もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

新原涼子さん離婚に思う

2021年07月25日 | 社会・政治問題

 篠原涼子さん(47)と市村正親さん(72)の熟年・年の差離婚が報じられた。

 離婚の原因・発議が双方のどちらかであるかは知らないが、所謂「熟年離婚」について自分なりに考えてみた。
 熟年離婚は年々増加しているらしく、専門弁護士等によると年金分割などの経済的障壁が低くなったことが大きいとされていることでは一致しているが、離婚に至る原因・経過については様々であるとされている。
 自分は、夫婦の双方あるいは片方の加齢によって、共同生活における様々な事柄に対する許容幅・受容幅が狭くなり、それにつれて我慢の限界値が低くなることではないかと思う。それまでは大して気にもならなかった或いは笑って許せていたことが突然に「我慢できなくなった」「許せなくなった」ことで、年齢を重ねれば重ねる程、許容幅はますます狭くなり、限界値はさらに低くなるのではないだろうか。このことは夫婦間に留まらず、兄弟親戚間はもとより友人関係にまで及ぶようで、以前と同じ言葉を使用しても「ある日突然に相手を怒らせてしまう」例は周囲でも多く起こっているように思える。
 更には、女性に多い現象だと思うが、澱のように蓄積した些細な怨みが「飽和点に達する」ことも見逃せないようで、先日には年上夫を鋸で報復殺害し、徐々に弱って死んでいく様を冷静に観察し続けた老女の凄惨な事件まで起こっている。
 ゼネレーションギャップは異見・異文化に対する許容値・受容値が狭くなる現象で、キレル老人は我慢限界値の低下によるものであると観れば、夫婦は他人と言い慣わされた言葉も実感できる。
 篠原氏の離婚は、瞬間湯沸かし器に近い自分も、女房殿の異見・異文化・確執に対しては「深呼吸で一拍を置いて諸事を笑って受け容れ」ることで、三下り半の回避に努める必要性を教えてくれたようである。

 高齢者の異文化許容限界(ゼネレーションギャップ)の好例と思われる事象として、JOCが23日に行われた東京五輪開会式で日本選手団にスマホ持ち込み禁止を指示していたことが報じられた。JOC幹部の脳裏では前回東京五輪の「整斉とした入場行進」がベストで、精一杯努力して何とか現行の五月雨型入場セレモニーは許容できたものの、選手団としてのの統御は絶対に維持すべきで、そのためには選手団としての統一を乱す選手個人のスマホ撮影は許容の限界を越えており、排除すべき行動と判断したものかと思える。
 諸事についてハードルの位置と高さが目まぐるしく変化するご時世にあっては、老人の経験則は全く用を足さなくなった以上に害にすらなる場合もあるようで、高齢者には住み難い社会になっていると思う。
 篠原さんの離婚話が、高齢者の嘆きになったのを機に終演。