ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

ウンチェーバー

2011年03月28日 | 飲食:食べ物(材料)

  夏の葉野菜

 このHPにたびたび登場する従姉のMは茶道の心得がある。茶道というと、わびさび、もてなし、一期一会などの言葉が思い浮かぶ。そこからまた、謙虚とかつつましさという言葉も連想する。従姉のMがつつましいかどうかは・・・言わないでおく。
 Mの義母は90歳になる。子供4人を抱えて沖縄戦を生き抜き、戦後の混乱を乗り越えてきた気丈な人である。彼女はまた、茶道の心得は無いが、つつましい人でもある。足腰はさすがに弱っていて、今はもうやっていないみたいだが、数年前までは自宅の庭の一角に設けた畑で野菜作りをしていた。「体の動く間は働く」ということだ。これに、生き るということに対するつつましさを感じる。生かされているという思いなのだと思う。

 もう10年ほども前の話になるが、Mの義母の家を訪ねた時、「今、畑から採れたものを料理したから食べていきなさい。」と一皿勧められた。「息子(従姉の亭主)の好物さあ。」とのこと。葉野菜の炒め物だった。ぬるっとした感触があり、美味しかった。「何ですか、これ?」と尋ねると、「ウンチェーバーさあ。」とのことであった。

 ウンチェーバー炒め、「美味しい」とは思ったが、 「とても美味しい」とまではいかなかったので、好物が数限りなくある私にしてみれば、「ぜひもう1度食べたいもの」にはならなくて、その後、食べる機会は無かった。それが数年前、ある飲み屋さんでウンチェーバー炒めを発見する。その店は沖縄料理を肴に出していて、ハンダマ(スイゼンジナ)やイーチョーバー(ウイキョウ)などの、他の店ではあまり見かけない野菜の料理も多くあった。で、さっそく、ウンチェーバー炒めを注文して、食べた。
 ウンチェーバー炒めには沖縄の伝統的料理法があって、味付けがほとんど同じなのだろう、10年ほど前に食べたウンチェーバー炒めの味が蘇っ た。「美味しい」と思った。しかし、再び「とても美味しい」とはならなかったので、料理法は訊かなかった。

 それから5年程が経った今年、脱サラ農夫Tの店でウンチェーバーを1束購入した。先月(7月)のことである。料理法は知らないが、挑戦する。1束は大きな1束で、頑張って食べても1食につき3分の1であろうと判断し、料理も3回に分けた。
 チンゲンサイやコマツナなどを油炒めにすることはよくあるので、それらと同じ料理法とする。チンゲンサイやコマツナもそうだが、ウンチェーバーは特に葉の部分と茎の部分の硬さが違う。で、1回目は、茎の部分を下茹でして、その後に葉の部分と共にごま油で炒めた。味付けは塩コショウに醤油が少々。結果、茎の部分にえぐみがあって、Mの義母のもの、飲み屋のもののように美味しくは無かった。味付けも違うようであった。
  2回目の挑戦の前に、友人の主婦E子に料理法を訊いた。「茎の部分は縦に細く切ってから炒める、下茹では要らない。」とのこと。で、その通りにやる。味付けは前と同じにする。結果、茎の部分の違和感は消えたが、まだ美味しくない。
 3回目は、私の料理の才能に頼ることにした。「茎の部分を縦に細く切る」はE子の助言通りとし、味付けを変えた。すき焼き風にすることとした。私の想像では、伝統的味付けとは異なるが、美味しく仕上がるのは間違いない。で、豚肉や豆腐も加える。結果、Mの義母のもの、飲み屋のものとは違ったが、それなりに美味しかった。
 
 
 
 
 
 記:ガジ丸 2008.8.2 →沖縄の飲食目次


スパゲティー

2011年03月28日 | 飲食:食べ物(料理)

 喫茶店の定番

 私が初めて喫茶店に行ったのは、記憶は確かでは無いが、たぶん、小学校の4年から6年生の頃だと思う。このHPにたびたび出てくる別荘持ちの従姉に連れて行って貰ったと思う。私が小学校4、5年生なら彼女はまだ高校生である。その頃、彼女に海水浴に連れて行って貰ったことは良く覚えている。恩納村にあるムーンビーチに、彼女の友人たちと一緒であった。水着姿の女子高生と一緒に泳いだのであるが、あいにく、その頃の私は年上の女に興味が無かったので、彼女達がセクシーだったかどうかは全く記憶に無い。

