もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

ウクライナ事変津波-2

2022年04月15日 | ロシア

 昨日はウクライナ事変に触発された世界の潮流変化に触れたが、本日は国内の変化である。

 自民党の安全保障調査会が、「専守防衛」では劈頭における損害が激しいために、敵基地攻撃能力を保有した「積極防衛」に転換すべきか否かの議論を進めて、年末に改定する政府の国家安全保障戦略(NSS)に反映させたいとしている。また、敵基地攻撃能力という言葉は曖昧であり、実態に即し、かつ国民が理解しやすい「自衛反撃能力」「領域外防衛」「ミサイル反撃力」などに変更することも議論しているとされる。
 専守防衛と積極防衛で大きく異なるのは何だろうかと考えてみた。最も異なるのは、国際的に認知されている積極防衛の概念に基づくならば、武力攻撃が予想される状況・時点での危険海域(戦闘海域)や飛行禁止区域(戦闘空域)の設定が可能になるのではと考えている。専守防衛では現実に砲弾・ミサイルが着弾したり、敵機が領空(スクランブル対処の防空識別圏ではない)を突破した場合にのみ砲口を開くことができるが、積極防衛では前述の海空域を侵犯しただけでも攻撃が可能となるので、第一撃における被害を大幅に減少できると考える。
 調査会の指摘を俟つまでもなく、敵基地は具体的に何を指しているのか不明確で、ある人は侵攻部隊の前進基地を指すと捉え、ある人は敵国内の指揮管制基地やミサイル発射基地まで含めるという。折に触れて書いたことであるが、地中貫通爆弾(バンカーバスター)のように特定目的のために特化した兵器を除けば、兵器は使用者の意思でいかようにも使用できるものであることから言えば、今後の敵基地攻撃能力議論はミサイルの射程を何㎞に制限するかに移るのではと思うが、日本が200㎞に制限すれば相手は300㎞遠方から撃ってくるであろう。そのイタチごっこを防ぐためには、保有ミサイルの射程は秘密にすべきで、その限界をTV中継される国会の場で議論・決定することは避けるべきと思う。軍事的抑止力のキモは、相手が何を持っているかの疑心暗儀も重要であるので、与野党議員で構成する秘密委員会を設置して検討して欲しいものである。秘密委員会参加議員には公安機関による厳重な身体検査が必要であることは言うまでもないが。

 共産党の志位委員長が、党綱領を解説した「新・綱領教室」を15日に出版すると報じられた。志位委員長は先に「急迫不正の攻撃に対しては、自衛隊の活用を含む全ての手段で対応する」と述べたが、他党から「綱領で自衛隊解体を掲げながら、有事には自衛隊を活用するご都合主義(維新:松井代表)」と批判の大合唱を浴びたことに応える著書とされている。
 報道で知ったことであるが、共産党の小池書記局長によると「自衛隊を活用する方針は22年前の党大会で決めたもの」であるらしいが、国民はもとより松井代表ですら知らなかったものと思われる。また、選挙協力や連合政権では自衛隊を合憲視するとも述べているので、先の衆院選における4野党政策合意や立民との選挙協力・閣外協力の裏には公表しない密約があったのかもしれない。
 確かに綱領には、天皇制の廃止、共和制憲法制定、自衛隊の解体、日米安保の破棄等に関しては、「国民の選択に応じ」とはされているものの、綱領の基本理念に沿って行動している現実を見る限り、共産党首脳部の云う「現実路線」を、狼の正体を隠す衣の一枚と観るのは自分だけだろうか。憲法の読み替えで成り立っている日本であるので共産党の綱領読み替えも許して欲しいと主張するのは如何なものであろうか。

 ロシアの政党「公正ロシア」党首で下院議員のセルゲイ・ミノロフ氏が「一部の専門家によると、ロシアは北海道に全ての権利を有している」と発言したことが報じられた。
 これに対して、林外相は14日の参院外交防衛委員会で、「ロシア議員の発言は、一議員の個人的な見解に過ぎず、根拠が全くないものであり、受け入れられないと考えている」と一蹴したが、寸土と雖もロシアの地を渡さないとの主張は、ロシア全国民の共有するところと見るならば、北方4島を取り返すためには「力による変更」しか道はないように思える。


ウクライナ事変津波-1

2022年04月14日 | ロシア

 ウクライナ事変は、多くの国に国防・軍事・通称に関する政策の変更を促しているようで、これまでNATO加盟に慎重であったフィンランドとスウェーデンが、相次いでNATOへの加盟を検討すると表明した。

