マスク不着用の呉市議等2名が飛行機から降ろされたことが報じられた。
事の顛末は、6日午前9時50分に釧路~羽田の「エア・ドゥ」72便で、一旦はマスクなしで搭乗した議員等が客室乗務員の要請にも拘らず、居丈高に着用を拒否したためにエア・ドゥが輸送約款に基づいて搭乗を拒否して降機させられたとされている。結果的に44名の乗客を乗せた機は1時間14分遅れで釧路空港を離陸したが、件の谷本誠一市議の主張に疑問を感じるものである。
市議は「誰も迷惑がっていない。遅れたということで迷惑をかけたのは結果であって、それをつくったのは航空機だ。いっさい迷惑かけてない」、「マスク着用の強制は明らかな憲法違反。こうした人権侵害の理不尽さを訴えることは、公益にかなう行為だと思っている」と発言したとされているが、どうだろうか。
他の乗客の失った時間は延べにすると44名×1.25時間=55時間であるが、航空機遅れで発生するトランジット変更手続き・待ち合わせ変更・商談の変更等を綿密に加算すれば他人の時間(市議の主張を借りれば人権?)は優に100時間を超えるだろうことを思えば、それほど他人の権利を侵害する行為が公益にかなうのだろうか。また、マスク着用が人権を損なうものだろうか。
更に市議は「マスクの有効性にはエビデンスが存在しない」とも述べているが、富岳のシミュレーションでも一定の効果は確認されているようで、北京五輪での中国の遣り方を見ても世界的に容認されているように思える。
「社会一般の利益」とされる公益の概念は極めて曖昧で捉え方は100人100様であるらしいが、他の乗客や客室乗務員に不安感を与えるだけでも公益を損なっているとみるべきではないだろうか。
人権についても、美顔だけでも商業的・社会的価値を有する木村拓哉氏のような場合を除いて、顔半分を覆うマスクが人権を損なうことはないように思えるが、市議の云う人権は何と形容される範疇に属するものだろうか。極論すれば市議やノー・マスク運動家にとっては「我欲=保護されるべき人権」であるようで、その伝で行けば「立小便」ですら「尿意の開放」という人権(我欲の発露)であり、それを禁じる迷惑防止条例は憲法違反となりかねない論法となる。
昨日はバスを利用して病院に行った。何やかやで帰宅するまで5時間の禁煙という難行であったが、エビデンスも不確かな受動喫煙防止のための「健康増進法による病院敷地内・路上喫煙禁止条例」に従って、ひたすら苦行に耐えた。件の市議の論法に従えば、我欲そのものの喫煙の欲望と習慣は「侵してはならない人権」に属するであろうから、市議ならば病院の廊下を咥えタバコで闊歩できるのかも知れない。そう思えば、呉市議に1票を献じるのも有りか(笑い)