 まだアメリカ軍統治下にあった沖縄で、女子高生たちは元気だった。アメリカ文化は街に溢れていた。彼女達はコーラを飲み、ピザを食い、ハンバーガーなどをほおばった。アメリカ軍統治下にあった沖縄だが、しかし、街の文化の大方は日本である。日本と同じく不二家のパーラーがあり、日本のどこにでもあるような喫茶店があった。元気な女子高生達はパーラーでソフトクリームを食い、喫茶店で珈琲を飲んだ。

 そんな元気な女子高生たちに喫茶店へ連れて行かれた少年が、「これは美味い。」と思い、以後、大好きになった食い物がある。スパゲティーである。スパゲティーは今でも好きで、麺類の中では蕎麦の次に好みのものとなっている。
  ということで、喫茶店の食い物というと、サンドイッチを思い浮かべる人が多いかもしれないが、私はスパゲッティーとなる。そして、喫茶店のスパゲティーというと、当時は定番があった。定番は2種類あった。どこの喫茶店に行ってもたいていその2種類がおいてあり、その2種類以外のスパゲティーにお目にかかることは無かった。
 2種類とはスパゲティーミートソースとスパゲティーナポリタン。私は中でもミートソースが好みであった。麺そのものも美味しかったし、ソースも美味かった。粉チーズも好きだったし、タバスコも大好きだった。お陰で、スパゲティー好き少年となった。

 従姉の子供達が小学生から中学生の頃、よく彼らを映画に連れて行った。映画の帰りには喫茶店に寄ったりした。20年ほども前の話だが、その頃になるとボンゴレとかバジリコとかいう名前のスパゲティーが現れた。私はそれらも好きになった。
 オジサンはデートすることも滅多に無いので、喫茶店に行くことは、今ではもう、2、3年に1回あるかどうかとなっている。2、3年に1回の喫茶店も、そこで食事することは無い。というわけで、喫茶店のスパゲティーを20年近く、私は食っていない。
 金曜日の職場の2階が喫茶店となっていて、そこには毎週顔を出しているが、そこでも何か食べるということは無いので、今時の喫茶店にもスパゲティーミートソースやナポリタンがあるのかどうか不明であるが、まあ、あったとしても食べない。
 スパゲティーはいつも自分で茹でて、自分好みのソースをかけて、家で食べている。ゴーヤースパゲティーやシマラッキョウスパゲティーを作り、生トマトでトマトソース、生バジルでバジルソースなども作ったりしている。 
 

 記:ガジ丸 2008.6.1 →沖縄の飲食目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


グーヤーヌジー

2011年03月28日 | 飲食:食べ物(材料)

 豚の安い部位

 スーパーへ行って精肉のコーナーへ行く。牛肉にはロース、フィレ、モモ、バラなどがあり、鶏肉にはササミ、ムネ、モモ、手羽などがある。これらは倭国でも同じ名前で並んでいる。ところが、豚肉となると、和国と同じロース、フィレ、バラの他に、三枚肉、ソーキ、テビチなどといった倭国ではあまり見ない名前が並んでいる。
 三枚肉は倭国でも見かけることがあり、その名前からだいたい何物か想像もできよう。ソーキ、テビチは沖縄にちょっと興味のある人なら知っているであろう。だが、沖縄のどのスーパーへ行ってもたいてい置いてあるグーヤーヌジーという名前の豚肉は、沖縄にすごく興味のある倭国人で無ければ、「何?それ。」かもしれない。
 倭国人だけでは無い。ウチナーンチュでもそれが何を指すのか分らない人は多い。かく言う私も最近まで知らなかった。何年も前からよく見ているし、よく買っているし、よく食べてもいるのに、それが豚のどの部位なのか知らなかった。

