本日は、下士官・兵についてですが、昨日と同じく大東亜戦争開戦前の昭和16年を基本とします。
下士官・兵の職域は、兵科・飛行科・整備科・機関科・工作科・軍楽科・看護科・主計科・技術科・法務科があり、階級は、准士官(兵曹長)・1~3等下士官(兵曹)・1~4等兵に分けられていた。
階級の呼称については、艦艇の兵科(砲術・水雷・船務・航海)は職域を付けることなく兵曹長・〇等兵曹・〇等水兵と呼ばれるが、それ以外の職域については、職域を冠して、例えば機関兵曹長・〇等機関兵曹・〇等航空兵と呼ばれていた。
また、4等兵に関しては、ウィキペディア等では職域を示した呼称が記されているが、自分の新隊員教育期間中の指導に当たってくれた軍歴を持つ班長から聞いたところでは、海兵団での教育期間中にあって職域が未定であるため全て4等水兵であり階級章や職域記章が袖に無いことから「カラス」と呼ばれ、職域が指定された終業式には3等兵の階級章と職域記章を袖に付け、それらを紙で隠して式に臨み昇任告知と共に一斉に髪をはがしたそうである。現在防大の卒業式で帽子を投げ上げる儀式と同様の喜びと誇らしさの表現であったようである。
撃墜王または大空のサムライと異名される坂井三郎中尉(従来制度では特務飛行中尉であるが)の伝記等では折々の階級を1等飛行兵曹を「1飛曹」や飛行兵曹長を「飛曹長」と書かれているように、正式な場合を除いて階級は短縮して使用されることが一般的で、三浦虎次郎も「三浦3水」と呼ばれていたことだろうと推測する。
2回に亘って帝国海軍の職制と階級について大雑把に記述したが、戦局が逼迫した昭和19年には階級が大きく整理され、特務士官の呼称は無くなり、下士官は、准士官・上等~2等兵曹に、兵は上等兵~2等兵に区分変更されるとともに、戦闘部隊の指揮権を継承する順位(指揮継承順位)を定めた「軍令承行令」も改正され、機関科将校を含む将校の序列に従って指揮権が移譲されることになったが、将校と将校相当官の区分は帝国海軍消滅まで継続していた。
何故に総力戦遂行と云う大混乱期に兵制改革を行わなければならなかったのだろうか。戦訓に基づく「軍令承行令」の改正はまだ理解できるとしても、パソコンで一括変換できる現在ならいざ知らず、兵籍簿・従軍記録・褒章記録等の全てを手作業で変更しなければならなかった時代によくぞ成し得たものである。しかしながら、改正が平時(事変等はあったが)海軍の人事制度が大量動員や急激な膨張に耐えられなくなったことによる止むを得ないものであったと見るならば、それらに対する平時の制度に欠陥があったものとしなければならない。
今回のコロナ戦争、特にワクチン接種の混乱に関しては平時の制度設計が不完全(無かった)であったことを示しており、今回学んだ「接種券の配布」「予約」「集団・大規模・職域接種」「接種記録とその活用」を網羅した、「防疫法」なり「免疫法」の制定にまで昇華させて欲しいと願うところである。