 スウェーデンは国連中心・非軍事同盟中立・福祉重視を貫いているとして、日本では「スウェーデンを見習え」との評価が高いが、第二次世界大戦でドイツ・ソ連の双方から攻撃された教訓から、国防意識は極めて高いとされている。そのため、一時は核開発を目指したことにも示されるように独自の兵器開発を進めており、特に戦闘機に関しては日本の次期戦闘機(FX)選定候補に挙げられる性能を持ち、通常型潜水艦でも領海侵犯したソ連潜水艦を釘付けにした等、高く評価されている。海上自衛隊でも対潜前投兵器として4次防で米国製のASROCが装備される以前はスウェーデン製のボフォースランチャーが装備されていた。
 また、非加盟ながらNATOとのパートナーシップ協定に基づいて1995年にはNATOの指揮下でボスニアに部隊を派遣、2017年にはフィンランドとともにNATOや国際連合に協力する合同派遣軍への参加を決めており、北欧・EU諸国が攻撃された場合には「受動的な態度をとらない」とも宣言している。記憶に新しいところでは、2010年に廃止した徴兵制度を2018年に男女対象の徴兵制を復活させている。

 東部でロシアと国境を接するフィンランドは歴史的にカレリア地方の帰属をめぐってロシアと確執があるが、強国に対峙する小国の常として過度にロシア(ソ連)を刺激しない「フィンランド外交」に徹していたが、ロシアの脅威が高まったこともありニーニスト大統領が本年1月に《「NATOへの加盟申請を含む「あらゆる選択の自由を留保する」》と演説している。

 この他にも、
 「紛争地域には武器を渡さない」としてウクライナにも対戦車砲などぼ防御兵器供与に限定していたドイツで、連立第2党の緑の党が攻撃兵器までの供与拡大を主張する一方で、「ノルドストリーム2」構築に前のめりであったメルケル親ロ政策に抗議するかのようにウクライナが独大統領の来訪を拒絶したことも報じられている。
 フランス大統領選では圧倒的に有利とされていたマクロン大統領が、EUの難民・移民政策に不満を持ちNATO脱退すら視野に入れたルペン氏に決選投票にまで肉薄され、再選されたとしても何等かの路線変更を余儀なくされるのは確実で、ルペン氏勝利ともなればプーチンの目指す「NATO・EUの弱体化」が前進し、一時的にはプーチン勝利と見られるかもしれないように思える。


経済至上主義の終焉とプーチンの真意

2022年04月03日 | ロシア

 ロシアのウクライナ侵攻は、経済至上主義を粉砕したとの主張を知った。

 アメリカの国際問題評論家の主張するところでは、《ソ連崩壊後の西側先進国では、「各国の経済が成長すれば国際関係も円滑に動き、地理的な国境までも意義を持たなくなる」という経済至上主義が主流となったが、ウクライナ事変は「指導者の政治的野望による軍事力行使」に対しては、経済活動による結びつきなど何ほどの抑止力として働かないことを世界に示した》としている。この「政治(軍事)が経済を打ち破る現実」に目覚めた国として、氏はカナダ、ドイツ、日本を挙げているそうである。
 云われてみれば、日本を始めとする3国は、いずれも「過度な平和主義の幻想から目覚めた」様子で防衛費の増額に転じ、対GDP比でドイツ2%超・日本1.24%・カナダ増額表明となっているが、3国以外でもNATO加盟国は軒並みに増額を表明している。トランプ氏が友邦に求めた対GDP国防費2%要求に対してはドイツを筆頭に総じて冷ややかであったが、この現実を見るとトランプ氏は感覚的に近未来を正確に予測していたかのようである。
 平和は経済の繁栄によってもたらされるという思想は、その拡大・延長として「自由競争を抑制して富の平滑化(格差是正)を目指す新自由主義排斥」に成長して左翼的識者から世界平和のアプローチとして魅力的に語られていたが、「命あっての物種」の現実を突きつけられると急速に輝きを失ったように思える。

 プーチンのウクライナ侵攻の真意はいろいろと分析されるが、今一つ納得できない。
 軍事的には、かって艦載砲の射程を領海幅とし3海里(約5㎞)から12海里(約18㎞)に拡幅したが、攻撃武器がミサイルとなった現在では、プーチンの主張するようにウクライナ全土を非武装・中立緩衝地帯としてもモスクワがミサイルの射程外となることはない。また、ベラルーシ側からキエフ(キーウ)を窺う行動と並行してマリウポリ等のアゾフ海回廊を攻撃しているが、この作戦が功を奏して回廊を手中にしたとしても、黒海はもとよりアゾフ海すらロシアの内海とすることはできない。
 識者から笑われるだろうが、ウクライナ市民をシベリアに強制移住させたとの報道から、豊かになった国民が都市に集中して生じたシベリア地域過疎化対策として大東亜戦争後の日本人強制労働を企図したもの、ウクライナという穀倉地帯を手中にして1930年代のホロドモール簒奪を企図した食料対策であるかも知れない。
 専門家であってもプーチンの真意は計り知れないものか、ここにきてプーチンの甲状腺機能障害による常軌を逸した攻撃症状なる説も語られるようになったが、打算的でない行動は狂人の行動と観るしかないのであろうか。


