京都では、時間があれば哲学の道を散策します。
散策ルートは、哲学の道である必要はないのです。定点観測と言うことがありますが、ぼんやりと歩くことが多いです。散策したからと言って、哲学的思考が伴うことは、まずありません。
でも、今年の疎水の水はなぜか少し濁っていました。何が起こっているのでしょう。
大小の鯉が10匹くらい、群れ泳いでいるところがありました。今までは、あまり見た記憶ありません。どなたかが放されたのでしょうか。
とこんなことをぼんやり感じることが定点観測のいいところです。
さて、写真は三椏(みつまた)です。和紙の原料となる木です。あまりにも地味なので、これが花とはちょっとわかりづらいところです。

散策ルートは、哲学の道である必要はないのです。定点観測と言うことがありますが、ぼんやりと歩くことが多いです。散策したからと言って、哲学的思考が伴うことは、まずありません。
でも、今年の疎水の水はなぜか少し濁っていました。何が起こっているのでしょう。
大小の鯉が10匹くらい、群れ泳いでいるところがありました。今までは、あまり見た記憶ありません。どなたかが放されたのでしょうか。
とこんなことをぼんやり感じることが定点観測のいいところです。
さて、写真は三椏(みつまた)です。和紙の原料となる木です。あまりにも地味なので、これが花とはちょっとわかりづらいところです。