  グーヤーヌジー、スーパーではウデ肉とあるが、念のため『沖縄語辞典』を引く。グーヤーヌジーという単語は無くて、グーヤーがあった。「豚の尻の骨と肉」とあった。どうやらウデ肉では無いようだ。ヌは格助詞の「の」で、ジーは「骨の髄」となっている。なので、グーヤーヌジーは「豚の尻の骨と肉の髄」ということになる。肉に髄は無いのでおそらく、「豚の尻の骨と肉とその骨の髄」ということであろう。
 しかし、スーパーで売られているグーヤーヌジーは「豚の尻の骨と肉とその骨の髄」からは遠い。スーパーの表示通りのウデ肉の方が見た目納得できる。グーヤーヌジーの表すものが「豚の尻の骨と肉とその骨の髄」から、「豚の尻の肉」だけをも指すようになり、ウデ肉がそれに似ている(かどうか不明)ということから、いつしかウデ肉のこともグーヤヌジーと言うようになったのかもしれない。グーヤーヌジーは脂身が少なくヘルシーな感じがする。値段も安いので、私は汁物、煮物用に時々買っている。
 
 4月のある日、毎年春の楽しみとしているタケノコを食った。皮付き丸ごとのタケノコを買って、糠でちゃんとアク抜きして食った。とても美味しかった。それはさておき、その時の糠が残っていたので、グーヤヌジーの糠包み焼きを作ろうと思いついた。
  同じ頃、ガジ丸HPの『沖縄の草木』でバショウを紹介しようと調べていたら、昔、テレビか何かで見た「バショウの葉で豚肉を包んで、それを焚き火の灰の中に突っ込んで蒸し焼きにするという料理」を思い出した。バショウでは無くバナナの葉だったかもしれないが、まあ、両者はほとんど同じようなものである。職場にバショウがある。
 タケノコを食ってから1週間後、グーヤーヌジーを買い、職場のバショウの葉を1枚切り取って、家に持ち帰り、グーヤーヌジーを糠で包んで、その上からバショウの葉で包んだ。ダッチオーブンを出すのは面倒だったので、蒸し器で蒸した。
 バショウの葉の匂いはほとんど無かったが、米の匂いはした。バショウよりも米糠の方の匂いが強かったということなのだろう。肉に直接触れているのは糠なので、その匂いが強かったのかもしれない。とりあえず、美味しかった。
 
 
 
 
 
 
 
 記:ガジ丸 2008.4.22 →沖縄の飲食目次


タマナーチャンプルー

2011年03月28日 | 飲食:食べ物(料理)

 チャンプルーの王様

 何年か前に、母にチャンプルーについて訊いた。
 「チャンプルーは新しい言葉じゃないかねぇ、炒めものはタシヤーとかイリチーとか言ってたねー、昔は。」ということであった。ということで、チャンプルーとは元々、「混ぜる、混ぜこぜ」いう意味で、それが料理名に転用されたものと私は思っていた。
 母は言語学者では無いし、沖縄語に精通しているわけでもない。そんな母の言葉を鵜呑みにしていたのを反省して、今回、調べてみた。チャンプルー。
 『沖縄語辞典』に「料理名。豆腐、野菜などの油いため。中国からの借用語らしい。」とあった。中国にチャンプルーに似た言葉、あるいは料理名(長崎のチャンポンと同源だと思われる)があって、それが沖縄でも料理名になったようである。念のため『沖縄大百科事典』を見ると、そこにも料理名と載っていた。つまり、料理名が先にあって、「混ぜる、混ぜこぜ」という意味は後からついたみたいだ。
 ただし、「混ぜる、混ぜこぜいう意味で、それが料理名に転用された」という私の考えは間違いだが、「チャンプルーは新しい言葉じゃないかねぇ」という母の言うことは間違いとは判断できない。『沖縄語辞典』に「タシヤー」はタシユンという動詞で、「(食物を油で)いためる」とあり、「イリチー」は「油いため」とある。元からあるウチナーグチだ。中国からやってきたチャンプルーという言葉は後からなのであろう。

 さて、母はタシヤーと呼んでいた料理、最近ではチャンプルーとなっているので、チャンプルーという言葉を使うが、チャンプルーと言って私が真っ先に思い浮かぶのは、あの有名なゴーヤーチャンプルーでもソーミンチャンプルーでも無く、じつは、タマナーチャンプルーである。タマナーとは玉菜と書き、キャベツのこと。
 豚肉、またはポークランチョンミート(スパムとかチューリップとかの缶詰)、あるいはコンビーフハッシュ(牛挽肉とジャガイモの缶詰)に、豆腐と野菜を加えて油で炒めた料理がチャンプルーとなる。加える野菜がキャベツだとタマナーチャンプルー、モヤシだとマーミナチャンプルー、ゴーヤーだとゴーヤーチャンプルーとなる。
  実家では、その中でもタマナーチャンプルーが最も食卓に上る頻度が多かった。おそらく、他の野菜よりキャベツが安かったに違いない。そして、私はそのタマナーチャンプルーは好きだった。子供の舌には、ゴーヤーは苦くて、モヤシは淡白すぎた。キャベツには甘さがあった。今でも、たびたび作って食べている。飽きない料理である。
 で、私にとっては、タマナーチャンプルーはチャンプルーの王様となっている。
 
