神津里季生連合会長のインタビュー記事を読んだ。
主題は、先に同じ文言の政策協定を立憲民主党・国民民主党の3者間合意では無くそれぞれと個別に締結したことに関して、3者間合意を阻んだ最大の要因である「全体主義」と「内摂概念」については明言を避けて「捉え方は都合の良いように・ご勝手に」というスタンスを維持する等、立民・共産の選挙居力に配慮した歯切れの悪さであるが、共産党嫌いの一部単産に配慮して現野党が政権を担った場合にも共産党との連立や共産党の閣外協力は完全否定する内容となっていた。
また、奇異に思ったのは会長の「国会議員は我々が知りたいことを政府に問い質すのが役割」との言葉である。中学生に聴いても「国会と国会議員の権能は法律を制定して行政を制御・監視すること」と答えるだろうが、連合会長にあって国会議員とは喫緊の経綸は措いて「モリ・カケ・サクラ質問」に血道をあげる蓮舫・辻元・福山・杉尾各議員などが国会議員の鏡であるのだろうか、それとも立国両党には国政担当能力は無く、精々が政府のあら捜しが適任とのレトリックであるのだろうか。
特定団体の代弁・利益誘導を一義とする議員は、族議員或いは組織内議員と呼ばれ、これまで野党は自公に対して政経分離・政教分離と厳しい姿勢を見せていたが、連合会長の言葉からは応援する立民・国民は恰も連合の丸抱え若しくは薬籠中の政党と捉えていることは明らかで、これまでは労組出身議員は少数であるために漫然と見過してきたが、これからは連合族議員というカテゴリィや政労分離若しくは政連分離なる造語が必要になるのかも知れない。
小池百合子都知事は希望の党の結党に際して「全てのしがらみからの脱却」を挙げて喝采を浴びた。自分は小池氏のパフォーマンス過多の政治姿勢は必ずしも評価しないが、政治家が一部の利益代表であってはならないとする氏の主張には賛成である。連合が「しがらみ」として今まで以上に存在感と影響力を増し、意に添わぬ走狗議員を烹るような事態はあってはならないように思う。
一般社会でも資金力や技術力に大きな差がある2社と、骨幹である箇所を曖昧にした同一の契約書で契約することは考えられないと思うが、ゴリ押し的に成立した政策合意は、連合・立民・国民の3者が論語の説く「民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず」の具現を図ったもののように思える。
「どうせ政策合意の文言・真意など有権者は読み・解きはしない」という3者の驕りと有権者無視が心底にあるように疑うのだが、それでも応援しますか。