もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

弁護士の逮捕に思う

2018年10月16日 | 社会・政治問題

 第二東京弁護士会に所属する32歳の弁護士が、犯人隠避教唆の疑いで逮捕された。

 逮捕容疑は、一昨年の5月に横浜市内で無免許運転による死亡事故を起こした男に嘘の供述をさせ、車を貸した所有者に捜査が及ばないよう働きかけたこととされている。これまでにも、明らかに弁護士が誘導したと思われる事象が度々起きており、特に有名なのは光市母子殺害事件の控訴審における犯人の犯行動機の供述である。弁護人が代わった控訴審では、1審までは犯行動機とされていたものを全て覆し、死姦は”復活の儀式”、生後11ヵ月の乳幼児絞殺については”泣き止ませるために首に蝶々結びしただけ”、遺体を押し入れに隠したのは”ドラえもんがリセットしてくれるため”と、およそ考えられない供述を始めたことである。弁護士は、犯人の幼児性を際立たせて死刑判決を免れようとした法廷戦術であったかもしれないが、真実を捻じ曲げようとした行為との印象が拭えない。この弁護士(弁護団)に対して国民からは7000件以上もの懲戒請求が寄せられたにも拘らず各弁護士会が不処分としたことからも、同様の虚偽供述をさせることは弁護士社会では特異な事案ではないことを物語っていると思われる。映画やテレビで弁護士は、弱者のために巨悪の実態を暴く正義漢と描かれているが、昨今の不祥事の謝罪会見に同席する顧問弁護士からは”顧問料を払える強者の代弁者としてしかの活動しかしないのでは”、との印象が強い。弁護士とは、悪事を如何に矮小に見せかけるか、悪事を如何に合法化するか、如何にして法の抜け穴を探して悪事を働くか、に長けた人の別称かとも思える。現在、弁護士の数は社会が必要とするであろう水準を超えていると云われている。アメリカが訴訟大国となった一因は、過剰となった弁護士の糊口を満たすたとも云われており、このままで推移すれば日本も、鵜の目鷹の目に訴訟の素を探して飢えを満たすハイエナ集団が出現するかもしれない。

 ここまで、弁護士の悪口を書いたが、世の中には社会正義のため、弱者のために働く弁護士が大半であると思う。これまで、幸いにして弁護士の助けを必要とする厄災や被害に遭うこともなく、加害者となったこともないので、弁護士の本質と有難味が解っていないことが本ブログの根底にあると思うので、その点を加味してお読みいただければと思う。