 3月の中頃、趣味農家である大家さんから大きなキャベツ1個とチンゲンサイなどの葉野菜を山盛り頂いた。その数日前に買ったキャベツがまだほとんど残っていたので、それから1ヶ月の間、キャベツ料理が続いた。その間、タマナーチャンプルーは6回食った。お陰で体調も良い。王様は健康にも良い食い物なのである。
 
 
 
 
 
 
 
 

 記:ガジ丸 2008.4.5 →沖縄の飲食目次


オキコラーメン

2011年03月28日 | 飲食:加工品・薬草・他

 懐かしいラーメン

 私が始めて口にしたインスタントラーメンが何であるか、全く記憶に無いが、子供の頃よく食べたラーメンは覚えている。2つある。インスタントラーメンの元祖とも言うべき日清チキンラーメン、それと同時期からあったソーメンタイプのマルタイラーメン、これらはタイプは違うが、2つともよく食べた。で、よく覚えている。
 マルタイラーメンは鍋を使って調理するタイプなので、少し手間がかかったが、チキンラーメンは麺を丼に入れて、お湯を注いで、蓋をして、後は3分待つだけ、蓋を開けたらラーメンができていた。これは画期的であった。簡単便利だけでなく、また、十分に美味くもあった。そのチキンラーメン、今でも普通にスーパーで売られている。沖縄出身の美人女優、仲間由紀恵がコマーシャルをしている。

 仲間由紀恵がCMをしているからというわけでは無いが、チキンラーメンを私は今でもたまに食べる。この「たまに」は、インスタントラーメン全般を月に1回食うか食わないかなので、チキンラーメンという銘柄のみに限って言えば、年に1回あるかないかという程度の「たまに」である。仲間由紀恵がCMをしていてもいなくても、その程度は食べている。食べると子供の頃を思い出したりする。ノスタルジーに浸れる。

 チキンラーメンの次に好きになったインスタントラーメンは明星チャルメラ。これはマルタイラーメンと同じく、鍋で煮る形式となっていて、スープが別となっていた。チャルメラは弟が大ファンで、母はチャルメラを家の常備ラーメンとしていた。しかし面倒臭がり屋の私は、どちらかというと、オキコラーメンが好みであった。

 さて、突然登場したオキコラーメン、「何、それ?」と倭人のほとんどは思うであろうが、沖縄では有名なインスタントラーメンである。チキンラーメンと同じく、麺を丼に入れて、お湯を注いで、蓋をして、3分待つといった形式のラーメン。はっきり覚えてはいないが、チキンラーメンよりオキコラーメンの方を、私は多く食べたと思う。
  オキコラーメン、長い間、世間から身を隠していたが、最近、ミニサイズとなって復活した。いつごろ復活したのか不明だが、今年の1月にスーパーで、私は発見した。小さくはなったが、パッケージのデザインは昔のまま。懐かしさのあまり、つい、買ってしまった。作り方も昔のまま、味(チキンラーメンとほぼ同じ味)も昔のまま。丼では無く、汁碗サイズの量であったが、私は十分にノスタルジーに浸ることができた。
 オキコラーメンが復活したのはおそらく、仲間由紀恵のお陰ではないかと私は思う。チキンラーメンの人気が上がって、それと同じ作り方、似た味のオキコラーメンも需要が出たのであろう。私のような脳廃る爺が買ったりしているのだろう。
      
 オキコラーメン
 オキコは1947年創業の企業。私が子供の頃は、オキコというとアイスクリームやチョコレートといった菓子類の会社として有名だった。現在では製パンが主力で、オキコパンはほとんどのスーパーに置かれている。ラーメンは1966年に生産を始めた。
 ちなみに、チキンラーメンは1958年、マルタイラーメンは1959年に販売されている。マルタイラーメンは棒ラーメンという名前で、今でも普通に売られている。

 記:ガジ丸 2008.3.16 →沖縄の飲食目次