東京都港区青山の1等地に建設予定の児童相談所施設に対する住民説明会の模様が放映された。
建設計画は、触法少年の保護施設を含む児童相談所を青山の国有地に建設しようとするもので、映像では青山ブランドの毀損を恐れる住民が居丈高に建設反対を叫ぶ様子が流されていた。別の画面では建設に理解を示す住民がいることも報じられているので反対意見がどの程度かは明確ではないが、住民エゴの縮図を見る思いがした。反対を叫ぶ住民にマイクを向けて「児童相談所の必要性」を問えば、間違いなく「必要」と答えるだろうが、それでも「別の場所に建てて欲しい」との答えが返ってくるものと思う。所謂「総論反対、各論反対」の典型で、かって米軍艦載機の離発着訓練騒音に反対する厚木市民が、移転候補地の住民に移転受け入れを懇願して顰蹙を買った事例があったが、ほぼ同様な心情に基づくものと見受けられる。国と社会が協調して子育て支援をしなければならないとする意見が大勢を占める現在、市民も多かれ少なかれ児童の保護と触法少年の更生に対する貢献・奉仕が求められるのではないだろうか。冷たいようであるが青山の住民も「白羽の矢が立ったのは身の不運であるが、社会貢献のために止む無し」と潔く受け入れるしかないのではと思う。児童の保護政策を推進するためには児童相談所施設の拡充は必至の要件であり、今後とも同種の事案が各地で起こる可能性を含んでいるので、青山の地域住民には児童保護の先駆者となることで、青山ブランドを更に世に広める決断を期待するものである。ただし、地価下落による資産価値の低下には大いに同情の念を持つものであるが。
身を護るのは自己責任とする国民性もあるだろうが、LAやサンディエゴの郊外には、周囲を塀で囲い自前で雇った警備員を配置しているコロニーをよく見かける一方、教会を中心とした奉仕活動は日本以上に活発と聞いている。青山住民を含めて我々も、地域と児童の安全を等しく守るために応分の努力・奉仕・犠牲を払う覚悟が求められる時期に来ているのかも知れない。今回の報道は、赤い羽根以外には何ら奉仕活動をしていない自分の来し方を反省するきっかけとなった。