侵略と進撃

2022年03月30日 | ロシア

 ネット上で酒井信彦氏のコラムを見た。

 氏は、ロシアのウクライナ武力行使を伝える2月25日、多くの新聞が見出しで「侵攻」ないしは「侵略」と表現している中で、朝日新聞のみは「(親ロ派地域への)進撃」との語句を使用していたとされている。
 酒井氏の朝日新聞嫌いは有名であるので事の真偽が不明であるが、もし真実であるならば「相当ニュアンスが違うなァ」と感じて侵攻と進撃を調べてみた。
 ウエブ辞書では「進撃:軍を進めて敵をうつこと。また、積極的に攻撃すること」、「侵攻:他国を攻め、その領土に侵入すること。侵犯。進攻」とあった。正確な理解ではないだろうが自分では、武力行使の正邪を問わずに、「進撃」とは武力行使する側がその正当性を内包して使用するもので、侵攻は武力行使の不当性を込めて受け手が使用する語句であるように思う。そのことは、現在では侵略戦争と一般的に定義される大東亜戦争にあって、国内新聞は戦況を伝える多くの場合に「○○に進撃」の見出しが躍る紙面であったのを映像で見た記憶がある。
 酒井氏は、朝日新聞の社説ではロシア=侵略者を思わせる主張があったとも続けられているが、トップ記事に「進撃」を使用したのは、ロシアのみが承認した「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」における親ロ住民の保護・解放というロシアのプロパガンダを正義とする認識のもとに、使用された可能性もなしとしない。朝日新聞がロシアに正義ありとして確信犯的に「進撃」としたとしても、福島原発事故における吉田証言に対する誤(嘘)報を、シレっと読解力不足と強弁した過去を振り返れば、酒井氏の指摘も「蛙の面に小便」ほども響かないのだろう。

 それ以降の朝日新聞の報道を拾い読みする限り、日本国内のロシア・プーチン感に沿った報道であるように思えるが、慰安婦強制連行の火付け役と糾弾され、第3者委員会の指摘を受け入れる形で報道姿勢や偏向報道を正すとした土下座も、社外向けのパフォーマンスで社風や記者の世界観は従前のままであるのかもしれない。
 以上、酒井氏の指摘を真実として論を進めたが、万が一事実と異なる場合には本記述を削除致しますので、ご教示をお願いいたします。


ウクライナ政治決着に思う

2022年03月27日 | ロシア

 「ウクライナ市民を救うために政治決着を」という声が日増しに高まっているように思われる。

 戦前の日本では、多くの国民、とりわけ知識人の多くが国策を論じ・挺身する場合は「死は或いは泰山より重く、或いは鴻毛より軽し(司馬遷)」を信条とし、学徒兵を含む多くの特攻隊員は、日本国の悠久のために一身を鴻毛の軽きとして捧げた。
 しかしながら、戦後においては「一人の生命は地球よりも重い」が日本基準になったようで、福田赳夫内閣は1977(昭和52)年のダッカ事件で超法規的処置としてハイジャッカーの要求を容れ身代金 600万ドルを支払うとともに収監中の赤軍幹部等6名を釈放・出国させたが、この判断は、「テロ犯とは取引しない」が世界基準で無かった当時でも、日本=弱腰との非難が浴びせられたように記憶している。
 現在、ウクライナに政治決着を求める声もダッカ事件第二章の感が深いが、この背景には日本が連合国(アメリカ)占領から復興し得たという経験もあるように思える。一般的には勝者の占領は懲罰・簒奪が主で、そのことから言えばアメリカの占領政策は世界史上でも極めて寛大であったとされているが、日本から「魂」を抜き去ったことは懲罰以上の重きをなしているのではないだろうか。
 先日のブログで「ウクライナの歴史はロシア帝国とソ連の簒奪・苛斂誅求の歴史」と書いたが、身命を賭して抵抗を続けるウクライナ国民の平均的な意識は「今、100人の生命を救うために政治決着として寸土を割譲することは、その地に暮らす数万人の命と将来を見捨てることである」と云うものであろうと推測している。
 ウクライナに一時的な領土割譲を認める形で停戦し、臥薪嘗胆して将来的に領土回復を目指すというのは、寛大(一面では)なアメリカ占領を経験則としているから言えることで、既に戦後におけるロシア人との入れ替えに備えて市民の強制移住に着手していることを思えば、プーチン・ロシアの支配地域における将来は明らかであるように思える。

 自分には、抵抗するウクライナ軍民と大東亜戦争時の特攻隊員の心情は、同じであるように思えてならない。
 かって衆院議員であった丸山穂高氏は、「歴史上、戦争に由らずに領土回復した例はない。北方領土回復のためには対ロ戦争しかない」と主張した。世界的に見て正しいと思える分析・主張も、世界史的に稀有な「戦争に由らない沖縄復帰」を経験している日本では囂々たる非難を浴びた。
 国を守ること、国を失うこと、いま最も真剣に考えなければならないのは、日本人であるように思う。