ゴーヤーチャンプルー、その他もろもろ、多数ある。

 母が作っているのをたびたび見てはいたが、覚えなかった料理もある。クーブイリチーもその一つ。料理歴の長い私だが、クーブイリチーは未だかつて作ったことが無い。嫌いというわけでは無い。自分では作らないが、スーパーの惣菜のクーブイリチーは、たまに買って食べている。ごはんに合うし、酒の肴にも合う。

 クーブイリチーのクーブは昆布のウチナー読み、イリチーは炒め煮といった意味のウチナーグチ。昆布の炒め煮ということになる。
  材料は昆布の他に、母の場合はコンニャク、豚肉、カマボコ、カステラカマボコなどを使っていた。スーパーの惣菜には干し椎茸の入っているものもある。
 昆布は水に浸して戻し、2ミリほどの細さに刻む。その他のものは短冊に切る。豚肉は茹でてから切る。それらを油で炒める。味付けは砂糖と醤油と塩。母はそれだけであったが、スーパーのものには酒や味醂も入っているかもしれない。大切な味付けがもう一つある。豚の煮汁である。これを加えて煮る。これでイリチー(炒め煮)となる。
 こういった、材料や作り方などは母のやっているのを見て知っているのだが、細かい手順までは覚えていない。手間がかかりそうなので、自分では作らないのである。

 沖縄の海に昆布は産しない。昆布は北海道からやってくる。今はどうか知らないが、昆布の一人当たり消費量は沖縄が最も多いと聞いたことがある。ウチナーンチュにとって昆布は、遥か遠く北海道からやってきているが、古くから身近な食物である。私も子供の頃から日常に食していた。ティビチ汁、ソーキ汁、昆布巻き、煮付けに欠かせない食材であった。中でもクーブイリチーは沖縄の昆布料理の代表格である。ウチナーンチュにとって馴染み深い食い物である。遠い北海道に慣れ親しんでいるわけである。
 

 記:ガジ丸 2007.12.10 →沖縄の飲食目次


アンダカシー2

2011年03月28日 | 飲食:加工品・薬草・他

 手っ取り早い加油

 十数年前、中型二輪の免許を取った。それより少し前から中国語の勉強も始めていた。「バイクでシルクロードを走り抜けたい」と思ったのであった。
 中国語勉強のために中国人留学生と友人になった。私は男と向かい合って勉強するのは苦手としているので、その友人はもちろん女性である。歳は聞かなかったが、何度か飲みにも行っているので未成年では無い。21、2だったと思う。彼女に「バイクでシルクロードを走り抜ける計画」を話すと、「一人で?」と訊く。肯く。すると、「生きて帰ってこれない可能性が高い。」と言う。中国の奥地は治安の悪い場所も多く、一人では危険が一杯とのことであった。で、彼女の助言に従い、私は計画を断念した。

 バイク(に限らず他の車にも)にガソリンを入れることを中国語で加油(よく覚えていないが、ジャアヨウとかジアヨウとか発音した)と言う。文字通りの意味だ。
 加油にはまた、「がんばる」という意味もある。留学生の彼女が日本語弁論大会に出場する際、そうであることを教えてもらった。中国語の発音は難しくてなかなか覚えられないが、その文字は分りやすい。なるほどと合点し、で、記憶しているのである。
 ウチナーグチ(沖縄口)でも、アンダイリレー(油入れろ)とはあまり聞かないが、元気の無い人を指してアンダブスク(油不足)とはよく聞く。機械も動物も含めてエネルギーは、中国語でもウチナーグチでも同じく『油』なのである。

  アンダブスクという言葉は、祖母がよく口にしていた。「アンダブスクでフトゥフトゥー(フラフラ、ガクガクする様)するさあ。何か食べるのないかねぇ。」と使っていた。「何か」の主なものは肉で、祖母は豚肉の脂身の方を好んで食べた。アンダブスクでフトゥフトゥーした時に、豚の脂は効果覿面だったようである。
 祖母はまた、アンダカシーも好きであった。アンダカシーは父も好物としている。祖母の作るオーハンブシー(菜っ葉の汁もの料理)にはアンダカシーが入ることもあった。父も祖母も、アンダカシーをそのままガリガリ齧って、おやつの様に食べてもいた。
 アンダカシーは脂糟のこと。豚の脂肉からラードを搾り取って、残った糟のこと。脂分も少し残っていて、手っ取り早い加油食品となっていたのであろう。

  私は、アンダカシーを自分で作ったことが何度かある。しかし、何度やっても自分で作ったアンダカシーは脂分が多く残っていて、口にも胃にも重たく感じるものであった。で、ここ5、6年は作っていない。また、買って食べてもいない。
 先日、軽便駅(小さな道の駅)でアンダカシーを見つけた。久しぶりに食べてみようと思った。オーハンブシーを作った。汁の中でトロッとなったアンダカシーは意外にも美味しかった。祖母や母が作るアンダカシーもこのようなものだったことを思い出した。
 アンダカシーを作るのには何かコツがあるのだろう。私の作り方は正しくないのであろう。そのコツを聞いとけば良かった。ついでに、揚げ豆腐の味のつけ方、沖縄風天麩羅の作り方、昆布の煮方なども聞いとけば良かった。後悔先に立たずである。
      
      
 記:ガジ丸 2007.11.10 →沖縄の飲食目次