角倉了以父子により慶長十九年に、京都と伏見を結ぶ運河として開墾された運河が、この高瀬川です。森鴎外の「高瀬舟」で一躍有名になったその高瀬舟が、この高瀬川を上下していたのだそうです。
かつては川幅が8m位もあったそうですが、今は半分の4mほどとなって、流量も少なく、とても往時の舟運の隆盛を忍ぶことはできません。
繁華街である四条河原町のすぐそばにあるとは信じられないくらい、現在は、訪れる人もほとんどいない静かなたたずまいを見せてくれます。

かつては川幅が8m位もあったそうですが、今は半分の4mほどとなって、流量も少なく、とても往時の舟運の隆盛を忍ぶことはできません。
繁華街である四条河原町のすぐそばにあるとは信じられないくらい、現在は、訪れる人もほとんどいない静かなたたずまいを見せてくれます。
